伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

古府(甲府)塩山、恵林寺(えりんじ)の武田晴信(信玄公)を訪れる・・・流石甲府は信玄公に纏わる名所が多い一日目です。

2023年11月04日 | 旅行


甲府と言えば筆者が若い頃仕事で良く通った場所でもあるが、当時は毎日の様にJR利用で新宿から特急(あずさ)で2時間掛け帰りは甲府20時の特急での往復、日帰りの過酷な予定で通っていた、観光等は全く出来ない。未だ記憶に残るは山梨の知人に紹介された勿論葡萄は有名だが、初夏に獲れる桃の旨さは格別で未だ記憶に残っている。

ではいつ頃葡萄栽培が始まったか調べますと、意外と古く古府(甲府)盆地東部の勝沼地区は、葡萄栽培が古くから行われ、葡萄にまつわる伝承の地となっています。 奈良時代の名僧行基の夢に、葡萄を手にした薬師如来が現れ、その姿を刻んだのが大善寺(ぶどう寺)の薬師如来像であり、この地に葡萄栽培を伝え、これが甲州ワインの原料となる甲州葡萄であると言われていますので相当古い様です。
また桃は桃はぶどうとともに高い生産量を誇っているが、その栽培は1900(明治33)年、白根町西野(現南アルプス市)に導入されたのがはじまりで、その後、大正中期に山梨市一町田中、次いで大正末期に東八代郡一宮町(現笛吹市)で栽培が始まったといわれている。下記の写真の様にJRの車内から桃の花が今も望めると言われる。



また筆者は、昔から歴史小説は好きで、甲斐の赤備え等(赤備えの元祖は、武田軍の「飯部虎昌(おぶとらまさ)」であると言われています)は強固で有名だが先の戦争(大東亜戦争)でも日本軍の甲府師団は屈強の兵は最強と言われ、痛ましい事に大変多くの戦没者を出している。
今回は2泊3日の夜の仕事で来たが、昼間の空き時間を利用して、是が非でも甲斐の歴史、信玄公巡りをと思った次第でもあり観光が現実地なった。

武田家は、平安時代から戦国時代にかけて甲斐国を中心に勢力を広げた武家で、平安時代の武将「源信義」(みなもとののぶよし)が甲斐国で「武田信義」(たけだのぶよし)と名乗ったことが始まりで血筋は大変良い。
有名な武田氏では晴信(信玄)が特に有名である。晴信はクーデターで父信虎を駿河に追い自立し、戦国大名として近隣に名をはせたが・・・。勿論正室も由緒正しく正室三条夫人は公家・三条左大臣公頼の次女として、京都三条邸に生まれました。立派な血筋のでもある。
越後の上杉謙信との川中島の戦いは戦国時代の戦いの白眉として世に名高いが、ヒステリックな上杉との戦いを晴信が回避していれば晴信の未来も変わっていたはずである、しかし勝頼の代に信長の手によって、天目山で滅亡した。



「塩山」は市域南西部に位置する塩ノ山は、「四方からよく見える」「四方がよく見える」という意味で「しほうのやま」と呼ばれたことから名付けられた山名といわれています。また、平安時代の「古今和歌集」には、おめでたい歌として「志ほの山(塩ノ山) 差出の磯に住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞなく」と詠まれ、宮廷歌人の憧れの地になったと言われています。

前日の夜の仕事は予定通り完了し翌日は午後1時からの予定の為、塩山駅より北側近くの恵林寺に向かう。
朝10時開口とされるが10時に到着、朝の交通ラッシュのありホテルより甲州街道は多少混雑するも、途中塩山付近のフルーツミュージアム辺りは道路はスムースで窓からは、葡萄畑の葉も色付き初め初秋気分爽快のドライブでした。昔から不老不死と言われる果実、桃の花の咲く頃のこの甲斐地方は桃の花で櫻の代わりに
桃で花見を楽しむと聞いた事がある。桃の花が咲く頃の電車の窓から見える甲府盆地の桃は実に美しい記憶が残る。

恵林寺到着するも朝早く来場者も全くいない状態は貸切のようで、駐車場も全て空いていた。



武田武士と言えば14文字の言葉は有名な風林火山です。
「疾きこと風のごとく、徐かなること林のごとく、侵略すること火のごとく、動かざること山のごとし」
有名な言葉ですので知っている方も多いのではないのでしょうか?古代中国の兵法書・孫氏から引用した言葉です。自軍の戒めであったともいわれており、敵軍への威嚇としても使われていました。赤色の鎧兜と「風・林・火・山」この旗印は多くの戦国大名に恐怖を与えたと言われます。

正式名称は、乾徳山 恵林寺(けんとくさん えりんじ)恵林寺到着、早朝誰も訪れのない恵林寺境内も静粛な感じがして気持は大変宜しいです。



恵林寺は臨済宗妙心寺派の名刹である。元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄の地頭職をつとめていた二階堂出羽守貞藤:道号は道蘊が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しましたそうです。
武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川和尚の入山で寺勢を高め、永禄7年(1564)には、信玄自ら寺領を寄進し当山を菩提寺と定めました、元徳2年(1330)に創建され、武田信玄の菩提寺となっているそうです。
信玄の墓は9ヶ所あるそうです、遺言により3年間は喪を秘めたと言われたのは有名な逸話でもあり。その後この恵林寺の住職によって葬儀が行われました。「織田信長」勢の焼き打ちにあった際に、信玄の師であった「快川和尚」によって炎の中「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自づから涼し」の遺偈を残したことは有名な話しとなっています。以前から一度は見たかった開山堂でもある。

混ぜは最初に通る門で、「黒門」恵林寺の総門である黒門の扁額には「雑華世界」とあり、この先が悟りの世界であることを告げています、まるで禅問答の様なお言葉でもある。

恵林寺の表参道はこの薬医門形式の総門から始まり、黒一色で塗られていることから、黒門とも称されています。門に掲げられた「雑華世界」は、「この門より外は喧騒の世界、門の中は静寂の世界」という意味だそうです。


古府はいかにも古刹といった感じに見える風景は実に素敵でもある、同時に紅葉は徐々に始まり出した頃であった。

駐車場から見えるは、雑華世界の黒門である。この先からは静寂な世界が広がると言われます。


山道を歩くと遠方に見えるは有名な、四脚門(赤門)恵林寺の南の入口に建つ総門(通称:黒門)から入って、参道を進むと見えてくるのが四脚門(通称:赤門)。徳川家康の再建と伝えられるもので、現在は国の重要文化財。 恵林寺の山号である「乾徳山」の額を門の上に堂々と掲げている。


