伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

Carl Adolph Schuricht指揮、BBCとのKEFとの関わり合いを探る、今思う大変良質の音が聴けるスピーカーロジャース「LS3/5a」を検証するの巻。

2021年01月30日 | クラシック音楽・オーディオ

今日は近くの公園にて、寒梅を楽しむ、その前に風呂を沸かし頂き物の「柚子」をガーゼタオルにくるみ湯船に入れる。散歩から帰り次第、入浴楽しむ、昨夜は深夜まで仕事で明け方シャワーを浴び就寝したが、バスタブでののんびり感は格別だ、風呂から上がりゆず入りの酎ハイをいただく、そして好きな音楽を聴きながらの一時はこの世の天国である。久しぶりのLEICA LENS300mmで撮るそして飲みながら現像すると、いい感じです。ある程度のLENSが良ければ誰にでもそこそこの写真は撮れると思うのだ。

このカメラの話とオーディオの話は似通った所が多く、筆者としても大変興味深い。最近の日本製のカメラも随分高額で性能も向上したが、LENSはLEICA、CONTAX LENSが格上の感じがします。カメラの話は又改めてお話させて頂きます。なお筆者は初め地元ミノルタから始まりました。

若き頃はジャズ音楽が好きで、特にJBLのユニットを使い山水のLE8Tの音が好きで、当時のジャズ喫茶に通った。学生時代で金も無く、珈琲一杯で粘って聴きたいレコードを待ち続けた思い出が残る、卒業後やっとスピーカーを入手したのが、選ぶは日立のスピーカーでした、音質は普通ですが、ジムランとは違う音質を、どうしてこのスピーカーを選んだのか未だに不明です、思うにクラシックを聴き出したとこが理由かもしれない。

義弟は長岡式のボックスを自作して大型コーラルの15吋のユニットを取付、オルガンの重低音はこのような音だと自慢していた記憶が残る。その後TANNOYのレクタンギュラー・ヨークを注文するが、コーン工場火災で、低音はKEF、後はグットマンという混成部隊の一応BBCのモニターでフェログラフF-1というデザインはモダンなスピーカーを入手する、それからTANNOYがHPD295という新しいⅢLZを発表したニュースで知ったが、その頃から徐々にオーディオへの情熱は冷めていった、経済的なことも理由だった。
機材もメンテナンス等疎かにして簡単な小さなKEF Coda7に安価なレシバーで音楽は十分と思いほとんどの機材は破棄してしまった。



そして7年ほど前に同じく簡単に音楽が聴きたくなり、デジタルオーディオに目覚めこの機種も古くなったがまだ現役で筆者はプリアンプとしても代行させている、奥の細道でKEFの小さなスピーカーを購入し気軽な音楽マニアになり好きなバッハを中心に聞き出した。
LS3/5aの音が聴きたが、中古市場も高値でそれも当初販売したロジャースなどは大変高価にてプレミアム価格が掲載される、しかしここで初期型は法外なプレミアム価格がついている。

そして最後にスピーカーターミナル部分。初期~ロンドンシリアル時代はバナナジャックが主だったようです。たまにXLRのものもあったようです。このタイプの接続には以前違う機種でこの接続がうまい具合に接続出来ずにバナナジャックに交換した記憶があり、欧州のエンクロージャーは意外と多く使われているが、苦手な接続プラグである。
以前欧州のスピーカーの接続もこのタイプでケーブルを替えたい等の気持ちは勝手に替えさせないという感じが嫌いで購入を断念した苦い経験を思い出す。



そのような時期に現れてた新古のデトックス品「ho's systemのLS3/5a」能率86dB、入力は8Ωサイズ18.8 x 15.6 x 30 cm重量は約4.25Kgと表記してある。又ネット上でho's LS3/5a について調べると、BBC標準のROGERS LS3/5aに基づいて開発された2ウェイシール型ブックシェルフ型スピーカーシステムだそうです。キャビネットはMDF(中密度繊維板)で作られています。 ツイーターとウーファーの両方のドライバーユニットは、ho'sのオーディオによって設計および製造されています。 同様の物のKITで「キット屋」さんの商品を販売したいたが、この商品とはネットワークがho'sとは違うと力説されたおられたが筆者には同じように感じた。現在この「ho's systemのLS3/5a」のタイプを愛用している、吸音材を交換したがある程度の音質の向上はした。

先日タンス職人(指物師)と話をすることが出来た、その職人曰く昔のタンスは釘は使っても竹釘で接続部分は組み細工で拵え密度を保ち、しっかり作れば決して水漏れ等の事故は無いと、又竹釘は木製故木の経時変化のために使っているとテクニックを押せて頂き、勿論金属のネジ等は当然使用しないと言っておられた。
実はエンクロージャーの密閉箱について相談すると、その方はジット考え、こう呟いた、これは一番最悪な方法だが、接着面の取り付けを木ねじを使う場合はネジの先に木工用ボンドを塗布してインパクト等は使わず、ドライバーでしっかり手回しで閉めれば密閉度は増す、これはボンドをツケすぎないことが味噌と教えて頂き、早速自宅のLS3/5aの接続部分の補修を行いボンドが乾くまで放置した。



その後に良く乾いた頃に視聴すると、今まで気になっていた高域の音質の締りが良く感じる、好きなチェンバロ曲で確かめるが、締りが良くなったように感じた。後日増し締めを行い終了とした。

筆者の好きな曲を試聴する、意外としっかりした音になった気がする。意外と細かな気配りがたいせつな事と学びました。勿論TANNOYとは違った音色はしますが、実に素直なLS3/5aの音出しに改めて感動を覚えた。

カール・アドルフ・シューリヒト(Carl Adolph Schuricht, 1880年7月3日 – 1967年1月7日)は、ドイツの指揮者。
Carl Schuricht / カール・シューリヒトの特徴とレパートリー。
シューリヒトはバッハからマーラー、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、ディーリアスまでレパートリーが広いが、特にモーツァルトやブルックナー、ベートーヴェン、ブラームスの交響曲の演奏が知られている。若い時代の一時期を除くとオペラの指揮はほとんどなく、同時代の指揮者としては例外的に歌劇場との関係も薄いが、そのことに関しては彼自身も遺憾であったと述懐している。



シューリヒトはかなり高齢になってから世界的名声を得た人であり、特に晩年はリウマチの悪化により、杖をつきながらかなり長い時間をかけて指揮台に登場した。しかしひとたび指揮台に上がると、年齢を全く感じさせない輝かしい生命力が、彼の指揮姿からもその音楽からも湧き出て、聴く者に(そしてオーケストラの楽員にも)大きな感銘を与えた。

シューリヒトの演奏スタイルは、基本的にテンポが非常に速く、リズムは鋭く冴えており、響きは生命力に満ち、かつ透明度の高いものであった。彼の楽譜の読みはどの指揮者よりも個性的で、ある時はザッハリヒに厳しく響かせたり、ある時はテンポを動かしながらロマンティックに歌わせるなど、決して一筋縄ではいかない意外性があったが、音楽全体は確信と明晰さにあふれていた。また、同じ曲でも決して毎回同じようには指揮せず、演奏するたびに新鮮な感動と発見を聴き手に与えたという。



これまで良質な復刻には恵まれてきませんでした。CD時代では初期から発売はされていたものの、ようやく2012年に海外リマスター盤が出るなど、演奏の素晴らしさに比較して、冷遇されてきたとも言える音源です。演奏は、数あるシューリヒトの録音のなかでも特に素晴らしいもののひとつであり、当時のパリ音楽院管弦楽団が持つ優美な音色は、現在では特に失われた響きを懐かしむ点も含め、評価されるべきポイントのひとつです。特に木管楽器やホルンは出色。このオケの特筆と、当時録音するにあたりシューリヒトがパリ音楽院管を選択したという点も、加えて興味深い要素でしょう(尚、録音にあたりウィーン・フィルではなくこのオケを選んだ理由は、ブックレットの満津岡氏による記述に詳しく掲載されています)。

しかし当時のリリース時は多難な船出でした。EMIは当時モノラルからステレオの移行期であり、DECCAとの最後の録音となった「未完成」と「ハフナー」はステレオ録音だったのに対し、その後のEMIのこの録音はモノラル収録であったこともあってか、当時ドイツとアメリカでは発売されませんでした。イギリスでも「英雄」と第7番以外は廉価盤として発売されたという経緯があります。日本では全集として発売されながらも、当時の評論家には両者の組み合わせを疑問視する向きが一部にあり、正当な評価がされていなかったのではという疑念が残ります。しかし一方で多くのリスナーはこの音源だけが持つ特筆に早くから気付き、未だに多くのファンに愛されている名盤として長きにわたって支持されてきたことも事実です。



ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 Op.125『合唱』
 マリア・シュターダー(ソプラノ)
 マルガ・ヘフゲン(アルト)
 マレイ・ディッキー(テノール)
 オットー・ヴィーナー(バス)
 南西ドイツ放送ヴォーカル・アンサンブル
 シュトゥットガルト教員合唱協会
 シュトゥットガルト・バッハ合唱団
 録音:1961年9月13日 リーダーハレ、シュトゥットガルト(ライヴ)
1958年3月&5月ステレオ録音

少し早めのベートヴェンではありますが、いつものような小粋さは健在だが、所々フルトヴェングラーかと思わされるような推進力。音質も所々心許ないが、十分許容範囲だ。シューリヒトの第9、これも残したい銘盤かもしれない。このような感じで楽しめる、小さなエンクロージャーで楽しめる「LS3/5a」実力あるミニタイプスピーカーと思う。


いつかは欲しい本物のROGERS LS3/5A 初期型詳細
型式    2ウェイ・2スピーカー・バスレフ方式・ブックシェルフ型
使用ユニット    低域用:10cmコーン型(KEF B110)
高域用:2.0cmドーム型(KEF T27 SP1032)
再生周波数帯域    70Hz~20kHz ±3dB
入力インピーダンス    15Ω(BBC規格)
出力音圧レベル    82.5dB/W/m
クロスオーバー周波数    3kHz(BBC規格、FL6/23)
最大許容入力    25W
外形寸法    幅185x高さ305x奥行160mm
重量    5.3kg

そこで再度BBCの推奨する音を再考してみた、筆者の好きな癖の強いタンノイもモニーターではあるが、違った意味の癖の無いBBCモニターを探って見ました。BBCとは「British Broadcasting Corporation」の頭文字をとったもので、英国放送協会のことである。1973年に民間放送が許可されるまで、受信料で運営されていたイギリスの国営企業であり、そして唯一の放送局(長波・中波・短波・FM・TV)だった。
非常に興味深いのでもう少しLS3/5aについて深掘りする、これ以降は引用文章であります。興味ある方はお読みください。



このBBCは世界中の放送局の中でも音質の改善には極めて熱心な放送局の一つで、局内にて使用する放送用機材に関しては、BBC独自の技術研究所にて、日夜研究・開発を続けている。そして、その中でも最も重要なテーマとして位置づけられているのがモニター・スピーカーの研究である。
モニター・スピーカーとは、一言で言えば「検聴用」スピーカーである。利用シーンは様々で、例えばレコード会社が録音物をチェックするためだったり、ホール講演会などのモニター目的であったり、あるいは放送局において放送プログラムを制作する過程で、マイクが拾った音、あるいはテープで作っていく音を技術者たちが聴き分け、その音を元に放送の質を改善していったりする、ある意味エンジニア達の耳の延長でもあったりする。

