「とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこのほそ道じゃ 天神さまのほそ道じゃ・・・」と童歌にもうたわれ、古き時代より親しんできた天神さま、全国つづ浦々に心のよりどころとして祀られているのが、菅原道真の霊を鎮め「神格」として崇めた「社」である。
この天神さまの宗祀とされる北野天満宮は、国を鎮め守る神として平安時代中期、多治比文子らによって北野の右近馬場に菅原道真の御霊を祀ったのが始まりとされる。
菅原道真は「和魂漢才」の精神を以って学問に勤し、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官吏として活躍した。延喜3年(903)2月25日、無実の罪で大宰府(福岡県)に流された。疑いも晴れぬまま太宰府の配所で無念の死を遂げた。その後、都において疫病が流行り天変地変が襲った。朝廷や民衆は道真の祟りだと恐れ、天暦元年(947)御神霊の慰霊と皇城鎮護の神として北野の地に祀った。
永延元年(987)一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ「北野天満宮天神」の神号を得た。寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸を初めてとし、代々皇室の崇敬を受け、江戸時代には寺子屋の精神的中心として道真の分霊が祀られるなど、「天神様」として親しまれ、以来学問の神様としての信仰は現在に至るまで受け継がれている。
国宝の指定を受ける本殿は慶長12年(1607)、豊臣秀頼が造営したもので、この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存している。また、この社殿造営は、豊臣秀吉の遺志であったと伝えられている。
社殿は八棟造と称され、総面積約500坪の雄大な桧皮葺屋根を戴くその威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な桃山文化を今に伝えている。この8棟造りといわれる屋根は日光東照宮にも継承されている。
創建以来、公家や武家さらに商人たちの信仰も厚かったことから当宮には数多くの宝物が奉納され伝えられ、中でも、国宝「北野天神縁起」は数ある同類の内で、根本縁起といわれ、絵巻物の中では特に優れた作品として高い評価を得ている。歴史上貴重な『日本書紀』、それに北野社史など古文書類もおびただしい数にのぼっている。また、明治天皇もご覧になった鬼切と呼ばれる太刀、豊臣秀頼が寄進した堀川国広作の名刀、加賀藩主前田家から50年目毎に大萬燈祭に奉納された刀剣等、さらに京都を舞台として活躍した画家や工芸作家の絵馬・蒔絵硯箱・屏風や茶道具類なども伝存し、収蔵品の幅が広いことを物語っている。またその多くは重要文化財に指定されており、優れた文化遺産を通じて日本の美の伝統に触れるのもよいだろう。
また境内のいたるところにある牛の像は、菅原道真が亡くなったのが丑の年、丑の日、丑の刻というところから奉納されたもので、この牛の頭をなでると頭が良くなると信じられているところから、いつも人の手で磨かれ、まぶしいほどに輝いている。また梅の名所としても名高く、梅花祭(道真の命日にあたる2月25日)には上七軒の芸妓・舞妓により、艶やかな野点が行われる。また、毎月25日には"天神さん"と呼ばれる縁日があり露店や骨董品店などで賑わいを見せる。
交通:JR京都駅より市バス50・101系統、地下鉄二条駅より市バス
8・55系統。京阪三条駅より市バス10系統。
この天神さまの宗祀とされる北野天満宮は、国を鎮め守る神として平安時代中期、多治比文子らによって北野の右近馬場に菅原道真の御霊を祀ったのが始まりとされる。
菅原道真は「和魂漢才」の精神を以って学問に勤し、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官吏として活躍した。延喜3年(903)2月25日、無実の罪で大宰府(福岡県)に流された。疑いも晴れぬまま太宰府の配所で無念の死を遂げた。その後、都において疫病が流行り天変地変が襲った。朝廷や民衆は道真の祟りだと恐れ、天暦元年(947)御神霊の慰霊と皇城鎮護の神として北野の地に祀った。
永延元年(987)一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ「北野天満宮天神」の神号を得た。寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸を初めてとし、代々皇室の崇敬を受け、江戸時代には寺子屋の精神的中心として道真の分霊が祀られるなど、「天神様」として親しまれ、以来学問の神様としての信仰は現在に至るまで受け継がれている。
国宝の指定を受ける本殿は慶長12年(1607)、豊臣秀頼が造営したもので、この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存している。また、この社殿造営は、豊臣秀吉の遺志であったと伝えられている。
社殿は八棟造と称され、総面積約500坪の雄大な桧皮葺屋根を戴くその威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な桃山文化を今に伝えている。この8棟造りといわれる屋根は日光東照宮にも継承されている。
創建以来、公家や武家さらに商人たちの信仰も厚かったことから当宮には数多くの宝物が奉納され伝えられ、中でも、国宝「北野天神縁起」は数ある同類の内で、根本縁起といわれ、絵巻物の中では特に優れた作品として高い評価を得ている。歴史上貴重な『日本書紀』、それに北野社史など古文書類もおびただしい数にのぼっている。また、明治天皇もご覧になった鬼切と呼ばれる太刀、豊臣秀頼が寄進した堀川国広作の名刀、加賀藩主前田家から50年目毎に大萬燈祭に奉納された刀剣等、さらに京都を舞台として活躍した画家や工芸作家の絵馬・蒔絵硯箱・屏風や茶道具類なども伝存し、収蔵品の幅が広いことを物語っている。またその多くは重要文化財に指定されており、優れた文化遺産を通じて日本の美の伝統に触れるのもよいだろう。
また境内のいたるところにある牛の像は、菅原道真が亡くなったのが丑の年、丑の日、丑の刻というところから奉納されたもので、この牛の頭をなでると頭が良くなると信じられているところから、いつも人の手で磨かれ、まぶしいほどに輝いている。また梅の名所としても名高く、梅花祭(道真の命日にあたる2月25日)には上七軒の芸妓・舞妓により、艶やかな野点が行われる。また、毎月25日には"天神さん"と呼ばれる縁日があり露店や骨董品店などで賑わいを見せる。
交通:JR京都駅より市バス50・101系統、地下鉄二条駅より市バス
8・55系統。京阪三条駅より市バス10系統。