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「霊山寺」(りょうせんじ)

2010年07月02日 18時17分58秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 世界のバラの花を集めた「バラ園」の寺として全国的に知られている「霊山寺」は、真言宗大本山の寺院で山号を登美山(とみさん)または鼻高山(びこうさん)と称し、奈良市の西郊、富雄川の支流湯屋川をはさんで南北両側の丘陵上にある。幾度の戦乱にも巻き込まれず、いにしえの面影を残している古刹である。

 伝承によれば、神亀5年(728)聖武天皇の皇女(後の孝謙天皇)は、病に苦しんでいたが、天皇の夢枕に現れた鼻高仙人が、登美山の薬師如来の霊験を説いたので天皇は僧・行基を登美山につかわして祈願させたところ、皇女の病が平癒したので、天平6年(734)行基に命じて寺社を建立。その2年後(736)に来日したインド僧正・菩提僊那(=ぼだい・せんな、東大寺大仏の開眼供養の導師を務めた)が、登美山の地勢が故郷インドの霊鷲山(りょうじゅせん)に似ていることから霊山寺と名付け、聖武天皇から「鼻高霊山寺」の扁額が下賜されたという。

 中世には北条時頼、徳川家康、豊臣秀吉も帰依したほか徳川時代には場幕府の朱印寺として寺勢21坊を数えるなど栄えたといわれているが、明治の廃仏毀釈以後は衰退した。
 伽藍をみると、境内東側の正面入口には一般の仏教寺院と違い、門でなく朱塗りの鳥居が立つが、信仰の中心となっている大弁才天堂への入口を示すものである。鳥居をくぐって道の右側にはバラ庭園、天龍閣(食事宿泊施設)、大弁才天堂、黄金殿、白金殿などがあり、奥の石段上に国宝の本堂が建つ。道の左側には仙人亭(喫茶軽食)、薬師湯、ゴルフ練習場などがある。

 本堂は入母屋造、本瓦葺きで 国宝に指定されており、棟札に弘安6年(1283)の建築と記され鎌倉時代和様仏堂の代表作とある。
 堂内の厨子も本堂と同時期の作で、厨子内に毎年秋に公開される秘仏の本尊の薬師三尊像(重要文化財)が安置されており、治暦2年(1066)の造立という。厨子の左右には二天(持国天・多聞天)像と十二神将像(各重文)が、外陣には大日如来坐像と阿弥陀如来坐像(同)が安置されている。 本堂の手前に鐘楼(重文)があるが、これも本堂と同時期の建築という。

 高さ17㍍を有する檜皮葺き造りの三重塔(重文)は、谷をはさんで本堂とは反対側(南側)の斜面上にあり、初層内部の来迎壁(仏壇背後の壁)の表裏や長押には剥落や退色が少なく美しい五大明王図、仏涅槃図などの極彩色壁画が描かれている。本堂背後の山腹を登ると十六所神社(重文)があり、南北朝時代の建立で霊山寺の鎮守社であったそうだ。

 寺内には薬草と鉱泉を用いた薬師湯殿があるが、約1300年前、右大臣小野富人(通称鼻高仙人)が薬草湯屋を建て、薬師如来を祀って諸人の病を治したことに由来するという。薬師湯は昭和57年に改装され、アロエ、どくだみ湯などが入湯料600円で楽しめる。

 広大な庭園には、200種類2千株のバラが毎年咲き誇り、四季の花や緑も美しい。また、天平期の食膳を模した「天平ご膳」や京風の「鼻高懐石」、女性限定の「レディース懐石」のほか、バラの季節には「薔薇弁当」やバラのアイスとジュースも登場し、参拝と行楽と一日楽しめるところだ。

 所在地:奈良市中町3879。
 交通:近鉄奈良線富雄駅より奈良交通バス8分、霊山寺バス停下車すぐ。
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