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「三十三間堂」(蓮華王院)(さんじゅうさんげんどう)  

2006年04月07日 15時44分58秒 | 古都逍遥「京都篇」
 粉雪舞う蓮華王院、2人の武者のにらみ合う影が凍りつく。武蔵が濡れ縁を走る、吉岡伝七郎も武蔵の眼を離さず走る。勝負は一瞬のうちについた。
兄・吉岡清十郎の仇を討つ吉岡伝七郎と宮本武蔵との決闘場所は京都洛外と伝えられているが、吉川英治の『宮本武蔵』では、通し矢で有名な蓮華王院(三十三間堂)裏の空き地が闘いの舞台となった。

 天台宗蓮華王院は七条通りに面し、智積院や国立京都博物館にほど近い。
ここを有名にしたのは吉川英治の「宮本武蔵」に登場する武蔵と伝七郎の決闘でもあり、そして成人式の日に開催される通し矢の舞台として世に知られている。当院は長寛2年(1164)鳥辺(とりべ)山麓(現・阿弥陀ヶ峯)の後白河上皇・院政庁「法住寺殿」(ほうじゅうじどの)の一画に平清盛が造進したもので、その後焼失したが、文永3年(1266)に再建。その後、室町・桃山・江戸そして昭和と4度にわたり大修理が行なわれている。名高い長堂は入母屋め本瓦葺の「総檜造り」で約120㍍もあることから「三十三間堂」と称し親しまれている。

 堂内に入ると、圧倒される1001体の観音像が居並ぶ。その中心に巨像(中尊)があり、大仏師湛慶(たんけい・運慶の長男)八二歳の時の作で鎌倉期(建長6年)の名作。観音像の前にひときわ高い雲座に乗った風神と雷神像は見るものを威圧する。五穀豊穣をもたらす神として信仰がある、鎌倉彫刻の名品と評されている。

毎年1月の成人式には、「楊枝(やなぎ)のお加持(かじ)」縁日が催され「頭痛封」
のご利益があるという。この日、古儀・通し矢にちなむ弓道大会が開催され、正月の風物詩となっている。通し矢の起源は、保元の乱の頃(12世紀中頃)熊野の蕪野源太が崇徳天皇の身方として馳せ参じた時、蓮華王院の軒下を根矢をもって射通したことに始まると伝えられている。その後、応永ごろから天正ごろ(16世紀末)に小川甚平、木村伊兵衛、今熊猪之助らが差し矢を試み、通し矢の趣向を開いたと「武芸小伝」に記されている。
 「年代矢数帳(文久元年・1861)」の最後の記録を見ると、慶長11年(1606)からこの年に至る255年間に延べ823人が通し矢を行なった記録があり、内、天下総一と称された武者は延べ41人(実数26人)で、寛文9年(1669)に徳川尾張藩の星野勘左衛門が、総矢10、542本を射て通した矢は8、000本。さらに、17年後の貞享3年(1688)に、紀伊藩の和佐大八郎が1万53本を射て、通した矢8、132本、これが今日まで伝わる最高記録になっている。平均6・6秒に1本の速さで射続けたというから、怪物的な武者である。ちなみに近年の記録は明治32年の4、457
本だそうだ。

 交通:京阪電鉄京都線七条下車、徒歩6分。
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