伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

このような音が聴きたかったのか、好みの音楽の姿が徐々に解明する音は何時聴けるようになるかの巻。

2021年02月27日 | オペラ・歌劇・カンタータ・オーディオ全般

最近音楽鑑賞をする上で思うは、より音楽を楽しむには、最高の音質コンサートホールにつて萩原光男氏の掲載記事があるが、つまりムジークフェラインスザールの近い音で音楽をを楽しみたい。

このような事を感じながらvisit-concert-hall-2.pdfの記事を読んでいます、勿論好きな珈琲を頂きますが、本日は以前頂いた日本茶の"加賀棒茶”を頂く自然な甘みもありとても美味しい味である。



淹れ方は簡単でテーバックスタイルで熱湯をいれ1分ほどで香り豊かなお茶が頂けます。加賀藩前田家が治めた此処、金沢では茶道をはじめ、お茶処として繁栄してきました。市民のお茶といえば棒ほうじ茶。
特に茎を焙じあげたお茶を、此処では棒茶と呼んでおります。頂けばわかりますが、奥深い香りとすっきりとした甘みと香りを引き出します。たまには日本茶の味わいも良いものと思う。

さすが前田家が繁栄した加賀藩北陸の繁栄とともに北前船で京都、大阪に物資供給をし栄えた藩なので食文化は勿論京好みで優雅である、未だ豊臣時代からの伝統が息づく他の地方との違いも歴史を感じます。又京菓子にも似た和三盆を取り入れ和菓子は上品でとても美味しく京文化が今も栄えています。



余談になるが、昔読んだ小説の内容に織田信長が異人に西洋音楽と言われ想像するに当時のチェンバロの原型楽器のようなもので眼の前での演奏での音に甚く感動しその横顔は大変美しかったという下りがあった。今まで日本の音楽は簡単な太鼓、笙の笛、琴等の演奏と違い初めて聴く西洋の音に感激したことと思う。

勿論日本人は欧州等のコンサート会場での演奏会は身近では無く、勿論学校教育も簡便な装置で音楽を聴かせ、ろくに調律もしていないピアノでの演奏で育った日本人は不幸であるのかもしれない。昔読んだ歴史本の内容に信長が西洋音楽を聴きとても美しい横顔を見た、と言った文章が残り、芸術は誰からも愛される物と納得でき芸術とは、そのようなものかもしれないと思ったりもする。
当時の安土城天守閣は階下との構造上ホール感の強い構造をしていたかも知れず、音響効果は大変効率的な構造物かも知れず大変興味深い。



勿論筆者もこのような素晴らしい欧州の劇場で聴いたことも無いが、特に有名なウィーン・ムジークフェラインザール大ホール(Vienna,Grosser Musikvereinssaal)1870 年に作られたこのホールは、世界でも代表詳細は文献 1),2)などに紹 介されているので、ここでは簡単に述べると、直方体を 基本形として四周にバルコニー席(正面はパイプオルガ ン)があり、座席数は約 1,700 である。
床及び天井は木製であり、壁のほとんどはレン ガ又は本の下地にプラスタ仕上げ(金箔張り)で両側の側壁には多数の彫像が並んでいる。座席はかつては木 製ベンチであったが、座の部分だけを布張りとしたもの (1 階席は可動)に最近取り換えられた。



17世紀風に頭に鬘を催し、古楽器を演奏する伝統音楽は、たまにテレビでの放映がある、例えばヴァイオリンソロのコンサート会場と比較的大きな居間での演奏の響きの違いは全く違います。
オーディオマニアとしては前者のコンサートホールでの演奏するような音楽が聴きたい。

残念ながら改造したLS3/5Aでは感じられない、比べて聴けば納得するが音全体がたっぷりとしたホール感の違いには唖然とする。TANNOYのユニットではこのムジークフェラインザールでの音が感じるように思う。
確かにTANNOYのユニットで聴くホール感は素晴らしく、音質だけだはなく伝統文化芸術の世界が聴こえて来るようである。



勿論昔愛用していたTANNOY IIILZ in Cabinet(Chevening)では体感できる音でもなく、IIILZ Monitor GoldはCabinetのユニット(HPD295)が周波数特性優れているようですが聴けば解るがコンサート感情での臨場感は欠けるように思う、コンサートホール感は今聴くTANNOYの(IIILZ Monitor Gold)ユニットから響く音が近いのかも知れない。TANNOYもこのユニットの工場火災とともに消えてしまったかもしれない、それほどに差を感じるのだ。

数ヶ月前に中華アンプ真空管 真空管アンプ 真空管アンプキットDouk Audio 300B Push 845 真空管 パワーアンプ クラスA ステレオアンプ 25W×2のアンプの紹介記事があり、6SN7+300B+845 SE という真空管アンプの最高峰の回路構成であり,きちんと設計・製作すれば最高の音質のアンプとなり得るものですが、本品もなかなかのものです。この回路構成(300Bドライブ+845)らしい豊穣で華やかな高中音域の表現は相当なものです。中程度のNFBが掛かっていると思われます。と解説されています。



そのアンプの配線のコード等を交換しメンテナンスしたケンリックサウンドさんの音をYouTubeで聴き感動した、ケンリックサウンドさんはジムランの製品をメンテナンスしポテンシャル以上の効能を発揮させる、YouTubeにも状況の画像は豊富であった。しばらくして現状をお聞きすると、現在は6SN7+300B+845 SEのアンプは扱って無く今は違う物をお勧めしますとの返事がありました。しかし暫く冷静になって判断すると、たしかに独特のケンリックサウンドの音はあまりにアキュレット過ぎ長く聴くには疲れる様に感じる、最近は求める音がコンサートホールでの聴く感じを求めるようです。

今はもっと良い商品もあると思うが、セレクターはLUXAS-5(1976年頃)の物を使っている、1台のアンプから4組のスピーカーのいずれかへ、また4台のアンプから1組のスピーカーへと切換えるための出力用セレクター。大変便利で長持ちする、但ケーブルは沢山必要である。


勿論アキュレットな音質は良いのですが偶に聴くと特に良く感じる、でも筆者の音楽は少しムジークフェラインザールで聴くような“らしさ”が欲しいようです、そうように鳴るアンプを探すことが急務かもしれない。
確かに一見しますと優れた再現性、音楽のアキュレートな表現は耳に焼き付いていますが、筆者のスピーカーを聴くうちに筆者の求める音質の方向性が徐々に判明した次第であります。特に顕著に現れる音がオペラ等のヴォーガルはよくわかります。自然に聴こえる声が聴きたいのです。

筆者がが思うに余りメージャー名の掲載はしたくはありませんが、B&W的な音質は個人的に拒否してしまう、と同時にケンリックサウンドの音質もあまりにもアキュレート感が強く、コンサートホール。つまりムジークフェラインスザールの近い音ではなくなってしまうように思う。

このあたりは一見聴き惚れ込み購入し失敗した経験はあると思うが、このあたりがオーディオ機材選びの落とし穴のような気もする。



たとえはハンス・クナッパーツブッシュ1952年7,8月 バイロイト祝祭劇場 録音の『パルシファル』等を聴けば解るが、ワグナーの音楽で一番美しい音楽であり、まさにこの感動をを与えてもらうのはTANNOYの(IIILZ Monitor Gold)ユニットであることは揺るぎない事実だ、しかし出来うれば後少しのケンリックサウンド感のようなリアル感が所々に散りばめていれば最高と思う、このあたりのニュアンスが大変難しいところかもしれない。

それは例えばアンプの交換の音質が得られるか、はたまたAXIOM 80の改良で満足できるのか疑問である。勿論当時TANNOY IIILZ in Cabinet(Chevening)で聴いていた頃と違ってホール案を味わえる大いなる進歩である。


最近管球王国99号が発売になり益々真空管マニアが多くEL34(6C7A)KT77真空管特集を参考にしながら現在所有のAXIOM 80にはA.R.U.(アコースティック・レジスタンス・ユニット)付きの箱に(IIILZ Monitor Gold)ユニットを装着したシステムに最も合うアンプを探して見たいと思う、条件にはムジークフェラインスザールに感じる音で聴きたいものである。



今は亡き、ハンス・クナッパーツブッシュ(Hans Knappertsbusch)指揮者。1888年ドイツ、エルバーフェルト生まれ。ボン、ミュンヘンで哲学を学ぶ。1909年バイロイトでハンス・リヒターの助手を務める。ライプツィヒ、デッサウの歌劇場を経て、22年からワルターの後任としてバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任。36年に突然解雇され、ウィーンに拠点を移す。ザルツブルク音楽祭には毎年のように出演している。51年のバイロイト音楽祭に登場。ワーグナーには定評があり、なかでも『パルシファル』は別格。

1951から順に楽しんで見たいものです。筆者が好きな1952年の詳細です。
 ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
 バイロイト祝祭管弦楽団
 バイロイト祝祭合唱団(ヴィィルヘルム・ピッツ指揮)
 パルジファル:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
 グルネマンツ:ルートヴィッヒ・ヴェーバー
 クンドリー:マルタ・メードル
 アンフォルタス:ジョージ・ロンドン
 ティトゥレル:クルト・ベーメ
 クリングゾール:ヘルマン・ウーデ
 第1の聖杯騎士:カール・テルカル
 第2の聖杯騎士:ウェルナー・ファウルハーバー
 第1の小姓:ヘルタ・テッパー
 第2の小姓:ハンナ・ルートヴィヒ
 第3の小姓:ゲルハルト・ウンガー
 第4の小姓:ゲルハルト・シュトルツェ
 花の乙女たち~
 リタ・シュトライヒ
 エリカ・ツィンマーマン
 ハンナ・ルートヴィヒ
 ポーラ・ブリフカーン
 マリア・ラコーン
 ヘルタ・テッパー
 アルト独唱:ルート・ジーベルト
(1952年7,8月 バイロイト祝祭劇場 録音 Andromeda)


