伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

新星TRIO VENTUS トリオヴェントゥスで後期シューベルト/ピアノ三重奏曲の新譜を試聴する。

2021年08月26日 | クラシック音楽・オーディオ

コロナ禍は変異株で新規陽性者数は増える一方である、残暑で最近猛烈に暑い、夏季のマスク着用は流石に暑さが倍増する、早い収束が希望である。

新規陽性者数も増え注意勧告程度の(緊急事態宣言)地区も一段と増えた、今思えば1年前から予算枠も増やしたが、体制作りは殆ど手も付けず、医師会の既得権域を守り重視した結果が現在であり、医師会は殺人犯同様だと思いませんか?政府も今頃になって慌てている、尚始末の悪いのはNHK筆頭に大手マスゴミはここだとばかり煽り、脅すばかりである。
浮き彫りになったコロナの事実。(素人が考えてもわかるが、この流行り風邪は早期発見、早期治療が良いが都道府県の医者でもない保健所員が指示、管理して手配する不思議さには驚く、早期治療薬の服用(アビガン)等で治るなら、治療薬開発し、投薬が最善である)医師会、政治家でも理解は出来るが裏金問題等で動きが取れないのであろう。誰でも分かる事も出来ないようだ。

ようやく病床確保要請、その裏にある厚労省&医師会の思惑?
https://www.youtube.com/watch?v=thRdgkfMerw
コロナ禍はどこかおかしい厚労省と分科会?
https://www.youtube.com/watch?v=bFYIkfQG2Fk
上記のように話題になった(さざなみおじさん)事、髙橋洋一チャンネルでもYouTubeでも話している。興味ある方は是非ごらんください。

ひたすら愛犬(モジャ)の散歩も夕方に出かけるが1時間弱の散歩ですっかり汗まみれ後はモジャと一緒にシャワーを浴びてスッキリしている。

管球王国2021年夏号の販売となる101号を購入、最近定期的に購入しているが、以前から気になっているカトレアと言うメーカー845T管使用のHE富士山Ⅵアンプ掲載が気になった情報が掲載される、ステレオサウンド誌は敷居が高すぎ趣味としても興味が無くなってしまった。

出力は片側2.5W☓2程で十分で良いが、トランスも余裕のある程々の真空管アンプが欲しい、それ程の知識も無いが探し回ることも面白い。管球王国の情報は参考になるが、機械音痴には手作り記事は途方に暮れる日々である。



それと最近iTuneに前回購入のCDのジョコンダ・デ・ヴィートアルバムをリッピングしてiTuneとCDで聴き比べる、個人的に思うはCDが断然78回転のSPで聴くような懐かしい音が伝わってくる様に思う、リッピングしたジョージ・マルコム(ハープシコード)の音は断然ハープシコードらしく聞こえる。

iTuneの新作を見るとシューベルトのピアノ三重奏曲が興味深い、以前ヴァイオリニスト、イザベル・ファウストが、きりりと冴えた持ち味を活かしつつシューベルトの名曲に挑戦!ちょうど20歳を迎えた作曲家が、生来の抒情性をヴァイオリンという楽器に見事に吹き込んだソナタと、その抒情性をブリリアントな技巧と融合させた後期の2作品をシンパシー豊かに表現。

音楽への深い理解を感じさせる演奏を思い出し、今回はピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 D929, Op.100ピアノ三重奏曲は番号つきが以上の2曲で、ともにピアノ三重奏曲の名曲として親しまれているアルバムの試聴をした。勿論ショスタコーヴィッチは近代音楽の当初20世紀の交響曲の巨匠として知られるロシアの作曲家だが、映画音楽を含めて、宗教音楽を除いたあらゆるジャンルに多大な作品を残している。アルバムの試聴をする。



流石とにかく録音が良く聴こえる、最近は古い録音の音楽の多いために、演奏技術は勿論、最新録音のテクノロジーには驚く、勿論演奏も豊かな弦音とともに、余分な音以外は無く、優れキリッと締まった音が聴けた。
こうなるとトランスと優れた程度の良い真空管アンプで聴きたくなります。

ピアノ三重奏曲第2番:トリオ・ヴェントゥス(TRIO VENTUS )+ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番 『Schubert & Shostakovich』

 1.シューベルト/ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 作品100, D929
  ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 Op.100 第1楽章
  ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 Op.100 第2楽章
  ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 Op.100 第3楽章
  ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 Op.100 第4楽章

 2.ショスタコーヴィチ/ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67
  ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 Op.67 第1楽章
  ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 Op.67 第2楽章
  ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 Op.67 第3楽章
  ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 Op.67 第4楽章



廣瀬心香(ヴァイオリン)、 鈴木皓矢(チェロ)、 北端祥人(ピアノ)
・名称:シューベルト&ショスタコーヴィチ
・収録曲:シューベルト/ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 作品100, D929、ショスタコーヴィチ/ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67
・発売日:2020年10月21日(水)


“VENTUS”はラテン語で「風」を意味し、2011年~2019年にドイツ・ベルリンを留学の地として活動していた三人の音楽家によるピアノトリオです。日本へ活動拠点を移すのを機に、2019年9月に結成し「同じ土地の風」を浴びたメンバーによる、三者三様の風の重なりを聴いて欲しい、という想いで活動しています。スタイリッシュでエモーショナルな演奏スタイルを特徴としています。



ヴァイオリン 廣瀬心香(ひろせ みか)
宮崎県都城市出身。桐朋女子高等学校を経て、桐朋学園大学を首席卒業。ドイツ国立ベルリン芸術大学学士課程、修士課程を共に最高位で修了。ソリストとして、ドイツ・イエナフィルハーモニー、九州交響楽団など国内外のオーケストラと共演。 全日本学生音楽コンクール、日本クラシックコンクール、江藤俊哉ヴァイオリンコンクール等入賞、霧島国際音楽祭賞を受賞。

桐朋学園大学卒業時には皇居の桃華楽堂にて御前演奏の機会を与えられた。東京文化会館にてソロリサイタルを開催、ヨーロッパ各地でリサイタル、室内楽オーケストラ演奏を行う。ベルリンコーミッシェオペラ管弦楽団を経て、ドイツ・ハノーファー州立管弦楽団契約団員フォアシュピーラー奏者として活躍。これまでにヴァイオリンを永野真一、木野雅之、加藤知子、ノラ・チャスティン、ノア・ベンディックス=バルクリーの各氏に、室内楽を東京クァルテット、アルテミスカルテットに師事。



チェロ 鈴木皓矢(すずき こうや)
桐朋学園大学チェロ科首席卒業。バルセロナのリセウ音楽院にてルイス・クラレット氏のもとで研鑽を積み、その後渡独。ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン修士課程を修了。小澤征爾音楽塾オーケストラプロジェクトIに参加。これまでにルイス・クラレット、ダミアン・ヴェントゥーラ、倉田澄子の各氏に師事。室内楽を東京クァルテット、アルテミス・カルテットに師事。第10回ラス・コルツ国際コンクール器楽部門第4位入賞。日本チェロ協会主催「第9回チェロの日」にソリストとして出演。2019年、東京文化会館にてソロリサイタルを開催。各方面より好評を博す。古典から現代までのレパートリーに加え、新曲初演にも多く携わる。現在ソロ、オーケストラの他にDUO CHISPA、DUO CORNU、TRIO VENTUS、Paulownia Cello Quartet 等幅広い分野で活躍中。



ピアノ 北端祥人(きたばた よしと)

大阪府出身。2016年、第6回仙台国際音楽コンクール第3位のほか、日本ショパンピアノコンクール、リヨン国際ピアノコンクール、リスト国際ピアノコンクール等、国内外において数多くの賞を受賞している。京都市立芸術大学、同大学院を首席で修了後渡独し、ベルリン芸術大学修士課程ソリスト科を経て、同大学室内楽科を修了。ソリスト、または室内楽奏者として日本・ヨーロッパ各地で演奏を行う。2018年秋には西本幸弘氏(仙台フィルハーモニー管弦楽団・九州交響楽団 コンサートマスター)とのCD「VIOLINable vol. 5」がFONTECよりリリースされた。これまでに佐々木弘美、大川恵未、椋木裕子、上野真、マルクス・グローの各氏に師事。2019年の秋に活動の拠点を日本に移し、2020年度より東京藝術大学附属音楽高等学校の非常勤講師として、後進の指導にあたっている。