当然、音楽用スピーカーとは性格が異なる。音楽用スピーカーは、時に聴きやすさを重視し、原音とは異なる艶や美感を加えることもある。しかし、モニター・スピーカーではそういうことはない。あくまで原音に忠実な音質であることが求められ、そのためフラットで平坦な周波数特性の機種が多い。
BBCモニターには、BBCによる厳格なモニター・スピーカーに対する基準が設定されている。それは「自然な音」であり、「スピーカーから再生されているということを意識させない音」である。それがBBCの研究テーマであり、BBCはその実現に向けて少なくとも1945年からその研究に着手している。というのも、BBCの定期刊行印刷物「BBCクオータリー」にて、1945年にBBCスピーカー担当の専任技術者D.E.Lショーターの論文が掲載されているからである。

そして、このショーターがBBCのモニター・スピーカー開発のチーフに選出されると同時に、具体的なスピーカー作りが始まり、これが完成したのが1955年。さらに、これがプロダクトとして完全な形で発表されたのが1958年で、偶然にもレコードがステレオ化された年だった。



もちろん、発表されたといってもBBC放送局内部で使用されるスピーカーである。そのため市販はされることはなく、さらに当時のBBCにはスピーカーを製造する設備、技術がなかった。そこで実際の製造担当として白羽の矢がたったのがレイモンド・クック、KEFの創業者だった。

こうして、D.E.L.ショーターとレイモンド・クックという優秀なエンジニアをチーフに、BBC最初のモニター・スピーカーが完成する。LS5/1である。
BBCモニターの開発プロセスは、非常に重要な側面を持っている。それは、その開発過程において膨大な研究が積み重ねられることである。BBCは日本で言うNHKのような会社である。したがって、BBCが開発したモニター・スピーカーが販売されることはないが、研究資料は一般に広く公開されるのである。そして、その資料はオーディオメーカー、ことスピーカーメーカーにとっては宝の山である。実際、このBBCモニターの研究を大いに参考にしたスピーカーはイギリスから多く誕生しており、一時はイギリスのオーディオサウンドにおいては、このBBCモニターの系列の音で溢れていた。



BBC系列で最も有名なブランドの一つに、KEFがある。
先にも紹介したが、D.E.L.ショーターと共にBBC最初のモニター・スピーカー「LS5/1」を完成させたレイモンド・クックが興したブランドである。創業は1961年だ。そして、1970年にはモデル104を発表する。これはBBCモニター・スピーカー開発時の研究成果をふんだんに取り入れたスピーカーである。まさに文字通り、非常に画期的な特性を持ったスピーカーで、世界中を夢中にさせた名機だった。

又当時一躍話題となったLS5/8は2ウェイスピーカーシステムと、BBC設計のエレクトロニック・クロスオーバーをQUAD 405S2に組み込んだAM8/16を組み合わせたたバイアンプ方式を採用しています音は聴いたことは無いが、このLS5/8の出現により大いにオーディオの世界が変わったのかもしれない。
そこでQUADアンプが再度見直された事は言うまでも無い。


そして、この104の誕生を皮切りに、イギリスで制作されるスピーカーに変化が生まれるようになる。どれも完成度が高くなってくるのである。
そんな中、レイモンド・クックと「LS5/1」を完成させたD.E.L.ショーターの右腕「ダッドリー・ハーウッド」がBBCを退職し、自らが理想とするスピーカーを開発すべく会社を設立する。それが「ハーベス・アコースティクス社」である。設立場所はロンドン郊外のウェスト・クロイドン。1977年のことだった。
余談になるがLS5/1は、グッドマンの38cm口径ウーファーと、セレッションのドーム型トゥイーターHF1300を2本、やや特殊なネットワークで構成したスピーカーシステムで、あらためていうまでもはなくオームさんがもっとも愛されたスピーカーシステムである。

ハーベス誕生以前にも、BBC出身の有名ブランドはある(というより、ハーベスは遅めである)。1947年にジム・ロジャースが設立した「ロジャース」、1969年にスペンサー・ヒューズが興した「スペンドール」などである。そして、この四社(ロジャース/スペンドール/KEF/ハーベス)が主に作った小型スピーカー「LS3/5A」は非常に高い人気を誇った。
日本での一般的な読み方は、「エルエス・スリー・ファイブ・エー」。ただし、これはスピーカーのモデル名ではなく単なるBBCの機材の規格名称である。先頭の「LS」はLoudspeakerを意味し、次の数字の「3」はスタジオ外放送・屋外中継用を表す(ちなみに「5」はスタジオ用)。そして、スラッシュに続く番号は開発番号であり、「LS3/5」の表記で”スタジオ外放送用途で5番目に開発されたモデル”であることを示し、最後の「A」は開発後に一回の変更があったことを表示している。最初に局内配布用としてプロトタイプと同じLS3/5が20台製造され、その後一回のユニット変更を経て、最終型番「LS3/5A」に至る。


先述の通り、このLS3/5Aはとても人気のあったスピーカーで、プロトタイプが出来たのが1972年、一般に発売開始されたのは1975年で今なお販売されているので、なんと約40年間もの間ほぼ現役ということになる。これまで10万セットが製造されたと言えば(その内ロジャースだけで4万セット製造)、その人気ぶりもわかるだろう。
マニアの間でもやっかな事に発売の初期の15Ωタイプが人気で入手し辛いとこで有名のようです。

発売されたのが1975年で、1999年まで販売されていたようです。(ユニット製造時の金型が破損し、代替の金型を用意する費用の捻出が難しく、断念したのが原因で製造中止になったと言われています。
ちなみに現在も新生LS3/5Aが販売されていますが、ユニットが違うものになっているのでこれはさておき)約25年もの期間、販売されていただけに途中に幾度かの仕様変更があったようです。
大きいところでは1987年に15Ωから11Ωに変更があった事が有名ですが、この15Ωの中でも幾度かマイナーチェンジをしているので今回はそこらへんを調べてみました。

「ロジャース」のジム・ロジャース、「スペンドール」のスペンサー・ヒューズ、「KEF」のレイモンド・クック、そして「ハーベス」のダッドリー・ハーウッドは、全員英国のスピーカーブランドの創業者であり、元BBCの技術者である。そして、彼らは「LS3/5A」を完成させ、それ以後、LS3/5Aを元に固有のオリジナルスピーカー(スペンドールはBCⅡ、ロジャースはPM210、ハーベスはモニターHL、KEFは104)を発表する。この4つは形状もほぼ似ていることから、一つのグループとして認識されることも多く、その音質もしばしば比較される。

「ロジャースはゆるい音、KEFは上品、スペンドールは締まりがあり、ハーベスはその中間的な音」。
これがイギリスにおける、四社の音の違いの一般的な意見である。



ハーベスの名前の由来を綴る前に、スペンドールのことについて話したい。
スペンドールが誕生したのは1969年。ハーベスよりもいささか早い。創業者はスペンサー・ヒューズ。繰り返しになるが、BBCの元技術者である。KEF、ハーベス、ロジャースと共に、クラシックのモニターとして確固たる地位を築いた企業である。名称の由来は、自分(スペンサー)と夫人の名前(ドロシー)である。
一方、ハーベスが誕生したのは、スペンドールにおよそ8年遅れた1977年。場所はロンドン郊外のウェスト・クロイドンである。創業者はダッドリー・ハーウッド。やはり元BBCの技術者だ。そして、ハーベスの名前の起源だが、彼の名前(ハーウッド)と夫人の名前(エリザベス)を組み合わせたものである。
ひょっとすると、当時のスピーカー業界には、おしどり夫婦が多かったのかもしれない。

ダッドリー・ハーウッドがBBCを退職してハーベスを立ち上げたのは1977年。開発コンセプトは、色づけが少なく端麗というBBCモニターのトーンキャラクターを継承しつつ、時代が求める最先端の音質に仕上げること。つまり、英国伝統のサウンドを先進的技術を用いて斬新なものへと昇華させることである。
実際、そのコンセプト実現のために、ハーベスでは設立当初から非常に厳しい品質管理を行っている。ハーウッドが設計したユニット、エンクロージャーをカスタムメイドし、わずかでも基準に満たない物は容赦なくリジェクトしていたのである。そして、そうした環境下のもと、設立と同年の1977年、BBC伝統のポリプロピレン・コーンを採用したミッド・ウーファーとソフトドーム・ツイーターによる2ウエイ構成のスピーカーMonitor HLを発表する。このMonitor HLはハーウッドの第一作目であり、これは日本でも1978年に発売された。
HLが2ウェイ構成を採用しているのは「オーディオ帯域をカバーするには2ウェイで十分」というハーウッドのBBC在籍中の研究結論がもとになっており、このHLでは、低域には20cmのコーン型ウーファーを、高域にはソンオーダックスのHD-12、D25-8タイプのソフトドーム型トゥイーターを採用している。



BBCが小型スピーカーの新しいリファレンスとして開発したLS5/12A Grade 1 Miniature Monitor Loudspeaker。Grade1とは、スタジオから送信機へ送る前の段階での音声チェックに使用する最高グレードのモニタースピーカーという意味で、LS5/8、LS5/9、LS5/12Aなどが使用されました。
低域には11.5cmコーン型ウーファーである15W7508BBC(Dynaudio製)を採用しています。7.5cmの大口径アルミボイスコイルを使用し安定した再現能力を得ています。高域には2.8cm口径のドーム型トゥイーターであるD-260BBC(Dynaudio製)を採用しています。

ネットワーク回路はラミネート・コアを使用したオートトランスフォーマーや、ソリッド・ディエレクトレット・コンデンサーを使用しており、エンクロージャーの素材には良質のカバ合板を使用。共振を可能な限り抑制するために2種類の吸音係数の異なる吸音材を張り巡らし、自然な響きをもつエンクロージャーに仕上げられている。
ハーウッドはその後、1979~1985年の間に「MonitorHL-MkⅡ」「MonitorHL-MkⅢ」を発表。そして、1986年に「MonitorHL-MkⅣ」を発売すると、「自らの耳にかなうスピーカーは完成した」との言葉を残し、1987年に引退。自らの愛弟子アラン・ショーに経営を託す。ハーベスを立ち上げてちょうど10年のことだった。
ハーウッドがハーベスを設立した数年後のことである。当時、英国NECの社員だったアラン・ショウがロンドン郊外のウェスト・クロイドンにあるハーベス社を訪ねるのだが、そこで彼は、高名なエンジニアの工房がガレージであることにショックを受け、そんなハーウッドの姿を見て、彼の後継者となる夢を抱く。そして、それからは暇を見つけては、押しかけ子弟としてハーウッドの元に通った。



そんなアラン・ショウの真摯な態度、研究熱心な姿勢は、ハーウッドの心を開くには充分だった。やがてアラン・ショウはダッドリー・ハーウッドに認められ、正式に後継者としてハーベスの代表に就任する。1987年のことである。
アラン・ショウはダッドリー・ハーウッドから経営を引き継いだ翌1988年、自身の処女作「HL Compact」を発表する。このスピーカーシステムは、低域にはコーンに新素材TPXを使用した20cmコーン型ウーファーを、高域には高耐入力化を図るためアルミドームを使用した2.5cmドーム型ユニットを採用している。エンクロージャーにはコンピューター解析を駆使したバスレフ・ポートを設計・採用。外装は、ナチュラル・チーク材による仕上げ。
金額は236,000円と、激戦区となる価格帯の製品であったが、マーケットに出されるやたちまち高い評価を獲得。日本でも長年にわたってトップクラスの人気を誇り、一説にはおよそ6,000ペアが販売されたとも言われている。
そして、この成功により、ハーベス社はロンドン郊外の町へイワースヒーズに立派な工場を建設するに至る。

