伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

TANNOYⅢLZとGOODMANS (グッドマンズ)『AXIOM 80 』の箱について調べて見ました。PartⅡ

2018年01月25日 | クラシック音楽・オーディオ

先日某運送会社から『AXIOM 80 ARU付き』の箱が届くが、何と輸送途中に何処かにぶつけ破損してしまった、正面中央右側部分に酷い破損箇所がある、此れは修復は難しそうなので、クレームを訴える。

早速運送会社に連絡すると、商品を引取検討しますと、2本の内の損傷したエンクロージャー1本を持っていった、その後暫くして某運送会社にて専門店で補修するとのことでした。現在日本は寒波の影響で特に運送会社は配達作業がスムースに行かなく返事も遅れているようです。

『AXIOM 80 ARU付き』の箱高さは約90センチあり幅も約50センチ弱あり堂々とした佇まいである。

 

此のグットマンと云うメーカーは以前ヨーロッパのメーカーとしては良く聴いた名前ですが最近は耳にしなくなった、もっとも、筆者の聴くTANNOY も新しい音響メーカーの台頭で昔よりオーナーは少なくなっているようです。

特にビンテージと言われる初代のIIILZとかRectangular Yorkを使用している方もまだ少なくないようだ。最近ヴィンテージ品にも注目されているようです。

Rectangular Yorkは筆者の先輩が使用していたもので、当時私も此のスピーカーRectangularYorkを注文した後にTANNOYが火災になり諦めたことを記憶する。又此のRectangular Yorkスピーカーはかなりアンプを選び一般には火屋のアンプが良いとされている。

今回の『AXIOM 80』の箱、Rectangular York(幅597×高さ1066×奥行368mm)なのでサイズはRectangular Yorkより一回り小さいようです。Rectangular Yorkは15吋なのですが、IIILZは10吋なのでRectangularYorkよりは容量は大きい。此の箱に移植すれば計算的にも低音は充実する気はした事は確かである。

因みに筆者のTANNOY IIILZ in Cabinet(Chevening)は勿論1974年製で英国製ユニットには10inch同軸型2ウェイユニットであるHPD295を搭載して箱は特殊なバスレフタイプである。被害に遭遇したのが下記に写真であり。

右側に痛々しく残る破損箇所、コーナーエッジがあるので補修は相当難しいと思う!

ことで此のARUとは何か?「Acoustic Resistance Unit」の頭文字をとったもので、音響的に負荷をかけて低い音を平坦に伸ばす役目を持っている」補足すると、要はユニットの背圧の逃がし方を微妙に調整する道具のことで、このおかげで豊かなふくらみのある音が得られるが、こればかりは実際にSP周りの作業をやった事のある人でないと分からないかもしれない。

勿論TANNOYにも15吋のモニターには多くのバックロードホーンも備わったオートグラフの様な代表するエンクロージャーが揃っているが、残念な事に10吋のユニットにはメーカーはこの小さなブックシェルフしか用意してない事は誠に残念に思います。日本家屋での設置を考えれば10吋ユニットに適したエンクロージャーも欲しかった様に思う。

筆者もその少なくなった部類に属するが、まだまだIIILZを追求したいので、今回『AXIOM 80 ARU付き』にIIILZの合わせ1本で・・・・あの燻し銀のような中高音と豊かな低域が聴きたいことおもいますが、果たして上手く行くのかが心配です、『AXIOM 80 ARU付き』を提供頂いたY氏にはとても感謝しています。

最新のスピーカーエンクロージャーはどのメーカーも益々アキュレットなサウンドを鳴らす傾向が有るように思える、この様なエンクロージャーで音楽を聴くと、最初は透明度もあり、魅力的な音はするが、長く聴くと余りのアキュレットな音が耳に付き、疲れる傾向にあるようです。

好きな音が来はリラックスムードで聴きたい、と同時に整ったホール感のある自然に聴こえる響きが味わえれば最高である。勿論見た目も家具調に見える様な佇まいも味わいたく、後日AXIOM 80の箱をペーパーで全面仕上げ塗り直し実に良い佇まいになった。

下記の塗料で(オイルフニッシュ)で塗り程よく乾いたら水ペーパー磨きその後拭き取る作業をした。

此の塗料で塗って少し乾いたら、水ペーパーで良く磨き余分な塗料を拭き取り乾かす作業を続けて2度程行った。自然な艶が素人でも簡単に再現出来た。

以前より若干明るめの色を選別し、落ち着き良い感じになった。

仕上がりはこの様に実にシックな感じになり、満足しています、以前破損した場所も全く目立なくわからない程に仕上がりスピーカー取り付け部分も黒のマットで丁寧に塗装して完了した。

思えば筆者などはRCAケーブル、スピーカーケーブルの交換で音の違いを楽しんでいるが、このエンクロージャーに合うものを見つけなければならないであろう、Western ElectricBELDEN、ノイマン等戦前から有るメーカーのものが多い、別に古い物が良いなんてことは全く思わないのだが、色々聴くと常時使用するものはこれらの物が多いのは何故であろう? 

特に今回は以前使用してたAE線(1.2mm)@200のインターホーンのケーブルですが、此のケーブルは外の地中に埋設される厳しい条件の中で対応しなければならなく、導体の回りを耐燃性ポリエチレンで絶縁しているものです(ポリエチレンはビニールより絶縁力が強く非常に優秀です)。

(注)これは筆者が感じた意見です。その回りは、 鉛フリーのビニールが囲っております。

インターホーンの動線、これが安価で安定した音質が堪能できるケーブルです。

以前M氏より弦楽器を聴くなら銀メッキ線PRM-4S / 2.5S / 1.5Sが良いと教えて頂き意外と安価でしたので早速注文した。

確かに高域全体が良くなった。しかしTEAC MA-7のアンプに繋ぐとTEAC MA-7のアンプのマイルド感が減退するようだ。結果からいえば、銀メッキ線は高域が何かスッキリして聴きやすいなるがTANNOYよりむしろKEFには相性が良い。

