伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

相変わらず接続ケーブルのメンテナンスも一年に一度くらは清掃も必要ですのでこの際全てのケーブルの清掃を行う。最近日課の如く聴くJ.S.バッハ:インヴェンションの検証。

2025年01月18日 | J.S.バッハ制作音楽

前回スピーカーケーブルのソケット等の部分をピカールで清掃したが、以前購入した和光テクニカル(株)のチタン オーディオ オイル を探した、このオイルの特徴はよく磨き後に接続端子は綺麗なようでも、酸化皮膜がいつのり間にか出来てしまい接触抵抗が増えるので、以前購入後余り使わないで此のオイルを使用したことを思い出し物臭故置き忘れた様である。

今回テストを含み同様な状態になるかを確かめる意味も含め接点回復剤の変わりにチタン オーディオ オイル を使用したのである。兎に角このオーディオ関係に関する部品並びにメンテナンス器具についてはオカルト的な事も多いのだが、少しても音質向上するのであれば、しかも安価に出来る商品は試したくもなる。



筆者の接続ケーブルの金具はロジウムメッキ品が多く使用するが、音質的にはエッジの効いた音が特徴ですが、金メッキとくらべて効果がピーキーで使い所の難しいマテリアルでもありますが筆者仕様のスピーカーユニットが古いタイプの物を使用するには特に高い音については、金メッキより具合良く試聴出来ましたので全てロジウムメッキの接続金具を使っています。
勿論今回はパワーアンプ等の真空管のソケット部分並びにRCAケーブル部分も、よく磨きチタン オーディオ オイルを綿棒で薄く塗布してセットした、と言うのは前回取り付け後より1日経過後が音質は音源に近付いた様に感じたので、注意深く接続部分を点検しながら修復した、労力で済ませるアップグレードは貧困老人でも出来る事である。

現在部屋に放置しているスピーカーはKEF Q300、LS3/5a、SPENDOR SP3/1P、Fyne Audio F500と何故か全て欧州製ではあるがメインのTANNOYと合わせ5セットあるが一番古いIIILZ Monitor Goldの音には敵わない様である、それには定期的なメンテは必要でもあり重要なポイントである。

朝から接続部分を丁重に磨きオーディオ オイルを塗布したが既に3時間以上経過し昼食になってしまった。



簡便な昼食後の珈琲を飲みながら、YouTube配信を見て驚くはフジテレビは東京の表参道駅近くに地獄絵図をモチーフにした巨大な看板を掲示しましたそうだ。

正月早々この看板には、閻魔や鬼、罪人などが描かれており、テレビがお隣(韓国)の地獄でも視聴できるというコンセプトでした。しかし、この看板のデザインはその悪趣味さや韓国の民族衣装を思わせる要素から、ネット上で大いに批判されました。
考え様には今フジテレビが非難を浴びる(元SMAPの中居正広)制裁図の様に思えるのは筆者だけなのであろうか?勿論民法放送局ではあるが、それ以前に公共の電波を使い報道しているキー局としての立場は如何なものであろう、一刻も早い解体が必要であろう。まあフジテレビ以外の局も同様だはあるが、HNK含めテレビ局は全て解体で正解であろう。全く自虐的な図柄でもある。

この様な有様では、国民はマスコミから益々逃げ出すのであろう、日本国民もまともな報道は信用しなくなる事は恐ろしい事である。またフジテレビ港浩一社長が記者会見後明治安田生命や日本生命、トヨタ自動車、NTT東日本が自社のコマーシャルの差し止めや差し替えを相次いで明らかにしたそうです。
此れで一つの大手マスゴミが衰退もしくはオーナー交代等で本来の報道事業の正当化が行われば嘘のないマトモな政治家が多くなるのでは無いかとも思った。



《インヴェンション》と《シンフォニア》という2つの曲集は・・・バッハが序文に明記しているように・・・「正しい手引き」という教育的目的で成立した。

J.S.バッハの『2声のインヴェンションと3声のシンフォニア』は、難しいバッハの曲の中でも比較的初心者向けということで、ピアノを習っている人が必ず挑戦する曲です。そう様な事もあり基本は大切でもあり、2声のインヴェンションも好きでもあり最近の日課のように聴き初めに流すことが多い。今も初心者の練習に使われるこの曲を、息子の教育のために作りました。1720年、長男フリーデマンが9歳になった頃から、5、6年かけて1冊の楽譜帳を編んでいったのですが、それが『フリーデマンのためのクラヴィーア小曲集』です。

そう様な背景も伴うこの曲を筆者は曲を聴く前に午後から早速試聴したが、メンテナンス以降と比べ音源が近付いた印象が強い、最近は音楽の聴き始めはJ.S.バッハ:2声のインヴェンションを流してからたの曲に進む事が日課の様になっている。粗毎日の日課言え全曲は聴かない事が多いが、気分に合わせピアノ演奏とチェンバロ演奏と交互に楽しむ場合が多い。