上述のHL Compactはアラン・ショウの処女作であるが、基本的にはハーウッドの発想になる。また、1988年には低域に10cmコーン型、高域に2cmドーム型を採用した「HARBETH LS3/5A」を発表するが、これもまた、ハーウッドがBBC研究所時代に作ったBBCモニター3/5Aの、改良型のスピーカーシステムである。


そして、1989年に発表するHL5だが、これもまた、ダッドリー・ハーウッドが深く関係しており、このHL5はいわば師匠と弟子との合作として、ダドリー・ハーウッドの遺した最後の作品と言われている。具体的には、ハーウッドによって開発され、マークIVまで改良されたモニターHLを、アラン・ショウが改良したスピーカーシステムである。
低域には、TPXコーンを採用した20cmコーン型ウーファーを、エッジにはアメリカ・デュポン社の新素材を採用。
高域には、2.5cm口径のアルミドーム型トゥイーターを採用。
エンクロージャーは、内部補強設計の充実や吸音材の再検討がされており、フロント、リアのバッフル板厚向上によって音波回折を防止した上で、側板と同じ天然木化粧板仕上げとしている。

1990年、HL5の発表後に発売となったのが、小型2ウェイスピーカーシステムの「HL-P3」である。HLシリーズの特長を継承して開発された。低域には新設計の11cmコーン型ウーファーを、高域にはアルミダイアフラムを用いた1.9cmドーム型ツィーターを搭載。また、各ユニットにはマグネットシーリング方式による防磁設計が施されている。エンクロージャー外寸は、LS3/5Aとほぼ同じ。素材はMDFを使用し、板厚を12mm厚とすることでバッフルと連携して不要共振を排除している。
そして、その四年後の1994年。いよいよハーベスは同社最大のヒット作品「HL Compact」の後継機種「HL Compact7」を発表する。ハーベス伝統の色付けしない美しい音をより昇華させ、最新のプログラムソースにも充分対応するよう明瞭感を追究。徹底的な見直しを図り、シャープな再現を狙って開発された2ウェイバスレフ型である。
このHL Compact7では、基本ポリシーを忠実に実践するために、従来にない新技術が随所に投入された。

まずは20cmウーファーの振動板。コーンの形状の設計を見直すと同時に、各帯域に最適な特性を持つ3種類のポリマーを振動板にブレンドし、中心部から周辺部へ配置する振動板製法を採用。これにより、中心部付近と周辺部で異なるコーン表面の問題(2ウェイシステムでのウーファーは、低域~中高域までの広いレンジをカバーするだけに、コーン表面には帯域ごとに種々の振動が発生しやすい)を解決し、色づけの低減を実現している。
さらに、ボイスコイルも通気性の面から独自の構造とし、長期にわたる温度特性の安定化を図っている。
そして、エンクロージャー。



木の響きを積極的に利用する反面、不要な共振は徹底排除するという考えを設計基本とし、エンクロージャー設計には独自のSTS(Super Tuned Structure)を導入。弦楽器の音響テクニックを参考に考案されたチューニング法を参照し、硬度の高いMDF材の間に、レゾナンス、スティフネスの異なる素材を重層させる特殊なサンドイッチ構造とすることで、重量や剛性ではなく、素材そのものの物性と組合せによって響きを生かしつつ不要な振動をダンプしている。
このHL Compact7はハーベスの魅力が集約されたモデルとして、非常に高い人気を誇っている。

アラン・ショウ率いるハーベスは、1995年、スピーカーシステム「LS5/12A」を発売する。これはBBCモニターLS3/5Aと同サイズで、さらに厳しい設計基準「Grade 1」をクリアしたモデルである。
そして40周年を目前にした2015年には、「Super HL5 plus」を発表。このオリジナルは1989年に発売となった「HL5」である。HL5のユニット構成は、20cmウーファーと2.5cmφアルミニウム・ツイーターの2ウェイ構成の大型のバスレフ型だったが、2004年発表の「Super HL5」で、ウーファー振動板を「RADIAL振動板」に変更し、10kHz以上を受け持たせたスーパーツイーターを追加。ハーベス初の3ウェイ・スピーカーが誕生すると、さらに2015年には、「RADIAL2コーン」を採用し「Super HL5 plus」を誕生させるのである。
同じ大きさで同じ場所に設置されるのが前提のスタジオモニターが源流であるため、オリジナルから四半世紀以上が経過していながらも、「Super HL5」と比べて見た目の変化はほとんどない。しかし、「Super HL5 plus」は非常にナチュラルで、楽器や声の質感を大事にした、いわゆる「ブリティッシュ・サウンド」の極みを我々に届けてくれるスピーカーとして、確実に進化している。

かつてBBC技術研究所のチーフだったダッドリー・ハーウッドが1977年に独立し、彼と彼の夫人「エリザベス」の名にちなんでつけられた「ハーベス・アコースティックス社」。その最初のスピーカーが「HL」であり、それ以後もハーウッドはいくつかのモデルを発表。どれもBBCモニターゆずりの設計と音色を継承させ、特に1979年から販売開始となった日本では着実にファンを獲得していった。
そんなハーベスは、1987年に創業者のダッドリー・ハーウッドが引退を表明。経営権を若いアラン・ショウに移譲する。
それに伴い、ロングライフ・少品種生産の体質は改善されたが、伝統サウンドを堅持する点は決して変わることなく、ハーベスは今も変わらず美しいブリティッシュ・サウンドの担い手として広く世界に指示されている。
2017年には創業40周年を迎えた「ハーベス・アコースティックス社」。
今後の活躍も目が離せない。



以上少し長くなりましたがLS3/5aのスピーカーに関する今までの経過であり、このLS3/5aは未だに販売されている商品なのです。

今現在はレンジも狭く昔の音と言われるLS3/5aだが、今後オリジナルの程度の良い初期型の「LS3/5a」が入手できれば当初に戻り十分手入れを施したロジャースを堪能したいと思う、そのようなスピーカーも貴重な存在です。
「LS3/5a」は現在も流通する大変魅力的な名品と思う。ブラボー!

エンリコ・マイナルディ( チェロ)演奏時間の一番長いJ.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)を検証。

2021年01月25日 | バロック音楽・オーディオ一般


以前購入した「カール・シューリヒトの芸術」の中より交響曲第100番『軍隊』、交響曲第95番、ほか シューリヒト&シュトゥットガルト放送交響楽団チェロの貴族マイナルディとシューリヒトの協演!ハイドン名曲集を聴いた。
 ①ハイドン:交響曲第100番ト長調「軍隊」
 ②ハイドン:チェロ協奏曲ニ長調
 ③ハイドン:交響曲第95番ハ短調
 エンリコ・マイナルディ(Vc)
 カール・シューリヒト(指)シュトゥットガルト放送SO.
 ①1958年4月8日シュトゥットガルト、ゼンデザール・ヴィラ・ベルク
 ②1950年11月5日シュトゥットガルト=デゲルロッホ、ヴァルトハイム 
 ③1955年4月5日シュトゥットガルト=デゲルロッホ、ヴァルトハイム
  以上すべてライヴ録音(モノラル)

②ハイドン:チェロ協奏曲ニ長調が気になり再度聴いたが実に良い演奏であり感銘し、誠にお恥ずかしいが名前だけは聴いたことがある程度のエンリコ・マイナルディなるチェリストを調べてみる。

チェロ演奏を試聴すると、このTANNOY10吋ⅢLZMKⅡモニター・ゴールドのユニットは実にうまい具合に弦楽器、特にチェロを鳴らすコツを熟知しているかのように、誠にうまい具合に鳴る。正にTANNOYは弦楽器の独壇場でもあるかようだ特にチェロ独特の低域のブーミー音はかなりリアル感もある。 
演奏者エンリコ・マイナルディのバッハを堪能する。
どうもオーディオマニアは、自分の持つ機材のシステムの上手く響く曲の演奏者を探すことが醍醐味でもあり、面白い故また新たな挑戦が始まりそうである。



エンリコ・マイナルディ(Enrico Mainardi)は1897年にミラノに生まれでイタリア・ミラノ出身のチェリスト/作曲家/指揮者。
チェロ奏者の父を持ち、4歳からチェロ奏者の父親から手ほどきを受けました。1950年代は演奏活動のピークであり、クーレンカンプも参加した、E.フィッシャー・トリオのメンバーとして活躍。シュナイダーハンやフルトヴェングラーとも共演しています。
録音においてはDGを中心にベートーヴェンやブラームスのソナタ集、協奏曲はドヴォルザーク、ハイドンといった古典派の作曲家を積極的に紹介。また1958年には来日をし、その際に自ら編曲した日本の名旋律集の録音も行っています。

ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院では作曲を習得し、ベルリン音楽院のフーゴー・ベッカーのもとで研鑽を積む。また、ベルリン国立歌劇場のチェロ奏者やトリオなどで室内楽での名声を高める。33年にはベルリン音楽院、その翌年にはサンタ・チェチーリア国立アカデミアで教壇に立ち、ミクローシュ・ペレーニ、ジークフリート・パルムなどを育てる。1976年4月10日、独・ミュンヘンで死去。



悠然としたテンポ設定、あらゆるフレーズに魂を込め、ひたすらバッハの精神性を表現し尽したマイナルディ(1897-1976)の偉大な遺産。本国のオリジナル・アナログマスターからのハイビット/ハイサンプリングによる新リマスタリングしたステレオ盤。最後に貴重な演奏後のマイナルディの言葉を特別収録。

イタリアのチェロ奏者、作曲家、指揮者のエンリコ・マイナルディ(1897年5月19日~1976年4月10日)が1963年1月から64年4月にかけて、オイロディスクへステレオ録音したバッハの無伴奏チェロ組曲全曲です。このときマイナルディは60代半ばに達していました。彼が初めてバッハの無伴奏チェロ組曲第3番を演奏したのは1913年5月のことで、それ以来約50年にわたるバッハの作品研究と、それを実際の音にする技術的鍛錬、運弓法と運指法の追究が、この録音に結実しています。

話は変わるが、思えばバッハのチェロ・ソナタは取分け有名でチェロの登竜門とも言える全集で、演奏者も頗る多く、パブロ・カザルスを筆頭に多くのチェリストの演奏をするが、自分の好みの演奏者を見つけるのも大変興味深い。今までも多くの演奏者を紹介してきたが、マイナルディは魅力的な演奏が光る。此のゆったり目のテンポも独特のものです。

当初は遅いと聞いていたが進むに連れ此のテンポの中に溶け込み実にリラックス出来るソナタと思うように感じる、勿論音質もしっかりした弦独特の深みのある音に溶け込んで行くようである。



バッハの無伴奏チェロ組曲の録音では、この作品の再発見者として有名なパブロ・カザルス(1876~1973)のSPレコードへの録音が神格化されていて、バッハ像や作品像に大きな影響を与えました。それは雄大豪放でいて、著しく精神的でストイックなバッハ像であり作品像でした。

