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「脱原発をとなえている人ってちょっとういた感じするよね~」
それは実際のところ、世の中の偽らざる感情ではないでしょうか。
原発の危険性を痛いほどに感じ、なくなってほしいと本気で願っている私も
「脱」という単語を用いるこの言葉に少なからず危うさ、
あるいは過激さを感じてしまいます。
「原発を作ること」に反対を唱えることは
世の中の(とりあえず日本に限定)
大きな流れに背を向けることになることだと思うからです。
だけど、一方で潔さも感じます。
大きな企業の援助は必要とせずに、自力で生きていくことを宣言する
行為でもあるからです。
今、静かなブームになっている「地球の上に生きる」の著者アリシア・ベイ=ローレルも脱原発派です。
エコビジネスを都心を中心に活動を続けるナマケモノ倶楽部も脱原発派といえるでしょう。
その人達の様子を見ると、
脱原発派であることを声高に訴える必要はないのだと感じます。
ただ「原発は危険すぎる」から「それ以外の道を探そう」と
思うだけでもいいのではないかしら、と思います。
それに賛同する気持ちを大切にすればいいのではないかしら、と思います。
私は静かな脱原発派です。
誰かれかまわず「原発に反対して」なんていえるはずもありません。
だって、私も電気を使っているのですから。
自分には小さな脳みそしかないから
原発をなくした後の方向性を位置づけることはできません。
それでも、やっぱり原発はなくなってほしいと思うから
薪を調達して、それでホットケーキなんて焼いてしまうのだと思います。
電気をこまめに消してしまうのも
ロウソクなどつけてたった1時間、夜をすごすのも
小さな祈りのようなものです。
その気持ちを大切にするだけでよい、と思っています。
その気持ちを失わないように生活していくことが大事なのだと、思っています。
それは実際のところ、世の中の偽らざる感情ではないでしょうか。
原発の危険性を痛いほどに感じ、なくなってほしいと本気で願っている私も
「脱」という単語を用いるこの言葉に少なからず危うさ、
あるいは過激さを感じてしまいます。
「原発を作ること」に反対を唱えることは
世の中の(とりあえず日本に限定)
大きな流れに背を向けることになることだと思うからです。
だけど、一方で潔さも感じます。
大きな企業の援助は必要とせずに、自力で生きていくことを宣言する
行為でもあるからです。
今、静かなブームになっている「地球の上に生きる」の著者アリシア・ベイ=ローレルも脱原発派です。
エコビジネスを都心を中心に活動を続けるナマケモノ倶楽部も脱原発派といえるでしょう。
その人達の様子を見ると、
脱原発派であることを声高に訴える必要はないのだと感じます。
ただ「原発は危険すぎる」から「それ以外の道を探そう」と
思うだけでもいいのではないかしら、と思います。
それに賛同する気持ちを大切にすればいいのではないかしら、と思います。
私は静かな脱原発派です。
誰かれかまわず「原発に反対して」なんていえるはずもありません。
だって、私も電気を使っているのですから。
自分には小さな脳みそしかないから
原発をなくした後の方向性を位置づけることはできません。
それでも、やっぱり原発はなくなってほしいと思うから
薪を調達して、それでホットケーキなんて焼いてしまうのだと思います。
電気をこまめに消してしまうのも
ロウソクなどつけてたった1時間、夜をすごすのも
小さな祈りのようなものです。
その気持ちを大切にするだけでよい、と思っています。
その気持ちを失わないように生活していくことが大事なのだと、思っています。
静かでもゆっくりでも、何かが(それが脱原発に限らず)変わる力にんれたら、と思っています。
賛同ありがとうございます。
私も賛同させていただきます。
まだまだ勉強中なのでわからないことだらけですが、私も少しずつ意識を変えていこうと思います。