フランツ・シューベルト (1797 - 1828)
ウィーンに生まれ、ウィーンで生涯を過ごした作曲家。ドイツ歌曲(リート)の王と言われています。

シューベルトは小学校教師の12番目の子供として生まれました。その短い生涯を通じて、この中流下の階級の言葉遣い、質素な身なり、習慣を変えないで過ごしました。11歳の時、宮廷オーケストラの少年合唱団に参加しましたが、これにより作曲の分野でサリエリの門下生の一人となりました。声変わりすると、合唱団を離れ、父親を手伝って助教員となります。と同時に、作曲家としての道に足を踏み入れます。わずか17歳で、初めて交響曲とミサ曲一篇と、極めて有名になった数篇の歌曲を書き上げました。ロマンチシズムにあふれた青年は、詩やバラードに深い感銘を受け、これに音楽をつけました。こうして、一つの楽器、または小編成のアンサンブルの伴奏で歌われるドイツ・リートという音楽の一形式を作り出し、11年の間に600以上の歌曲を書き上げました。3年間の教職を離れ、創作活動に専念し、自由な気ままな生活を始めました。

午前中は作曲、午後は散歩を楽しんだり、友人たちの集まりでピアノを弾いたりしました。特筆すべき2つの重要なことは、この天才作曲家が生涯、自分のピアノを持たなかったことと、彼の作品の公開コンサートがただの一度、死ぬ7ヶ月前に開かれた、ということです。
シューベルトはドイツ・リートのジャンルを創り出す傍ら、交響曲(25歳で未完成交響曲を書いています)、ミサ曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタ、そのほかの室内楽曲や舞踏曲をたくさん遺しました。



後期(1823/24–1828)に作曲した曲である。
シューベルトは1823–24年頃、オペラの分野では成功への先行きが見えないと判断し、舞台作品から器楽作品へと創作対象の転換を図った。これをもって、シューベルトの(早すぎる)「後期」が幕を開ける。(ただし、年による区分は便宜上に過ぎない。例えば上記の《さすらい人幻想曲》は、成立時期こそ少し早いものの、楽曲規模・出版の意図・作曲様式に鑑みれば他の後期作品と同列に扱ってよいだろう。)

いずれにせよ後期には、中期における試行錯誤の成果として、シューベルトの音楽における様式転換が成し遂げられた、と概して捉えられよう。ピアノを含む後期の代表作として、有名なピアノ・ソナタ群はもちろんのこと、2つの《即興曲集》(D 899・D 935)と《3つのピアノ曲》(D 946)、4手のための《幻想曲》(D 940)、ヴァイオリンとピアノのための《幻想曲》(D 934)、《アルペッジョーネ・ソナタ》(D 821)、2つの《ピアノ三重奏曲》(D 898・D 929)、《冬の旅》(D 911)、《白鳥の歌》(D 957)などを並べてみれば、現在ピアニストのレパートリーに欠かせない傑作群がこの時期に矢継ぎ早に生み出されたことが分かる。

久しぶりにバッハを離れて音楽を楽しんだが、筆者が思うはシューベルトは、ベートーベンを尊敬し、モーツァルトの音楽を愛したといわれている。また、シューベルトの音楽は、メンデルスゾーン、ブラームス、ドヴォルザークなどの、後世の音楽家たちに愛され、影響を与えたといわれている。まさに中世から近代音楽の扉に手をかけた分岐点の要素も含んだ音楽なのかもしれない。ブラボー!

甘い言葉の誘惑から、Giocconda De Vit、ブラームスのソナタ集オープンリール・テープ復刻シリーズを検証

2021年08月19日 | クラシック音楽・オーディオ

SPレコードの音質は悪くLPレコードに変わり随分音質向上になったが、6〜70年前はSPレコード盤の音が当たり前であった。昔は家に置いてあった蓄音機を手回しでゼンマイを回し、親父所有のSPレコード(12吋盤)の軽音楽を良く聴いたことを思い出す。今も記憶に残るはアンドレ・クリュイタンス指揮の「ボレロ、アルルの女」等は何度も聞いた記憶が鮮明に残っている。

当時からヴァイオリンの音色の陶酔を味わうには、タンノイのユニット程その音色を響かせてくれるユニットは余り無い様に思う、実に魅力的に良く透き通る音は魅力的である。勿論ヴァイオリン・ソナタ程度のスケールならオリジナルIIILZ Monitor Goldを組み込んだブックシェルフ型スピーカーシステム、俗に言うオリジナルIIILZで十分である。
結論から申し上げると、特に今回試聴に用いたエンクロージャーはGOODMANS AXIOM 80の箱に10inch同軸2ウェイ(IIILZ Monitor Gold)のユニットを組み込んだ据え置き型で聴く、特にヴァイオリンの音は正しくタンノイの独壇場です、特にエドウィン・フィッシャーもジョコンダ・デ・ヴィートのリハーサル後ヴァイオリン演奏を絶賛していた様です。まるで小ホールの特別室で楽しむような気分が味わえる感じでした。



然しコンサートホールで聴くようなホール感も体験したくなるのは当然であろう、手狭な部屋でも無理してエンクロージャーは据え置き型が良く鳴るのは当然である。但し駆動するのはアンプは真空管に限るようだが・・・
現在パワーアンプはラックスキット品のA-3500に繋いで聴いています。一部配線はWEの単線ケーブルに交換しましたが音は落ち着いてます。

WE(Western Electric)の(単線)SPケーブルのよく見かけるツイスト線は、60年代~80年代のもので、布巻き外皮のゴム絶縁・錫メッキ構成で14AWG〜10AWGサイズ。もしくは50年代以前の古いものだと単線タイプのブラックエナメルの絹巻きなどがありますが、元来は電話線等として用いられていた線材です。なので声の周波数が出やすい中域にピークのある傾向があるようです。(実は60年代以降から急激にレベルダウンします。というのも、工業的なコスト削減と、導体再利用による不純物混入が原因と云われており、更に「ゴム絶縁」は非常に導体の芯線に対して誘電作用を強く与えてしまう素材のため、電気信号に対して周波数にクセを与える構造にあります)古いWE程音質は良好のようです。現在では相性が良いWE単線錫メッキ24GAツイスト線を使用中。

音楽好きな五味先生も絶賛称賛された言われるヴァイオリニスト、47歳で引退したジョコンダ・デ・ヴィート/GIOCONDA DE VITOの2枚のCD盤の紹介です。
特にブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調「雨の歌」Op.78は絶賛されておられた様である。



イタリア出身のジョコンダ・デ・ヴィート(1907-1994)は、戦争の影響もあり本格的に録音を始めたのは戦後になったからでした。当時ヨーロッパで随一の女流ヴァイオリニストと言われていましたが、絶頂期の1961年に自ら引退を決め、その後は表舞台に立つ事はありませんでした。本作は数少ないSP録音盤から選曲収録しています。
イタリア政府よりストラディヴァリウスのトスカーナをプレゼントされている(1690年製、現在聖チェチェリア音楽院に所蔵)。

彼女は絶頂期過ぎたら引退するべきと密かに誓っていいた。1954年のローマ教王ピオ12世のためのコンサートで、メンデルスゾーンのコンチェルトを演奏している時に、自分が今絶頂期を迎えたことに気付いたのである、ジョコンダ・デ・ヴィート47歳の時だった。

彼女の引退は呆気にも早く、SPレコードからLPレコードに移行する時期の録音しか現存しなくデジタル録音が間に合わなかったことは誠に残念にも思う。
意外と早く引退したジョコンダ・デ・ヴィートのアルバムの復刻CD盤があることを知った。

シェルマン アートワークスの復刻CDの音源は、およそ60~110年前に録音されたクラシックのSPレコードです。現在では大変入手困難な歴史的盤から、クラシック界で今もなお語り継がれるマエストロたちの名盤を世界に1台の特別な蓄音器で再生し、ステレオマイクを通して1bit DSDレコーダーで収録。SPレコード本来の活き活きとした表情がよみがえります。



現在流通しているSPレコードの復刻CDは、レコードの音溝をレコードプレーヤー(電気再生装置)により、電気信号としてラインからマスターへと収録するものがほとんどです。
弊社は蓄音器を用いてマイク収録することにより、独特なライブ感、演奏の生々しさを再現することに重点をおいて制作しております。また、この録音に使用する蓄音器は、過去の物ではなく、素材・設計などに現代的アプローチを加えた新作のオリジナル蓄音器を使用しています。



