伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

友人い誘われ、久しぶりに一杯の美味しい珈琲「香豆珈琲」を飲みたく、金谷まで行ってきました・・・・・

2022年06月29日 | クラシック音楽・オーディオ


昨日友人から連絡あり、少し遠いが千葉の金谷港近くにある香豆珈琲(コウズコーヒー)、美味しい珈琲を飲みに行かない?のお誘いがあり、行く事にした。
最近何故か出不精になってしまい、あれだけ好きな海釣りも全く出撃していない、昔は毎週の如く内房、外房と通っていたが、最近全くのご無沙汰である。暫く観光以外での千葉の海辺は久しぶりである。

金谷沖は、油のの乗った居付きの金アジが有名で、金谷付近の食堂は金アジのアジフライ定食が有名である、あと夏場に採れる房総ビワが有名である。



香豆珈琲は一度友人から土産で頂いた、焙煎された珈琲豆は美味しかった記憶が残っている。
その豆を如何に美味しく淹れて飲ませるのか興味もあり朝10時頃に出かける、16号外回りが意外と混雑している、千葉北からは高速で久しぶりの渋滞の中の運転ですが、意外と時間が経過したが千葉北インターに辿り着く、あとは高速に乗りスイスイである。



久しぶりの内房の海岸である、海の色も透明度も程よく綺麗である。

昔は君津までしか高速はなかったが最近は館山まで開通しているのは何度も通っている。今回は君津で高速は下車しか良いなれた16号を金谷に向かう、途中は馴染みある風景を思いだしながら快適に走った、2時間程にて金谷に到着する。
フェリーが停泊中であり、懐かしい風景である。海の青さは海色を見ればわかるが、かなり澄んだ色をしている、若干波気が強い。

今後は夏休みも始まり、コロナ禍の影響で海の家等閉鎖が続いたが今年は久しぶりに海沿いは相当混み合うのだろう。



場所の詳細が不明なので友人に連絡して案内を受ける、少し分かりにくい場所にあり、HPも探さず名前の登録で行ったために、詳細は解らなかった。HPはあるのでから情報は早めに目を通さなければならない。HPには詳しく動画で道案内が掲載されいた。

お店側では築130年の古民家をリノベーションし、その木材をできる限り再利用し改装した木のぬくもりを感じるお店です。
 落ち着きのある空間でほっと一息、美味しい珈琲のいただけるとのコメントが記してあった。



マスターは昔、柏に住まれていたそうである。筆者好みのお店の作りで、中々善い雰囲気がある。早速お店の中に入り、カウンター席に落ち着く、中央に暖炉があり冬は暖炉を燃やしているそうで、暖炉の暖かな部屋での珈琲はまた格別であろう。
お断りして撮影させて頂いたのですが、アンチョコに撮ってみたが仕上がりは先ず先ずアンテークな感じも出てる様子である。古民家の作りには良い感じです。



早速温かい珈琲(ブレンド)を頂く、興味を持った事はネルの一人前のネットで淹れる方式は面白い。ゆっくり淹れて頂いたコーヒーを先ずは香りから、温度も丁度飲み頃の温度に入れて頂く珈琲は実に美味かった。



勿論暖炉は。ただ今夏場は休憩中だそうです・・・・。

それと筆者は思うに美味しいコーヒーの淹れ方は肝は淹れる温度が肝心で、お抹茶のように淹れる前に釜の中に水をたしお湯を組若干湯冷しで覚まし、適温で淹れるコーヒーが香りも良く美味いのです。それと香豆珈琲は井戸水を利用していることも旨さに訳がある様です。
そういえば昔家を建てる時は必ず井戸を掘り水を確保してからの生活で、その水を保健所に行って調べていただき飲み水として使っていたのが日本方式である。


現在のスタッフで、右がマスターです、人付き合いは良さそうなマスターです。

尚マスターに美味しいコーヒーの淹れ方について筆者の茶越しネットで細かな粉と豆の皮を取り除く方法を尋ねると、「香豆珈琲」では渋み苦味を和らげるための、その行動を儀式と言っているらしい・・・・(笑)。次はお一人用のネルの珈琲越しを売って頂こう・・・



後で解った事は営業日は金曜日・土曜日・日曜日・祝日と表示してあったが、火曜日営業していたのは不思議だ。尋ねるとHPの修正がまだしてなく、現在は、土・日・月・火の週4日営業だそうです。因みに住所下記に掲載します。

香豆珈琲(コウズコーヒー)
〒299-1861 千葉県富津市金谷3867 TEL:0439-29-7753
駐車場:店舗前3台/近くの契約駐車場へ20台駐車可能です。

不満は音楽装置があまりにもチープで余り良くない、天井も高いし音響効果は良いと感じたが・・・
上質な囁くような歌声のカンタータでも流せば、素敵な空間のが仕上がるのかもしれない等如何にも天井から歌声が聴こえる様を想像するも楽しい。

冬の暖房の用意の為、薪を集め出しているそうです、相当の数の薪が必要になると言いてました。お客さまは何時も大勢来ていただけると言ってました。



そして友人と金谷近辺を徘徊して夕方の渋滞を回避のため少し早めに、金谷を後にした、
お土産の枇杷ゼリーを購入し途中昔良く行った竹岡ラーメンを頂きながらふと、忘れ物に気が付く香豆珈琲の珈琲豆を買い忘れてしまった、次に来た時這忘れない様にしようと・・・そして帰路に着いた。帰りは1時間30分ほどで自宅に到着した。
その気になれば、この程度のプチ遠出も楽しいものかも知れない。



しかしプチ遠出はやはり疲れる、夕食後はそのまま就寝。
実は明け方の番組に興味が湧いた、以前の番組の再放送である昨年の4月23日 土曜 5:00 -5:55 BS朝日スペイン編 天上の声 エスコラニア少年聖歌隊バルセロナの北西に位置し、スペイン語で“のこぎり山”を意味する巨大な岩山・モンセラット。「ヨーロッパ最古の少年聖歌隊の歌声が、聖なる山にこだまする」。
バルセロナの北西にあるモンセラット。天地創造を思わせるこの地には天使たちの歌声が響く。エスコラニア少年聖歌隊。彼らは寮生活を行いながら音楽を学び、大聖堂で歌声を響かせる。そんな彼らの生活を紹介する。



時間の流れの中で、人間が地球上のさまざまな土地に刻み続けてきた足跡、伝統、文化の中からテーマを決め、「旅」の形で追っていくシリーズ。ただ単に美しい映像の集大成ではなく、その土地を一つの空間としてとらえ、そこに生活する人々の精神的なライフスタイル、伝統・文化が成立するに至った経緯などを深く追求していく。毎回テーマに沿って美しい惑星の魅力を紹介する。

天上の声 エスコラニア少年聖歌隊スペイン・カタルーニャ地方、バルセロナの北西およそ60キロに位置するモンセラット。
ここは1000年前より多くの巡礼者を迎え入れてきたキリスト教の聖地。そしてヨーロッパ最古といわれるエスコラニア少年聖歌隊が、今なお天使の歌声を響かせる地でもある。



今回のDEEP Planetでは、数奇な運命に翻弄されながらもスペインの人々にとって心の拠りどころとなっているモンセラットとエスコラニア少年聖歌隊を描いていく。スペイン第2の都市、バルセロナ。カタルーニャ地方の中心として栄えてきたこの地では、過去に多くのアーティストが輩出された。サグラダ・ファミリア聖堂 で知られるアントニ・ガウディもその一人である。そんな彼が創造の源として度々訪れたのがモンセラット。標高 1235メートルの山の中腹にしがみつくように修道院がたたずみ、そこから見える風景はまさに神が創った雲上の世界だ。
特に有名な、今も黒いマリア像を礼拝しようと、各国の人達が列をなしています。
礼拝の列に並んでいると、黒いスカーフをかぶった年配の女性が涙を流しながら、一心に祈っています。その熱心な姿を見て、奇跡が起こるとは言わずとも、祈りながら新たな希望を見出すことができるような気がしてきました。
撮影禁止ではないので、ほとんどの人が黒いマリア像とともに写真を撮っているそうです。大変有難い黒いマリア像なんでしょうね!