又メインアンプもAUREXSC-M15/SC-M15K2に繋いで聴くのが自然な音が聴こえるようだ。

良く聴くとそれはやはり現代調の音質のように聴こえる、バッハ等を愛聴する筆者にはWEのスピカーカーブルが良いと思う。

尚銀メッキケーブルは型番PRM-4S / 2.5S / 1.5S形式銀メッキ線スピーカーケーブルをバナナプラグに取付繋ぎ試聴する、

具合が良さそうである、特にKEQ300に繋ぎAUREXSC-M15/SC-M15K2BTLモノラルでノイマンRCAケーブルにPRM-1.5S (片方4M) 

スピーカーケーブルに交換して聴く、KEFQ300にはTEAC MA-7のアンプには癖が悪影響する傾向があり、素直な音を奏でるAUREXが良く鳴る。

Yehudi Menuhin.Wanda LandowskaBWV1014を聴くと、以前感じた少し古い音質が少し現代調に聴こえる。

特に弦楽器には相性が良い、Western Electric16GA撚り線のケーブルより良く感じるかもしれない、Y氏もKEFには良いかも知らないとおっしゃて頂いた言葉は当に事実でした。

この辺りの細かなセッティングは実に微妙なことだが、重要な事のようです。しかし、此れで聴き続けると、不満が出る、特に古楽器の音色がどうも現代楽器のような鳴り方をする、例えば、ランドフスカのチェンバロの音が少し違って聴こえる、確かにJAZZ系統は切れも良くドラムのアタックなどは良くなったが更に現代音楽は確かに良く鳴るが、SP時代のような音質とは違う気がしてならない。

音楽愛好家としてはWesternElectric16GAに軍配をあげる。

むしろ一番はこの安価な単線のインターホーンのケーブルがIIILZには一番良く鳴った、(笑)

確かにエンクロジャーをB&Wのようなアキュレットな物にすれば評価も違って来るのでが筆者の好きなHelmut Winschermannのオーボエを聴いてみる、実に良く聴ける、一般的にはKEFには銀メッキ線が正解のようです。

好きなHelmut Winschermannも実に良く聴こえる、弦楽器も良くなったが、木管楽器もスッキリして音のまとまりが良いAUREXSC-M15/SC-M15K2とKEF Q300を銀メッキのコードで聴くのとは此方の音が何故か現代調である。

最初は物珍しく良く聴こえるが、何度も聴く内にこんな音じゃないと思うようになる。実に音とは怖いもののようだ!

Albinoni / Helmut Winschermann, 1965: Oboe Concerto in C major, Op. 9, No. 4

最近益々懐古主義ではないが、昔の演奏を聴くことが多い、オーディオの世界は年々新しい技術で音質等は良くなっているようだが、最新の技術で昔のSPレコードの音源を処理してCDにで販売しているのは大変喜ばしいことです。

でも筆者の様な昔の機材を使っているファン少なからずいるようです。

確かに最近のハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)、フルトヴェングラー指揮のワグナーが手軽に聴けるようになったのは誠にありがたいことです。と同時に音質も誠に具合が良い。

S氏から譲れ受けた五味先生もGOODMANSの12吋(AXIOM 301)のスピーカーは可成り苦労していたスピーカーで有名です。

筆者も昔からGOODMANSの名前は知っていますが実際聴いたことは無かたGOODMANSの音は昔聴いていたフェログラフF-1も中・高域はGOODMANS製の記憶がある。

GOODMANSの『AXIOM 80』というスピーカーユニットは1960年代にイギリスのスピーカーメーカー、1960年(昭和35年)頃発売した24吋のフルレンジスピーカーシステムGOODMANS社で作られ、その個性的な音色は当時一世を風靡した。詳しくは『瀬川冬樹書』虚構世界の狩人私的オーディオ論の中に掲載してます。

http://www.audiosharing.com/people/segawa/kyokou/kyokou.htm音色も個性的であるが、その造りも特性も他に類を見ない独特なものである。

後にタンノイの伝道者となる五味康祐氏も、1953年、時代小説「喪神」で芥川賞を受賞した折りに、その賞金の一部を充て、S(当時の新潮社社長といわれる)所有のグッドマン30cmフルレンジのモノラル装置を譲り受けている。

当時、わが国のユニットも徐々に良くなってきたとはいえ、未だ及ばぬ所もあり、酒好きの通人がスコッチにこだわるのと同様に、英国製品への願望は、今日の比ではなかった。

其れで1ポンド1,000円以上の換金率なので現在と比べると考えられない価格なんでしょう。勿論1ドル360円時代でした。現在の貨幣価値の3.5倍の金額ですので思えば凄い高額なんですネ!現在の貨幣価値は随分変化し当時と比べ相当低価格になっているようです。

 

此の『AXIOM 80』の箱にエンクロージャーにTANNOYⅢLXを入れて使うと素晴らしく優れものになるとのことで最近仕事が暇になり休日が多くあるので『AXIOM 80』 SYSTEMについて調べました。

1960(昭和35年)『AXIOM 80 SYSTEM  24cmフルレンジスピーカーシステムARU付で販売していたようです。

国産化した『AXIOM 80』のコーナー型システム。60年以上前の音です・・・・・?このユニットを真っ先に目をつけ、自家用としたのは、弱冠22歳の(オームさん)瀬川冬樹氏である。1953年当時のことだから、正確な情報などある訳がなく、頼れるのは粗悪な印刷の写真だけ。

それも、母と妹を扶養しなければならぬ身で、彼は原稿料の一部を2年間積み立てて手に入れた。そこまで彼を駆り立てたのは、その姿に、波長のようなものを感じたからであろう。これでは、鳴らすアンプやカートリッジの弱点を浮き彫りにするようなものである(特異な形のラウザーのフルレンジも同様の特性)