本復刻シリーズに使用している蓄音器「HOTOGY95」は、缶 史郎(ほとぎ しろう)氏[1911-2009] により現代に設計・製作された特別な蓄音器です。
缶氏は、国産マイクロフォン・メーカーの草分け「三研マイクロフォン株式会社」創業者の一人であり、日本初の純国産ダイナミック・マイクロフォンの開発者でもあった人物です。
2007年に完成した「HOTOGY95」は、蓄音器の命ともいうべきサウンドボックスから、独特の存在感を醸し出す巨大な牛革製ホーンにいたるまで、缶氏によるオリジナルの作品です。

その再生音は、戦前当時、蓄音器の大メーカーであったビクターやHMVなどのいかなる名器とも違う、リアルでファンタジックな「HOTOGY 95」ならではの音の世界が広がります。



缶氏、設計・製作のオリジナルサウンドボックス「HOTOGY V」

蓄音器HOTOGY95[プロトタイプ]                 
設計・製作 : 缶 史郎
製作年 : 2007年 製作国 : 日本
サイズ : ホーン径100cm、H160cm、D95cm
ホーン素材 : 牛革二層合わせ、カシュー仕上げ
サウンドボックス : HOTOGY V



ステレオマイクを通して1bit DSD 収録
本復刻CD シリーズは蓄音器HOTOGY95 を用いてSP レコードを演奏し、ホーンから出た音を、ステレオマイクを通して、高音質な1bit DSD(Direct Stream Digital) レコーダーで収録しています。
音源となるSP レコード自体はモノラルですが、ステレオマイクを使用する事で、蓄音器再生の特徴である演奏の生々しさと奥行きが再現されます。
レコード針に竹針を使用(一部にソーン針、鉄針を使用)
収録時のレコード演奏には主に竹針を使用しています。蓄音器の針の素材は鉄針が一般的ですが、鉄よりも柔らかい竹を使用する事で、貴重なレコード盤の保護とノイズ軽減の効果を得る事ができます。この様な説明があり、迷わずポチする・・・・。

当時蓄音機を聴く場合勿論、聴くのは鉄針で使い捨ても針だったが、竹針が音が自然に聴こえると親父は言っていた、そう言えば蓄音機の周りに竹針をカットする爪切りのような器具を見たと記憶する。軽音楽は12吋盤が多くあった。


 
 [復刻CD]ジョコンダ・デ・ヴィート
 収録曲
  1. シャコンヌ ト短調(ヴィターリ/レスピーギ編)
  2. ソナタ第4番 ニ長調 第1楽章(ヘンデル)
  3. ソナタ第4番 ニ長調 第2楽章(ヘンデル)
  4. ソナタ第4番 ニ長調 第3楽章(ヘンデル)
  5. ソナタ第4番 ニ長調 第4楽章(ヘンデル)
  6. クーラント 無伴奏パルティータ第2番ニ短調より(バッハ)
  7. サラバンド 無伴奏パルティータ第2番ニ短調より(バッハ)
  8. シャコンヌ 無伴奏パルティータ第2番ニ短調より(バッハ)
 収録時間48:07
 ジョコンダ・デ・ヴィート(ヴァイオリン)
 1. アルベルト・エレーデ(指揮)、 フィルハーモニア管弦楽団
 2~5. ジョージ・マルコム(ハープシコード)
 Recorded in : 1(1948/5) 2~5(1951/8/30) 6、7(1950/5/5) 8(1947/9/16)

ヘンデルのソナタは正式には「ヘンデル :ソナタ HWV 371 Op.1-13 ニ長調」と言う、昔から特にHWV 371は好きで、よく聴く特にAlfredo Campoli & George Malcolmなどは絶品と思ったいたが、ジョコンダ・デ・ヴィート & George Malcolmを聴き気にいいった、全曲盤があれば欲しいところである。ヘンデル :ヴァイオリン・ソナタ大変魅力ある作品で他の演奏者も多く演奏しているが、これと言える逸品は迷う作品ですある。

ジョコンダ・デ・ヴィートは、当時ヨーロッパで随一の女流ヴァイオリニストと云われながら、絶頂期に自ら引退を決め、その後は表舞台に立つ事はありませんでした。(そんなデ・ヴィートの数少ない録音から、SP時代のものを収録しました。SPレコードの復刻CD はカートリッジを使用した通常のレコードプレーヤーによるものがほとんどですが、蓄音器を用いて演奏しマイク収録することによって、独特なライブ感、演奏の生々しさを再現することに重点を置いて制作しております。 蓄音器は電気的増幅装置(アンプなど)を使用せず、レコードに刻まれた音を直接ホーン(ラッパ)を通して再生しています。電気再生とアクスティック(蓄音器)再生による音の違いと、最新の蓄音器『HOTOGY95』の醸し出す独自の世界を聴きました。スクラッチノイズも気になるが、ヴァイオリンの音色は良い。)との説明が掲載される。



確かにヴァイオリンの音色は絶賛に値するが、誠に残念に思うはチェンバロのジョージ・マルコムの音は悪い、ヘンデルのヴァイオリンソナタ4番はゆったりめの演奏ではあるが、第3楽章アダージョは聴けば納得するが何故か目頭が熱くなる、それほどヴァイオリンが美しく響き素晴らしい演奏と思えた。

特にヴァイオリンの音色は良く通る音だが、様にビロードのような妖艶の香りに包まれたような音が聴こえた、これが竹針の柔らかな音なのかにもしっかり芯のある音は、思わず納得させれれる。それ程ヘンデルのヴァイオリン・ソナタが第4番の特にアダージョが良い。蓄音機からマイクを通した音も聴き慣れるとスクラッチノイズは全く気になりませんでした。

試聴すると昔聞いたSPレコードで聞いた感覚の音が思い出す、意外と自然な音にも懐かしさを感じた。人間の耳は実に便利に出来ているように思う、確かにワンダ・ランドフスカ等のCDのバッハの曲も当時の音質も悪くスクラッチノイズも感じるが、十分楽しめる演奏と思っている。音質は悪いが、それでもワンダ・ランドフスカの演奏を聴く魅力も多いようである。



デ・ヴィートの演奏は機械的精密さとは対極の優雅でロマンチックなスタイルであるが、鼻につくような癖は全くなく、柔らかく、しっとりした演奏に思える。当時は制約も多い条件での演奏で、実に優雅に聴こえる事が不思議であろう。

続いて以前はCDで聴いたジョコンダ・デ・ヴィートの録音遺産の中でもブラームスの3曲のヴァイオリン・ソナタは、彼女の資質に最も似合った、名演中の名演として知られています。奏者の息づかいさえも聴き取れる明瞭な音質、 ジョコンダ・デ・ヴィート、ブラームスのソナタ集 2トラック、38センチ、オープンリール・テープ復刻シリーズ 奏者の息づかいさえも聴き取れる明瞭な音質、ジョコンダ・デ・ヴィート、ブラームスのソナタ集の発売を知り、早速ポチしました。ピアノ伴奏は勿論エドウィン・フィッシャーです。

このCDは2トラ38のテープ保存のソフトはSPレコードと比べ断然音筆は勝っていた。北イタリア人気質のデ・ヴィートのヴァイオリンは、情熱を外面に出しすぎることはなく、知的に抑制された情熱であり、歌である。彼女はブラームスの重要なヴァイオリン作品はほとんど録音しているが、それらがことごとく第一級の名演ぞろいである。最高のブラームスひきであったエドウィン・フィッシャーと共演した第一番と第三番のソナタはデ・ヴィート47歳の録音。枯淡の域にあるフィッシャーとの呼吸はよく合っており、音楽的な噛み合いと融合性は見事だ。このデュオ・チームの演奏は深くブラームスの心のひだに入り込んだ表現となっている。 



この録音でピアノ演奏をしているエドウィン・フィッシャーは、ローマでリハーサルをした後、「何てヴァイオリニストだ!」と言う一言のみの葉書をビックネルにだしている。ビクトル・ユーゴーが出版社に出したと言う手紙より少し長いが、こちらの葉書も分かりやすく効果的だと思う。

