「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「落柿舎」(らくししゃ)

2006年11月03日 18時44分51秒 | 古都逍遥「京都篇」
 嵯峨野の小倉山のふもとにひっそりと佇む庵がある。軒先の柿の木の枝に、茜色をした実が茅葺きの庵と絶妙な調和をなしていた。
 落柿舎は、やはり秋が似合う。

「柿主や 梢はちかき あらし山」

 庭内にこの句碑が立てられているが、松尾芭蕉の門人で、"蕉門十哲"の1人とされる「向井去来」の句である。去来は本名・兼時、通称・平次郎といい、慶安4年(1651)に生まれ(父は長崎の儒医)、宝永元年(1704)9月10日、54歳で没す。芭蕉の門を叩いたのは30歳半ばである。

 落柿舎の名由来は、江戸時代、ある商人が同庵に実る柿を買う約束をしたところ、大風(多分台風)のため一夜にして柿の実が全て落ちたとあり、その故事にちなんで付けられたもの。

 「五月雨や 色紙へぎたる 壁の跡」(芭蕉)

 芭蕉は、元禄2年から3たび落柿舎を訪ねており、元禄四年には18日間滞在している。その折のことが「嵯峨日記」(宝暦3年刊行)にみることができ、同句も最尾に記されてある。
 高浜虚子も当舎を訪ねており、「凡そ天下に去来ほどの小さき墓に詣りけり」と詠んだ。
 そう、去来の墓は同舎の裏側、二尊院へ通じる小径右側に人目を忍ぶがごとき佇んでいる。 庵には訪ね来る人たちが、思い思いの俳句を読み投句している。人と去る晩秋は、ことの外、風情を醸し出す庵である。

 交通:京都バス「嵯峨小学校」下車5分、JR嵯峨の線(山陰線)「嵯峨嵐山」下車徒歩20分、阪急嵐山線「嵐山」下車、徒歩40分。
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