伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

これがフィギアスケート「氷艶」か?宮本亜門の描く光源氏、平安時代の絵巻物をアイスショーで楽しむ。

2019年07月28日 | 写真撮影

2017年にスタートした「氷艶」は、フィギュアスケートを通して日本文化を紹介するアイスショー。

2弾となる今回は「源氏物語」を題材に、高橋が主人公の光源氏を、ステファン・ランビエルが

朱雀君を、あらき静香が弘徽殿女御を演じるほか、柚希礼音、平川綾香、村上佳菜子、福士誠治、

波岡一喜、西岡徳馬らが出演した。

少し前にカミさんよりフィギアスケートの観覧に誘われチケットを申し組むと言われ3枚申し込み

結果見事当たったそうで2019.7.26の17:00開演のチケットでした。

当日会場まで車で向かう、スムースに会場近くの駐車場に駐車し会場まで約5分ほど歩くと、

開演30程前には横浜アリーナ到着、会場近くには沢山の入場者が集まっていた、ミストが吹き出し

雰囲気も良い、圧倒的に女性の数が圧倒的に多くフィギアスケート人気に圧倒される。チケットは

アリーナ席2階であった。

一応望遠400mmを持参したが、撮影禁止のコメントがありカメラは車に仕舞う。

本日はチャンスがあればスマホ撮影になります。

筆者はこの源氏物語については詳しく知らなく大凡は光源氏が愛した女性は、最初の正妻であった

葵の上(左大臣の娘)をはじめとして、六条の御息所(前皇太子未亡人)・空蝉(伊予介の後妻)

・軒端荻(伊予介前妻の娘)・夕顔(義兄頭中将の愛人)・藤壺(義母)・紫の上(藤壺の姪)

・末摘花(故常陸宮の娘)・源典侍(老女官)・朧月夜(兄朱雀帝の尚侍)

・花散里(桐壺帝麗景殿の女御の妹)・五節の君(大宰大弐の娘)・明石の御方(明石入道の娘)

・女三の宮(朱雀帝第三皇女)らがおり、この他にも侍女の中務の君・中納言の君らも源氏から愛

されています。また作中にはその名を記されていない愛人たちも相当いたようですし、男女関係はな

かったものの源氏から愛された朝顔の斎院(源氏の従姉妹)や玉鬘(夕顔の娘)らもいます。

光源氏は『源氏物語』五十四帖中第一帖「桐壺」から第四十帖「幻」まで登場する。日本最大のモテ

男と称される。事の程度しか知らないが・・・・・

17時開演の観覧、早速席を探し鑑賞する、ただしカメラ撮影は禁止、場内カメラを構える人はいなく

開演前の雰囲気をスマホでの撮影は皆さん撮っていた、それにしても最近の日本人のマナーの良さに

は驚く。少し違った演劇と見れば良いのであろう?歌舞伎とも違い?オペラとも違う?

ここに今回のわかりやすい相関図を案内します。

感じたことは歌の無いオペラと思えば新鮮に感じる、この辺りは宮本亜門さんお演出の旨さが光る、

ストーリーはテンポも良く見どころ沢山で感動部部も多数あり、後日BS放映される予定とのことでし

た。撮影は出来ないのでネットから写真は拝借した。

途中休憩にに入るが、観客の皆様は小走りに席を立たれる?

理由はトイレである、会場はトイレもたくさんあるが勿論男子、女子トイレもあり男子トイレは女性

に開放し場内男子トイレは2箇所しか無くトイレまで相当歩かねければならない。それでもトイレの前

の女性の行列には驚く、小走りに走り去る理由が解明した(笑)

実は筆者は昔癌の手術ををし昨年は前立腺がんも確認され昨年放射線治療を行い現在経過検査を3ヶ月

毎に通院している、以前尿道結石で1時間に一度は用達したことがあり健康第一と染み染み痛感する。

氷上舞台は後半と続くが後半の和太鼓の演技から始まる舞台は壮観であった。

松浦役の柚希礼音、咲風役の村上佳菜子、悪役陰陽師、織田信成で更に盛り上がりフィナーレに繋ぐ

流石タカラジェンヌ柚希礼音の歌も演技も目を瞠る、舞台が締まります。

勿論ショー的要素も多く楽しめました。

最終はフィナーレで初めてのスマホでの撮影解禁と相成り楽しんだ時間でした。

氷上舞台を周り挨拶しています。

入場者は略満席状態でやはり大勢の人が帰るときも全く騒がず粛々と家路に食事にと散っていく

このような後景は日本人のマナーのよさを誇れる姿かも知れない。

台風予想も心配したが、風の強い程度で我々も横浜アリーナを後にした。

お腹も空いたので徒歩10分程度で行ける新横浜ラーメン博物館での食事をする。

入場券を購入し博物館の見学、勿論ラーメンを一番始めに試食した水戸光圀のことも掲載されている。

地下に降りラーメンを選ぶとそこには昔懐かしい景色が広がる、

昔良く見た屋台の支那そば屋さん高速下等でよく見かけビールをのみ支那そばを啜った記憶がよみがえ

る勿論当時は支那そばと言ったな・・・?

まるで昭和初期に舞い降りたようです。

階下にに降りるとそこには懐かしい景色が広がる

懐かしいタバコ売り場、雰囲気があります。

場末クラブ?昔若い頃最初入店するのに勇気がいった覚えが蘇る。

パチンコ屋、等まるで昭和30年代を垣間見るような景色に懐かしさを覚える

本日頂くラーメンは

20分程並ぶが人気の高いショップを選んだ、常連らしき人達が言うに、

今日はあまり並んでいないと囁いていた

日本三大昆布「利尻昆布」をふんだんに使った「焼き醤油らーめん」「利尻らーめん味楽」

を頂く、勿論食券機会も昔風である、当時と違うは価格だけのようです。

麺もこしがある兎に角スープは旨すぎる。

お腹も満足し、懐かしい風景を後にする

それにしても1日2ステージの3日間公演は余りにも少ない公演の気がした。

BS日本テで10月5日(土)17:00放映のアナウンスがありました。

横浜アリーナでの観覧はサマー用の長袖持参しましたが大変役に立ちました、意外と寒い!

