今日も暑い。
仕事を終えて気分転換をしようと外を見ると、出かける気もそがれる陽射しに、マンションを一回り。
一周すると2300歩ほど、丁度良い散歩となった。
得体のしれない緑色の虫が
マンションからの眺望 遥か比叡山を望む 右の小山は「男山」
真下に見えるゴルフ場 左の小山が天王山
今日も暑い。
仕事を終えて気分転換をしようと外を見ると、出かける気もそがれる陽射しに、マンションを一回り。
一周すると2300歩ほど、丁度良い散歩となった。
得体のしれない緑色の虫が
マンションからの眺望 遥か比叡山を望む 右の小山は「男山」
真下に見えるゴルフ場 左の小山が天王山
一日中ニュース記事の編集に追われていて、文章を綴るのがいささか嫌になってしまった。
これまでに歌った自分のyoutubeを開いてみたら、ブログにアップしていない歌がいくつかあった。
聞き返してみると“なるほど音程を外していた”
プロではないので音程を外していても楽しみで歌っているのだし“いいじゃないか”と思うのだが、やはり恥ずかしい。
音程・ピッチを狂わすことほど耳障りなものはないのだが、硬い事を云わず、ということで恥ずかしながら聴いてください。
さくら貝の歌 *歌:yama
土屋花情作詞 八洲秀章作曲
美(うるわ)しき 桜貝ひとつ
去り行ける 君にささげん
この貝は 去年(こぞ)の浜辺に
われ一人 拾いし貝よ
ほのぼのと うす紅(べに)染むるは
わが燃ゆる さみし血潮よ
はろばろと かよう香りは
君恋うる 胸のさざなみ
ああなれど 我が想いは儚(はかな)
うつし世の なぎさに果てぬ
木槿、芙蓉、睡蓮とアップし、お付き合いいただき有難うございました。
ここに来た目的だった「黄色い蓮」はもう花期を終えていて見る事ができませんでした。
来年は念願を達成したいと今から思ってります。
さて、続きは綺麗なイメージで撮れなかった花たちですがアップします。
ご訪問頂き有難うございました
横浜に住んでいる学友から暑中見舞いが来た。
彼とはグリークラブで共に歌った仲で、自分はベース、彼はバリトンだった。
学生時代は歌声喫茶が大流行、二人して「灯」(ともしび)によく行った。今でもこの「ともしび」は存在しているようだ。
夏休みなど長期休暇はバイトをしていたが、帰省すると歌声喫茶に入り浸りだった。
大学2年に両親は九州から大阪に住処をかえたので、大阪北の曽根崎にある「こだま」という歌声喫茶で楽しんだ。(今はもう無い)
あるとき、いつものようにロシア民謡や山男の歌、山のロザリオ、四季の歌、遥かなる友へ、そして「惜別の歌」を歌い終わったとき、リード役の司会者が休憩に入ると、私の居るボックスに歩み寄ってきた。
「失礼ですが、チョットお時間をいただけませんか」と声を掛けられた。
私は、怪訝な感じでリーダーを見つめると、「宜しければ事務所のほうに来て頂けませんか」という。
私は何も迷惑なことをした覚えもないので、「どうかしたのですか?」と言葉を返した。
「お客様の歌のことでお聴きしたことがあって。ご迷惑をおかけしませんので」という。
リーダーの声は藤田まことさんのように柔らかで美声だった。
とがめられるようなこともないだろうと、リーダーの後について事務所へと。
すると、どうだ。ビックリボンの話だ。
「お客様の声がとても抜けていて、大勢のみなさんが歌っているのに、お客様の歌声だけはしっかり聴きとれるので歌のお仕事でもなされておられるのですか」という。
グリークラブで発声法を叩きこまれていたが、ただ声高だけで・・・。
いろいろ話し込んだが、結論は「歌の道へ進みませんか」ということだった。
それは何とスカウトだった。そのリーダーは音楽プロダクションに所属し派遣されてきているという。
だけど、私は歌手とかへ進む気もなく、第一両親が賛成するはずも無かった。
・・・親友の暑中見舞いから、そんな古い60余年も前の想い出が、ふと浮かんだ。
歌手の修行へと進まず経営の道に進んだ今では、それが正解だったと思っている。
・・・その時、歌った「惜別の歌」を40代の頃、テープに吹き込んでいた。
惜別の歌
ひと段落したところだが、割付の最終チェックの前に気分転換を兼ねて「大阪公立大学附属植物園」へ出向いた。
第二京阪高速道路を使えば35分で到着する。行く前にホームページで見ごろの花を検索していると「黄色い蓮の花」が開花していた。
これは珍しいと思い、植物園に電話を入れると今年は開花が早かったのでチョット遅いかもしれないという。ホームページでは先週更新分で見ごろだったことから一週間も経っているともうダメかもしれない、と思いつつ、ダメでも睡蓮やムクゲなどが盛りのようだから気晴らしも兼ねてのこと、車を飛ばした。
そういえば、この時節になると思い出すことがある。
“夏が来れば想い出す”のだ・・・。水連の季節になるとある想い出がよみがえる。
カメラとの付き合いはかなり長いが、コンテストでの受賞を目指していた熱狂時代はスナップやポートレートを好んでいた。
大阪勤務になったとき朝日カルチャースクールに入門。お目当ては「高田誠三」先生のネイチャー写真を学ぶためだった。
高田誠三先生は大阪芸術大学写真学科の教授で風景写真家として世界的に知られていた。
そして、風景の面白さに惹かれスクールの有志5人と共に特別に指導を受けるため、先生の空き時間に戸外撮影で指導を受けた。
初の直接指導が万博公園日本庭園での水連がテーマだった。
それから私は再び転勤したことから個別指導が受けられた期間は1年4ヵ月と短かったが、すっかり風景写真の虜になり、中でも花、花と風景の撮影がその後のカメラライフとなった。
先生がご病気で亡くなられて12年になる。一向に写真の腕は上がらないものの、ネイチャー写真の楽しさを学ばせてくれた想い出はいつまでも忘れることができない。その頃の仲間とはもうすっかり音信不通となり、既に黄泉の国へ行かれたかたもいる。
もうさほど遠出ができなくなった年齢となり、近隣の名所や公園で写真を撮るのが楽しみになっている。
・・・夏の想い出は、カメラ人生にもつながっている。
ーーー今日は、木槿と芙蓉を少しアップしよう。
昨夜から背中がべたつく感じがするほど蒸し暑かった。
「これではきっと明日は大雨だね」と妻に呟いた・・・。
朝8時、冷たい風がベランダから吹き付けると思った途端、篠突く雨が窓に打ち付ける。
洗濯物は雨を予測して部屋干しとし窓際に置いていたが、窓を閉めないと風に乗って霧状の雨が吹き付ける。
ここのところ雨が多かったが、今朝のような雨は久しぶり。
「久しぶりだねぇーお富さん」ではないが、妻にそう言った。
ベランダに置いている盆栽類は恵みの雨とばかりニコニコしているようだった。五葉松も葉の緑が鮮やかになったように見えた。
本社から校正原稿がなかなかFAXされてこずイライラしていたが、今しがた電話がピーっと鳴りFAXが来る信号。
さっ、これから戦争が始まる・・・。
毎日、ブロ友たちのブログを飛び回っているが、お陰様で180フォローほどあり、それを皆訪問しポチを入れ、時にはコメントも。
だけど、全てにコメントを入れると回り切れず、申し訳ないと思いながらも訪問足跡のポチだけで失礼している。
さて、FAX受信が終了した、A4サイズ26枚分だ。
これにてブログから離れます。
雨上がりの公園
8月に夏祭りの太鼓演奏や盆踊りで、高い櫓の上にあがり叩く「盆太鼓」があることから、6月、7月は3回ずつ練習するが、この2年間コロナ感染症により中止となり、夏祭りのための練習の必要性がなく基礎的な練習の繰り返しをしていた。
今年は3年ぶりとなる老人介護施設からのオファーを受けたり、神社での奉納太鼓の依頼も受けている。
それを受けた練習にはやはり力がはいる。8月半ばの老人介護施設の夏祭りの最後のおさらいの練習を昨日行った。
練習を終えて太鼓のメンテナンス作業をしてもらった。長年使用した鼓面の汚れ落し。専用のクリーニング液を雑巾に吹き付けて鼓面を丁寧に拭き取る。 綺麗になった太鼓で介護施設の夏祭りで叩くことができる。
八丈島櫓太鼓の叩き方の指導
お手本を見せているところ
休憩中
太鼓の汚れ落し作業
休憩タイムのおやつ 皆これが一番の楽しみ
3年ぶりに山鉾巡行が開催されるという日に太鼓の練習と重なってしまった。
京都の三大祭りと送り火は毎年欠かさず見に行っていたが、コロナで中断され寂しい思いをしていた。
戦争で中止になったことがあったが、コロナもウィルス戦争だった。
太鼓の練習と重なったことから、これまで撮り収めた写真を懐かしさを込めてアップしてみました。
撮影年が異なっております。またネガフィルムやリバーサルフィルムやデジタルが混合しているので写真サイズ・グラデーションも異なります。