2005年、NHKの大河ドラマ「義経」が放映されるや、「義経を巡る・観光ツアー」がどっと押し寄せるようになった鞍馬寺。これまでも三千院、清水寺、南禅寺、金閣寺、銀閣寺などと並んで人気スポットとなっていたが、新緑のこの時季、ことさら多くの人が訪れている。私もせっかくの義経ブームでもあり、読者の皆さんに義経にとどまらない当寺の歴史を紹介しようと再び訪ねてみた。
「何となく君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな」(与謝野晶子)。
霊山として知られる鞍馬山の風雅な一面を表した歌にあるように、深々とした樹林に包まれ、遥か彼方に洛中を偲ぶことができる。心地よい初夏の風の葉音、鶯の音にまじり無数の小鳥達がさえずるこの鞍馬にはもう幾度となく訪ねてはいるが取材目的で来たのは初めてであった。
当寺は、唐招提寺の鑑真(がんじん)和上の高弟・鑑禎(がんてい)上人が宝亀元年(770)正月の4日の寅の夜、不思議な夢を見た。鞍を付けた白馬の導きで鞍馬山に来たところ鬼女に襲われれたのだ。そこに現れた毘沙門天に助けられ難を逃れた。仏法を守護する仏が降臨したと悟った上人はここに草庵を結び、毘沙門天を祀ったのが始まりと伝わっている。
それから四半世紀のちの延暦15年(796)に、造東寺長官の藤原伊勢人は日頃信仰する観世音を奉安する一宇の建立を念願していたが、夢のお告げと白馬の助けを得て登った鞍馬山には、鑑禎上人の草庵があり毘沙門天が安置されていた。自分は観世音を祀りたいのにといかぶる伊勢人に「毘沙門天も観世音も根本は一体のものである」と再び夢のお告げがあった。そこで伊勢人は草庵を三間四面の堂舎に造り替え毘沙門天を奉安、のちに千手観音を造像して併せ祀り宿願を果たした。そして鞍を負った馬が鞍馬山を示したことにちなみ、「鞍馬寺」と呼ぶようになったという。
寛平年間(889~898)に東寺十禅師のひとり峯延が入寺して真言宗に転じ、天永年間(1110~13)に天台座主忠尋が入寺して天台宗に復した。寛弘6(1009)年以来しばしば罹災したが、朝野の信仰も厚く、また糺ノ森で鞍馬寺塔婆勧進猿楽を催すなどして復興した。応仁の乱では当山の僧徒が入洛して威を振るった。江戸時代には10院9坊を数えたが、明治維新の廃仏毀釈で院坊が廃された。
右手の転法輪堂は、1階が茶店である。鎌倉時代に熱心な念仏行者重怡上人が、晩年13年間この堂の阿弥陀像の前で12万遍の念仏を唱え、6万通の宝号を書いて納めた法輪を安置する。左方の宸殿は大正13(1924)年貞明皇后の便殿で、寝穀造と書院造からなる大正時代の代表的建築である。なお本堂地下は霊窟で、洗い清めた一条の髪に霊性を移す「清浄髪納髪10万人運動」により納めた髪が並んでいる。
鉄筋コンクリート造の本堂には本尊の木造毘沙門天立像、両脇侍の木造吉祥天・善膩師童子立像(いずれも国宝・平安)を安置する。本尊は等身大、左手をかざして俯瞰する、天部像中の異色作である。大治2(1127)年の造立と考えられる。吉祥天像は、明治の修理の際に像内から般若心経・吉祥天12名号経の1巻が発見され話題となった。
本堂前には銅灯籠(国重文・鎌倉)があり、右手の閼伽井護法善神社は、中興の峯延上人が修行中に2匹の大蛇に襲われたが、呪文の力で、雄蛇は切って捨て、雌蛇は魔王尊に供える水を絶やさぬことを誓わせて助けた、という伝説にもとづいて、2匹の蛇を祀る。