確かに遠くからは分からないが、近づくと確かに四脚門の構成になっている、家康も信玄公からは色々学び、また違った意味でも尊敬したいたのであろう。

また石川数正が秀吉に出奔後徳川家の戦法全てを甲斐の国の戦法に変え、徳川四天王の一人としてご存知有名な井伊直政は「井伊の赤揃い」と有名でもある。



三門に続く・・・
四脚門(赤門)をくぐり庭園を進んでいくと、次なる門が見えてくる。県の重要文化財に指定される三門である。この三門には織田信長の焼き討ちで壮絶な火定を遂げた快川和尚の遺偈が掲げられているが、現在のこの三門は、まさしくその悲劇の現場に建てられている。

今は誰も知る"心頭滅却すれば火もまた涼し"は臨済宗の僧、快川紹喜の最後の言葉と伝えられ、その前に"安禅必ずしも山水を用いず"と述べられている。快川紹喜は、武田信玄に迎えられて、恵林寺に入っている。



筆者の記憶におけるこの地は多分小学校時代タフロイド版、朝日のグラビア雑誌の中に掲載された"心頭滅却すれば火もまた涼し"筆の文字と、この三門の事の記事内容と信長の事件が語られていた恵林寺の記事は今も印象に残っている。今回初めて訪れた甲斐の国の歴史に触れた、以前見学した吹割の滝と真田家の歴史と重なり今更ながら歴史に触れる旅は面白き旅でもある、歴史も色々な角度から見る事も大切に思う次第である。

三門には有名な快川国師の遺偈(ゆいげ)が掛けられている「安禅不必須山水減却心頭に火自涼」の文字が門に書かれてあるのです。



開山堂に続く・・・・
三門をくぐって正面に見えるのが甲州市指定文化財の開山堂である。夢窓疎石(むそうそせき)、快川紹喜(かいせんしょうき)、末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)の三像が堂内に安置されている。

意外と新しい建物の、三重塔(仏舎利宝塔:納骨堂)昭和48年建立というから、由緒ある建物の多い中では目立たない存在である。



三門脇に「天正亡諸大和尚諸位禅師安骨場」と刻まれた碑が立っていた。僧侶たちの遺骨が埋葬されているという。



開山堂、三門をくぐって正面に見えるのが甲州市指定文化財の開山堂である。夢窓疎石(むそうそせき)、快川紹喜(かいせんしょうき)、末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)の三像が堂内に安置されている。

誠に残念なことに、現在恵林寺開山堂兼法堂(『真空院』)に安置されています開山夢窓国師の木造に、一部不具合が見つかり今回調査・点検を行うことと成りました。当分の間、開山堂を閉鎖いたします。


こぼれ話として、快川国師、という呼び方は、じつは正確ではないそうです。
天正九年に正親町天皇(おおぎまちてんのう)から「国師号」を賜っているのですが、その国師号は「大通智勝国師(だいつうちしょうこくし)」と言います。ですから、「国師」とお呼びするときには「大通智勝国師」と呼ぶのが正しく、国師としてお呼びしないときには快川紹喜禅師というのが正式なお名前です。
正親町天皇という名は聞き覚えもおられる方もいると思うが、信長暗殺にも登場する天皇でもある。



臨済宗 妙心寺派乾徳山 恵林寺 拝観時間  午前8:30~午後4:30(年中無休)宝物館は、12月~3月の間は毎週木曜日が閉館です。


そして本堂に入りました。館内拝観料金が必要ですが見応え十分満足できました。最初案内される部屋からは方丈庭園が障子腰に見える。

本堂の正面を進むと、左手にみえるのが枯山水式の庭園である。力強い枝振りの松がそびえ、西の端に勅使門がある。


あまり広くはい部屋ですか、景色を見ながら過ごせる風景は格別である。
観ている風景は何処となく京都の佇まいの感もあり、日本独自の詫び錆の味わいが印象強く目に焼き付きます。一眼レフ持参すれば良かったが残念に思う。


昔から伝わる書院作りも何処となく風格があり日本の原風景の様でもある。そして方丈庭園の力強い松は印書的で男世界を感じる様である。


そして本堂に続く、本堂には、ご本尊の釈迦如来が安置されている。本堂西の間は貴人席となっており勅使が端坐される間がおかれている。



それから木で作った太鼓橋を渡る・・・・此の様な造りは日本建築の良さが現れ古き良き時代を垣間みるようでもある。


闌干中央で、お抹茶でも頂ければ実に風量な感触がえられるであろう・・・。



続いて有名な、日本の古来の建築物に見られる、人が床の板の上を歩く事によりきしみ音が鳴る様につくられた仕組みを、うぐいす張りという。外部侵入者の危険探知の為に設けられたのがはじまり。廊下を歩くと、うぐいすの鳴くような音が聞こえてくる。

たった一人で廊下をわたる、そっと歩くも逃さず。うぐいすの鳴き声が聞こえた、木工技術は昔から日本人の得意分野でもあり地震にも強い国造建築の推を集めた傑作ねのであろう、勿論と事心におもしろき細工を施した様である。



その奥に進むと皆さんのお馴染みの信玄公のお姿ともいわれた、武田信玄公が生前に対面で摸刻させたという、有名な等身大の不動明王が安置されており、「武田不動」として尊崇されている。
幸いなことに入場者は筆者一人なので、厳粛な不動明王の前に正座し頭を深く垂れた。お姿が実に勇ましい像である。


そして次は真っ暗な渡廊下をの壁を伝わり出口が見つかる。奈落の底とはこの様なところであるのであろうか・・・・?
出口は奇妙な作りになっているが、なぜか無の境地になるような感じが素敵に思えた。


柳沢吉保公と思われる、柳沢吉保坐像が霊廟の中に納められている。束帯で公事に着用する正装姿で、吉保自筆の納め状によると正徳元年(1711)に製作されて信玄菩提寺の恵林寺へ奉納安置した。



そして建物の裏にある素敵な建物の裏にある素敵な庭園から、本堂で見つけた大変有り難い。涅槃図であった。



次は国の名勝指定を受けている庭園。恵林寺の庭園は、京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)庭園とともに、夢窓国師の代表的な築庭庭園として有名である。700年近い歴史を経たその姿は、四季折々に違った情景をみせる。


そして大広間の一部がのぞけました。


遠方に堂々とした「書」が飾ったあったのが印象的です。



確かに堂々とした文字であり、誰の書かもまからないが圧倒される文字である。


乗り物の写真です、天井に吊され中々手の込んだ作りである。

今回の恵林寺の訪れは、紅葉の時期の少し手前でもあった為か、それと会場の公開時間からの訪れの為、観光客が全くお見えにも来られていなかった為、たった一人での見学が可能でした、うぐいすの鳴き声が聞こえた廊下を唯一人で渡り鳴き声を独り占め出来た事も有り難いです事でした。恵林寺の庭園は風情があり一人でのんびり出来るひと時は少し早い秋を満喫出来ました。
有名な恵林寺の人気の無い風景を眺める事が出来感謝の他はないであろう。


お土産に購入したお守りです、この後11月とは言え暑く、午後からは仕事なので地元では有名な「桜湯」に浸かりすっかりリラックスして食事を兼ねる。


甲斐から見える富士山ですが、裾野まで見れない事が残念である、しかし富士山も白く彩られすっかり冬支度である。



本日の信玄公回りは秋晴れの良い観光でした、写真は今回はオールスマホでの撮影で色があまり優れIない様に感じました。初めての甲斐の観光は実り大きな旅でもあった。ブラボー!

