伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

9月も今日で終わり、すっかり過ごしやすい秋らしい季節に聴くJ.S.バッハのオルガンの演奏を検証する。バロックヴァイオリン演奏のアナイス・チェンの音が光る!

2024年09月30日 | J.S.バッハ制作音楽

以前にも紹介したアナイス・チェン(Anaïs Chen)はヴァイオリンのソリストで、コンサートマスター、室内楽奏者として重要な会場での演奏し、昔の音楽は、内なる関心と、歴史的な背景や習慣に関する現代の研究を実践する努力を持って演奏すれば、再び生き生きと蘇えることができると私は信じています。さまざまな演奏テクニック、元の楽譜の準備、さまざまな時代のさまざまな国民的様式の特徴、装飾、縮小など、検討すべきさまざまな検討アイデアや未解決の問題につながります。彼女はチューリッヒとデトモルトでモダンバイオリンを学んだ後、バロックバイオリンに転向し、月間芸術大学とバジリエンシス・スコラ・カントルムで修士号を取得しました。

アナイス・チェンの持つ弓を見れば一目で古楽器演奏者と判るが、以前にも
アナイス・チェン(バロック・ヴァイオリン) /アレクサンドラ・イワノワ(チェンバロ)演奏のJ.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014 – 1019を紹介させて頂いた時には気が付かなかったがバロック・ヴァイオリンの音色が今回のBW V1001を聴きながら何か音色に深みを感じたBWV 1014 – 1019録音時は2018年今回の演奏は2024年しかも今回はドイツ、ポーニッツ、フリーデンス教会での録音とあるが、録音条件にて随分音色が変わる様である。




スイスのヴァイオリニスト、アナイス・チェンは、チューリッヒとデトモルトでモダンヴァイオリンを学んだ後、バロックヴァイオリンに転向し、ベルリン芸術大学(2007年)とバジリカ合唱団スコラ・カントルム(2010年)で優秀な成績で修士号を取得しました。

再度申し上げると、筆者も過去に数々のヴァイオリン演奏者の音を聞いてきたが今まで感じたバロック・バイオリンの音が若干違って聴こえるのである、以前紹介したJ.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014 – 1019アナイス・チェン(バロック・ヴァイオリン) – アレクサンドラ・イワノワ(チェンバロ)の鳴り方が今回紹介するアルバムJ.S.バッハ: チェンバロ協奏曲(オルガン版)+無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 教会オルガンによるオルガン協奏曲演奏の魅力を堪能 バッハのオルガン曲全集を制作進行中のハルーベックが、古楽器アンサンブル「イル・グースト・バロッコ」と共に、バッハのチェンバロ協奏曲をオルガン協奏曲にアレンジしたヴァージョンをレコーディング。ブックレットには、ストップやペダル、ピッチなどのオルガンに関する詳細な情報も記載されています。

まあ一般的にクラシック音楽を本格的に聴きたいという方には有力な選択肢の一つにはTANNOYユニットのエンクロージャーをお勧めしますが、何故か自宅で鳴らすTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetではオルガンの低域は以前と比べ随分は良くなったが、10吋ユニットの限界を感じるのである。音質については、永い間10吋タンノイユニット聴き続けると久しぶりに聴くLS3/5aと聴き比べ確かにヴァイオリンの音はLS3/5aで単独に聴けば、この様な小さな箱から出る音とすれば胴泣き等の音は良いと思うが音楽の漂うヴァイオリンから醸し出される響きの自然な音を感じない所に不満を感じるのであろうか?
これはヴァイオリンの音を出す、事と 出る、の違いであろうか?確かに筆者の頭の中身はTANNOYの持つ独自の音に冒されているのであろう・・・