そうとは知らぬ瀬川氏は、ユニットをコーナー型の箱に収め、当時もて囃されていた不帰還の自作アンプで鳴らした。それが良くない、というより酷い音である。それでも試しにと、たまたま試作したシングルアンプに繋いで音が一変。我が意の音が鳴りだした。かくして、『AXIOM 80』は、瀬川氏の求める理想の音の源流になったのである、まだ、モノラルが主流の時代のことであった。


此のエンクロージャを手がけた方曰く『オートグラフよりも面倒くさい』と音を上げながらも、熱中してとうとうこしらえてしまった。英DECCA社が本格的に製品化できなかったのも、複雑な作業工程のせいか。

何しろ日本の職人でさえ、難儀したのだから。『厚い板で頑丈にするなら、誰でも出来るけれど、それではAXIOMが死ぬ。響きの良い薄い板でこさえるから難しい。』TANNOYの製品もそうだが、昔のイギリスのスピーカーは箱を共振して音を出す物が多く、その辺りがキモであろう。

多分その辺りが自作するのは相当難しい、やはり箱はオリジナルが一番と言われてきた、勿論筆者もそう思い自作は避けてきた。と言うより木工製作に自信が無く、技術的にも相当難しいと思っていたが、最近はDIYで加工してくれるので可能なのかも知れない。

 

 

又此のGOODMANS(グッドマンズが正しい読み)の『AXIOM 80 ARU付き』で販売しているスピーカーなんです。

スピーカー史上に名高い伝説的な技術者、E.J.ジョーダンが設計したと言われている。だが、真実は、このスピーカーの特質を最大限に発揮するために特異な形のエンクロージャーやARUユニットを開発したこと。

当時は勿論 ARU付きのセットで販売していたようです、輸入元が国産箱に納めて発売した模様である。

筆者のIIILZがこのユニットのお陰で自然に聴こえる中低域が出るのかもしれない?

Goodmansのスピーカーユニットと組合わせて使用するARU(ACOUSTIC RESISTANCEUNIT)アコースティック・レジスタンス・ユニットの略。

音響的に負荷をかけて、低い音を平坦に伸ばす役目を持つ。

A.R.U.172:\4,200(1台、1967年頃) A.R.U.180:\5,000(1台、1967年頃)

A.R.U.280:\6,200(1台、1967年頃) A.R.U.480:\7,800(1台、1967年頃)

上記の四種類が発表されているが、使用されているのは多分A.R.U.180であろう?

又写真の様にGOODMANSからはオリジナルが販売されていたようである。筆者の所に届いたARUユニットA.R.U.180と同型であろう

 

此のアコースティック・レジスタンス・ユニットにより豊かな中低域が聴けるようですが、此れに対抗するはバックロードホーンがありタンノイでは有名なオートグラフがバックロードホーン方式である、最新のエンクロージャーを此の方式で豊かな音を提供しているようですが、自作することは至難の技が必要です。又『AXIOM 80』のユニット自体はすでにGOODMANS社で軍用に開発されていたというのが真相だ。

軍用にハイファイ・スピーカーを開発する訳はないから、当初はおそらく、主に前線基地の指令室や、航空母艦や戦艦等での指令の伝達用として開発されたものと考えられる。

ダブルコーンで中高域が10dB以上も盛り上がった特性は、戦闘や射撃の大騒音下でも確実に指令が伝わることを目的に設計されたのではないか。

しかしこの優れたスピーカーを、戦後のハイファイの黎明期に何とかハイファイ用に転用すべく、E..J. ジョーダンが起用され、伝説とまで呼ばれるに至ったスピーカー・システムが出現した。

スピーカーの音はユニット単体ではなく、それを収める箱の設計次第で大きく変貌する。とりわけ『AXIOM 80』のような特異なスピーカー・ユニットでは箱の造りと構造とが再生音を決定すると言っても過言ではないから、このユニットの特性を最大限に発揮させるシステムを完成させたE.J.ジョーダンの功績が伝説とまでなったのも無理からぬことだ。ネットで『AXIOM 80』の写真を調べると当に色々な作り方があり基本は同じようですが、一品物で作った物と理解出来る。

ここからの話はこのTANNOY ⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetのセットのシステムである程度満足する様な鳴り方をするまで相当の改良改善が必要になるのであろう、据え置き型のセットは音質が落ち着くまでは苦労と楽しみが入り混じるであろう。

 

現在拙宅にはIIILZ in Cabinet(この機種から密閉型からバスレフ型に変更した)を所有するが、

所詮ブックシェルフ型のもので、ワグナー等、オペラ、ベートーベン等の交響曲を聴くには限界を感じているのは明らかだが、TANNOYIIILZ in Cabinetの弦楽器のユニゾン、木管楽器の音色は格別である。

心揺さぶられる音も聴かしてもらえる。もっとも貧困老人の筆者に高価な火屋のアンプを使いたいが、手元不如意の為か、入手不可能でもある。

又現在はレコードプレイヤーも中途半端な物を使用しているため此の事は随分気になる。

バージョンアップするのか?検討中である。此れでもし、『AXIOM 80』の箱にエンクロージャーにIIILZ inCabinetを装備して上手く鳴ればと・・・・実に夢が膨らむ。

  

調べると中にこの様な文章も見つかりました。

『さて、我が管球式アンプ、ラックスSQ-38FD、で鳴らしてみると、驚くべきほど繊細でおもったより柔らかな音が鳴り響いた。

次にバックロードエンクロージャーのホーンの喉元にグラスウールを多めに詰めると充実した中音で中域が埋められた。

次々バッハのバロック音楽レコードを鳴らすと、 バッハはこんなに華麗な音で聴いていいのだろうか?