今回は先ずはチェンバロ演奏から述べます。筆者が思うに現代のバロック音楽の愛好家はメンデルスゾーンとワンダ・ランドフスカに感謝しないといけない、 驚くべきことに音源は残されている。 この演奏が後世のチェンバロ奏者の源だと思うと感慨深い。
ワンダ・ランドフスカ(Wanda Landowska、1879-1959)は、ポーランド出身のチェンバロ奏者、ピアニスト。ランドフスカは4歳のころからピアノを始め、ワルシャワ音楽院に進学しピアノの勉強を続け、13歳の時にバッハの作品を連ねたリサイタルでデビューした。
後にチェンバロに関心を持つようになり、やがてチェンバロの復活と普及に力を注ぐことになる。24歳になった1903年にチェンバリストとしてデビュー。1904年にはチェンバロによるバッハ演奏会を開き、以後チェンバロでのバッハ演奏のスペシャリストとして名を挙げることとなる。まさに忘れられた楽器となっていたチェンバロを20世紀に復活させた功労者である。
ドイツ軍による強奪によりアメリカに疎開する、ランドフスカとレストウは、1941年12月7日にアメリカに到着しますが、移民受付のエリス島には、当時、すでに数千人の日本人が抑留されており、座る場所を探すのも困難な状態で2日間が経過。しかし到着の遅れを心配したニューヨークの知人が関係者たちの署名を集めて当局に連絡したために手続きが開始、煩雑な審議と、さらに1人500ドルの保証金を預けることでようやく入国が許可され、ニューヨークに居を構えることとなります。
1942年、ランドフスカは、1年半に及ぶ逃避行の疲れも感じさせない勢いで演奏に復帰、入国2か月後の2月21日にはニューヨークのタウン・ホールでバッハのゴルトベルク変奏曲でリサイタルを開き、作曲家で批評家のヴァージル・トムソンが激賞するなど大きな成功を収めます。



ランドフスカのソフトはいろいろ多岐に渡り多くありますが、筆者が思うは此のワンダ・ランドフスカの芸術(24CD)のセットで粗全て賄える様である。
この24枚組には、1923年10月29日(44歳)、ラッパ吹込みのモーツァルト「トルコ行進曲」から1959年(80歳)に亡くなる直前に録られたバッハの「3声のインヴェンション」まで、彼女の録音を36年間にわたって幅広く収めており、戦前のヨーロッパでのセッション録音や、戦中戦後のアメリカでのセッション録音とライヴ録音により、彼女の芸術にとことん浸る事が出来ました。

1954年、ニューヨークでラスト・リサイタル。その後も亡くなる半年前までレコーディングや教育活動などは継続。同年、RCAビクターの平均律クラヴィア曲集第2巻の録音を完成。2声のインヴェンションとシンフォニアを録音とある。
 [CD20]
 1.バッハ 15の2声のインヴェンション BWV 772-786
  Recorded on 1954-1955
 2.15の3声のインヴェンション(シンフォニア) BWV 787-801
  Recorded on 1958-1959  
 3.カプリッチョ「最愛の兄の旅立に寄せて」 BWV 992
  ecorded on 11 & 12 September 1957  
 4.パルティータ第2番 ハ短調 BWV 826
  Recorded on 4 &5 February 1957
 5.幻想曲 ハ短調 BWV 919
  Recorded on 2 May 1946
  
当時忘れられていた楽器チェンバロ、を蘇生させたランドフスカのバッハ・アルバム。60歳代後半から80歳にかけての録音。ここに聴くチェンバロの音色は、67年前の演奏で当時はモノーラルで録音機材も悪く音質は悪くメタリックで奇妙な感じがするが、それでもランドフスカの演奏は、活き活きとしていて未だ新鮮に聴こえる。以前と比べ聞き取りやすく感じる、この程度に鳴れば充分堪能できると思います。



続いてピアノ演奏では、ドイツの女流ピアニスト、ディナ・ウゴルスカヤ(Dina Ugorskaja)2019年9月17日、がんで亡くなった。46歳だった。父親はピアニストのアナトール・ウゴルスキ。母親のマヤ・エリクはシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》のソビエト初演で朗読を担当した音楽学者。1973年、父親が活動していたソビエト時代のレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)で生まれた。ウゴルスキは1982年から1990年までレニングラード音楽院の教授を務めた。父親からピアノの手ほどきを受けた後、1980年からレニングラード音楽院に所属する特別音楽学校で学んだ。7歳でレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団フィルと共演して注目を集めた。しかし、1980年後半からの体制改革運動「ペレストロイカ」の流れの中でソビエトでは反ユダヤ主義的な動きが表面化。脅威がウゴルスキと家族に及んできたことから、1990年に一家でドイツ・ベルリンに亡命した。
亡命後、ハンス・アイスラー音楽大学に進み、その後、デトモルト音楽大学へ。そのまま大学に残り、2002年から2007年まで講師を務めた。その後、ソロ活動のかたわら、2016/17シーズンからウィーン国立音楽演劇大学で、亡くなるまでピアノ科の教授を務めていた。



それと後一人はディーナ・ウゴルスカヤ(P)J.S.バッハ:2声のインヴェンション、ショパン:24の前奏曲を交互に聴く、このアルバムの特徴はショパンの演奏もあり随分楽しめる事間違い無い。

《曲目》
 J.S.バッハ:2声のインヴェンション BWV.772-786
https://www.youtube.com/watch?v=rO-8gAjE3Pc
 ショパン:24の前奏曲 Op.28
《演奏》
 ディーナ・ウゴルスカヤ(ピアノ)
 使用楽器:ベヒシュタイン D-280
《録音》
 2004年3月
 デトモルト(ドイツ)
 Bach & Chopin
 Dina Ugorskaja
バッハのインヴェンションとショパンのプレリュードを組み合わせた稀少盤がC'Aviからリリース!
ロシアの名ピアニスト、アナトール・ウゴルスキの娘であり、自身も国際的なコンサート・ピアニストとして活動したディーナ・ウゴルスカヤ。
バッハのインヴェンションは、残念ながら未だ単なる練習曲と見なされていますが、特に2声のインヴェンションは信じられないほど洗練された豊富なアイディアのおかげで、ウゴルスカヤのことを子どものころからずっと魅了していたといいます。そして対照的に、音楽性と技術の両面で、ピアノ音楽でもっとも挑戦的な曲集の1つであるショパンのプレリュード。その深い感受性と冷静なパフォーマンスから、「ピアノの哲学者(philosopher at the piano)」と呼ばれたウゴルスカヤが、バッハの率直さとショパンの複雑さを見事に対比させた名盤の1つです。