ここに祭られている黒いマリア像は、かつてナポレオン軍の侵攻にあい、修道院が破壊された時も、この像だけは秘密の洞窟に隠され守られてきた。現在の建物の再建にはガウディも参加し、神々しい姿を今にとどめている。

そんなモンセラットの絶景と貴重な建築物、そして彫刻の数々を神父の話を交えながらじっくり紹介する。



この修道院に附属して建てられたエスコラニア音楽院では、現在、厳しい試験を通過した40名の少年たちが音楽を学んでいる。番組では、そんな少年たちの普段は見られない寮生活を取材。現代音楽教育の基礎はここにあるとまでいわれる独特の授業風景から、リクリエーションの様子までを紹介する。
少年たちは歌は勿論楽器は鍵盤楽器に後一つは自分の好きな楽器を選び懇切丁寧に教えているそうです、このような教育は日本も見習うべきですね。
また大聖堂では、毎日午後1時と7時にミサが行なわれている。ミサでは、少年たちの歌声を欠かせることができない。世界各国でも公演を行なうエスコラニア少年聖歌隊の澄み切った歌声は、まさに天使の響き。彼らのミサに向かうまでの一部始終を紹介するとともに、大聖堂に響き渡る感動の歌声にじっくり耳を傾ける。



今朝そういえば最近音楽全体を思うことが多くクラシックを色々と聴いていて、行き詰まると、ウィーン少年合唱団に戻ってくる。
ウィーン少年合唱団はまるで天使の歌声か・・・・?昨夜テレビで聴いたエスコラニア少年聖歌隊の声を思い出しながら定番中の定番と云われるヘルムート・フロシャウアー指揮のウィーン少年合唱団を聴く。



ヘルムート・フロシャウアー(Helmut Froschauer)1933年9月22日生まれ、墺・ウィーン出身の指揮者。本名はヘルムート・エミル・フロシャウアー。ウィーン少年合唱団にて音楽を学び、ウィーン音楽院ではピアノ、ホルン、作曲のほか、ハンス・スワロフスキーに指揮法を習う。53年から65年までウィーン少年合唱団の指揮者を務め、ウィーン国立歌劇場の合唱指揮者に。60年代前半にはウィーン響とディズニー映画の音楽も担当。92年から西部ドイツ放送協会の合唱監督、97年からケルン放送管の首席指揮者にも就く。また、ウィーン楽友協会合唱団、ブレゲンツ音楽祭、ザルツブルク音楽祭などでも合唱団を指揮し、独合唱界の重鎮として活躍。2019年8月18日に死去。85歳没。

長くウィーン国立歌劇場の合唱指揮者を務めたヘルムート・フロシャウアー(Helmuth Froschauer)が亡くなった。85歳だった。ウィーン少年合唱団出身で、1968年から1991年までウィーン国立歌劇場の合唱指揮者を務め、そのかたわら、ウィーン楽友協会合唱団、ブレゲンツ音楽祭、ザルツブルク音楽祭などでも合唱団を指揮するなど、ドイツ合唱界の重鎮の一人だった。



1933年、ウィーンの生まれ。少年合唱団の後、ウィーン音楽院でピアノ、ホルン、作曲を学び、ハンス・スワロフスキーから指揮法を学んだ。1953年から1965年まで古巣のウィーン少年合唱団の指揮者を務めた後、ウィーン国立歌劇場に。1992年からは西部ドイツ放送協会(WDR)の合唱監督。その後、1997年から2003年までケルン放送管弦楽団(WDR Rundfunkorchester Köln)の首席指揮者を務めた。

The Vienna Choir Boys Sing Johann Strauss Waltzes and Polkas
 1.An der schönen blauen Donau (Waltzer, op. 314)
 2.Bitte schön (Polka francaise, op. 372)
 3.Geschichten aus dem Wienerwald (Walzer, op. 325)
 4.Sängerslust (Polka francaise, op. 328)
 5.Rosen aus dem Süden (Walzer, op. 388)    
 6.Vergnügungszug (Schnell-Polka, op. 281)
 7.Unter Donner und Blitz, Op. 324    
 8.Kaiser-Walzer, op. 437    
 9.Leichtes Blut (Schnell-Polka, op. 319)
 10.Wiener Blut (Walzer, op. 354)

ウィーン少年合唱団の十八番といえるウィンナ・ワルツ集。少年合唱団によるウィンナ・ワルツは世俗の垢が洗い流されて、ウィーン少年合唱団の創立は1498年。巨匠トスカニーニが彼らのコーラスを評して《天使の歌声》と命名したことでも有名で、世界の数ある少年(少女)合唱団の中でも抜群の人気と実力を誇っている。10歳から14歳の約100名のメンバーは全員アウガルテン宮殿で全寮制の生活をし、ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ブルックナーという合唱団にゆかりのある作曲家の名がついた4つのグループに分かれて活動。ウィーン国立歌劇場でのオペラにも数多く出演し、ウィーン・フィルともしばしば共演。メンバーは宮廷音楽家としての伝統を受け継ぎ、制度となっている宮廷礼拝堂での勤務も重要な役目の一つ。
清純な透明度を保った美しい音楽に変貌を遂げている。これこそ正に浄化できる音楽とも言える、他では得られない味わいだ確かに、これは最大の癒しの音楽の境地である。



今年も初物の蒲郡ハウスみかん、酸味も程よく美味しい事に、ブラボー!


歪な真珠と言われるバロックと言う音楽J.S.バッハ:うまく調律されたクラヴィーアBWV 846‐869を違う楽器で聴き比べるアルバムを試聴した。

2022年06月25日 | バロック音楽・オーディオ一般

上記絵画は一般的にバロック絵画と言われるモノである。この絵画についてどの様に思うか?中央はキリストである、汗の匂いも漂ってきそう。とても生々しくて、立体的で、人々の動きが感じ取れる躍動感があります。キリストの苦しそうな表情とか、人間の必死な形相もしっかり描かれています。そして、明暗のコントラストがはっきりしている。この、ちょっと、ゴテゴテっとした動きのある感じ、これがまさに「バロック」である。

宗教改革を経て、国王が絶大な権力を振るう絶対王政時代に興った、とても大胆な芸術様式なのです。美術のみならず、建築や彫刻や文学や音楽にも、そのエネルギーは広がっていきました。バロックとはポルトガル語のbarroco(〈歪んだ形の真珠〉の意)に由来する語であり,元来は18世紀後半のフランス古典主義の立場から,16世紀後半から18世紀初めまでのバランスを欠くまでに動的な芸術表現に対する蔑称として用いられた。
改めて思えば宗教問題になるが、日本と海外での信仰の違いは大きい、日本は昔から神代の時代と言われ自然の神々で自然崇拝が基本であり、朝日が登れば太陽に感謝し無事への祈願を行うことが始まりの国である様です。

先日仕事で東京に出かけた、久しぶりに電車に乗った、6月も下旬となり今年は梅雨明けも間近とアナウンスしている、スマホでYouTube配信を観ながら電車利用も便利である。
電気不足等言われる馬鹿な政府はポイント配布する等ほざくが、まるで、見通しが立たない現状である、まともな政策一つ打ち出せない与党はこれでは参議院選挙は野党大敗が摂理である。
全く興味すら無かった選挙であるが、最近参議院選挙公示されたが、岸田自民大勝と言われていた選挙に何故か風が吹きだした様である。
現代的報道として活躍のYouTube配信で既に現在5万人のフロアーを集めていると言われ選挙終了時には6万人になる可能性がある「参政党」だ、風が吹けば意外と票を伸ばすのが「参政党」が有利であろう。以前からCGSチャンネルで動画配信していた頃より神谷宗幣は政界に出馬と言っていた、テレビでもお馴染みの武田邦彦、松田政策研究所チャンネル、も勿論ネットでも盛んに日本の歴史教育問題を問題視していた、実に誠な事を言っている。

日本の選挙は投票率は非常に低く、何時も言われる事は無党派層の取り組みだと言われるが、現在野党の魅力が無い時代においてこの党は未了的な党に思える、この様な政治社会ができれば武田先生の訴える孫世の代にも安心して引き渡せる日本の目指す国造りが出来るのであろう。



本日の仕事は2時間程で済み、日課であるワンコ(モジャ君)の散歩に連れ出す時間も、最近は酷暑で夕方涼しくなってからに移行し行っているので5時頃までには帰宅したい、余裕の時間はあるので、それなりに秋葉の定番の電気屋(真空管専門店)さんに立ち寄る。
するとアメリカ製のシルバニアゴールドブランド2C51の入荷した様です、2C51シルバニアNOS 1960年代のものだそうです、ロゴが新しいものが1970年代と教えられました、GEの5670Wとの音質は違うのか興味もあり購入して見ました、価格もお手頃価格である。

このチューブは一般的に(電子真空管9ピン6N3 / 6H3N / 396A / 2C51 / 5670)と明記され通信用に製作したチューブでロシア管、支那管(ロシア管のコピー)、GE管等数多く手頃に価格で収集できる事は有り難いが、WEの396Aは特に優れた物で、何処も在庫が無く笑いながらプレミアム価格ですと言われた。現在入荷予定も全くないそうです。



AIYINA T-7の使用方法はモノーラルで使用中であるが、意外とこの方式が効果的である。幾分音の分離と透明度が増した様に思う、チューブを翌日早速装備して試聴するが、LS3/5aでは音質はあまり変わりはない様である。次に装置のパワーアンプをZaika 5300の球に変えたシングルパワーアンプサンバレーSV-501SEからGOODMANS AXIOM 80の箱に10吋タンノイIIILZ Monitor Goldを組入れた据え置き型の装置で試聴する。

LS3/5aでは少し歯切れ悪かったが、タンノイはチェンバロの音が若干だが冴えた音に聴こえる、2C51シルバニアの球の変化もエージングしてないので本来の能力未だない様です。しばらく使えば変化が楽しみでもある。

正直GEの5670Wと比べ違うは価格が違うが・・・・音質は如何に(笑)
確かに音質の差は何れにせよ微妙な差ではあるが、オーディオマニアと称する人より音楽愛好家の方のがこの差は見逃さない事が分かる、オーディオマニアの方は一般的に使用する機材により判別して、音楽愛好家のかたは自分の愛用する音楽を聴き判断する、この差は実に大きい事なのである、音とは実に怖いのです。
演奏状態、ましてやコンサートに良く出かけられるマニアは実に的確に音の鳴り方を説明されオーディオマニアは出る幕は無くなるのです。
筆者などは音質が良く鳴れば、鳴るほど音楽全体の理解ができるが、如何にせよ成る可くローコストで上手く鳴る機器のラインアップを考え楽しんでいるが所詮その差は大きい様である、貧困老人のつらさを噛み締める毎日である・・。