とおもうほど、麻薬的魅力ある音で鳴り響いた。そういえば誰か、「このスピーカーは正しくない。生の音楽はこんなに美しくは聴こえない。」といっていたのをおもいだす。』

上記の様な記事内容を読み、筆者も今後この先短い人生、長く飽きないで聴ける音を求めたい。

高さも900mmと胸の位置の高さまであり、スタンドも必要ない高さです。『AXIOM 80』の箱に代わりにIIILZ in Cabinetを装着して上手く鳴ればと期待してしまう、昔ステレオサウンド誌もIIILZをコーネッタの箱に入れ素晴らしい音の紹介記事も読み、又『AXIOM 80』ARU付のエンクロージャーにIIILZに入れて聴いている方もいるようで興味は湧きます。

使用するには当然エンクロジャーの下には当然インシュレーターを取付使用します。現在某運送会社が持ち帰った『AXIOM 80』が戻り次第ペーパーで磨き上げ水性のウレタン塗装をして仕上げるつもりです。

その前にサランネットの塗装も補修したくなり、暇に任せサランネットの補修し仕上げます。

サランネットの塗装は黒のつや消しを塗り、サイドはニスを塗り仕上げます。

AXIOM 80ARU付の紹介記事にこのARU付を付けた事に賞賛の記事があり、中低域の充実が伺えます。今更ながらTANNOYのオートグラフもバックロードホーン形式で鳴らしている、最近はトール型のバックロードホーンも多く自然な中低域が聴きたければトール型のバックロードホーン方式のスピーカーが良いのかも知れません?

筆者の友人もこの安価なトールボックスのシステムで音楽愛好するならこの辺りで十分と言ってますが実に頷ける言葉とも感じる、システムよりソフトだと、実に納得してしまう・・・今回の物は『AXIOM 80 ARU付の物ですが、さてどの様な音が出るのかとても楽しみです。

現在某運送会社が破損した片方を持ち帰ってたが、その後なんの連絡も無いのが心配である。此の改造でふっくらした低域が響く後はあの燻銀の音が出れば確かに飽きのこない美しい音が響くのかも知れない?現在最新の市販しているスピーカーには出せない音が筆者の部屋でなればいいのでが・・?

この際、IIILZ in Cabinetの骨の髄までしゃぶって見ようと思います。ブラボー!


AXIOM80の箱が・・・・壊れてる!・・・ショック!

2018年01月19日 | クラシック音楽・オーディオ

昨日AXIOM 80の箱が某運送会社より、届いた。一つ25kg程あるようです。一人での持ち運びは困難です。AXIOM 80の箱の大きさは筆者のTANNOY IIILZ in Cabinetの約2個分の大きさです。

取り合えず受け取って、今日は午後から病院にて8年目になる癌の再検査に午後から予約してあったのでMRIとCTの検査日を受ける、検診結果は後日になる。順調に終わり、来週判断を仰ぐ、癌の手術して8年目に入ります。

今思えば、術後は腕も上がらず一体この先どうなるかと心配したが、適度な運動で徐々に回復したが、困るのは釣りの1ヒロが計測できず、流石此れには困りリハビリに励み、仕事も出来るようになったが、肩痛は未だ直りません。

年末に医師と話したが手術痕も綺麗で問題は無いと思うが、1年に1回の検査は継続することを薦められている。自宅に戻ったのは17時頃になった。

 夕食までは時間があるので、昼に届いたAXIOM 80の箱の梱包を開封する、

まずは1本目を慎重に開封し、適度な箱の板厚と、仕上げも良く、拳で叩くコンコンと期待出来る音がする!

此れは筆者のTANNOY IIILZ in CabinetChevening)を現在マグネットの再着磁をしています、エンクロージャーを永く放置しておくとマグネット磁場が低下(劣化)するので、

音質にま相当の影響を受けるようです、再着磁をすると音質が向上するそうです。

此れはIIILZ in Cabinetが戻るまで、少しこのAXIOM 80の箱には小さな擦り傷もあるので綺麗に塗装し直そう!又スピーカー取付部分の黒の塗装も若干色ムラがあるので修正と塗装をし新品の気持で聴きたい!

特に黒の部分の色は黒のつや消しでマットな感じを出し、木目部分は渋い自然な木目に水性ウレタンニスで補修かな?そんな事考えながら、もう1本の箱の開封を・・・・・・・・・

すると、配送中にブツケタ痕がある????  ショック!

すぐに某運送会社に連絡する!・・・・・事情を説明する。

と係の者から連絡するとの返事があり、30分後に某運送会社から電話が・・・・・応対もかなり事務的に対応し、検討するとのことでしたが、此の運送屋の事務の方は物の価値がどれほど理解できAXIOM 80の箱の重要性が一品物の箱であるかは分からないのであろう?

取り合えず明日19日に引き取りに来るそうです。?

修復が出来るか取り合えず持ち帰り検討するとのことである。?

筆者心配するのは物の価値なんです、下手に修復して音が変わったら一番困る!

電話が来たら良くそのことを説明しよう!

取り合えず破損した場所を見ながら、実験のつもりでその雰囲気でもと思い小細工をする。AXIOM 80の箱上にKEFQ300を載せ音出しをしてみる・・・・AXIOM 80の箱に共振?するのか中低音が増して聴こえる。

でも直置きは音の歯切れが悪い、インシュレーターを設置して聴いてみる、想像以上だ!自然な感じで音楽が鳴る!此の箱の正体が想像出来る!Y氏がおっしゃるようにかなりの音が期待できそうである。

今後某運送会社がどの様な対応をするかは不明ですが、筆者としては傷跡部分は砥粉で修正して塗装を薄練で2回程すれば違って来ると思う?

やはり箱の正面に傷があるので慎重に修正しなければ???

取り合えず先方でこの処理の対応は考えるであろう???

運送会社で下手な修理されたら返って迷惑な話になるであろう? 実に心配な事故なんです!

 

午後からAXIOM 80の箱は運送会社が持ち去るので、其れまでハンス・クナッパーツブッシュ指揮「ヴァルキューレ」も聴いてみる

今までの中低域と違い何となく自然な低音が聴ける。あのブックシェルフの無理に出す低域ではなくある程度自然な低域が鳴る!勿論オケも良いがピアノの膨らみが出たように感じる?