此の様なコメントも目を引きました(1959年に彼女が亡くなったとき、RCAビクターが追悼アルバムを出し、私は彼女はチェンバロの女神であり、一人でチェンバロへの関心を復活させ、それを主流の楽器にした女性です。彼女が終わったところで、ラルフ・カークトリック、シルビア・マーロウ、その他の数名がランドフスカに感化され、彼女の足跡をたどっていましたが、ランドフスカはエベレスト、他の山はブルーリッジ山脈程度と言われ、ほぼ常識でした。)

何年も変わったのは、ランドフスカの演奏や素晴らしいレコード(不思議なことに、どれもステレオではなかった!)ではなく、クラシック音楽業界のチェンバロに対する姿勢だった。奏者の一部)が、ライプツィヒにあるヘルムート・ヴァルヒャが自分の小さなゼイゼイ音のオルガンでバッハの曲を演奏していることを賞賛していた時代に、私たち、ランドフスカが使っていたのは劣化した楽器、つまりグランドピアノのように作られた重いフレームのチェンバロで、移動中に視察彼女の第二次大戦前のバッハとスカルラッティの録音を絶賛したBHハギンのような見解家でさえ、監視のプレイエルでの彼女の「無意味な反省音」に苦悶の不満を漏らした。
クープランとバッハの時代には確かに 8 フィートと 12 フィートの巨大なフランス製のチェンバロがあり、バッハ自身もライプツィヒの外へ時々外出した際にこれらの楽器のいくつかを(喜んで) 演奏していたと言われる。ブラボー!

J.S.バッハ:6 Cello Suites フランスのチェリスト、アンドレ・レヴィ(Andre Levy)を聴く。

2025年01月13日 | バロック音楽・オーディオ一般

この写真は現在筆者が愛用するTANNOYのIIILZ Monitor Goldユニットの写真で遊んで見ました写真の工夫でアンテーク風に見えませんか・・・?。

本日も早朝モジャ君は元気よく6時から遠吠えで目覚め散歩に出かける、外は非常に寒く感じる、元気に何時もの散歩コースを小走りに駆け回る、異常な寒さを感じながら散歩を続ければ、何やら白いものが落ちて来るのを感じた、小雪である早朝ラジオ体操をしている皆さんも早々体操終了後は急いで帰宅する風景を見る、確かに小雪舞い散る景色は何故か寂しそうにも感じた。
帰宅後暖かいシャワーを浴びモジャ君をドライヤーで濡れた毛を乾かし寛ぐ、朝の珈琲を挽きドリップコーヒーを淹れる。淹れたての珈琲は実に美味い!

勿論TANNOYと言えばガイ・R・ファウンテン氏が1953年に設計したコーナー型バックロードホーンシステムのTANNOY Autographはマニアの夢であり目標でもあったが設置する部屋も考慮しなければならず、夢の世界であった!



正直昔ステレオサウンド誌で見た内容はあまりよくわからなかったけど、その広告ページは毎号、詩情溢れる只ならぬ気配を発していた。扱っている機器の多くはMarantz#7や#9、TANNOY GRF、TNNOY Autograph(レッドやシルバーユニット) などで筆者にはまるで縁のないと思っていたが。今は神戸 ガス燈のアメリカTNNOYに思いを寄せている。かなり頑丈な箱に入れた形式をとっている形状にはイギリスTNNOYとは違う考察である。

それから自分の部屋に籠る。最近はオーディオ機器の興味は確かに薄れている、でも以前から興味深く一度ゆっくり覗いてみようと探ってみた、35年以上前から神戸元町にてヴィンテージオーディオとジャズレコードを輸入販売している専門店「ガス燈」のHPの音楽ソースである。

オーディオ機器は、それにはスレットもあり、頭が逝かれた信者が多いダメスピーカー タンノイ オートグラフ・・・。このコメントは何故かよく分かる様な気がする、確かにマニアは一種、頭が逝かれた信者は思い当たる、熱病に犯された異常者であろう、これは一種、惚れた弱みのような気持ちでもあろう・・・、しかもその辺りは大人である限り自分のできる範囲と自制する気持ちであろう、少なくとも残り短い人生になって、此れ以上は入ってはいけない世界であろうしかしじっくりと聴けばそこには現在の録音には無い重厚な響きが香る様だ。

しかし続きがある、オートグラフをステレオで使うのが間違い。音がボケるに決まってる。本来の使い方である、良質の蓄音機と思いモノラルで使用が良い。五味康佑さんのとりこになった『モニター・レッド』をオートグラフかGRFの箱に入れて、管球アンプでしみじみと聴けば、そこにタンノイの音の故郷が聴こえるのだろうか。タンノイのお話タンノイの音は、音それ自体にタンノイが有るわけではない。まずせせらぎの音やバイオリンの音が先に有って、それを録音したものを、タンノイのスピーカーで再生すると、ほんのりタンノイの音が加味されて「タンノイの音は良いね」となる。まあ色々と言われるタンノイの音でもあり、その全ては15吋のシルバー、レットと言ったヴィンテージ物の音質であった。
誠に残念に思うは筆者はシルバー、レットは未だ聴いたこともないのでMonitor Goldとどの様に違うのか全く解らないのが事実である。