随分アップするのが遅れたが・・・、楽しい楽しい東北の旅3日目(最終日)の模様である。

2023年07月28日 | 旅行

今年は何かと酷暑で、流石体温より高い気温は異常である。散歩も日中は暑くモジャ君の肉球の火傷の心配もあり、最近はAM5時頃には朝の散歩に、夕方はPM6時頃に連れ出すが、早朝と言えど、この季節は酷暑だ。
途中公園に立ち寄り様子を伺うと抱っこしてと甘えて来るのである。帰宅してからのシャワーが楽しみの様子で、散歩、シャワー、ドライヤーで身体を乾かし程1時間程のルーテフィーン後モジャ君は朝食タイムである。
勿論筆者はモジャ君に居座るエアコンの効いた部屋(居間)で暖かい珈琲を抽出し美味しい珈琲を頂き一日が始まる。

そう言えば東北旅行に行った頃は曇り空が多く、東北は意外と天候には恵まれ青空も見えたが、何故か体調が良くなかった、今思えば原因は軽い熱中症気味だったのかも知れない、食欲不振か兎に角口が不味かった。
お酒は一口は上手く感じたが日本酒もそれ以上は飲めなかった、ビールも一口でそれ以上は飲めない、食欲も進まず不思議に思った。でも美味しさは味わえるが不思議である、筆者には気づかない様な軽度の熱中症であったのであろう、現在の気温の変化についていけなかったのであろう。
最近の暑さ年々暑くなる傾向がある、軽度の「暑気あたり」だったと思う次第である。



前日は夜八戸の繁華街に繰り出し祝杯を上げ、この街は昔から港町で繁華街は大変盛り上がり盛況である、実に細い路地も飲み屋さんが続いている。

勿論夕方5時頃にはお店が賑わいだすが、何故か昭和レトロらしいお店が続き、今回は非常に残念ではあるが次は知ったお店に行くと告げられるが、筆者は体調不良の為大変申し訳ないが2次会は遠慮させていただいた。


ホテルに戻る途中商店街では、夕方から地元のイベントが催され地元の方々で盛り上がりを見せていた。ホテルに戻りゆっくりバスタブに浸かり充分汗を出し翌日のためにリフレッシュするようにベットに横たわる。

翌日は今回あえて日曜日に八戸に宿泊の理由は、日本の朝市としては最大の「館鼻岸壁朝市」を満喫するためだったと知らされた。
朝食は館鼻岸壁朝市で頂こうと勿論朝食ヌキで早朝ホテルを出発する、車で走ると近場にあった港付近の駐車場は大変混雑していたが、海寄りの空き駐車地を見つけ駐車する。
時計を見ると未だ朝6時前ではあるが市場は大賑わいで活気付いていた。



この広い漁港が一杯になる事は大変活気に満ちている。1日いても全てのお店は回れ切れないような広さに圧倒された。

この様な感じの賑わいである。青森県八戸市の八戸漁港にて3月から12月の毎週日曜の朝に開催されている日本最大の朝市であるそうであった。
日曜日だけの最大の市場でもあるそうです。マップを見ながら広さに驚く。古いマップを参考に見ながら早速朝市に入場する。勿論入場料は無料です。


普段は何もない広大な漁港に、毎週日曜日の早朝にだけ出現する巨大朝市・館鼻岸壁朝市(たてはながんぺきあさいち)は実に雄大で見応えがある。

早速我々は本日の朝食を求めて店探しを・・・皆さんい一致するは当然麺類を所望した、ここは全員蕎麦粉100%「和蕎麦」であった。


八戸郷土料理のせんべい汁やラーメン、そば、うどん等イートインが多いのも同朝市の特徴となっています。
早速「蕎麦屋」に入る、今回お初のせんべい汁も薄めの醤油味が絶妙で実に上手い。勿論蕎麦も天ぷら蕎麦を頂く。


近場に夏牡蠣の素焼きが美味そうで、しかもお値打ち4個1,000円でした。

大降りの夏牡蠣でしかも中身はプリプリの身が実に美味しく一個頂き十分満足しました。勿論千葉産の夏牡蠣は有名ですが価格の差が凄い!
勿論八戸産の「帆立貝」や素焼きも欲しくなり早速頂く、ジューシーで実に上手い。東北地方での寒流で育った魚介類は関東で味わう味とも違った淡白な味わいも新鮮に思えた、昨夜早めに休んだ対応が良かった様に思った。


途中、もちろん八戸らしい魚の炭火焼きも。珍しい回転式の魚焼き器。価格もお安くお値打ちです。体調が良ければ勿論購入したのだが・・・
又大降りのホッケの干物も格安ではあったが、荷物も一杯と匂いが漏れたら迷惑なので購入は しなかった、誠に残念である。

それと名物は行列のできる小籠包屋。噛むとスープがじゅわっ。行列が長く驚く、粗お腹も十分満足したので、淹れたての珈琲ショップで珈琲を頂き今日のコースに出かける・・・・。

次は有名な蕪島(蕪島)神社見学です。



車で3〜40分程にて蕪島(蕪島)神社駐車場に到着する、車を駐車場に入れドアを開けると、海ネコの鳴き声が凄く煩いのだ。

青森県八戸市鮫町にある島である。ウミネコ繁殖地として、国の天然記念物に指定されている。また、2013年5月に三陸復興国立公園に指定されている。 「島」と呼ばれているが、内務省と海軍省の委託工事として1942年に旧海軍により2年がかりの埋め立て工事が行われ、本土と陸続きとなった。


二月の節分過ぎた頃からウミネコが集まり始め三月末には三万羽を越えます。四月産卵、五月孵化し子育てが始まり、六月末から巣立ち、七月末から徐々に飛び立ち八月上旬には全てのウミネコが蕪島から離れます。