それと違って聴こえるのはヴォーガルが実に生々しく聴こえる。此れこそ名機なのかも知れないと思わせる音がした。

 ワーグナー《ワルキューレ》第1幕(全曲) クナッパーツブッシュ指揮

今回Y氏の好意でAXIOM 80 ARU付きのエンクロージャーを頂く事にしましたので、現在 現物を見て、音質の想像の世界を夢見ています。

調べて見ますと資料もそこそこありますので紹介します。1960(昭和35年)『AXIOM 80 SYSTEM』ARU付 国産化した『AXIOM 80』のコーナー型システムオリジナルの完成システムが輸入されていたかは不明。本モデルは輸入元が国産箱に納めて発売したもの。

なお、ARUとはバッフルの下部に取り付けられているもので「ACOUSTIC RESISTANCE UNIT」の略。音響的に負荷をかけて、低い音を平坦に伸ばす役目を持つ。

此の上に乗せてKEFQ300の鳴り方が違って聴こえる、今まで不満の処中低音不足が向上と音の分離の良さかな、断然違ったのは人の声でした。実に自然な歌声が聴けます。

しかし色々なAXIOM 80 ARU付の写真を探して見ますと、形は粗同様なんですが、詳細が違うようである。

サランネットも何れも違う取付方で取り付けている、勿論ARUも方式は似ているが違って見える多分此れは英国のオリジナルは無く簡便な図面を元に色々の人が想像して作ったものなんですね!今回破損場所の修正後、塗装仕上げしてこの様な感じにしたいですね!それと願わくはこのAXIOM 80 IIILZ in Cabinetを最高の相性の良いパーツで鳴らして見たくなります。

此のシステムは世の中に1台しか無いので今後オーディオパーツ選びは想像力しか無いようです。多分筆者が思うパーツを揃えると300万は掛かるのかな?貧困老人には無理ですが、気長に徐々に楽しみたいですね(笑)

取り合えず、セットしたらオペラを聴くのは実に楽しみです。それとオケが堪能できそうである。ある程度の自然に聴こえる中低域のある重厚な交響曲などは上手く鳴り、音楽を楽しめればと夢は膨らみます。

AXIOM 80 ARU付にIIILZ in Cabinetセッティングが楽しみです。ブラボー!


筆者の好きなフランツ・コンヴィチュニー指揮のベートーヴェンの第九を聴く。

2018年01月15日 | バロック音楽・オーディオ一般

フランツ・コンヴィチュニー(指揮)(1901814 - 1962728ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団旧東ドイツを代表する、巨匠の一人。

 

1901814日、チェコのモラヴィア生まれの指揮者。1962728日ベオグラードでリハーサル中に死去。

ブルノのドイツ音楽学校を経て、ライプツィヒ音楽院在学中、フルトヴェングラー時代のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(以下GOL)でヴァイオリンを弾く。

現在はiTunesでチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトOp.35等簡単に聴ける良い時代になった。

1927年から指揮者に転身、1930年、シュトゥットガルト国立歌劇場の首席指揮者に就任。

1949年よりGOLの常任指揮者となり生涯その地位にあった。

じみな芸風ながら独特の重厚さがあり、ドイツの伝統を受け継いだ指揮者の一人。

戦後、ゲヴァントハウス管弦楽団を世界有数の優れた管弦楽団に育てる。

 

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、250年を超える歴史を誇る由緒あるオーケストラである。その発祥は、ライプツィヒの商人たちが資金を出し合って発足させたコンサート愛好会に遡る。この愛好会が、音楽界の歴史を作り、世界でも最も有名で、かつ高い名声を誇るオーケストラを育ててきた。

歴代のゲヴァントハウス・カペルマイスターは、フェリークス・メンデルスゾーン、アルトゥール・ニキシュ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、フランツ・コンヴィチュニー、そしてクルト・マズアらが務めてきた。

彼らはいずれも、比類ない音楽的言語を持つこのオーケストラに、確かな足跡を遺してきた。今後東西のベルリンの壁も無くなり、フランツ・コンヴィチュニー指揮の新譜が発見されるのも知れません?

 

戦後、49年から没年までライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者を務める。

残された演奏は決して多くはないが、そのすべてが圧倒的クオリティーであり、ベートーヴェンの全集は、クラシックファンでもそうでなくとも是非とも聴きたい指揮者です。

CD盤のセットでも購入可能のようです、少し古いが演奏録音も素晴らしく筆者は好きな指揮者です

戦後の厳しい時期を長年連れ添った楽団員との間には、家族のような絆があったと言います。

長年の現場演奏で培かわれた、一切の贅肉がそぎ落とされた引き締まった演奏で、誰が言ったか、さながら重く、大きな蒸気機関車がごうごうとまっすぐな線路を邁進するがごとくで、力強くトルク、そして駆動部一つ一つの滑らかさ、実に見事です。

一つ一つの部品はしっかりと磨き上げられており、それらはぴったりとはまり、東欧を中心に実に多くの人を乗せ、力強く走り続けた。

アナログ最盛期の見事な録音も素晴らしい!

リハーサルの前にも飲んでしまうほどお酒が好きだった、と言う人間らしくて好いです。

Beethoven, Symphony No 7 Op 92, Franz Konwitschny,cond 

特に筆者お勧めは余り馴染みのないベートーヴェン交響曲第七番KEFQ300である程度ボリュームを上げて試聴する。今回のレコードを視聴し、決してスマートではないが、ごつごつした、骨太のベートーヴェン。しかし、細部もゆるぎなく構築されている。

作曲家ベートーヴェンがイメージしていたのは、こういう音楽だったのではないか。引き締まったリズムで、音楽は力強く進行する。各楽器のバランスは極めて良い。

木管の響きは、「古めかしい」と言えばそうかもしれないが、むしろ「懐かしさ」を感じ、なおかつ録音を超えて瑞々しい。やはり、交響曲のような低域は不満が残るが、音楽全体を奏でるフレンツ・コンヴィチューニー(指揮)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏を終わりまで一気に聴いてします。