しかし思えば確かに筆者も納得はするが頭が逝かれた信者かも知れない。
後は筆者の興味はアメリカタンノイの魅力・・・でもある。 以下の文言があり引用する。
「アメリカ東海岸のサウンドを希求する人間にとっては、見逃すことのできない存在であろう。 1954年ロングアイランド(ニューヨーク州)に設立されたるアメリカタンノイ社は、1973年まで数々の魅力あるスピーカーを産みつづけた。 日本上陸が遅れたが為に、当時殆どの人々は関心をもつことなく(出合いなく)現在に至っているのだが・・・、 オートグラフプロフェッショナル(15インチレッド各2入り)、インペリアル(15インチレッド各2入り)を頂点として、ボザーク、KLHの音色に魅了されたる人間にとっては、アメリカタンノイのサウンドにすばやく反応されることでしょう。 オートグラフプロは別として、他は英国タンノイに比べ、低域は締りぎみで重く暗く(陰けいが深く)その上箱の響きが押えぎみのため、 JAZZが”いき”に鳴るのである。 中域から高域にかけては、タンノイユニットの特徴である金属的な肌合を有しているが故に、管楽器、ピアノがイメージ良く且上品に鳴り響く。

 ヨーロッパへの希求性とヨーロッパからの遠心性がアメリカ文明の宿命であるかのようにして産まれたのが、アメリカタンノイ群なのであろう。 透徹されたる英国人の知性が、アメリカという大陸で華(はな)開いたる珍しき逸品と言えよう。 特に、スタンダードオートグラフ(レッド入り)チューダーオートグラフ(レッド入り)、オートグラフプロ(レッド各2入り)、インペリアル(レッド各2入り)の4種類は一聴に値するしろものであるばかりか、イギリスタンノイ黄金の三兄弟に無い魅力が内包されていることに、タンノイファン及びタンノイでJAZZを鳴らしてみたいと考えているファンは、一聴に値する魅力あるスピーカーと言えよう。

通説としてタンノイの弱点と言われてきたピアノ、管楽器、打楽器が気品を失うことなく鳴り切るアメリカタンノイの魅力は、幅広い音楽を楽しむ人間にとって救いの神器となろう。 特に1950~60年代に創られたる名器シルバー、レッド入り大型アメリカタンノイは、豊かな国(1950~60年代)アメリカ人の要望を満足させた英国人の叡知の作であるだけでなく、後生の金字塔となり多くの音楽ファンを楽しませ続けるであろう。 1950年代にLP名盤が続出したごとく、1950年代に歴史的名スピーカー群が誕生した意味は大きい。 オートグラフプロ(レッド入り)及びインペリアル(レッド入り)が無冠の王者ならば・・・、スタンダードオートグラフ(レッド入り)、チューダーオートグラフ(レッド入り)は、流たくの清士であろう。 高貴を弑(しい)し、美を屠(と)り、理想を犯す、荒涼たる今の世にあって、黄金期のタンノイシルバー、レッドを搭載した大型スピーカーでの音楽鑑賞は比類なき精神の高揚となろう。 JAZZをここまで物語り表現しうるスピーカーはそう多くはない。 初期の上質なるマランツ#7と#9とのコンビで聴く大型タンノイ群は、宝珠(ほうしゅ)に似て、燃えたる美の王宮なり、遠来の王を迎えることの出来る人は、至上の歓喜を得ることのできる稀世の人となりえよう。 タンノイの固定観念に縛られている輩、行動を興さない輩には未来のイヴとの出合いはない。
いろいろなる名盤(名演)が誕生したのが50年以上前である。 例えば、アンドレ・レヴィのバッハ無伴奏ソナタ(LUMEN / 3LP) パリのモーツアルト(仏PATHE / 7LP) TRIO OF FRANCE(仏PRETORIA / 1LP)



ジョルジェ・エネスクのバッハ無伴奏ソナタ(CONTINENTAL / 3LP)この辺りは一度じっくり試聴し慕ってみたい演奏家でもある。 イヴォンヌ・ルフェビュールのバッハ(仏FBLP / 1LP)を タンノイ レッド、シルバーが登場したのも50年前である・・・。ここに真理があり符合する。 名器が真の名盤と連関するのは、人間の社会、思想、芸術、文化の奥深いところの根源的なるもの、 本質的なるものを捉え、それを明日に照らしだそうとする信念、哲学が内在しているが故に、 現代の新奇なものを越えて、なお魅力的なのであろう。 軽薄な時代が終焉し、精神性のある社会が、一刻も早く到来することを希求してやまぬ。」

以上のコメントがあり筆者などはアンドレ・レヴィは知らないフランスのチェロ演奏者でもあり、パブロ・カザルス、ヤーノシュ・シュタルケル、ピエール・フルニエと比べいかがであろうか?是非聴きたくなった。



しかし今回は筆者所有のIIILZ Monitor Goldの接続部分の清掃を行う、勿論ピカールで丁寧に綿棒がぐろずむのが無くなるまで丁寧に磨き揚げた、終了後接点回復剤を塗布し再度繋ぎ音出しをする、気分的に若干キレが増した様にも感じた。この部分はIIILZの接続部分は塩梅が無くトラブルの多い箇所でもあり、ピカールで丹念に磨くは初めての試みでもある。まだまだこの先愛用したい10吋のIIILZ Monitor Goldユニットは筆者のお宝でもあり現在程良く鳴り続けているところでもある。今出来る対応は接続部分の繋がりを良くする事でしか無い。

現在の愛用するTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetで聴くチェロのブーミー音は実にリアルに聴ける、昔からJ.S.バッハのヴァイオリン曲よりチェロ曲が好んで聴き、出会った事が原因であろうか、今思えばこの様な音を聴くにはAXIOM80の箱使用しなければ再現不可能かも知れない。



話は戻るが、アンドレ・レヴィ(Andre Levy)フランスの男性チェリスト。1894年生まれ。1982年没。
パリ出身。パリ音楽院で室内楽をカミーユ・シュヴィヤールに、チェロをジュール・ロエベに学び、1912年に最高位を取得して卒業。第二次世界大戦前は、パリのいくつかの小さな音楽院で教鞭をとった。終戦後はパリ・エコール・ノルマル音楽院でチェロのクラスを教える。1952年、ジュヌヴィエーヴ・ジョイ(ピアノ)、ジャンヌ・ゴーティエ(ヴァイオリン)とピアノ・トリオ「トリオ・ド・フランス」を結成する。1970年代まで指導と演奏活動を精力的に行った。彼は 1970 年代まで積極的に指導と演奏を続けました。