兎も角ウミネコの鳴き声が煩く、神社の入り口には雨傘が置かれ、参拝はウミネコのフンよけに傘をさして参拝の事です。


ウミネコは余り人間は怖がりもせずに近づいてきます。


仲難しいウミネコたちである。


海岸から見えるウミネコの群れ、鳴き声は実に煩く、フンも落とされず無事参拝して次の場所に移動する。


生憎のやませの影響で霞がかかっているが、蕪島(蕪島)神社全景です。

次の種差海岸は東日本大震災後に再編された「三陸復興国立公園」内にあり、国の名勝に指定され震災以降の国が作った散策歩道である。まるで西洋の古城のような「葦毛崎展望台」。鮫角灯台までの散策は1日では難しそうであった。


次は種差海岸たねさしかいがん天然芝生の美しい海岸線を、海風を感じながら散策しましたが、本日は生憎の生憎の「やませ」(6月~8月ごろ、北海道、東北、関東などでふく北東の風のことを山背と言います )この風は、冷たい親潮の上をふいてくるので、冷たくてしめった風となり、冷害をもたらすことがあるそうです、天候が良ければ絶景が見られます。



種差海岸は、国の名勝地に指定されている三陸復興国立公園内にあり実に長い海岸線が続く。「種差天然芝生地エリア」では、樹齢100年もの松林「淀の松原」や、海鵜のフンによる白さが特徴の「白岩」、そして種差海岸を代表する景勝地「種差天然芝生地」があります。波打ち際まで天然芝生が広がった、青と緑のコントラストは絶景!



やませの影響で時間経過しても景色がぼんやりしか見えない事が残念であった。


海岸近くまで芝があり、海水の影響を感じない風景には驚きである。


ニッコウキスゲの花も咲き乱れ、見事に咲く山地や海岸などの湿った草地に群生する一日花、ニッコウキスゲであった。
時間があれば青森縄文を巡る~八戸エリア~八戸市博物館も見学したかったが、新幹線も予約時間がの都合もあるので、盛岡に戻るとこにする。



盛岡にてランチを頂く、盛岡では有名なじゃじゃ麺、冷麺が有名だが、やはり夏は冷麺と皆の意見はまとまりました。

候補は、ぴょんぴょん舎 稲荷町本店、食道園、盛楼閣とあるが、意見は食道園に決まりでした。
ぴょんぴょん舎は現在東京銀座店もあり大盛況していると言われる。


辛味は注文時に頼めばお好みは辛さになります。
先ず先ずのの美味しさで満足する、やはり冷麺は盛岡冷麺が美味い。関東でも夏は冷麺を食べる事もあるが、やはり冷麺は盛岡が美味い、

偶に東京の東銀座の東北にある岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」で盛岡産で購入する冷麺は上手く銀座に行くとお土産で購入する事は多い。


その後盛岡駅でコーヒーを飲みながら、来年も東北旅を実行したいですね。

今回は体調不順でお酒は遠慮気味でしたが、時間は体調万全な身体で望みたいモノでし、新幹線も予定通に乗車し、帰路に着きました。
又楽しい旅を計画お待ちします。ブラボー!


6月下旬に仲間と青森方面の旅をした。東北にも先の大戦の影響は残る二日目の記録、楽しい三日間の旅でした。

2023年07月17日 | 旅行

前日は山内丸山遺跡見学で楽しみ、青森駅近くのホテルにて宿泊した、朝5時頃には習慣的に目が覚める、カーテンを開けると曇り空なので、青森駅、青森港もホテルから近く早朝散歩に出かける。
歩き始めると案内サインを見つけ、場所の確認をする、知らない場所にはこの様なサインは大変便利でもある。近くには近代的な道路が開設されている、道路と並行して走るお洒落な遊歩道もあり早速散歩する。この遊歩道は湾内の相当遠くまで続く様です。



遊歩道には釣りを楽しんでいる方もいた、釣り物を聞けば、今の時期はノッコミの「真鯛」で5〜60センチクラスが釣れると言われる、この様な岸から近くで真鯛が釣れるとは驚きである。
ベイエリアで真っ先に目に付く地上15階、高さ76mの三角形の建物であり観光&物産の発信基地になっているそうです。



青森駅も近く始発電車?が青森駅に到着した様である。現在新鋭機を増設している雇用である。

この建物は「ねぶたの家 ワ・ラッセ」大型ねぶた5台を展示及び保管場所であるそうです。今年はコロナ禍も終了し開催の模様である。


次は青函連絡船 メモリアルシップ 八甲田丸である、なんと戦前青函連絡船近くには戦災の被害はあったそうで、当時の米国大統領は日本人皆殺しを望んでのであろう、一般的に考えればこの様な場所に何故爆弾を落としたのであろうか?全く不思議な思いである。戦争とは誠に残虐であるが一般市民には迷惑な事であり中世のナイトの時代が余程紳士的である。
最も当時の米国には良い、悪いが判断できない大統領だったのかも知れない。


後日、東京大空襲、広島・長崎に落とした2種類の原爆は、もはや戦争ではなく大量殺戮である。ハリー・S・トルーマン、ドワイト・D・アイゼンハワーは日本人大量殺戮者でもある。

勘違いしないでください、自由な国・米国では無く、大量殺戮者の米国だと言う意識は決して我々は忘れてはならない事実である。特に歴史の短い西洋人種の白人系は残虐である、当時間違い無くリー・S・トルーマン、ドワイト・D・アイゼンハワーとソ連のレーニンは日本人撲滅を本気で考えていた事実が今も残る。



未だ米国の属国と言われ続ける日本は何時になれば独立できのであろうか?岸田は何時までも売電のポチ状態であり、実に情けない状況にある様です。

さてさて筆者が思うは、戦後日本経済も順調に伸びた初任給20,000円前後から今や(1990年代)200,000円前後およそ10倍に増えたがバブル以降全く変わらない生活を続けるが、その頃から大マスゴミに変化したマスゴミが騒ぎ出したことは環境問題をニュースにした頃より悪くなっている。
最近に至っては化石燃料を使い自動車はEV移行を叫ぶが最近になりやっと間違いに気付き始めたのが現状である。パクリEVで安価に製作したEVは良く燃える車だそうであり、被害が出て当然なのであり、馬鹿な主張にそこで初めて間違いに気付く、欧州自動車業界と新規参入の中国共産党である。
今毎日、朝日の大手新聞社は窮地に陥っている。今まで大手マスゴミは天に向かって唾を吐き続けた結果が現状である。一刻も早くTVも含め媒体は無くなれば良く、政治家もいない状態で今の日本は政治屋ばかりである。