勿論第九の合唱も良いが交響曲第七番はおすすめです。

筆者のレコードライブラリーは処分しななかった物は100枚程しかありませんが、圧倒的にバッハが多い中からほんの数枚のベートーヴェン、モーツアルトがあります、考えれば50年以上前のレコード盤なのですが、此の頃から録音状態も安定してきたようです。

 

所詮家庭でフルオーケストラを聴こうとするのは無理な話で、せめて雰囲気だけでも感じて聴きたい。

例えば大型のエンクロージャーで鳴らしてもオケのナマの音を求めることは所詮無理な話です、ブックシェルフのKEFQ300は小さな割には良く鳴ってくれます。

何となくコンヴィチュニー指揮の重量感の雰囲気が分かる、TANNOYと比べ少し一口に言えば明るめではあるようだ、中低域不足はこのスピーカーでは望むのが無理ではある此のような低価格のものでもベートヴェンの音楽を鳴らすツボは心得ているようです。

特に当時の東ドイツのフレンツ・コンヴィチューニー指揮の演奏は重厚で実にベートーヴェンの交響曲には相性が良い、雰囲気を壊さず十分感動出来る音質で、流石良き英国の音を匂わせる、こうなると其れに対応するアナログプレイヤーが欲しくなる、愈々筆者もオーディオの泥沼に嵌っていくようです。

でも機械音痴な筆者には何から手をつければ良いのかも分からない状態である。今までスピーカーは海外の物特に欧州製品を選んでしまうが、やはり英国の音が好みのようだ。

 

当時あの有名なカラヤンの演奏に疑問を持つようになった筆者は、当時テレビでバッハのブランデンブルグコンチェルトを指揮した時目をつむったままの演奏と必要異常な表現が嫌いになり1960年以降からの演奏するカラヤンは全く聴かなくなった。

ある指揮者曰く、カラヤンは楽譜が読めないからネ!と皮肉交じりに口走った言葉がある。今のカラヤンを聴くと途中で煩く感じ止めてします、当時は素晴らしい演奏をしていたのに・・・・・

カラヤン・カラスの頃のカルメンは実に好演奏だったのに何故か変わってしまった・・・・・現在のカラヤンの演奏と比べるとわかります。

1961年、ヨーロッパ最古の民間オーケストラであるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の102名が指揮者フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny, 1901-1962)と初来日しました。

大阪フェスティバルホール、日比谷公会堂でベートーヴェン交響曲全曲演奏を行ったそうです。

筆者のLPレコードの中にフランツ・コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン交響曲全集(フィリップス盤)を所有しています、此のレコード盤は確か1961年日本来日公園がありその記念盤のような感じで販売したようですが、今思えばコンヴィチュニーは翌年60歳で亡くなっており、後になって此の指揮者を筆者は高校生になって知り、小遣いとアルバイトして早速レコードを購入した記憶が残る。

最近はすっかりコンヴィチュニーの事は忘れていたが、昔のレコード盤を出して、此の管弦楽団でとレコード針を落とす。録音の古さは感じるが、ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏の素晴らしさを感じるレコードでした。

年末年頭にはやはり昨年暮には聴かなかったベートーヴェン交響曲第九番を聴く、

交響曲第9番短調Op.125「合唱」

 インゲボルク・ヴェングロウル(S

 ウルズラ・ツォレンコップフ(A  

 ハンス=ヨアヒム・ロッチュ(T

 テオ・アダム(Bs

 ライプツィヒ放送合唱団

 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 フレンツ・コンヴィチューニー(指揮)

コンヴィチュニーの指揮は伝統的なドイツ的な表現でスケールも大きく、誰もが安心して聴くことのできる演奏だと思う。

楽譜に対して客観的に誠実に取り組んでいるものが多く、ゆったり目のテンポでスケール大きく描きあげられた演奏は、オケの音色もあって実に魅力的。

重量感ある仕上がりが独特の味わいを醸し出しています。

当時は直輸入品レコード盤の購入は高額で、難しく例えばHis Master's VoiceNipperのロゴ『ニッパー (Nipper) 』が削り取られたレコードを購入した覚えもあります、此のレコードはユーディ・メニューインのバッハのヴァイオリン・ソナタ全集ですが・・・

当時も「エテルナ」のレーベルは有名でしたが当時輸入盤の販売している店舗を知らず普段のお店で購入した、でも充実したオーケストラの響きを聴くことができる。

今は失われつつある、重厚な「ドイツの音」がする。

どこか無骨と言うか、職人的な音楽作りは、往年のドイツの名指揮者に相応しい。ブラボー!


昨年亡くなったズザナ・ルージチコヴァーのチェンバロを聴く

2018年01月10日 | バロック音楽・オーディオ一般

2次大戦後のチェンバロの復興者、ズザナ・ルージイチコヴァー女史が昨年

就寝中に安らかに亡くなったと、彼女の家族から発表されました。90歳でした。

 

1927年、彼女はチェコ人の父とユダヤ人の母のもと、チェコの第4の都市、プルゼニで生まれました。

初めはピアノを学びましたが、彼女の才能に驚いたピアノ教師のすすめでチェンバロに転向しました。

その後、ワンダ・ランドフスカに師事することが決まりましたが、

1939年にナチス・ドイツがチェコ全域を占領したため実現しませんでした。

1942年に彼女の一家はユダヤ人だったためテレージエンシュタットに移送されます。

1943年に彼女の父は亡くなり、その後、

母親とともにアウシュヴィッツ・ビルケナウ、ベルゲン・ベルセンへと移送されました。

彼女は各収容所で想像を絶する残虐行為を目撃してきましたが、

ベルゲン・ベルゼンについては「それまでも地獄だったが、ここは最悪の地獄だった」と述懐しています。

 