今回はジルバーマン・オルガンを使用
ライプツィヒ近郊、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国の荘園集落ポーニッツは、1728年にフォルクマル・ディートリッヒ・フォン・ツェーメンから娘のドロテアとクリスティアーネに継承。2人は1734年に教会を完成させ、1737年にはオルガンをクリスティアーネの夫、カール・アウグスト・フォン・デア・プラニッツとの連名で寄贈しています。オルガン製作者のゴットフリート・ジルバーマンは、ザクセン王国で国王アウグスト3世に仕えており、本来は王国外での仕事は認められませんでしたが、国王がポーニッツの貴族と友人だったことで製作を請け負うことが可能となり、1737年に完成させています。



パイプオルガンは、鍵盤から選択したオルガンパイプに加圧空気を送り込むことで音を鳴らす楽器です。各パイプは単一の音程を生成するため、パイプはランクと呼ばれるセットで提供され、各パイプはキーボード コンパス全体で共通の音色、音量、構造を持っています。
パイプオルガンの起源は非常に古く、紀元前3世紀にまで遡ります。その頃にはすでに、オルガンの原型というべきものが製作されていたと言われています。その後、宗教に深く結びついた楽器として徐々に地位を確立していき、13世紀に入ると教会設立時には必ずパイプオルガンが設置されるほどに発展しました。以降、特に欧米では、教会での礼拝や集会時に用いられる身近な楽器として親しまれています。
我が国においては、19世紀に起こった文明開化をきっかけに、オルガン音楽の導入が始まりました。当時はまだ稀な楽器であったパイプオルガンでしたが、昭和50年台を境に状況が変化していきます。文化施設が拡充されると共に音楽ホールが各地で誕生し、パイプオルガンも同時に併置されるようになったのです。現在、国内の主要なホールや劇場には個性豊かなパイプオルガンが設置されており、日本のクラシック音楽シーンにおいて、なくてはならない重要な楽器として多方面で活用されています。

パイプオルガンは、鍵盤から選択したオルガンパイプに加圧空気を送り込むことで音を鳴らす楽器です。
パイプオルガンは風をパイプに送り、空気を振動させて音を出します。風箱(かざばこ)という箱の上にパイプをずらりと立てて、鳴らしたいパイプに下から風を通します。圧力をかけた空気がパイプを通って音を鳴らすというのは、まさにリコーダーを吹くのと同じ原理です。
パイプオルガンの起源は非常に古く、紀元前3世紀にまで遡ります。その頃にはすでに、オルガンの原型というべきものが製作されていたと言われています。その後、宗教に深く結びついた楽器として徐々に地位を確立していき、13世紀に入ると教会設立時には必ずパイプオルガンが設置されるほどに発展しました。以降、特に欧米では、教会での礼拝や集会時に用いられる身近な楽器として親しまれています。



我が国においては、19世紀に起こった文明開化をきっかけに、オルガン音楽の導入が始まりました。当時はまだ稀な楽器であったパイプオルガンでしたが、昭和50年台を境に状況が変化していきます。文化施設が拡充されると共に音楽ホールが各地で誕生し、パイプオルガンも同時に併置されるようになったのです。現在、国内の主要なホールや劇場には個性豊かなパイプオルガンが設置されており、日本のクラシック音楽シーンにおいて、なくてはならない重要な楽器として多方面で活用されています。
パイプオルガンのパイプは、発音機構の面から主に2種に分類することが出来ます。
まず、リコーダーのように管自体が響く「フルー管」、そしてクラリネットのようにリードが振動する「リード管」です。これらのパイプは個々に異なる音色を備えており、それぞれ名前がつけられています。
「フルー管」の多くを占める「プリンシパル」というパイプ群は、その名前の通りオルガンの基本となる金属製のパイプです。楽器の表に見える大きなパイプはプリンシパル系のもので、オルガンらしい輝かしい響きがします。



「リード管」の代表的なストップで、明るく響く「トランペット」族は、曲のキャラクターや音色、音量を変えるときに使われます。トランペット族を組み合わせた合奏は、まるでオーケストラのような響きを生み出します。
イル・グースト・バロッコ(古楽アンサンブル) 2008年、イェルク・ハルーベックによってシュトゥットガルトで設立。全員がバーゼル・スコラ・カントルムで学んでおり、レパートリーは17~18世紀の音楽を中心に、コンサートから オペラ、教会音楽まで網羅。曲種によって、室内楽から大編成のアンサンブルまで対応しているそうです。