 [収録内容]
  ブラームス: 
  1. ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調「雨の歌」Op.78
  2. ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.100
  3. ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108

 ジョコンダ・デ・ヴィート (ヴァイオリン)
 [Track 1,3]エドウィン・フィッシャー (ピアノ) 
 [Track 2]ティト・アプレア (ピアノ)

録音: [Track 1] 1954年5月11&12日、[Track 2] 1956年3月29日、[Track 3] 1954年10月18-20日/ ロンドン、アビー・ロード・スタジオ
録音方式: モノラル (録音セッション)


北イタリア人気質のデ・ヴィートのヴァイオリンは、情熱を外面に出しすぎることはなく、知的に抑制された情熱であり、歌である。彼女はブラームスの重要なヴァイオリン作品はほとんど録音しているが、それらがことごとく第一級の名演ぞろいである。最高のブラームスひきであったエドウィン・フィッシャーと共演した第一番と第三番のソナタはデ・ヴィート47歳の録音。枯淡の域にあるフィッシャーとの呼吸はよく合っており、音楽的な噛み合いと融合性は見事だ。このデュオ・チームの演奏は深くブラームスの心のひだに入り込んだ表現となっている。 



この録音でピアノ演奏をしているエドウィン・フィッシャーは以前もこのブログで紹介済み、ローマでリハーサルをした後、「何てヴァイオリニストだ!」と言う一言のみの葉書をビックネルにだしている。ビクトル・ユーゴーが出版社に出したと言う手紙より少し長いが、こちらの葉書も分かりやすく効果的だと思う。

Edwin Fischer (エドウィン・フィッシャー)。スイスの男性ピアニスト。1886年10月6日生まれ。1960年1月24日没。

指揮者としても活躍。バッハとモーツァルトの解釈において20世紀を代表するピアニスト。ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で、ナチスの迫害から逃れたアルトゥル・シュナーベルの後を継いで、ピアノを教える。特に正統的ドイツ音楽の分野で素晴らしい演奏を残していることも有名な話である。
数多くの著名なピアニストを輩出し、門下にはアルフレッド・ブレンデル、エレナ・サ・エ・コスタ、マリオ・フェニンガー、レーヌ・ジャノーリ、パウル・バドゥラ=スコダ、ダニエル・バレンボイムらがいる。
スイス出身のピアニスト、エドウィン・フィッシャー(1886-1960)の活躍は1920年代からでバロック音楽を歴史的な志向で取り組んだ先駆者の一人でもある。バッハやモーツァルトの協奏曲をピアノを弾きながら指揮したのは当時として画期的なスタイルであった。今もバッハの平均律は愛聴するが彼の解釈は、バッハ作品でさえも、ロマ ンティックに思考され説得力に富むものだった。

此の2枚のCDを聴き比べ思うは、2トラ38からのCDプリントは78回転のCDより音質はすぐれているがSPは独自の味があり興味を唆られた、ブラボー!

今一度正しい日本の歴史を紐解く、日本歴史認識の検証・・・。終戦から76年になります。

2021年08月15日 | 歴史(世界史/日本史)の考察


日本での開催は2度目になるオリンピック競技も無事終了し、後はパラリンピックを残すことになり、無事終了することを祈る、日本選手の活躍も記憶に残り、後半のパラリンピックも楽しみでもある。

日本は8月15日を迎える。1945年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。 これにより第二次世界大戦が終結したと言われるが、戦後GHQに書き換えられた日本の歴史を、改めて検証することにした。時系列に動画の配信しました。戦争とは何故かの疑問についての検証。
動画は文中のアンダーライン入の英字部分をクリックして頂ければ動画(YouTube)が見られます。

日本人にとって「終戦の日」というと、8月15日に昭和天皇による「終戦の詔書」(玉音放送)がラジオ放送で流れた日と思っている人も多いですし、8月15日には、今も全国各地で追悼式などが開催されています。
でも、国によってこの「終戦の日」の日付や呼び名が異なり、意外にも世界では、8月15日が「終戦の日」ではないようなのです。ところで、日本でも「終戦の日」と呼ぶ場合と、「終戦記念日」と呼ぶ場合があります。

どちらかを使わなければならないという明確なルールはないものの、テレビ局や新聞社によって表現が違る点も興味深く、国営の放送局では、“記念日”の表現はお祝いのイメージがあるため抵抗を感じる人がいる、といった理由で、「終戦の日」を用いているそうです。



調印式会場のミズリー号甲板、歴史を振り返ると、
1945年8月14日/日本政府がポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告
1945年8月15日/昭和天皇による終戦の詔書(玉音放送/録音)放送により、日本降伏を国民に公表
1945年9月2日/日本政府がポツダム宣言の降伏文書(休戦協定)に調印、即日発行とされています。国により解釈の違いがあるように思いますが世界的には9月2日終戦日とされている状態です。

一番問題視されている事は、旧ソ連軍が北方領土を攻め入った事は、日本人はソ連の行動を恨んだ事は確かだが、その裏には日本人瀬島龍三が、ソ連のレーニンと通じていた様に思う。瀬島は戦中ガダルカナル以降の作戦は全て失敗している、当時から共産圏と繋がりがあり、戦後も瀬島龍三はソ連から引き上げ伊藤忠商事入社後は共産圏との取引をしている事は事実である。

日本において第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結したとされる日については諸説あり、明確にこの日!と定めるにふさわしい「終戦の日」はないようです。
日本では、最高権力者である天皇の肉声がラジオから初めて流れた玉音放送が敗戦の象徴として受け止められ、その放送が流れた8月15日を「終戦の日」として、今に受け継がれています。

それと以外に驚いた事に今回アメリカ大統領選挙について、アメリカの中で根付いた共産党の多さに驚き、大手企業の共産圏との強い繋がりにも恐怖を抱く、一方日本の戦前の社会も世界では、ソ連は日本を共産党政権に持ち込みたく、敗戦統一に持ち込みたかった、出来ない場合は北海道だけでソ連領にしたかった様である。今回はその歴史的ターニングポイントを動画で見たいただき、検証する方法をとりました。「終戦の日」に見直す良い機会と思っています。



お馴染み、予備校世界史講師の茂木誠先生と「超日本史」を考えてみる、昭和の軍部はなぜ暴走したのか?。当時のソ連「レーニン」のコミンテルンとは?


ここで肝心なコミンテルンについての解説
1919年結成の共産主義インターナショナルCommunist Internationalの略称。第三インターナショナルとも。第二インターナショナルで最左翼を占めたレーニンらロシア共産党(ロシア社会民主労働党)を中心とし,各国共産党を支部とする国際組織。第二インターナショナルと異なり植民地地域でも積極的に行動したが,活動の中心はヨーロッパだった。中央集権体制をとり,1921年まではレーニン,それ以後はスターリンが直接各国共産党を指導した。1923年まではドイツを中心としたヨーロッパ諸国の革命運動を推進,他方1919年―1927年には中国の革命運動を支援したが結局は失敗した。以後社会民主勢力とファシズム勢力を同列において攻撃する極左戦術をとったが,ドイツでナチスとの対決に敗れて打撃を受けた。1934年以後人民戦線戦術で巻返しを図ったが,これも不成功。こうして世界革命を起こすという当初の目的を達成しないままに1930年代からはソ連外交の道具に転化し,1943年ソ連の外交政策転換により解散。

そして最悪な事態にアジアの解放の「東亜新秩序」の建設を・・・開戦臨時ニュースが流れた時、日本とアメリカにどのような駆け引きがあったのか、貧困からの脱却の試みなのであろうか?


