遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

芒:すすき

2022-09-20 16:23:08 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年9月20日(火)

芒 : 薄、萱

イネ科の大型多年草。日当たりの良い山野至る所に自生する。
屋根を葺くのに使用したため萱(カヤ)ともいう。
秋、稈頭(かんとう)に中軸から多数の枝を広げ、黄褐色か
紫褐色の花穂を出す。

花穂の長さは15~40cm位で,尾花と呼ばれる秋の七草の
一つである。山野に一叢或いは野原状に群生する。
細長い葉は刃のように鋭くて指が切れる程である。
風が吹くと一斉に靡く → 枯尾花(獣の尾に似るので尾花)

「万葉集」八巻に、山上憶良が秋の七草の一つとして、
「秋の野に咲きたる花を、指折りかき数ふれば七草の花」と
詠んでいる。
尾花は黄褐色・紫褐色から色褪せて、終いには白色となる。

秋風になびく薄の景色には日本画的な独特の淋しさの風情
があるとされる。


秋、月見には団子と伴に欠かせないのは「すすき」である。

古来よくいわれる「まそはのすすき」は褐色の芒で、穂の
特に長いのをいうようである。

薄は実用的には「屋根ふき」に使われ、そのための薄の生
息地を「萱場」という。
屋根を葺く材料として、薄、刈萱、白茅、萩などが主原料
として用いる。萱の名は刈り屋根の言葉が詰まったもの。
今も、合掌造り集落が残る飛騨地方に萱場は欠かせない。


徳川園、茶室前

東山植物園、奥池

今日の1句

嵐過ぐ河原の芒抗はず  ヤギ爺

※抗ふ : あらがう、抵抗する。

敬老の日

2022-09-19 16:09:43 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年9月19日(月)

敬老の日 : 年寄の日

1966年(昭和41年)9月15日を国民の祝日の一つ、,
「敬老の日」に制定した。
「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝
う」ことを趣旨としている。
老人福祉の充実と敬老精神の啓発のため、それに伴う各種行
事が催される。

元は「年寄の日」として、1951年(昭和26年)に生ま
れた。
2001年(平成13年)の祝日改正法(いわゆるハッピー
・マンデイ制度の実施)に依り、2003年(平成15年)
から、9月の第3日曜日となった。
敬老の日に政府から100歳以上のお年寄りに、毎年銀杯が
贈られて来たが、2015年(平成27年)に経費節約のた
めに、純銀から銀メッキに変更する事になった。

因みにこの年の100歳以上の高齢者は3万人余で在った。
2,7億円の予算が1,5億円となり、1,5億円が減額さ
れた。 (何だかとても切ない気分であるが、、)

総務省がこの18日に公表した人口推計に依ると、65歳以
上の高齢者数は3627万人で内訳は、男性1574万人、
女性は2053万人。 総人口に占める割合は29.1%
世界での65歳以上の割合は日本が断トツで、2位イタリア
24.1%、3位フィンランド23.3%を大きく上回る。
日本では昨年より72万人も増えている。
高齢化率は今後も上昇する見込みで、医療介護体制の充実や
少子高齢化対策等の課題は山積みである。
亦、日本人の高齢者(65歳~69歳)の就業率は50.3
%で、高齢者の二人に一人は働いている事になる。

この日の中日新聞朝刊コラム「中日春秋」に、敬老日に関す
る記述があったので紹介したい。
【、、、、、、、、、、全文略、、、、、敬老の日である。
厚生労働省によると、全国の100歳以上の高齢者は15日
の時点で、約9万人。 52年連続の最多更新だそうだ。
統計開始の1963年は僅かに153人だったが、今では国
立競技場にも入りきらない人数である。、、、、
、64歳があの曲「ホエン・アイム・シックステイ・フォー」
(ビートルズ)の歌詞に在る。 庭の手入れや暖炉の傍での
編み物には似合わない年齢になっているのも当然のことか。
高齢化社会には深刻な側面も確かにある。ひどい話、敬老と
いう言葉を敬老の日以外であまり聞かない時代だが、人が長
生きの人を寿ぐ気持ちを忘れたくない。 それは命を大切に
する話なのだから。】
(中日新聞朝刊コラム:中日春秋より、引用した。)