今回の写真はすべてスマホの写真で撮りました、望遠レンズ400mmは持参したが使いませんでした。

駐車場に戻り新横浜を後にする、充実した観劇に、ブラボー!


新しいRCAケーブル、スピカーケーブルの交換LANケーブルKB-T8で自作、試聴でイゾルデ・アールグリム(Isolde Ahlgrimm)のチェンバロ演奏で検証する。

2019年07月25日 | クラシック音楽・オーディオ

勿論皆さんご承知の名称でチェンバロはドイツ語で、ハープシコードは英語で、クラブサンはフランス語なんだが、筆者も今更ながら曖昧に適当に言っているがこの言葉の日本語は無いようで有名なチェンバロ曲がドイツに多く今後チェンバロに統一しようと思っている。

話は変わるが、つい先日(約1ヶ月前)に交換したケーブルの新顔が発売された、いつもの病状が現る、電線病患者から夢遊病患者1号か?(笑)LANケーブルKB-T8が発売され、以前ケーブルKB-T7Aより音質は良くなったと掲載されていた、実に興味深い内容でした。

ただし現在は高い動画解像度8Kより速いリフレッシュレートをサポートします「hdmi ケーブル 2.18K」ケーブルが一番良いと自作下からの報告もあり、RCAケーブル、スピーカーケーブルが良いと聞くが、KB-T8のコード購入したので、それぞれのケーブルを自作したが、でも大変気になるhdmiケーブル 2.1 8Kは次回にしましょう。

KB-T8と比べコードも益々増え配線が複雑そうである。この接続詳細を解明してからの自作にしよう。勿論撚り線ではなく単線である。

前回購入のLANケーブルKB-T7Aの発売からあまり月日は立たないが世の中は現在最新はKB-T8を販売している。この間T7Aを知ったが最先端はT8なんですね。

T7Aの違いは若干の伝送速度40Gと随分早い程度と、被覆の青の色が以前より明るくなった感じで余り変わりない。 

勿論支那製品もメートル千円以下で販売しているが購入は日本製の其れも単線使用のサンワサプライの製品が良いと思う、ネット上には音質向上との書き込みもあり、正直余り期待はせずに電線病患者として、無意識の購入ボタンを押して購入に至る、(笑)

当然10mm用RCAジャックも用意する。当然のようにスピーカーコードも片側3mを自作する勿論RCAケーブルも4本自作に至る 因みに価格も1m¥2,916から1m¥3,456(¥3,200)に高くなっていた。

またRCAケーブルはもっと短く作りたいがケーブルが単線で8本で作られているため、相当固く通常のケーブルのように50センチ程では不便極まるケーブルではある。その点はHDMIのハイスピードケーブルが優位かも知れない、一度試してみたいきもするが、こうなると本当に泥沼である。

特徴はEIA認証ケーブル品質とプラグ内のより戻しを極限まで抑えることにより、次世代イーサネット40GBASE-T(40Gbps)に完全対応します。 エンハンスドカテゴリ5の20倍、カテゴリ6の8倍の伝送帯域である2000MHzをクリアします。帯域が広いほど高速伝送が可能になり、データエラー防止効果があります。 

CAT8 LANケーブルは各4対のペアと外周をそれぞれシールドする「二重シールド」構造のため、EMI/RFIノイズ対策も万全で、複数本束ねた状態での使用が可能になります。極太AWG22芯線を使用していますので、PoEaf、PoEat、U PoEをはじめ、これからのPoEbtにも対応しています。 構造は以前のKB-T7Aからは変わって無いようです。

ケーブルを交換し、早速試聴する、あまり期待しなかったが、以前よりクリヤー感が増した様に感じた。確かに以前のケーブルと比べ速度が速くなった為、音質が一層クリヤー移動するようなったのかも知れない。幾分音源が近くなったように感じたが対して違いは微妙である、音質向上は伝える速さに関係があるのかも知れない。

確かにJAZZ等を聴くと、ピアノタッチのキレが良くなり、ドラム等のアタックも意外とストレートに伝わる、一口にスッキリして聴ける、まあ微妙に良くなった感はある。

勿論スピカーケーブルを繋ぐ接続プラグの金属はロジウムの物を使いRCAケーブルの10mm経の物を使用する。条件は以前のケーブルと同じ条件での接続をする。

スピーカーケーブルの先はまとめよく捻りハンダ付けを行う。ただし筆者はこのような作業は不器用なので相当の時間が必要でこの作業にも1日は必要である。

まだスピーカーケーブルは1本の線より2本のケーブルを使い製作が良いが、8本を束ね1本にする方法が更に音質は向上するのかも知らないがケーブルコストは倍の予算が必要であるので今回は、前回同様のケーブルを製作しパワーアンプに接続した。

4本をまとめ半田で4本のコードをまとめ溶接した。以前と比べ若干コードの色が薄くなった感じであまり変わらない。しかしLANケーブルも機材が対応してない物に7Aとか8を使用すると、むしろ弊害の恐れがある為LANケーブルとしての使用は機材を十分注意されたい。

またPCのLANケーブルジャックは周りが金属でない場合は従来の物の仕様がベストだと思う。

筆者所有のSVの音の特徴は501SEは流麗さ、音の粒の細かさと色彩の多さが特徴である、兎角ある程度のメンテナンスをすれば容易に綺麗に鳴ると思う事は確かだが、今後の希望はSV91Bの音が求める音かも知れない。

それはSV91Bは力強さが特徴で音が塊で前に出てくるのが特徴ないものねだりのようである。

演奏の奥行きを感じたいのならSV91Bの力が必要かも知れない。

早速好きな演奏者を聴いてみました。 チェンバロ演奏者、イゾルデ・アールグリ(IsoldeAhlgrimm1914-1995)筆者もよく聴くフライブルク生まれの鍵盤楽器奏者。また同年生まれのエディット・ピヒト=アクセンフェルト(1914-2001)と同じ生まれであるる、