バンジャマン・アラール(Benjamin Alard)
1985年フランスのノルマンディー地方ディエップに生まれ、ルーアン地方音楽院でルイ・ティリーとフランソワ・メニシエにオルガンを師事。パリではエリザベート・ジョワイエからチェンバロを学び、2003年にバーゼルへ渡りスコラ・カントルムでイェルク=アンドレアス・ベッティヒャー、ジャン=クロード・ツェンダー、アンドレア・マルコンに師事。
04年、古楽の最高峰と言われるブルージュ国際古楽コンクール第1位および聴衆賞を獲得。さらに07年ゴットフリート・ジルバーマン国際オルガン・コンクール(フライブルク)第1位およびヒルデブラント特別賞を受賞。フランス、スペイン、アイルランド、ロシア、日本でリサイタルを行うほか、ラ・フォル・ジュルネ、モンペリエ音楽祭、バッハ音楽祭(シャフハウゼンおよびローザンヌ)をはじめとする著名音楽祭に出演。
さらに、クイケンとレオンハルトが72年に創設したラ・プティット・バンドの通奏低音奏者としても活躍。05年よりパリのサン=ルイ=アン=リル教会の正オルガニストを務める。現在、J.S.バッハ鍵盤作品全集の録音に取り組んでおり、これまでに第6巻までがハルモニア・ムンディよりリリースされている。



アラールによる、バッハの鍵盤作品をすべて録音するプロジェクトの第6弾。『平均律クラヴィーア曲集』第1巻の登場です!
これまでの5巻で、若きバッハの作品(および影響を受けた他の作曲家の作品)からヴァイマール時代までを録音してきたアラール。今回の平均律クラヴィーア曲集第1巻は、ちょうど今年2022年が第1巻成立300年の記念年にあたるという絶妙なタイミングでのリリースとなります。といってもそこはアラール、まずはディスク1で『平均律』の母体となった『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集』などからの作品をクラヴィコードで演奏し、聴き手の耳と心を『平均律』の前にととのえてくれるようなセッティング。まるで実際にバッハ父子が楽曲を演奏している部屋に迷い込んだような気分になります。

平均律では、アラール自身がさだめた順番で曲がおさめられております。ここで使用した楽器は、歴史的チェンバロ、1740年製のヨハン・アドルフ・ハス。三段鍵盤を擁し、繊細でいながら実にカラフルかつパワフルな音色が魅力の楽器です。アラールは、バッハも特にライプツィヒ時代には様々な鍵盤楽器を自由に使えたはずで、おそらくはここで使用したような規模の大きな楽器も愛奏していたのではないか、としています。平均律のもつ大きな宇宙の広がりを感じる演奏です。
アラールの作品を見ますと圧倒的にJ.S.バッハが多く、今後も大いに楽しみな演奏家であろう、作品毎に徐々に試聴する楽しみが増えた様である。




ジャケットは演奏に使用した3連のチェンバロの写真を使っている様である。

J.S.バッハ:鍵盤のための作品全集 Vol.6~Das Wohltemperierte Klavier(うまく調律されたクラヴィーア)平均律クラヴィーア曲集 第1巻 BWV 846‐869
[CD1]
W.F. バッハのためのクラヴィーア小曲集&6つの小さなプレリュード
 1. プレリュード ハ長調 BWV 846a
 2. フーガ ハ長調 BWV 953
 3. 運指練習曲 ハ長調 BWV 994
 4. 小プレリュード ハ長調 BWV 924
 5. プレリュード ハ長調BWV 924a(W.F. バッハの習作?)
 6. プレリュード ハ長調BWV 933°
 7. プレリュード第12番 ヘ短調 BWV 857
 8. プレリュード第11番 ヘ長調 BWV 856
 9. 小プレリュード ヘ長調 BWV 927
 10. プレリュード ヘ長調 BWV 928
 11. プレリュード第6番 ニ短調 BWV 851
 12. プレリュード ニ短調 BWV 935°
 13. 「イエスよ、わが喜び」(コラール前奏曲)ニ短調 BWV 753
 14. プレリュード第2番 ニ短調 BWV 926
 15. プレリュード&フゲッタ ニ短調 BWV 899
 16. プレリュード&フゲッタ ト長調 BWV 902a & BWV 902a/2
 17. 小プレリュード ト短調 BWV 930
 18. プレリュード第10番 ホ短調 BWV 855a
 19. フーガ ホ短調 BWV 855a/2
 20. プレリュード ホ短調 BWV 938°
 21. プレリュード ホ短調 BWV 932*(W.F.バッハによるもの?)
 22. プレリュード ホ長調 BWV 937°
 23. プレリュード 第9番 ホ長調 BWV 854
 24. プレリュード 第4番 嬰ハ短調 BWV 849
 25. プレリュード 第3番 嬰ハ長調 BWV 848
 26. 「尊き御神の統べしらすままにまつろい」コラール前奏曲 イ短調 BWV 691
 27. プレリュード第4番 ニ長調 BWV 850
 28. プレリュード ニ長調 BWV 925
 29. プレリュード ニ長調 BWV 936°
 30. アルマンド ト短調 BWV 836*(W.F.バッハとの合作?)
 31. プレリュード 第8番 変ホ短調 BWV 853
 32. プレリュード 第2番 ハ短調 BWV 847a
 33. プレリュード ハ短調 BWV 934°
°=《6つの小さなプレリュード》BWV 933-938より
使用楽器:
クラヴィコード/ヨハン・アドルフ・ハス(1763年ハンブルク)製、プロヴァン楽器博物館コレクション



 [CD2]
平均律クラヴィーア曲集第1 巻
 1. 第1番 ハ長調 BWV 846
 2. 第11番 ヘ長調 BWV 856
 3. 第6番 ニ短調 BWV 851
 4. 第15番 ト長調 BWV 860
 5. 第10番 ホ短調 BWV 855
 6. 第19番 イ長調 BWV 864
 7. 第14番 嬰へ短調 BWV 859
 8. 第23番 ロ長調 BWV 868
 9. 第18番 嬰ト短調 BWV 863
 10. 第3番 嬰ハ長調 BWV 848
 11. 第22番 変ロ短調 BWV 867
 12. 第7番 変ホ長調 BWV 852
使用楽器:
チェンバロ(三段鍵盤)/ヒエロニムス・アルブレヒト・ハス(ハンブルク、1740年)製、プロヴァン楽器博物館コレクション

[CD3]
 1. 第20番 イ短調 BWV 865
 2. 第5番 ニ長調 BWV 850
 3. 第24番 ロ短調 BWV 869
 4. 第9番 ホ長調 BWV 854
 5. 第4番 嬰ハ短調 BWV 849
 6. 第13番 嬰ヘ長調 BWV 858
 7. 第8番 嬰ニ短調 BWV 853
 8. 第17番 変イ長調 BWV 862
 9. 第12番 ヘ短調 BWV 857
 10. 第21番 変ロ長調 BWV 866
 11. 第16番 ト短調 BWV 861
 12. 第2番 ハ短調 BWV 847
使用楽器:チェンバロ(三段鍵盤)/ヒエロニムス・アルブレヒト・ハス(ハンブルク、1740年)製、プロヴァン楽器博物館コレクション



【演奏】
バンジャマン・アラール
【録音】
2021年6月8-11日
プロファン
(セーヌ=エ=マルヌ県)

3枚組の1枚はプレリュード作品が録音されていた。クラヴィコードを演奏した1枚目では、息子の教育のために書き溜めた小曲の中に平均律クラヴィーア曲集第1巻の「芽」を見つけることができ、2~3枚目のディスクではオーケストラの如き多彩な音とゴージャスな響きを持つ三段鍵盤機構のチェンバロで平均律第1巻を聴かせてくれる新鮮な構成。 今年(2022年が)作曲300年の誕生日を迎える平均律第1巻を、できる過程・できた後で両方聴けるのは今までなかったのではなかろうか。



まずは現在筆者の部屋は約11帖の洋間で其程広くも無く10吋程のユニットが良い塩梅のバランスと思っている。
エンクロージャーは昔読んだオーディオ雑誌五味先生著書の記事内容に「タンノイのユニットだけの購入よりオリジナル箱と共に購入すべし」と口を酸っぱくして何度もタンノイのエンクロージャーの購入には大切な注意点と言われていたことが耳に残り、当時TANNOY IIILZ in Cabinetを購入し色々試すがあまり上手く鳴らなかった、但し小編成の音楽には本領を発揮したが、タンノイのご機嫌伺いは苦労の連続であった。
そこで現在落ち着いたいる箱はアコースティック・レジスタンス・ユニット付きのGOODMANS AXIOM 80の箱に吸音材を丁重に敷き詰め10吋同軸2ウェイ(IIILZ Monitor Gold)ユニットをセットした物を聴いているが音楽が音楽らしく鳴っていつこのシステムは誠に具合が良い。

