伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

ヘタウマなヴォーガル「アストラッド・ジルベルト」が良いのか『ゲッツ/ジルベルト』の大成功、前改良したLS3/5Aで聴くボッサの検証

2021年03月29日 | JAZZ・ボサノヴァ


本日は初夏の感じで半袖がいい感じです。
勿論季節は桜の時期の3月末である。自宅近くの桜の名所?名前も桜台という地名で桜のトンネルが4〜500メートル程続く通リである。桜の見応え十分な通りしかも人通りが少なく穴場的な感じです。

筆者の住む街白井市は以外に桜の並木が多く、特に市役所周り他桜並木の遊歩道も多く、天気の良い日の散歩は楽しみでもある、徒歩10分程で桜並木の遊歩道も散策の穴場である。特に有名は下記の桜台の桜並木は桜のトンネルが現れる。

特別に桜まつり等も行われず、宴会等での酒の匂いも無く、環境も整い気に入っている。



久しぶりにボサノヴァを聞く、勿論エンクロージャーはこの前改良したLS3/5a
をセレクトする、特にJAZZ、Bossa NovaはLS3/5a使用が多い、アンプは真空管のLUXKIT/A3500を使用する、作業しながらBGM的に聞くには耳疲れしないLS3/5aが良い。但し決して大きな音でなく聴くことが、ハーモニー音の美しさが滲み出るような音で聴こえる此れがモニタースピーカーかと不思議に思うこともある。カタログでは最大許容入力25Wと明記してあり、程々の負荷には対応するようである。

但しLS3/5aと言うブックシェルフ型のスピーカーはBBCのモニタースピーカーでもあり、音の検診用に製作されたスピーカーであるが、音質は独自の癖も少なく音楽愛好者にとっても素直な非常に良い音が得られる。但し注意点は駆動するアンプの癖はシビアに見抜いてしまう性格は否めない。フラットな性格の質の良いアンプで駆動すれば程よい音楽が聴けることは請け合いだある。

この前若干の改良を試みたが、幾分スッキリ、クッキリした感じに聞こえる様に感じる、高音部の透明度が良くなったようである。以前はKEF Q300をサブ機で使用していたが、LS3/5aに交換したが音質はワンランク上がったように感じる、ヴォーガルの微妙なニュアンスは断然優れているように思う。



今一度「聞く」「聴く」の違いは意図的かどうかを考案する。その原因が「聴覚的情報よりも視覚的情 報として目にする場合が多い」、「聴く必要性の少な い日常生活が氾濫している」、「真剣に聴くという態 度だけでなく経験も不足している」、「聴くときの「姿勢」を教えられていない」、「聴くための態度の大切 さの理解が不足している」、「上手に聴く為の技術を 持ち合わせていない」、「情報過多社会/情報の横溢 である」、「親や教師の認知度が低い」このことによって「自らの生 活を自ら貧しくして不幸にさせる」、「情報が正しく 手に入らない」といった状況が招かれると指摘して いる。  

実際、戦後の国語教育では聴く活動の指導の意義 の1つに人間形成が謳われている、聴 くという行為による聴き手の人間形成に警鐘を鳴ら しているといってもよいであろう。 

現在筆者が愛用するサブ機のLS3/5aを聴くが現在吸音材を交換し良い結果となったようだが、一番は素直な音楽が聞こえ、エンクロージャーの大きさを感じさせない安定した音が聴ける、LS3/5aを聴くには安定したアンプが望ましい、筆者は現在真空管のパワーアンプを使用していますが、勿論一番は真空管との相性も良いとおもいます。
珠には音質も少し味の強いビンテージ・ジャーマンスピーカーに興味はあり、大昔きいたドイツ製のヘコーの音が聴きたくもなる。


 
筆者としては余り深く追求しないで、一般的にBGMを聞く、そしてTANNOYでバッハのカンタータを聴く等と、このように筆者は使い分けをする、特に癖の強いTANNOYIIILZ Monitor Goldで音楽を聞くとホール感が強く、真剣に聴き入ってしまい、自然に流れるどこからか聞こえる音楽にならないようである。

特にIIILZ Monitor GoldでBGMで音楽を鳴らすと気持ちが音楽に集中して音楽を聴き入ってしまい、肝心の仕事が曖昧になる、此の点はTANNOYの弱点かもしれないと感じている。LS3/5aは適応範囲が広くどのような使い方も出来ることが特徴のように思った。

「聞く」と「聴く」は、意図的には似て非なる、相反する言葉というよりも、広くカバーする「聞く」の一部に「聴く」があるという関係だ。「聞く」とは「音や声が耳に入る」聴く」とは「理解しようと進んで耳を傾ける」このように理解しているのだが、日本語は難しい。学生時代に勉学に励んだこともなかったが、あと10年程でお迎えが来るこの歳になり後悔しても遅いようである。最近デスクワークが多く音楽も聞きながら、PC作業をしているが、音量を絞り流れるBossa Novaは実に実に気分爽快。

ただし駆動するアンプは真空管に限る、色々試すが真空管に勝るアンプはないように思う、特に倍音が良く表現してくれる。但しトランスはなるべく程度の良いものを選ぶ必要はある。トランスの良いものは良いアンプを提出している。



現在A-3500のパワーアンプは6CA7の松下製の真空管を使うが音は好ましいバランスを保った日本的な音と言われる。同等と言われるEL34と比べると若干の音質の違いがあると言われる、此の真空管の特徴は素直さが売りで「特徴がないところが特徴」と言える事のようです。勿論この松下製の6CA7はオランダフィリップスから正式なライセンスを得て製造されたものです。音質も安定し今も高額で取引されているようです、此の真空管を使った有名なアンプは多いようです。

筆者のStanGetzを知る限り古い「StanGetzMeetsJoão &Astrud Gilberto - Stan Getz Meets João」を聞く。制作中のボサ・ノヴァのライブ録音です。
1990年、ジャズラベルのジャイアンツは、フィーチャー1964ニューヨーク性能のライブ録音解放スタン・ゲッツ、ジョアンとアストラッド・ジルベルト、彼の当時の妻を。スタン・ゲッツがジョアンとアストラッド・ジルベルトに出会うというタイトルのアルバムは、実際には誤解を招くものです。

筆者が好きなボサ・ノヴァの代表曲である「イパネマの娘」や「波」の作者で有名なアントニオ・カルロス・ジョビン。特に柔らかに聞こえる独特のアコーステックギターの音がご機嫌な、彼が創り出した独自の楽曲は様々なミュージシャン達が取り上げ、世界中の音楽ファンに愛されている。Joao Gilberto(ジョアン・ジルベルト)、Antonio Carlos Jobim(アントニオ・カルロス・ジョビン)のコンビは実に良いのですが、更にゲッツのサックスが加わり良い味付けが出来仕上がり最高になったようである。

当時ヴァーブレコードのLP購入は20歳当時購入の記憶が残り、思えば聞き出して50年前から聞くが、今までも新鮮で、取り分け聴いたジャズ系統のリズムがお洒落で、明るく、テンポも良くお気に入りのアルバムであった、特にスタン・ゲッツのサックスの音も気に入っていたようだ。

筆者が思うことことはアコーステックギターの再現は難しく、例えばバッハのリュート曲などの再現は意外と苦労した覚えがあり、弦の種類でも音は違い選択技に苦労の連続であり、LS3/5a購入後アンプを色々試したが、松下製の6CA7アンプで聴くLS3/5aの音は中々相性が良く現在ジャズ関係を聞く場合はこのラインを選択している、勿論リュートも良くなってくれる。

一時不仲説もあったが、元々気の合う仲間、勿論今頃天国で二人でDUO( デュオ)を楽しんでいることでしょう。



トリオは、大成功を収めたアルバム「ゲッツ/ジルベルト」のレコーディングのために1963年に以前に会ったことがあります。、1964年にリリースされ、米国でボサ・ノヴァの熱狂を巻き起こしました。そのアルバムの成功の結果として、ブラジルのギルベルトスとアメリカのゲッツは、ここで録音されたものなど、米国で多くのショーを演奏しました。

「ImmortalConcerts」シリーズの一部としてリリースされたこのレコーディングは、3つが明らかに共有している化学作用を示し、まだ作成および定義されているボサノバの幼少期を捉えています。1990年のライブアルバム、
Stan Getz、JoãoGilberto、Astrud GilbertoStan GetzとJoão&AstrudGilbertoの出会い:ニューヨーク1964年。思えば57年前に販売された見覚えもあるジャケットもお馴染みのCDで聴くもボッサ独自の音が新鮮で素敵です。
誰も予想していなかった『ゲッツ/ジルベルト』の大成功でした。