アールグリムは、ウィーン、そしてその後ヨーロッパ、アメリカ各地で、バロックとクラシックの鍵盤楽器が復活した重要な先駆者でした。

彼女は、ヴィクトル・エベンシュタイン、エミール・フォン・ザウアー、フランツ・シュミットの指導のと、ウィーンのムシカカデミーでピアニストとして教育され、1934年に彼女は1938年に結婚した、

夫は楽器コレクターであるDr Erich Fialaに出会い、彼の活動は彼女に初期の楽器の世界を目覚めさせたようです。

Michael Rosenbergerによる1790フォルテピアノを使用して、アールグリムは初期の鍵盤楽器のスペシャリストとして彼女のキャリアを1937年2月にウィーンのPalais Palffyで与えられた彼女の有名なシリーズの最初のシリーズで始まったようです。

今回、1735年バッハがクラヴィーア練習曲集第2巻を作曲した。

二段鍵盤のために書かれたその第1曲が「イタリア趣味による nach italienischem Gusto 」、通称《イタリア協奏曲》と呼ばれる作品である。

J.S. Bach: Italian Concerto in F Major, BWV 971 - 2. Andante 

 

明朗快活な快い楽章と優美な楽章、急-緩-急の3楽章から、これら3つの冒頭の恩恵は明確な関連を持っている。

原題は『イタリア趣味によるコンチェルト(独語:Concerto nach Italienischem Gusto)』『フランス風序曲』BWV 831とともに、『チェンバロ練習曲集第2巻』として1735年に出版された。この曲はバッハが存命時にも大変人気があり、バッハの作った曲を「誇張や過度の法」「自然に反し、

くどくどしく理解し難い」と批判したヨハン・アドルフ・シャイベ(クラヴィーア教授)でさえも、この曲に対しては「単一の楽器で演奏する協奏曲の最大、最高の曲である」と賛辞を送ったほどであった。

それにしても素晴らしい演奏はペダル・チェンバロを使用しての演奏、重厚な音に圧倒され録音も良く実にバッハの演奏を聴く実感があり、このペダル・チェンバロの音の響きが魅力的に聴こえる。

確かにこのような厚みのある低音のチェンバロを聴くとケーブルの違いがよく分かるようだ。勿論以前のケーブルも違いはわかるが重厚な低音の音に違いがわかった。

  フーガの技法 BWV1080

 Die Kunst der Fuge (The Art of Fugue), BWV 1080

 Isolde Ahlgrimm (ペダル・チェンバロ)

  Friedericke Resele (チェンバロ)

録音:may1967 Vlenna,Austrla

Die Kunst der Fuge (The Art of Fugue) , BWV 1080: Contrapunctus I 

彼女のバッハのプログラムの中にそのような当時物議を醸す音楽作品やフーガの芸(BWV1080)のような作品に含まれていましたそして、今回ペタルチェンバロの演奏を聴き今までの演奏家より重厚に感じた、いかにもバッハの演奏らしく聴けのは筆者だけなのであろうか?このあたりのペタルチェンバロを聴き分けるのは今後の課題であるようです。

特に現在使用SV501SEは流麗さ、音の粒の細かさと色彩の多さだけではなく力強さ、奥行きが欲しくなります。ハープシコードでの後者の作品の演奏を主張する最初の演奏ミュージシャンの一人でした。

彼女は4才の時に、ブラームスからのキスでその音楽性が報われていた熟練したピアニストから、4歳で彼女の最初のピアノレッスンを受け、7歳の時に彼女はウィーン音楽アカデミーに入学し、1932年に卒業証書を取得しました。

夫婦はウィーンで数々のバロック音楽とロココ音楽を演奏し、ソリストとしてバッハのチェンバロ全曲とモーツァルトの全ピアノ作品を1787年の "hammerklavier"で演奏した。

彼女は楽器の練習だけではなく、楽器タイプのペダルボードが必要だと確信しました。

彼女のAmmerペダルハープシコードを演奏するMs Ahlgrimmの独特の美徳的で、ほとんど即興的なスタイルの組み合わせは、他の演奏者がまだ我々の知識に達していない方法で驚くべきことにこれらのトッカータの演奏かも知れない。

アールグリムの重点は、アーティキュレーションとその音楽の基になっている修辞的伝統に重点が置かれていました。

この濃度は、後から明らかであるよりも、実行すると教育彼女でより顕著になったJSバッハのフィリップスのためのレコーディング、世紀の音楽グスタフ(マリア)レオンハルトも彼女との交流もあったようです、アールグリムのリラックスしたテクニックは、18世紀の資料、特にフランソワ・クープラン、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ研究に基づいていました。

バッハ、ラモー、トゥルク。本物の18世紀の楽器での彼女の初期の経験も、チェンバロとフォルテピアノの両方でのパフォーマンスへの彼女の本質的に歴史的なアプローチの一因となっていまた。初期のキーボードスペシャリストとして、彼女は基本的に独学で学ぶ、彼女は1945年から1949年までの間、そして1964年から1984年までの間、ウィーン音楽院の教授でした。

また、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、ジークフリート・パンクとチェンバロ奏者、アールグリムの共演による1978年録音盤ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者ジークフリート・パンク。

東独生まれ。1952年からライプツィヒ音楽大学でチェロを学び54年に卒業、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管に入団。56年頃からガンバの演奏を始め、トーマス教会聖歌隊のカンタータ録音などに参加。

ライプツィヒの古楽アンサンブル、カペラ・フィディチアや、ラモー・トリオの一員として活動。95年には、やはりライプツィヒで古楽アンサンブル、中部ドイツ・バロックゾリステンを結成している。

Viola da Gamba Sonata in G Minor, BWV 1029: I. Vivace 

オブリガードチェンバロの様式での演奏も実に心地よい演奏で、これも残したい一枚になるようです。

彼女はハープシコードのためにJSバッハの事実上全部の演奏を演奏しそして記録した最初の人でした。

彼女は1949 - 50年と1952 - 53年にウィーンで12のプログラムでバッハサイクルを行った、最初のバッハサイクルの4つのプログラムのためのプレコンテストでの約600人の購読者の前に、Ahlgrimmはバッハの最後の作品、フーガの技法をキーボード作品としてのそのオリジナルの形式で演じる最初のハープシコード奏者でした。

その時、彼女の若い同僚であるグスタフ・レオンハルト(1928年生まれ)にも大変な影響をあたえたようです。

現在は静かに眠っているようですが、是非思い出して聴きたいチェンバリストでもある。RCAケーブル、並びスピーカーケーブルを最新のものに変更し試聴するが、音質は間違いなく良くなった、がWEケーブルで聴き直すと、まるでルノワールの絵を見るように主題はピントが合い、あとは少し程よくボケ味が良い。

WE製品の良さを想わず知ることになったようです。ブラボー!