このCDはクナッパーツブッシュ指揮、1952年のパルジファルです。この年は戦後二回目のバイロイト音楽祭で、前年に続いてクナがパルジファルを振ったわけですが、クナッパーツブシュは様式化された「新バイロイト様式」が気に入らず、翌年は抗議を込めてバイロイトに出演しませんでした。舞台上のことは気にせず思うままに演奏すればいいのにと思いますが、そうもいかないのでしょう。カラヤンは1952年を最後にバイロイトを完全に去りました(そうだったと思う)。カラヤンの場合も後の録音等(配役)からなんとなく分かる気がします。

クナッパーツブッシュとパルジファルの新バイロイト様式の演出に関わるエピソードは色々引用されていたと思いますが、作品の物語そのものをかなり真面目に受け止めているのだろうと想像できます。単純に言えば、クンドリーやアンフォルタスらの苦しみ、救済も真実なものだとしてそれを舞台上で表現したいのだろうと思います。このところクナのパルジファルを継続的に聴いていると特に第二幕が圧倒的で、自分はこれまでパルジファルの世界を生温かい視線でしか見てこなかったので魅力を再発見できました。

こうして改めて人の音声を聴くとTANNOYのユニットでのヴォーカルの試聴は(IIILZ Monitor Gold)に限るようである。実に美しい響きのパジファイルはステージに居並ぶヴォーガリストの姿が見えるようでもある。



大ホール(Großer Musikvereinssaal グローサー・ムジークフェラインスザール)1870年完成。「ザール」はドイツ語で「ホール」の意味。
ホール内部の絢爛豪華な装飾から「黄金のホール」と呼ばれる。ブラボー!

今や梅の見頃、近くの公園に寒梅に出かける。午後はゆっくりメジューエワのインヴェンションとシンフォニアを検証する。

2021年02月21日 | バロック音楽・オーディオ一般

最近又検査が多く、先日も大腸癌検診にてポリープを摘出し精密検査中で検査結果は後日連絡があるそうだが、もう癌はたくさんだ!何個もポリープがあるため提出しなくてはならない、実に憂鬱である。

武漢ウイルスのワクチン接種が始まった、早く早期終息して演奏会等での生の演奏を聴きたいこの頃である、以前オペラのチケットを入手したがやはり武漢ウイルスで生憎公演は中止されてしまった。
最近は同居する義母(93歳)と散歩に付き合い初めた、人での少ない近くの公園などにコロナ禍で運動不足のため足から衰えるための運動である、支度して近くの公園に出かける時間は一時間程度にしている、最初は足から衰えると言われる筋肉は歳には関係なく何歳になっても鍛えられるそうです。



筆者の庭に草花アネモネが満開で実に美しく咲く。天気は快晴少し風はあるが、近くの公園の梅の見物に出かける。陽気のせいか梅の花が7部咲きである、紅梅は終わるが、ピンクと白梅は見頃である。


タンポポも咲きだしている。すっかり春間近である、黄色の色は元気のいろで暖かさに包まれるようですね。



先日は蕾でした白梅も咲き出し寒梅の見頃であろう。後の楽しみは河津桜の蕾も膨らみ初めた。



およそ1時間程で散歩から帰り、篤実の散歩を促す。



昨日到着した、高級で美味しいと言われ『オールド5ブレンド』珈琲豆が届く、封を開けると可也深煎りの様子で豆の色は濃い、こげ茶である。
見た目は苦目と感じたが、早速挽いて珈琲を淹れる立ち上る香りは甘い珈琲の香りがたち登り無性に早く飲みたくなった。コーヒー碗に入れ頂いたが、大変美味しく、実にマイルドで癖の無い味である。ナイスブレンドでした。



本日「ステレオサウンド誌」到着する、歴代・名スピーカーユニットが到着した、オーディオの原点と言われる、音出しで変わって無いのがこのスピーカーユニットであろう、ジムランのLE8の記事は興味深く読んだ、ユニット全般を再度確かめるつもりで購入良い参考書になるように思った。

しかしWE754Aというユニットの面白さは魅力たっぷりのユニットです、たっぷりのアメリカサウンドが蘇るのかも知れないですね。



先日LS3/5Aの改良しエージングも進み、今回エージングはあまり期待しなかったが、此れが大きな誤算でした。確かに音質は落ち着き音質がスッキリし特にピアノのアタック音も濁り少なく綺麗に再生するようになったようですが、
やはり好きなバッハは如何な鳴り方をするか興味深い、バッハの基本中の基本と言われる特にバッハのピアノ名曲集のひとつだが、もともとバッハが長男の教育用に書いた曲。インヴェンションとシンフォニを聴く。



特にモノーラルの演奏ですが今まであまり上手くならずに不満もあったことは確かだが、補修後は重厚なランドフスカが上手く鳴り驚く。今楽しみな先日到着したインヴェンションとシンフォニア、イリーナ・メジューエワ(ピアノ)もこの後聴いて見ることにする。

特にランドフスカの演奏には興味尽きないが筆者には圧迫感があり高音が響き渡る開放感が無かったが今回の改造で透明度の魅力ある音質に変化した感じに聴こえたランドフスカの素晴らしさを改めて感じた。
1950年にライプツィヒのバッハ・コンクールのオルガン部門でカール・リヒターと1位を分け合った実力者ウェーバージンケの表現はきわめてオーソドックスで模範的。この単純な構成の曲の中にも深い味わいを感じさせてくれる。「クラヴィーアの愛好者、とくにその学習希望者に、(1)二つの声部をきれいに弾きこなすだけでなく、更に上達したならば、(2)三つのオブリガート声部をも正しく、かつ、手際よく処理し、あわせて同時にインヴェンツィオをたんに得るだけでなく、それをたくみに展開し、そしてとりわけカンタービレの奏法をしっかりと身につけ、しかもそのかたわら作曲への強い関心をも養うための明確な方法を教示するところの、正しい手引き。 アンハルト=ケーテン侯宮廷楽長ヨハン・ゼバスティアン・バッハ これを完成す。1723年。」



「あなたはあなたの方法でバッハを演奏し、私はバッハの方法で演奏します。」これはランドフスカがチェンバロ嫌いのカザルスに攻撃された際に静かに答えた言葉です。
往年のチェンバロ奏者ワンダ・ランドフスカは、ピアノの普及により埋もれてしまっていたチェンバロを現代に復興させた立役者。20世紀初頭、バッハの作品は少ないながらも演奏会で取り上げられてはいましたが、チェンバロ作品についてはほぼモダン・ピアノ演奏の一択という状況でした。19世紀末の1889年に開かれたパリ万博では、プレイエル社とエラール社がチェンバロを出品して連続演奏会が開かれるなどしていたものの、あまり注目されることはなく、ランドフスカ自身も、1892年、13歳でバッハ作品をメインにしたプログラムでピアニストとしてデビューするなど、当初はピアノでバッハを弾いていました。

その後、民俗学者の夫からの影響などもあってランドフスカはチェンバロに強い関心を持つようになり、各地の博物館なども回って保存されていた楽器などを研究し楽器も購入、24歳の時にはチェンバロ奏者としてのデビュー演奏会を開催し、以後、チェンバロのスペシャリストとして知名度も向上。そして1912年には、演奏会場での音量不足問題を解決した新たなチェンバロ「ランドフスカ・モデル」を完成してドイツのブレスラウ音楽祭で披露するに至ります。



Legendary Harpsichordist -The Art of Wanda Landowska (24CD)の中にあります。ランドフスカの演奏はこのCDで略全てと聞きます。
Disc20
 ● バッハ:15の2声のインヴェンション BWV 772-786
  ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
  Recorded on 1954-1955
 ● バッハ:15の3声のインヴェンション BWV 787-801
  ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
  Recorded on 1958-1959
 ● バッハ:カプリッチョ『最愛の兄の旅立ちに寄せて』BWV992
  ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
  Recorded on 11 & 12 September 1957
 ● バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV 826
  ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
  Recorded on 4 &5 February 1957
 ● バッハ:幻想曲 ハ短調 BWV 919
  ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
  Recorded on 2 May 1946

ランドフスカが奏でるバッハは、現代のバッハ演奏からみると、極めて主観性の強い音楽表現であるかもしれません。その演奏は、表情豊かであり、ロマンティックな趣さえ醸し出しており、時折感じさせる即興的な名人芸の数々は聴くものを魅了してやみません。
少しの改造からエージングを経て確かに以前は再生に難がありましたがS3/5Aの改良で楽しむことが出来ました。勿論嬉しくなりランドフスカを聴く確かに録音は古いが平均律、ゴルドベルグ変奏曲と続けたが、全く上手く鳴り不安解消する。特に録音時期の違うゴルドベルグ変奏曲は興味深く聴くことが出来る。

筆者のTANNOYのIIILZ Monitor Goldのユニットの音と違いはあるが、此れでLS3/5Aは別の意味で魅力あるユニットに変身したようで今後音楽を楽しむ上で違った音を楽しめると実感した次第である。



バッハ:インヴェンションとシンフォニアに付いてピアノ練習者がバイエルを卒業して次の段階に進む練習曲とも言われるインヴェンションとシンフォニアだがバッハは完成した曲集の扉に自らこのようにしたためた。《インヴェンション》と《シンフォニア》は、長男フリーデマンのレッスン用の小品を集めて改訂したものであり、その成り立ちから既に教程としての性質を持っている。

