今日は堪えられないほどの暑さだった。蒸すし日照りもきついし風もない。
気象庁発表では33度というが、体感温度は体温まで上がっている感じだった。
扇風機と自然の風で過ごすことが多いが、仕事に障りが出てきたのでクーラーのスイッチを入れた。
暑くてイライラすると頭の回転もわるく原稿がはかどらないので、26度まで冷やした。
冷えたサイダーを飲みながらワードを手も軽やかになった。
娘の音楽教室の生徒さんたちの発表会まであと一月ほどに迫った。
娘は毎晩遅くまで教室に残りあれこれと考え込んでいるようだ。
今回も講師演奏はやらないという。開業当初3年間ほどはやっていたが、その後全くやらなくなった。
生徒さんとのアンサンブル演奏では、ピアノを弾いたりエレクトーンを弾いたりしているが、単独演奏はしない。
ある年、「保護者も生徒も先生の演奏を聴きたいだろうに、どうしてやらないのか」と尋ねたことがあった。
すると娘は「うちは講師で演奏家じゃないよ」という。分かったような分からないような答えだったが、私に似て頑固なところというか依怙地な所があって、思い込むとテコでも動かないというか応じないところがある。
私たち親が教室に行ってリクエストすると演奏してくれて楽しませてくれるのだが、録画してYouTube等にアップすることを拒否する。
それだけに生徒さんたちへの指導は定評があるようで、保護者からも感謝されている。
今年は3部にわけて発表会をするという。午前が1部、午後を2回に分けて2部と3部に。相当疲れるようだ。
アシスタントに門下生第一号の生徒さんにしてもらうようだ。娘の指導を受けて音大へ行き、音楽家になるのかと思ったら「先生のような先生になりたい」と言って、音大卒業後、地元の学校で音楽教師をしていて、娘の教室にチョコチョコ立ち寄ってお手伝いをしてくれている。
いずれこの子に教室を譲るつもりだという。
娘も50の大台の乗った。
「こんなはずではなかった」と時々零す。
エレクトーンを楽しんで弾きたいだけだったのに、こんなになっちゃってという。
こんなに、というのは教室を持って先生になるつもりはなかったということ。
娘にピアノではなくエレクトーンを始めさせたのは父親である私で、ピアノはいずれ部屋の大型ゴミになってしまうことが多い。
親はピアノを習わせたいのだが、子どは必ずしもそうではない。いずれ飽きてしまうことが多く、その事実を多く見ている。
そもそも娘にエレクトーンをやらせようと思い始めた動機は、私の大学の先輩がヤマハでエレクトーン開発に携わり、グリークラブ定期演奏会で特別演奏をしてくれたのが強烈なインパクトとなり、子どもを持ったら絶対エレクトーンを習わせるとその時思った。ピアノはその後、習わせればよいと。
娘が3歳になったときエレクトーンを買い習わせた。将来プロ演奏家になることを夢見ての支援だった。
その事に娘は感謝しているという。
そして離婚し幼子3人を抱えて介護の仕事をしながら、音楽教室をやり始めた。生活のためだった・・・。
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