閼伽井は仏前に供える閼伽の水を汲む井戸である。左の光明心殿は魔王尊を祀る護摩供の道場。その先に霊宝殿(鞍馬博物舘)がある。1階は自然科学博物苑で、資料・標本・模型が、鳥獣・岩石・陸貝・昆虫・植物・きのこの各コーナーになっている。2階は寺宝展示室。3階は国指定文化財の彫刻を安置する。
また1976(昭和51)年晶子の書斎冬柏亭を東京から移築し、夫妻の遺品が霊宝殿に展示されている。
ここから奥約1kmに奥の院があり、途中に義経息つきの水、義経堂、義経背くらべ石(「遮那王が背くらべ石を山に見て わが心なお明日を待つかな(与謝野寛)」)、大杉神社、僧正谷や不動堂がある。奥の院は魔王堂に魔王尊を祀る。不動堂には木造毘沙門天立像(国重文・平安)が安置されている。
奥の院から下ると貴船神社に出る。このあたりは木の根が露出し、いわゆる木の根路で、修験者の道らしく険しい。
寺にはこのほか、定慶作木造観音菩薩立像(国重文・鎌倉)、工芸品として黒漆剣(奈良~平安)と剣(無銘・平安)があり、書蹟に紙本墨書鞍馬寺文書(鎌倉~南北朝)がある(いずれも国重文)。
鞍馬寺の祭礼のひとつ竹伐会式は、毎年6月20日に行われる。起源は鞍馬寺中興の峯延上人の大蛇退治伝説にちなんだもので、蓮華会ともいい、大蛇に見立てた青竹4本を僧兵姿の法師各四人が東の近江座、西の丹波座に分かれて、合図によって山刀で切り競う。早く切り終わったほうの土地が豊作とする。18日に竹釣、19日に蛇捨ての儀式がある。鞍馬の火祭も有名な祭礼であるが、これは鞍馬寺の鎮守社由岐神社の祭礼であり鞍馬寺のものではない。
「ほととぎす 深き峯より出でにけり 外山(とやま)の裾に 声の落ちくる」
(西行法師/新古今和歌集)
昼間でもなお薄暗い 神秘さを漂わせる鞍馬を訪ねてみてはいかがだろう。
(一部、「京都府の歴史散歩」山本四郎著を参照。)
所在地:京都府京都市左京区鞍馬本町1074
交通:JR京都駅からバス、または京阪電鉄出町柳駅で下車、叡山電鉄鞍馬線で鞍馬駅下車3分。
「何となく君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな」(与謝野晶子)。
霊山として知られる鞍馬山の風雅な一面を表した歌にあるように、深々とした樹林に包まれ、遥か彼方に洛中を偲ぶことができる。心地よい初夏の風の葉音、鶯の音にまじり無数の小鳥達がさえずるこの鞍馬にはもう幾度となく訪ねてはいるが取材目的で来たのは初めてであった。
当寺は、唐招提寺の鑑真(がんじん)和上の高弟・鑑禎(がんてい)上人が宝亀元年(770)正月の4日の寅の夜、不思議な夢を見た。鞍を付けた白馬の導きで鞍馬山に来たところ鬼女に襲われれたのだ。そこに現れた毘沙門天に助けられ難を逃れた。仏法を守護する仏が降臨したと悟った上人はここに草庵を結び、毘沙門天を祀ったのが始まりと伝わっている。
それから四半世紀のちの延暦15年(796)に、造東寺長官の藤原伊勢人は日頃信仰する観世音を奉安する一宇の建立を念願していたが、夢のお告げと白馬の助けを得て登った鞍馬山には、鑑禎上人の草庵があり毘沙門天が安置されていた。自分は観世音を祀りたいのにといかぶる伊勢人に「毘沙門天も観世音も根本は一体のものである」と再び夢のお告げがあった。そこで伊勢人は草庵を三間四面の堂舎に造り替え毘沙門天を奉安、のちに千手観音を造像して併せ祀り宿願を果たした。そして鞍を負った馬が鞍馬山を示したことにちなみ、「鞍馬寺」と呼ぶようになったという。