CDは6 Cello Suites : Andre Levy (2枚組)
収録内容
 第1番 ト長調 BWV1007
 第4番 変ホ長調 BWV1010
 第5番 ハ短調 BWV1011
 第3番 ハ長調 BWV1009
 第2番 ニ短調 BWV1008
 第6番 ニ長調 BWV1012

 演奏者:アンドレ・レヴィ(チェロ)
 録音:1960年

確かにTANNOYのIIILZ Monitor Goldユニットで聴けば、雄弁に歌い上げるレヴィの個性的な歌い回しによるJ.S.バッハは十分満足出来る。取り分け濃厚な味わいと香り高き音色に酔いしれることが出来ました。TANNOYが良いのかアンドレ・レヴィの演奏も相当に良いのである。
確かに昔TANNOYのオリジナル箱で聴く頃と違い程よい大きさのGOODMANS AXIOM 80の箱にIIILZ Monitor Goldに移植した後の音楽の感じ方の違いはオリジナルを勝る様にも感じ今は前のオリジナルの箱での試聴は考えられない。



1950年に録音された3枚組LPの復刻版でありモノーラルである。速い舞曲が長く求める心力の強いフレージングが特徴的で、どの曲にも内的な芯の強さがうかがえる。歌いまわしや強弱のつけ方にいくつかの独特なものがあるが、全体的に颯爽として流れるような演奏です。聴き始めこの演奏に心地よさも感じる、むやみに重くなりすぎない落ち着いた演奏も良好です。録音も想像以上に優れている、切れ味の良い最近の演奏と相対と時代を感じるが、それは一時時代遅れという意味ではない。



上記写真は別途に180グラム重量盤のレコードも販売している模様である。現在取り寄せは出来なく中古では価格も高額である。

「バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲」[グリーンドア音楽出版]を聴く。
グリーンドア・レーベルはまず朝比奈隆のLP期名演のCD復刻でスタート、2003年以降はSPやLP復刻のシリーズを開始、朝比奈のシリーズも大フィルとのヨーロッパ公演をシリーズで発売するなど、旺盛なリリースを続けている。


フランスのチェリストでエウィット四重奏団のメンバーだったアンドレ・レヴィ(1894~1982)がLP初期の1950年頃に「LUMEN」なるレーベルに録音した、J・S・バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲である。このLPは最も高価な初期LPからの復刻だそうですが、オリジナル音源そのものの録音が良かったのと、復刻が丁寧になされているようで音質面での不満はほとんど感じさせない。また現在と作品と比較してもスタイルの古さを感じさせない所は流石でもあり、改めてチェロリストを知ったことに感謝する。次にフランスのピアニストヴラド・ペルルミュテールVlado Perlemuterもじっくり堪能したいピアニストでもある。ブラボー!

バッハ:インヴェンションの音楽で聴ける、あの特有の装飾音・装飾記号とは・・・についての考察

2025年01月05日 | J.S.バッハ制作音楽

今年はグスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt)没後十年になった。筆者が好きでチェンバロ音楽を最初に聴いた鍵盤奏者でもあり指揮者でもある、バロックファンにもお馴染みの演奏者である。鍵盤奏者、指揮者。

1928年5月30日生まれ。オランダ出身。バーゼル・スコラカントルムでE・ミューラーに師事。ウィーン音楽アカデミーでスワロフスキーに指揮を学ぶ。卒業後教鞭をとり、コープマンなどを育てている。55年レオンハルト合奏団を組織。古楽演奏の先駆者として、アーノンクールやクイケン兄弟とともに、バッハのカンタータ全集の録音をはじめとする革新的な活躍を続ける。その功績としてオランダ政府からベアトリクス女王オラニェ名誉メダル、ベルギー政府からベルギー王冠賞などを授けられる。2012年1月16日、アムステルダムの自宅にて83歳で死去。すでに十二年の歳月が流れすぐに命日でもある・・・



筆者が20歳代初め聴いたバロック音楽の魅力とは、何であろうか?何故バロック音楽に興味を持ったのであろうか等考えたが、どうやらそれはこの(バッハ)時代の演奏によるものかもしれない、現在で言われる曲の装飾音にもよるのであろう。



毎日の日課の早朝散歩は日が昇るは徐々に早くなっている、モジャ君は早朝散歩は大好きであるが、我が家の今では電気式毛布の上に鎮座し暖かくしている、この犬は冬は強いはずなのに・・・不思議である。

バッハ(1685-1750)の「インヴェンションとシンフォニア」は調性順に演奏するのが慣例となっていますが、インベンションとは「創意・工夫」のことを指し、その後もヴィヴァルディの協奏曲集作品8には、『和声と創意の試み』という名称がつけられている。 このようにインベンションとは、バッハが『インベンションとシンフォニア』への序文の中でも触れたように、原義を離れて、探究・発見されるべき曲想、といったほどの意味で使われていると言われている。

またバッハは、1723年に完成した15のインヴェンションと、15のシンフォニアの草稿の表紙に次のような文章を載せています。
Auffrichtige AnleitungAufrichtig  正直な、率直な、誠実なAnleitung 手引き、指導、指示、使用説明書、マニュアルクラヴィーアの愛好者、特に学習熱心な者が、J.S.バッハは「クラヴィーアの愛好者、とくにその学習希望者に、(1)二つの声部をきれいに弾きこなすだけでなく、更に上達したならば、(2)三つのオブリガート声部をも正しく、かつ、手際よく処理し、あわせて同時にインヴェンツィオをたんに得るだけでなく、それをたくみに展開し、そしてとりわけカンタービレの奏法をしっかりと身につけ、しかもそのかたわら作曲への強い関心をも養うための明確な方法を教示するところの、正しい手引き。アンハルト=ケーテン侯宮廷楽長ヨハン・ゼバスティアン・バッハ これを完成す。1723年。」

と表題にしている、バッハは完成した曲集の扉に自らこのようにしたためた。《インヴェンション》と《シンフォニア》は、長男フリーデマンのレッスン用の小品を集めて改訂したものであり、その成り立ちから既に教程としての性質を持っている。しかし、ここに書かれていることの真意はいったいなんだろうか?