メンバーたちは次の日にスタジオでアルバムを完成させた。Billboad誌が1964年4月にLPについてこうレビューしている。「スタン・ゲッツの官能的なテノール・サックスと、ブラジルの有名人であるジョアン・ジルベルトの優しいエッジの利いたヴォーカルが組み合わさり、美しいブラジリアン・ミュージックを作り出している」もしかすると彼ら自身も、他の人たちも皆、『Getz/Gilberto』がそこまで成功するとは当時は思っていなかったのかも知れない。

今もこの一枚の輝かしいLPが「ボサ・ノヴァ史」もしくは「ブラジル音楽史」に残るアルバムと言っても過言ではないと思う。

ライブアルバムby
スタンゲッツ、ジョアンギルベルト、アストラッドジルベルト
 リリース    1990年
 録音    1964年
 ジャンル    ボサ・ノヴァ
 レーベル    ジャイアンツオブジャズ



スタンゲッツとジョアン&アストラッドジルベルトの出会い:ニューヨーク1964 はライブです製作中のボサノバの録音。 1990年、ジャイアンツオブジャズレーベルは、スタンゲッツ、ジョアンジルベルト、アストラッドジルベルトをフィーチャーした1964年のニューヨークシティパフォーマンスのライブレコーディングをリリースしました。

スタン・ゲッツがジョアンとアストラッド・ジルベルトに出会うというタイトルのアルバムは、実際には誤解を招くものです。トリオは、1964年にリリースされ、ボサノバを開始した大成功を収めたアルバムゲッツ/ジルベルトのレコーディングのために1963年に以前に会っていました。アメリカでのボサ・ノヴァ狂乱そのアルバムの成功の結果として、ブラジルのジルベルトスとアメリカのゲッツは、ここで録音されたものなど、アメリカで多くのショーを演奏しました。



 「ImmortalConcerts」シリーズの一部としてリリースされたこのレコーディングは、3つが明らかに共有している化学作用を示し、まだ作成および定義されているボサノバの幼少期を捉えています。


 1,コルコヴァード(静かな夜)
 2,Oパト
 3,それは春になるかもしれない
 4,サンバデミーニャテラ
 5,ワンノートサンバ
 6,今夜は笑顔で寝なければならない
 7,ビムボム
 8,歌う歌
 9,電話の歌
 10,これがその雨の日です
 11,Eu E Voce
 12,ローザモレノ
 13,祖父のワルツ
 14,あなたの心だけを信頼する
 15,Um Abraco No Bonfa
 16,スタンズブルース
 17,瞑想
 18,夏時間
 19,Six-Nix-Pix-Flix

  録音–カーネギーホール
  録音–Cafe Au Go Go        



ヘタウマなアストラッド・ジルベルトは、ブラジルの4番目に大きいブラジルの州バイヤ州で、ブラジル人の母親とドイツ人父親の娘であるアストラッド・エヴァンジェリーナ・ワイナートとして生まれ、彼女はリオデジャネイロで育ちました。彼女の父親は言語教授であり、彼女はいくつかの言語に堪能になりました。

彼女は1959年にジョアン・ジルベルトと結婚し、息子のジョアン・マルセロ・ギルベルトをもうけました。彼女には二度目の結婚からもう一人の息子、グレゴリー・ラソルサがいます。その後、彼女は夫の音楽協力者であるアメリカのジャズサックス奏者スタンゲッツとの関係を始めました。彼女はアメリカに移住した1963年、その時からアメリカに住んでいました。AstrudとJoãoは1960年代半ばに離婚しました。

いずれにせよ約70分間程ボッサが楽しめます、安定した1964年の録音で悪い音でもないがこのCD聴いたら他のBossa Novaが聞けなくなります、ブラボー!

追伸
歌手のアストラッド・ジルベルトさんが2023年6月5日死去。83歳だった。米メディアが報じた。今月から天国は3人のボッサの共演が始まりますね、しっかり楽しんでください。

本年の初詣、武漢風邪の影響で緊急事態宣言も解除され成田山新勝寺詣でに至る

2021年03月27日 | 歴史(世界史/日本史)の考察

生憎天候はくもり空ですが、毎年初参りもいい加減な家族ですが、今年は武漢風邪の影響と、緊急事態宣言のお上の御触もあり、仕事以外は忠実に巣ごもり状態が続いていた、確かにわが住む町の感染者数も延べで300人以上と相成る。
正直、お参りより美味しい「うな重」が目的も否めないが、桜の季節が今年の初詣と相成る。

今年の参拝は何時もと逆周りの裏手門から参拝に赴く。
平日の初詣と違い参拝客はまばらでゆっくりと新勝寺の全てを散策してみることにした。あまり寒さは感じなく、桜咲く道を散策する。



最近成田空港までの新しい道路が開通し、未だ全線開通には至らないが、今までと違い随分時間短縮になった、家を出て30分程で成田山付近に到着し驚く、途中までは片側2車線の信号機もなく70キロ道路になった為時間短縮されたようで、成田ニュータウンを過ぎたあたりまで開通したようである。



成田山新勝寺付近は桜が咲き始め満開近い状態です。裏門から入ると最初は現在の本堂の前の本堂、成田山新勝寺のかつての本堂だった「釈迦堂」があります。現在本堂場所から移転したそうです。

1858(安政5)年に建立された重要文化財です。かつての本堂であり、大本堂の建立にあたって1964(昭和39)年に現在の場所に移されました。仏教を開いた釈迦如来や、普賢、文殊、弥勒、千手観音の四菩薩が奉安されています。周囲には、五百羅漢や二十四孝の彫刻がほどこされ、江戸時代後期の特色をよく残している総欅づくりの御堂です。厄除お祓いの祈祷所です。


釈迦如来や、普賢・文殊・弥勒・千手観音の四菩薩が安置されています


勿論現在も手入れをし文化財として貴重な資料なんでしょう。投目で見ても格式のある建物のようです、江戸時代はこの本堂にお参りしたのでしょう。
なお、建物は総ヒノキ造りで、外の壁には五百羅漢などの彫刻がほどこされています。


釈迦堂を参拝し次は続いては、大本堂の裏から階段をのぼり、奥へと進んだ場所にある「額堂(がくどう)」。1861年に建てられたものです。

額堂とは、絵馬や奉納額を掲げる建物のことで、以前はこちらにたくさんの絵馬類が掲げられていたそうです。


現在、絵馬類は成田山霊光館に保存されています、
お堂の中には、歌舞伎界の名優・七代目市川團十郎の石像があります。市川團十郎家は代々不動尊を崇敬していて、成田山と関わりが深いんです。

次は光明堂
(こうみょうどう)新勝寺初代の本堂である。江戸時代に再興した本堂、成田山新勝寺である。此のあたりに新勝寺の史実が隠されているかも知れないと考えさせられる処である。



1701(元禄14)年に建立された重要文化財です。釈迦堂の前の本堂であり、江戸時代中期の貴重な建物です。大日如来、愛染明王、不動明王が奉安されています。後方には奥之院の洞窟があり、毎年、祇園会に開扉されます。


成田のお不動様として親しまれ関東三大不動の一つです。
細部の作りも相当に手が込んだ造りとなっているのも見どころですかね。


正月は三が日で約300万人(寺院では全国1位)が参拝する真言宗智山派の大本山です。ご本尊は弘法大師が敬刻開眼した不動明王で、開山以来ご信徒のお願い事の成就を祈る御護摩祈祷が毎日行われています。
本尊の不動明王は、平安時代、嶬峨天皇の勅願により弘法大師が一刀三礼、敬慮な祈りを込めて彫り開眼しました。朝夕に天下泰平・五穀豊穣・万民豊楽の護摩法を修せられた霊験あらたかなご尊像です。朱雀天皇の天慶2年(939年)、平将門の乱平定の為、寛朝大僧正によって当地に還座、成田山が開山されました。



成田山新勝寺は寛朝僧正が平将門調伏のための護摩焚きを行ったことに始まる。一時は古びた寺で合ったが江戸時代から賑わう。源頼朝も信仰し、平氏討滅祈願を行ったという。

其の奥にあるのが奥の院です。右左には梵字の彫り物の石があります。


平和大塔(へいわのだいとう)額堂からさらに奥に進んで行くと、大きな赤い二重の塔が目に飛び込んできます。
こちらは「平和大塔」という5階建ての塔で、1階には成田山の歴史展や写経道場があり、2階には大きな不動明王像をはじめ大塔の御本尊が安置されています。