但しセッティングには注意が必要でポン起きした場合は音が篭りゴロンゴロンと最悪の音になる、そこでフロートボードの板を自作しセットしたが幾分は良く聴こえるようになった、この箱の由来は、この箱の製作者、神戸の松波氏がIIILZ用の箱を色々試行錯誤して最後にやけくそでGOODMANS AXIOM 80の箱にTANNOYの10吋ユニットを入れて聴き出した事が始まりで、結果的に美音で鳴ったので、それ以来ⅢLZ党の面々のユニットをAXIOM 80の箱に入れ替えたと言われる方法と伺いました。実に瓢箪から駒の様な事だったと言われています。

AXIOM 80の箱は筆者のタンノイのオリジナルの箱の2.5倍ほどの大きさで、据え置き型の音色は最近実に安定し、一番安心して聴ける様になった。これがタンノイと言うメーカーの自信に満ちた製品であるかの様に響く状況はまさに上等の席で音楽を楽しめる感じが強い、欠点は聴きながら仕事ができない事である。
例えばBWV1079等の演奏をきくと、繊細な音の違いが見事に再現しく聴こえるこの1967年に発売された神経質な10吋同軸2ウェイ(IILZ Monitor Gold)のユニットから伝わる音楽は実にまったりとした音楽を提供してくれるのです。

しかもこのアルバムではクラヴィコードとチェンバロの組み合わせ。聴いていて「バッハが自宅でクラヴィコードをかき鳴らし曲の構想を膨らませ、チェンバロでその成果・結論が演奏された」というようなバッハの作曲過程を垣間見る錯覚も感じられた。 第1番ハ長調BWV846から第24番BWV869を番号順に演奏せず彼独自のやり方で披露するのも新鮮そのもの。バッハの家庭と仕事場の音の違いを垣間見る様な作品でもあり、聴き比べも中々できない作品の様である。

今回購入したシルバニアゴールドブランド2C51はしばらくエージングを行い逐次報告することにしました、ブラボー!

モダンチュエンバロ演奏でワンダ・ランドフスカのバッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988改めてを聴く

2022年06月20日 | J.S.バッハ関係


モダンチェンバロの始まりはワンダ・ランドフスカが提案した現代的なコンサート向きのチェンバロの構想に基づいて、フランスのピアノメーカーのプレイエル社が1912年に製作したものです。プレイエルのモダンチェンバロは5オクターヴの2段鍵盤仕様で、鍵盤の作りやストロークは現代のピアノとほぼ同じ。鉄製のフレームを用いて太い弦が高い張力で張られており、グランドピアノ同様に底板が無く、響板の裏側が開放されています。
弦を弾くプレクトラムは鳥の羽軸ではなく、硬い革で作られていました。ディスポジションは下鍵盤が 16', 8', 4'、上鍵盤は 8' という割り振り(つまり下鍵盤には通常のピッチの8'弦に加え、1オクターヴ低い16'弦と、1オクターヴ高い4'弦が備わっています)、これらの弦や、バフストップ、上下鍵盤を連動させるカプラーなどは、ペダルによって随時切替可能です。

プレイエルのモダンチェンバロは他のピアノメーカーにも大きな影響を及ぼし、モダンチェンバロの開発が盛んになります。



上の写真が、その後最も普及したのはノイペルトやアンマーなどドイツ系のメーカーのモダンチェンバロです。
ドイツ系のモダンチェンバロは通称「バッハチェンバロ」と呼ばれる、J.S.バッハの長男W.F.バッハが所有していたチェンバロを参考にしていました。
ドイツ系のモダンチェンバロは日本にも大量に輸入されていて、昭和の時代にチェンバロといえばこういった楽器のことでした。チェンバロの鍵盤は白黒逆転しているという通念はこの手の楽器に負うところが大きいでしょう。

こうしたモダンチェンバロは1980年頃から歴史的なチェンバロが復権するとともに急速に人気を失い、21世紀に入るまでにはコンサートや録音で使用されることは無くなりました。

記事内容では次の様に記されていました、(歴史的なチェンバロは時代や地域により様々で一概には言えませんが、ともかくもモダンチェンバロよりは音の減衰は早めです。そのような楽器を前提にした曲をモダンチェンバロで弾くと、どうにも平板に聴こえてしまうのです。母音が目立つカタカナ英語の様に。そして純粋すぎるモダンチェンバロの音は、複雑な味わいに欠け、他の楽器の音とうまく溶け合いません。)



上記の写真は、ランドフスカのお気に入りだったプレイエルのランドフスカモデル(Pleyel GrandModèlede Concert(1927):ベルリンの楽器博物館)その上で彼女はプレイエルのモダンチェンバロを良しとしたのです。それには巡業に際して当時の劣悪な輸送環境に耐える頑丈な楽器が必要だったという理由もありますが、それにしても好ましくない音の楽器を使い続けるわけもありません。

実際プレイエルのモダンチェンバロは、後のドイツ系のモダンチェンバロに比べても攻めた設計で、大編成のオーケストラとの共演でも良く通る独特の強い音を持っています。その代わりタッチは非常に重いのですが。これも彼女の美学にかなった音なのでしょう。


ところで現在でもモダンチェンバロ(風)の音がしばしば聴かれるものがあります。それは打ち込み音源の「ハープシコード」音色です。アニメの劇伴などで「貴族的な雰囲気」を演出するときの曲にチェンバロの音がよく使われますが、あれらには未だにモダンチェンバロに近い音色が使用されていることが多いようです。
しかし最近は実物の歴史的チェンバロの録音によるVSTiなどが用いられるようになってきているようなので、やがてこれらも消えてゆくのでしょう。



大変昔の話で恐縮ではあるが、最初Wanda Landowska (ワンダ・ランドフスカ)を知ったのは多分五味さんのオーディオ関係の著書の中から見つけ、音源を探し聴いたことが最初である、当時はLPレコードも探すも見つからず先輩から音源をカセットテープにコピーして頂き聴き始めた。使用の装置は決して上等な装置でもなく勿論チェンバロ曲のJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988を聴いたが多分コピーした物と解る粗悪品でした、針音はするは、ナローレンジで音質も録音した物は最悪のレコードと記憶する、その後アルフィーフ・レコードから発売されたカール・リヒターのチェンバロ曲を入手して素晴らしい演奏に感激した記憶があります。やがてCD時代になり装置も多少はグレートアップして期待して聴くが最初にリヒターを聴いた頃と比べ大して音質は良くなかった。

その後筆者の20代後半にテルフンケン・レコードより古楽器演奏のグスタフ・レオンハルトのチェンバロ演奏が気に入りバッハの演奏を好んで聴いている。当時直輸入物のレコードはアルフィーフ・レコード、テルフンケン・レコード以外田舎では入手出来なかった。その後筆者の個人的な理由もありオーディオ機材は殆どの処分してミニコンポでCDを楽しんみオーディオと別れを告げた。その後知らない間に当時の古楽器も再現され古楽器演奏は盛んになり、今やモーツアルトの交響曲までも古楽器演奏の物を販売している様である。

老人になり時間の余裕が出来、良い音、いい音楽が聴きたく、小遣いに圧迫しない程度に、暫くしオーディーオ再開した、昔しっかり聴けなかった音楽を、改めてワンダ・ランドフスカの芸術(24CD)仕込み聴いたが、矢張り余り良い結果は得られなかった。昔所有した英国フェログラフ社が開発した、評価は高音部が少し病的な繊細な音と言われたFERROGRAPH S1で聴いた音の記憶では優っていた様に思えた。
今回Zaika 5300と言う1本の真空管を入手し音質が変化してタンノイの10吋ユニットの実力の片鱗をのぞいた気持ちになった事は事実である。



チェンバロという楽器の製作にワンダ・ランドフスカは大いに貢献したとも言われている、ランドフスカのお気に入りの楽器、プレイエルグランドモデルドコンサート(1927年)ベルリン:ベルリン楽器博物館にあるそうである。

チェンバロの語源はシンバルから鈍って1397年に登場とある歴にある楽器と言われる、見た目からもわかる通り、ピアノの祖先となった楽器ですが、その歴史はかなり長いようです。
歴史を遡ること1397年、イタリアの貴族L.ランベルタッチがパドヴァから義理の息子に宛てた手紙のなかで「ウィーンから来たヘルマン・ポルという若くて(当時27歳)なかなか面白い男がクラヴィチェンバルム(clavicembalum)という楽器を作っている」と書き残したことが伝えられています。これがチェンバロの最初の出典ですが、残念ながら楽器は現存していませんちなみにこのヘルマン・ポルは駆け出しの内科医と占星術者で、決して発明家やプロの音楽家ではなかったようです。しかし、1425年に作られたとされるチェンバロの彫像がドイツ北西部のミンデンというところにあり、その形をしっかり確認できます。おもちゃのような小ささですね……!残ったチェンバルムの語源ですが、あの打楽器のシンバルからきているという説が有力なのです。(シンバルは昔、カスタネットほどの大きさでした!)
弦を叩いて音を出すピアノと違い、弦をはじいて音を出すチェンバロは、ギターとも音が似ているため、18世紀の作曲家スカルラッティはギターを模倣したような作品も書きました。
同じくシンバルが語源とされている楽器はほかにもあります。ハンガリーのツィンバロンという民族楽器です。見た目にこそ差はありますが、両者とも、音色にはどこか遠い親戚のような似たものを感じてしまいます。