しかし、ここに書かれていることの真意はいったいなんだろうか?
 バッハは音楽家を育てるのに、両手を使った鍵盤音楽の演奏技術を身に付けさせることから始めた。手の運動と結びつけることで、より自然な音楽性を習得するためである。ここで用いられるのはしかし、バロック時代特有の通奏低音、すなわち低音に対して適切な和音を右手で補充するという書法ではない。すべての声部が掛け替えのない「オブリガート」パートであり、それぞれを「カンタービレ」に演奏すべく書かれている。
そして独立した各声部は、和声の中でひとつに溶け合う。厳格対位法とカンタービレ、旋律と和声。一見すると簡明な2声および3声の作品群は、実は「多様なものの統一」という16-17世紀の大きな美学的命題を負っているのだ。



 バッハのメッセージの中の「インヴェンツィオ」という言葉もまた、古い音楽の美学と作曲法に関わりがある。この語は修辞学に由来し、「着想」と訳されることが多いが、本来(「発明」ではなく)「発見」を意味する。つまり、自分が伝えたい内容にふさわしい表現を見つけだすことである。そのためには、できるだけ多くの修辞表現(フィグーラ)を学び、その配列の方法を知らなくてはならない。《インヴェンション》と《シンフォニア》はその範例として書かれており、バッハの持てる鍵盤音楽のきわめて多様な様式を見ることができる。いってみればバッハの音楽世界の縮図である。

したがって、「インヴェンション」とは決してなんらかのジャンルや楽式を表す言葉ではない。バッハ以前のドイツの作曲家にはこれをタイトルとした曲集がいくつか見られるが、形式の上で統一や共通点はない。バッハ以降、もしも楽曲分析などで一般的な意味での「インヴェンション」という表現が用いられるとすれば、それは簡明でありながらよく整った、様式や技法の上で模範的な対位法作品、というポジティヴな文脈において、あるいはバッハの珠玉の作品へのオマージュとしてであろう。と解説されているが単純に聴こえるが、奥の深い曲であることが理解出来る。



次はメジューエワ/J.S.バッハ: インヴェンションとシンフォニア 1922年製ヴィンテージ・スタインウェイ使用
イリーナ・メジューエ(Irina Mejoueva)ロシア出身。モスクワのグネーシン特別音楽学校とグネーシン音楽大学(現ロシア音楽アカデミー)でウラジーミル・トロップに師事。1992年ロッテルダム(オランダ)で開催された第4回エドゥアルド・フリプセ国際コンクールでの優勝後、オランダ、ドイツ、フランスなどで公演を行う。

1997年からは日本を本拠地として活動。2002年、スタインウェイ・ジャパンによる国内コンサートツアー。2003年、サンクトペテルブルク放送交響楽団と日本国内4都市で共演したほか、2005~06年にはザ・シンフォニーホール(大阪)で4回にわたるリサイタル・シリーズに出演。2006年からは毎年京都でリサイタルを開催。日本デビュー20周年を迎えた2017/18年のシーズンには東京文化会館・小ホールでシリーズ演奏会(全3回)を開催するなど、精力的な演奏活動を展開している。



精緻な対位法とカンタービレの愉悦――興趣豊かに描かれるバッハの小宇宙「解釈は精緻で的確であり、対位法音楽の構造をクリアーに描き切って見せてくれている。一方で、対位法というものは、知的なゲームなどではなく、音楽の愉悦のもっとも基本的な要素のひとつであることを、イリーナは存分に教えてくれる。」
インヴェンションとシンフォニア イリーナ・メジューエワ(ピアノ)
【曲目】
  J.S.バッハ (1685-1750)
  2声のインヴェンション BWV772-786
  3声のシンフォニア BWV787-801
【演奏】
  イリーナ・メジューエワ
  (ピアノ…1922年製NYスタインウェイ)

【録音】
2020年6月
新川文化ホール(富山県魚津市)



解釈は精緻で的確であり、対位法音楽の構造をクリアーに描き切って見せてくれている。一方で、対位法というものは、知的なゲームなどではなく、音楽の愉悦のもっとも基本的な要素のひとつであることを、イリーナは存分に教えてくれる。」と解説されてイますが、正に万人向きで実に優しく、上手く弾く演奏を楽しくさせてくれるバッハです。

初心者からベテランの方まで幅広くバッハを楽しむのは良い演奏である。ただしその後AXIOM 80のは箱にTANNOY(IIILZ Monitor Gold)を入れたシステムと比べると、グランドピアノらしい膨よかな音は聴こえない、キラキラしたピアノの透明度は全く別物であった。このあたりがLS3/5Aの限界なのであることが理解できた、やはり癖の強い(IIILZ Monitor Gold)の音には大変魅力のあるユニットであることが良く分かったことである。
単おいで聴く音楽は一番良い席での最適な演奏を聴くような感じにさせるホール感が味わえるのは流石ヴィンテージタンノイの姿であろう。

追伸、ワンダ・ランドフスカのゴルドベルグ変奏曲について試したいことがあり、興味本位で聞いてください。



実はワンダ・ランドフスカは2つのゴルトベルク変奏曲の録音が残されていて一回目の録音は1933年11月、HMVにバッハのゴルトベルク変奏曲を録音。この年からパリ生まれのドゥニーズ・テレサ・レストウ[1915-2004]がアシスタント兼秘書としてランドフスカと共に生活するようになります。

世界大戦によりドイツ軍による強奪1940年3月、HMVにスカルラッティを録音後。6月、ドイツ軍がフランスに侵攻、パリにも迫ってきたため、ランドフスカとレストウは、急遽、スーツケース2個の荷物だけでパリから離れるために駅に向かいますが、すでに駅は群衆で埋まっており、さらに車も見つかりません。仕方なく25歳のレストウはランドフスカを後ろに乗せて自転車で南に向かうことを決意、自転車屋を探したところ、見つかった自転車屋の中庭に車があったため店主と話し、翌朝4時なら車を出せるということで交渉成立。レストウは、夜型人間で早朝をいやがったランドフスカをなんとか説得し、2人はパリの約500キロ南にある町、モントーバンのホテルまでたどり着くことができました。

1941年には、第二次大戦の難を逃れてアメリカに渡ったが、ニューヨークのタウンホールのリサイタルでの「ゴールドベルク変奏曲」は熱狂的な支持をもって迎えられた。
1945年、RCAビクターとのレコーディングをスタート。最初にゴルトベルク変奏曲を録音してSP6枚組でリリース。ランドフスカとビクターはアメリカ・デビュー時の1923年からの関係ですが、その後、ビクターはRCAに買収されてRCAビクターと社名を変更していました。
一度ゆっくり12年の演奏の違いを確かめて見ようと思ってます。ブラボー!

ビル・エヴァンスのピアノの音色が良くなった。LS3/5Aの改造計画PartⅡ、手間は掛かるが、成果は如何に・・・?

2021年02月17日 | 真空管アンプ・オーディオ

今は少なくなった煙草を吹かしながらの演奏風景、(実は薬「ヤク」だったり)今どき流行らない後景だがエヴァンスのこの絵は特に味があり、好きだ。当時JAZZ演奏家も殆どは薬に侵され短命だった、昔エヴァンスの日本公演のチケット購入したが「ヤク」のためか中止になり残念な思い出が今も記憶に残っている。公演側はピアノの仕入れが出来ないと言っていたが・・・?

この時期に楽しむ花は、ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅〔カラウメ〕蝋梅(ロウバイ)はロウバイ科の2mから4mほどになる落葉低木です。別名の唐梅(カラウメ)とも呼ばれ、その名の通り中国原産の樹木。蝋梅(ロウバイ)は 12 月~2 月に、よい香りのする花を咲かせます。

近くに蝋梅の毎年咲く所があり写真を収め出かける。正に満開状態である。漂う香りも良くバックのの色の青さと蝋梅の黄色のコントラストが春を思わせる。



日本に蝋梅(ロウバイ)が入ってきたのは江戸時代頃と言われています。また、雪中四友(せっちゅうしゆう)と呼ばれる雪の中で咲く四つの花のひとつです。蝋梅(ロウバイ)は、とてもよい香りがするのでトイレや洗面所、玄関に飾って春の香りを楽しむのがおすすめ!

香を炊くように、蝋梅の生花で香りを楽しみながら気を落ち着かせ、先日からオーディオルーム兼作業部屋での地道な作業を続けることにしました。



少し外気に触れ散歩より帰り、引き続き作業を進める。前回筆者のLS3/5Aの改造をと思い、鉛を吸音材に忍ばせ音質が変化するのか・・・楽しみである?