1945年2月4日から11日にかけて、ソ連領クリミア半島のヤルタという場所で開催された、連合国側の戦争政策および戦後処理の問題についての話し合いを「ヤルタ会談」といいます。
参加したのはアメリカの大統領ルーズベルト、ソビエトの首相スターリン、イギリスの首相チャーチルです。

当時のヨーロッパ戦線は、ポーランドにいるドイツ軍を駆逐したソ連軍がドイツ国境付近にまで進出し、アメリカとイギリスをはじめとする連合軍はドイツ西部のライン川の西岸を目指し進軍していました。
対ドイツの勝利がほぼ確実という情勢だったため、ヤルタ会談では戦後のドイツ占領地域の処理と、極東の戦略に関する具体的な合意、「国際連合」の設立について協議されています。



ヤルタ会談を2回で解説します。その後の歴史を見れば、この会談が日本の、大きなターニングポイントとなったことは言うまでもありませんが、第二次世界大戦の末期とはいえ、個人レベルの関係で会談が進められていたことは驚きを隠せません。会談が終了した2月12日に「ヤルタ宣言」が発表されています。


1:ドイツの戦後処理問題
 戦後のドイツの占領地域の管理については、まずその領土を縮小し、戦前のドイツ領東部をポーランドに割譲することと、首都ベルリンは英米仏ソの4ヶ国が共同で統治することが決定されました。
またドイツの戦争犯罪人を処罰するため、裁判を開くことも決定。賠償金問題は継続して協議していくことが合意されています。
2:ポーランド問題
 ポーランドの国家再建に関しては、イギリスで存続している亡命政府と、ポーランド内でソ連が樹立した臨時政府があり、どちらを正統な政府として戦後の再建を進めるかが問題になっていました。
イギリスとソ連が激しく対立したため、アメリカから戦後に国民投票を実施して決めることとする妥協案が提示され、3ヶ国で合意されます。
国境については、ソ連に接している東側はソ連に領土を割譲し、その分ドイツに接している西側ではドイツの領土をポーランドに割譲することが決まりました。
3:秘密協定となった極東の問題
 スターリンは、南樺太、千島列島、満州での権益と引き換えに対日戦に参戦することを約束します。これは、ドイツの降伏後2~3ヶ月以内に「日ソ不可侵条約」を破棄し、日本領土に侵攻するというものでした。
満州国へのソ連の侵入は、実際にはドイツの降伏から3ヶ月後の8月9日に始まり、日本の敗戦を決定づけたのです。
またこのことが、2018年現在も続く北方領土問題の発端にもなっています。



主張を通しやすかったのはソ連のスターリン。ドイツの猛攻を退け、本土内から撃退し、ポーランドを開放してドイツ本国に迫っている勢いがありました。アメリカのルーズベルトはスターリンを信頼していましたが、イギリスのチャーチルは彼が独裁者であること見抜いていたのです。

特にルーズベルトは体調が悪く、この会談から帰国した後すぐの4月に亡くなります。無理をおしての会談は、対日戦争の勝利にソ連の首相であったスターリンの協力がどうしても必要だったため、秘密裏におこなわれたのでした。

情報大国イギリスが「傑出した情報士官(インテリジェンスオフィサー)」と認めたストックホルム駐在陸軍武官、小野寺信(まこと)少将。ナチス・ドイツのソ連侵攻を見抜き、ソ連が対日参戦する「ヤルタ密約」をつかんで終戦工作に関わった小野寺の足跡。

小野寺がストックホルムにおいて、ドイツ敗戦から3カ月後にソ連が対日参戦するという「ヤルタ密約」をつかみ、和平仲介打診に乗り出した工作を、英国は「最高機密」と判断。英連邦の自治領だったカナダやオーストラリアなどと情報共有したのである。その際に、ハリファクス大使は「オーソライズされた陸軍武官は天皇の“代理”となるので、(スウェーデン)国王グスタフ五世は興味を持たれ、何事かアレンジされた」と1回限りの暗号で打電した。



諜報の神様 小野寺信とは 日本人だけが知らないインテリジェンス、「日米開戦不可ナリ」|ストックホルム 小野寺大佐発至急電。NHK配信より

参謀本部の作戦課が小野寺電報を握りつぶした日本は、和平仲介への淡い幻想を抱き、ソ連にすり寄っていた。これに対し、北欧の中立国、スウェーデンで正鵠を得た情報を元に、ソ連ではなく米英との和平に乗り出した小野寺を、英国はキラリと光る枢軸側の情報士官と評価したのだ。



後日明らかにしてなるエリクソンの正体を暴くは反ソ主義者のスウェーデン系アメリカ人で、米戦略情報局(OSS)のエージェントを務め、実は米国の意向を受けて小野寺に打診工作を持ち掛けたことが戦後、判明している。

正にジェームズ・ボンド顔負けの働きです、勿論イアン・フレミングも工作員でした、後に007のスパイ小説に仕上げますのは有名な話です。



後に悪名で有名になる、瀬島龍三こそソ連の回し者「敗戦統一」を目指した証拠があったのか?未だ伊藤忠は共産圏との取引は続いているのは何故か。

日本人60万人をソ連にシベリヤ抑留に売った瀬島龍三の闇は深く、未だ何のお咎めも無く、闇から葬り去る歴史は恐ろしい共産党は実に闇の部分が色濃い。

誰がソ連に日本人を売ったのか?現在の一般的は歴史解釈は終戦直後、当時の満州国などの外地に残っていた日本兵ら約60万人が、ソ連によって武装解除・投降を余儀なくされ、捕虜としてシベリアをはじめとするソ連各地に移送された出来事である。確かにロシア、北朝鮮、支那と共産圏が隣国の日本は大変である。


皇道派=北朝鮮型社会主義 統制派=ソビエト型社会主義 非常にわかりやすい説明です。瀬島龍三、統制派、ソ連の対日参戦する。
その瀬島龍三は情報漏洩の元は、「裏臨調」だった。権勢を増していた中曽根康弘行政管理庁長官が毎週金曜夜、赤坂の料亭で開催した会合の異名だ。中曽根が最も重用したのが、軍隊の先輩でもある瀬島で、二人を中心として、配下の橋本龍太郎党行財政調査会長などと、実質的な方針を決めていた。

当時の書類公開され、本当の事実が判明出来るようになったが、共産圏の事実は闇から闇に、果たして後世に残す文章も無いのであろうか?



脈々と続く共産党を支持する世界が広まって親中派が拡大している政界に危惧する。次回の選挙は親中派自民党として分立をすすめる。

今回のアメリカ大統領選挙はバイデンが勝利したと言われるが、謎が多く不思議な事はニュースでも解る、普通ならバイデン兄弟の事件も隠蔽され、オバマの娘とバイデン息子のつながり疑惑など次々あるが全て闇の世界出来事に・・・先日筆者宛に届いた大統領子息の如何わしい写真が届き驚く。


この世の中は日本一国の平和ということより世界の平和なんです。オリンピックの後半戦パラリンピックが始まる、そして終了後間違いなくコロナ禍問題、景気は大幅交代する予想はできる、今後世界はどのような道に進むのか?支那の暴発はあるのか?冬季オリンピック開催はいかに?

今後の予測として、さざ波オジサンこと髙橋洋一が予測する今後のシナリオ「菅政権の行方」と「北京五輪ボイコット」果たしてその先の株価は・・・


また解散総選挙日本の政権は如何に、2Fを筆頭とする親中派は変化するのか?台湾問題は?中共のジェノサイド問題、三峡ダム問題、異常気候と北戴河での囁きの真相はとアジアは問題の巣窟である。何事もなく勿論平和解決が理想であるが、二度と間違った答えは出さないように見守りましょう。


ちなみに最近天候不順でモジャの散歩も雨の合間に、散歩に連れ出ししっかり運動してしています、散歩後の楽しみは一緒にシャンプーしてシャワーを浴び、さっぱりしたところで、バスタオルに包み水分を吸収させる、その後は大好きな梨のカケラをかじる。全く子供と変わらない、思えばほとんど毎日シャワー浴びご機嫌のようである。後はエアコンの程よく効いた部屋での昼寝。
平和な世界が長く続きますよう祈りましょう。黙祷!