寛平年間(889~898)に東寺十禅師のひとり峯延が入寺して真言宗に転じ、天永年間(1110~13)に天台座主忠尋が入寺して天台宗に復した。寛弘6(1009)年以来しばしば罹災したが、朝野の信仰も厚く、また糺ノ森で鞍馬寺塔婆勧進猿楽を催すなどして復興した。応仁の乱では当山の僧徒が入洛して威を振るった。江戸時代には10院9坊を数えたが、明治維新の廃仏毀釈で院坊が廃された。
右手の転法輪堂は、1階が茶店である。鎌倉時代に熱心な念仏行者重怡上人が、晩年13年間この堂の阿弥陀像の前で12万遍の念仏を唱え、6万通の宝号を書いて納めた法輪を安置する。左方の宸殿は大正13(1924)年貞明皇后の便殿で、寝穀造と書院造からなる大正時代の代表的建築である。なお本堂地下は霊窟で、洗い清めた一条の髪に霊性を移す「清浄髪納髪10万人運動」により納めた髪が並んでいる。
鉄筋コンクリート造の本堂には本尊の木造毘沙門天立像、両脇侍の木造吉祥天・善膩師童子立像(いずれも国宝・平安)を安置する。本尊は等身大、左手をかざして俯瞰する、天部像中の異色作である。大治2(1127)年の造立と考えられる。吉祥天像は、明治の修理の際に像内から般若心経・吉祥天12名号経の1巻が発見され話題となった。
本堂前には銅灯籠(国重文・鎌倉)があり、右手の閼伽井護法善神社は、中興の峯延上人が修行中に2匹の大蛇に襲われたが、呪文の力で、雄蛇は切って捨て、雌蛇は魔王尊に供える水を絶やさぬことを誓わせて助けた、という伝説にもとづいて、2匹の蛇を祀る。
閼伽井は仏前に供える閼伽の水を汲む井戸である。左の光明心殿は魔王尊を祀る護摩供の道場。その先に霊宝殿(鞍馬博物舘)がある。1階は自然科学博物苑で、資料・標本・模型が、鳥獣・岩石・陸貝・昆虫・植物・きのこの各コーナーになっている。2階は寺宝展示室。3階は国指定文化財の彫刻を安置する。
また1976(昭和51)年晶子の書斎冬柏亭を東京から移築し、夫妻の遺品が霊宝殿に展示されている。
ここから奥約1kmに奥の院があり、途中に義経息つきの水、義経堂、義経背くらべ石(「遮那王が背くらべ石を山に見て わが心なお明日を待つかな(与謝野寛)」)、大杉神社、僧正谷や不動堂がある。奥の院は魔王堂に魔王尊を祀る。不動堂には木造毘沙門天立像(国重文・平安)が安置されている。
奥の院から下ると貴船神社に出る。このあたりは木の根が露出し、いわゆる木の根路で、修験者の道らしく険しい。
寺にはこのほか、定慶作木造観音菩薩立像(国重文・鎌倉)、工芸品として黒漆剣(奈良~平安)と剣(無銘・平安)があり、書蹟に紙本墨書鞍馬寺文書(鎌倉~南北朝)がある(いずれも国重文)。
鞍馬寺の祭礼のひとつ竹伐会式は、毎年6月20日に行われる。起源は鞍馬寺中興の峯延上人の大蛇退治伝説にちなんだもので、蓮華会ともいい、大蛇に見立てた青竹4本を僧兵姿の法師各四人が東の近江座、西の丹波座に分かれて、合図によって山刀で切り競う。早く切り終わったほうの土地が豊作とする。18日に竹釣、19日に蛇捨ての儀式がある。鞍馬の火祭も有名な祭礼であるが、これは鞍馬寺の鎮守社由岐神社の祭礼であり鞍馬寺のものではない。
「ほととぎす 深き峯より出でにけり 外山(とやま)の裾に 声の落ちくる」
(西行法師/新古今和歌集)
昼間でもなお薄暗い 神秘さを漂わせる鞍馬を訪ねてみてはいかがだろう。
(一部、「京都府の歴史散歩」山本四郎著を参照。)
所在地:京都府京都市左京区鞍馬本町1074
交通:JR京都駅からバス、または京阪電鉄出町柳駅で下車、叡山電鉄鞍馬線で鞍馬駅下車3分。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます