一隅を照らす気持ちでコツコツと・・・
昨日の練習では新曲の「枚方風情くらわんか船」の前奏曲、担当させたAくんとBさんが期待通りの習得をしてくれていた。簡単なようで細かいリズムを長々と続けるのはかなりの重労働、それを頑張ってピッチもほとんど狂わさずに叩いてくれている。昨日、Bさんには締太鼓の基礎の基本的叩き方についてアドバイスした。私が最も贔屓にしているプロ集団の練習模様をかつてテレビでドキュメントで報じていた場面で締太鼓の叩き方はお坊さんの木魚の叩き方が良いと語っていた。それは理にかなっていることから私自身の叩き方の基本にしていた。
新人のCさん久しぶりの練習となったので基礎部分のバチさばきと足腰の構えと動作を指導、見栄えが良くなってきた。勇駒もほぼできるようになったが振りについて今少しの指導が必要。これができると「三川合流源流太鼓」の指導に入る。これはわが妻ににやらせる、というのもそのポジションにCさんを着かせるつもりだから。
指導を受けていた太鼓道場時代劣等生だった私、基礎的なことは道場や指導者研修会で叩きこまれたものの、さほど好きになれなかった太鼓だけに宝の持ち腐れだった。所属連盟から独立してからは、自分が劣等生だっただけに分からないところ、出来ないところが自身でよく把握できていることから、それをどう分かりやすく手ほどきするか、教え方の勉強を徹底的にやった。明けても暮れても毎日毎日、埼玉に本部がある太鼓協会の指導番組「太鼓チャンネル」をみて、長胴、締、桶、セット太鼓を学び、それらの先生が教える教え方、手ほどきの手順についてもしっかり学んだ。2年ほど膝を打って、座布団を重ねて、太鼓にスポンジマットを重ねて繰り返し繰り返し練習した。手首、指も痛めたほどに。
そして太鼓連盟の指導主査のF先生に指導してもらったところがようやく自分のもとなって身に着いた。二重三重の自主訓練を乗り越えて「先生」と呼ばれてもいいのかな、と思えるところに到達したように思えた。
数カ所の団体のワークショップに行ったり、親しいチームに押しかけてそこの指導方法を見たりして、どうやったら「いろは」を分かりやすく教えられるか、そのことだけに集中した。だが手本になった先生は居なかったが、お1人桶太鼓講習を受講したときに教えてくれたK先生だけ見習うべきところがあった。私の練習の様子を見ていて「その身体の動きがいいですねぇー」と声を掛けられた。その前に練習用の桶太鼓を買って練習はしていたものの直接指導は初めてだった。指導ぶりを盗むのも講習に参加した理由の一つでもあった。先生はこれ見よがしの左右連打の早打ちはあまり好みじゃないとも言っていた。
またYouTubeでも学んだお陰でオリジナル新曲もいくつか創作できるようにもなった。これは大いなる収穫だった。
そんなこんなの歴史を踏んだが、それももうそろそろ身を引く歳になってきた。思えばコツコツと苦手な太鼓だったが続けてこられたものだ。使命感がそれを支えていたのも事実だ。
勤め人だった現役時代、「一隅を照らす」「利他の精神」「頂いているお手当はお客様から頂いている」「人の心に花一輪、棘を残さず花を残せ」「有難うの感謝の気持ち」等々、社員教育のときにも唱え続けてきた精神だったし、講演の仕事をしていたときも、このような言葉を通じて生き方を論じてきた。
自分史を振り返り懐かしく思うようになると、もう峠を下り始めたということだろう。
太鼓のことも各位に委ね託すときが来たのだろう。
今回、率先して運営の一部役割を引受けてくれた人には感謝している。やりたくても出来ないメンバーもいることも事実なので、出来る方々に有難うとメンバー一同、そう思っているに違いない。
昨日の練習では新曲の「枚方風情くらわんか船」の前奏曲、担当させたAくんとBさんが期待通りの習得をしてくれていた。簡単なようで細かいリズムを長々と続けるのはかなりの重労働、それを頑張ってピッチもほとんど狂わさずに叩いてくれている。昨日、Bさんには締太鼓の基礎の基本的叩き方についてアドバイスした。私が最も贔屓にしているプロ集団の練習模様をかつてテレビでドキュメントで報じていた場面で締太鼓の叩き方はお坊さんの木魚の叩き方が良いと語っていた。それは理にかなっていることから私自身の叩き方の基本にしていた。
新人のCさん久しぶりの練習となったので基礎部分のバチさばきと足腰の構えと動作を指導、見栄えが良くなってきた。勇駒もほぼできるようになったが振りについて今少しの指導が必要。これができると「三川合流源流太鼓」の指導に入る。これはわが妻ににやらせる、というのもそのポジションにCさんを着かせるつもりだから。
指導を受けていた太鼓道場時代劣等生だった私、基礎的なことは道場や指導者研修会で叩きこまれたものの、さほど好きになれなかった太鼓だけに宝の持ち腐れだった。所属連盟から独立してからは、自分が劣等生だっただけに分からないところ、出来ないところが自身でよく把握できていることから、それをどう分かりやすく手ほどきするか、教え方の勉強を徹底的にやった。明けても暮れても毎日毎日、埼玉に本部がある太鼓協会の指導番組「太鼓チャンネル」をみて、長胴、締、桶、セット太鼓を学び、それらの先生が教える教え方、手ほどきの手順についてもしっかり学んだ。2年ほど膝を打って、座布団を重ねて、太鼓にスポンジマットを重ねて繰り返し繰り返し練習した。手首、指も痛めたほどに。
そして太鼓連盟の指導主査のF先生に指導してもらったところがようやく自分のもとなって身に着いた。二重三重の自主訓練を乗り越えて「先生」と呼ばれてもいいのかな、と思えるところに到達したように思えた。
数カ所の団体のワークショップに行ったり、親しいチームに押しかけてそこの指導方法を見たりして、どうやったら「いろは」を分かりやすく教えられるか、そのことだけに集中した。だが手本になった先生は居なかったが、お1人桶太鼓講習を受講したときに教えてくれたK先生だけ見習うべきところがあった。私の練習の様子を見ていて「その身体の動きがいいですねぇー」と声を掛けられた。その前に練習用の桶太鼓を買って練習はしていたものの直接指導は初めてだった。指導ぶりを盗むのも講習に参加した理由の一つでもあった。先生はこれ見よがしの左右連打の早打ちはあまり好みじゃないとも言っていた。
またYouTubeでも学んだお陰でオリジナル新曲もいくつか創作できるようにもなった。これは大いなる収穫だった。
そんなこんなの歴史を踏んだが、それももうそろそろ身を引く歳になってきた。思えばコツコツと苦手な太鼓だったが続けてこられたものだ。使命感がそれを支えていたのも事実だ。
勤め人だった現役時代、「一隅を照らす」「利他の精神」「頂いているお手当はお客様から頂いている」「人の心に花一輪、棘を残さず花を残せ」「有難うの感謝の気持ち」等々、社員教育のときにも唱え続けてきた精神だったし、講演の仕事をしていたときも、このような言葉を通じて生き方を論じてきた。
自分史を振り返り懐かしく思うようになると、もう峠を下り始めたということだろう。
太鼓のことも各位に委ね託すときが来たのだろう。
今回、率先して運営の一部役割を引受けてくれた人には感謝している。やりたくても出来ないメンバーもいることも事実なので、出来る方々に有難うとメンバー一同、そう思っているに違いない。
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