そして現在の本堂にと続くが、途中小さな滝もある


滝の近くに不動明王像の像もある。


意外と新勝寺全て回るのは初めての試みで随分良い運動になる。
そして御札を頂く。正月次期には混雑し此の様にゆっくり散策は出来ないが季節外れの初詣も良いものである。



お守り御札販売の近くには絵馬も飾ってあった。

なにの合図が分かりませんが鐘の音、鐘をつく人を写すことが出来た、ナイスタイミングである。緑色の衣が綺麗な色だった。



お清めの水は武漢風邪の影響で使用禁止のため省略。

その代りは、お線香の煙をあび、無業息災を祈り、清めた。



現在の本堂です、流石に広い。先に見学した知識で、初代の本堂は1/4程度の建物と想像出来た。

日本史を考えると確かに、現在より江戸時代以前が圧倒的に信心深い人達と思う、歴史を調べると必ず神社仏閣の古文書等を調べる事は正直で、京都方面の神社仏閣も今も歴史を紐解く鍵となっているそうである。


本堂参拝では傘を持つお出向の新勝寺の事務所の方が、珍しいショットです。


鐘楼、三重塔は光明堂と同じ時期に建てられた物のようです。


そして正面の山門を下ります。


宝剣の由来は天武天皇(てんむてんのう)の御代に、刀工藤原天国に命じて作らしめたので 「天国の宝剣」と言います。「天国の宝剣」はご本尊不動明王の霊徳と共に、 不思議な霊徳を表し、古来より「宝剣頂戴」と称して、この宝剣のお加持を 受けると速やかに病気を治し諸々の魔障を除き、息災延命が得られると 言われています。普段は、御内仏殿に奉安されています。 刀工の天国(あまくに)が製作した刀 宝剣”は、歴代の天皇が常に玉座のそばにおいて御守として身を守っていた霊剣ですが、大本山 成田山が開山したきっかけでもあります、「平将門の乱」平定の為に、朱雀天皇が寛朝大僧正に、 京都高雄山神護寺の不動明王(成田山のご本尊)と共に授けた成田山第一の霊宝です。 この“天国の宝剣”について、「此の宝剣を拝する時は、乱心狂気もたちどころに止み、熱病寒疾も 速やかに癒え諸々の魔障を除き、息災成就を得る」と伝えられております。



そして入り口の総門を撮った。この総門、比較的新しいもので、建立は平成19年になります。


そして昼食にありつけます。
本日は勿論うなぎ飯です、菊屋を選びました。お江戸の頃はこのあたりで採れる利根川と印旛沼の「うなぎ」は有名で圧倒的にうなぎ屋は多い。


店内は意外と客が多く、印旛沼で取れた川エビと勿論「鰻重」を注文


今も採れる印旛沼産の素揚げの川エビはサクサクで美味い。
勿論「うな重」も美味い見た目で感じるより量が多く、全て頂くが食べ過ぎの感はあった。ごちそうさま。


現在は養殖の鰻ではあるが、実はこの鰻は、成田市印旛沼干拓地に鰻屋が並ぶ鰻街道一番人気店「い志ばし」(いしばし)が美味いのだが、昔は食用のザリガニもメニューに乗っていた。
営業は昼間しか開いてないため、2時30分ころ行っても閉店となるので、次回は鰻だけを頂きに来ましょう。

千葉界隈は利根川を初め印旛沼、手賀沼、牛久沼、涸沼、霞ヶ浦等湖、沼が多く鰻は庶民の栄養資源で昔から御馳走だったのでしょう。一般には土用の鰻と真夏の食べ物として有名だがこの時期の油が乗った鰻の旬かも知れない。


締めは、本日の最後は濃い渋い日本茶と和菓子をいただく、ブラボー!
追伸
何処かに行くと写真点数が増える、写真の整理に時間を費し掲載が遅れるやはりコンデジ程度の画像で十分なのであろう。

何度も紹介したバッハの鍵盤奏者としてグスタフ・レオンハルトを紹介してきたが、バッハの誕生日に相応しい演奏家の検証

2021年03月22日 | バロック音楽・オーディオ一般


ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach、1685年3月21日) 3月21日は、ドイツの作曲家・器楽演奏家のヨハン・ゼバスティアン・バッハの誕生日、日本では春分の日である。

バッハは20人もの子供がいるビッグダディ!という話もそこそこ有名ですが、バッハはなんと大の珈琲好きだったそうです。
筆者もバッハが大好きで、毎朝豆を挽き珈琲を淹れ頂く、珈琲大好きなので、シンパシーを感じちゃいます!なんと演奏会は珈琲店「 ツィンマーマン・コーヒーハウス」で演奏会行った事もしばしばあったそうです。またベートーヴェンも珈琲好きは有名で毎朝10粒の珈琲を焙煎し挽いて淹れたてを楽しんでいたようである、この嗜好品の珈琲豆は当時は貴重品で現在のようには手軽には楽しめなかったようである。



今回この曲が聴きたくレオンハルト/バッハ:鍵盤作品集成(20CD)日本独自企画/特製ボックス・セットを購入した。いわゆる衝動買いです。

筆者がバッハの音楽を聴き始めは、器楽曲でした、当時バッハ音楽は宗教音がだと思っていたが、貴重なケーテン時代の5年間器楽曲のパラダイス時代があり、この時代に多くの有名曲を楽しんだ次期とも言えよう、曲を聴けば解るが実に自由で明るく楽しい今まで通奏低音楽器も演奏楽器としたアプローチなど流石バッハの音楽は違う、一歩前をゆくのだ。
内容は其のような鍵盤楽器音楽がこの20枚のなかに網羅されている。



1か月前の12月12日、オランダの古楽界の巨人グスタフレオンハルトがパリのブッフデュノール劇場で最後のリサイタルを行い、2012年のすべてのエンゲージメントがキャンセルされました。昨日、1月16日に彼は83歳で亡くなりました。チェンバリスト兼オルガニストである彼は、50年代初頭のレオンハルト・バロック・アンサンブル(ニコラウス・アーノンクールを含む)を皮切りに、他のほとんどの楽器とは異なり、古楽器演奏運動を形成し、形作りました。

ニコラウス・アーノンクールと一緒に、彼は完全なバッハ・カンタータを録音しました。これは、録音されたクラシック音楽の素晴らしいプロジェクトの1つであり、多くの古楽演奏者に刺激を与えました。

グルドベルグ変奏曲(1953)のレオンハルトの最初の(3つのうちの)録音は(本物の)チェンバロでの最初の録音の1つであり、SEONの彼の演奏は、今日でも最高で最も人気のあるものの1つです。



レオンハルトについて特に新鮮だったのは、「古い音楽」に関する彼の率直で非イデオロギー的なスタンスでした。インタビュアーがソリストが合唱の任務を引き受ける「パートごとに1つの声」の質問を彼に投げかけたとき、彼はそれがゴミであり、バッハがこれ以上歌手を望んでいないという頑固な議論を続けた(ジョジュアによって出されたようにリフキンら)はばかげた喧嘩でした。
高い声(OVPP-HIPスターのハードコアは歴史的な正確さについてあまり心配していないようです)に対する女性対男の子の質問について、彼は単に男の子を好むと言いましたが、そうでないときはその考えに固執しないことをお勧めしました本当に良いです。「女性が教会に行くことを禁じる規則は音楽的なものではありませんでした。」

彼の仕事と同じくらい重要なのは彼の教えでした:ボブ・ファン・アスペレン、アラン・カーティス、リチャード・エガー、ピエール・ハンタイ、ケティル・ハウグサンド、フィリップ・ヘレヴェッヘ、クリストファー・ホグウッド、トン・コープマン、デイヴィット・モロニー、マーティン・パールマン、クリストフ・ルセ、スキップ・センペ、アンドレアス・シュタイアー古楽の卓越性の真の誰が誰であるか。彼は彼の妻、ヴァイオリニストのマリー・レオンハルト・アムスラーによって生き残りました。

勿論筆者もレオンハルトの弟子達の演奏も聴き流石最新録音での音質は素晴らしく良かったが、色々聴くうちにグスタフ・レオンハルトの演奏に安らぎを覚えるようで何度も聴くうちにレオンハルト戻っていた。

筆者愛用のエンクロージャーも全面のネットをはめ込み写すと、唯風轟々とした佇まいが見える、勿論音質も臨場感豊かなカンタータからオペラから弦楽器まで幅は広い。音質の幅が深くなったようである。



最近筆者が感じるオーディオとは、との答えがおぼろげながら解るような気がした、以外に答えは単純で解りやすく言えば、兎に角好きな音楽が自然に聴こえ、しかも上手く鳴る音創りであろう。大切な事は最初の収集は勿論“いい音楽”である。音楽の収集が一番難しい事が歳と共に解る。

