「希望の牧場」という絵本を見た。
胸がつまったけれども、それでも、読後感がよかった。
文句を言うでもなく、誰かをうらむでもなく、
淡々と暮らし続ける「牛飼い」の方の言葉が深く心に残った。
一読しただけで、いつまでも心に残る本だった。
その後、産經新聞(2016年2月21日)の記事で
「牛の殺処分を拒否した畜産家が、世界初の実験で明らかにした被曝の影響とは」
というタイトルの記事を見た。
あ、この方だ、と思った。
すごい内容です。
放射能汚染が終わっていないことを示すこれ以上の記事はないと
思いました。
絵本でも、限られた文字と絵で、十二分に伝える力があったけれども、
詳細を語るならば、こんなにも辛くしんどい現実が、これでもか、とある。
それでも牛に餌を与え続ける人がいることは、間違いなく「希望」だと思う。
以下抜粋。
緑色のトラクターが雪の残る平原をうなりを上げながら進んでいく。
その音を聞くや、大柄で真っ黒の牛たちがリーダー格を筆頭にゆっくりと集まってきた。
「べぇーべ」。トラクターの運転席から下りた山本幸男さん(73)が、
牛を意味する東北地方の方言「べこ」に由来する言葉を口にしながら、
わらをほぐす。
「同じ家族だからね」。
まるで自分の子供のように、寄ってきた牛たちの頭や背中をそっとなでた。
東京電力福島第1原発から約10キロ北西にある福島県浪江町の末森地区。
山本さんは東京ドーム4個分ほどの広さに、約50頭の牛を飼育している。
他の牛と違うのは、大量の放射性物質で被曝したことだ。
原発事故から2カ月後、政府は福島第1原発から
半径20キロ圏に残された家畜の殺処分を決定したが、
山本さんは拒否し、牛を牧場内に放った。
“家族の一員”を自らの手であやめることはできなかったのだ。
しかし、飼育の厳しさは年々増す。
4月から11月ごろまでは牧草が餌になるが、
12月から3月ごろまでは草が生えず、岩手県で取れた牧草を購入。
その間の餌代は600万円ほど。出費だけがむなしくかさむ。
それでも、山本さんは牛の面倒を見続ける。
「飲まず食わずで死ぬのと、腹いっぱい食べて死ぬのとでは全然違う。
最後まで面倒見てやりたいんだ。
そして地域のため、福島の畜産の未来のために、
この牛が貴重な資料になるんだよ」
山本さんの牧場を含む浪江、大熊の両町の3カ所では、
殺処分を拒否した被曝牛計約160頭の調査が続けられている。
「大型動物の被曝を長期的に調べるのは世界初。
実験室ではできない。
その研究が人間にとっても参考になり還元されていく」。
岩手大農学部准教授の岡田啓司さん(59)=生産獣医療学=は力を込める。
原発事故があった平成23年の夏、岡田さんは原発から20キロ圏に入った。
24年9月には、山本さんらの牧場と協力し、
獣医師や北里大、東北大などの研究者と団体を結成。
被曝した牛の採血、採尿、遺伝子変化の解析などを通して放射線の影響調査を継続してきた。
累積の被曝線量が、2千ミリシーベルトと推定される牛もいる。
人の年間目安量1ミリシーベルトの2千倍だ。
しかし、これまでの調査では、白血球の減少など被曝による影響は確認されていない。
放射性物質に汚染されていない餌を与えていれば、
3カ月ほどで体内の放射性物質が排出されることも分かった。
こうした活動に対し、批判的な声も多い。
事故当時、原発から20キロ圏では、
農家約300戸が計約3500頭を飼育。
国は県を通じ、伝染病の危険や野生の「放(はな)れ牛」になることを恐れ、
殺処分命令を下した。
しかし、国にとって一部の牧場が殺処分に反発したことは予想外だった。
結局、国は出荷しないことを前提に飼育を認めた。
県によると、「被曝牛は福島の風評を助長する」と反発する声まで上がっているという。
現状の研究では、被曝の影響がないことが牛で実証されているが、
その影響は長期にわたり、見極めには時間がかかる。
「本当だったら何も出ないで幸せな形で終わるのが一番いい。
それが住民の帰還や復興にもつながる。
しかし、私たちはストーリーも到達点もつくらない。
純粋に科学者として中立的な立場で、
何が起きて、あるいは何が起きていないかをきちっと整理することが大事だ」。
岡田さんはこう言い切った。
もし、希望の牧場の牛を飼育することで、
風評被害が助長されるとしたら、それをするのは誰だろう?