音質向上を確かめたく準備したがこれ又大変な作業である、笑! 釣り糸に鉛のガン玉を繋ぎ吸音材に入れ込む作業をした。とりあえず釣りに使用する噛み潰しのガン玉を釣り糸につなぐ仕込み作業が続きやっと終了となりました。此の様な作業は拡大鏡が便利と思う・・・諸費用は少ないがこの手間は半端無い苦労である、この作業による音響効果は密閉型のエンクロージャーが効果があるようです低域は締まると感じた。



作業を始めると老人には大変酷な作業で、遠視眼鏡より拡大鏡が作業的に楽なのかもしれない。噛み潰しのガン玉も釣り糸を入れるがガン玉の閉じたものも数多くあり、それは聞くも涙、語るも涙、の(笑)の大変な作業になってしまった。
途中でやめようとも思ったが、少しでも音質改善に効果があればと気長に音質向上を信じ続けること4日間、やっと4セットの品物が出来上がり、遠視眼鏡と目薬漬けになり肝心な工程が終わりを告げた。次は蓋を開けガン玉を吸音材に入れ込めば完了となる。

LS3/5Aのスピーカー等を取り出し更に吸音材を取り外す。修復が簡単に終わるように以前吸音材の交換時にマジックテープを仕込む。



この情報を得たのは盛岡に在住する、以前東芝の音響事業部に勤めていた悪友で彼が東芝にいた頃スピーカー作りに苦労していた時に、鉛玉を吸音材にサンドして音を吸収させる方法を思いつき計測したが随分効果があったそうで、因みに苦労の末製作した据え置き型のエンクロージャー特に低音の響きが落ち着き良い塩梅の音色になったそうです、勿論その年は賞を取ったそうで、実績もあり当時の研究者もこの様なこ事を思い付いたかの意味合いは語らなかったそうです。筆者も「藁をも掴む思い」でこの作業に取り組んでみた。聞くも涙、話すも涙です。これで効果がなければ・・・・この三日間は水の泡であろう。

その後吸音材にガン玉を注入する作業に取り掛かる。周り3箇所と一番肝心の底の部分には他の場所より多くガン玉を注入した。
特に底の部分の吸音材にはガン玉の量を多く注入し安定を図る。底の部分は鉛玉を多めに注入がより効果的と言われている。



そして元通りに組立作業を続ける。吸音材にはマジックテープのため簡単に元通りに復帰できる。後はボルトで締め込みで終了する。
注意はスピーカーに付属するアッテネーターが以外に大きく、吸音材一杯になり調整が大変微妙である。

LS3/5Aの制作意義のは、前回も述べたが、このBBCは世界中の放送局の中でも音質の改善には極めて熱心な放送局の一つで、局内にて使用する放送用機材に関しては、BBC独自の技術研究所にて、日夜研究・開発を続けている。
そしてその中でも最も重要なテーマとして位置づけられているのがモニター・スピーカーの研究である。



モニター・スピーカーとは、一言で言えば「検聴用」スピーカーである。利用シーンは様々で、例えばレコード会社が録音物をチェックするためだったり、ホール講演会などのモニター目的であったり、あるいは放送局において放送プログラムを制作する過程で、マイクが拾った音、あるいはテープで作っていく音を技術者たちが聴き分け、その音を元に放送の質を改善していったりする、ある意味エンジニア達の耳の延長でもあったりする。

この作業に興味をお持ちの方もいるようで、まずは使い他のコメントで参考写真も掲載頂いた。「1975年ごろのイギリスの地方ラジオ局の放送スタジオでLS3/5Aが使われている写真を見つけました。



スピーカーの中心間隔は1m程度、DJの座席まで1~1.5m程度、スピーカー後方の壁までも結構距離があります。」筆者の自宅でのLS3/5Aの設置は壁面より壁面より1m強離れているのでこの問題は条件はクリヤーしてます。

注意点は壁面に近づければ当然音質に変化が生じ、LS3/5A本来のポテンシャルに影響が出ることもあり、十分注意されたい。又直接のポン置きも関心出来なく、インシュレーターの仕様が良いとされるが、筆者は音の干渉が少ないインシュレーターとして定評あるウェルフロート (AIRBOW - WFB-2129-18/A4) オーディオボードの上に載せて聴いている、以前のKEFのスピーカーも効率は良かった事はたしかである。



「LS3/5Aはご存知のとおり屋外放送車など狭い部屋での使用を目的とし、特に男声アナウンスに着目して設計されています。BBCの現場を視察した方によると、普通に会話ができる小音量で鳴らされていたということです。LS3/5Aを本来の目的外の音楽鑑賞に用いる利点は、ニアフィールドリスニングでのステレオイメージの良さと、古い録音でもあまりアラが出ない音質とにあると思います。
アンプも真空管、トランジスターも変えデジタルアンプと交換して比べたが真空管に軍配は上がった、音の繋がりが実に自然に聴こえた。

確かに低音部の締まりは良くなったが、筆者が描くLS3/5Aの音はもっと涼やかな音色が聴けるはずである、以前と比べ低音が締まった具合で全体には以前より幾分マシな音色になった様である。例えばエバンスのピアノの高音の音はもっと涼やかできれいな音がするはずである。これ以上の改良は思い使いない、これが限界かもしれない、でもロジャースが誇るBBCモニターをして誇るLS3/5Aの音とは決して思えない。

つまり、PC用なら良いですが、タンノイ25cmとの比較はそもそもキツイのではないでしょうか。」この問題は当然と言えば当然の理屈で違う意味合いでグレートアップできれば良いと思い手間を承知で改装を試みたが不完全である。


何故か上記のような写真を掲げると、落ち着いてしまう、エバンスの良さは他にも色々あるが、個人的には筆者はこの2枚のアルバムで十分であろう。特にエバンスのファンにはクラシック愛好家が多いと聞いたことがあるが定かではない。勿論エバンスを楽しむのは当初の代表作である。 

翌日試聴すると、正直音質は筆者が狙った低音部の迫力期待する程はあまり感じられませんでした。だが今までと比べ何故かスッキリ感が増したようです、余分な音がしなく高音が綺麗に聴こえる。思いつくはビレッジヴァンガードのライブ“ワルツ・フォー・デビイ”が聴きたくエバンスのピアノを鳴らしてみる、品の良さそうなクラブヴァンガード演奏ライブの空気感にそそられる、特に繊細な感じのエヴァンスのピアノJAZZ系統が良くなったようです、但残念な事にTANNOYで聴くようなライブ感は劣るが、装置のBOXの違いに唖然とする、イマイチだ。
確かにピアノの繊細なアタック音に濁りがなくしっかりとトレースするような感じに若干欠ける様に感じる・・・、確かめるつもりでドイツの女流ピアニスト、ディナ・ウゴルスカヤ(Dina Ugorskaja)J.S.バッハ:2声のインヴェンションを聴くと如何にも繊細な雰囲気が漂う感じには驚いた。改良前と比べある程度はピアノには効果ありと判断出来た。
LS3/5Aの実力とはこの程度なのであろうか?エバンスの音楽にもどろう・・・


ビル・エヴァンス(Bill Evans )(Piano)
1929年8月16日米国ニュージャージー州プレンフィールド生まれのジャズ・ピアニスト。ジャズ史上最高の人気を誇る白人ピアニストとして知られる。特にスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)を従えた60年代初期のビル・エヴァンス・トリオは、かつてない高度な三位一体の演奏をしめし、ジャズのピアノ・トリオ演奏を革新させた。その後もメンバーを代えながら一貫して自己のピアノ・トリオ音楽を追求。硬派のリリシズムとダンディズムあふれる美の探究者として高い人気を得た。1980年9月15日に51歳で死去する直前までステージに立った。


エヴァンス・トリオが愛される理由ビル・エヴァンスのトリオは、半世紀を経た現在でも多くの人に支持されています。特に日本での人気は絶大。2015年にユニバーサルミュージックが「ジャズの100枚。」と銘打って、過去の名作(100作品)を再販した際には、ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビイ』が圧倒的な数で売り上げ1位を記録。エヴァンスの作品がこれほどまでに支持されるのは、いくつかの要因があるようです。



ジャズ史上最高の人気を誇る名作。
ロマンティックなメロディが名門ジャズ・クラブのざわめきの中へ溶け、奇跡のように美しい演奏が生まれた。特にライブ感がありエバンスの少し病的な繊細感をよく表現しているのは流石だ。
今回LS3/5Aの改良を施し俄然良くなった点は、エバンスの少し病的な繊細感がよく感じるようになったことは最高に効果的であったと思う。

特にワルツ・フォー・デビイはエヴァンスのご機嫌な曲でもあり有名です。しかしタンノイの音と比べ透明感がLS3/5Aが落ちる、何故かいまいち納得できない。以前LS3/5Aを聴いた感じと違う、アンプを変えても同様の不満は残る、暫くこのままで聴くことにした。エージングと思い放置する。

レコーディングデータ
1961年6月25日、ニューヨーク、ヴィレッジ・ヴァンガードにてライヴ録音
おなじみの共演者
 ビル・エヴァンス(p) 
 スコット・ラファロ(b) 
 ポール・モチアン(ds)


特に「マイ・フーリッシュ・ハート」から始まるこのアルバムは絶品である、名盤はいつ聞くも新鮮さが響き哀愁が漂い全曲が知らぬ間に終わってしまう。

収録内容
 01. マイ・フーリッシュ・ハート / My Foolish Heart
 02. ワルツ・フォー・デビイ(テイク2) / Waltz For Debby(Take 2)
 03. デトゥアー・アヘッド(テイク2) / Detour Ahead(Take 2)
 04. マイ・ロマンス(テイク1) / My Romance(Take 1)
 05. サム・アザー・タイム / Some Other Time
 06. マイルストーンズ / Milestones
 07. ワルツ・フォー・デビイ(テイク1) / Waltz For Debby(Take 1)
 08. デトゥアー・アヘッド(テイク1) / Detour Ahead(Take 1)
 09. マイ・ロマンス(テイク2) / My Romance(Take 2)
 10. ポーギー(アイ・ラヴズ・ユー、ポーギー) / Porgy (I Loves You, Porgy)

確かに指摘された日本プレス盤の物の音質と良い、特に03. デトゥアー・アヘッドのベースとピアノの織りなすベース音は流石だ、スコット・ラファロ(b) との共演でエバンスのピアノプレイは完璧なものとなり完成されたように聴こえる、スコット・ラファロが車の事故で急死したときなど暫く仕事はしたくないと語っていた。ある方に言われ日本プレスの“Waltz For Debby”を入手し試聴するが確かに音質は良い。



ビル・エヴァンスの演奏は「優雅で上品」あるいは「叙情的」や「耽美的」といった言葉がよく使われます。漠然とした形容ですが、的を射た表現だと思います。これは、クラシック音楽の素養を持った彼ならではの個性かもしれません。LS3/5Aを改良して試聴したがつまり、ジャズ史に輝く「ワルツ・フォー・デビイ」「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」+アルファー。

50年前の録音ということを考えると、録音状態の良さは驚異的だ。トリオの演奏はもちろん、食器の音や客の会話、そしてD1の1曲目途中で録音が中断するハプニングも含めて全てが生々しく、そして愛おしく感じられる。



以前と比べ違う用に感じたのはドラムのリアル感が増した感じで決して煩くなくなく、ジムランとも違い自然に感じるドラミングに感じる、ポール・モチアンが絶妙に聴こえる。この後ベートーヴェンのピアノも聴くが確かに音質は透明色が強く感じ澄んだメゾフォルテの音に共感を感じつことが出来た。密閉型のエンクロージャーには良い方向性が得られるのかもしれないが、手間を考えれば、アンプ交換でグレートアップを図るこのをお勧めします。筆者は211、845 真空管の程度の良いパワーアンプで鳴らしてみたいですね。

後は伝統ある欧州管を使った気品に満ちたアンプなども大変魅力を感じます、今後どのようなパワーアンプで楽しむことが出来るでしょうか?



後の注意点は「すでにお読みかもしれませんが、BBCが公開している報告書”The design of the miniature monitoring loudspeaker Type LS3/5A”は、キャビネットの材質は白樺合板で桟はブナ材にしろとか、ネジ穴でさえ気密にしろとか、なかなかうるさい仕様が載っていて有用ではないかと思います。」とこのような説明も有りましたが、勿論先日指物師の方から釘は使わず、組み込め式の合わせ方が良いが、ビスを使い場合は木工ボンドをビス先端に塗り勿論ドライバーで手締めし、後は最後確認のため確かめ密閉する方式にして仕上げました。確かに密閉度は上げたのが良い結果が出る。

密閉箱でのエンクロージャーで聴いている方は、密閉度を上げる工夫を考案すると良い醸せてない、例えば密閉する場所に薄い機密素材を貼りボルトは先の部分に木工ボンドを塗りしっかり締め込む等考案するよ良いと思う。


今回の改造は結果的には微力ながら若干の音質の向上はあり、特質部分はヴォーガル関係は以前と比べ自然に聴こえるように感じた。
後は全体に微量ながら音が澄んだ感じになったことです、又今回の改造で今まで愛用のスーパーツイターを外してもあまり変わらなく聴こえる確かに高音に微妙な効能があるようだ。

こうしてLS3/5Aを改造?して気付くは、ある程度の製品ならば購入時に近い状態に戻し、後は分かる範囲のセッティングさえしっかり行い、設置位置を指定するように据え付け試聴すれば、このシステムで十分音楽を鑑賞するには十分であろう、幾分古さは感じるが音いじりするには別の方法もあろうが、JAZZからクラッシクまで勿論ポップまで略楽しめる、若干品位もあり流石BBCモニターと称することは納得させられる音に変わったようだ。
しかし希望した重低音は残念ながら体感できないのは残念ですが、エンクロージャーの大きさから想像すれば納得出来る音は出ていると思うが・・・

これを機会に暫くビル・エヴァンスの音楽を探索してみる事にする。

音楽の試聴は始まったばかりで音楽全体はまだ聴いていませんので詳しくは試聴が済み次第ご報告させていただきます。但しジャズヴォーガルは期待できる、古い録音もある程度は濁りが少なく聴けるように思った。
しかしまだ完成品とは思われない、エンクロージャー無しでユニットに繋げて聴くと実に素性よ良い澄んだ音がする、問題は箱なのであろうか、ブラボー!

シギスヴァルト・クイケン(vn)弦楽器を聴き思い立つ、「ho's systemのLS3/5a」の改造計画を考察する。

2021年02月13日 | クラシック音楽・オーディオ


GOODMANS AXIOM 80にはA.R.U.付きの箱に入れたTANNOY10吋ⅢLZMKⅡモニター・ゴールドから響く音楽は実に耳触りも大変良く、サブのLS3/5aを聴くことが徐々に遠ざかっている。あれだけ欲しかったLS3/5aの音はこの程度なんだろうか・・?疑問がまとわりつく。今回は少し改良を試みた事を述べる。しかし普通に考えればエンクロージャーのサイズからは想像以上の音は出るのだが、後少しの重量感が欲しくなる。
無理は承知であるが、音質向上のために少しの努力をしてみることにした。



最近少し在庫の珈琲は少なくなってきた、「いつもの珈琲」を注文したが、先日到着した新しい珈琲タイトル名が「焙煎したてのコーヒー」の名前が気に入り注文した。
封を切り開けた途端にいい香りが漂う瞬間は実にまろやかな時間が立つ。どの珈琲も焙煎後直ぐに挽いて淹れる新鮮なものは一番美味いと思う。



早速手回しのコーヒーミルで弾き珈琲を淹れる。勿論ミルで挽くときの香りは最高である。漂う香りの旨さでもある。
最近入れ方もネットで調べた新しい入れ方が香りも良く、その淹れ方模写しています。

淹れたての珈琲を頂きながら少しは味も期待したが「いつもの珈琲」と比べあまり変わらない、体調もあるだろうし、普通に美味かった。ここで注意は筆者の定番の銘柄で白のパッケージの名前が「いつものコーヒー」と言ふ名前だ。



久しぶりにオームさんが語る虚構世界の狩人―私的選書(1980年)の中より「AXIOM-80」を再度読み直したが、オームさんの購入のAXIOM-80A.R.U.付を指定の箱に入れ鳴らしたがさい者は全く上手く鳴らなかったそうだ。

(その後の数年間は AX'-80 から少しでも良い音を抽き出そうという努力に終始して、そして私の直感に狂いはなくやがてAX'-80は美しい音で鳴ってくれ、私はますますこのスピーカーに惚れ込んでしまった。
そうした努力のプロセスで、一個のスピーカーをより良く鳴らすためにプレイヤーからエンクロージュアまでがどうあるべきか、そのコツのようなものをAXIOM-80は会得させてくれたし、またそうした技法にとどまらず、オーディオの、いやオーディオにさえとどまらず広く物の見方や考え方を、どれほどこのスピーカーから学ぶことができたか計りしれないが、いまはそのことに触れようとしているのではなく、たった一個のスピーカーが、一人の人間をそこまで啓発する、あるいはそこまで惚れ込ませる、その魅力、いわば《物》自体の魅力について語ってみようと思うのである。)
と語っている。



AXIOMを上手く鳴らす事に随分苦労をし、部品アンプ等を吟味し満足する音にしていった努力は大変であったんでしょう。
昔の諺に「弘法筆を択ばず」という言葉があるが、一般的には、意味は弘法大師のような書道の名人は、筆の良い悪いを問題にしないの意) と解説するが、真にその道にひいでた人は、どんな道具を使っても優れた成果を上げるものである。道具の良い悪いにこだわるのは真に腕前のある人ではないの意。と解説しているが、筆者が思うに、実は奥が深い考えもあり、筆達者の人は上手く使える筆を選ぶ事が出来、多くの筆の中より自分に有った筆を選ぶという事が出来ると解釈しています。

今回のエンクロージャーの改良は目の上がった(遠視)の方には可也難しい方法である、意外と手間のかかる仕事であることはお勧めしないが・・・

今回の改装は東芝音響事業部に所属した友人の昔の話である『そのむかし、東芝オーレックスの全盛時代、ステレオグランプリ?オーディオグランプリでしたか、そのスピーカー部門での入賞を狙い色々と手を尽くし、評論家から評価を受け、確か瀬川冬樹氏に色々言われたので、トコトン改良して行き、有響室無響室でのデータを取ったり模索の連続で吸音材に鉛の玉を埋め込むのは最終手段だったと記憶したいます。それでスピーカー部門のグランプリを取ることが出来ました。スピーカーの形状は台形型のフロア型でした。』この言葉をヒントを受け今回の改造を実行した。



其のような事を思いながら最近サブのLS3/5aの不満を考えると、これは低域の体感の不満が一番で、解決方法は大型エンクロージャー?バックロードホーン等に変更することであろう、そうなるとLS3/5aではなくなってしまう、ここで旧友(元某大手音響事業部に属していた)の語った事を思い出す。当時スピーカーの音響の事で鉛玉の活用のため吸音材に鉛玉を注入したことを教えて頂いた、筆者の仲間が大変手間のかかる方法だが確かに音質は良くなったとい言う言葉を信じ藁をも掴む心境だ。



しかし此のような事は他人が見ればなんと阿呆のようにも思われるだろうが、本人は大マジで釣具屋に買い物に走り、細かな作業を実行する、たかがこれはスピーカーの音質に変化があるかの疑問追求の事で一般の人には実に馬鹿げた話である。一般的に見れば狂人と言われると思われるであろう、其れが趣味の世界なのだと自分に言い聞かせ、これで音質に変化があれば救われるのだ。

そこで考えつく方法は釣具の噛み潰しの鉛玉である、3号程の釣り糸に10mm間隔程に噛み潰しの鉛玉を付け吸音材に詰める方法がある、実際にはこの方法では試したことは無いが、オトキチにとってはあまり金額は掛けず手間はかかるが試して見てはと、早速釣具屋に走る。
鉛の噛み潰し(300個ほど)と釣り糸3号(テグス)を購入し、LS3/5aを解体する、そして吸音材を取り出し、テグスに噛み潰しを10mm間隔で取り付ける。
このテグスに噛み潰しを付ける作業は実に手間が必要で時間がかかります。たまに目薬をつけ、目をしょぼつかせ行う作業は実に惨めな姿です。メガネも徐々に度数が上がるようです。



この作業は実に面倒で側面2枚裏蓋1枚の合計3枚分の重りを付けるのに2日間掛かってしまった、作業して思うは、音質が良くなれば良いのだがと何度も思う変わらなければ苦労だけが残る。

この鉛に関する事で思い出すのは筆者の友人で、今は亡き友人に大変は車好きの男がいた、死亡原因は偏食の塊で野菜嫌いは有名であった、彼は大型の車が好きで当時70年台の日本車は2000ccの車が最大で、当然高価な車だが乗るのはメーカーをワンランク落とし元々マツダのデイラーに務めた事はあり、比較的安価にマツダの最高機種の2000ccの車にに乗っていたが、彼曰くトヨタ車センチュリー等との違いは板金の違いで、ドアーの開け締めで音が違うと力説する、そのためドアー部分を分解し薄い鉛板を挟むと同時に運転席助手席等の床に薄い鉛板を強化したという、他にも薄い鉛板が挟める所には挟んだそうである。

結果修理後助手席に乗ったが、もちろんドアーの開け締めは、高級車のような重低音の「ドッス」と音がして密閉性が良いのか静粛感が大変優れた、運転しながら小声も勿論判別でき、室内の音響も意外と良いサウンドが聴こえた。車の運転で疲れることは室内の静粛性が肝心と言っていた。
改造費を伺うと材料費は大したことは無いが、手間賃が10日分は必要と言っていた、確かに鉛効果はある程度期待できることかも知れない。私もその後3リットルのレクサスアリストに乗っていたが確かに静粛性は抜群でエンジン音も静かで快適だった但しスピード感は無い事が特徴であった。



そのような事を思い出しながらLS3/5aの中の吸音材に切り込みを入れテグスに挟んだ鉛玉を入れ込み、LS3/5aを組み立てる。
当時オームさんの購入のAXIOM-80もこのような涙ぐましい努力と知識と折合わして徐々に美音に近づいたのかも知れない。

結果はとりあえず片側のスピーカーで確かめた見る、片側の修理だけで3日間かかってしまった。スピーカーケーブルを繋げ恐る恐る音出しをする。

勿論他の方法で音質を高める方法もあり、一番手軽な方式はパワーアンプの良質な物にとの交換が簡単だが、気に入ったアンプはとても高額で貧困老人には手は届かない、自作出来ることなら一番だが技術力は全く無いので無理である。



テストに使用は今まであまり上手く聴こえない、ヘルムート・ヴァルヒャ[1907-1991]がステレオ初期にEMIに録音したバッハのチェンバロ作品集の中よりこれらの音源は、ドイツの音響技師、エーリヒ・ティーンハウス博士[1909-1968]によって、ハンブルク=ブランケネーゼのスタジオでセッションを組んでレコーディングされたものです。

使用楽器はドイツのアンマー社が製造していたモダン・チェンバロで、澄んだ美しい音に特徴があります。ヴァルヒャの演奏は、オルガニストとしてのヴァルヒャのスタイルを想起させるもので、繰り返し現れるフレーズの形を正確に再現することによって得られる対位法的な効果を随所で感じさせますが、謹厳実直なヴァルヒャのことですから、こまかな感情移入などは一切顧みられず、結果としてゆるぎない造形構築がより際立つことにも繋がっているようです。
特にアンマー・チェンバロの美質でもある音色も聴きもので、たとえばゴルトベルク変奏曲第3変奏と第19変奏のリュート・ストップの使用は、全体の生真面目な様相に変化を与えて魅力的でもあります。



筆者のTANNOY10吋ⅢLZMKⅡモニター・ゴールドにユニットに替えて聴いたが、以前より重厚さが増して聴こえた。この改造したLS3/5aはいかに、早速アリアから鑑賞するが、今までとはあまり違いが解らない、しばらく慣らし運転のつもりで、音楽を楽しみ、翌日アンプに火を入れ再度試聴すると、なんとなく高域が若干涼やかな感じに聴こえる程度である。

暫くしてエンクロージャーに近づき聴くと、若干だがしっかりした低域が感じる音がした、でもリスニングポジションで試聴は多少の高域が心持ち良くなったように感じた程度だった。基本はあまり際立った変化はしなかった。

ここまで実行して中途パンパな感じも嫌なので、両方の改造を考えながら、弦楽器の曲を聴く・・、おや?違う、思わず乗り出す、実にリアルな演奏を感じる、勿論低音から高音まで実にリアル感のある弦楽器の音に変わったように聴こえる、LS3/5aは只者では無いのだTANNOYのお株が奪われるような鳴り方、でもTANNOYとは違うリアル感が優れているように思う。弦楽器を聴けば後3日間テグスに鉛玉を付けあと1本のエンクロージャーを改装することに勇気づけられた。

少しは期待した感じも合ったのだが肩透かしを食ったようであるが。弦楽器の音質が確かにリアル感が出たのだ、ここで筆者の好きな曲でもと思い、レオンハルト(cemb)を聴くことにした。



ドイツ・ハルモニア・ムンディ バッハ名盤撰、J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集 (全曲) BWV.1014-1019:シギスヴァルト・クイケン(vn)/グスタフ・レオンハルト(cemb)
『J.S.バッハ: ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集(全曲)』をじっくり味わってみる。


【曲目】
 1)ソナタ 第1番 ロ短調 BWV1014
 2)ソナタ 第3番 ホ長調 BWV1016
 3)ソナタ 第6番 ト長調 BWV1019
 4)ソナタ 第5番 ヘ短調 BWV1018
 5)ソナタ 第2番 イ長調 BWV1015
 6)ソナタ 第4番 ハ短調 BWV1017
【演奏】
シギスヴァルト・クイケン(バロック・ヴァイオリン…マッジーニ派,17世紀)
グスタフ・レオンハルト(チェンバロ…J.D.ドゥルケンのモデル[1745年アントワープ]によるマルティン・スコヴロネク製[1962年ブレーメン])
【録音】
1973年6月13日 アメロンゲン城,オランダ
ADD/STEREO/96KHz/24-bitリマスター [45:25+48:59]

録音は古いが、今までとは違った生々らしいヴァイオリンの弦音が鳴った、実に透き通って美しい独特の艶のる音色が聴こえた、此の改造は意外と良い方法かも知れない。現在昨年末に届き交換したTANNOYの10吋のテストも未だ途中だ、今回LS3/5aの改装が完了し試聴テストが終了するには随分先になるのであろう。勿論声楽、オペラ、オーケストラからJAZZまで調べる必要がある。当分楽しみが続く。



レオンハルトは歴史的チェンバロの奏法は、彼の弟子たちによって世界中に広がったのである。アラン・カーティス、アンネケ・アウテンボッシュ、クリストファー・ホグウッド、ジョン・ギボンズ、鍋島元子、トン・コープマン、ボプ・ファン・アスペレン、シェティル・ハウグサン、ロバート・ヒル、グレン・ウィルスン、スキップ・センペ、ピエール・アンタイ、リチャード・エガー、ケネス・ワイス……。そして孫弟子たち、アンドレアス・シュタイアー、クリストフ・ルセ、鈴木雅明、アリーン・ジルベライシュなど。実際に習ったことはないが、大きな影響を受けたことを公言しているトレヴァー・ピノックのような人たちを加えると、その人数は果てしなく膨らんで行く。

レオンハルトが不世出の名演奏家であったことには議論の余地がないが、「創始者」という面に着目しただけで、もし彼がいなかったら今日の古楽の世界は成立していなかったのではないかという感を強く抱かせる。その意味で、彼が、20世紀後半から今日にかけてのクラシック音楽界において、最も大きな影響力を持った音楽家の一人であったことが実感されるのである。



シギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken)1944年、ベルギーのブリュッセル生まれ。ヴァイオリニスト。7歳のときにルネサンス音楽とその楽器を知り、弟のヴィーラントとともに独学でヴィオラ・ダ・ガンバをマスターした。ブリュージュとブリュッセルの音楽院でヴァイオリンを学んだのち、1969年から、古いヴァイオリン奏法の復活に取り組んだ。顎当てや肩当てを使わず、楽器を顎の下にはさまないで演奏するこの奏法は、多くの演奏家に影響を与えた。

ヴァイオリンとチェンバロのための6つのソナタ。「無伴奏」と区別するため通称「伴奏付き」のソナタ全曲集です。無伴奏とは別の曲で、無伴奏の影に隠れがちですが、傑作です。古楽作品バッハ作曲トリオソナタの感銘。

この曲はヴァイオリンが一声、チェンバロが一声+通奏低音の二声で、三声のポリフォニーを奏でるように作曲されているので、両者には同じくらいの音量が求められるのですが、現代ヴァイオリンとチェンバロでは、チェンバロの声部がかき消されてしまいます。そのためこの曲には、バロックヴァイオリンとチェンバロ、または現代ヴァイオリンとピアノの組み合わせが合っているのですが、これは前者の古典的な名演で、対位法的からみがよく聴き取れます。もともと鍵盤が主役の曲なので、キャリアの問題がなくてもレオンハルトが主導しているのは、ある意味当然のことといえます。



録音は70年代のアナログ録音としては悪くありませんが、チェンバロの演奏は少し古い録音だと響きの硬さが気になり、80年代以降の演奏と比べると今ひとつですが、それを補って余りある名演です。以前と比べ弦の音が良くなった感じはします、この後々少し残り作業をして完成させて再度視聴するつもりです。

これはピアノでのヴァイオリンモダンヴァイオリンで上手く演奏する演奏者を探して見ようと思います。ブラボー!