ところが、カザルスと同時代を生き、ドイツを中心に演奏活動を行ったマイナルディのバッハ演奏は、テンポも表情もずっと緩やかで、弦楽器本来の歌う要素を失うことなく、バッハがこの作品に示した線的対位法を多彩な音色で立体的に描くことに成功しています。カザルスが示した輝かしい音色と迸る生命力、凝縮した厳しさの代わりに、ここには柔らかな光と豊かな包容力、広々とした開放感があります。バッハの解釈が異なる演奏には違った意味で興味が湧いた。



タンノイは独特の癖のあるユニットは、エンクロージャーを選ぶ傾向は強い、オリジナルの箱ではどうも低域不足が不満になり少人数の演奏のみとなる事が多いタイトルにクインテット演奏専用IIILZ命名が似合う、大型のレクタングラー型箱に入れると効果的と伺ったことはある、現在筆者はGOODMANS AXIOM80の箱に移植してアコースティック・レジスタンス・ユニット付きの装置で聴く、以前はHPD295のユニットから交換し万全になった、特にTANNOY10吋ⅢLZMKⅡモニター・ゴールドでじっくり味わいたいのなら是非マイナルディの( バッハのチェロ)がおすすめです。

【収録曲】J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)
<DISC1>
 1. 無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007
 2. 無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 BWV1008
<DISC2>
 3. 無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV1009
 4. 無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV1010
<DISC3>
 5. 無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV1011
 6. 無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012
 7. 演奏を終えて ― 結びの言葉(エンリコ・マイナルディ) *LPレコードより復刻。モノラル音源
【演奏】エンリコ・マイナルディ( チェロ)
【録音】1963年1月19日(3)、21日(2)、3月3日(1)、5月10日(4)、1964年4月22~26日(5、6) ベルリン


以前エンリコ・マイナルディ(Vc)演奏のハイドン:チェロ協奏曲ニ長調を聴き、お気に入りになった演奏者で意外な名盤と思う。 95番が端正でいいですね。 チェロ協奏曲もすばらしい。 繰り返し聴けます。優雅の極み!特にチェロ協奏曲がすばらしい。。

バッハのチェロソナタも有名ではあるが、未だ第三番の冒頭しか無く記憶も実に曖昧だしたので、真剣に聴いたことがなく、早速CD購入に至る。テンポはどれも遅めでクーラントやジークなど野暮ったいと思われるほどゆっくり演奏するが、その中に舞曲に潜む強い生命力が滲み出している。とにかくこの演奏に体を漂わせるとこは、ひたすらバッハの原点に迫る感じがした。少し辛口な音色が魅力的で、そのあたりにバッハに対する深い畏敬の念が現れるように思われる。



現在TANNOY10吋ⅢLZMKⅡモニター・ゴールドと300Bシングルを駆使して聴くが、チェロの透き通る低音とブーミー感が実に味のある弦音を聴かせる、十分すぎるチェロ独特の低音の響きはHPD295では味わえなかった音質です。確かにGOODMANS AXIOM 80の箱との組み合わせが響く音を聴き、チェロの音質は10吋のユニットではこの程度の容積の箱が必要性と感じられるこの頃である。バッハのチェロソナタ音楽はこういった、落ち着いた音色・テンポの演奏を探し求めていたのかもしれない。全曲を通して悠然としたテンポを徹底的に貫き、そのなかで一音一音を確実に練り上げていく様は驚嘆の一言に尽きます。

チェロを思い無心となってバッハに向き合あうと、やがて淡々と第1番の前奏曲が開始されます。数多くの刺激的なバッハに触れてきた我々が、ここまで着飾った部分を排した演奏を目の前にして、始めの数秒はぎこちなく感じるかもしれません。その後のゆったりとした気分は実に充実感が味わえる。
当時マイナルディは50代後半という、演奏家として最も円熟した時期を迎えており、絶妙のタイミングでこの録音は行われた言えるのかもしれない。又銘盤が加わったような感じがしました。

あの対象的な演奏カザルス盤と双璧をなす歴史的名演奏と思いました、ブラボー!



追伸Mシュナウザーモジャくん毛を整え一週間立ちました、意外と早く毛が伸びるようで、羨ましい限りである。仕事で深夜に帰ったが部屋に入れば必ず、お出向してくれる事は最大の癒やしになる、
此の日の仕事は立ったりしゃがんだり、スクワット状態の連続で、200回前後が必要のため、最近は翌日には筋肉痛は無いが翌々日になって痛むそして若干熱くなっている(炎症状態)トレーニング後の良い状態である、歳を感じるこの頃です。運動不足なのであろう。

般若心経の最強の262文字から伝わる奥深い智慧は、J.S.バッハに通ずる道か、改めて平均律を検証する。

2021年01月20日 | 歴史(世界史/日本史)の考察

最近筆者の海水用水槽に新しい仲間が増えた、以前から住むのマンジュウイシモチは飼いやすくとても元気で、今回お掃除くんとしてエビちゃんのキャメルシュリンプを2匹購入、シュリンプの背骨あたりにコブがありキャメルに似ていることから、見た目も可愛く、丈夫で、育てやすく、コケ掃除もしてくれて、カーリー対策にもなる優れたエビちゃんです。注意深く静かに見守ると岩陰から顔を出すようです、これが意外と癒やされます。武漢ウイルス感染症緊急事態宣言も半ばすぎたが効果は如何に・・・?水槽を眺めながら家にて過ごします。

「般若波羅蜜多心経」(はんにゃはらみったしんぎょう)、प्रज्ञापारमिताहृदय、Prajñā-pāramitā-hṛdaya、(プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)大乗仏教の中で生まれた『般若心経』とは、「般若経」と呼ばれる一連の経典をわずか262文字に絞った簡易版(ダイジェスト本)4、5世紀ごろに成立したと言われている。般若波羅蜜多心経の意味は以下のように解説される方もいる、比較的に解りやすいかも知れない。



ご存知の如くこの「般若経」の経文は孫悟空(そんごくう)・猪八戒(ちょはっかい)・沙悟浄(さごじょう)の3人が三蔵法師(さんぞうほうし)のお伴をして天竺(てんじく)(今のインド)へ仏さまの教(おしえ)を書いたお経を取りに行く『西遊記(さいゆうき)』という中国の物語で最後に頂く大切な経典であり、特にこの「般若波羅蜜多心経」が有名である。

一番興味深く感じることは玄奘(げんじょう)の一番の得意はこの膨大な経文の特に般若心経262文字が音写だと言われている。

余談ではあるが、五味康祐氏の著書の中に“西方(サイホウ)に音”があるが決してセイホウでもニシカタの読みでは無いと思うが、これは筆者が思うことなのか?何故なら西遊記(サイユウキ)と称している。



観自在菩薩から始まり羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経で終わる最後の音写の部分は素晴らしいと言われる。一度この有難いお経に浸って見ては如何であろうか。羯諦羯諦此の様な文字は弓に食いが・・・・・

筆者が感じる教育についてであるが、ヒンズー語はインド人の人口を考えれば地球では大変多く使われる文字である、其れ以上多い語源は漢字である、思えばこの漢字は今や日本国以外の国は大切な文字を拒絶している様に思う、支那(中共)省略化した文字に変え、韓国はハングル文字に変え漢字社会はやめた、大切な漢字は日本国で繋げている状態です。漢字を理解しないと英語以外の文字は漢字を使った書籍(本)が多くあり、あらゆる文献の本が残される文字は英語の次は漢字、続いてヒンズー語なのである。地球上で二番目に多い書籍が残る文化圏である、幸い日本語は漢字文化が残る伝統の国なのである。

此れは教育と密接な関係があると思われる、此の様な支那の重大な歴史書も将来は日本人にしか読めない、理解出来ない重大な歴史となるように感じ日本人の誇りを持とうではありあせんか、近い将来西遊記、三国志等の歴史書は日本国にしか理解出来なくなれば、全くのお笑いである。


その物語「西遊記」のモデルとなった三蔵法師が、この「般若心経(はんにゃしんぎょう)」というお経を中国に伝えた、玄奘(げんじょう)(600または602-664年)というお坊さんです。この下りは浄土真宗の経文「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」にも掲載される。

玄奘が活躍した時代は、今から1300年以上も前の支那の唐(とう)時代でしたから、インドへ行こうにも飛行機や車などがあるはずがありません。そこで馬に乗ったり、歩いたりしてインドへ行ったわけですが、途中にはゴビ砂漠やタクラマカン砂漠などという難所もあり、恐らくは死を覚悟しての恐怖の連続を描いた尊い旅だったと思います。

支那の貞観(じょうがん)3年(629)に都である長安(ちょうあん)を発ち、3年余の旅路を経てインドに到達し、その後は一所けんめいに仏の教を学び、16年後の貞観19年(645)に多くのお経や仏像などを持って中国に帰りました。中国に帰ってからの20年余の間に76部1347巻というものすごい数のお経をインドの言葉から中国の言葉に、つまり漢字に翻訳したのです。その中の一つがこの『般若心経』の大変有り難い262文字なのです。



上記の写真のこの山門は以前訪れた二戸の浄法寺(ジョウボウジ)の山門である、以前二戸を訪れた時の写真です、住職の瀬戸内寂聴も最近般若波羅蜜多心経を解説して表紙は横尾忠則が絵書いているようだ。幾つになっても商売は上手い方と関心する・・・・。約10年前の訪問時の懐かしい写真だ。

『般若心経』が「般若波羅蜜多」の修行で得られる智慧として説いているのは、大乗仏教の「空」の智慧です。つまり、「般若波羅蜜多」の智慧は「空」を理解する智慧であり、瞑想修行の中ですべてを「空」であると洞察するのです。
『般若心経』が次々と数え上げながら、「空」である、「無い」と否定しているのは、「五蘊」「十二処」「十二縁起」「四諦」など、お釈迦様が説かれたとされる仏教の中心的な教説、教説で使われる基本的な概念で、「法(ダルマ)」と呼ばれるものです。



最初に般若と言う文字に惑わされるが、「般若(はんにゃ)」とは「仏の智慧(ちえ)」を表す言葉です。しかし般若と聞くと、恐ろしい形相の鬼の面を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。「般若の意は知である」。
「般若」は、自分の智慧(ちえ)=知恵のことです。「波羅」は、彼岸(悟りの境地、この世の苦しみから抜けた世界)。「蜜多」は、至る。「心経」は、大切な教え、を表します。このように分解すれば解読しやすいのかも知れない。

『般若心経』は観自在菩薩が智慧第一の長老シャーリプトラに説法するという設定になっています。観自在菩薩はその名前が示している通り、「観」の瞑想に秀でているとも解釈できる大乗仏教の菩薩で、一方シャーリプトラは小乗仏教の智慧を象徴すると考えられる人物です。
仏教の経典類は「三蔵」と呼ばれる「経」「律」「論」に分類されます。原則としてお釈迦様の説法を記録した「経」に対して、お釈迦様の教えを解釈し、体系化したものが「論」です。



般若心経は「生きる勇気を与える呪文」だと語る。人間は言葉によって世界を認識している。しかし言葉には、実は限界がある。そこで人間の生命力に、直接働きかける「呪文」として生み出されたのが、般若心経だと言うのだ。仏典を求めてインドに赴いた唐の玄奘三蔵は、厖大な経典を翻訳した。

そのひとつが、日本に伝わった「般若心経」である。翻訳にあたって玄奘三蔵が工夫したのが「般若心経」を読経したときの「音の響き」であった。なぜ「音」が重要だったのだろうか?「般若心経」の基本をおさえると共に、「音」にこめた玄奘三蔵の狙いを明らかにする。
またこの「般若波羅蜜多心経」幾度も唱える事によるなんとなく意味が解明出来るかも知らないと思い、何度も唱える大変ありがたい経文なんです。



ここでバッハの世界に移り平均律の意味を調べますと、平均律とはある音からその1オクターヴ高い音までを、均等に12の音で分割する方法。現代のピアノは通常平均律で調律されている。ピアノの鍵盤を思い描いていただければわかりやすいと思うが、ドから1オクターブ高いドまでの間には、白鍵と黒鍵合わせて12個の音がある。

本当はオクターブ内の音を12で割り切ることは数学的にムリなのだが、少しずつ妥協して均等化をはかることで、どの調を弾いても違和感を与えない。
しかし、厳密に言うと平均律では本来の音と音のハーモニーの純正な美しさは損なわれている。極めて美しく響かせる純正律や中全音律などの音律があるが、それらは鍵盤楽器のようにあらかじめ弦の音の高さが固定された楽器では、調性が変わると美しく響かなくなってしまうのだ。



やはり基本はランドフスカ / バッハ:平均律が基本に思える、音質も良くなく、しかもモノーラルでの演奏だがそこには今もこの曲の「うまく”調律された」鍵盤楽器を想定していたと思われるのは筆者だけなのであろうか?
今回は最近交換した10吋タンノイⅢLZモニター・ゴールドに交換したユニットでランドフスカ / バッハは実に澄んだ音色を聴かせるのは何故か?