盛岡の友人と久しぶりにオーディオ談義で盛り上がる、アンドレ・クリュイタンス指揮のボレロを聴いてみた、今もワグナーのタンホイザーが光る。

2019年07月17日 | クラシック音楽・オーディオ

先日盛岡の友人たちと青森〜秋田観光を楽しむ、最終日は久々のオーデイオ談義、音楽談義?今回の友人他のその中でも一番古いのは友人Y氏は47年もの付き合いになる。

オーデイオ仲間でもあり、今回は音楽について久しぶりに語る・・・・・ほんの短い時間彼の部屋にお邪魔した。現在Y氏は独身生活を謳歌して、只今正に青春其の物かも知れない?

早速美味しい珈琲を淹れ、飲みながらオーデイオ談義が始まる、彼のシステムはトールタイプのスピーカー4台とプリメインアンプとCDプレイヤーのシステム。

勿論DACなどは無くipadからYouTubeをダイレクトに繋ぎ、聴く感じになっている当然接続ケーブルも気にしない。音楽はBGM的に聴いている、流石元東芝音響事業部に所属したのは伊達じゃない、流石音のバランスが大変良い。

今でも筆者は東芝製の真空管、パワーアンプの初段MT管(6BM8)にも使用しているが、オーディオ業界ではあまり注目されなかったメーカーも基本は大メーカー、頗る良いアンプも作っていた、特に筆者はオーディオの一番最初は日立のスピーカーを使っていた。

実に落ち着いた音が記憶に残る以前筆者もAurex SC-M15/SC-M15KのパワーアンプをBTL接続でモノラルパワーアンプで使用していたが、素直な音が特筆ものでした、今も保管している。

兎に角素直な音質でヨーロッパトーンで鳴り意外と底力もあり良いメーカーであった。

彼曰く東芝もAurexでオーディオを継続していればさぞかし良いアンプが出来上がったいただろうと呟く、真空管を超えるアンプも夢ではなかったとい言う、確かにオーレックスサウンドとして音楽イベントも相当な広告費を使っていたようだ。

彼の部屋で響くシステムはとにかくすべてヤクオフで揃え¥15,000の音だよと笑いながら言う、流石だね、とにかく音のバランスが実に良い、この10センチのトールスピーカーは絶妙の音がする。しかし考えるとLS3/5aも10センチ程のスピーカーで十分鳴っている。

構造はバックロードホーンになっていて小さな5インチでもある程度の低音は響くバックロードホーンの効果の良さであろう。長方形のバックロードホーンで低域をある程度カバーしているそうですが妙に良いバランスです。

バックロードの余裕のある自然な響きは面白い。スピーカーが1,000円なら激安だ!4本で4000円と言う、此の音で4,000円は超安価だ!

BGM程度は十二分である、グランドピアノの音、ヴィンテージヴァイオリンの音は問題もあるが・・・また、オーケストラは勿論容量不足だが、でも音楽を楽しむのはこれで十分である。

例えばゴンチチなどは良く響く。細かな処は問題は随分あるが、妙にバランスが良く、筆者の家の音と比べると思わず笑うしか無い。突き詰めて行くと全てに不満だらけだが、一般的に音楽を楽しむのはこの程度で十分であろう。ミニコンポと比べると低域もある程度響き、あまり拘り過ぎの音は音楽性を失ってしまうのかも知れない。

現在筆者も書斎で音楽を聴いているのだが音に神経質になり過ぎないように、実に反省部分は大きいようだ、真空管の違い、RCAコードの違い、等言ってみても所詮、要はバランスが重要ででならなければ、何の感銘は受けない。音楽とはそんなもののような気がした、会話のバックミュージックとして響く音としては十分である。


ここで思い浮かべるのは五味先生も文中で北鎌倉の「S氏」こと齋藤十一(1914-2000)氏である、音楽愛好家としても有名で、オーディオはデコラを愛用していたと言われる、ことにデコラのバランスの良さを愛用していた訳であるが、全く次元が違うが音のバランスとう言う考えて方はまちがってないと思った。

確かに感銘する音楽を聴くと少々音域のレンジは狭くても多少のスクラッチノイズ等も気にならず素晴らしい演奏に聴き惚れる、筆者も余り知らないが19430〜40年代の演奏者の中には未だ知らない人たちが沢山いると思う、今後は知らない演奏者を見つけ視聴することにより、自分の中で音でなく音楽で浄化される如きです。

今後も聴いたことのない演奏者も探っていきたいと改めて思いました。

何処は◯◯の真空管がよい、ケーブルはこれが良いなど全く関係ないのだ。そこには間違いなく音楽が響く。勿論子供の時代の話になり私は確か小学校3年ころ、親父の膝にすわり78回転のSPレコードを聴いた記憶があり、当時はゼンマイ仕掛けのサウンドボックスと称していた、勿論彼も知っていた。曲の途中にゼンマイを巻かなければ回転が遅くなり不自由だがその後電気モーターの電気蓄音機となり真空管アンプで増幅しそれまでより大きな音で聴けるようになる。

ゼンマイ仕掛けのサウンドボックスでは低域の再生は所詮無理で、音を自分の中で想像して聴いた覚えがある。彼も頷き昔の映画でバックにボレロが流れていた映画が有名だったそうだ。