1960年代にはフランスのエラート・レーベルと契約し、

バッハの鍵盤楽器のための作品全集の録音を開始。

1975年に世界初の全集録音を完成しました。201610月、

ワーナークラシックスが彼女の90歳の誕生日を記念した。

1927年、西ボヘミア地方のプルゼニュに生まれたルージチコヴァは、その並み外れた個性が讃えられ、

「チェンバロのファースト・レディ」とも称されました。20世紀を代表するチェンバロ奏者で、

チェンバロをひとつの独立したコンサート楽器として認知させることに尽力した、草分け的存在となりました。

ランドフスカのあとを引き継ぎ、モダン・チェンバロだけでなく、歴史的チェンバロによる演奏も積極的に行いました。

 

Zuzana Růžičková, Bach French Suite No.5 in G major BWV 816 

 

 最近筆者のTANNOY IIILZ in CabinetChevening)も相当前の物ですので

一度マグネットの再着磁を薦められ早速お願いをする、やはりマグネットも自然放電するようで

此れで低域等が出れば幸いなんですが、ただ時間がかかるそうです。

その間はサブシステムのKEFで音楽を楽しむ事にします、個体は小さいが意外と低域も出ます。

現在KEFに使用のアンプは1978年頃販売したアンプなので、40年前のアンプです。

当時大手メーカーもオーディオに参加し技術的にも随分進化した時代です。

以前Y氏よりAurex SC-M15/SC-M15にはノイマンが相性が良いとご教授頂きノイマンのRCAケーブルに繋ぎます。

此のAurexアンプはBTL接続でモノラルパワーアンプで使用すると実力を発揮するようです。

音質はかなり素直なアンプで長い間聴いていても疲れない、BTL駆動で100Wあるので底力はあるようです。

最初の音出しは少し物足りなさを感じますが、聴いた見ますと素直な音が気に入っています。

ノイマンのRCAケーブルを調べると以下ののようなコメントを見つけました。

『ノイマンのケーブルは、ドイツの音源ばかりではなく、フランス、イタリア、スペイン、

ロシアの音源にもドンピシャで合い、非常に生々しい音で、

それらの国籍の音楽が聞けたとのことです。なお、フィンランドの音源の場合には、

バイタルが合ったそうです。』

現在Belden 8428も使用していますが、現在Belden 8414が米国のスタンダードと言われている、

一度使用してみよう。それとも最新のBelden 9451が良いのか調べて見たくなります。

実に興味津々である。RCAケーブルだけでも音が随分変わりますヨ!

前からKEFを聴く場合はノイマンのRCAケーブルに繋ぎ聴くが、今回は以前購入した銀線コード

型番PRM-4S / 2.5S / 1.5S 形式スピーカーケルブルを選び 

 

繋ぎ替えて聴いたが以前より良く聴こえる・・・コードにも馴染み時間が必要なんですかね?

尚メーカーのコメントは

『インクースティックのコーア・マテリアルである純銀コートのOFC成分を最も手軽に楽しむハイ・パホーマンス・モデルです。

銀特有のアドヴァンジェである優秀な高域特性が、システムに艶と煌びやかさを加えます。』

確かに以前聴いた時感じた印象より幾分中低域が良く感じられる。

ズザナ・ルージチコヴァーの演奏も優しさの中にしっかりした中低域が出て実に心地よい。

サブシステムはKEF Q300であるが以前聴いたいたときより低域がふくよかに良く感じる?

もっともこのKEF Q300と言うスピーカーは何方かと言えばドンシャリ型のスピーカーなのですが、

高温をシャカシャカ出さないように音出しすると意外とJAZZからclassicまで聴けるスピーカーなんです。

音質も良くなった感じがする、便箋のスピーカーコードの良さか?

TANNOY IIILZ in CabinetChevening)で試聴した時より良くなっている?

しかしズザナ・ルージチコヴァの演奏を聴くと彼女の代名詞といえるのはやはりバッハの演奏解説と言えましょう。

バッハのチェンバロ協奏曲は、その大半がバハーの故作を(他人の作を含む)を編曲したものですが、

チェンバロを「通奏低音」から「独奏楽器」へ引き上げたアイディアは非常に斬新で、

音楽史上、ピアノ協奏曲の先駆としても意思をもいっています。

 

但しこのスピカーケーブルを使い音楽を聴くと、ヴァイオリンの弦楽器の古楽器がモダン楽器に聴こえる感じもする

ピアノ演奏は少しハリが以前より良くなった感がする。しばらくこの銀線コードで聴いたが最終的には

Western Electric 16GA(撚り線)single(緑)が安定して落ち着いて聴けるような気がする、

ご承知の如くWestern Electricは1881年頃からあるメーカーで未だにその製品は現役で活躍している歴史がある

たかがスピーカーケーブルですがその影響は凄い物があるようです。

此の程度の音楽はKEFのブックシェルフスピーカーでも一応満足は出来る。音楽愛好家なら此の程度で良いのかも知れない。

後は気分良くオケを聴いて再度評価してみようと思います。  ブラボー!


何年ぶりか?・・・初参りに成田山から鋸南町の鋸山日本寺に

2018年01月08日 | 旅行

毎年この時期に娘が里帰りに帰って来る。

どこか行きたい処あるか?と問いかけると

・・・・・・成田山、と鋸山の地獄のぞきに行きたいと云う

天候にも恵まれ風も弱く、実に穏やかな日で初詣に最適である。

 

成田山新勝寺、山門鳥よけの金網が気になる・・・

 

意外と歴史ある、成田山新勝寺に・・・初詣歌舞伎の市川団十郎家が代々信仰することでも知られる。

此の寺の近くには行くがお参りに行くのは初めてである。

家から30分程で成田山に到着するが、さすが未だ幕の内のためか相当の混雑ぶり、有料駐車場を探すのも一苦労します。

 

立派な仁王門を通り本堂に至る。

やっと駐車場を見つけ駐車するが、かなり境内まで遠い所に駐車し徒歩で参拝に初めて行ったが、相当の混雑ぶりです。

 

正式名称は、成田山 金剛王院 神護新勝寺が正式名だそうです。

成田山の御本尊不動明王は、弘法大師空海自ら敬刻開眼された霊験あらたかな御尊像です。

勿論浅草浅草寺より境内も広く、建物も大きい。参拝を済ませ、交通祈願のお守りを頂き成田山を後にする。

初参り済ませ、次は内房、ここらで朝食代わりにサンドイッチを購入

車中で食べながら鋸山に車を走らせる。高速もスムースに走る。

 