答えは、多分毎日の日課として右手と左手の対話をさせたのではあるまいか、当時のバロック音楽は演奏の仕方工夫をし楽しい演奏を心がけそれが一番の練習だと伝えたのではあるまいか?



上記楽譜はインヴェンションの楽譜でありこの下に現在に仕上げた楽譜でもあるが、学生時代には教えて頂いた事のない記号が明記されている!

例えばJ.S. Bach: Inventions and Sinfonias, BWV.772~786, BWV.787~801のnventionsの楽譜をのぞいてみよう。上記に示したように装飾音が使われた楽譜であり、楽譜を見やすくするためにプラルトリラーとモルデント記号を入れて仕上げた楽譜でもある。



筆者がバロック時代の音楽に興味を抱き未だ聴き続けるには、この時代特有の装飾音であろう、初めて聴くこの音色は適当に付けられた装飾音だと思ったが、それにはバロック時代特有のルールがあったのです。

以下の様に解説しているのです「装飾音や記号をつかう主な理由は、飾りの音が入ることで演奏やそのフレーズ自体をよりきらびやかにするためです。 装飾音のことを、英語では「Grace Note(グレースノート)」と呼び、Graceには「飾る」という意味以外にも「優美」や「優雅」という意味もあることからもその音が伺えます。 ただ、その細かいニュアンスを、音符で忠実に書き込んでしまうと楽譜がとても見にくくなってしまいます。 そのため、音符や記号を使って五線の中や周りに表記します。 装飾音がついている大きな音符のことを親音符(親音)と呼びます」
より細かい音のニュアンスを具体的に表すために使われる音符や記号です。種類が多岐に渡り、古い時代では作者によって多様な解釈がありました。

プラルトリラーとモルデント



音符の上のギザギザ波打った記号がプラルトリラー(Pralltriller)です。
この記号がつけられた音符は元の音、2度上(長2度もしくは短2度)の音、元の音の順に演奏します。



このようにプラルトリラーに#やb、ナチュラルなどの変化記号がつく場合があります。
その場合は元の音ではなく、プラルトリラーによって付加される音 = 2度上の音を変化記号に則って演奏します。



モルデント(Mordent)はプラルトリラー記号に縦線を加えた記号です。
プラルトリラーが2度上の音と元の音を行き来するのに対し、モルデントは2度下の音とを行き来します。

トリル(trill)



「ド」と、その一つ上の音「レ」をすばやく交互に演奏します。
「ドレドレ」と弾くか「レドレド」と弾くかは、その曲が作られた年代や作曲者または演奏者の表現によって変わりますが、トリルの終わりはどちらも「ド」になります。

以上の様な記号を感じバッハの演奏を聴けばまた一歩バッハに近づく様な気がするは筆者だけであろうか・・・
また、バッハは音楽家を育てるのに、両手を使った鍵盤音楽の演奏技術を身に付けさせることから始めた。手の運動と結びつけることで、より自然な音楽性を習得するためである。ここで用いられるのはしかし、バロック時代特有の通奏低音、すなわち低音に対して適切な和音を右手で補充するという書法ではない。すべての声部が掛け替えのない「オブリガート」パートであり、それぞれを「カンタービレ」に演奏すべく書かれている。そして独立した各声部は、和声の中でひとつに溶け合う。厳格対位法とカンタービレ、旋律と和声。一見すると簡明な2声および3声の作品群は、実は「多様なものの統一」という16-17世紀の大きな美学的命題を負っているのだ。
《インヴェンション》と《シンフォニア》はその範例として書かれており、バッハの持てる鍵盤音楽のきわめて多様な様式を見ることができる。いってみればバッハの音楽世界の縮図である様に感じたのである。



装飾音は良く見ると楽譜には明確に示してもあり、バロック時代の雰囲気を奏でる魅力ある記号だったのかもしれない。その様な事を思い好きなレオンハルトのインベンションを改めて楽しむ事もオツな気分でもある。

J.S.バッハのインヴェンションとシンフォニア Inventionen und Sinfonien(BWV 772-801)は、クラヴィーアのための曲集です。「インヴェンション」は二声部、「シンフォニア」は三声部で作られているので、2声のインヴェンションと3声のシンフォニアと表記されることもあります。

J.S.Bach:インヴェンションとシンフォニア(Inventions and Sinfonias)        
     BWV.772~786, BWV.787~801 
 1.インヴェンション第1番ハ長調 BWV 772
 2.インヴェンション第2番ハ短調 BWV 773
 3.インヴェンション第3番ニ長調 BWV 774
 4.インヴェンション第4番ニ短調 BWV 775
 5.インヴェンション第5番変ホ長調 BWV 776
 6.インヴェンション第6番ホ長調 BWV 777
 7.インヴェンション第7番ホ短調 BWV 778
 8.インヴェンション第8番ヘ長調 BWV 779
 9.インヴェンション第9番ヘ短調 BWV 780
 10.インヴェンション第10番ト長調 BWV 781
 11.インヴェンション第11番ト短調 BWV 782
 12.インヴェンション第12番イ長調 BWV 783
 13.インヴェンション第13番イ短調 BWV 784
 14.インヴェンション第14番変ロ長調 BWV 785
 15.インヴェンション第15番ロ短調 BWV 786