筆者の実家に残るSPレコード盤もこのような状態であろう、一度整理にいかなくては・・・

そしてオーディオ談義と相成る、タンノイの創始者、ガイ・R・ファウンテン氏がオートグラを世に出したことは有名だがTANNOYIIILZはガイ・R・ファウンテン爺さんが本当にこれで良しと思い世の中に販売したかは疑問だ、多分TANNOYヨーク程のエンクロージャーに入れ音楽を楽しめることのシステムとして販売したかったであろう。

勿論IILZは銘器に変わりわ無いが、弦楽四重奏、少人数の演奏など音楽を選ぶ癖の強い傾向のある、ピアノ曲も良いがグランドピアノらしい響きはどうしても低域不足が感じる、欲求俯瞰になる。

システムを頑固なガイ・R・ファウンテン爺さんが許すはずは無い等の話題に盛り上がる。

筆者は現在Y氏の行為により、AXIOM80の箱頂き、この箱に移植して聴くが申し分無く低域も満足している、思うに、ガイ・R・ファウンテン爺さんもⅢLZこのようなシステムを発売したかったかもと思う。

勿論、ワグナーもベートーヴェンの交響曲も一応全ての音楽を聴けるⅢLZの販売も夢だったのかも知れない。

など最後はTANNOYⅢLZの話で盛り上がる。今回お盆の祭り五所川原立佞武多のまつり、今年もあと1ヶ月余りでお盆が来る、親父が他界して早13年以上すぎてしまった、

その後楽しいひと時は終わり私は家路につく、帰りのバスの中で続きを思い浮かべる記憶の中で好きなバッハの鍵盤音楽が、時にはベートーヴェンの交響曲7番が流れる、我が家は浄土真宗大谷派のようだ、この宗派は京都本願寺に骨を納骨する風習があるようです。

以前は真言宗の宗派ときく、江戸時代以前男子に恵まれず養子で繋いだ時期が続き、そんな時期に宗派を親鸞聖人の解く「正信偈」の経文で有名な浄土真宗に変わったそうである、現在実家近くの土地は代々続いたそうである。

お経は「帰命無量寿如来 南無不可思議光」から始まる有名な「正信偈」この2行は

「無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる」と読むそうです

経の最後は、「道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」で締めくくられています。

「道俗時衆、共に同心し、唯、この高僧の説を信ずべし」と読みます。「道俗時衆」とは、すべての人のことです。

と坊さんが年忌参りの時に「お言葉」を言うことを最後にお開きと相成る。

信長が、どの大名よりも本願寺に手を焼いた事を踏まえて、「家康がその勢力を分断する為に東西に分けた」と考えられます。当時は相当の信者がいて親鸞が広め教如が二分化したとも言われるが日本も宗教による歪み合いがあったようだ。

南無阿弥陀仏と唱えれば天国に行けると、実に単純な教えだそうである。

来年は父母とも京都に納骨に行こうと思っている。此のように偶に思い出すことが供養だと思う。

筆者に親父の思い出は小学生低学年時代に蓄音機の前に座り、蓄音機のゼンマイのハンドルを回し、大切に30センチほどのSPレコードを良く聴かされた思い出がある。

勿論「ロレボ」「女のルルア」と表記されたのは覚えています、(笑)

ラヴェル:管弦楽作品集第1集

  1. ボレロ

  2. バレエ「ラ・ヴァルス」

  3. スペイン狂詩曲

  4. バレエ「マ・メール・ロワ」

  5. 高雅にして感傷的なワルツ

 [演奏] アンドレ・クリュイタンス指揮 / パリ音楽院管弦楽団

ラヴェル - ボレロ. クリュイタンス / パリ音楽院管弦楽団 

ラヴェル:管弦楽作品集第2集

  1. バレエ「ダフニスとクロエ」

  2. クープランの墓プレリュード

  3. 古風なメヌエット

  4. 道化師の朝の歌(「鏡」第4曲)

  5. 海原の小舟(「鏡」第3曲)

  6. 亡き王女のためのパヴァーヌ 

[演奏] 

アンドレ・クリュイタンス指揮 / パリ音楽院管弦楽団

ビゼー:「アルルの女」第1組曲、第2組曲、「カルメン」組曲他

[演奏] 

アンドレ・クリュイタンス指揮 / パリ音楽院管弦楽団

ボリス・クリストフ(バス)(13-15)

聴けば確かに名曲で演奏も大変素晴らしいが、幼少のころ親父と聴いた蓄音機の音が綺麗な思いでが蘇る。

アンドレ・クリュイタンス指揮の/ボレロ・バレエ「ダフニスとクロエ」「アルルの女」第1組曲第1曲:前奏曲・「カルメン」第1組曲前奏曲等の曲を聴いた思い出がある、そして筆者も成人になり私も30代後半に親父に会った時、久しぶりにレコードでもと誘い、

親父のリクエストで昔の映画の主題歌「駅馬車」テーマソングを掛けると、親父がつぶやく「ホコリが目に入るようだ」と漏らした言葉が今でも思い出になって残る言葉だ。

確かに音楽を聴くと思い出が蘇る、貴重な言葉かもしれない。

音いじりするより1枚でも多くの曲を楽しむことが一番重要かもしれない?この歳になりこの言葉の重みを感ずるようになる。

ベルギー出身の名指揮者アンドレ・クリュイタンス(André Cluytens, 1905.3.26~1967.6.3)は、フランス音楽を中心にベートーヴェンやワーグナーなどのドイツ音楽をも得意としたレパートリーの広い音楽家です。

特質スべきは、ワーグナー指揮者クリュイタンスの真価ここにあり!