Wanda Landowska (ワンダ・ランドフスカ)。ポーランドの女性ピアニスト。1879年7月5日生まれ。1959年8月16日没。
チェンバロ奏者、音楽教師、作家として活躍。ワルシャワ生まれ。4歳からピアノを始める。ワルシャワ音楽院でヤン・kレクジンスキ(Jan Kleczynski)、アレクサンダー・ミカロウスキ(Aleksander Michalowski)に師事。
ベルリンでハインリヒ・ウルバン (Heinrich Urban) に作曲と対位法、パリでモーリツ・モシュコフスキにピアノを師事。ピアノよりもチェンバロに注力することを決意し、1908年から1909年にロシアでプレイエル・チェンバロによるコンサートツアーを行った。1912年から1919年の間、ベルリン芸術大学でチェンバロを教えた。
1923年にアメリカでデビュー。1933年にバッハのゴルトベルク変奏曲をチェンバロで初めて録音した。1938年にフランス市民権を取得。1949年にアメリカのコネチカット州レイクビルに住んだ。1954年に演奏活動を引退した。バッハ、クープラン、モーの作品を中心に音楽学にも精力的に取り組んだことで知られる。ショパン、スカラッティ、モーツァルトの作品の録音も行っている。

ここで今回仕入れたZaika 5300と言う火屋は6A3の球とよく似た構造で、特にシルヴァニアの球は2枚プレート(Hプレート)にスプリング吊りの構造のように見える、解説にはモノーラル再生なのに立体感があり、太くて濃厚なヴォーガルが迫り出すとコメントしてますが、聴けば思い出す節はある、40年前以上の工業製品の日本の技術も素晴らしかった様である。



そこで今回は今まで余り良い音が聴けなかったワンダ・ランドフスカのバッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988を今回仕入れた40年前の真空管「Zaika 5300」とGOODMANS AXIOM 80の箱に10吋タンノイIIILZ Monitor Goldを組入れた装置でじっくり聴く事としました。
結果的には、ある程度満足出来る音楽が聴ける、それ相当のオーディオ機材で聴かなければ満足は得られないと思う次第であり、基本はオーディオ機材の云々より、より多くの音楽を聴くべきと思っていたが、それは大変な間違いであった。

以前友人のIB君が所有する装置ではバッハのカンタータは自分の装置では聴けないと言っていた事が、今更ながら良く理解出来ることであった。特に宗教音楽、ワグナー音楽の類は試聴する装置はある程度選んでしまうようだ。

正直今まで素晴らしいランドフスカ演奏とは思った事もあったが、何せ録音が新しい演奏でも1945年と筆者の生まれる前である、当然SPレコードで聴いたのであろう、余りにも音質は悪く、いくら良い演奏と言えどどうしても敬遠気味になったのが現状である。
ここで改めてワンダ・ランドフスカの演奏を聴くと今までと違いゴルトベルク全曲が楽しめた違いに驚く、右手の音と左手の音の違いが明らかに聴くことができる、実に繊細な部分も明確に伝わる、細かなアドリブも実にランドフスカしか出来ない芸当であろう。
音質はよくYouTube等で伝説のWestern Electric等の機材を使用した空気録音と称した音源を聴くが、筆者のシステムの音源もなんとなくその音質と似通った音が鳴る様に鳴っていた。音の良さが驚きである事だ!

しかしこの度のゴルトベルクは最初のデーターはRecorded on 9, 13-15 November 1933となっています。2回目データーは1946, [Studio] 編集場所 : 1708-1717, Weimar, Germanyと明記されています。ランドフスカ夫人の優雅で即興的な愉悦に満ちたバッハ。 ワンダ・ランドフスカ(1879‐1959)は、骨董品と思われていたチェンバロという楽器を20世紀に蘇らせたことで現在の音楽演奏解釈の大きな思潮である歴史的考証演奏への道を開いたポーランド出身の女流鍵盤奏者である。フランスのプレイエル社によって制作された大型のチェンバロを最大限に駆使した華麗な演奏は、現在でも傾聴すべき美点を数多く持っている。



当アルバムは、第2次大戦の戦禍を逃れて1941年に渡米した後から亡くなる2年前の1957年に至るまでRCAに残した数多くの録音の中から、ヨーロッパでのHMV録音に次ぐ2度目の録音となった「ゴールドベルク」と、パルティータ第2番を収めている。
 バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988
  アリア 3/4拍子
  第1変奏 3/4拍子
  第2変奏 2/4拍子 
  第3変奏 12/8拍子 1度のカノン
  第4変奏 3/8拍子
  第5変奏 3/4拍子
  第6変奏 3/8拍子 2度のカノン
  第7変奏 6/8拍子
  第8変奏 3/4拍子
  第9変奏 4/4拍子 3度のカノン
  第10変奏 2/2拍子 フゲッタ
  第11変奏 12/16拍子
  第12変奏 3/4拍子 4度の反行カノン
  第13変奏 3/4拍子
  第14変奏 3/4拍子
  第15変奏 2/4拍子 5度の反行カノン
  第16変奏 2/2拍子-3/8拍子 フランス風序曲
  第17変奏 3/4拍子
  第18変奏 2/2拍子 6度のカノン
  第19変奏 3/8拍子
  第20変奏 3/4拍子
  第21変奏 4/4拍子 7度のカノン
  第22変奏 2/2拍子
  第23変奏 3/4拍子
  第24変奏 9/8拍子 8度のカノン
  第25変奏 3/4拍子
  第26変奏 3/4(18/16)拍子(右手が18/16)
  第27変奏 6/8拍子 9度のカノン
  第28変奏 3/4拍子
  第29変奏 3/4拍子
  第30変奏 4/4拍子 クオドリベット(好きなように)
  アリア 3/4拍子 ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
 Recorded on 5, 6 & 12 June 1945
技術的な事は不明ですが、(SPレコード本来の音を追求した グッディーズ・ダイレクト・トランスファー CD-RSPレコードの真の音は残念ながら、これまで市販された復刻CDではなかなか聴くことができません。それはSPレコードの音ミゾに刻まれた音声信号を拾い出すプロセスで、重要な情報が失われているからです。このCD-Rシリーズは復刻プロセスを最短にしてSPレコードのありのままをお届けするダイレクト・トランスファーです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードのために、専用のカスタムメイド真空管式フォノイコライザをの使用しています。またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り、一切のノイズリダクションや曲間の編集を排除してあります。従来のSP復刻CDよりノイズの量は多くなりますが、ノイズの奥に演奏者の確かな息づかいが聴き取れます。プレスCDより音の鮮度の点で優位と判断し、CD-Rを採用しました。)とこの様な注意書きが掲載されていました。

確かに筆者の機材でもかなり良く聴けた、装置によっても印象は違ってきます、全てはバッハも聴けば理解できる、兎に角ランドフスカは曲を面白く聞かせる名人だと思う。このボックス中にも、多くの鍵盤奏者が録音をしている曲、例えばゴルトベルク変奏曲、イタリア協奏曲、平均律等が収録されているが群を抜いて面白く退屈しない。装飾音の入れ方や種類、間の取り方が絶妙なのだと思う。ある人曰く、テンポルバートはポーランド人にしか出来ないそうだ。この人の演奏を聴くと納得してしまう。



以前にもブログ紹介はしましたが、ワンダ・ランドフスカやマイラ・ヘスのような偉大な女流ピアニストの後継者と言われたシモーネ・ディナースタイン(Simone Dinnerstein)マンハッタン音楽学校でソロモン・ミコウスキーに、ジュリアード音楽院でピーター・ゼルキンに学ぶ。またロンドンでは名ピアニストアルトゥール・シュナーベルの弟子、マリア・クリチオに学ぶ。

ニューヨーク、カーネギー・ホール・ワイル・リサイタル・ホールにおけるセルフ・プロデュースによるソロ・リサイタルでバッハ「ゴルトベルク変奏曲」を弾いて大きな注目を集める。同年に自主制作した「ゴルトベルク変奏曲」のアルバムが2007年にテラークより発売され、発売後1週間でビルボード・クラシカル・チャートで第1位を獲得。同盤はニューヨーク・タイムズ紙、ロサンジェルズ・タイムズ紙、ニューヨーカー紙で「2007年のベスト・アルバム」に選定された。



2010年、ソニー・クラシカルと専属契約を結び、6月、第1弾のバッハ・アルバムをベルリンで録音。9月、初来日を果たし、東京でバッハの「ゴルトベルク変奏曲」とクラヴィーア協奏曲第1番を演奏している。


J.S.バッハ: ゴルトベルク変奏曲
 シモーネ・ディナースタイン(ピアノ)
 2005年3月 ニューヨーク,アメリカン・アカデミー・オブ・アーツ・アンド・レタース

アメリカ期待の若手ピアニスト、バッハのゴルトベルクを弾く!ピアニスト、シモーヌ・ディナースタインのテラーク・デビューアルバムです。この録音は2005年3月に、グラミー受賞でも知られるプロデューサーAdam Abeshouseによって行われたものです。
10年以上もジュリアード音楽院で学ぶも、華々しいコンクール歴などを一切持たなかった彼女は2005年まではブルックリンで、小学校教師をしている夫、小さな息子と共に静かに暮していました。しかし、この『ゴルトベルク』の録音が彼女の分岐点となりました。
デビュー・リサイタルは2005年11月カーネギー・ホール。彼女自身のプロデュースによって行われました。

彼女はゴルトベルクについてこう語ります。「この作品は極めて緊密に書かれ、全ての楽節が深く結びついているのでしょう。
改めてピアノ演奏も勿論すがらしい。今も新譜クープランの「神秘の防壁」を発表しているが続いてのバッハの新譜を期待する、ブラボー!