鍵盤の他に色々なボタン、ペタル等操作も複雑で其々の管により音も違い相当熟練しなければ厄介な鍵盤楽器でもある。
やがて長年酷使し続けてきた目が、疾患を起し1750年、65歳バッハは昇天するがその功績はその後百年もの眠りに付くのである。



今回のアルバムはオルガニストのイェルク・ハルーベック( örg Halubek)1977年、西ドイツのベックムに誕生した。シュトゥットガルトとフライブルクで教会音楽、オルガン、チェンバロをヨン・ラウクヴィークとロバート・ヒルに師事したのち、バーゼル・スコラ・カントルムで、アンドレア・マルコンらに師事した逸材とのアルバムでもある。



イェルク・ハルーベックは現在、指揮者、チェンバロ奏者、オルガン奏者として活動する古楽のスペシャリストで、シュトゥットガルト音楽大学で歴史的鍵盤楽器の教授としても活動。J.S.バッハのオルガン曲全集を制作進行中のハルーベックが、古楽器アンサンブル「イル・グースト・バロッコ」と共に、バッハのチェンバロ協奏曲をオルガン協奏曲にアレンジしたヴァージョンをレコーディング。ブックレットには、ストップやペダル、ピッチなどのオルガンに関する詳細な情報も記載されています。

今回紹介のアルバムです。
J.S.バッハ: チェンバロ協奏曲(オルガン版)+無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 教会オルガンによるオルガン協奏曲演奏の魅力を堪能。



J .,S.バッハ [1685-1750]

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV 1001
 1. アダージョ 03:34
   アナイス・チェン(ヴァイオリン)

オルガン協奏曲 ヘ短調(チェンバロ協奏曲第5番 BWV1056)
 2. I. (...) 03:43
 3. II. ラルゴ 02:55
 4. III. プレスト 03:30
    イェルク・ハルーベック(オルガン)
    アナイス・チェン(ヴァイオリン I)
    ザビーネ・シュトッファー(ヴァイオリン II)
    クリシュナ・ナガラーヤ(ヴィオラ)
    ヨナタン・ペシェク(チェロ)
    フレート・ウーリッヒ(ヴィオローネ)

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV 1001
 5. II. フーガ 05:58
   アナイス・チェン(ヴァイオリン)

オルガン協奏曲 ニ短調(チェンバロ協奏曲第1番 BWV1052)
 6. I. アレグロ 07:38
 7. II. アダージョ 05:34
 8. III. アレグロ 08:18
    イェルク・ハルーベック(オルガン)
    アナイス・チェン(ヴァイオリン I)
    ザビーネ・シュトッファー(ヴァイオリン II)
    クリシュナ・ナガラーヤ(ヴィオラ)
    ヨナタン・ペシェク(チェロ)
    フレート・ウーリッヒ(ヴィオローネ)

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV 1001
 9. III. シチリアーナ 02:47
    アナイス・チェン(ヴァイオリン)

オルガン協奏曲 ト短調(チェンバロ協奏曲第7番 BWV1058)
 10. I. アレグロ 03:42
 11. II. アンダンテ 05:32
 12. III. アレグロ・アッサイ 03:39
    イェルク・ハルーベック(オルガン)
    アナイス・チェン(ヴァイオリン I)
    ザビーネ・シュトッファー(ヴァイオリン II)
    クリシュナ・ナガラーヤ(ヴィオラ)
    ヨナタン・ペシェク(チェロ)
    フレート・ウーリッヒ(ヴィオローネ)

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV 1001
 13. IV. プレスト 04:07
   アナイス・チェン(ヴァイオリン)