正直今や(親中)公明党と連立する自民党は時代遅れな政党になり下がり、悪の巣窟の様の状態である一刻も早い解体が迫られているのではないか。

この連絡船は1908年から1988年までの80年間で青森と函館を結ぶ連絡船として、1億6千万人の乗客と2億5千万トンもの貨物を運びました。


青函連絡船の1番の魅力は、貨物車両を搭載する車両甲板です。当時の面影が制限されていました。
大東亜戦争当時の大統領フランクリン・ルーズベルトが原爆も発令して最終的に命令(虐殺)したのはトルーマンであるが、日本人を皆殺しを考えていたのであろう。肝に銘じるべきである。勿論民間人は関係ないのに東京(虐殺)大空襲他日本に主要都市にも空襲の被害を与えたルーズベルトはアングロサクソンの獣の様な性悪であったのであろう。

改めて青函連絡船を見れば相当の大きさがわかる。八甲田丸主要データ、全長132.0m、総トン数5,382.65トン、積載車両48両とされる。


この先にはフェリーの切符売り場の建物もあり立派な建物がありそう先は海に続く防波堤があり朝の臨かな風景でもある。
ここが八甲田丸見学入口のようで入り口には八甲田丸のプロペラがモニュメントになっている。


早朝は曇り空でしたが、散歩から帰る辺りは青空を広がり、良い塩梅になりそうである。


ホテルに帰り朝食を済ませ、仲間で浅虫温泉方面に出発する。


有名な「湯の島」は浅虫観光港から西北800mの沖合いにあります。4月中旬には全島カタクリが咲き乱れるそうです。

湯の島近くの小さな岩の島の見学、この島の反対側では釣り人もいました。浅虫の海岸は釣り堀の設備も完備している様です。


近くに駐車場もあり、民宿もあり通りは焼き物の良い匂いがする、早速注文し、朝から帆立の磯焼きを頂く、肉厚で実に旨い、この辺りの名物であるそうです。


暫く走ると「浅虫水族館」がある。入り口で記念写真です。


海の中を歩いているようなトンネル水槽や可愛いアザラシ、ペンギンたち。この他、イルカショー、いるか館などもあるそうです。


海亀の回遊するポールから、ホタテ貝の養殖をあしらったプールで地元色が強い見せ方が気に入りました。


イルカショーを見学して浅虫水族館を後にする。



さてこの辺りで珈琲タイムにした、この珈琲抽出の入れ物も随分淹れ方のコツが分かり美味しい珈琲を頂いてます。夏でも涼しい部屋で頂く珈琲はホットに限る様です。但し注意する事は抽出時の温度である。


次に行ったのは「青森県立三沢航空科学館」である、三沢に近づくと関東の横田基地とも共通する米軍基地独特の街並みが続く、なるべくこの基地が賑わう事がないように、平和が続く事を願うが・・・敗戦国から属国が続いた我が国もこの辺りで米軍が承認した憲法も改正し世界に示す平和な独立国にと願う。

三沢飛行場、現在F-35A戦闘機も所有する三沢基地(航空自衛隊)、米軍三沢基地に隣接する三沢航空科学館である。


「青森県立三沢航空科学館」に到着ここで昼食タイムである。
入場して直ぐに1931年、ミス・ビードル号は三沢市淋代海岸から、米国ワシントン州ウェナッチ市まで世界初の太平洋無着陸横断飛行に成功した飛行機の展示。



当時話題となった世界初の太平洋無着陸横断飛行だそうです。



戦後初の国産輸送機YS-11も展示されたいた。計器一杯の操縦席です。


グライダー操縦体験、操作員の方には丁寧な操縦方法も教えられ全ての飛行機の操縦は同じと教わる。少し訓練すれば操縦できるかもしれない?
ホモサピエンス族は冒険心、探究心な遺伝子が組み込まれている為、昨日行った山内丸山遺跡の丸木船で大海原に出かける気分はホモサピエンスが持っている遺伝子のせいであろう。


歩道のタイルにもこの様なタイルが所々あしらわれていたのが印象的でした。


そして三沢航空科学館を後にして八戸に向かう。


八戸のホテル到着しチェックインすると、八戸は漁港で大変活気があり、飲み屋さんも実に多く、街全体が昭和の匂いがいっぱいでした。

適当に魚の美味し様なお店を選び、二日目の飲み会の始まりである。気の合った仲間と行く旅は実に気分が良い、明日も東北の旅を楽しむのであった。
今回の旅は軽装のためカメラはコンデジと携帯のカメラでの撮影で画質は悪いのですが、持ち運びは軽く大変良かった。ブラボー!

盛岡にて諏訪内晶子(ヴァイオリン)J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータを楽しむ。

2022年02月11日 | 旅行

2か月程前に盛岡の悪友(筆者の20代よりの友人)Y君から連絡があり、岩手県民会館(中ホール)にて諏訪内晶子(ヴァイオリン)リサイタルが実施されるとの情報が入った、今は演奏内容は不明であるが盛岡に聴きに来ないか?の誘いを受ける、このホールの特徴は音響機器は無しの生演奏が聴けるホールである。

盛岡は流行病の感染容疑者も少なく、関東と比べ全くの安全地帯ですので、迷惑をかけないよう十分手当し、簡易型の検査キットで、出かける前に検査して基本はリサイタルに行くことにしたが、関東圏はあっという間にオミクロイン感染は撹拌し多くの人は被害を被っている事は現実である。

馬鹿で最悪な岸田総理は何も出来ない(トロい)、しかもゴリゴリの親中派の林を外務大臣に選ぶ、何もしない総理で今回のオミクロイン騒動は関係者ならこの様な被害は世界的にも想定できたはずである。マンボウ対策、水際対策全てピーク過ぎに実施、何やってるのか?3回目の接種ももちろんピーク過ぎの有様ですいつかは3回目の予防注射はできるであろうが余りにも遅過ぎる、ナベツネの同学校のおかげで読売も支持して新聞調査はでは高支持率となっているが、ある専門経済界での支持は実質5%とも言われる、コヤツは一刻も早い退陣が民意である様に思うが・・・、話がそれた様で申し訳ない。



現在の交通機関は比較的に流行病で空いている、勿論ホテル予約サイトも空きが目立った、日時が迫っても簡単に予約出来る事はありがたい。 

東北新幹線で上野〜盛岡間が約2時間での到着は行動すれば実に近い距離でもある、親戚の山形より随分近く感じる。

盛岡は比較的に感染容疑者も少ないが、街に出てわかるがタクシーさえ数が少なく経済は停滞している事は直ぐに分かった、日本経済もここまで停滞すると元に戻すことも大変である、基本ある程度の金銭が入らなければ使えない事は基本で、そんな図式も総理は理解出来ないようである。