今自宅の作業部屋で鳴っているバッハのカンタータ音楽について、考察した。

2022年06月17日 | 真空管アンプ・オーディオ

本日到着した小箱、大阪に転勤の為引っ越した娘からの贈り物、何せ京都の銘菓ということで、甘露竹なる水菓子をいただいた。
本物の竹を使用した器は七夕が近づき如何にも日本らしい水菓子である。この水菓子は甘味を抑え上品に仕上がっている、日本茶が美味いと思い煎茶を頂く、飲み頃は湯冷ましで50℃辺りのお湯を煎れじっくり焙煎したてが香りも良く美味い、日本茶の面白さはお茶により様々に煎れ方が違い、この辺りの菓子により飲み物のバリエーションを家庭で選別できる国民性は世界広いしと言えぞ日本でしか味わえないようです。

余談ではあるが、貧困老人がやはり再発したオーディオ病であるが症状が徐々に悪化しているようである・・・此処で今まで筆者が感じていたこと呟く、オーディオ機材を揃えるには、ある程度のテーマ性は・・必要であるのか?
即ち音楽を大別にして、クラシック系、ジャズ系、POP系と機材を選り分けた様に思う、そこが大きな間違いがあった事に最近気付いた、長年其の〇〇系という言葉に迷わされ続けてきた事に気づき今回の「Zaika 5300」の導入で判明したすべての音楽を素直に鳴らす装置が欲しいのである。まさに火屋一つでこれだけの音聲が変わるのかの予想は出来なかった。

この300Bと言う火屋はある程度特殊な球であり、基本は2A3の火屋である、2A3なら未だ日本製もある程度各社残っている、勿論欧米も数多くあり、その球での再生装置を用意したのが便利なような気がする。



今まで散々筆者の頭の中で間違った判断をしていた様である。オーディオ再開は年季の入ったTANNOY IIILZ in Cabinet10吋同軸2ウェイ(HPD295)でジャズを聴きたいから再発した病気である。最初の間違いはジャズには幾らタンノイでも相性が良いと思った英国製系の石のアンプ選びから始めたことでした。その後他メーカーのアンプを試みたが相性は真空管が合いそうであった。

その後やはり真空管のアンプが良さそうと思い最初購入したパワーアンプSV-501SEに付随していた300Bの真空管SunValleyオリジナルと言うが多分ロシアのElectro-Harmonix製品と思うが現在輸入禁止措置対応である。勿論ドライバー段に3極+5極複合管の6BM8もElectro-Harmonix製品が注入されていました。

オーディオ機材には其々各メーカーにより歴史があり、やはり其の重要な歴史を軽んじては失敗する要因がお大きい、例えばWestern Electricのアルテックのユニットを程よい状態で鳴らすことは、よく調整したアルテックの真空管アンプドライブするWestern Electricの三極管使用が早く、いい音楽に出会える一番の方法である、これが基本中の基本なのです、此処で古いタンノイのユニットをそれなりに上手く鳴らそうと思うなら、昔から定評のある英国系のMullard等の直熱三極管(ST管)でのドライブが一番手っ取り早く音楽を楽しめる。多分これが一番理解できる解答であろう。その後に日本産、アメリカ産、オランダ産、ドイツ産、ロシア産、支那さん等の有名メーカーの真空管交換で色々な音楽が楽しむ事ができるのです。大事なことは基本を忘れない事の様です。

この様な図式は誰もご思いつく話なのに、筆者を始め多くのマニアが個々に違う方法を探し求め思い違いをする事になる様である。なぜか遠回りして何れかはたどり着くであろう到着点であろう。
しかし他人がこの音を聴いても感激することはないと思う、普通に鳴る音と思うのであろう、その辺りが趣味の醍醐味であろう。



全てのオーディオマニアでは無いが、いずれにせよ抜けられそうもない道を彷徨う事になる。それが大半なのであろう。勿論それぞれ環境の違いにより望みも違いがあれど「良い音、良い音楽」を求め続けるのであろう。

勿論以前のブログでも紹介はいましたが、TANNOYの10吋のユニットと国産品のZaika 5300の300Bとの相性はすこぶる良好であり、勿論ジャズ音楽も楽しめる様になった、真空管の変更で此処まで変わるとは想像外である。
勿論何度もA-3500のE L34のパワーアンプと聴き比べるが迫力感、生演奏らしさ、楽器の瑞々しさ、透明感は、全ての事柄でZaika 5300が優っていた。

其れにしてもLS3/5aと言うエンクロージャーのポテンシャルの深さを今回改めて知ったように思う、この辺りがBBCのモニターたる所以であろう・・・。



最近緩急王国より直熱3極菅BOOKと言う増刊号が発売されたそうで、最近気になる魅力の多い三極管の基本と言われる 2A3の真空管情報を知ろうと購入した。記事内容の中にて上杉佳郎が1966年秋に、今は亡き五味康祐先生のためにタンノイオートグラフ様に2A3プッシュプル、パワーアンプ発表会している、五味先生も著書の中にて上杉アンプは注目していた様でした。

現在日本の会社の中で2A3の真空管アンプはサンオーディオから昔から定評があり、一度余裕があれば是非手元に置きたいアンプでもある。勿論筆者は機械音痴なので自作は無理と思っているのですが。
全体を読み出すと試聴に使用する筆者の傾向と違いがあるようだ、しかし参考になる箇所もありじっくり読み漁ってみる様に思う、意外と購入後ツンドク状態になる事が多く反省しています。

最近レコード鑑賞はプレイヤーのアームの機嫌が悪く、音楽ソフトはDACで賄っています少し前の製品ですが(KORG USB DAC )を使うが一番有難い点はレコード・プレーヤーを直接接続できるフォノ入力端子を装備いつところであろう。プリはデジアンプのためにこのDACは利用範囲は広い。



さてここで筆者が今までタンノイのIIILZ Monitor Goldのユニットを機嫌よく鳴らすのにパワーアンプSV-501SEを仕込んでみたが、期待した様には鳴らなかった事は事実ではあるが、其のために本物のWestern Electric-300Bを仕込むには貧困老人には所詮無理である、そんな時に見つけた「Zaika 5300」の真空管であった、SV-501SEは真空管交換しても費用対効果は薄いと論評にも書いてあり、余り期待もせずに差し替えたがこれが実に良い結果を得たのである。

サブのチューブもドイツ製品にして聴くと以前より効果がある感じになった。以前SV-501SE購入後SUNVALLEYオリジナルの300Bで検証したが、全く期待外れでその後他のアンプを試みた後、皆さんご存知のLUXKIT A3500を仕入れ配線をWestern Electricケーブルに変更、インシュロック部分を凧糸に変更し可能の範囲を補修しLS3/5aを聴いていましたが、何時迄も多少の不満は残った。
最近になり欠陥箇所が変名し其の箇所の部品交換後は見違えるような音質になり、現在10吋のタンノイにつなげているアンプも「Zaika 5300」に交換し迫力、リアル感、透明感等格段と音質が良くなり、LS3/5aがどの様な音が聴けるか興味が湧き今回の試聴となったのです。



そこで今回「Zaika 5300」の球で音質向上が判明し再度LS3/5aに接続して試聴して見ました。勿論LS3/5aの欠陥箇所が判明しSUNVALLEYーSV-501SEを駆動することも初めてです。唯最大の音質の変化は音の浸透力が断然良くなり生々しい演奏が体験出来たことの様である。
特にクラシック音楽のヴォーガル演奏には顕著に期待できる勿論器楽演奏にも音楽は豊かで、真空管の音は実に素晴らしい事が体験できました。

そこで試聴する曲は筆者好みの音楽を選出してみる事にしました。特筆するべきはヴォーガルの生々らしさは兎角凄みを感じた、いや質に美しい歌声であろう。

先ずはアーフェ・ヘイニス(Aafje Heynis 1924年5月2日-2015年12月16日)
アーフェ・ヘイニスは1924年にクロメニーで生まれました。4歳のとき、彼女は児童合唱団で歌い、父親と一緒にハーモニウムで歌いました。故郷の合唱団の指揮者であるヤン・ミエネスのアドバイスを受けて、彼女はリヒャルト・ワーグナーのタンホイザーの「巡礼者合唱団」の編曲でアムステルダムのジョー・イミンク先生のオーディションを受けました。1946年から1949年まで、彼女の歌の先生はAaltje Noordewier-Reddingiusであり、オラトリオの偉大な歌手であるLaurensBogtmanからもアドバイスを受けました。