古楽器演奏で寛ぐバロック演奏を楽しむ(Camerata Köln, Deutsche Harmonia Mundi)

2021年08月10日 | バロック音楽・オーディオ一般

前回話したドイツ・ハルモニア・ムンディ盤の1958〜1993年までの作品を50枚セットにまとめドイツ・ハルモニア・ムンディ設立50周年記念限定BOXとして販売していますので、昔を思い出し音質抜群なメーカーを早速購入をする。

現在新型コロナウイルス感染陽性者も増え、正確な報道も伝えない大手マスゴミ、逸脱した報道に国民は騙され、政府も大幅な補償もせず。適当に「まん延防止・緊急事態宣言」を宣言してお茶を濁しているが、また国民は外出を控えず外出に勤しむ。この問題は厚生省と病院(医師会)に問題がある、何れも問題は残る、コロナ禍が問題になり既に二年前だが未だ全く何も解決出来ない事は、全ての医師会の頭の挿げ替えが必要です。国は国民の生命を守ると言うが、問題は大手マスゴミの嘘の報道、切り取り記事に、如何に真実を知りたいものです。

筆者は酷暑の為にこの際外出を控え自宅でのんびり涼んで過ごす、オリンピック競技も終わり普段お生活に戻る、お盆も近いが今年もお墓参りは省略しコロナ禍消息後に順延する、今週は暇なために古楽器演奏を楽しもうともくろむ。



オーディオ装置は相変わらず10inch同軸2ウェイの約50年前のIIILZ Monitor Goldユニット(1967年発売)で楽しんでいますが、流石最近台風通過影響後の猛暑で真空管使用でエアコンも低めに設定して26度にして聴いている。
IIILZ Monitor Goldユニットもできる限り発売当時のように調整した結果、随分調子良く鳴ってくれます。更に塩梅良く聴くには駆動は三極管真空管アンプのドライブを進める・・・抜群のホールトーンは劇場の一番良い席で聴く様である。

勿論グスタフ・レオンハルトのセットも同様のドイツ・ハルモニア・ムンディは、1958年、ルドルフ・ルービとDr.アルフレート・クリングス(故人)により創立され、その記念すべき初リリース(1959年)以来、古楽の名門レーベルとしてその地位を確たるものとしている。

レーベル名の「ハルモニア・ムンディ」とは、ラテン語で「世の音楽」という意味。当初は「時代を限定せず中世から現代まで、各時代の音楽にマイルストーンを築く」という方針で制作が行われた。1970年にクリングスが西部ドイツ放送(現在のWDRケルン放送局)の音楽部長へ転出してからは同放送局との共同制作も活発となり、古楽に焦点を定めて実力のあるアーティストを起用し、またコレギウム・アウレウムやラ・プティット・バンドの結成を促して続々とディスクを発表、レーベルとしてカタログを蓄積した。

1989年に創立から深い関係にあったBMG(録音技術&プレスをベルテルスマンの関連会社ソノプレスが担当)がディストリビューションを開始、1993年にレーベルを買収すると、それ以降BMGクラシックスの古楽レーベルとしての機能を担い、ビルスマやアーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスといった巨匠をアーティスト・ロスターに加えながら発展、現在もSONY BMG Masterworksの古楽の「顔」としてその存在感を強めている。



ドイツハルモニアムンディ50周年記念版(50cdを)取り寄せてみる。50枚は以下のようなバライティに富んだ作品が楽しめそうである。

  1.ドゥランテとアストルガとペルゴレージ
  2.J.S.バッハ:オーボエ協奏曲集
  3.J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
  4.J.S.バッハ:音楽の捧げ物 BWV.1079
  5.J.S.バッハ:モテット BWV.225-230
  6.J.S.バッハ:ロ短調ミサ BWV.232
  7.J.S.バッハ:ロ短調ミサ BWV.232
  8.ヴィヴァルディとJ.S.バッハ
  9.J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 BWV.1007?1012
  10.J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 BWV.1007?1012



  11.知られざるスペイン・バロック
  12.17世紀のチェロのための作品集
  13.ビバー:レクイエム イ長調/スッテファーニ:スターバト・マーテル
  14.ボッケリーニ:チェロ協奏曲とシンフォニア集
  15.ブクステフーデ:室内楽作品集
  16.カッチーニ:麗しのアマリッリ?新しい音楽
  17.フランソワ・クープラン:室内楽作品集
  18.ジャコモ・ファッコとヴィヴァルディ
  19.アントニ・フォルクレイ:ヴィオール小品集とクラヴサン小品集
  20.フレスコバルディ:音楽の花束 Vol.1 主日のミサ



  21.フレスコバルディ:音楽の花束 Vol.2 聖母のミサ
  22.グルック:オペラ・セレナード「中国人」
  23.オルランド・ラッスス:モテットとミサ曲
  24.オルランド・ラッスス:レクィエム、マニフィカト、モテット
  25.アントニオ・デ・リテレス:歌劇「四大元素」
  26.リュリ:ディヴェルティスマン集
  27.マショーとペロティヌスとクラウズラと作者不詳
  28.J.S.バッハ以前の聖トーマス教会のカントールの作品集
  29.マラン・マレ:三重奏のための幻想的小品組曲集
  30.モンテヴェルディと同時代のマドリガーレ集



  31.モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
  32.モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
  33.パッヘルベルとJ.S.バッハ以前のバッハのモテット集
  34.パレストリーナ:宗教合唱作品集
  35.ペルゴレージ:歌劇「奥になった小間使い」
  36.パーセルとヘンデル
  37.無秩序の喜び?17世紀英国の2声部のコンソート
  38.ラモー:歌劇「イポリートとアリシー」組曲
  39.ラモー:歌劇「プラテー」「ダルダニュス」より管弦楽組曲
  40.ラモー:バレエ付オペラ「ピグマリオン」

特に今回上記のラモーならではの端正で調和のとれた作品。ギリシャ神話に基づく、自分が作った人形に恋する男の物語。各役に特有なリズムを配するなど、それまでのラモー作品にない新しい試みがみられます。
レオンハルト&ラ・プティット・バンドによる演奏は、レオンハルトの統率力によって細部にまでに神経が行き届き、優美で生命力に満ちています。合唱にはヘレヴェッヘと彼の合唱団を起用しています。前々から興味があったが聴けなかった曲も楽しみでもある。確かにバライティに飛んだ50枚セットと関心する。



確かにこのようなバレエ付オペラ曲を味わうなら、筆者の使う据え置き型のエンクロージャーに移植した10inch同軸2ウェイのIIILZ Monitor Goldユニットの威力が十二分豊かに響き渡る、此の様な体感を味わえば断然据え置き型の魅力だ、決してブックシェルフの音では味わえない重量感は味わえ無いのである。

  41.ルベル:表題付きトリオ・ソナタ全集
  42.サント・コロンブ:「哀しみのトンボー」?ヴィオール作品集
  43.アッレサンドロ・スカルラッティ:ソロ・カンタータ集
  44.アレッサンドロ・スカルラッティ:ヨハネ受難曲
  45.テレマン:木管楽器のための協奏曲集
  46.ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」「海の嵐」「喜び」
  47.ヴィヴァルディいろいろ
  48.ヴィヴァルディ:チェロ・ソナタ集
  49.ゼレンカ:神の御子のミサ曲/聖母マリアのためのリタニア
  50.ゼレンカ、ピゼンデル:シンフォニアと協奏曲集



筆者の昔から好きな曲から流してみる、J.S.バッハ:オーボエ協奏曲集 BWV49&169, 1055, 1056, 1060 、バッハの器楽演奏の面白さは同じ曲の演奏楽器を変えて演奏し楽しむ面白さも魅力でもある。


 J.S.バッハ:ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 BWV.1060
正式には:2台のチェンバロのための協奏曲第1番 BWV 1060 ハ短調、と言われ第1チェンバロの左手部分と第2チェンバロが掛け合いになっている。こういった掛け合いの手法も、2台の鍵盤楽器の協奏曲ならではと言えるだろう。
  01. Double Concerto For Violin & Oboe In D Minor, Bwv
  02. Allegro
  03. Adagio
 J.S.バッハ:オーボエ協奏曲BWV.49&169 ・J.S.バッハ:オーボエ協奏曲 BWV.1055
  04. Oboe Concerto In F Major After Bwv 49 & 169
  05. Siciliano
  06. Larghetto
  07. Allegro Ma Non Tanto
 J.S.バッハ:オーボエ協奏曲 BWV.1056
  08. Oboe Concerto In G Minor, Bwv 1056
  09. Moderato
  10. Presto
ハンス=ペーター・ヴェスターマン(Ob&Ob・ダ・モーレ) 
メアリー・ウティガー(Vn) 
【録音】 1992年 (原盤:05472772902)

バッハはオーボエを好んでカンタータや受難曲に用い、協奏曲も残していますが、このアルバムはケーテン時代の失われたと考えられているオーボエ協奏曲が原曲とされるチェンバロ協奏曲ホ長調BWV1053からカンタータ第49番と第169番の器楽シンフォニアに転用された楽章をオーボエ協奏曲ヘ長調として中心に据え、復元されたオーボエとヴァイオリンの協奏曲(2台のチェンバロのための協奏曲より)とオーボエ・ダモーレ協奏曲(チェンバロ協奏曲第4番)を収録。ヴェスターマンはコレギウム・アウレウム合奏団の中心メンバーだったヘルムート・フッケに師事し、1979年に創設されたドイツの古楽のメッカ、ケルンの第2世代のアンサンブル、カメラータ・ケルンに参加した名手で、アーノンクールのウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメンバーでもあります。