準備して早めに自宅を出立する、天気も良く最寄り駅までのんびりと歩く、そして北総線で上野駅に向かう・・・・乗り換え時間を含み小一時間で到着する。

新幹線の中は温かいコーヒーとイヤホンで軽めの音楽を聴きながら過ごすつもりだ、東京発新幹線が上野に到着する。



東北新幹線は赤色のボディなんだと改めました。盛岡で秋田新幹線と切り離しするためである。

途中、仙台駅を過ぎるとあたり一面雪景色である、流石東北雪が多い。



車両も盛岡に近づくと岩手山の雪景色が見える。この山を見ると岩手に来たと思う風景である。そういえば実家にも墓参りにも行って無いことを思い出した。

予定通り盛岡着、早速北口改札で友人との再会で同流する、コンサート前に軽い食事を行う、駅近くのお店「盛楼閣」に寄る、勿論盛岡冷麺ですね。
有名なお店は沢山あるが中でも友人のお勧めな、店内も落ち着き雰囲気も良く勿論冷麺も実に美味い特にサッパリしそれで居てコクのあるスープは美味い!



筆者はこの冷麺のスープが実に上手く好きで、喉越しも大変良いことが特徴でもある。駅近の為盛岡に来れば訪れることが多い。

最近は盛岡は雪は多くないが今年は大雪で、根雪があちこちに残り、歩行には注意が必要である。何時ものホテルチェックインして会場に向かう。



ホテルからタクシーで岩手県民会館まで10分ほどで到着する・・・。

会場到着で一息、珈琲を頂く、岩手県民会館のショップはチープに思えるが意外と珈琲は美味しく頂けました。特に此のような思いがけない事は実に嬉しいものだ。



ここで今回の顛末の笑話でであるが・・・

今回は急に諏訪内晶子(ヴァイオリン)リサイタルの内容が決まり、チケットも取れたので、早速ホテルと新幹線を手配した、それと一番の厄介は自分のワイフに盛岡行きを打ち明けると、流行病の時期に何故と・・・?
当然しかも冬の時期に何故・・・? 
え〜〜 実は諏訪内晶子リサイタルを聴きに行くというと、それもバッハですと打ち明けると、
一言「馬鹿じゃない?」大笑いされた!そんなわけで盛岡行きと相成る。

その様な想いの上で生演奏を聴く、バッハは6曲の《無伴奏ソナータとパルティータ》で、ヴァイオリンという楽器のもつ、ありとあらゆる可能性を汲み尽した。すなわち、演奏可能なあらゆる和音を弾かせることはもちろん、3声、4声のフーガの演奏さえ求めているのである。むろん、いくらヴァイオリンに重音奏法が可能であるとはいっても、和声進行や対位法を完全に具現することはできない。
したがって各曲には、別の楽器によって顕在化されるような、さまざまな要素が潜んでいることにもなる。



今回、盛岡に出掛ける前に筆者の装置でヴァイオリンソナタを試聴する、我が家の300BとタンノイIIILZ Monitor GoldのユニットをGOODMANS AXIOM 80の箱に移植したセットで聴くと実に美しい調べが聴超える、諏訪内晶子さんの調べは実に美しくて綺麗なんです、Deccaの録音はこの様に綺麗であったのであろうか?

昔からよく耳にする20世紀最高のヴァイオリニストの一人と称されたナタン・ミルシテイン、それと筆者の好きなヨハンナ・マルツィの演奏と比べ、実にバッハらしい線の太さと独特の胴鳴きが聴こえた、この辺りの響は人それぞれで答えは難しく感じた。

実に残念なことは彼女のCDではヴァイオリン音の美しさがの優れている様に聴こえる。バッハ音楽独特の線の太いヴァイオリンの音は聴こえなかった。オーディオでの再現はヴァイオリンの響きの再現は想像以上に難しい、一番オーディオ機材の再現での不足部分はヴァイオリンの震えるような胴泣きの部分は再現が難しい様である、それも作曲家により微妙な演奏によっても違い現在はモダンとバロックヴァイオリンの違いも様々で所詮は原音の再現は無理な事と生演奏を聴けば納得できる。それに筆者の耳は高齢の為以前と比べ低下していることも事実である。
今後は筆者のオーディオ機材も真空管の交換等で原音に近付ければ幸いである。



今回の内容は
諏訪内晶子ヴァイオリンリサイタル/J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ

  ソナタ第2番 イ短調 BWV 1003 
  ソナタ第3番 ハ長調 BWV 1005
     休 憩



  パルティータ第2番 ニ短調 BWV 1004

現代を代表するヴァイオリン界の逸材、諏訪内晶子が、アルバム・デビューから25周年を迎える今年、満を持して待望のバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲録音に挑みました。1990年に史上最年少でチャイコフスキー国際コンクール優勝して以来、30数年の歳月の中で自らを厳しく律し、感性豊かに育まれた音楽性で、しなやかに躍動するバッハ演奏を聴かせてくれます。

開演後緊張するためか聞き耳をたて真剣いきくが、休憩後の演奏は何故か変化したように聴えたのです。
BWV 1004「パルティータ」は、舞曲を連ねたフランス風の組曲様式をベースにしている。その意味でこれは《無伴奏チェロ組曲》の世界に近いが、構成は一層自由で、各曲の個性も鮮明である。

自分の聴く装置の音と今回流れた音質は意外と良く似たような音質は聴こえてきたが、生とは全く違うことはヴァイオリンのと言うのかバッハの重み、胴鳴きが違って聴こえる。今回から使用楽器は1732年製のグァルネリ・デル・ジェズ「チャールズ・リード」を使用しているとの紹介もありその辺りの音の違いは我が家の機材では無理な注文であろう、そして思うは所詮生音楽との違いの現実を実感することになった。

しかし今回のリサイタルの演奏会は自分感じた音の方向性は間違ってなかった様に感じた。また演奏は休息後の後半のパルティータ第2番 ニ短調 BWV 1004の演奏は実に熱演に感じた。バッハの演奏する熱演を感じた、特にパルティータの演奏は気合が入り感動した演奏が聴けた。中ホールのお客様は7割り強の席が詰まり全体的にはお年を召した方が多く来場していました。



後日筆者は思うがこの辺りが今の現実の音の美しく綺麗に聴けるいい感じの音に。これ以上はバランスが狂ってしまう原因の様にも感じた。所詮生演奏と比べること自体が間違いだと思った。

オーディオ機材の良し悪しなどは、クソ食らえでと思うが、また其れがなければ寂しい老人のお楽しみでも無くなるのであろう・・・・? 
所詮生演奏の味わいなんて事は考えずに、オーディオ音楽と考えるべきであろう、阿久悠はこの会場内に友人がいて0後で今回コンサートの裏話を聞くと0000、今回の演奏項目は諏訪内晶子さんの考えが大きかったそうです、選曲も全て諏訪内晶子さん任せで行い、また演奏位置を決めるのにも音響テストを2時間強ヴァイオリンの音を確認して演奏位置の確認を行いの演奏と聞いた。勿論演奏会場の特徴もあり念入りに調整された様です。