  録音:2022年8月、ドイツ、ポーニッツ、フリーデンス教会
  使用オルガン:ゴットフリート・ジルバーマン製作(1737)



この作品を聴き思うはバロックヴァイオリンで奏でるAnaïs ChenのJ.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ独自の古楽器の音である様に感じた。最新の古代楽器でバッハを奏で楽しんでいる様な作風はいかにも現代的な演奏者の表現と言えるのかもしれない。
しかし思えばこのアルバムはオーディオマニアにも大変興味ある曲の数々に思う、パイプオルガン独自の重厚な重低音、確かにバロックヴァイオリンではあるが、ヴァイオリンの微尿な音、テストしたい音は非常に多く、これらの楽器の様々な音の表現は皆様お使いのエンクロージャーの音質を聴き分けるには大変興味ある演奏でもある、コンパクトなエンクロージャーではオルガンの音質はイマイチ不満なる部分が出てくる感じがする、筆者の使う定評あるLS3/5aでも視聴したが教会での演奏するオルガンの雰囲気を体験する感じはタンノイの10吋とは違いやはりタンノイユニット完成度は素晴らしい。

ここで改めて視聴したが、確かに以前紹介したJ.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ BWV 1014 – 1019の演奏もやいへん有名なミシェル・オークレール & アラン編曲のオルガンとの独自の演奏に若干の違和感を感じていたがオルガン独自の重厚感はチェンバロでは味わえないJ.S.バッハ像を伺える方式でもあろう。演奏者達自身が演ずる楽器で様々なバッハの表現する音楽は常に新しい音楽の表現方法でもあろう・・・



話は変わるが今年4歳になった筆者の愛犬のモジャ君であるが、少し早めにサロンで毛を整えました、過ごし訳すなったのであろうか、今日は元気に小走りに走りだす始末で、今朝は早朝ドジャーズの大谷投手の野球中継も気になるが、散歩に早朝に連れ出す、散歩後はシャワーを浴びテレビを見ながらモジャ君の毛を乾かし大谷は最後打席ヒットを打ち今季最後のリーグ戦を終了。大変な記録が記憶されるシーズンであった、実に一年楽しませて頂き感謝でもある。

その後珈琲を淹れブログアップロードしている、今回のアナイス・チェンのJ.S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 を聴き全集も是非聴きたい、又パルティータ第2番 ニ短調 BWV 1004(シャコンヌ)は勿論全曲聴いたみたい欲求が残るアルバムでもある。
実に深みのあるバロック・ヴァイオリンの独特の豊かな音色を楽しませせてもらったのは事実でもある・・・ブラボー!

秋の夜長に聴くは、カール・ズスケのヴァイオリン演奏でバッハとベートーヴェンを考察する。

2024年09月23日 | クラシック音楽・オーディオ

秋分の日も過ぎやっと秋らしい季節が来た様である、今年早々地震被害に遭われた能登半島地方が記録的豪雨被害が甚大とのニュースが報道され被害に遭われた方には一刻も早い生活が戻れるよう心からお祈りします。

全く興味も無い岸田退任後の自民党総裁戦関係がニュースを賑わすが、ゴミ袋問題で名を下げた小泉進次郎氏の雲行きが最近益々怪しいようで、YouTubeを賑わしている様で紹介でする、昔から火のない所に煙は立たずと言われるが一応参考程度に紹介するのでお暇な方は一読していただきたい。アンダーラインのクリックでYouTubeに移動しますのでご覧ください。

ガラガラポン新聞、滝川クリステルが大物俳優との"不倫"発覚の真相

 滝川クリステルの華麗なる人生 

小泉進次郎が報道ステーションの公開処刑後から人気急落..."