 16.シンフォニア第1番ハ長調 BWV 787
 17.シンフォニア第2番ハ短調 BWV 788
 18.シンフォニア第3番ニ長調 BWV 789
 19.シンフォニア第4番ニ短調 BWV 790
 20.シンフォニア第5番変ホ長調 BWV 791
 21.シンフォニア第6番ホ長調 BWV 792
 22.シンフォニア第7番ホ短調 BWV 793
 23.シンフォニア第8番ヘ長調 BWV 794
 24.シンフォニア第9番ヘ短調 BWV 795
 25.シンフォニア第10番ト長調 BWV 796
 26.シンフォニア第11番ト短調 BWV 797
 27.シンフォニア第12番イ長調 BWV 798
 28.シンフォニア第13番イ短調 BWV 799
 29.シンフォニア第14番変ロ長調 BWV 800
 30.シンフォニア第15番ロ短調 BWV 801
演奏:グスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt)1974年



レオンハルトはひとつひとつの短い曲に豊かなアーティキュレーションと控えめだが自在なフレージングで個性を与え、全体的にも精彩と変化に富んだ曲集に仕上げている。また良く聴いているとレジスターの使い分けも多彩で、チェンバロの機能と音色の魅力を巧みに引き出しているところにも斬新さがある。
鍵盤楽器の学習者にとってバッハのインヴェンションとシンフォニアは避けて通れない、言わば必須の練習曲だが、レオンハルトの演奏はそうした教則本をイメージさせるような陳腐さや退屈さから一切解放された、音楽としての価値を改めて問い直し、最高の教材は同時に最高の芸術作品でなければならないというバッハ自身の哲学を実践した演奏と言えるだろう。

特にシンフォニアになると各声部を注意深く感知させるだけでなく、装飾音の扱いにもさまざまな工夫が聴かれるし、時には大胆とも思える拍内でのリズムのずらしやハーモニーを崩して弾く方法を試みて、チェンバロ特有の表現力の可能性を追究すると共に、この曲集の持つ音楽的な高みを明らかにしている。



最近よく聴く先日ジャンパーケーブルを製作し現在もそのまま視聴するが、FYNE AudioF500の音は確かに中高音が素直で、音ではなく音楽を聴かせるタイプのスピーカーでもあり大変聴きやすい音がする。最近よく聴くイタリアの巨匠鍵盤奏者ロレンツォ・ギエルミの奏でるフランス組曲などの演奏は実に華々しいチェンバロ演奏は好きで聴くことが多い。嬉しい事に後日第4番~第6番が発売された事を知った。

正月早々安価な金属磨き(ピカール)で丁寧にスピーカーケーブルおよび取り付け器具回り等、勿論愛機TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetも同時に磨いた、今までは無水アルコール等にてメンテナンスしていたがピカールが一番汚れが落とせる湯である、各取り付け金具は綿棒にて念入りに磨いたが、最初は黒い汚れが付着し2〜3回と続け黒い汚れが綿棒に付かなくなった、意外と何度も磨きをしなければならないがその後再び接続したが、音質はクリヤーな感じと相なる訳である、これこそお金をかけないでのグレートアップとしてはお勧めでもある、年一度程はピカールでの清掃が効果的でもある様です。

装飾音の事を理解し現在での演奏は一般的にピアノを用いた演奏をスタンダードとするが、バロック音楽はチェンバロの演奏で楽しみたい、幸いオーディオ愛好家でもありそこそこの音が鳴ればバロック時代の演奏の雰囲気は楽しめる。勿論ピアノ演奏も勿論良いのですが、温かい部屋での上手く調整した音響機器でのバロック音楽を楽しむ事も良い方法でもある、ブラボー!

2025年が始まる・・・、例年の如く穏やかな歳が過ごせる事を祈ります。

2025年01月02日 | クラシック音楽・オーディオ


昨日このブログアップしたのであるが、何度試みても写真アップが出来ないようで文章のみのアップになる事となった、大変申し訳ない事であった、幸いにも本日写真画像を登録でき補正をした次第でもあります。



此奴も朝日を浴び何時も一緒に早朝散歩、実に元気である、今年5歳になるが随分大人の顔になってきた様に感じる、10年過ぎれば筆者も87歳一緒に散歩に行けるか心配でもある。此奴は人生最後の愛犬となるであろう、毎日の散歩のお陰か血圧(数値130〜78)が安定してきた様である。現在のみ薬は控えています。

皆さまあけましておめでとうございます。我が家の正月は2日から始まった、勿論早朝7時少し前に家を出て先ずは初日の出に参拝する元旦も快晴でいつもの公園に行く歩道橋上での参拝になるAM7:15頃には日の出である。そしてモジャ君と近くの競馬学校入り口付近にある天神社、この神社は筆者の自宅近くのJRA競馬学校騎手過程の生徒さんが「騎手免許合格祈願」に参詣するそうで、競馬学校との関わりも深いのです。 白井木戸天神社は、菅原道真公を祭る神社です。 創建は、享保15年(1730年)と伝えられています。所謂勉学の神様でもあります。



帰宅後シャワーを浴び朝食の支度ごは食卓に、先ずは冷蔵庫から純米酒を取り出す軽快でなめらかな口当たりとたしかな旨味が特長だそうです、昨年我が家でいただいた日本酒で印象に残ったのが「越後鶴亀 純米」でしたので正月用として取り寄せしました。後味のキレも良く料理を選ばない冷やしても美味しいお酒です、穏やかな歳が過ごせる事を祈り乾杯から始まる。助年は昨年那珂港に行った時冷凍品の鯨のブロックを購入した鯨が食卓に並びお酒とのアテには実に魚と違った旨さを感じた。奥方曰く歳と共にお酒の量は減ったと行っているが、先ずは今年からは揃って後期高齢者に突入でもあった、何よりも健康第一である、モジャ君との毎日の散歩も健康的な習慣であるように思う。