今まで筆者はクラヴィーア演奏でオーディオ機材に注意をしてきたことは、とにかく綺麗な澄んだ高域の爪弾く音質が一番肝心と思い、私としては細心の注意を払い高域の綺麗に鳴るアンプ等を選び、最近は真空管も少しでも綺麗な音がするものに拘って鳴らしてきたが、それは大間違いだと言うことに気がつく。

いわゆるヴィンテージと言われるユニットの鳴らす事に一番肝心な事はユニットとエンクロージャーの対比である、特にクラシックを愛好する方はなるべく容量の大きなエンクロージャーとの組み合わせが有利であるように思う。舞台、ホールでの演奏での様はまるで特等席で聴くような錯覚を覚える、筆者がⅢLZのオリジナル箱でTANNOYを聴いていた時と現在グッドマンのAXIOM80の箱に移植した音ではホール感が違った、此の事で聞く音楽を違った音楽の世界が広がる、以前はカンタータ等は良いとは思うが夢中には鳴れない音楽が箱が変わりより自然に感じる人の声の響き、が違って聴こえだした事は事実である。勿論サブ機として愛用するLS3/5Aも改良しそこそこの音は聞けるがTANNOYには及ばないのである。



それはTANNOYユニットをHPD295からIIILZ Monitor Goldのユニットに交換して聞きだしてからある、HPD295(22Hz~20kHz)IIILZ Monitor Gold(30Hz~20kHz)とレンジは数字上はMonitor Goldが狭い。
確かに両方のユニットを聴き比べるとMonitor Goldが独自の癖が強いことが解る、でも試聴すると断然ピアノはグランドピアノらしく聞こえ、クラヴィーアの音質もしっかりしたクラヴィーア楽器の響きの中に弦を爪弾く得も言われぬ音が聴こえる、ことにパイプオルガンの音はまさに教会でのホールを感じる音が鳴った気がする。一番の違いはオペラだ、人が劇場で歌うホール感あ圧倒される。

最初カルメンのハイライト部分を聴き終了後感動し、しばらく動けなかった。聞けば解るが背筋が伸びる思いになる、やはり数字では解明できない微妙な伝統が備わっているように感じる、此のユニットの限界を引き出す、今後益々このエンクロージャーをより上手く鳴らすアンプを探す楽しみが増えた気がしてならない。ただし何度も言ううが癖の強いユニットですのでセットで使う方法が最善策な方法と思う、確かに箱もオリジナルが良い方法かも知れない、IIILZ Monitor Goldの最大の特徴は人の声が実に上手く鳴る、これは一度聴けば虜になる。これは弦楽器(得意は厳密に言えば弦楽器はビオラ・ダ・ガンバ及びチェロの通奏低音)を上手く鳴らすよりハードルは高いようです。

またチェンバロの深い響きを体得するなら、小さなブックシェルフ型のエンクロージャーだは味わえない音質だ、此のエンクロージャーの10吋のユニットから響く音は実際の演奏のような音が聴ける。



今興味が沸く211は500mlのペットボトルと同じくらいの大きさの真空管です。 オーディオ用として使われる真空管としては大型の部類に入ります。 もともとは軍用無線の送信管だそうです。 起源は非常に古くMJの大塚久氏の記事のよると1920年代にWEによって211Aが開発され,同時期にGEによってUV-211が開発されたとのことです。
現代でも使われている実用的な真空管としては最も古い設計でしょう。 これ以上の詳細は専門書に譲ります。

211はこれぞ真空管!という風貌と存在感。明るく輝くトリエーテッド・タングステンのフィラメント。 実に魅力的です。
211はよく845と比較されます。送信管である211をオーディオ用に改良した球が845です。 845は直線性が良く,内部抵抗が低く,最大出力も大きく取れますのでオーディオ用としては心を惹かれます。


この写真は筆者の自宅の一階から二階に上がる階段であるが、2回の天井までの吹き上がりがパイプオルガンを想像させる雰囲気が唯一好きなところである。

30年前の建物だが屋根瓦、外壁は補修完了したが何時まで持つのであろう。先日割合大きな地震があり、今後関東、東海地震は何時起こっても次期的に不思議ではないと言われる、3.11の東北大地震感すでに10年の月日が立つが、つい最近の様に感じる大きな災害が起こらないように祈る他ないようです。



グスタフ・レオンハルト・プレイズ・バッハの演奏の中でも筆者が最高のと思える演奏を紹介します。クイケンとのヴァイオリン・ソナタを収録していますが、バッハの無伴奏ヴァイオリンと無伴奏チェロのための作品をレオンハルト自らがチェンバロのために編曲して演奏したアルバムです。

当時の資料によると、これらの作品はバッハ自身によってチェンバロでも演奏されていましたが、編曲された楽譜は残されていません。それを再び音楽として響かせることは、バッハの音楽の本質、即興精神にたいする深い理解と洞察を有する稀有の巨匠レオンハルトのみが成し得た偉業といえるもので、これこそがブリュッヘンが彼を「現代のバッハ」と呼んだ所以なのです。


バッハの無伴奏ヴァイオリン曲のクラヴィーア編曲に寄せた、レオンハルトの言葉として、バッハ自身これをクラヴィーアで演奏し、その際ヴァイオリンの演奏より進化に多くの和音を付加した。更にイ短調ソナタBWV1003についてはおそらくバッハ自身によるクラヴィーア編曲があり、又ハ長調ソナタ第1楽章のクラヴィーア編曲も知られている。レオンハルトはクラヴィーア編曲にあたりバッハの鍵盤曲の様式から学ぶことを心がけたと言っている。
勿論同曲は単独に2枚組のセットで販売しています、この曲もセットの中には入っています。特にバッハはクラヴィーア曲一台、二台、三台の曲を色々の楽器に持ち替え(ヴァイオリン、オーボエ等)て編曲し公開して、実に親しみやすい曲にしています。


Disc 10
 ソナタニ短調(無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調BWV1001による)
 ソナタト長調(無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWv1005による)
 組曲ニ長調(無伴奏チェロ組曲第6番BWV1012による)
 組曲変ホ長調(無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調BWV1010による)



上記写真は最近仕入れたCDである、請求書が怖くなる程のCDを衝動買いをしたようである、反省。

Disc 11
 パルティータイ長調(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006による)
 パルティータト短調(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004による)
 パルティータホ短調(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調BWV1002による)
 組曲ハ短調(リュート組曲ト短調BWV955による)

[使用楽器]
チェンバロ:ニコラ・ルフェビュール[1755年ルーアン]
レストア=マルティン・スコヴロネク[198年ブレーメン](ソナタ ニ短調、ト長調)
ブランシュのモデル[1730年頃パリ]によるウィリアム・ダウド製[1975年パリ](パルティータ イ長調、ト短調、ホ短調)
クリスティアン・ツェル[ハンブルク1728年](組曲変ホ長調、ハ短調)

[録音]
1984年3月17-18日、ハーレム、ドープスヘヅィンデ教会(オランダ)デジタル(ソナタ ニ短調、ト長調、組曲ニ長調)
1975年、キルヒハイム、フッガー城、糸杉間(ドイツ)ステレオ(パルティータ イ長調、ト短調、ホ短調)
1976年、ハンブルク美術工芸博物館(ドイツ)ステレオ(組曲変ホ長調、ハ短調)
[47:59+52:41] レコード芸術・推薦

ソナタ、パルティータ&組曲グスタフ・レオンハルトJ.S.バッハ:ソナタ、パルティータ&組曲[トランスクリプション集] ドイツ・ハルモニア・ムンディ



バッハの無伴奏ヴァイオリンと無伴奏チェロのための作品をレオンハルト自らがチェンバロのために編曲して演奏したアルバムです。当時の資料によると、これらの作品はバッハ自身によってチェンバロでも演奏されていましたが、編曲された楽譜は残されていません。それを再び音楽として響かせることは、バッハの音楽の本質、即興精神にたいする深い理解と洞察を有する稀有の巨匠レオンハルトのみが成し得た偉業といえるもので、これこそがブリュッヘンが彼を「現代のバッハ」法王と呼んだ所以なのです。

バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータから5曲と無伴奏チェロ組曲から1曲を、レオンハルトがチェンバロ用に編曲して演奏した作品。バッハの無伴奏ヴァイオリンやチェロの曲は単旋律楽器に多声を要求し、演奏者はいわば時分割多重方式で各声部の音を奏でる訳だが、チェンバロは容易に多声に対応できる代わりに音が持続しない。そこでレオンハルトが音符を加える等してチェンバロ用に「トランスクリプト」した訳である。

確かに最近この鍵盤作品の中のNo,11集を聴くことが多くなってまるで愛聴盤のように朝起きれば淹れたての珈琲と共に聴いている、実に落ち着ける曲です、これはもうチェンバロ曲として成立する仕上がりと思う。