伝説的1955年の「タンホイザー」、これが実に感動物のCDである。正規盤で登場!帰ってからワーグナー:歌劇『タンホイザー』全曲を聴く。

Wagner: Tannhäuser Overture, Cluytens (1959) ワーグナー タンホイザー序曲 クリュイタンス 

クリュイタンスをフランス音楽の専門家と思ったら大間違い、1950年代にはクナッパーツブッシュ、カイルベルトと並んでバイロイト音楽祭の三大柱の一人でした。

それも当然、この「タンホイザー」の驚くべき音楽!録音:1955年8月9日、バイロイト祝祭劇場(ライヴ)これも名盤の一つに挙げられる。

持ち味の明晰な響きと揺るぎない見通しの良い構成に加え、音楽が前へ前へと向かうカロリー燃焼度の高さ!「タンホイザー」ってこんなにエモーショナルだったっけ?と作品を見なおし、再度じっくりきいてみますと細かい部分まで雄弁で、心底惚れ惚れとするワーグナーです。

しかも歌手が神様ばかり。完璧としか言いようのないヴィントガッセンのタンホイザーに、頭に来るほど巧いF=Dのヴォルフラム、渋~いグラインドルの領主、ブロウェンスティーンの渾身のエリーザベトなどなど聴きどころ満載である。

仕事場兼居間でゆっくりベルギー出身の名指揮者クリュイタンス指揮のワグナーを聴く、

タンホイザー好きには是非、ブラボー!


初夏の東北を行く、貧困老人(俺たち)の旅。Part Ⅱ 実に楽しい旅でした。

2019年07月16日 | 旅行

さて貧困老人(俺たち)の旅。Part Ⅱである、二日目です。 帰った翌日は仕事で、記憶の残っているうちにブログの更新をしなければ・・・・と思い写真の整理から始める。

誠に残念なのがせっかく晴天でも岩手山の勇姿は撮せなかったことかな?

貧困老人(俺)たちの旅二日目

青森泊の翌日は朝9時出発、朝食のバイキングを頂き支度するが、生憎の雨模様・・・・でも本降りではなく小ぶりであるが、本日のコースも室内見学中心にコースを変更する、実はメンバーの中に青森出身者がいて、精通しているので、名所の引き出しが多く大変ありがたい。

残念は弘前城は車の中より眺める、春の桜の季節は桜筏が有名ですが・・・・、

筆者は酸味の強い紅玉が好きだが、甘いりんごの評価が高く現在の富士が多く栽培されている、青森から弘前まで国道沿いにはリンゴのほんのり色づいた紅い顔が見えた、この頃から色づきます。

五所川原まで右左もりんごの木の街道を小一時間の道のりをスムースに走る。

目標は地元では大変有名な展示会場の立佞武多の館。

五所川原立佞武多は、青森県五所川原市で84日から88日に開催される祭りである。 青森のねぶたと構造は基本的に同じだが、その名の通り、高さが最大で20m強にも達する巨大な山車が運行されるようだ。

五所川原まで約1時間のだライブで、展示会場の立佞武多の館の駐車場に到着、勿論平日なのであまり混雑はなく、通勤ラッシュも感じなくゆったりした時間が流れる。

東京?いや東京近郊に住んでいると、なぜが早い生活リズムを感じるが、珠ののんびりした時間の流れが良い。

駐車場も車もなく大きく広い駐車場がのんびりさせる。流石23メートルの物を入れ物(建物)は大きくでかく立派な建物です。

街全体が祭りにかける意気込みを感じる。土日祝日は大変な賑わいを見せるが平日の見学客はまばらだそうです。

この辺りは関東と違う、関東近郊はお年寄りの観光客が平日もかなり多く、違いに驚く。

吉幾三が立佞武多の歌を作り、歌で参加しているのです。

この近くに吉幾三ミュージアムがあった、どうやら彼は田舎のプレスリーになったようだ。

流石下から見上げる大型立佞武多を常時格納・観覧できるほか、大型映像での放映がされている。

立佞武多の勇姿はやはり下から見ると迫力満点で立体的で良いアングルになる

青森県を代表する夏の祭り「ねぷた」は、古くは中国から伝わった。

「中元」の行事が起源といわれ、400年以上もの間、津軽地方を中心に受け継がれて来た火祭りだそうです。

3階には新作立佞武多の製作を見学出来た。下写真は製作図現在は一番右手の絵柄を製作していました。

これが令和元年の製作中の立佞武多です、まずは意匠図下絵、今年の立佞武多です。

続いて製作中の「かぐや」今年は武者ではなく、美しい女性のテーマか?

1回の会場近くで記念写真。

半纏も用意され、雰囲気も盛り上がる。

早速半纏を纏い記念撮影。

展示場前の踊り場に飾ってある立佞武多23メートルは見上げる高さである。

次は弘前城近く青森銀行記念館横を抜け、右側の敷地に入ると旧東奥義塾教師館があり、今も建物は大切に保管され展示下あります。

その奥雰囲気の良い図書館があります。

続いて青森県初の私学校の外国人宣教師が住んでいたという家。

家族写真が飾られ、子どもの使っていただろうロッキングチェアや絵本等々、

当時の暮らしぶりが垣間見れた

1階がカフェ、珈琲碗のレトロな感じも良い。

外国人宣教師が住んでいたという家の1階部分がカフェになっている、ランチのフランス料理も美味しそう・・・・・・。

今回の、気ままな旅の老人4人のメンバーである。皆は盛岡在住である、珈琲の入れ物の陶器も昔風で味わいがある。香り豊かな淹れての珈琲は旨い!

2階が見学できる勿論見学後はカフェにて美味しい珈琲を頂く。

雰囲気もノスタルジックな感じがよても良い

メンバー4人で美味しい珈琲を頂く。

このコーヒーは絶品で多分温度は65度前後丁度よい飲み頃、暑い珈琲といっても余り熱すぎると珈琲豆を焦がし温度加減は大切である。

外は弘前市役所の隣の観光館の後ろに、ミニチュアの洋風建築館があります。 

教会や図書館のミニチュア版ですが、外見は本物そっくりで、意外と雨模様の割に見学者は多い。

そして昼食、弘前城公園に近いお蕎麦屋さん。友人のお勧めのお蕎麦屋さんです。

そのお勧めの、「高砂」へ、天ざるを注文。蕎麦は一番粉の更科粉だった。失礼だが、弘前で更科粉とは!実に品が良くのぞ越しが心地よく海老天は揚げたてで肉厚で美味しさを堪能しました。この弘前は再度来てもと期待させるものがあるように感じた。