「平均律」とは、調律方法の一つである。曲の中で、つぎつぎと調性を変化させても、違和感なく美しく響いてくれる便利な調律の仕方だ。バッハは1オクターブの12音を主音とする長調・短調、つまり24の調性を網羅した曲集を書こうと思った。全調がほどよくきれいに響く調律方法があるなら、ひとつのまとまった曲集を作ることが可能なのだ。

ただし、バッハがこの曲集につけたドイツ語のタイトルを注意深く見てみると、Das Wohltemperirte Clavier、つまり「うまく調律されたクラヴィーア」としか言っていない。「平均律」なんて書いていない。当時はまだ「平均律」が現在ほど一般的ではなかったようなのだが、少なくともバッハは「全調に対応できるように“うまく”調律された」鍵盤楽器を想定していたと思われる。この曲集が日本にもたらされた時、だれかが「だったら当然“平均律”でしょ」ということで、このように翻訳してしまったのだろう。



それが定着したことになる。というわけで、この曲集はそもそも、鍵盤楽器を学ぶ人の教育的な曲集として(だから日本でも、ピアノのを習っている人たちは「教材」として比較的早く出会うことになり、「平均律」という言葉を、この曲集を指して使うことが多い)、1722年に第1巻が、1742年頃に第2巻が完成された。1巻も2巻もそれぞれ、24の調性を網羅しており、一つの調性につき「前奏曲」と「フーガ」がセットになっている。

だから、CDなどではそれぞれトラック分けされていると、1巻だけで、(前奏曲+フーガ)×24の調性で48トラック。それが2巻あるので、96トラックという、結構な聴き応えのあるアルバムになる。

バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻・第2巻の4枚のCDである。
 ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
 バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻BWV.846-869
 バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻 BWV 870-893
マーク・オバート=ソーン復刻。散発的にRCA Victorへ録音を行い全曲盤になったものですが、この復刻では状態のいいSP盤をソースに使ってピッチ修正などを行い、録音日のばらつきを感じさせないような仕上がりにしているのがポイント。ランドフスカ晩年の演奏が蘇る4枚組です。



● バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 BWV 846-869
 ・前奏曲と4声のフーガ ハ長調 BWV 846
 ・前奏曲と3声のフーガ ハ短調 BWV 847
 ・前奏曲と3声のフーガ 嬰ハ長調 BWV 848
 ・前奏曲と5声のフーガ 嬰ハ短調 BWV 849
 ・前奏曲と4声のフーガ ニ長調 BWV 850
 ・前奏曲と3声のフーガ ニ短調 BWV 851
 ・前奏曲と3声のフーガ 変ホ長調 BWV 852
 ・前奏曲変ホ短調と3声のフーガ 嬰ニ短調 BWV 853
 ・前奏曲と3声のフーガ ホ長調 BWV 854
 ・前奏曲と2声のフーガ ホ短調 BWV 855
 ・前奏曲と3声のフーガ ヘ長調 BWV 856
 ・前奏曲と4声のフーガ ヘ短調 BWV 857
 ・前奏曲と3声のフーガ 嬰ヘ長調 BWV 858
 ・前奏曲と4声のフーガ 嬰ヘ短調 BWV 859
 ・前奏曲と3声のフーガ ト長調 BWV 860
 ・前奏曲と4声のフーガ ト短調 BWV 861
 ・前奏曲と4声のフーガ 変イ長調 BWV 862
 ・前奏曲と4声のフーガ 嬰ト短調 BWV 863
 ・前奏曲と3声のフーガ イ長調 BWV 864
 ・前奏曲と4声のフーガ イ短調 BWV 865
 ・前奏曲と3声のフーガ 変ロ長調 BWV 866
 ・前奏曲と5声のフーガ 変ロ短調 BWV 867
 ・前奏曲と4声のフーガ ロ長調 BWV 868
 ・前奏曲と4声のフーガ ロ短調 BWV 869
ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
1949/03 & 1951/02 Mono


● バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻 BWV 870-893
 ・前奏曲と3声のフーガ ハ長調 BWV 870
 ・前奏曲と4声のフーガ ハ短調 BWV 871
 ・前奏曲と3声のフーガ 嬰ハ長調 BWV 872
 ・前奏曲と3声のフーガ 嬰ハ短調 BWV 873
 ・前奏曲と4声のフーガ ニ長調 BWV 874
 ・前奏曲と3声のフーガ ニ短調 BWV 875
 ・前奏曲と4声のフーガ 変ホ長調 BWV 876
 ・前奏曲と4声のフーガ 嬰ニ短調 BWV 877
 ・前奏曲と4声のフーガ ホ長調 BWV 878
 ・前奏曲と3声のフーガ ホ短調 BWV 879
 ・前奏曲と3声のフーガ ヘ長調 BWV 880
 ・前奏曲と3声のフーガ ヘ短調 BWV 881
 ・前奏曲と3声のフーガ 嬰ヘ長調 BWV 882
 ・前奏曲と3声のフーガ 嬰ヘ短調 BWV 883
 ・前奏曲と3声のフーガ ト長調 BWV 884
 ・前奏曲と4声のフーガ ト短調 BWV 885
 ・前奏曲と4声のフーガ 変イ長調 BWV 886
 ・前奏曲と3声のフーガ 嬰ト短調 BWV 887
 ・前奏曲と3声のフーガ イ長調 BWV 888
 ・前奏曲と3声のフーガ イ短調 BWV 889
 ・前奏曲と3声のフーガ 変ロ長調 BWV 890
 ・前奏曲と4声のフーガ 変ロ短調 BWV 891
 ・前奏曲と4声のフーガ ロ長調 BWV 892
 ・前奏曲と3声のフーガ ロ短調 BWV 893
ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
1951/06-1954/03 Mono



今まで幾度もこの平均律を聴いてきたが、ランドフスカの演奏の音が若干重く感じてた為疑問に思って聴いていたが、改めて10吋TANNOYⅢLZモニターゴールドのユニットで聴くと、今までと比べ実に凛とした、涼やかな音色が聴こえた、今までとは若干違ったイメージに聴こえる何故なんだろう。従来の音質はランドフスカの演奏は重厚な感じがしたのだが・・・?
因みに不思議に思いゴルドベルグも聴いたが勿論あの重厚感もあり又涼やかさが加味して、実に良い演奏が聴けたのだ、ユニットによる違いか・・?
心配になり3/5aに繋げ聴くが鳴り方以前と同じように重く聴こえた。TANNOYⅢLZモニターゴールドのユニットで聴く鍵盤の一音が味がある煌めく高音に魅せられるたのだ。

筆者にしては現在ⅢLZモニターゴールドの鳴り方独特の癖のある、涼やかさの気品のあるそれで重厚さがある今のユニットで聴こえる音は素晴らしく感じる。高音の美しさは3/5aでは味わえない音なのであろう。しかし思わず体を乗り出し聴き惚れる感じは拭えなく、この癖のある音の魅力に吸い寄せられた。
オーディオに於いてはデーター数値程あてにならない物は無いと思った。


以前愛用していたお気に入りのKEFの小さなサブスピーカーからデットストック品の新品を見つけ手に入れた。KEF Q300より小型のho's system「LS3/5a」に変更したが、但しアンプを選ぶ傾向はあるが其れはどのスピーカーにも言える事だが・・・真空管アンプのドライブが安心出来る。

再度この3/5aに付いて思うのは、フラットアンプで聴くと、帯域が狭いと感じるかもしれない、トーンコントロールでの調節は必死だが。逆に、耳につく音もなく、非常に聴き易いと感じる人もおられると思う。低音と高音の再現力は、最近の高音質の音の良いスピーカに比べると、若干劣る印象は有るものの、この3/5aの箱のサイズで(幅190mm x高さ310mm x 奥行160mm)のスピーカーから出てる音とは、信じられない程、生々しい音像や音場が再現されます。音源は、何を聴いても良く、悪く聴こえる音源は無いと思う。確かに何れのミニスピーカーと比べても決して劣らない事が解る。

ポップス・ボーカル物、クラシック、ジャズ、BGM、映画音楽、不得意なものは無いんです。但し、歪んだ音がいいとか、大音量がいいとか、ボーカルが前に飛び出る感じが欲しいなど、マニアックな聴き方は除きますが(笑)。



このように1975年頃の設計品なので、最新の高音質スピーカに比べると劣るのも確かな事ですが、以上の条件を考えれば、未だこの3/5aのミニBOXを超えるスピーカーは見当たらないように思う。筆者は現在この3/5aのドライブは古いLUXKIT/A3500の真空管は全て交換し6CA7(EL34)は松下製で聴いているがこれが意外と相性が良いと思ってます。詳しくは以前のブログに掲載。

般若経とも通ずる何度も唱える音写の如く(聴く)事により先の見えて来るまさに「平均律」とはそのような教曲書(教科書)かも知れない。
現在武官ウイルス蔓延して世界はすこぶる荒れた状態になったときこそ「空」の心境になることも必要に思う。ブラボー!