彼女は、オラトリオの分野から始めて、すぐに評判を確立しました。エドゥアルト・ファン・ベイナムの指揮の下、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とのヨハネス・ブラームスのアルト・ラプソディでの演奏で、彼女は幅広い注目を集めました。彼女は教会で多くのコンサート、歌曲のリサイタル、そしてヨハン・ゼバスティアン・バッハのマタイ受難曲の数々の演奏を行いました。フィリップスのレーベルのために、彼女はブラームス、バッハ、ジョージ・フリードリヒ・ヘンデル、フェリックス・メンデルスゾーンの作品の一連の録音を行いました。
しかし、アーフェ・ヘイニスはグスタフ・マーラーに特別な好みを示しました。その結果の1つは、ベルナルト・ハイティンクが指揮したロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団との交響曲第2番の伝説的な録音でした。彼女は2015年12月16日に91歳で亡くなりました。

深い声の、しかし癖は余りない宗教曲やオーケストラの共演を中心に活動したオランダの名歌手、アヴェ・マリア 18. Ave Maria (作詞 : 新約聖書 - Bible - New Testament ) アーフェ・ヘイニス - Aafje Heynis (コントラルト)  プロ・ムジカ室内合唱団 - Pro Musica Chamber Choir Meindert Boekel (オルガン)  レックス・カルセマイエル - Lex Karsemeijer (指揮)やはり安定した歌声は天使の囁きの様である、筆者好きな彼女の作品はマタイを始め数多くある。
筆者は特にカンタータが好きで今回試聴には愛聴する喜ばしい安息、好ましい魂の歓喜 BWV 170 - アリア 「満ち足りた安らぎ、魂の愉悦」BWV170Vergnügte Ruh, beliebte Seelenlust, BWV 170と続く、録音:1955年と記載してあり今でも違和感なく聴けるアリアは素晴らしい、以前のLS3/5aとは全く違う、「Zaika 5300」との相性もすごく良く、まるでアーフェ・ヘイニスが目の前で歌う様にも感じつ臨場感は素晴らしい。タンノイとの違いは重低音な出方がLS3/5a出方と違い例えばパイプオルガ、オペラ等の重低音は違うが、音楽を楽しむには実に良くできた組み合わせあろう、此れは筆者の実に我儘な事ではあるが、長い間聴くには疲れないLS3/5aを選んでしまうのであろう。



あと試した作品は、バッハ・コレギウム・ジャパンへの度重なるソリスト客演で日本の古楽ファンのあいだでも大いに注目されるようになった、フランスの世界的カウンターテナー歌手ダミアン・ギヨン。

自ら指揮するル・バンケ・セレストでは、ソリストとしてやはり注目が高まりつつあるモード・グラットン(ヘレヴェッヘのレーベルPhiからバッハのオルガン曲集もリリースされています。LPH021)とも共演し、通奏低音以外は各パートひとりずつの極小編成で数々の名演を披露してきました。



カンタータ第82番、第169番、3つのコラール前奏曲、他 ダミアン・ギヨン&ル・バンケ・セレスト
バッハ:カンタータ第82番、第169番

 1. 教会カンタータ『わたしは満ち足りて』 BWV.82
 2. 3つのコラール前奏曲~『ライプツィヒ・コラール集』より
  コラール前奏曲『いと高きところには神のみぞ栄光あれ』 BWV.662
  コラール前奏曲『いと高きところには神のみぞ栄光あれ』 BWV.663
  コラール前奏曲『いと高きところには神のみぞ栄光あれ』 BWV.664
 3. 教会カンタータ『わたしの心には神だけがある』 BWV.169
 4. 前奏曲とフーガ イ短調 BWV.543

 ル・バンケ・セレスト(古楽器使用)
 パトリック・ボジロー(オーボエ&オーボエ・ダモーレ独奏:1,3)
 モード・グラットン(オルガン:2-4)
 セリーヌ・シェーン(ソプラノ:3)
 ニコラ・スコット(テノール:3)
 ブノワ・アルヌー(バス:3)
 ダミアン・ギヨン(指揮、アルト独唱:1,3)

 録音時期:2018年12月
 録音場所:ストラスブール、ブクリエ改革派教会
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


バッハ・コレギウム・ジャパンへの度重なるソリスト客演で日本の古楽ファンのあいだでも大いに注目されるようになった、フランスの世界的カウンターテナー歌手ダミアン・ギヨン。自ら指揮するル・バンケ・セレストでは、ソリストとしてやはり注目が高まりつつあるモード・グラットンバッハのオルガン曲集もリリースされています。通奏低音以外は各パートひとりずつの極小編成で数々の名演を披露してきました。
ストラスブールにある、歴史的オルガンに通じたドミニク・トマ工房が18世紀テューリンゲン式のモデルで建造したバッハ向きのオルガンとともに、オルガニストとして生きた教会音楽家バッハの素顔に肉薄した古楽解釈を堪能させてくれます。独唱のシェーンやオーボエのボジローなど、世界的に活躍するソリストの客演も頼もしいところ。

特に筆者が好みでよく聴くBWV169の演奏を中心に試聴する、アルト=カウンターテナー独唱がきわだつバッハ屈指の名作BWV82と、オルガン独奏が印象的な立ちまわりをみせるBWV169(冒頭シンフォニアはチェンバロ協奏曲第2番との転用関係で知られます)を主軸に据えながら、オルガンの存在感が強く印象づけられる独奏曲がまるで教会の中で聴くような錯覚さえ起こしそうです。

このような体験をすると又違う欲求が湧くのである、そして染み染み人間は実に欲深なんだと恥じらう想いになった。ブラボー!

今にして解った、流石このオッチャン(Duke Ellington)凄く茶目っ気たっぷりで、実に面白い・・・を検証する。

2022年06月12日 | JAZZ・ボサノヴァ

最近の筆者の部屋で聴こえる音楽は一番安定した音楽が聴こえるようになった。窓際に観葉植物を吊るしているいるが鉢が小さい為植替えの時期でもあろう。

昔からビックバンドジャズは余り馴染みはなかったが、エリントンの音楽は多少聴いてきた、久しぶりのエリントンを聴くことにした、筆者が最初聴いたエリントンは次のようなエリントン楽団の定番とも言えるような代物ではなかった。

一般的には(Duke Ellington)デューク・エリントンは、1940年代から大ヒットを記録する楽曲を次々と発表していきます。「Take The ‘A’ Train(邦題:A列車で行こう)」「It Don’t Mean a Thing(邦題:スイングしなけりゃ意味ないね)」など、今もなおジャズの代表曲として紹介されるこれらの曲は、全てデューク・エリントン楽団から生まれたものです。
デューク・エリントンが残してきた業績は、他の巨匠アーティストにも大きな影響を与えていて、マイルス・デイビスやスティーヴィー・ワンダー、その他多くが「エリントンみたいになりたくて音楽を始めた」と言われています。そのほか、合計9回のグラミー賞受賞や、ニクソン大統領よりアメリカ自由勲章の受章、フランス政府からレジオンドヌール勲章を受章するなど、世界の歴史に深く名を刻んだミュージシャンとなりました。こうした業績は、ジャズというジャンルの垣根を超えて20世紀を代表する音楽家、作曲家として今日も多くのファンに愛されています。

 Take The ‘A’ Train(A列車で行こう)
デューク・エリントンといえばこの曲という方も多いのではないでしょうか。しかし、実はTake The ‘A’ Train(A列車で行こう)は、 1939年にデューク・エリントン楽団のピアニスト兼作編曲者であったビリー・ストレイホーンがデューク・エリントンにオーダーされて作った曲で、デューク・エリントン楽団の曲ではありますが、デューク・エリントンが作った曲ではありません。

 It don’t mean a thing(スイングしなけりゃ意味ないね)
東京ディズニーシーのビッグバンドビートで演奏される代表曲としても知られています。ジャズには「名曲なくして名演あり」という言葉がありますが、個人的にはデュークエリントンだけは例外で、ジャズの名曲を数多くてがけた人物だと思っています。
是非、これからジャズを聴く方には誰もが知る曲を演奏するビックバンドジャズとしてお勧めのアーティストです。



筆者のオーディオ機材も落ち着きを見せる様になった、パワーアンプA3500のチューブをドイツ系の真空管はバスバンドの関係で中高音域で輪郭が出るので音の印象が変わるとのアナウンスもあるが・・・。
VALLOのECC85の球に交換しエージングも進み音質はVALLO独自の音が唸る様な低音、粘り強い音に聴こえる、特にウッドベース、金管楽器、リード楽器の独特の音色も余すこと無く楽しめる感じになった。

いわゆるジャズ向きの感じもするが・・・ウッドベースの独特の唸り音、特に好みなジェリー・マリガン、コールマン・ホーキンス、ベン・ウェブスター、ジョニー・ホッジス等好きな演奏が聴けるのは実に嬉しい悲鳴である。
ジャズ演奏の再生には小さなLS3/5aのエンクロージャーの割に上質な低音も再現するにパワーアンプA3500の組み合わせは、真空管独特の力強い表現と少し渋めな点もあるが筆者が試聴する限りは十分である、此れは余談であるが密閉箱仕様のLS3/5aは低音が意外と豊かで驚きである。



何故かエリントンと言われ一番思い出深いアルバムは、コルトレーンとの共演の、インパルス名盤「Duke Ellington & John Coltrane」一曲目の”イン・ア・センチメンタルムード”から引き込まれた記憶が残ります。

後お勧めは、「The Ellington Suites」収録されている組曲(Suites)は3つ。エリザベス女王に捧げられた「The Queen's Suite」(女王組曲)、フランス・グーテラス城の再建をたたえた「The Goutelas Suite」(グーテラス組曲)、ウィスコンシン大学(UWIS)での演奏に際して作られた「The Uwis Suite」(ユーウィス組曲)である。

勿論ピアノ曲も好きですもで、巨匠デューク・エリントンってどんな人?大昔おすすめのアルバムや名曲はと、興味深くエリントンを調べた記憶がある。
伝説的なジャズミュージシャンとして語り継がれるデューク・エリントンですがアルバムだけでも1,000枚は超える、果たしてどんなアルバムや名曲があるのか分からないという方も多いのでは無いのでしょうか?