思うは、一般的には弦楽器演奏の音楽に向いたスピーカーというと、ヨーロッパ の、たいていは英国のものをイメージする人が多いようです。古くからのものではクォード(QUAD)の静電型ESLとタンノイ(TANNOY)が両雄で しょうか、その両雄でも生演奏には到底比べられないだろうと、その様なことを考えてしまいました。ある程度の雰囲気が再現できれば合格なのであろう・・・

コンサート終了の余韻を楽しみながら、悪友がキープした所に素晴らしかった演奏会の模様を話しながら徒歩で向かう、勿論タクシーは無かった。



その後友人の案内で以前お邪魔した盛岡居酒屋 遊食屋FUJIにお邪魔する、前のブログの紹介です。

現在は夫婦仲良く元気に遊食屋さんを営んでおられる。東北の旨いお酒は揃えておられ次々に聴き酒して酩酊する。特に奥様はベジタブルカービング(野菜彫刻)がお得意で少しの時間で大根を見事な白薔薇に仕上げていただきテーブルにお持ち頂く早速失礼し携帯で撮らさせていただいた。

此のお店の特徴は地酒にも種類が多く、勿論好きな冷が美味しい日本酒が美味しい特にマスターに相談すれば丁寧に教えて頂けることは有り難い。特にお酒に合う料理も豊富ですが今回撮り忘れ紹介出来なことが残念に思う。

下の作品もナイフ一本にてお造りになられたようで、そのナイフも見せて頂きました。下記がその写真であり手早い仕事は流石である。



今回はコンサートは撮影禁止のためカメラは携帯のカメラのみの旅行になった。すっかり深夜まで語り楽しい時間を過ごさせていただいた。盛岡に来た時の行きつけの店ができました。ありがとうございました。ちなみに早速FBのお友達に登録させて頂きました。



そして翌日は三年前に青森地方の旅行を楽しんだ仲間とランチ食事会を催していただく。
場所は駅近くのホテルメトロポリタン盛岡 ニューウイングの中華料理店盛岡駅の隣で少し料金は高いが快適そうなホテルで次は常宿にはおすすめです。



各自好きなランチメニューから注文し次の温泉めぐり計画の密談です(笑)今年の夏には流行病が終息すれば・・・前のブログのように楽しいこと旅は邂逅である。

候補は青森の目の前に海の見渡れる露天風呂が楽しめる温泉が良いとまるでガキのようにはしゃぐジジイ達であった。



あとはフルーツと美味しいコーヒーをいただき、再会を約束し盛岡を後にする。
盛岡を去る前に盛岡の有名人の銅像を撮る。



盛岡市材木町の【宮沢賢治像】にもマスクが掛けられ。

「流行病退散」の願いであろう。そして無事自宅に到着するも大雪に見舞われました翌日写真です・・・。



一泊二日の実に楽しい旅でありました。ブラボー!

初夏の東北を行く、貧困老人(俺たち)の旅。Part Ⅱ 実に楽しい旅でした。

2019年07月16日 | 旅行

さて貧困老人(俺たち)の旅。Part Ⅱである、二日目です。 帰った翌日は仕事で、記憶の残っているうちにブログの更新をしなければ・・・・と思い写真の整理から始める。

誠に残念なのがせっかく晴天でも岩手山の勇姿は撮せなかったことかな?

貧困老人(俺)たちの旅二日目

青森泊の翌日は朝9時出発、朝食のバイキングを頂き支度するが、生憎の雨模様・・・・でも本降りではなく小ぶりであるが、本日のコースも室内見学中心にコースを変更する、実はメンバーの中に青森出身者がいて、精通しているので、名所の引き出しが多く大変ありがたい。

残念は弘前城は車の中より眺める、春の桜の季節は桜筏が有名ですが・・・・、

筆者は酸味の強い紅玉が好きだが、甘いりんごの評価が高く現在の富士が多く栽培されている、青森から弘前まで国道沿いにはリンゴのほんのり色づいた紅い顔が見えた、この頃から色づきます。

五所川原まで右左もりんごの木の街道を小一時間の道のりをスムースに走る。

目標は地元では大変有名な展示会場の立佞武多の館。

五所川原立佞武多は、青森県五所川原市で84日から88日に開催される祭りである。 青森のねぶたと構造は基本的に同じだが、その名の通り、高さが最大で20m強にも達する巨大な山車が運行されるようだ。

五所川原まで約1時間のだライブで、展示会場の立佞武多の館の駐車場に到着、勿論平日なのであまり混雑はなく、通勤ラッシュも感じなくゆったりした時間が流れる。

東京?いや東京近郊に住んでいると、なぜが早い生活リズムを感じるが、珠ののんびりした時間の流れが良い。

駐車場も車もなく大きく広い駐車場がのんびりさせる。流石23メートルの物を入れ物(建物)は大きくでかく立派な建物です。

街全体が祭りにかける意気込みを感じる。土日祝日は大変な賑わいを見せるが平日の見学客はまばらだそうです。

この辺りは関東と違う、関東近郊はお年寄りの観光客が平日もかなり多く、違いに驚く。

吉幾三が立佞武多の歌を作り、歌で参加しているのです。

この近くに吉幾三ミュージアムがあった、どうやら彼は田舎のプレスリーになったようだ。

流石下から見上げる大型立佞武多を常時格納・観覧できるほか、大型映像での放映がされている。

立佞武多の勇姿はやはり下から見ると迫力満点で立体的で良いアングルになる

青森県を代表する夏の祭り「ねぷた」は、古くは中国から伝わった。

「中元」の行事が起源といわれ、400年以上もの間、津軽地方を中心に受け継がれて来た火祭りだそうです。

3階には新作立佞武多の製作を見学出来た。下写真は製作図現在は一番右手の絵柄を製作していました。

これが令和元年の製作中の立佞武多です、まずは意匠図下絵、今年の立佞武多です。

続いて製作中の「かぐや」今年は武者ではなく、美しい女性のテーマか?