まさに羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経・・・。

TANNOYの1961年発売されたⅢLZ in Cabinet、デュアル・コンセントリックと呼ばれた10吋ユニットの音を求めて

2021年01月12日 | 真空管アンプ・オーディオ

上記の写真は1961年発売のTANNOY ⅢLZ Monitor REDである、フレームのフランジ部分が幅広く初期型タイプのユニットになります。
このような話は筆者はまだ中学生で全く知らない未知の世界であり、学校の授業で電蓄で流れる音楽を聴かされる様な、貧しい時代でもあった。その後10年後に所謂オーディオ時代の幕開けとなった。

当時話題となっていたオーディオスピーカーにはSAISUIが箱を拵えジムランの8吋(20センチ)のフルレンジをバスレフの箱に収めたSANSUI SP-LE8T発売は1973年頃1本約60,000円で2本1組120,000円程で登場し話題となった。勿論同時に話題となったのがTANNOY ⅢLZであった、双方初任給20,000円程で1台87,000円ステレオにすると174,000円は9ヶ月分の給料に相当する正に夢の世界のお話であろう。此の2機種は価格の桁が違い別の意味でも話題担った。
勿論筆者も未だに愛用するがこのユニットを使っているマニアは多いと聞く。タンノイとしては15吋が本命であろうが、狭い日本家屋には配置する事は無理であろうと夢は10吋のユニットが本命となった。

確かにこの当時換算レートはドルが¥360、 英ポンドが¥1,080 と、気の遠くなるような円安水準であったから、輸入品の値段たるやスピーカー1台でも今なら小型車を買うようなものだった。販売パブリカは1961年(昭和36年)6月、38万9000円という低価格での販売していた。



当時コーラルと云うメーカーの15吋フルレンジユニットを購入し馬鹿でかい箱を作り、これぞ本物の低音だ、オーディオ本来の音と騒いでいた同級生も数多くいたが、皆同じユニットにトリオのレシーバーというスタイルの音で悦になっていた事を思い出す。

デュアルコンセントリック型25cm(10吋)ユニットでコーン紙のセンターキャップは黒で、さらに初期型には飴キャップといわれるユニットも存在しております。一度はMonitor REDの音を聞いてみたいと夢見ています。その後 IIILZ in Cabinet mkII(IIILZ Monitor Gold)1967年発売し工場火災まで販売を続けIIILZ in Cabinet(Chevening)(HPD295)1974年発売しIIILZの歴史は終わり、その後は新しいユニットに移行した。しかし一度ジムラン、タンノイを聴くと音楽を聴くのか、単位音を聴くだけなのか疑問が感じていた、青春の思い出である。

昨夜は仕事で戸塚に行く、現在関東地方は一都三県にて緊急事態宣言発令中で不要の外出禁止ではあるが仕事なので、夜間車で現場に向かい早急に片付け帰宅する、夜中なんですが、飲食店は明かりが灯り営業しているようです。12日以降は飲食店の営業は20時以降の販売は中止と相成るそうですが、これは飲食店いじめのような気もする。
以前の緊急事態宣言発令は無意味だったのか前回から随分学ぶことが多かったと思うが反省の意味がまるで無い、小池知事と同様、国民を脅すことはヤクザより上手い?戦前公衆衛生に付いて実践した人が今頃「後藤新平」は草葉の陰で笑っているように思う。流行り病を直し復興(経済政策)を実践する、まるで基本を忘れてしまっている政府与党。だが野党はそれ以下で困ったものです。

「勿論今の台湾は、後藤新平の言った事を実践して成功している、教えた日本人は基本を忘れてしまったのだ。傲慢になったようだ」医療崩壊まで起こしこれは一種の犯罪である。政治について真剣に再考しなければならない。
私に言わせれば非常に簡単なことだが、現在の政治で飯を食っていて、一般より良いと思われれる生活を送っている政治屋には無理である。特に幼少から二世代三世代議員等は苦労のかけらも知らず、生活苦等は想像も出来ないであろう議員が蔓延っている政治では所詮無理の話だ。

筆者が思うに国民に見せしめのために厚生大臣はじめ厚生省官僚の無策により虐めをしているように見えるのは私だけなのか?長距離運転の輸送は深夜が多く、運転手の一時の休息を迫害し脅しているようにも感じる、毎日食事を食べ不自由なく生活出来ることは。流通の発達のおかげでもある。現在の無能な政治屋、官僚には全く言葉で理解してるが、実際の作業の苦痛は全く理解できてない事がわかる、一刻も早く武漢ウイルスの収束を祈るばかりだ。
その結果現在の官僚は接待漬けに侵され本来の官僚の資質まで侵され中共の政治と同様になっているようだ。


先日早々に「海ほたる」に仕事で出かけ事があり、久々の海と富士山のシルエットを拝め、感動するやはり海は最高だ、最近外房方面に釣りには全く出撃していないが、一度様子で見に行こうもとは思うが現在緊急避難発令中と最近寒さが厳しく・・・すっかり出不精になってしまった。最新の情報では一部の地域ではアジは釣れるようになったそうだが・・・?

深夜に帰宅し、一応手洗い嗽をして、出迎えてくれるワンコ(モジャ君)最近サロンに行きハンサムになって見違えるような姿に嬉しく思う、風呂の追い焚きが終わるまでじゃれ合う、夜中にお迎えはワンコだけである。ゆっくり風呂でシャンプーで洗い流し消毒しカテキンの多い日本茶の粉茶をゆっくり味わい就寝する。翌日は11時頃にベットから抜け出し食事を頂く。



現在緊急事態宣言中で不問の外出は是正されているが「音楽愛好家」は全く気にしないむしろ趣味に没頭出来る、通常より仕事が減る分は音楽が聴けるという楽しみの時間が増える訳である。
ここで最近我が家に来たⅢLZモニターゴールドの事を再度確かめることもあり詳細を調べ直して見ました。下記の写真は珍しいレット・モニターである。

筆者はこのレット・モニターは写真で見ただけで、勿論音も聴いたことは無いが・・・、当初の発売はIIILZ(IIILZ in Cabinet 、1961年発売) とアナウンスされている、 バスレフ構造のブックシェルフスピーカー。



当初の使用ユニットは当初IIILZだったがタンノイ工場火災により1974年にHPD295に変更され、チャーヴェニング(Chevening)と命名された。
このスピーカー・ユニットは後に分かったことだが、1961年に開発された10インチ径のデュアル・コンセントリックと呼ばれ、後にモニター・ゴールド、特にモニター・ゴールドは販売時期も長く、何回も変化して特にユニットの枠の広い物は貴重だと言われる。そして火災が起きHPD-295へと発展した、モデルの最初期のⅢLZモニター・レッドだった。
ⅢLZモニター・レッドの発売時期も短く現存数も少なく貴重な存在と言われ、音質もモニター・ゴールドより上回ると噂されるようである。機会があれば是非試聴したいものです。

色の名の由来はユニット背部の磁気回路部のカバーの色に因み、プロト・タイプのシルバーから淡い赤紫色のレッド、さらにゴールドへと変遷を重ねた。
機会があれば(死ぬ前に)、よく整ったIIILZの原器と言われるレット・モニターの音に慕って見たいと思います。



歴史的に考えると、当初のモニター・レットからⅢLZ(15Ω)タイプまでは真空管対応が基本と思われるユニットであるがⅢLZ-MKⅡ(モニター・ゴールド)と変化しインピーダンス8Ωと代わり扱いが現代調に変化し人気を得たが、コーン紙の工場火災でHPD295に変貌を遂げたが、ユニットは変化していったが、箱は密閉からバスレフとなりがサイズはブックシェルフ型から変化しなかった。

当時評論家のオームさんがⅢLZのエンクロージャーの事に付き10吋ユニットに見合った大型のエンクロージャーで聴きたいとの記事内容が書かれていた記憶が気になった。オームさんは当初GOODMANS AXIOM 80を苦労して聴いていたことで同じ10吋ユニットに思いを寄せていたのであろう。
ステレオサウンド誌が特集TANNOYの雑誌に掲載された「コーネッタ」の記事より(後日HPD295のユニットを流用しステレオサウンド誌が三菱電機郡山製作所の協力でコーナー・エンクロージャー「コーネッタ」を頒布するようになり、)本誌記事で10吋HPD295コーネッタの存在を知った、今も高額ではあるようですが、当時価格は高額でとても購入には至らなかった事を記憶する。



タンノイユニットの特徴である、デュアル・コンセントリックとは同軸型のことで、冒頭の断面図のように、一つのスピーカーユニットに中低音用のウーファーと高音用のツイーターとをまとめて配置したものであり、1個のユニットで全周波数帯域をカバーできるという経済性から、かつては多くのメーカーから様々なモデルが出ていたものだが、タンノイの設計は、中低音用と高音用とが一つの磁器回路を共有し、さらにツイーターのホーンの開口部が磁器回路の中心部を貫通し、ウーファーのコーンのカーブがツイーターのホーンの延長部となっているという巧妙な構造となっている。

つまり、一つのユニット中に中高音を受け持つ長い距離を持つホーンが組み込まれる構造となっているので、大口径の振動版を持つツイーターの低域共振周波数を一層低く設定することが可能となり、とりもなおさず中低音ユニットの動作周波数にも余裕が出るという利点をもたらす。この構造こそが、タンノイのスピーカーが全帯域に亘ってバランスのとれた、瑞々しく音楽性に富んだ再生能力を持つ所以であり、ほぼ最初の設計を変えることなく、半世紀以上も市場で高い評価を得て来られたのだ。昔聞いた話はユニット中心部にツイーターがあり頗る指向性が高いのでボーガリストがステージ中央で奏でる音が立体的に聴こえるのが特徴でステレオ感が素晴らしいと説明を受けた。

同軸スピーカーとは、ウーファーとツイターを一つのユニットに組み込み、その発音位置を同軸にそろえた形式のものです。オーディオの進展と共に、幾つかのユニットに再生帯域を分担させることが不可欠になっていますが、別個のユニットを複数駆動すると、発音源がバラバラになるという欠点が生まれますが、同軸構成の場合にはそういう欠点が無く、理想の「点音源」に近いという長所があります。



上記写真がⅢLZモニターゴールドの写真で筆者愛用のユニットである。
特徴はコーン紙とダンパー部分と同様の紙で仕上がっているのが特徴で古いタイプのユニットは此の様な形状が多いようである。

タンノイの弱点とも言えるコードの接続部分。接続不良になった場合は無水アルコール等で歯茎ブラシで良く清掃すれば誘電率は向上します。
効果の薄い場合はTITAN AUDIO OILで歯茎ブラシ良く清掃が効果的です。

勿論タンノイでも短所もあるようです・・・・
結構好きなんで、短所は書きたくないんですが、やはり現実には上記のように理想的なことにはなっていない場合もあります。
問題は、両ユニットのつながりです。ウーファーの高音帯域では、分割振動の問題があり、ツイターには下限帯域で再生の苦しさがあります。別ユニットであれば解決の手が幾らもあるものの、同軸では最終的にウーファーの真ん中にツイターを持ってきて、1ユニットに納めなければなりませんから、そこにどうしても辻褄合わせというか、妥協が入ります。



それを上回るメリットがある、というのが同軸派の主張です。ツーウエイ、スリーウエイとアキュレットサウンドは違うユニットでモニターを発表しワイドレンジで解像力を増して行くスピーカー作りと別れて言ったように思う。
開発の歴史は諸説があるようですが、同軸構成を始めたのはJensen、それにWestern/Altecが続いた模様です。JensenのG610は、時期的に早かっただけではなく、さらに3ウェイにまで構成を進化させました。形式としては、同軸ホーンとダブルコーンに大別できますが、ウーファーの中心に補助的なコーンを付けて高音を補強するダブルコーンは同軸に入れないという考え方もあります。

TANNOYは今も健在な英国のメーカーですが、どうも日本と東南アジアの売上だけで食っているという噂がしきりです。2ウェイですが、Jensenに似たやり方で、ウーファーのコーン紙をホーンの延長に利用していますが、Jensenと違って磁気回路は共通のようです。かの五味さんを始め、多くのファンがいて、オートグラフなどは神格化されんばかりの人気です。ユニット自体も、「Red Monitor」等といって愛されたようです。TANNOY IIILZという10吋のユニットに、人気があったりしました。箱鳴りをうまく使った音作りのようで、完成品とユニットで販売されたが。箱との一体化されたタンノイオリジナルの物が推奨された、五味先生もタンノイオリジナルの製品を推奨されていた。