ドイツ・オーストリアの人気バロック・オーボエ奏者ヴェスターマンのソロによる協奏曲集。北ドイツ放送交響楽団首席出身で、現在はムジカ・アンティクァ・ケルンとウィーン・コンツェントウス・ムジクスの首席奏者も務める彼は、比較的薄めの音を出すバロック・オーボエを用いながらも感情豊かなコクのある演奏をすることで知られています。
ここに収録された作品は、現在「チェンバロ協奏曲」や「カンタータのシンフォニアの一部」として残っているものですが、実際はオーボエ(・ダ・モーレ)の協奏曲であったとされており、ここでは復元して演奏されています。



現代の楽器は音量を大きくするためだけに発展してきた。いわゆるクラシックを聴き慣れた人には、古楽器・ピリオド楽器の音色は線が細くて痩せていて不安定な印象を受けるかもしれない。でも、古楽の繊細さや典雅さ、静謐さから立ち上る儚い音色の美しさを知らないのはもったいない。このアルバムとはでつになりますが、最近の傾向として古楽器も注目され古楽器使用の演奏者も多くなっていることは大変ありがたい。

有名な「黄金の合奏団」の名を冠したコレギウム・アウレウム合奏団によるベートーヴェン演奏があります、筆者好みの『交響曲第7番イ長調Op.92』(録音:1981年)はじっくり聴きたいと思ってます。
有名な話は(彼らが録音の為に使用していたシュヴァーベン地方キルヒハイムにあるフッガー城の「糸杉の間」の構造が、「黄金分割」だったことに由来しています。)

バッハ音楽の「ゴールドベルク変奏曲」と「音楽の捧げ物」と「ミサ曲ロ短調」と「無伴奏チェロ組曲」や、モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」などは、誰も問わず、クラシックを聴かない人でも死ぬまでに一度は聴いておきたい決定的な名曲だと思う。絵画や彫刻や文芸の基本中の基本を体験しておくのと同じこと。この5つを単品で購入するだけで、このボックスの価格を超える。

ドイツ・ハルモニア・ムンディ盤の演奏、録音もスッキリして実に聴きやすい製品になっている事もありがたい。
素晴らしい古楽器のピリオド楽器による演奏に、ブラボー!

今改めて此処で聴く、グレン・グルードのJ.S.バッハは一生聴き続けるに値する音楽なのであろうか・・・・・・・・・・?

2021年08月05日 | バロック音楽・オーディオ一般

今回は少しはずかしいようなタイトルを掲げてみました、筆者は大昔バッハ演奏での定評のあるグレン・グールドのLP盤のピアノ曲を聴き、今も強い印象が残る思いがあるが、それは・・・・・・バッハの作曲した曲は多々あり未だ現在楽譜保管がされている曲数は2,000曲余りである事は驚異である。
その内容はカンタータの声楽が多く宗教との関わりが多い、マタイ、ヨハネ、ロ短調等は有名で何度聴いても感激する。神に最も近づく瞬間でもあるが、基本は鍵盤楽器の多種な音楽曲が基本のように思える。勿論チェンバロ演奏も好きではあるが、ピアノ演奏も演奏者も多く演奏者により微妙なニュアンスの違いを探ることもオーディオファンの醍醐味であるように感じます。
思うにチェンバロとピアノの音質は音のトーンの違いがありピアノの音がシビアに感じる、一音一音の違いが鮮明で聞き手の感じる解釈が違うように思う、新しいバッハの凄さを感じるには興味深い違いにバッハの偉大さを感じています。
此の様に音の追求は断然英国のBBCモニターのLS3/5Aでの試聴が断然有利に感じる様に思っているこの頃です。

今にしては笑い話になるが、当時CBS SONY静岡工場のレコードプレス機は名門ノイマン等のドイツの一流のプレス機を直輸入し従業員で組み立て故障等に24時間対応できるシステムと自慢していた、しかもノイマンの音質的にも欧州同等の音質が提供出来ると自慢して技術員が語っていた。このCBS SONYだが実際には音質は最悪で大間違いであった。何故か・・・・・?

視聴すると同時に音質的に余り好きではなくこれがノイマンと疑った事がある、当時売り出したチェンバロ演奏するレオンハルトのLP盤ドイツ製ハルモディア・ムンディ盤のレコード材質は良くなかったが音質は断然良かったと記憶する。この話は多分1973年の頃当時CBS SONYプレスの山口百恵が爆発的にソニーレコードが売れ話題になった頃です。
CBS SONY静岡工場に行ったとき帰りにソニー工場の自慢のサイモンとガーファンクルの2枚組のLPを頂き、素晴らしい録音が最高と自慢され頂いた。喜んでLP盤を持ち帰り試しに早速自宅で聞くが針はすぐに途中で止めてしまった、多くは聴かなかった残念だが全く音が悪い・・・。
 与太話として、勿論帰りは新幹線で帰省するが東京駅までの帰り時間が凄く長く感じた、帰り一杯誘われただ、子供の歩合が悪くと嘘を言って丁重にお断りし急いで帰宅した事を未だ思い出す(笑)



静岡工場の技術者の耳を疑った、これは自分の耳にも疑い皆には公開せず、その後CBS SONYレコードは拒否して聴かなくなった苦い思い出が残る。この問題の答えは録音技術者の未熟のためプレス時に下は30ヘルツでカットする、このようにカットオフしてレコードプレスをすることは常識と言われるようですが、静岡工場ではワイドレンジの音質を提供したいとマスタータープの儘をプレスしたことが音質を逆に悪くした原因のようでした。音作りは実に難しい様である。音響技術者はより多くの音楽の知識があるかも試される職業なんですね!音楽を熟知したプロデューサーが必要な役目があったようなんです。

それ以降CBS SONYプレスと聞く拒絶反応するようになった、人間最初の巡り合わせが悪いと、幾ら名演奏といえど色眼鏡で聴いてしまう。その後色々聴く内に見つけた直輸入のレコード揃っている御茶ノ水のレコード店(ディクユニオン)でCBS SONYの直輸入盤を入手しグレン・グルードの独特のピアノ演奏に魅せられ、まるでジャズ演奏を聴くようで興奮した記憶がある。日本プレスと比べ音色は全く違い高温の瑞々しさは新鮮であった。若さのせいかオーディオ的な聴き方が勝り、基本は今も変わらないが、ここで改めてグレン・グルードのCD演奏を楽しみ聴くことにする。

最近オーディオ関係は余り変化もなく、これ以上の事を望むは部屋から変更しなければ変わらないであろうと思える。取り敢えず今のバランスで聴こえれば我慢できる音楽は聞けているようだ。勿論機材のグレートアップをすればより良い音質は得られるが、筆者は貧困のため難しい問題もある。



以前も紹介はしましたが、昭和27、29年ごろ、五味先生、瀬川先生、菅野先生は、齋藤邸のリスニングルームでタンノイの音を、はじめて体験されている。はじめてタンノイに音に感激したときのことはよく憶えている。と言われて、それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。)のS氏の正体がこの齋藤十一氏なんです。

毎月大量の直輸入LP盤を仕入れ不要なものは処分されたと聞く、ヤン・デンマン『東京情報』デンマンの名は、占領軍のパイロットだった米国人将校の名前が由来で、斎藤の趣味だったクラシックレコードを海外から安く仕入れてくれる友人だった事が判るのだ、戦後はLPレコードは相当高価なものであったのだ。
ここで思い出すは、前回の東京オリンピック開催時代1964年当時初任給二万五千円以下の時代に直輸入LPレコード盤給与の10%2,500〜3,000円もする高級品で、一般には手軽には買えなく当時人気のビートルズ盤も高嶺の花でした。後日日本プレス盤のモノラルのLPレコードを1,500円で購入は記憶に残る。