先日NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が完結した、意外と出演者の衣装が何故か自然に感じた、再度実物大の光秀を考察する。

2021年02月09日 | 歴史(世界史/日本史)の考察

昨年の暮れ近くに自宅の壁面の塗替工事をした、以前は玄関前は鉢植え等を置いていたが、工事後は何も置かずに日本家屋の玄関先をと、よりシンプルに見せるよう心がけている。すでに築後30年以上にもなるが、日本家屋の良さは月日が流れてもあまり変わらない表情をする感じは好みでもある。むしろ少し年月が流れた建物が味わいが出てくる様に見える感じもするが・・・。

建てた当時は客間8帖を茶室に見立て、壁は勿論塗り壁(漆喰)だが京壁は余り雰囲気に合わず、普通の(漆喰)鶯色に注文し、勿論廊下には水屋も設置し、部屋は書院作りにし天井も船底天井で茶釜を吊るす自在釘も装備し武家風のお抹茶の席も開催出来たが、10年前から義母と同居のためバリヤフリーに改装した。

昔からNHKの大河ドラマは好きで良く見ているが、武漢ウイルスの影響もあり、途中休み、先日「麒麟がくる」も最終回と相成った。
先日ネット上で2020年度【戦国時代の大名】人気ランキングTOP、10!が発表され以外にもTOP、10の中に明智光秀の名前も見つけた。
 第10位:毛利元就
 第9位  :徳川家康
 第8位  :黒田孝高
 第7位  :明智光秀


 
 第6位  :石田三成
 第5位  :真田昌幸
 第4位  :武田信玄
 第3位  :伊達政宗
 第2位  :織田信長
 第1位  :上杉謙信
となっていて、以外に思うは武将より智将が多く選ばれ改めて驚く次第であった。

歴史好きの爺さんが見た、遅咲きの武将「明智(十兵衛)光秀」とは、どの様な人物であったのか?一般的に武士としては大変不名誉な「逆臣」という烙印を押される「本能寺の変」を行った。歳は67歳説と55歳説があるが未だ不明な所が多く、光秀自身の生い立ちも不明な部分が多い事も事実のようだが、光秀の魅力ついて調べてみると大変教養もあり武士らしい武士であるように感ずるのは何故か?何故か思うは信長の兄貴といった様にも感じるが・・・・

光秀が家臣に言った文章の中に「瓦礫沈淪」と言う言葉が残る、よほど信長を信頼していたのであろう。

弱肉強食の戦国時代の時代背景が現実の時代に何か日本人としての、人としての大切さを守ろうとしたのかもと思える、美しい日本人らしい光秀の生きる形は共感が感じられる、信長と違う足利幕府時代の教養を持った武士像が見えてくるのは何故か。但し信長登場し一番の変化は戦闘方法にある、特に種子島の登場により「長篠の戦い」以降からの戦いは戦死者の数は10倍以上に増え、現在で言えば原子爆弾の投下で更に戦死者は膨大に増えた。



明智光秀、誕生不詳―1582年。素性も大変よく清和源氏の土岐氏支流である明智氏の長男として生まれる。織田信長に抜擢され、比叡山焼き討ちや丹波平定などの武功をあげる。本能寺の変で、信長・信忠親子を討つが、弔い合戦を掲げる豊臣秀吉との山﨑の戦いで敗北。落ち武者狩りで深手を負い自刃する。
筆者が思う一番不思議な点は、信長討取り後の行動の記載もなく、光秀らしくない行動が納得出来ない事は今も不思議である。

まず(「十兵衛」じゅうべえ)とは何か書かせていただきます。明智光秀の大河ドラマで、光秀は十兵衛(じゅうべえ)と呼ばれています。十兵衛は、光秀の通称です。それでは、明智光秀は何かというと、明智は名字、光秀は諱(いみな)(実名)です。諱の光秀は現在では馴染みのある名前ですが、諱は死者に贈る名前であるとして、光秀が存命当時、通常は通称の「十兵衛」の名前で呼ばれていました。(親や主君であれば諱で呼ぶことはあったそうです。)
戦国武将は、沢山の名前があってややこしいですね。光秀の場合も同様で、元服するまでは幼名の彦太郎(ひこたろう)でした。
天正3年に朝廷より「惟任」(これとう)と「日向守」(ひゅうがのかみ)という官位を賜ってからは、光秀の正式な名乗りは、惟任日向守光秀になります。
光秀はこの肩書から、「惟任」(これとう)殿とも呼ばれていたようです。

筆者が思う光秀像はこの「本能寺の変」事件の頃は一般的にはすでに隠居する歳になっていて、出世が遅すぎた事実でもあろう、此のあたりの正確な年齢不明で多分還暦近い年齢と想像する実に世にでることが遅かったようである。
正に遅咲きの武将で尚且との武将との違いは学識も高く、朝廷との関わり合いも如才なく取り仕切るさまは、他の武将では真似できない雅感があり、信長にも重宝された面かもしれない、行動は実に雅でもあったようです。


筆者が思うに、謀反は諸説色々理由もあるが単純に弟、信長への兄の戒めと思える行為と考えれば何かと辻褄があって来ることが理解出来るように思う。この考え方は信長から考える実の兄弟仲はさほど良くなく、むしろ光秀を自身の兄貴と思いを抱いたとは思えないだろうか?

一見光秀の性格は穏やかで、素性も良く勿論能力も高く一般教養があり、皇室関係(足軽頭)との付き合いもあり、其れなりに信用出来た人物と理解したように思える、正に利害関係は一致したのである。光秀自身従兄弟の道三の娘、濃姫には淡い恋心も抱いていた関係もあるようであり、信長を出世させようと心が動いたのかも知れない。信長の先祖はお寺と言われ、光秀とは位が違ったようです。
信長と同じ家来であっても、光秀と秀吉の扱いは特別の変化があったのだろうと想像できる。この辺り秀吉は良い気ではいなかった様に思う。

ここで一番面白い説は、信長、光秀とも実は生きて、海外で生き延びた説には夢があるが、最後は地動説を説いて処刑された説もあると聞く。

又今回の秀吉の描き方は筆者の思い描く秀吉ではなく、一般に秀吉について、「明るくて愛嬌(あいきょう)があって人懐っこくて、一般庶民と身近なイメージがあったりしますが、今回は明智光秀(長谷川さん)が主人公ですので、また 違った見え方になるかと思いますが、今回の「藤吉郎は出世欲が強くがむしゃらです」という印象を抱いており、『字が読めなければ出世ができない。教えてくれ』と頼み込みます。とにかく今の貧しさから抜け出そう、這(は)い出そうと、ひたむきです」と評している。

秀吉の裏側が大変良く描かれて関心する次第であるが、秀吉の本心が全面に出て、陰謀家として又百姓上がりの金儲け主義の人となりが見事に描けれていることも新しい試みで、武士出身の家康等との違いになにか今の政治の世界と似通った思いを感じた。今回の秀吉役は秀吉の裏の顔が出過ぎで、全くミスキャストに思える。従来「人たらし顔の秀吉」の顔が欲しかったと思うは私だけか?このキャストによると皆に嫌われ悪人の猿にしか見えない・・・のは何故か?

勿論日本の総理も誰もがある程度納得出来る人物でありたい日本の品格の問題である、今更言うことでは無いが日本が男女平等(日本人の考える男女平等とは、男性は男子らしい仕事を、女性は女子らしい仕事と区分していた)とか人種差別と植民地問題で日本は戦前このために戦争を行い、戦ったことは誰もが知っていることです。その後植民地から解放された国は多い、又逆に朝鮮等はロシア、支那から逃げるために日本に統治を頼みに来た。
班の国、大韓民国は盛んに反日と叫び不買運動をする国もあり戦後間違った歴史教育を行い竹島も勝手に自国に替えた情けない国も含め様々である。



最後に細川家との関係も公開されているが、今も残り光秀からの催促状の前の書状は残って無く、光秀の本心はやはり闇の中であり、本能寺の変の後細川幽斎と坊主になり改連歌の会を催し、光秀との関係を紛らわすのだ、
幽斎独自の文化的解決法にてその場を凌ぐ、狸坊主の幽斎が光秀同様の文化的生き残りの見本かもしれない。当時の武人は多いが教養人は少ない感じがこの事で解明出来るようです。

これも面白いエピソードではあるが、天正10(1582)年5月27日、光秀は戦勝祈願のため、亀山城から愛宕山山頂の愛宕神社を目指します。神社には西国遠征の戦勝を祈願するための参拝であると伝えていたようですが、山頂からは信長の宿所である本能寺がよく見えていたはずです。光秀公はここで、戦の結果を占う神社のくじを2度、3度引いたといい、心中の葛藤が感じられます。光秀といえば、武将としてはもっとも不名誉な、「逆臣」という烙印を押されてきた人物であるから、驚いた読者諸賢も少なくなかったのではなかろうか。

これまで大河ドラマに登場する光秀は、記憶の範囲内ではあるが、線が細く本能寺の変に至る過程で精神的に追い込まれてゆくように描かれることが多かった。これに対して、秀吉は一生を通じて豪放磊落に描かれてきたのではなかろうか。二人の関係は、一代の逆臣と英雄として、まさに陰と陽というように、対照的に理解されてきたのである。