少し伝統ある佇まいの蕎麦屋「高砂」の玄関前で

そして次は待望の有名な日景温泉は、秋田県大館市にある温泉。

青森県との県境である矢立峠近くの天然秋田杉の林の中に位置する。

 施設の老朽化による改修費用の捻出ができず、20148月で営業を終了した。

その後、運営会社割烹きらくが2017年初冬の営業再開を目指し、新たな源泉を採掘、建物の改修工事を行っていたが、同年101日営業を再開した。

勿論露天風呂も楽しめ温泉を楽しむ、あまりの気持ちよさで長湯をした。

乳白色の酸味の強いお湯で実に身体には良さそうである。温泉後に頂く牛乳が実に旨い!今回は思わず2本を頂く、乾いた喉越が大変ブラボーである。

いかにも風情豊かな温泉であろう、勿論宿泊も可能だそうです。

勿論露天風呂に浸かる、開放感があり都内の入浴施設と違いのんびり出来る。情緒ある温泉宿である。

少しの休憩を入れて、雨も上がったようです。高速にて盛岡に向かう、

本日の夕食を相談、せっかく美味しい魚料理を食べた後は、最近東北ではジンギスカン料理が有名(遠野)だそうですので。ビールと羊肉とのコラボで盛り上がる。

盛岡は駅から少し離れた繁華街の映画通リの付近の「ジンギスカン8」にて19時から食事会。

勿論話題は次も元気で皆さんと一緒に、貧困老人(俺)たちの旅をしようと・・・・・

そして次は昔行った店で2次会に相成る、40歳を遠に過ぎたお嬢さんとゲスな話も盛り上がり、時計はいつの間にかてっぺん過ぎ翌日の1時でした。少し飲みすぎか?

ホテルに付き就寝、シャワーを浴び、朝食はフルーツと野菜ジュースに締めは温かい珈琲にて、約束の朝9時に待ち合わせ最終日は盛岡の秘湯の湯に出かける。

最初に小岩井牧場に天気は快晴だが岩手山は雲が被り一本桜と岩手山のベストショットは撮れなかった。

このとはアイスクリームの有名なお店があるそうですので、今回出撃します。

小岩井農場工場見学をし、地元では有名で行列のできるアイスクリームを頂く。

途中一面にピンクの花が咲き見事でした。

おいしいジェラートが食べられる「松ぼっくり」種類も豊富で行列のできるお店だそうです。いつも行列のできるお店です、新鮮な種類豊富なジェラードを選ぶ楽しみも・・・・・

友人はこの付近にある名水を頂きに良く着ているため流石地元の情報には強い、しかしこの行列はすごい。

懐かしいベンチに座り美味しいアイスを頂く、ダブルサイズも美味しく頂き

この中より2種類のアイスをチョイスする、ミルクとちーずをチョイスする。

 
 
近くに懐かしいブランコがあり乗りながらアイスを頂く、甘さ控えめの旨さが絶妙!
 

ランチは当然盛岡冷麺を頂く、飲み過ぎの翌日の冷麺は胃に優しい実に上手く感じた。

冷麺に入れるキムチは何時もより多めに入れ、食欲をそそられる。旨い!

雫石町の葛根田渓谷とに熱発電所を見学、発電所からは莫大な地熱資源があり東北電力が担当する。

地熱を利用して温泉もあるが今回は見学をした

湯けむり上がる葛根田渓谷

付近の山々からも湯けむりが上がる、意外と山奥にある発電所が点在しています。

その奥に発電所がある、何箇所も点在する。

ここにも温泉はありますが、実に鄙びた温泉で今後の開発が期待されます。

一番良い方法は東北電力が発電所めぐりの温泉地なんて観光開発も良いなかな?

いくつもの発電所があったことに驚いた。原発は廃止しないといけないです。

ここ葛根田渓谷から車で網張まで移動する。小一時間山間を抜けて移動。

冬は外人客のスキーで賑わうそうですが夏は温泉が一番か? 有名な網張温泉。

岩手山の南麓。秘湯ぞろいの東北の中でも、古くから万病に効くと伝わる名湯。内湯、露天、

そして野趣あふれる野天風呂、さらには気軽に楽しめる足湯と、計5カ所の趣の異なった湯処があり、これらを総称して「網張五湯」と呼ばれています。

記念写真のつもりで温泉の入り口前でのショットです。

国民休暇村に通ずる散策のコースも素敵である

途中足湯もあり雰囲気はよろしい、勿論無料です。

帰り際に再度岩手山を見ると、やっと雲の合間から全容を現す、電線がじゃまになるが岩手山全容を撮る。

これから夏本番が来る、涼しいマザー牧場は夏休みで賑わうだろう。

帰り際に、植物園公園にて休息し睡蓮を見るが、ほとんどの花は花を閉じていた。

そして軽い夕食をともにし、楽しい旅はおわる、

是非元気なうちにまた、ゆっくり温泉めぐりをしようと約束して

3日間、実に楽しく過ごせた東北の友人にに感謝します。

是非次も温泉巡りの旅に期待します、ブラボー!