不躾な言い方を許されるならば、本当に福島を助けたいと思っている人なのだろうか、と考える。
本当の復興を願っている人ならば、
風評被害というベクトルとはまったく別の次元で、
行動しているのではないだろうか。
そんな人が自分の周りにも多くいる。
風評被害の助長を抑えるつもりが、風化につながってはいないか、とそんなことを思ったりもする。
真剣に考える。
本音を言うならば、
早く、答えをだしたい。
胸がつまったけれども、それでも、読後感がよかった。
文句を言うでもなく、誰かをうらむでもなく、
淡々と暮らし続ける「牛飼い」の方の言葉が深く心に残った。
一読しただけで、いつまでも心に残る本だった。
その後、産經新聞(2016年2月21日)の記事で
「牛の殺処分を拒否した畜産家が、世界初の実験で明らかにした被曝の影響とは」
というタイトルの記事を見た。
あ、この方だ、と思った。
すごい内容です。
放射能汚染が終わっていないことを示すこれ以上の記事はないと
思いました。
絵本でも、限られた文字と絵で、十二分に伝える力があったけれども、
詳細を語るならば、こんなにも辛くしんどい現実が、これでもか、とある。
それでも牛に餌を与え続ける人がいることは、間違いなく「希望」だと思う。
以下抜粋。
緑色のトラクターが雪の残る平原をうなりを上げながら進んでいく。
その音を聞くや、大柄で真っ黒の牛たちがリーダー格を筆頭にゆっくりと集まってきた。
「べぇーべ」。トラクターの運転席から下りた山本幸男さん(73)が、
牛を意味する東北地方の方言「べこ」に由来する言葉を口にしながら、
わらをほぐす。
「同じ家族だからね」。
まるで自分の子供のように、寄ってきた牛たちの頭や背中をそっとなでた。
東京電力福島第1原発から約10キロ北西にある福島県浪江町の末森地区。
山本さんは東京ドーム4個分ほどの広さに、約50頭の牛を飼育している。
他の牛と違うのは、大量の放射性物質で被曝したことだ。
原発事故から2カ月後、政府は福島第1原発から
半径20キロ圏に残された家畜の殺処分を決定したが、
山本さんは拒否し、牛を牧場内に放った。
“家族の一員”を自らの手であやめることはできなかったのだ。
しかし、飼育の厳しさは年々増す。
4月から11月ごろまでは牧草が餌になるが、
12月から3月ごろまでは草が生えず、岩手県で取れた牧草を購入。
その間の餌代は600万円ほど。出費だけがむなしくかさむ。
それでも、山本さんは牛の面倒を見続ける。
「飲まず食わずで死ぬのと、腹いっぱい食べて死ぬのとでは全然違う。
最後まで面倒見てやりたいんだ。
そして地域のため、福島の畜産の未来のために、
この牛が貴重な資料になるんだよ」
山本さんの牧場を含む浪江、大熊の両町の3カ所では、
殺処分を拒否した被曝牛計約160頭の調査が続けられている。
「大型動物の被曝を長期的に調べるのは世界初。
実験室ではできない。
その研究が人間にとっても参考になり還元されていく」。
岩手大農学部准教授の岡田啓司さん(59)=生産獣医療学=は力を込める。
原発事故があった平成23年の夏、岡田さんは原発から20キロ圏に入った。
24年9月には、山本さんらの牧場と協力し、
獣医師や北里大、東北大などの研究者と団体を結成。
被曝した牛の採血、採尿、遺伝子変化の解析などを通して放射線の影響調査を継続してきた。
累積の被曝線量が、2千ミリシーベルトと推定される牛もいる。
人の年間目安量1ミリシーベルトの2千倍だ。
しかし、これまでの調査では、白血球の減少など被曝による影響は確認されていない。
放射性物質に汚染されていない餌を与えていれば、
3カ月ほどで体内の放射性物質が排出されることも分かった。
こうした活動に対し、批判的な声も多い。
事故当時、原発から20キロ圏では、
農家約300戸が計約3500頭を飼育。
国は県を通じ、伝染病の危険や野生の「放(はな)れ牛」になることを恐れ、
殺処分命令を下した。
しかし、国にとって一部の牧場が殺処分に反発したことは予想外だった。
結局、国は出荷しないことを前提に飼育を認めた。
県によると、「被曝牛は福島の風評を助長する」と反発する声まで上がっているという。
現状の研究では、被曝の影響がないことが牛で実証されているが、
その影響は長期にわたり、見極めには時間がかかる。
「本当だったら何も出ないで幸せな形で終わるのが一番いい。
それが住民の帰還や復興にもつながる。
しかし、私たちはストーリーも到達点もつくらない。
純粋に科学者として中立的な立場で、
何が起きて、あるいは何が起きていないかをきちっと整理することが大事だ」。
岡田さんはこう言い切った。
もし、希望の牧場の牛を飼育することで、
風評被害が助長されるとしたら、それをするのは誰だろう?
不躾な言い方を許されるならば、本当に福島を助けたいと思っている人なのだろうか、と考える。
本当の復興を願っている人ならば、
風評被害というベクトルとはまったく別の次元で、
行動しているのではないだろうか。
そんな人が自分の周りにも多くいる。
風評被害の助長を抑えるつもりが、風化につながってはいないか、とそんなことを思ったりもする。
真剣に考える。
本音を言うならば、
早く、答えをだしたい。
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