このあたりのグスタフ・レオンハルトを聴くとバッハに一番近い存在感を感じる、ヴァイオリン曲とチェロ曲をチェンバロ局にアレンジ似ての演奏は、フランス・ブリュフェンがレオンハルトはバッハに一番近い法王と言っていたそうであるが、この曲を聴けば理解できる。勿論2枚組セットも販売している、レオンハルトの真骨頂とも思える演奏が聴ける。このレオンハルト/バッハ:鍵盤作品集成(20CD)日本独自企画/と表示してありますが、ハルモニアムンディ盤と比べソフトなプレス仕上がりに聴こえる。個人的にはこの程度のソフト感がありのが聴きやすいと思う。ある意味、レオンハルトの残しているチェンバロ録音中、最も価値のあるものかもしれない。特にそれは無伴奏チェロ組曲の編曲版について言えると思われる。

現代楽器を使った無伴奏チェロ組曲の演奏は、ほとんどが失敗に終わっている。その理由は、「バッハが省略した音」についての考察がないからだ。バッハの音楽は単線ではない。チェロ一本で弾いていたとしても、そこには常に二声、三声の旋律が予定されているのだ。チェロに関してはバッハは教会の残響と演奏法という手法で解決を図ったが、その「省略された音」の再現を図ったのがこの編曲なのである。そうような背景を考えながら聴くバッハも実に面白く益々のめり込んで行くようです。



なので、何よりもこれは原曲の望ましい演奏、望ましい聴き方にとっての教科書なのだ。しかし、それは単にこの演奏がチェロのためのものであるということを意味しない。チェロとはまったく別の魅力をこの編曲版は独自で有しているからである。それは、これをレオンハルトがピアノでなくチェンバロで弾いたことを考えてみればわかる様な気がしてならない。

ヴァイオリンやチェロに比べた場合のチェンバロの弱点は、音のダイナミック・レンジが極端に少ないことである(タッチによる強弱が不可能である)また弾き方によって音を変えることができない(楽章ごとの調節は可能だが)その不利な点をレオンハルトがどのように克服しているのかも、本アルバムのひとつの聴きどころだ。特に「シャコンヌ」はブラームスによるピアノ編曲版との比較ができるので面白いだろう。
今後も色々な角度からバッハの音楽を聴き続けるであろうブラボー!

馬鹿な環境問題をいまこそを再考したい・・・。誰もが聴いたことのあるバッハ:カンタータ全集からBWV147を親しむ、

2021年03月19日 | オペラ・歌劇・カンタータ・オーディオ全般

最近話題になっているお子ちゃまのスウェーデンの16歳の少女グレタ・トゥーンベリの発言だがサミットで、「あなた方は、その空虚なことばで私の子ども時代の夢を奪いました」「あなた方は私たちを裏切っています」とスピーチしたグレタさん・・・。
欧州の人種は昔から、奴隷側と支配者側に別れ、グレタ等は裕福な支配者側の人種であろう、現在人種差物問題は大きな問題のテーマになっているが、彼女の基本的な根っこは人種差物から問題定義が起こっているかも知れない。現在日本も男女差別の問題が問題になっていますが、元々日本は男性は男性の仕事を、女性は女性の仕事をしてきた歴史が長くトラブルもなかった勿論気の強い女性も、男勝りとも言われ可愛がれ育つ平和な環境で過ごしてのが日本である。

その結果、「環境問題だけでなく人種差別、経済も大切なことを大人がグレタさんに教えてあげなければいけない」と諭す意見や、日本の瀬戸内の漁業生活者がボヤいていたと言う、環境がゆきすぎ余り水が澄みすぎお魚の採れるる量が減ったとボヤいている漁民の声です、あまりに環境問題が進み不純物が少な過ぎプランクトン発生率が下がり漁獲量が後退してしまい、生業にならない。このままではグレタよ貴方の食事はなくなり、飢えて死ぬんだよ、と教えてやりたい。面白い事に環境問題も程度があるんだという事のようです、これが自然の摂理支配者側の人言には此の道理は理解できない。

自然循環が一番地球にも優しい手当なんです、此のあたりの道理は子供に説明しても理解出来ないのかも知れませんね(笑)。子供ながらヤクザのような脅しは迫力があるね、流石支配階級でもとても漫画チックだ。



他にも一番攻撃しなければいけない相手は、支那(中共)だが、世界で一番環境に悪い石炭を原料にしているのに、口は塞いでいるなぜか、お金の匂いが伺える、常識的に考えれば思うにグレタは誰かの差金と思えてならないが・・・?

それと比べ笑うのが我が国の僕ちゃん事一応環境大臣の小泉は実にお恥ずかしい。現社会が抱える問題の一番は電気の供給問題だが日本は福島で原子力発電所が被災し多くの人々は原子力は悪の手先と思っているが、現在の未来型原発の主流は1/100程の原発なら空冷とか、簡便なプールで十二分な冷却可能と発表されいるようです。
勿論地震のの多い我が国でも利用可能性が高く、核燃料処分問題も10年程で解決できる目処が立つのなら、まさに危害の少ない原発は検討可能な原子力の平和利用であろう。

電気自動車を推進しているが、問題も山積みで裏の利権が多そうで、政治屋さんには大変なご馳走と言うこと成るのであろう。


所詮少女グレタ・トゥーンベリさんが考える思考はまるでお子ちゃまであるが、それにしてもその少女より断然劣るのが日本の環境大臣、セクシー小泉だ、ポリ袋のデーターも出さないで、次はコンビニスプーン有料化と環境と問題提議があまりにも小さく親子揃って、まるで●鹿親子であり全くお恥ずかしいのだ、ネットは炎上状態が続く。



それを支持する横須賀地区の皆様は論外であろう。二階氏の地盤同様。今後益々難しくなる環境問題未だ石炭を燃やし、公害を巻く散らす自国の経済しか考えないC国など、問題は山積みである。内燃機関は石油から電気に変わろうとしている時代に、木っ端役人も取り上げない、貢献度は全くナシに等しい大臣が言う言葉では無かろう。世界の笑い者か実に恥ずかしい?

ツイッターで小泉はスプーンの原材料原油とほざいていたが、情けない。プラスチックの原材料は石油製品であることは小学生でも解る事を今更驚くことに笑うが?君はお笑い芸人か?あいた口がふさがらない。辞任せよ。
いざ上記の様な事を掲載するのは実にくだらない事と思うが、我々の血税の無駄遣いと思うと腹の立つこのである、問題だ。

また小泉大臣の女性関係も大変お盛んのようでこの様な記事もあった。「小泉進次郎が「肉食系で女子アナとデートしまくり」という情報は以前からどこの週刊誌もつかんでいた。報道するタイミングを待っていた。そして、それが結婚発表だった。広告代理店の社員はいう。
「結婚相手によっては、二股三股疑惑が出ても、ファン層は『英雄色を好む』的にとらえ、進次郎さんはさほど好感度を落とさなかったと思いますよ。滝川クリステルさんだから反発が起きたんです」」勿論色恋沙汰などどうでも良いが女性に間では人気は落ちていることは事実のようである。精々頑張ってくれ。

しかし自宅でひっそり音楽を楽し無程度は誰も迷惑をかけないであろう、近隣には迷惑かけない程度の音量で楽しむは最適であろう。



以前からチェンバロ曲の音が好きで、良く聴くが、初めにレオンハルトのチェンバロの音を聴き、それまでのチェンバロの音色と随分違い、実に爽やかで、高音は特にどこまでも伸びがあり華麗に聴こえる、これは楽器の違うと思う様になり、色々なチェンバリストの曲を聴いて思うは、テレフンケンレコード時代の音が一番印象に残る。

それから暫くオーディオ趣味は離れ、又再開するが、当時の記憶の音と一致しレオンハルトの音がお好みのようである、現在は彼の弟子達の曲も楽しむが、未だ師匠以上の演奏家は少ないように思った、最近教えて頂いた著書があり、下記のように綴られてました。



(今回のレオンハルトの来日公演で使用されるチェンバロは次の2台の予定である。
1台は、ブレーメン在住の製作家マルティン・スコヴロネックが1990年に製作した2段鍵盤のフレンチ・モデルで、1755年にルーアンのオルガン製作家ニコラ・ルフェーヴルが製作した楽器に基づいており、『ヴェルサイユの栄光』のプログラムで使用される。2年半前の来日の際にも大半の演奏会で使われたチェンバロである。基になったルフェーヴルのチェンバロは10年程前にレオンハルトが購入したもので、やはりスコヴロネックによって修復された。