以下はオームさん(瀬川氏)の文章から引用しました
(昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだが、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった!と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
昭和の次の時代は見たく無いと言っていた、斎藤自身はテレビ放映された自らの姿を「老醜だ。生きているべきではない」と言ったという。翌朝ソファに座ったまま意識を失い、2000年12月28日、死去。86歳没。遺言通り墓石は自宅の漬物石を用いている。)



上記の本「編集者 齋藤十一」単行本が、冬花社から出版され齋藤の愛聴レコードリストも載っているが、詳細を見るとグレングルードが実に多い。この雑誌「新潮」や「フォーカス」を舞台に、類い稀な才能を発揮した齋藤十一。彼の近くで仕事をした人、プライベートな付き合いをした人、それぞれの見た齋藤をまとめ、「伝説の編集者」の実像を浮かび上がらせる。
 
続いて(そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。
雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本物の音がした。
それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。)と綴られた文章を思い出す。




旧録と新録どちらも入ってる
Glenn Gould Plays Bach: Goldberg Variati (2枚組)

思えばグルードが1982年10月4日亡くなり39年過ぎるが、演奏を聴けば独特の節回しの演奏が新鮮である。全く人気が衰えない伝説のピアニストの魅力に迫りたい。まずは伝説の始まりとなった1955年録音のバッハ「ゴールドベルク変奏曲」であろう。今回購入はとりあえず筆者好みのバッハの曲3枚を選びCD購入を思いつき注文する、海外からの発送となるようである。



Glenn Gould Plays Bach: the 6 Sonatas Fo (2枚組)

ここで良い音とはどの様な音か?と自問すると、以前より思っていた音が聴きたい、答えは上質の蓄音機の上質の朝顔形のラッパで直輸入SP盤を竹針の自然な音で聴く音は興味津々である、スクラッチノイズを出来る限り抑えた自然な感じの音が聴きたいものです。



Bach: The Well-Tempered Clavier, Books I & II (4枚組)

今回海外から送られた梱包の送り状を記念に撮って置きました。早速試聴するが、中々リアルな音に、独特のグレン・グルードの演奏に満足した・



15日後に到着して開封する、実に恥ずかしい事に、今まで敬遠した事にも大いに関係はあるが、Bach: the 6 Sonatasは初めての試聴になる。

また違ったバッハの解釈でもあるような演奏、グールドが好きで、特にバッハはどの曲も彼の独壇場とも思えるほどの演奏に感激しています。ヴァイオリンとの掛け合いですが、グールドのバッハらしく主導権はピアノが握り、ヴァイオリンとチェロはピアノの導きに従い、一定の主張のなかで個性を発揮しているように思いました。これもグールドの傑作の一つと感じております。

ヴァイオリン・ソナタ集 ハイメ・ラレード、グレン・グールド(2CD)
バッハ:ヴァイオリン・ソナタ集(全6曲)(2CD) グレン・グールド、ハイメ・ラレード

【収録情報】
 J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ集
Disc1
 1. 第1番ロ短調 BWV.1014
 2. 第2番イ長調 BWV.1015
 3. 第3番ホ長調 BWV.1016
Disc2
 4. 第4番ハ短調 BWV.1017
 5. 第5番ヘ短調 BWV.1018
 6. 第6番ト長調 BWV.1019

 グレン・グールド(ピアノ)
 ハイメ・ラレード(ヴァイオリン)


 録音時期:1975年2月1-3日(1,2) 、1975年11月23,24日、1976年1月9-11日(3-6)
 録音場所:トロント、イートン・オーディトリアム
 録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)
 DSDマスタリング



全てがグールドの色に染め上げられた、オンリー・ワンのバッハです。

グールドの録音はそのほとんどがソロであり、協奏曲はもちろん本作のような室内楽作品も珍しいところ。グールドが共演した最後のヴァイオリニストであったハイメ・ラレードとのバッハのレコーディングは、慎重な人選の結果と伝えられています。思慮深く、また刺激的でもあるバッハは、まさにグールドのもの。グールドはラレードとのさらなる録音を望んだようですが、実現されなかったのは非常に残念なことです。



ハイメ・ラレード(Jaime Laredo, 1941年6月7日 - )は、アメリカ合衆国のヴァイオリニスト、指揮者。ハイメ・ラレードという表記はスペイン語の発音に準ずるものだが、英語読みに従って、ジェイミー・ラレードと呼ばれる場合もある。

グールドの録音はそのほとんどがソロであり、協奏曲はもちろん本作のような室内楽作品も珍しい。グールドが共演した最後のヴァイオリニストであったハイメ・ラレードとのバッハのレコーディングは、慎重な人選の結果と伝えられる。思慮深く、また刺激的でもあるバッハは、まさにグールドのもの。グールドはラレードとのさらなる録音を望んだようだが、実現されなかったのは非常に残念なことである。

グレン・グールド(ピアノ)は1932年9月25日にカナダのトロントに生まれたグールドは、幼い頃からピアノ演奏における特別な才能を発揮し、将来を嘱望されるピアニストとしてカナダでは有名な存在だった。その彼が世界的に注目されるきっかけとなったのが、1956年1月に発売されたデビューアルバム『ゴールドベルク変奏曲』は圧巻です、録音の古いものと新しい物の2枚組。



その才能を見込まれて名門コロンビアとの専属契約を果たした当時23歳のグールドは、デビュー作にヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)の『ゴールドベルク変奏曲』録音を主張。当時は人気曲ではなかった同曲でのデビューに難色を示したレコード会社の重役たちを説得して行われた録音の記録こそが、今回発売になった『コンプレート・レコーディング・セッションズ1955』そのものだ。

クラシック史上屈指の変人
グールドを語るうえで欠かせないのが、奇人とでも言えそうな存在感だ。 その特徴は、ピアノを聴きながら口ずさむ鼻歌(録音でもはっきり聴こえる)を筆頭に、父親手作りの極端に低い骨組みだけのピアノ椅子。 こちらは折りたたみ式で4本の足の長さが調整可能というキワモノだ。



極端な寒がりで、『ゴールドベルク変奏曲』の収録時には、穏やかな6月だったにもかかわらず、コートにベレー帽、マフラーと手袋を着用してスタジオ入り。演奏前には湯を張った洗面器で腕を温めるという儀式を行うのもグールドならでは。休憩時間にはスタッフの食べるサンドイッチを眺めて顔をしかめながら、持参したビスケットとミネラルウォーターを口にしたという様子すらも、今では微笑ましい伝説だ。

それもこれもあのすばらしいパフォーマンスがあったからこそ容認されたことに違いない。
発達障害天才説は誤解を生む場合が多いので好きではないが、それでも発達障害ゆえのユニークさで、世界を引っ張り、人類を新たなステージへ導いてくれる人がいることに、発達障害への価値を感じることも事実。



グールドはカナダのピアニスト(クラシック)。1932年に生まれ、1982年に50才で亡くなった。今彼の作品を聴きながら思えば亡くなって40年程前である、今聴くもグルード独自の方法でバッハを理解し表現したかを思えば、バッハは如何に奥の深さ伺える。

最近はグールドの演奏はLS3/5Aでの試聴が多い、勿論タンノイの10吋の音も良いが、中音から高音での渋めの張りのあるLS3/5A独特のピアノ音の良さに気づいたのです、勿論アップライトの音と違いグランドピアノ独特のふくよかな音が好きである。フォルテを2段チェンバロで上下段両方で鍵盤を叩いて出すがピアノは鍵盤を強打したりペタル操作でフォルテを演奏醸し出す、違いはエンクロージャーの素早い対応が音の違いを引き出すように感じるこの頃である。敏感に対応できるユニットは直径が小さなものが有利である。BBCのモニターと言われる由縁はLS3/5Aのユニットを見れば理解できる様です。本家KEFのユニットは今も変わらず10cmコーン型をメインに使用していることが証明している。

当時仕事の関係で静岡工場には何度も行った事があり、Sonyレーベルの音質に疑問を持ち、発売していた当時の静岡ソニー工場でのプレスであろうと、今思えば録音は悪くても偉大なグルードの演奏は若い時期に聞くべきであった。
早くグレン・グールドを聴くべきと今仕切りに猛反省をするべきで、正直録音の良し悪しよりLPレコード、CD等のソフトから聴こえる演奏者の演奏そのものと反省する。
後何年音楽を楽しむことが出来るか分からないが、演奏者の表現する声を感じながら、試聴して行きたい。ブラボー!