『明智光秀伝―本能寺の変に至る派閥力学』では、そのような評価を根底から疑った。教科書的な通説では、元亀4年(1576)7月の槇島城合戦における将軍足利 義昭の敗退を室町幕府崩壊の瞬間とみて、その後の信長包囲網の中枢にあった義昭には、まったく関心がない。改元した天正元年から本能寺の変の勃発する天正10年6月までを、義昭を追放した天下人信長の時代とするのである。

封建時代の政治史研究の基本は、武家の棟梁たる将軍を中心に描くことにある。通説によると、義昭の兄である13代将軍義輝まではその原則は維持されているが、その後は信長へとブレてしまうのである。多くの同時代人からは、あくまでも正統は亡命中の現職将軍の義昭であって、信長こそ将軍を利用した逆臣であるとみられていた、と筆者は判断している。戦国時代の将軍の亡命は、常態であり珍しくなかったからである。

天下統一を目指していた織田信長を家臣だった明智光秀が討つ、日本の歴史上の最大の謀反として語り継がれている「本能寺の変」、未だ多くの謎が残されているとされる歴史は、今後どのように描かれるのか。
天正11年の賤ケ岳の戦いでは、織田信雄(信長次男)を使って信孝を尾張大御堂寺(愛知県美浜町)で自刃させ、翌天正12年の小牧・長久手の戦いにおいては、織田家の家督となった信雄を集中攻撃して降伏させた。さらに天正18年の北条氏攻撃の後、織田家の本国尾張からの国替を拒否した信雄を改易している。



このように、恩義ある主家を一貫して否定したのである。織田家以外なら、出自が低かった秀吉を軽輩から城持ち重臣にまで取り立てたりはしなかっただろう。信長のみは、秀吉の非凡さを見抜き、周囲からの批判を抑えて活躍の場を次々と与えたのである。このことは、かつて今川家への仕官に失敗した秀吉には、痛いほどわかっていたはずだ。

ところが、そののち現代に至るまで、秀吉が逆臣と誹られることはなかった。徹底的に追い詰められた光秀は、旧主義昭を奉じて信長を討った。幕臣らからすれば、光秀こそ逆臣を討滅し伝統国家の存続に命を捧げた英雄だった。それに対して、どのような見方をしても、主家をないがしろにし続けた秀吉こそ、稀代の逆臣といわねばなるまい。

光秀と秀吉との違いは、一体何だろうか。それは、唯一、天下人となったか否かのみである。巷間の評価とは、かくも虚しいものなのである。
光秀の構想に天下はあまり考え無く、幕府中心の平和を夢見たようであろう。と思えば光秀らしい考えと思う。



信長的世界の完成を、光秀は望まなかったという下りから・・・
此処から注目は心理分析を脳科学者中野信子が、戦国武将光秀を脳科学分析した何故謀反を起こしたかの解析の記事が面白いので引用させて頂いた。
注目資料は、光秀肉筆の書簡(記録)のようでした。意外と部下思いである。光秀の最大の欠点は高学歴出来男であった事が原因かもしれず歴史も此のような解析を試みることは面白い。

新奇探索性という性格類型があります。英語ではnovelty seeking。危険を顧みず、新しくて刺激的なものに引きつけられるという性質のことです。
この性質を強く持つ傾向の人が、運と才能に恵まれると、常識では考えられないことを成し遂げることがある。古い因習にとらわれず、新しい技術を積極的に採り入れ、他動的に手を打ち、莫大な利益をあげ、急速に勢力を拡大し、大衆の心をつかみます。そういう人は、今の時代にもたくさんいますよね。

新奇探索性はドーパミンと関係します。ドーパミンは神経伝達物質で、脳を覚醒させ、快感を与え る。恋愛のドキドキも、やる気が出てわくわくするのも、主にドーパミンがもたらす感覚です。好奇心が湧いている時や、何か新しいことをするときに放出されやすいため、その快楽報酬を求めて、脳は新しいことを追いかける。これが新奇探索性です。



ただしその傾向には個人差があり、かなりの割合で遺伝的に決定されているらしいことが明らかにされています。鍵になるのがドーパミン受容体DRD4の遺伝子、その型によって新奇探索性の傾向が強いか弱いかがある程度決まる わけです。そしてここが大切なところなのですが、日本人にはこの新奇探索性傾向の強いタイプの遺伝子を持つ人が他の国民に比べてかなり少ないことが統計的調査でわかっています。欧米人の5分の1から25分の1というデータもある。新奇探索性傾向の強い人は日本では少数派なわけです。

リスクを取って新しいことに挑戦する新奇探索性の反対は、保守性です。心配性で、悲観的で、損害を避ける。価値の定まった古い物、伝統的な価値を尊ぶ心もこれにあてはまるでしょう。光秀はたぶんこのタイプの人でした。
二人はその根本で戦略的に正反対だった。信長戦略と光秀戦略の対立が、本能寺の変の真因だった というのが私の見立てです。
新しくて危険で面白い方を選ぶか、堅実で長続きしそうで危険の少ない方を選ぶか。それは教育や 経験より、生まれつきの性格で決まっている可能性がある。だから話し合っても解決しない。

勝竜寺城


出会った時の二人は、むしろそのタイプの違いに惹かれあったのでしょう。自分にはないものを持つ人に、人は憧れる。戦略の違う人が組織にいれば、組織は強靱になります。信長が急速に勢力を拡大していく過程では、それがうまく機能しました。京都を支配下に置くためにも光秀戦略は役に立った。二人はなりふりかまわず、手段を選ばずに、実を取ったわけです。天下統一は目前でした。その後の日本全体の形を考える段階に来て、二人の戦略が齟齬をきたしたのです。それが天皇の問題なのか、四国の大名の処遇の問題なのか、あるいは他の何かか……それは歴史家の検証を待つとして。

これは現代の企業でもよく起きる問題です。大きな目的を持って仕事をしているときに、その仕上 げの段階で会社のトップが仲違いをする。アップル社にも、そういう歴史がありました。
信長への違和感が高まっていたときに、本能寺にほぼ無防備の信長がいて、周囲には自分の軍勢だ けしかいないという千載一遇の機会が到来します。信長がこれ以上大きくなってしまえば、もう倒すチャンスはない。光秀はその好機に、衝動的に飛びついた。信長を倒すこと自体が彼の目的だった。野望ではないと思います。野望なら、光秀のことです、周到な準備をしたはずですが、その形跡が見あたりません。彼はある種の使命感のためにあえて逆臣となった。そう私は想像してしまうのです。

さて本編に戻りますが、今回の役者の衣裳は見ごたえがあり、人それぞれ実に綺羅びやかさ、艶やかさ、又実に渋い小袖等配役により実に良い感じに写った、種明かしは“黒澤監督の長女の黒澤和子”によるところが多いと見た。


今回の衣裳は筆者の好きな服飾デザイナーが担当してます。衣裳デザイン・黒澤和子1954年、黒沢 明の映画『七人の侍』打ち上げの日に、黒沢 明の長女として東京に生まれ、1988年、父の進言で、映画界に入る。父の影響で映画の世界に魅せられ、時代考証や日本民族衣裳の勉強に励む。「汚し」のテクニックが評価され、それを軸に時代衣裳デザインのすばらしさに目覚め、経歴を積む。時代劇から現代劇、リアルな作品からポップな作品まで幅広い作品を手掛ける。主な作品に映画『八月の狂詩曲』『まあだだよ』『アウトレイジ』『万引き家族』『清須会議』NHKでは「とと姉ちゃん」「西郷どん」など。黒澤明監督の映画「夢」「まあだだよ」のほか、映画「たそがれ清兵衛」「座頭市」「武士の一分」などの衣装デザインを担当。

光秀の渋めの衣装の中にモチーフにした柄は竹と笹の葉の綺麗さは今までには無い艶やかさが感じる。 スクスクと伸びていく竹、風に サラサラと揺れる笹の葉で、光秀のこれからの成長と爽やかさを表現しています 。
益々魅了する十兵衛像が出来上がってゆく、このあたりが魅力的でもある。



今回はエキストラの方の衣装も含め膨大な数をデザインしています。しかも、既存の織物屋さんや生地屋さんにあるもので代用できないものが多いので、新たに染めたり、柄を付けたり・・・。染め屋さんで私がイメージしている微妙な色合いを出すのが難しいときは、自分たちで染めたり、柄付けをしたりもしています。今回の大河の見どころは目を瞠るような華やいだ衣裳とメイクには流石黒澤和子流の手がけた各シーンは実に感動ものでした。

和服での着こなし、思うはこの作品は和服の着付けを習っておられる方は注目したことであろう、独特のオシャレ感これは何時の時代にも共通する感覚で、特に和服の艶やかさ色っぽさの表現は、この時代だからこそ面白く着こなせてのであろう、兎に角独特の色彩が艶やかに感じた、日本独自の伝統色の春色、秋色を多く取り入れ一層色めき立つ配色は流石だ。

最後に江戸時代に明智の家来である斎藤利三の娘は「斎藤福(ふく)」のちの「春日局」になる、1579年(天正7年)に美濃斎藤氏の一族である「斎藤利三(としみつ)」の娘として誕生。愛称は「お福」、3歳の頃本能寺の変が起こる。歴史とは実に面白い展開をする。
歴史は何時も新しい発見により謎が解明できる様に思う、今回も又新しい解釈が発見されたような事が楽しみでもある。ブラボー!