18世紀にチェンバロの黄金時代を現出せしめたフランスのチェンバロは、その製作台数と楽器の品質の何れにおいても他国を圧倒し、今日製作されるいわゆる歴史的チェンバロのレプリカは大半もまたフレンチ・モデルである。しかしオリジナルのフランスの名器の中でも、ルフェーヴルのチェンバロはその繊細さと明瞭さにおいて並ぶものが無い。
私は今まで三百台に余るオリジナルのチェンバロを見て来たが、ルフェーヴルはその中でも最も響きの美しい楽器である。レオンハルトはこのルフェーヴルを用いて《バッハ/イギリス組曲》(EMI)、《バッハ/ソナタと組曲》(DHM)、《フランス・クラヴサン音楽の精華~ル・ルー、ラモー、ロワイエ、デュフリの作品》(DHM)、《フォルクレ/クラヴサン組曲》(Sony)等のディスクを録音している。



もう1台は、アムステルダム在住のアメリカ人製作家ブルース・ケネディが1992年に製作した二段鍵盤のジャーマン・モデルで、18世紀の初め頃にベルリンのミヒャエル・ミートケが製作した楽器(ベルリン、シャルロッテンブルク宮所蔵)のレプリカである。こちらは『偉大なる作曲家、バッハとフォルクレ』及び『チェンバロ音楽の真髄』の2つのプログラムで使用される。バッハがケーテンの宮廷楽長をしていた1719年、ケーテン宮廷が購入したのがプロイセン王室の楽器製作者であったミートケの手に成る2段鍵盤のチェンバロで、この楽器に触発されて、バッハは《ブランデンブルク協奏曲第5番》や《半音階的幻想曲とフーガ》を作曲したのである。倍音が少なくアーティキュレーションのはっきりしたミートケのモデルは、バッハ演奏に最適のタイプとして、「バッハ生誕三百年」の1985年前後から古楽界の注目の的となって来た。最近のレオンハルトは、バッハは勿論、17世紀のドイツ音楽やイタリア音楽にも、ケネディのミートケ・モデル(1985)を好んで用いている。《フローベルガー/チェンバロ作品集》(DHM) 《ベーム/クラヴィーア作品集》(Sony)等のディスクで弾いている楽器がそれである。また《幻想曲とフーガ~J.S.バッハ名演集》(Philips) や《バッハ/パルティータ》(EMI) では、ウィリアム・ダウドのパリ支社で1984年に製作された同型のモデルが使用されていると伝える。


尚、どちらの楽器も、プレクトルム(爪)には鴨の羽軸が用いられているということを申し添えておこう。今日、オリジナルの銘器を含めて、殆どのチェンバロのプレクトルムには、デルリンというプラスティックの一種が用いられることが普通である。羽軸よりもプラスティックの方が強く、しかも安定していてトラブルが少ないというのがその理由だが、音色的には、プラスティックは「生き物」にはかなわない。多少のトラブルがあっても、音色の優れた方をとりたいというのが、羽軸にした理由である。)



其のような楽器の違いが聴いて解るのがオーディオ的で実に興味深く追求したくなる要素でもある。現在骨董品の機材で聴いていますが、未だ十分違いが解る音が鳴ってます。逆に云うなら違いの分からない機器は持ちたくないように思う。

程々の300B真空管とTANNOYユニット10吋勿論スピーカーはエッジも無いタイプのIIILZ Monitor Goldです。今興味のある程度の良いタランスを積んだ2A3シングルアンプが聴きたい。

伝統ある真空管2A3シングルアンプについて詳細を調べことにしました。



時代とともに過去が少しずつ解明され古楽器本来の音質が明らかにされるようです。勿論筆者などは専門家でもありませんので詳しいことは専科にお任せである、素直に音楽を楽しむ愛好家ですので、バッハの音楽を優雅に聴ければと思うだけである。

レオンハルト/バッハ:鍵盤作品集成(20CD)日本独自企画/特製ボックス・セット、レオンハルトがドイツ・ハルモニア・ムンディとセオン・レーベルに録音したバッハのチェンバロ、オルガンのためのソロ作品すべてとチェンバロ協奏曲を収録したセットはレオンハルト/バッハを知るためにも欲しいと思いポチしてしまった。
誘惑には勝てない、未だに聴いたことのない演奏に興味津々である、確かにレオンハルトのオルガン曲は未だあまり聴いてない事は事実です。



到着が楽しみでもある。これで当分はCD購入は我慢することに決めた(笑)
多分山の神(奥方)に見つかれば思いっきり嫌味が飛んできます・・・。これが又逃げ出したくなる恐怖なのである。

“バッハ大全集”を購入したが其の中にカンタータ全集ピーター・ヤン・リューシンク指揮、ネザーランド・バッハ・コレギウム、オランダ少年合唱団、他の演奏もよかったが、この前紹介したバッハ:教会カンタータ全集(60CD)アーノンクール、レオンハルト、ウィーン少年合唱団、テルツ少年合唱団、ほか以前から6枚セット3集は所有していたが、全てを欲しくなり調べますと、プレミアム価格が表示され大変高価になっている、アーノンクールとレオンハルトが1971年から1989年までの18年をかけて完成した教会カンタータ全集の廉価ボックス化したものを販売されていたので早速ポチリました。



以前購入のカンタータ全集ピーター・ヤン・リューシンク指揮、ネザーランド・バッハ・コレギウム、オランダ少年合唱団、他も所々試聴したが、以前のアーノンクール、レオンハルト盤が筆者には相性がよく感じられる。勿論聴き込むに連れ良くなって行く可能性はありますが、取り敢えず落ち着きの合った、テンポの合う演奏者で聴きたい、早速到着しました、梱包をほどき中身を開ける、なにか玉手箱を開ける心境か?期待が高まる。

中身はゴールドのジャケットにCDもゴールドに印刷され勿論説明書もゴールドの表紙でゴージャスな気分にさせて頂く。



案内を拝見すると、本格的時代考証のもと、作曲当時の演奏様式を再現するべく3曲のソプラノ・カンタータ以外はオール男声で演奏された初の全集企画として有名なこの録音、比率としては6:4で、アーノンクールの方が多くの作品を担当。

アーノンクールはみずから結成したウィーン・コンツェンウス・ムジクスを一貫して指揮、合唱パートは、初期はウィーン少年合唱団と、その出身者で構成されるコルス・ヴィエネンシス(ウィーン合唱隊)、その後はテルツ少年合唱団を起用。

レオンハルトもみずから結成したレオンハルト・コンソートを一貫して指揮、合唱パートは初期はケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団とテルツ少年合唱団、その後はコレギウム・ヴォカーレとハノーファー少年合唱団を起用していました。



これらの合唱を準備した合唱指揮者たちは、ハンス・ギレスベルガー、デイヴィッド・ウィルコックス、ゲルハルト・シュミット=ガーデン、フィリップ・ヘレヴェッヘといった有名な人ばかりで、アーノンクールとレオンハルトの意図の体現に大きく貢献したものと思われます。
Disc34
 ● 第109番『われ信ず、尊き主よ、信仰なきわれを助けたまえ』 BWV.109
 ● 第110番『笑いはわれらの口に満ち』 BWV.110
 ● 第111番『わが神の御心のままに、常に成らせたまえ』 BWV.111
テルツ少年合唱団
アーノンクール&コンツェントゥス・ムジクス
録音:1980年

次のカンタータは余りにも有名で誰もが知っている曲で以下にバッハを身近に思える曲かも知れない。バッハは近寄りがたいと思う方も沢山おられるが、聴くと実に知らぬ間に、覚えいた旋律が鳴りだし、この曲聴いたことがある等と思う曲も数多い。一般にはこれとは別に世俗カンタータも有名です。


Disc45
 ● 第147番『心と口と行いと生きざまもて』 BWV.147
 ● 第148番『その御名にふさわしき栄光を』 BWV.148
テルツ少年合唱団
アーノンクール&コンツェントゥス・ムジクス
録音:1985年
 ● 第149番『喜びと勝利の歌声は』 BWV.149
コレギウム・ヴォカーレ、ハノーファー少年合唱団
レオンハルト&レオンハルト・コンソート
録音:1985年

独唱者は、ソプラノ・カンタータの第51番と第52番、第199番を除いてすべて男声で、高声部はカウンター・テナーと少年合唱団のソリストが受け持っているのもこの全集の特徴。ポール・エスウッドやマックス・ファン・エフモント、クルト・エクヴィルツ、ルネ・ヤーコプスといったソリストが名を連ねています(ソプラノ・カンタータの第84番はボーイ・ソプラノがソロを担当)。



レコーディングはすべてウィーンとオランダでおこなわれており、清冽な少年合唱、純朴な少年ソリストの歌唱を、セッション録音ならではの聴きやすい音質で楽しめるのもポイントです。
以前から所有するCDと中身は変わらない内容でした。早速視聴します。実にバッハらしい落ち着いた演奏に実に美しいソプラノが響く渡る。聴き終わり後の静粛が戻った時の開放感が素晴らしい。

現在ブライダルベールの観葉植物を生育中です、以前は沢山植わっていましたが自然消滅?あたしく購入し植え替えました。
少し大きく慣れば部屋の出窓に飾ろうと思ってます、ブラボー!