先に、政府が敬老の日に100歳以上の高齢者に送る銀杯の
話を述べたが、経費節減のため銀メッキにして1.5億円を
節約したという、何だかとてもやりきれない気分である。
先日来、大いに揉めている「安倍総理の国葬問題」で、当初
予算は2.5憶円とし、世論の批判を受け16億6千万円と
公表した。(実際にはその倍以上は下らないと云われている)
更に、海外からの要望に対して無い筈の予算から次々に資金
援助を繰返している。大盤振る舞いだ。


確かに他の国に比べ「高齢化社会の問題」はより深刻である。
真剣に取り組む問題であろう。

我が町内でも高齢化はどんどん進んでいる。
毎年敬老の日には,些少ながら敬老対象者(65歳以上)
に記念品を出している。学区では年々増え続ける高齢者に
対する敬老祝い品を、70歳以上にとの検討をしたが「他の
予算を詰めても、今暫くは、、」と見送った。
(今の学区役員は、今も四苦八苦かも知れない、、、)




敬老の日、超大型の台風14号が接近中、子供達との会食



も儘ならず、、、「夕食が届けられた」感謝しつつ、、、。
長寿大国日本、敬老の日は目出度き事なれど自分も対象者
悩ましき、1日である。

今日の1句

今暫し自由奔放敬老日   ヤギ爺



夜 食

2022-09-18 16:20:09 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年9月18日(日)

夜 食 : 夜食喰ふ

大正時代以前には、陰暦8月1日の「八朔」や秋彼岸の
頃から「夜なべ」(夜、鍋をかけながら仕事をする事)
が始まった。

夜なべは夜業であり男は主に藁仕事、女は糸紡ぎや繕い
などをしたとある。
若者等は「夜なべ小屋」に集まって集団で行動した。
この夜なべの後で食べたのが「夜食」の始まりのよう。
雑炊やうどん等を食べた様である。
母さんのうた(よく流行ったなー、)


今では夜なべは廃れて夜食も減り、代わりに学生達が
受験勉強で深夜まで机に向い、親達が子のために夜食
を作り、部屋へ運んでいる。

夜間に食べる軽食の意味合いとなっている。
卵雑炊などを、

また以前は残業するのが当たり前の時代で在った。
私も現役の頃には、毎晩のように残業をし、夜8時を
過ぎると夜食を取り、出前などの残業飯が用意された。
2時間程で切り上げる時にも、残業パンが支給される。
(いずれも、事前に残業予定を申告する制度があった)
今では、働き方改革で殆どが残業禁止の時代である。
夜、5時の定時に帰るのが当たり前で、定時になると
夜警が回って「消灯」をして行くようだ。
勿論、緊急時(納期が迫る。突発事項発生等)の場合
には、事後に直ちに代休を取らねばならぬようである。
それでも、所定時間オーバーした場合はサービス残業
(無給)も止むを得ず、、(然しこれは後に罰則が、)
懐かしき、古き佳き時代の思い出である。

アッ、そうそう、、若き頃には週末になると友人宅で
徹夜マージャンをよく行っていた。4人集まれば囲む。
「雀荘」(街の麻雀屋)は12時まで、、それ以上は
各家庭を持ち回りである。
うどん等を作り、、

夜泣きそばを、、

その家のカミさんは大変である。夜中に夜食を出す。
時には、夜泣きそばを、、(これも古き佳き時代?)
そう言えば、今の若い人達は麻雀(マージャン)等
はヤラヌそうである。(雀荘も絶滅種か?)