以前使用したHPD295装いも新たに勿論コーン紙との接続は形状は今風のエッジに変更されて、エッジの交換は簡単に補修可能になったようです。
同じくユニット接続部分の変化はありません。
このHPD295は随分長い間聴いたが、真空管アンプでの使用が良い結果が出ました、最初300Bでの音出しは感激ものでした。未だHPD295はウレタンエッジは定期的に交換作業はしなければならないが、中古市場では人気度も高く未だユニットは販売しているようです。

筆者のHPD295は長年放置のためコーンに貼りがなくなり墨汁(ニカワ混入)で塗り自然乾燥するとパンパンと張りが出て音質は再現するようです。上記写真は筆者の修復したHPD295のユニットです。


筆者の自宅に10吋TANNOYをⅢLZモニターゴールドが到着し約1ヶ月になろうとしている。HPD295のユニットから交換しⅢLZモニターゴールドは出来る限りメンテナンスしてテスト試聴続けるが最近感じた事はスピーカーはエッジも無いタイプが特徴でコーン紙の延長です、ダンプ剤が蒸発して薄くなっています、固くはなっていません、すこし所々にビスコロイドが残っています。取り除くのにブレーキフルードが良いとネットにありますが先日購入し薄く塗布して様子を伺うと、魔法のように低域がより自然に鳴るように感じる、そっと触ってみるとダンプ部分が柔らかく感じ、凄く敏感になったようである。

違う補修方法を調べると文中に(強度が心配なのでここに「塗るゴム(黒)」が手元にあり、薄めて塗りました。)と記載されるがメーカー名等詳細については明記してないので今回はブレーキフルードの塗布までです。塗るゴムの作業は専門家に聴き調べ慎重に行動するように思います。
発売当時の様子も不明でネットで調べるが肝心な部分の紹介が不明だ、機会があれば是非詳しく解明したいものです。



確かにじっくり試聴すると以前と比べ結構ワイドレンジになったようにも聴こえる、EL34のダブルプッシュも良いが300Bでの音が透明度が増したように聴こえる。現在300BのパワーアンプはサンバレーSV-501SEを愛用しているのですが、ワンランク上の300Bのアンプも聴いて見たくなります。

ここではⅢLZモニターゴールドも筆者の持つユニットはMKⅡ通常はⅢLZ-MKⅡと呼ばれるタイプです。同じエンクロージャーに旧ユニットをGOODMANS AXIOM 80の箱に入れ295HPDとⅢLZ-MKⅡを交互に入替えて試聴する、この2種類のユニットは構造上違いがエッジにあり音質にも違いがある、295HPDの音はⅢLZ-MKⅡと比べ随分異なった音のようである。295HPDは今風のバランスと音色があり、低域に量感があり高域は輝きワイドレンジに聴こえる、片やⅢLZ-MKⅡにユニットを交換して試聴すると低域の伸びはおさえられるが、低域はしっかり引き締まる、タンノイ独特の高域が鮮やかに又艶やかに聴こえ、まさにタンノイ独特の魅了を充満した音へと変身させる。すでに存在しないあの独特に音「燻し銀のような」魅力と渋さを簡単に聴かせる様に感じる、洗練さを感じさせ次から次と貪り聴きたい衝動に駆られる。演奏の終った後の静寂感はⅢLZ-MKⅡモニター・ゴールドでなければ体験出来ない音かも知れない。パワーアンプはある程度の整った管球アンプを使うことが条件ではあるが、これぞヴィンテージTANNOYユニットで味わう音場空間なのであろう。

一見古めかしいコーン紙で奏でる、とりわけ最新の古楽器の最新演奏は雰囲気から295HPDの音質と違いは明らかで、渋さが増した、まるで燻し銀の様な雰囲気を漂わせる音が響くのはモニター・ゴールドは流石ヴィンテージTANNOYユニットである。



筆者の大好きな古楽器の演奏で奏でる、新年恒例のバッハ:「組曲」管弦楽組曲第3番を試聴に使った。J.S.BACH: CONCERTS AVEC PLUSIEURS INSTRUMENTS / J.S.バッハ:「さまざまな楽器による協奏曲」のすべて(6枚組)ハッは生前時代より生存する有名な珈琲店の名前の(古楽器使用)のカフェ・ツィマーマン

『さまざまな楽器による協奏曲』シリーズ全巻BOX(6枚組)
バッハ:ブランデンブルク協奏曲(全)、管弦楽組曲(全)、その他協奏曲さまざま

カフェ・ツィマーマンの『バッハ:さまざまな楽器による協奏曲集』シリーズ全巻を、ひとつのBOXに収めた、くつろげる全集です。



シリーズ名の「さまざまな楽器による協奏曲集」というのは、『ブランデンブルク協奏曲集 Concerts avec plusieurs instruments』の楽譜の浄書譜に記されていたフランス語タイトル―当時のドイツ貴族たちのあいだではフランス語がお洒落な言葉だったので、バッハもそれに倣ってフランス語でこう表題を書いています。

カフェ・ツィマーマンはこの協奏曲集からCD1枚ごと1曲ずつを選び、そのほか3曲ずつを加えてこのシリーズを制作しているため、『ブランデンブルク協奏曲』全曲のほかに、『管弦楽組曲』4曲のほか、複数のチェンバロを使う協奏曲も収録、さらにBWV1055 にいたっては「チェンバロ協奏曲版」と「復元オーボエ・ダモーレ版」の双方を聴き比べられるという凝りようです。演奏も極上、BOXとして非常に価値の高い仕上がりとなっています。

今回は序曲を中心に聴く、見事な古楽器演奏でまさにⅢLZ-MKⅡのユニットでしか味わえないように聴こえる独特の音が響く。方チェンネル8W程度のシングル300Bで十分ドライブ可能で効率は良く、やはりアンプは300Bとの相性は良さそうである、難を言えば現在のアンプは完成度がイマイチに感じる?次は程よい本物のWE300Bパワーアンプが欲しくなる。


 序曲(管弦楽組曲)第3番 BWV1068
 チェンバロ協奏曲 ヘ短調 BWV1056
 ブランデンブルク協奏曲 第6番 変ロ長調 BWV1051
 3台のチェンバロと弦楽合奏のための協奏曲 ニ短調 BWV1063

 序曲(管弦楽組曲)第4番 BWV1069
 チェンバロ協奏曲 イ長調 BWV1055
 ブランデンブルク協奏曲 第1番 ヘ長調 BWV1046
 4台のチェンバロと弦楽合奏のための協奏曲 ニ短調 BWV1065

【演奏】
カフェ・ツィマーマン(古楽器使用)
独奏:
パブロ・バレッティ、アマンディーヌ・ベイエール、ダヴィド・プランティエ(ヴァイオリン)
ディアナ・バローニ(フラウト・トラヴェルソ)、ミヒャエル・フォルム(ブロックフレーテ)
パトリック・ボジロー、アントワーヌ・トリュンチュク(オーボエ)
ハンネス・ルクス(トランペット)、トーマス・ミュラー、ラウル・ディアス(ホルン)
セリーヌ・フリッシュ、ディルク・べルナー、アンナ・フォンターナ(チェンバロ)他

Cafe Zimmermannによるバッハの「さまざまな楽器による協奏曲集」。ブランデンブルク、チェンバロ、ヴァイオリン協奏曲などが収録されている。アルファレーベルならではの明るく艶やかな音質が演奏に彩りを加えている。「ブランデンブルク協奏曲」を中心に、「管弦楽組曲」や「チェンバロ協奏曲」などを収録した資料価値も高い一枚のようである。
確かにトランジスターアンプでは決して味わえないが、ⅢLZ-MKⅡのユニットに交換して聴く、特に古楽器の音色は今までと違い個性的に聴こえるこの音色に馴染むと現在ウレタンエッジの音と違い295HPDに戻れなくなってしまいそうである当時のCafe Zimmermannもこのような響きが聴こえてのだろうか。
妙な独特の癖の強い一味違った音質が実に魅力的に感じるこの頃である、ブラボー!



モジャくんは次の散髪はいつ頃にしようかね!Mシュナウザーカットでした。やっとモジャの立ち姿の撮影が出来ましたので紹介します。

Edith Picht-Axenfeldのピアノ演奏でChopinの練習曲を堪能する。 10吋タンノイⅢLZmonitor GOLDに交換PartⅢ

2021年01月07日 | クラシック音楽・オーディオ

武漢風邪(流行病)の冬の陣は本日緊急事態宣言を出したが、本日の東京都の陽性者は2,400人を超えた。この問題は東京都だけの緊急事態宣言で良いと思うが・・・、小池知事本人の立場もあり、神奈川、千葉、埼玉知事を引き連れ、政府に金をタカリに行ったのだ。実は予算は十分有るので、昨年10兆円用意したが、1都3県まとめて言えば金は十分あり生憎3県は予算も無いので渡りに船という塩梅だ、小狡い小池都知事も株があがり政治の裏を良く知った行動だ、又医療崩壊すると叫んでいるが、厚生省が武漢数も普通のインフルエンザを同じ等級にすれば普通の病院でも適用はできる。

又笑う事は神奈川知事などはテレビ中継で、空きベット数も知らないで医療崩壊と騒いでいらっしゃる様子でした?三知事とも話せば必ずボロがでる、現在普通の病院は意外と空いている状態で有るのが実情である。官僚、政治家のズサンな対策は目を覆う、現在武漢風邪(流行り病)の病院待ちの陽性者が溢れている状態も厚生官僚の裁量の悪さかもしれない。

最新情報は武田先生が語る、武漢風邪の感染経路の真相は
現在尾身 茂(おみ しげる)が座長を務める武漢風邪(ウイルス)の感染経路は何処で飲食をと決めつけている、感染経路は尾身さんのカン(思い込み)で行ない、飲食だと決めつけて尋問しているようです。全体の4%しか感染してない飲食店を、このことに付いてはデーターも根拠も無く国の調査では感染源は7割しか解明してないからです、飲食関連なら感染率は違うはずであり、常識人なら理解出来る話だ、まるで笑い話だ。
小池知事の持っている書類の中に感染経路の東京都のデーターがすべて揃った書類を持っているその内容のデーター解析で感染経路は判明できるが秘密書類と言って公開しない。それで医療崩壊だ、パンデミックと騒ぎ政府から金を無心する自分の知事の立場を不動にしているボスのようだ。

詳しくはhttps://www.youtube.com/watch?v=hPZ4IPJ4fYを御覧ください。



簡単な武漢風邪対策予防があり、内容は全く風邪に予防と同様である。
この武漢風邪の感染予防方法は外出し帰宅したら、手洗いしお茶を淹れるときは熱いお湯で入れた(カテキンが熱いお湯が効果的)お茶を1分かけてゆっくり飲んでいただく肝心な事は十二分に喉をうるわすことが寛容です、カテキンがウイルス菌を除去する効能が有ると奈良県立医科大学の発表である、一番効果が有るのは茶葉から淹れた紅茶が良いとのことでした。皆さんゆっくりお茶を飲み防いでくださいカテキンを飲み10,000個の菌が100個に減るそうですと報告も出ているそうです。

この様な簡単な予防効果はNHKが最初に公表すべきであるが、緊急事態宣言と飲食店の20時閉店を叫ぶだけであり、この緊急事態宣言は昭和の戦争時に真珠湾攻撃のときに発令された宣言です、国民を脅す事が正しい様な報道は冷静に考えれば発令自体が不思議である。又冷静に考えれば現状日本人は高齢化社会になっていて、日本茶を頂く習慣は年寄りが多く、年寄りほど無意識に予防をしていたのかもしれない。

筆者の庭の桜の木に今年もメジロが餌を求め飛来しています。何時もの冬と変わりませんが、人間社会は大いに乱れているようです。



今一番の弊害はNHKを始めとする大マスコミが嘘の報道、お笑いのいい加減は司会者が報道を行ない、マスコミ受けする解説者を揃え最悪な状態、アメリカ大統領選挙も最悪なパターンに進行するようだ、民意は何処にいくのか?自由の国アメリカは過去の遺物になるのだろうか?