「趣味」と「道楽」の違いを考える。勿論バッハを聴きながら比較的に誰からも愛される曲“バッハ:フランス組曲”で寛ぐ。

2021年03月16日 | バロック音楽・オーディオ一般

久しぶりに“海ほたる”に出かける、この海の見える景色は好きで、なにかホッとする・・・。一寸した仕事だが、風は強めだが晴天で富士山もスカイツリーも見える、海の上からの富士山も積雪があり実に美しい。“海ほたる”休憩所には春の房総写真菜の花と私鉄の写真展が掲載されていた。

本日は久々の仕事はダブルヘッターで夕方からも仕事です、未だ現役で動けることは健康だと思う、最近の誕生で73歳を迎える事ができた。逆に考えればこの歳で未だ働くことで生活するは大変貧困老人と思う、この貧困老人生活を楽しんでいます。



携帯での撮影でハッキリ都内の町並みが中央に見えるがスカイツリーは画面右にみえる、流石東京タワーは見えなかった。確かに波気はうさぎが飛び釣り船は見当たらなかった。海を見るとたまには釣りに行きたいと思う・・・

そのような事を思い、今ふと音楽鑑賞のとこで最近言葉遊びを思いついた。
筆者のリスニングルーム兼作業部屋は築30年古い木造の住まいで、リスニングルーム?作業部屋には壊れかけた本木造がいちばん音が良い、などとうそぶいている。現在の悩みはレコードプレイヤーが相当古く、アップグレードを考えているが考えれば相当の高額商材になるので写真でも見て我慢することが一番だ。夢はデッカの針を聴きたい。

見るは法楽(本来は社寺で神仏への手向けにする歌舞、音楽のこと。転じて、慰みや楽しみの意。自分の目でいろいろなものを見るのは楽しいということ。)とも言う。日本語の楽しみでもある。レコードプレイヤーもリムドライブのしっかりしたものがお好みだがガラードなどの良品は高額であり欲しくも手も足も出ない事が現実である。



今の自慢のエンクロージャーはAxiom80の箱に組み込んだIIILZ Monitor Goldで聴くが今の部屋とのマッチングは意外と古典的な表情も満足している。

音は近所に洩れ放題。だから深夜音楽を聴こうとすれば、サブのLS3/5A小型スピーカーで、ボリュームは絞って聴くことになる、低域不足は仕方がない。
最近天井から小さな観葉植物の鉢を吊り下げたが、雰囲気は変わったように思う。インテリアを美しく整理することは、かなり重要なことだと、わたくしは思っているが、さて自分自身は紺屋の白袴。

リスニングルームは、オーディオ機器をテストする実験室を兼ねているので、いまや不本意ながらインテリアは二の次でこればかりは残念でならない。しかしこの部屋で聴く音楽は実に楽しんでます。



ここで日本語に付いて考えてみた「趣味」と「道楽」の違いを筆者なりに考える、お江戸の時代は「道楽」で一括し、少し古めかしい語句でもある感じもするが、簡単に「趣味」とは「仕事ではなく、個人の楽しみとしてやっているものごと」「美しさやおもしろさを感じる、その人の感覚の傾向」「ものごとの味わい」のことで、「道楽」とは「お金がかかったり、無益であるなど、人に言いにくいもの」です。 「趣味は自分を磨けるもの」、「道楽は無益なもの」と基本的に考える事がよいのであろうか。

レコード、CDで音楽を聴くことに行き詰まりを感じたら、スピーカーでもアンプでもカートリッジでも、あるいはリスニングルームも含めて、ともかく再生装置の一部を変えてみるのは、意外に新鮮な刺激になる。むろん、こういう言い方にたいへんな危険があることは承知している。
しかし、オーディオに限らず、何かの道具の介在によってひらける趣味の世界では、道具を変えてみるというのは、ときどき必要なことのように思われる。何やらこの辺りからの話しは道楽、趣味をいったりきたりのこむつかしい話しになる、たとえばSMEのアームが、どうしてイギリスで生まれたか。マッキントッシュは、なぜアメリカで生まれたか。ハッセルブラッドがスウェーデンで、ライカがドイツで、パテック・フィリップは、なぜ、スイスに生まれたか。ポルシェは? ロータスは? ダンヒルは?……。


例をあげればきりがない。SMEもマッキントッシュもハッセルブラッドもライカも、それぞれ、最初は、制作者が自分のために手造りで作り上げたメカニズムである。趣味の極致から生まれ、年月をかけて練上げられ改良を加えられた製品、こんにち、それぞれの分野での最高峰としてそびえている製品をみれば、趣味の極み、洗練の極みを求める心は、洋の東西を問わず、およそ人間の文化の究極の形をとって現われてくることがわかる。

しかし有名メーカー品もその中の代表作は流石という製品は多い、少し前は国産カメラはLEICA、ハッセル、CONTAXなどと比べ格が落ちたが、評価が上がったデジカメに以降後はトップレベルになった等です、但国産品の商品もレンズはCONTAX、LEICAとグローバル化(自由貿易)が進み世界のイイコト取りの商品に移行していくようで面白い組み合わせでもある。最近残念なことにNikonの一眼レフも撤退をするとアナウンスされたのは誠に残念である。

スマホのカメラ性能があがり、カメラの需要が無くなり、カメラ独特の性能とテクニックが無くても世の中動画が主流になって来たようである、芸術性を望むことは不要になっているようで寂しくおもいます。



わかりやすい話で例えると、ライカ0型(1923年)市販の準備段階で製造されたプロトタイプ。フィルム巻き上げと同時にフォーカルプレンシャッターをチャージ、沈胴式50ミリレンズ装着など、後に35ミリ小型カメラのスタンダードになる機構を採用していた。ただしこのモデルでは,シャッターチャージの際にスリットを閉じるセルフキャッピングが搭載されておらず、フィルム巻き上げ時はレンズにキャップをかぶせる必要がある。製造台数はわずか25台とも35台ともいわれている 。勿論個人仕様の範囲であろう、最近の情報ではオークションで2億3,000万程で取引されたと言われる。まさに道楽の極みであろう。

写真がライカ0型だが一見ブリキの玩具のようにも見える、塗装も剥げたところもありそのような高額なカメラとは決して思わない、マニアにしか分からない物のようである、今は此のライカレプリカも人気のようです。

これを単に物質文化とかたづける人は、優れた製品は優れた人間の精神の所産であることを知らない人たちである。昔ニコン程度の写真機をいじった人間がハッセルに触りシャッター音(パシャでなくバシャ)を聞き虜になり、ニコン等の音と随分と違い静かなスタジオ聞くハッセルのエロチックなシャッター音の虜になったモデルさんも居たと嘘の様な話しである。但カメラについて言えば最終的にはレンズの好みであるような気もする、メーカーにより色の調子、ボケ味等特に報道写真はあくまでもピント優先とか様々であり選択技もそれぞれである。写真の撮り方で面白くはモノクロ写真で如何にシズル感を出せるかが面白さでもある。

このように思うは道楽者なのだ、音楽愛好家であろうとする自分がそれを否定するかのようで、その間にいるような気がしてならない。



しかしここで考えれば全く不合理な話で、筆者等は再度オーディオの道の楽しさを得るためにこの世界に迷い込んでしまった人間であり、只々バッハ全体が良い塩梅で聴こえる装置が欲しく迷い込んだ“道楽”のような気もする。バッハの音楽は器楽、声楽、オーケストラ、パイプオルガンまで全ての音楽が広がり小宇宙が形成されているようです。それを簡便な装置で網羅しようとすれば無理の繰り返しのような気もする。

最近バッハ全集を入手したが、バッハ好きの筆者もやっとバッハ音楽の入り口にたどり着いたような気分である。又これらの音楽をいかに良い方法で再現し、ホール感たっぷりの環境の音の場を作って行くかが楽しみでもあり苦労でもあると思う。

最近国産品の古い真空管等を使用する場合が多い、筆者のオーディオ機材は昔は海外物が多い割合を含めていたが、最近真空管アンプの玉は古い国産品のデトックス品のなるべく新品を選び取付ける場合が多い、ロシア、支那製品も最近の商品は優れた商品が多くなって来たが、価格は古い国産品と変わりなく良い製品があれば国産品を愛用する。