今日の1句

夜食喰ふ徹夜マージャン昭和かな  ヤギ爺

杜鵑草

2022-09-17 16:41:36 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年9月17日(土)

杜鵑草 : ほととぎす、油点草

ユリ科の多年草、山地の半日陰や湿り気の多い地に生える。
山地の崖っぷちや林の中などにも自生している。
茎は直立し、長さ60~90cm程になる。

葉は互生し、笹の葉に似て先が少し曲がっている。
9~10月頃、夫々の葉の基部に花が1~3個つく。…

中国の漢名では「油点草」という。
学名の「Tricyrtis」(トルキルテイス)は、花の外花被の基
部が3枚在り、「treis」は数の3を表す。また「kyrtis」は
曲がるという意味からこの学名がついた。


「杜鵑」の名は、花被片に薄紫色の斑点があり、それが鳥の
「時鳥」の胸に在る斑点に似通る事から付いたとされる。
本州の九州から東北、北海道の西南部に分布し、沼や池の畔
等の陰湿な地に自生している。

近頃は家庭などにも植えられるが、乾燥に弱いので用土の地
表が乾いたら灌水をし、半日陰にするか遮光ネットを取りつ
ける必要があるといわれる。
夏場には気温が上がり過ぎると、根腐りがあるので注意。

名古屋近郊の庭園を吟行等で訪れると、杜鵑が見頃、、、
東山植物園、

徳川園、


白鳥庭園、

東山植物園、徳川園、白鳥庭園など、、何れも園内の日陰
に植栽され、林(人口)の中を何気なく覗くと薄紫色の花
が気どってポーズを決めている、、、、。


今日の1句

杜鵑さ迷ひ居たる小暗がり  ヤギ爺

蛍 草

2022-09-16 16:30:26 | 鶴舞公園へ行って来ました
令和4年9月16日(金)

露 草 : 蛍 草

ツユクサ科の一年草、青くさく小さな一日草。
茎は30cm以上になるが、柔かい茎は地を横に這い節から
斜上し白い根を出す。葉は長卵形で互生する。
2枚の緑色の苞葉の間から青色の小さな花を開く。
花は月光を浴びて咲くので「月草」、蛍の光を思わせる「蛍
草」などと風雅な異名が在る。

露に濡れ倒れ伏して、しとどに咲いている姿はとても美しい。
昔から愛される草花で、古くはこの「月草」の名前で着物を
染めた色が水に流れることから、「友禅染」の下絵描きに使
用されている。
日本各地の路傍、川端、荒れ地等どこにでも咲いている。

若葉は食用にもなるようだ。亦、これを乾燥させて利尿剤と
しても利用される。


昨日、公園の草取りの最中に青い小さな露草を見つけた。
春先と違い、雑草の中に花は中々見あたらないがこれを見つ
けると何だかホットして得をした様な気分になる。
よく見れば路傍の至る所で見つけられ、歩道のコンクリート
の割れ目、以前、歩道橋の上でも見つけ驚いた事もあった。

3年ほど前(令和元年の夏)、NHKBSのテレビドラマで、
「蛍草・菜々の剣」が放映された。(7話完結)

葉室麟さんの同名小説が原作の少女が父の仇を討つ時代劇。
その名の通り蛍草(露草)に親しむ主人公菜々が、武家の
家に女中奉公する。その家の庭には蛍草が咲いていた。
主人の奥方がこの花を愛でているのだ、、、、。

菜々の父は、或る同僚の武士に陥れられ切腹させられた。
その後、菜々は武家屋敷に女中奉公する事になる、、、。
在る日この家の主、市之進は或る人物(菜々の仇)に騙さ

れ投獄されてしまう。病弱の奥方さちは衰弱し亡くなった。

残された幼い子等(男児、女児)を連れ、菜々は家を出て、

長屋住いを、、大家(女主人)と住人らは皆世話好きで、
不思議と菜々の行く先々には彼女等を援助する者ばかり。

このドラマの髄書に「蛍草」が描かれる心温まるドラマ。

やがて、仇に出会い、彼女は長屋の住人だった武士の助け
を得て、無事仇を討った。

やがて市之進は放免され、親子と共に菜々の前に、、、。

(今一度見たいドラマでもある)


今日の1句

露草に触れ心安らぐ普段  ヤギ爺