本日も虎ノ門ニュースに於いても佐藤正久議員の歯切れも相当悪い、国民は政治屋、官僚の云うことは全く信用していないようだ。このような自体でも政治屋さんは5人以上の会食はやめるべきだ等と、ホザク。これが現在日本の議員の実情である、感染は拡大しているが病床は全く増えていない。冬場には拡大すると当初から言われていたが、全く何の対処して無く、暮も早々に国会は閉幕しゆっくり正月休みを取り給与、賞与は全額受け取り、これが日本人かと疑るには筆者だけなのであろうか?明治維新以降の日本政治は最悪の状態になっている。

全く当てにならない政治屋、役人達だ、危機のときに腕を振るうのが真の政治家であろう日本人らしさは何処に行ったのか・・・・?



上記のような、嫌なニュースを浄化するには「いい音、いい音楽」は必要です。胸糞悪いので、好きな音楽とオーディオの話に移ります。

筆者が昔憧れ欲しかった、TANNOY Rectangular Yorkの外形寸法は幅597x高さ1066x奥行368mmと表示されるが、今はあまり聞かなくなってしまった英国のGOODMANS AXIOM 80の外形寸法は幅510x高さ980x奥行330mmとRectangular Yorkと比べ一回り小さいがユニットは5吋程違うために低域まで程よくなる事は当然のようですが、AXIOM 80の箱には秘密兵器のA.R.U付という(アコースティック・レジスタンス・ユニット/ACOUSTIC RESISTANCE UNIT)が付随する、特徴は音響的に負荷をかけて、低い音を平坦に伸ばす役目を持つ。写真の下部に付随する装置である。

GOODMANSの箱に10吋TANNOYをⅢLZモニターゴールドとの組み合わせを我が家のメインにして音楽を聴いているが、正月休の間に、補修を考える、と同時にユニットの接続箇所の確認をする、後は全面のユニット接続部分の防音材の取り付けの確認と隙間を補修する。肝心な事はAXIOM 80の前面のユニット取り付け部分の木ネジが緩み締りが悪くなっているため、現在の木ネジより5mm程長い木ネジに交換し、ユニットも増し締めを行ない頑丈にして試聴した。これは何故か安心感を補う儀式のようなことである。


今日は以前から気になった防音材部分の取付を強化し、浮いている防音材の密着を確かめ補強し、各取付ネジの増す締めを行ないスッキリした気分である。確かに高音部はスッキリして、低音部がしまった様な感じに聴こえる。
勿論ピアノ演奏での輝きは他のユニットでは想像出来ない音色で深い低域が重なり誠に工合の良い鳴りっぷりである。勿論アンプは真空管が有利である事は明々白々である。現在300Bシングルで聴くがもうワンランク上のアンプで聴けば如何であろうか?現状でもショパンらしいピアノの調べが聴ける。

同じTANNOYIIILZHPD295のユニットからIIILZMonitor Goldのユニットに交換して視聴すると、Monitor Goldの音は若干ナローレンジに聴こえる、しかし暫くして音質になれるとHPD295の音より深みがあり実に涼やかな高音が耳に囁く、ユニットにより違うのだ、特にその特性は弦楽器の演奏、女性ヴォーカルのソプラノ等は独壇場のようだ、このオールドTANNOYはさすがヴィンテージと言われる事はあるようだ脱帽である。

今日は昨年エディット・ピヒト=アクセンフェルトの男勝りのピアノ曲として珍しいショパンの練習曲を以前購入し、試聴するが面白半分に購入したものだが、バッハの主要鍵盤曲を熟知している、エディット・ピヒトのショパンが地涌に聴きやすく特にOp.10の方が勝っているように聴こえる、ショパンの演奏は多くのピアニストが演奏していて皆それぞれに素晴らしいのですが、エディットの演奏は少しゆっくりとしたテンポで演奏されていて、一つ一つの音がはっきりと聴こえてくるのが印象的です。抜群のピアノの旨さで舌を巻くTANNOYが良いのかアクセンフェルトのピノが巧みなのか、今後の鍵盤楽器の演奏が楽しみである。



ショパンの2つの《練習曲集》全24曲の起源は、2つある。
ひとつは、バッハ《平均律クラヴィーア曲集》、すなわち24の調によるプレリュードとフーガである。もちろんこうした曲集の編み方自体はバッハの発明ではないが、音楽のあらゆる技法や形式の見本として、学習者のための規範として《平均律》こそが金字塔を打ち立てた。そして、ショパン以前には既に、ムーツィオ・クレメンティ、カルクブレンナーなど、ショパン以後にはリスト、バルトーク、ラフマニノフ、ピアノ以外にもパガニーニなど、実に多くの作曲家がバッハへのオマージュを込めて《練習曲集》を世に送り出している。18世紀後半の間は、前奏曲と練習曲を一対としたものが、19世紀に入るとこうした組み合わせが時代に合わなくなり、それぞれ別の曲集として作られるようになった。
ショパンもまた、《練習曲集》Op. 10, 25のほかに《24の前奏曲集》Op. 28を出版している。

《練習曲集》Op.10 は、当代最高のピアニストとして敬意を表し、リストに献呈された(ただしショパンは、作曲家としてはリストをあまり評価せず、後年も友人としては距離を置いた)。この献呈はおそらく、この卓越したヴィルトゥオーゾからの賞賛を狙ったものであり、リストは望みどおり惜しみない賛辞を送った。



エディット・ピヒト=アクセンフェルト(Edith Picht-Axenfeld)
フライブルク大学眼科学の教授であり眼科臨床医の世界的権威テオドール・アクセンフェルトの娘として1914年、フライブルクで生まれた。5歳でピアノの演奏を始め、卒業試験後は当時バーゼルにいたルドルフ・ゼルキンにピアノを、ヴォルフガング・アウラー、アルベルト・シュヴァイツァーのもとでオルガンを学んだ。1935年にベルリンでデビュー、1937年にワルシャワの国際ショパン・コンクールでショパン賞を受賞。1947年~80年、フライブルク国立音楽大学でピアノと初期鍵盤音楽の教授となる。     世界的なピアニスト、チェンバリストとして活躍。オーレル・ニコレ、ハインツ・ホリガー、フィッシャー・ディースカウ、ヘンリク・シェリング、ローター・コッホらとの共演やレコーディングなども数多い。アンスバッハ週間、イギリス・バッハ週間、ルツェルン音楽祭、草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルなどでも重要な役割を果たしてきた。
2001年4月、フライブルク近郊の自宅で心不全のため他界。享年87歳。

バッハ演奏の大家として知られたドイツの大家が残した唯一のショパン録音。1975年に録音されたこのショパンの練習曲全曲は、ピヒト=アクセンフェルトにとって唯一のショパン録音となったもので、遅めのテンポから一つ一つの音にショパンが託さした輝きが目に見えるように再現された個性的な名演。 (バッハの大家アクセンフェルトが残した唯一のショパン録音。バッハ演奏の大家として知られたドイツのチェンバロ・ピアノ奏者、エディット・ピヒト=アクセンフェルト(1914-2001)。カラヤンの1960年代のバッハやヘンデル作品の録音に通奏低音で参加し、1970年代後半から80年代にかけて成し遂げられたバッハの主要鍵盤独奏曲の録音は録音史に残る金字塔として知られるが、バッハ以外の作品の録音は驚くほど少ない。

2001年以降最晩年の草津音楽祭でのブラームスやシューベルトのライヴが発掘され絶賛を巻き起こしているが、1975年に録音されたこのショパンの練習曲全曲は、ピヒト=アクセンフェルトにとって唯一のショパン録音となったもので、遅めのテンポから一つ一つの音にショパンが託さした輝きが目に見えるように再現された個性的な名演。



エディット・ピヒト=アクセンフェルト(Edith Picht-Axenfeld)ピアノPiano

Edith Picht-Axenfeld
Chopin, Frederic:12 études Op.10 
合計収録時間 | 01:02:48
【曲目】
  ショパン
  1.12の練習曲集作品10
  2.12の練習曲集作品25
【演奏】
  エディット・ピヒト=アクセンフェルト(ピアノ)
【録音】
1975年10月11日&12日、東京、石橋メモリアル・ホール
[オリジナル・プロデューサー]井阪紘
[オリジナル・レコーディング・エンジニア]大野正樹
ADD/STEREO

特に筆者が聴いた感想は、練習曲集作品10が大変良かった特に
 第3番(「別れの曲」)は誰も知る、有名名曲で・・・・説明する必要も無く
問題は次曲から実にショパンらしい演奏のように思う
 第5番(「黒鍵」)
右手が黒鍵の音のみを使用するため、機能和声の力が殺がれ、一種エキゾティックな響きが生まれる。練習課題は黒鍵の奏法。
この第6番が大変良く感動した。1830~32年作曲。
 第6番
非対位法的ポリフォニーの例。一貫して3つのパートが維持される。練習課題は、左内声の処理。
ワルシャワのショパン博物館に自筆譜が所蔵されている(請求番号M/194)。
変ホ短調。8分の6拍子、Andante
ポリフォニックな書法の本作品は、3声の弾きわけに加え、豊かな表現能力が求められる。右手の旋律と低音は長い音価で書かれている一方で、16分音符による内声が微妙な和声の変化をもたらす。旋律、バスを長い息のフレーズで維持しながら、細かく揺れ動く内声の和声の変化をいかに表現するかが課題となる。和声の微妙な変化に伴い、ペダルの効果的な踏みかえも重要な鍵となろう。
冒頭主題は8小節からなる。中間部(17小節~)は、著しい転調、音量の増大によって、徐々に感情の高まりを見せる。

エディット・ピヒト=アクセンフェルトのピアノ曲としても珍しいショパンの練習曲を以前購入し、試聴するが面白半分に購入したものだが、バッハの主要鍵盤曲を熟知している、エディット・ピヒトのショパンは聴きやすく、特にOp.10の方が勝っているように聴こえる、ショパンの演奏は多くのピアニストが演奏していて皆それぞれに素晴らしいのですが、エディットの演奏は少しゆっくりとしたテンポで演奏されていて、一つ一つの音がはっきりと聴こえてくるのが印象的です。ショパンのお好きの方なら一度は聴いても良いと思います。

基本に何時もバッハを演奏している事はピアノ演奏にも精通しているようです。ブラボー!



追伸、今週末にはMシュナウザーの「モジャ」のサロンにいきます。さっぱりシュナウザー・カットに出来るか楽しみです。