カメラぶらさげ、盛岡の友人たちと、一緒に青森に温泉とお酒を味わいに初夏の東北に行く。貧困老人(俺たち)の旅。

2019年07月14日 | 旅行

本日盛岡に深夜バスに乗り盛岡に行く、深夜バスが初めての体験、3列シートのためか幾分余裕がある、リクライニングも十分で、

東京駅にて乗車する、途中インターにて休憩をし、あとは車中泊、目が醒めればもう岩手県間近、意外とスムースな車中泊であった。

睡眠もそこそこ出来、早朝から空いている「ガスト」に友人が早朝より朝食のお付き合いしていただく。

パンケーキ朝食とスープを頂き、久しぶりの再会に話しの花が咲く。

飲み物はお代わり自由でジュースから温かい珈琲を頂く。

何時も思うが、盛岡は水の品質が良いのか、同じチェーン店なのに大変珈琲が上手く感じる、水の味の大切さを感じる。

たっぷりの時間を使い朝食をとり、盛岡駅の待ち合わせ場所に他の友人とも10時付近に盛岡駅集合する。

4人での盛岡から車の旅の始まり、始まり・・・これより前に友人たちと青森行きの計画ははあったが意外と予定が合わなく、今回やっと実現した。

盛岡から青森に高速で移動、途中花輪インターにて小休止した。

本日の予定は十和田湖にて昼食を頂き、奥入瀬渓谷から観光しながら十和田湖到着、

天候を心配したが、青空が広がります。眼下に見える十和田湖が広く実に綺麗である。

流石広いですね!友人曰く、昔は有名な名所だったと言う・・・・

湖畔付近を通るが、涼し気な木漏れ日の中を走る湖畔はとっても気分爽快である。

そうて十和田湖畔を散策、特に水の透明度は大変良い勿論底まで見える。

環境は良いのですが、何故かホテルはほとんど閉鎖して閑古鳥が泣いている状態、昼食に寄ったお店は汚く、価格は高い、味は不味い三拍子そろったランチだった。

駐車場は多いが殆ど有料でしかも、ガラガラである。

奥入瀬渓谷を通過し目的の温泉地に車で入ると、街全体が死んだ街の様相であり、殆どの観光施設は閉鎖されていた。

訪れたは、夏休みの少し手前で、シーズン前だが、観光地としては疑問に感じた。

昔は観光客で賑わった十和田湖、過疎化された観光地区になっていた?

すごく広い有料駐車場は車の駐車はなく、不思議な光景でした。

全くお客も居ないのに膨大なそれも有料駐車場があるが、殆どは空いていた、ホテル等はほとんど閉鎖されて、見る影もなくなっていた。

そして奥入瀬渓谷は車で通過する、

奥入瀬渓谷はトレッキングしている方もいたが、湖は全くお客はいなかった。

今や健康ブームか?トレッキングの人々が随分楽しように徘徊していた。

意外と車で抜けても長い渓谷である、意外と渓谷のトレッキング客は意外と多い、健康意識をもつ人は増加している、正に時代は変化しているのだろう。

綺麗な沢のせせらぎを聞きながらを歩くトレッキングはまさに健康的で気持ちが良いんでしょう。

そして待望の青森県の中央にそびえたつ八甲田山に「酸ヶ湯(すかゆ)温泉」はあります。

酸ヶ湯と言えば、「ヒバ千人風呂」と呼ばれる混浴の大浴場が有名だそうです。

訪れる人も多く賑わっている、入浴を楽しむは年寄りばかりだが?

入浴料はタオル込で1000円で小さなタオルは持ち帰り出来ます

ロケが過酷だったことで知られる映画『八甲田山』の撮影は、酸ヶ湯を基地に行われ、大物俳優が千人風呂で暖を取り、宿泊しながら挑んだとか・・・・・

酸ヶ湯はベースキャンプ場だったと伺った。

玄関を入れば、そこはすでに硫黄臭が充満しています。入口の券売機で日帰り入浴チケットを購入してロビーを進むと、

突き当たり右手に酸ヶ湯の目玉「ヒバ千人風呂」の入口がありました。

この温泉は男女混浴ですが、我々の入浴時は男性オンリーでした。

まるで貸し切り状態の大きな風呂にゆっくり浸かる、極楽気分である。

冬が雪が多く、国道も5月頃には雪な壁4メートルを突き上げた道を走るのも怖いそうです。

写真はありませんが勿論好きなアイスクリームもいただきました。

歳格好もよく似た男性より撮影スポット並びにアングルを尋ねられ知っている情報は教えました。

スマホ、コンデジ、一眼レフをお持ちの方が多くカメラ趣味の方が多くなりましたネ!

建物も相当の雪対策をしているようです。

風呂にゆっくり浸かり本日の青森のホテルに、皆さんとの夜の飲み会が楽しみです。

温泉冬の雪は4-5mはあたり前秋田の冬はこの当たり八甲田山の麓は有名だそうです。

夜は青森の豊かな海の幸を堪能する、

お通しのウニが美味しく、味が濃い、実に美味しい、料理の美味さが期待できる、

青森の夕食は、郷土料理店で。

突き出しが生のムラサキ雲丹、バフン雲丹並に濃厚でした。これが馬鹿旨です、

まずはビールで乾杯、

選んだ料理は、みずほやでホヤの刺身と山菜のみずを塩水で浸したもの。

次は貝みそ、陸奥地方の郷土料理でホタテと豆腐を味噌で和えてホタテ貝を皿にして焼いた物。

焼き物、ホタテ、小イワシ、根曲り竹、牡蠣、など・・・・・・

その他に刺身の盛り合わせでは、マグロの赤身とサザエが美味かった。 

絶品は焼き物新鮮な海の幸を丸焼きにした魚介系の実に酒に合う、

以前紹介されたまには飲んだ、生と合う美味しいお酒、青森市唯一の酒蔵「田酒」飲み口スッキリしかもお酒の「岩木山」・赤倉山系の伏流水と契約栽培された良質の酒造、

好適米を用いて豊盃美味さ十分でした。辛口でスッキリした口当たり実にバランスが良い、筆者には今回これが一番か?最後はいかにも今風の爽やかさがある津軽の地酒「亀吉」、酒の飲み比べです。

飲む量は若い頃と違いかなり減った、美味しいお酒で良い気持ちに・・・・東北のお酒の特徴は辛口のスッキリタイプが多く日本酒は美味い地区である。筆者は青森の地酒は全く知りませんが友人から色々教わり以前から「田酒」は良く飲んでいた。

旅の疲れか?2合程度でいい気分になる、実に旨い冷酒です、キリッとした辛口の旨さが堪りません。

締めは、ラーメンで。の意見は一致する。

青森は煮干しラーメンが有名だそうですので、今回は末廣ラーメンを選択。

味濃く感じるが見た目より味はサッパリしていて、飲んだあとは絶妙であるスープを頂くと実に良い塩梅である、合格!

あとは皆でホテルに帰り就寝です。温泉後に飲む酒は美味かった。

第一日目は終了、二日目以降は続きを見てください。

「う ま き 魚 を あ て に 飲 む 酒 は 実 に 旨 し!」久々に酔う、青森の旅にブラボー!