現在使用する真空管の種類は300B、EL34/6CA7、ECC82/12AU7、ECC85/6AQ8、6BM8等はメーカー違いで数セット所有しているがミニ管に関しては、最近までテレビ等に使われ品質も優れた国産品が健闘している、LUX KIT/A-3500のメインは松下製の6CA7を使いサブ管ECC85/6AQ8等は日立製品が相性は良かった、しかしメインのEL34/6CA7を交換すれば音質も微妙に違って来る、勿論同メーカーによっても製品のバラツキで音質は違う場合もある、同じ型番の違うメーカーの管は30本程あるが、メインの真空管を交換で出番が来るかもしれない、このあたりの追求は“道楽”という言葉が適応するようである。
多分この真空管は3年程で集めた品ですが、奥方曰く、無駄なものを買い、これを不用品と言う、死んだらゴミだそうです。私が死んだら全て処分と言う。これも考えものだ!全く猫に小判とは此の事である。

上記に各付はバッハは6曲の「フランス組曲」BWV812-817 (Französische Suiten BWV 812-817)である、バッバの作品したクラヴィーアのための曲集。バッハ自身は「クラヴィーアのための組曲」と名付けており、「フランス組曲」なる命名者は判っていない。おそらく、この組曲が優雅で親しみやすく洗練された音楽になっており、フランス的な感覚が盛りこまれているためにこう呼ばれるようになったものだろう。作曲年代についてもはっきりしていないが、1722年頃と推定されている。それは、バッハが最初の妻と死別後、2度目の妻アンナ・マグダレーナと1721年に結婚し、彼女に最初に贈った曲集「クラヴィーア小曲集」(1722年)に、このフランス組曲の第1~5番の5曲が含まれているという理由からである。

この曲集は、バッハがケーテンで過ごした1722年から1723年頃に作曲されたと考えられており、イギリス組曲やパルティータと比べ比較的演奏は容易であると言われる。イギリス組曲が短調作品が多く、演奏も技術が求められ、峻厳な曲想であるのと好一対をなしている。



この時期、バッハは先妻であるマリア・バルバラ・バッハを亡くし、15歳下のアンア・マグダレーナ・バッハと再婚しているが、創作の意欲も衰えがなく、本作をはじめ多くの鍵盤楽器曲が残されている。

いずれも数曲の舞曲より構成され、アルマンド、クーラント、サラバンドと続き、最後はジーグで締めくくる。これら4つの舞曲は、17世紀後半に確立された鍵盤組曲の古典的定型を成す。バッハは当時の慣習に従い、これらの舞曲がすぐにそれと判るような典型的な音型や語法を曲の冒頭から用いている。

我が家の庭にも春の花が咲き出し、桜開花情報も囁かれる、庭の花木をカットに使ってみました。



アルマンドはフランス語でドイツという意味の語で、4分の4拍子、上拍に始まる。落ち着きを保ちつつ淡々と途切れることなく進む舞曲。クーラントはやや速いテンポの活発な舞曲で、フランス式では2分の3拍子もしくは4分の6拍子、イタリア式では4分の3拍子もしくは8分の3拍子である。サラバンドはスペイン由来の3拍子の舞曲で、連続する2小節をひとまとまりとする。荘重で重々しく進む。ジーグはイギリスを発祥とする軽快で速い舞曲。本来の拍子は8分の3、6、12のいずれかだが、バッハは4分の4で1拍を3連符に分割して記譜することもあった。



舞曲の配列は、バッハの時代にはA-C-S-Gが定型となっていたが、サラバンドとジーグの間にさまざまな「当世風の舞曲」を挿入することが許された。代表的なものに、エール、メヌエット、ガヴォット、ブーレなどがある。エールは、イタリア語で言うアリアのことで、歌謡風の音楽。従って、エールは本来より舞曲ではなく、舞曲による組曲の中にしばしば挿入された器楽曲である。メヌエットは、フランスに生まれ上流社会で流行した優雅で気品漂う舞曲。落ち着いた4分の3拍子で、後にハイドンが交響曲に採用している。なお、通常は見かけの上で二部に分かれ、反復を含めるとメヌエット-トリオ-メヌエット・ダ・カーポの形式になる(中間がトリオと呼ばれるのは、宮廷舞踊において中間部分にオブリガート楽器を用いてトリオ編成にし、響きに変化をつけたことに由来する。鍵盤組曲では必ずしも3声部で書かれているとは限らない)。
ガヴォットは、やはりフランスに生まれ上流社会で流行した明るく快活な舞曲。通常4分の4拍子で、第3拍目から始まる。第5番に現れるブーレはフランス起源、2拍子の軽快な舞曲で、宮廷でとりわけ好んで踊られた。
フランス組曲6曲中、前半3曲が短調、後半3曲が長調で、ひとつの組曲は調的に統一されている。



バッハ :フランス組曲 第5番 BWV 816 ト長調
第5番ト長調の「ガヴォット」の自筆譜(初稿)。

第5番はバッハの組曲創作のひとつの頂点とも言うべき作品である。ほぼすべての楽章で、前半と後半の終結の形が統一される(M.ゲックはこれを「脚韻」と呼んでいる)。そのため、ひとつの楽章の印象が鮮明になり、楽章間の対比が鋭くなる。各楽章が比較的長く、6つの組曲中で最大の規模となっているにも拘らず、少しも冗長さを感じさせない。
冒頭楽章アルマンドはモテットタイプの典型をみせる。声部数は定まらないが充溢感のあるテクスチュアの中で、動機が自由に展開されるようなものをこのように呼ぶ。バッハはプレリュードやファンタジア、またアルマンドでしばしばこうしたタイプのもの書法を用いている。この第5番のアルマンドは声部声部数の増減が激しく、2声のみになる部分も多いが、保続音の効果によって実際の声部数以上の重なりや遠近感が生み出される。
奏者が各動機をどのように扱うかによって演奏効果に大きな違いが現れ、聴くたびに新たな発見や驚きがある、という点で、バッハの鍵盤曲の最高傑作のひとつである。

クーラントはひじょうにテンポの速い、走り回るような躍動感に支配される。音域と保続音が効果的に用いられており、一度聴いただけでも、走句が広がってはまた集まる図形が像を結ぶ。終止音は前半も後半も単音となり、その唐突さがユーモラスですらある。



サラバンドはきわめて表出的なアリアである。3声が厳格に維持されるが、右手高声部のモノローグに中声部と左手声部がゆったりと従う。
第6楽章の挿入舞曲ルールはもと、劇場用の技巧的な舞踊で、ゆったりとしたテンポながら、大回転や複雑なステップを含んでいた。器楽曲でもその特徴を引き継ぎ、シンコペーション、ヘミオラ、8分-4分音符の弱起パターンなどを用いる。第5番第4楽章のガヴォットでもこうした複雑なリズムが随所に登場する。



ジーグもまた組曲終楽章の典型である。休むことなく動き続ける中で、独特のリズムを持つ模倣主題は決して見失われることがない。3声フーガとしては比較的簡明な作りで、全編ほとんど2声テクスチュアを保つが、終結部でにわかに3声部に戻り、最終和音は5つの音が同時に響く。この長大にして優雅な組曲の終わりにふさわしく、壮麗かつ潔い終止である。

ほぼすべての楽章で、前半と後半の終わり方の形がそろえられているので、
ひとつひとつの楽章の印象が鮮明になっていて、楽章と楽章あいだの対比がはっきりと感じられます。
各楽章がほかの作品に比べて長く、6つの組曲の中で最大の規模となっています。それなのに、曲の中に無駄がなく、ながったるく感じさせないのは、さすがバッハ!
また、チェンバロ音楽の中でもいちだんと優雅な作品に思う?クーラント、ジグを除くと、模倣対位法の役割が以前に比べて弱くなっているからなのか、代わって歌うようなメロディックな旋律と、楽器の特徴を生かしたような音楽語法がより前面に出ているように思う。



とりわけバッハの器楽曲を聴くときに感嘆するのは、バッハが一見シンプルな楽想やテーマからあらゆる発展、展開の可能性を見出し、緻密に構築された作品を創り出すことです。しかもけっしてドライではなく、心に響く豊潤な音楽なのです。シンプルかつ優美なテーマを素材に、技巧と工夫を凝らした変奏が繰り広げられさまは、まるで宝物のようです。
道楽的に聴くか、趣味的に聴くかもバッハ探求へのアプローチが変わり面白く思えるのは筆者だけであろうか、ブラボー!