意外とスムースに竹岡インターまで走り、一般道も混雑な無く、金谷に到着する。金谷に到着するフェリーが見えた。

穏やかな海にフェリーも絵になりなりチーバ君のイラストが可愛い。

昔はこの内房に釣りに毎週通ったが、最近内房は来なくなって早10年以上にもなる。

昔は、春の内房のイワシメバル釣りは実にスリリングな釣りを体験した記憶が蘇ります。

小さな生きたセグロイワシを泳がせて釣る釣りなんですが、最近ではヒコイワシの入手出来ないようです。

流石正月。門松が飾られている。

でも観光で来る鋸山は初めてで只ロープウェイが設置されていることを知っている程度です。

早速往復ロープウェイの切符を購入

行ってみると此の山は戦前は日本寺としてかなり大掛かりな寺があったようだ、

今回【地獄のぞき】を見たい、山頂展望台にある地獄のぞきからは

東京湾および房総半島、富士山等が見渡せます。

早速ロープウェイにて山頂に所要時間は5分程度で頂上に

当に東京湾が見渡せ、雪を被った富士山も見える。其処から日本寺まで歩く、

此れが意外とハードなんです。10分程で日本寺入口到着する

山頂のロープウェイ到着駅、拝観料を払い家族で参拝・・・・・

と言っても上り階段が続きかなりハードである。

抑、この日本寺とは可也古いお寺のようで戦前に登山客により全焼して戦時下は高射砲まであり、

戦後再開発で此処までに至ったようで、現在建物は平成時代に蘇っているそうです。

日本寺入口付近に案内図があり徒歩ではかなりの時間が掛かると思いますが挑戦しましょう!

山全体が寺になっていて石像が実に多い。お寺の古さが物語る歴史なのか?

又山頂より望む景観は素晴らしい、天候に恵まれ雪化粧をした富士山の全景が実に感動を与える。

まるで絵を見ているようです、上から見る千葉も綺麗で、遠くに東京観音が白く見える。

早速地獄覗きを下から見上げると百尺観音がある。という事は30メートル?

此の観音像は航海、航空、陸上交通の安全を守る本尊として崇めらています。

そして山頂に行き地獄のぞきから雄大な景色を堪能するが

下から見た地獄のぞき実にスリリングです。

特に羅漢エリアには色々な石像は並ぶ、

此れは本日のナイスショットかな?

有名なのは

【あせかき不動】

【聖徳太子像】

【不動明王像】

等の像の他にも百躰観音、百躰観音、弘法大師護摩窟が居並ぶ

本日のカメラはスマホ一本勝負で?何処まで撮れるのか疑問ですが

本日のアングルは余り期待出来ないようです、(笑)

後は羅漢エリアを見ながら大仏広場まで上り下り階段が続き

途中からやっと普通の道になる、途中やはり内房は温暖のためか

梅の花が咲いている、それと見事に水仙が満開状態である。

此の近くには保田の水仙ロードがあり、水仙咲き乱れているようです、梅と一緒に写真撮影もいいですね!

この水仙は皆様もご存知の海ほたるにも飾られていて、お客様を和ませているようです。

それから日本一大きいと言われる大仏を参拝、大きさに圧倒される。

画面一杯にして大仏撮影をする。

 

此処での有名な【お願い地蔵尊】大仏広場に安置され、

様々な願いを込められた小さなお地蔵様に取り囲まれています。

お願い地蔵は小さなレプリカを代用して願をかけるようです。

そして今来た道を引き返し駐車場に戻らなければならないが、

此処は男性が引き返し女性は此の下の東口の駐車場で合流することになり

ジュニアと二人でいま来た道を戻る、頂上までは総て上り階段が続く

そして次はロープウェイ乗り場まで上り坂を登る、

今日は実に天候も穏やかで頂上から岩井方面も波も無く実に良い景色である。

やはり急階段は相当厳しい、心臓がいたくなる、この症状は最近ハードに体力を使うと心臓がいたくなる、

学生時代ラグビーの練習時も心臓が痛くなったりしなかったが、

さすが体力は老人を見とめないわけにはいけない。(笑)

平成19年に新たに建てられたようです。平成の時代になり少しずつ復活の兆しがあるようです。

約小一時間で駐車場に戻り、東口まで迎えに行く。駐車場から車から降りたら辺りに漂う梅の香りが・・・・

東口付近の梅の木から漂う梅の香りが柔らかさをただ寄らせ初春の雰囲気を醸し出す。

そして昼食兼夕食のため昔良く言った、保田の漁港直営の『ばんや』に向かう

昔から客で賑わう『ばんや』で、温泉もあります。

釣行(特にカワハギ)の帰りは定番の様に帰りに食事に寄った場所です。

早速注文し各々海鮮丼主食に、各々他食べたい物を注文してシェアーした。

新鮮なイカ刺し、

ムツの揚げ物、

アジのさんが焼き、貝の焼き物(ホンビノス貝)、

絶品はマグロのカマ焼き等 焼き加減が実に良い塩梅である。自宅の火力では真似は出来ない!

家族でシェアーして新鮮な魚介類を満足するまで食べ、全員十分満足したようだ。

帰りに烏賊の一夜干し等を購入して帰路につく。

初参りとは20年ぶりに出かけました、当に『牛に引かれて善光寺参り』のようです。

帰りも然程渋滞も少なく、無事家に到着し、皆さんでお疲れビールを飲み最後は美味しい珈琲で解散!

楽しい初参りでした。今年も家族とも無事で過ごせること祈りました。

 

今回写真は全てスマホで撮ってみました。画像処理も全くしていません。ブログアップ等に使用は十分対応できる

ただし、ボケ味、コントラストの強弱、シズル感などの難しい要求は出来ませんが・・・使えますね(笑)!