1回の会場近くで記念写真。

半纏も用意され、雰囲気も盛り上がる。

早速半纏を纏い記念撮影。

展示場前の踊り場に飾ってある立佞武多23メートルは見上げる高さである。

次は弘前城近く青森銀行記念館横を抜け、右側の敷地に入ると旧東奥義塾教師館があり、今も建物は大切に保管され展示下あります。

その奥雰囲気の良い図書館があります。

続いて青森県初の私学校の外国人宣教師が住んでいたという家。

家族写真が飾られ、子どもの使っていただろうロッキングチェアや絵本等々、

当時の暮らしぶりが垣間見れた

1階がカフェ、珈琲碗のレトロな感じも良い。

外国人宣教師が住んでいたという家の1階部分がカフェになっている、ランチのフランス料理も美味しそう・・・・・・。

今回の、気ままな旅の老人4人のメンバーである。皆は盛岡在住である、珈琲の入れ物の陶器も昔風で味わいがある。香り豊かな淹れての珈琲は旨い!

2階が見学できる勿論見学後はカフェにて美味しい珈琲を頂く。

雰囲気もノスタルジックな感じがよても良い

メンバー4人で美味しい珈琲を頂く。

このコーヒーは絶品で多分温度は65度前後丁度よい飲み頃、暑い珈琲といっても余り熱すぎると珈琲豆を焦がし温度加減は大切である。

外は弘前市役所の隣の観光館の後ろに、ミニチュアの洋風建築館があります。 

教会や図書館のミニチュア版ですが、外見は本物そっくりで、意外と雨模様の割に見学者は多い。

そして昼食、弘前城公園に近いお蕎麦屋さん。友人のお勧めのお蕎麦屋さんです。

そのお勧めの、「高砂」へ、天ざるを注文。蕎麦は一番粉の更科粉だった。失礼だが、弘前で更科粉とは!実に品が良くのぞ越しが心地よく海老天は揚げたてで肉厚で美味しさを堪能しました。この弘前は再度来てもと期待させるものがあるように感じた。

少し伝統ある佇まいの蕎麦屋「高砂」の玄関前で

そして次は待望の有名な日景温泉は、秋田県大館市にある温泉。

青森県との県境である矢立峠近くの天然秋田杉の林の中に位置する。

 施設の老朽化による改修費用の捻出ができず、20148月で営業を終了した。

その後、運営会社割烹きらくが2017年初冬の営業再開を目指し、新たな源泉を採掘、建物の改修工事を行っていたが、同年101日営業を再開した。

勿論露天風呂も楽しめ温泉を楽しむ、あまりの気持ちよさで長湯をした。

乳白色の酸味の強いお湯で実に身体には良さそうである。温泉後に頂く牛乳が実に旨い!今回は思わず2本を頂く、乾いた喉越が大変ブラボーである。

いかにも風情豊かな温泉であろう、勿論宿泊も可能だそうです。

勿論露天風呂に浸かる、開放感があり都内の入浴施設と違いのんびり出来る。情緒ある温泉宿である。

少しの休憩を入れて、雨も上がったようです。高速にて盛岡に向かう、

本日の夕食を相談、せっかく美味しい魚料理を食べた後は、最近東北ではジンギスカン料理が有名(遠野)だそうですので。ビールと羊肉とのコラボで盛り上がる。

盛岡は駅から少し離れた繁華街の映画通リの付近の「ジンギスカン8」にて19時から食事会。

勿論話題は次も元気で皆さんと一緒に、貧困老人(俺)たちの旅をしようと・・・・・

そして次は昔行った店で2次会に相成る、40歳を遠に過ぎたお嬢さんとゲスな話も盛り上がり、時計はいつの間にかてっぺん過ぎ翌日の1時でした。少し飲みすぎか?

ホテルに付き就寝、シャワーを浴び、朝食はフルーツと野菜ジュースに締めは温かい珈琲にて、約束の朝9時に待ち合わせ最終日は盛岡の秘湯の湯に出かける。

最初に小岩井牧場に天気は快晴だが岩手山は雲が被り一本桜と岩手山のベストショットは撮れなかった。

このとはアイスクリームの有名なお店があるそうですので、今回出撃します。

小岩井農場工場見学をし、地元では有名で行列のできるアイスクリームを頂く。

途中一面にピンクの花が咲き見事でした。

おいしいジェラートが食べられる「松ぼっくり」種類も豊富で行列のできるお店だそうです。いつも行列のできるお店です、新鮮な種類豊富なジェラードを選ぶ楽しみも・・・・・

友人はこの付近にある名水を頂きに良く着ているため流石地元の情報には強い、しかしこの行列はすごい。

懐かしいベンチに座り美味しいアイスを頂く、ダブルサイズも美味しく頂き

この中より2種類のアイスをチョイスする、ミルクとちーずをチョイスする。

 
 
近くに懐かしいブランコがあり乗りながらアイスを頂く、甘さ控えめの旨さが絶妙!
 

ランチは当然盛岡冷麺を頂く、飲み過ぎの翌日の冷麺は胃に優しい実に上手く感じた。

冷麺に入れるキムチは何時もより多めに入れ、食欲をそそられる。旨い!

雫石町の葛根田渓谷とに熱発電所を見学、発電所からは莫大な地熱資源があり東北電力が担当する。

地熱を利用して温泉もあるが今回は見学をした

湯けむり上がる葛根田渓谷

付近の山々からも湯けむりが上がる、意外と山奥にある発電所が点在しています。

その奥に発電所がある、何箇所も点在する。

ここにも温泉はありますが、実に鄙びた温泉で今後の開発が期待されます。

一番良い方法は東北電力が発電所めぐりの温泉地なんて観光開発も良いなかな?

いくつもの発電所があったことに驚いた。原発は廃止しないといけないです。

ここ葛根田渓谷から車で網張まで移動する。小一時間山間を抜けて移動。

冬は外人客のスキーで賑わうそうですが夏は温泉が一番か? 有名な網張温泉。

岩手山の南麓。秘湯ぞろいの東北の中でも、古くから万病に効くと伝わる名湯。内湯、露天、

そして野趣あふれる野天風呂、さらには気軽に楽しめる足湯と、計5カ所の趣の異なった湯処があり、これらを総称して「網張五湯」と呼ばれています。

記念写真のつもりで温泉の入り口前でのショットです。

国民休暇村に通ずる散策のコースも素敵である

途中足湯もあり雰囲気はよろしい、勿論無料です。

帰り際に再度岩手山を見ると、やっと雲の合間から全容を現す、電線がじゃまになるが岩手山全容を撮る。

これから夏本番が来る、涼しいマザー牧場は夏休みで賑わうだろう。

帰り際に、植物園公園にて休息し睡蓮を見るが、ほとんどの花は花を閉じていた。

そして軽い夕食をともにし、楽しい旅はおわる、

是非元気なうちにまた、ゆっくり温泉めぐりをしようと約束して

3日間、実に楽しく過ごせた東北の友人にに感謝します。

是非次も温泉巡りの旅に期待します、ブラボー!