デューク・エリントンは、1899年、アメリカ合衆国のワシントンD.C.生まれ。本名は、エドワード・ケネディ・エリントンで、「デューク」という名称は、友達によって付けられたあだ名で、貴族の称号の意味を指します。
1938年、エリントンはビリー・ストレイホーンという若い作詞家兼編曲家に会いました。ストレイホーンの最初のアレンジメント「A列車で行こう」を聞いたエリントンは、すぐに「あなたは一生私と一緒にいる」と言った。エリントンの直感は予言的でした。「A列車で行こう」は大ヒットし、エリントンオーケストラの代表曲となった。ストレイホーンとエリントンはそれ以来何年にもわたってコラボレーションを続け、彼らの化学的性質はアメリカ音楽に特有の創造性の溢れを生み出しました。
しかし、1939年までに、エリントンとミルズのパートナーシップは順調に進んでいました。エリントンは、ミルズが彼をだまし、母親の葬儀の手配を軽蔑したことを知ったとき、それを断ち切った。分裂にもかかわらず、エリントンの評判は最高の才能を引き付け続けました。1940年、彼は名手ベーシストのジミー・ブラントンと強力なテナーサックス奏者のベン・ウェブスターを加え、バンドは「ジャック・ザ・ベア」と「ココ」のレコーディングで新たな高みに到達しました。
1941年、エリントンは人種的不寛容を非難する風刺であるJumpforJoyのスコアを作曲しました。黒人の聴衆は、ショービジネスで非常に一般的な黒人のステレオタイプを放棄したこの画期的な作品を予告しました。ミュージカルはロサンゼルスで3か月連続で完売しましたが、プロモーターはメッセージが主流のアメリカには強すぎることを恐れ、ブロードウェイで上演されることはありませんでした。



エリントンは思いがけず、別の野心的な作品を追求しました。それは、アフリカ系アメリカ人の歴史を描いた主要なコンサート作品です。ブラック、ブラウン、ベージュが1943年1月にカーネギーホールで初演されたとき、少数の批評家がその賞賛を歌いましたが、他の多くの批評家はそうしませんでした。作曲家であり教育者でもあるデビッド・ベイカーは、エリントンはそのような批判に非常に敏感であり、そのため彼はそのような大規模な作品に再び取り組む前に躊躇したと述べています。
しかし、エリントンは音楽業界の海の変化に直面して妥協することを拒否しました。40年代後半、ポピュラー音楽の好みの変化と大規模なアンサンブルの維持にかかる高額な費用のために、ほとんどのビッグバンドは姿を消していました。事実上彼のレパートリー全体を書いた唯一のバンドリーダーとして、エリントンはビッグバンド時代の終焉を経済的かつ創造的に乗り切ることができました。彼は、絶賛された交響詩「ハーレムに平行な交響詩」など、より画期的な作品を制作しました。
当時新譜として発売され、当然あのエリントンのノリと思い購入したのが、これがもう只ビックリするようなアルバムで、疑問をとち続けた事は確かであった。
筆者は何故かこのアルバムを聴き戸惑ってしまう、ジャズ好きが最初にこの『ザ・ポピュラー』を聴いて、戸惑ってしまう。エリントンのアルバムは膨大で、なんの情報もないとどれを聴けばいいのか迷います。『ザ・ポピュラー』は大抵のTSUTAYAにもおいてあるほど流通している邦盤だし、
ビッグバンド編成だし、スタジオ録音だし、エリントンの有名どころな曲ばっかり収録されているし・・と、手を伸ばしやすいのはわかります。 有名曲ばかり収録されていても、エリントンにありがちなコンピレーションでなく、正式な発表作品というのも大きいでしょう。



筆者が思う、下記がエリントンの最初は聴かない方が良いアルバムが"The Popular" の様に思うのですが・・・・。

実は特殊な内容で、65歳のエリントンが過去のヒット曲の手直しを中心として、いろいろと音楽的な実験を試みたアルバムなのです(そう考えると、"The Popular" というのは随分皮肉のきいたタイトルですよね)。だから、「A列車」も3拍子のワルツで始まるし、「twitch」なんてバストロをフィーチャーした曲も演奏してます。そういう実験作と思って聴くと実は聴きどころ満載の面白い作品なのですが、初めてエリントンを体験する人には、途中から聴いてて辛くなり耐えられない、と思いませんか・・・(笑)これぞエリントンか?

筆者は何故かこのアルバムを初めて聴き戸惑ってしまった、ジャズ好きの筆者も流石最初にこのザ・ポピュラー"The Popular" を聴いて、戸惑ってしまった。
エリントンのアルバムは膨大で、なんの情報もないと、どのアルバムから聴けばいいのか迷います。ビッグバンド編成だし、スタジオ録音だし、エリントンの有名どころな曲ばっかり収録されているし・・と、手を伸ばしやすいのはわかります。 有名曲ばかり収録されていても、正式な発表作品というのも大きいでしょう。
実は特殊な内容で、65歳のエリントンが過去のヒット曲の手直しを中心として、いろいろと音楽的な実験を試みたアルバムなのです(そう考えると、"The Popular" というのはエリントンは随分皮肉のきいたタイトルですよね)。
だから、「A列車」も3拍子のワルツで始まるし、「twitch」なんてバストロをフィーチャーした曲も演奏してます。そういう実験作と思って聴くと実は聴きどころ満載の実に面白い作品なのですが、初めてエリントンを体験する人には全く厳しい試練である、(笑)。



エリントンのジャズの奥深さと受け取るか、そう考えると、あえてこの作品でエリントンと「出会う」必要もないかと。
「A列車」や「I Got It Bad」はいいけど、もはやハーモニーを聴かせるだけで、メロディが聞こえてこない「Mood Indigo」辺りで嫌になっちゃうのではないでしょうか。疑問が多く湧き上がりエリントを敬遠したのでしたが、最近暫くぶりに『The Popular Ellington』を聴くと実に新鮮でエリントンらしいモダンなジャズを聴くことができた、随分先のモダンジャズを探していた事が解明できるアルバムと言うことが40年後に理解できた。

Duke Ellington『The Popular Ellington』(1966)
 デューク・エリントン(p)
 キャット・アンダーソン、マーサー・エリントン、クーティ・ウィリアムス(tp)
 ローレンス・ブラウン、バスター・クーパー(tb)
 チャック・コナーズ(btb)
 ラッセル・プロコープ(as,cl)
 ジョニー・ホッジス(as)
 ジミー・ハミルトン(ts, cl)
 ポール・ゴンザルヴェス(ts)
 ハリー・カーネイ(bs)
 ジョン・ラム(b)
 サム・ウッドヤード(ds)
1966年5月9~11日、LAにて録音
曲目:
  1.A列車で行こう
  2.アイ・ガット・イット・バッド
  3.パーディド
  4.ムード・インディゴ
  5.黒と茶の幻想
  6.ザ・トゥイッチ
  7.ソリチュード
  8.私が言うまで何もしないで
  9.ザ・ムーチ
  10.ソフィスティケイテッド・レディ
  11.クリオール・ラヴ・コール

エリントン楽団からはジョニー・ホッジス、キャット・アンダーソン、ポール・ゴンザルヴェスら、個性的な名プレイヤーを多数輩出していますが、エリントンはこれらのプレイヤーがソロをとることを意識して常に作曲し、そのプレイヤーの最大のポテンシャルを引き出すことでクリエイトする音楽に最高のクオリティをもたらしていました。そのことは、デューク・エリントンが弾く楽器はピアノではありましたが、実際にはこのオーケストラこそが彼の楽器だったと言われる所以となっています。



本作はエリントンの名曲を凝縮した1枚となっており、千を超える曲を書いたと言われるエリントンの楽曲のうち「どれを聴けばいいんだろう?」という人にはまさに入門編として最適なアルバムです。とはいえ、録音された時代は1966年であり、1930年~40年代のスイング・エイジのビッグバンド・アレンジとは違い、少々音楽的に変化を持たせたアレンジによる、モダン・ビッグバンド的な要素も感じられる独創的な演奏になっている点が特徴です。

エリントン楽団には、その音楽を構成する上でなくてはならない名プレイヤーが多数在団しておりましたが、そんなメンバーたちを大フィーチュアし、まるで “ロック・バンドのような”熱狂的なモダンジャズのパフォーマンスを記録したライヴ盤をここで紹介します。
ロックというジャンルが出てくる前の時代にあった熱狂的なパフォーマンスとして知っておきたい貴重な演奏です。ブラボー!