昼からの酒は早めに酔いが回る、しばらくの間休んでから食後の珈琲を淹れ自分の部屋に行き。アンプに火をいれる・・・

バッハ好きの筆者は、当時元旦にライプツィヒでこの曲を作曲し、1725年1月1日に初演したイエスよ、いまぞたたえられん (BWV 41)が正月を飾る曲としては相応しいのであろうが、今回はタンノイユニットが最も上手い具合に鳴る曲を選んでみました。それと昨年の暮れに仕入れたスピーカーFYNE AudioF500とタンノイユニットの聴き比べも兼ねて新春は心新たに好きなベートーヴェン:弦楽四重奏曲から聴き始めた。
一般的には弦楽四重奏曲第14番は高い評価が与えられているベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の中でも、最高傑作の呼び声が高い第14番ではあるが筆者の好みは。作曲年代:1825年初春〜8月初旬「弦楽四重奏第15番 イ短調」Op.132が好きである、作品には次のような解説があります。)当時ベートーヴェンは昼夜を徹して作曲することもあって疲労がたまり、4月半ばごろから床に臥すことが続いて18日にはかつての主治医アントン・ゲオルク・ブラウンホーファー博士に往診依頼の手紙を書いている。ブラウンホーファー博士は投薬と食事療法と十分な睡眠を徹底する治療にあたった。5月になると軽い散歩ができるまでに回復し、いつもの年より早めにバーデンに保養を兼ねて移ることにした。
中断していた「イ短調」四重奏曲の作曲に戻り、第3楽章には「病癒えし者の神への聖なる感謝の歌」と表題したリディア旋法による宗教的敬虔さの漂う美しい音楽を書き上げていたのでしょう。その時期があったからこそ第3楽章の美しい響きが生まれたのですね。その表題や、演奏時間が長さからは、回復したことの喜びが伝わってくるようです。



勿論演奏はドイツのズスケ四重奏団Suske-Quartettを採ります。ズスケは東独エテルナ原盤、1967-1980年ドレスデンのルカ教会での録音、リーダーのカール・ズスケはこの録音のあと、グループを解散します。ズスケはその後名門ゲヴァントハウス四重奏団の第1Vnなどを勤めます、むろんそこで素晴らしい演奏をしたのでしょうが、録音の話は聞かないと言われてます。

Complete String Quartets : Suske Quartet
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集

 Disc6
 ・弦楽四重奏曲第12番変ホ長調 Op.127
 ・弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 Op.131

 Disc7
 ・弦楽四重奏曲第15番イ短調 Op.132
 ・弦楽四重奏曲第16番ヘ長調 Op.135

ズスケ四重奏団 :カール・ズスケ(第1ヴァイオリン)
         クラウス・ペータース (第2ヴァイオリン)
         カール・ハインツ・ドムス (ヴィオラ)
         マティアス・プフェンダー(チェロ)



国内ではズスケ四重奏団の名で活動していたが、外国向けには『ベルリン・シュターツカペレの四重奏団』として、「ベルリン四重奏団」の名が使われているのである。そして更に、1975年にズスケはゲヴァントハウス管弦楽団に出戻る。師であるボッセが指揮者としての活動の多忙などのためコンマスの引退を決意、後任には愛弟子のズスケしか考えられない、という意向だったと思われる。残されたベルリン・シュターツカペレのコンマスにはバッツドルフが就任。ここでも伝統に則りバッツドルフは新団体としてのベルリン四重奏団を創設する。しかし、突然の交代だったためか第一ヴァイオリンのバッツドルフ以外は、ズスケ四重奏団のメンバーが残るのだ。

リーダーだけが違うベルリン四重奏団がここに生まれるのだが、なんと進行中だったベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の録音を完結させるため、1980年までズスケ四重奏団としても並行して活動を続ける異常事態が生まれる。ズスケ本人はゲヴァントハウスのコンマスとして、「ゲヴァントハウス四重奏団」のリーダーの責務がある中での話なのでベルリンとライプツィヒを行ったり来たりの生活を送ったことになる。しかもETERNA録音の大半がドレスデンのルカ教会スタジオである。この時期のズスケはドイツ南北間の大変な移動を毎度の様に行っていた事だろう。1980年にベートーヴェン全集録音を終えると同時に、ようやくズスケ四重奏団としての活動を正式に終了。



今までTANNOY IIILZMonitor Goldでの視聴は弦楽四重奏曲の演奏が最適とは思っていたが、GOODMANS AXIOM 80の箱に移植後色々補修をし修復ごの弦楽四重奏曲の演奏はすこぶる良きなった、最近導入したFYNE AudioF500も手を加え比べては見たが、TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetの奏でる弦楽四重奏の全体の音楽性はF500では決して超えられない深さがあるように感じるこの頃でもある。
古典派の完成とロマン派の創成 したがってベートーヴェンの音楽史における位置付けは、古典派音楽の完成者であると同時に、新しいロマン派音楽の開拓者とされているわけだ。 そう捉えれば、ベートーヴェン後期の作品群はロマン派の音楽だと言っていいことになる。形式よりも感情を重要視する。筆者が感じるベートーヴェンの弦楽四重奏曲はこの3つの曲魅力を感じている。第12番作品127と第14番作品131、そして第15番作品132の3曲である。ブラボー!



今年も人気のないブログもバッハの音楽中心に掲載を続けようと思いですので、ぜひ偶には覗いてみてください。宜しくお願いいたします。