横浜に住んでいる学友から暑中見舞いが来た。
彼とはグリークラブで共に歌った仲で、自分はベース、彼はバリトンだった。
学生時代は歌声喫茶が大流行、二人して「灯」(ともしび)によく行った。今でもこの「ともしび」は存在しているようだ。
夏休みなど長期休暇はバイトをしていたが、帰省すると歌声喫茶に入り浸りだった。
大学2年に両親は九州から大阪に住処をかえたので、大阪北の曽根崎にある「こだま」という歌声喫茶で楽しんだ。(今はもう無い)
あるとき、いつものようにロシア民謡や山男の歌、山のロザリオ、四季の歌、遥かなる友へ、そして「惜別の歌」を歌い終わったとき、リード役の司会者が休憩に入ると、私の居るボックスに歩み寄ってきた。
「失礼ですが、チョットお時間をいただけませんか」と声を掛けられた。
私は、怪訝な感じでリーダーを見つめると、「宜しければ事務所のほうに来て頂けませんか」という。
私は何も迷惑なことをした覚えもないので、「どうかしたのですか?」と言葉を返した。
「お客様の歌のことでお聴きしたことがあって。ご迷惑をおかけしませんので」という。
リーダーの声は藤田まことさんのように柔らかで美声だった。
とがめられるようなこともないだろうと、リーダーの後について事務所へと。
すると、どうだ。ビックリボンの話だ。
「お客様の声がとても抜けていて、大勢のみなさんが歌っているのに、お客様の歌声だけはしっかり聴きとれるので歌のお仕事でもなされておられるのですか」という。
グリークラブで発声法を叩きこまれていたが、ただ声高だけで・・・。
いろいろ話し込んだが、結論は「歌の道へ進みませんか」ということだった。
それは何とスカウトだった。そのリーダーは音楽プロダクションに所属し派遣されてきているという。
だけど、私は歌手とかへ進む気もなく、第一両親が賛成するはずも無かった。
・・・親友の暑中見舞いから、そんな古い60余年も前の想い出が、ふと浮かんだ。
歌手の修行へと進まず経営の道に進んだ今では、それが正解だったと思っている。
・・・その時、歌った「惜別の歌」を40代の頃、テープに吹き込んでいた。
惜別の歌
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