何もこの様な状況下において立候補する側もされる側も問題多き事があり、日本の将来を見据えて国民が平和で安定した国家となる日本を目指して候補がいるのかが疑問だ、最低でも親中議員等は問題外で削除するべきであろう。



早朝は小雨に見舞われ早朝からモジャ君と散歩に行くが途中雨脚も強くなり、一時歩道橋の下で雨宿りをしながら戯れていると半刻にて小降りになり、自宅に戻った。勿論シャワーを浴びモジャ君の濡れた毛を乾かし、散歩後の「おやつ」を与える。この様な季節になると美味しい珈琲が飲みたくなり、早速い何時もの珈琲豆を計量し豆を挽き珈琲をドリップする、美味しい珈琲の淹れ方を簡単医に紹介します・・・

1.豆を正確に軽量し、挽いた豆を使い、挽いたカスはよく削除する
2.お水は出来るなら鉄分の多いお湯を使い珈琲を淹れる温度に注意個人的には75度前後にしてから淹れる。
3.なるべくお湯の落としはゆっくり初めは必ず少しお湯を落とし蒸らし時間は重要。
4.後はなるべくゆっくりお湯を落とし、最後は全てのお湯は落とさず、フィルターに残ったお湯がドリップ毎廃棄し、珈琲茶碗は充分保温捨て茶碗に注ぎ頂く。

後はシュガー、ミルクは入れないで抽出したドリップコーヒーそのまま頂く筆者の淹れ方の順である。

珈琲独自の美味しいそうなにおいが部屋に広がる、淹れたての低音の珈琲を頂きながら先日も紹介したズスケ四重奏団(Suske-Quartet)のアルバムを探し聴き始める。特にカール・ズスケのヴァイオリン演奏の自然な弦音には実に良き鳴りっぷり聴かせ全く古さは感じない落ち着いたバッハの演奏を感じた。



ズスケ四重奏団(Suske-Quartett)ベルリン弦楽四重奏団は1965年、当時ベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターだったカール・ズスケを中心に首席奏者たちによって組織されました。1966年、ジュネーヴ国際コンクール2位(1位無し)を獲得、たちまち旧東ドイツを代表する弦楽四重奏団に成長。東ドイツ国内では一貫してズスケ四重奏団(ドイツ語表記のSuske-Quartett)を名乗って活動しましたが、国外でのツアーやLPレコードではベルリン弦楽四重奏団(英語表記のBerlin String Quartet)の名称で活動しました。1977年9月にカール・ズスケがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターに転出すると、リーダーはヴォルフ=ディーター・バッツドルフに交代し、団体名もドイツ語のBerliner Streichquartett(ベルリン弦楽四重奏団)を名乗るようになりましたが、ズスケをリーダーとした録音は1980年まで継続し、有名なベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を完結させています。高い評価が与えられているベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の中でも、最高傑作の呼び声が高い第14番である。ベルリン弦楽四重奏団1965年、当時ベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターだったカール・ズスケを中心に首席奏者たちによって組織された。1966年、ジュネーヴ国際コンクール2位(1位無し)を獲得、たちまちドイツを代表する弦楽四重奏団に成長した。



またカール・ズスケ(第1ヴァイオリン)奏者はKarl Suske (カール・ズスケ)。ドイツの男性ヴァイオリニスト。1934年3月15日生まれ。
チェコスロヴァキー州ライヒェンベルク出身。幼少期に父フランツ・ズスケからヴァイオリンの手ほどきを受け、ライヒェンベルクの市立オーケストラで第2ヴァイオリンを演奏していた。第二次世界大戦後、家族とともにグライツ(テューリンゲン州)に移住し、ススケはヴァイオリンのレッスンを再開した。1947年に、グライツで育ったワイマール大学の教師でヴァイオリニストのゲルハルト・ボッセの下で学んだ。1951年にボッセがヴァイオリン教授とMDRライプツィヒ放送交響楽団の第一コンサートマスターとしてライプツィヒに移ったとき、ズスケも同行した。1954年の卒業後、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの第一首席ヴィオラ奏者、後にコンサートマスターに就任した。1962年にはウンター・デン・リンデン国立歌劇場の第一コンサートマスター、1977年にはクルト・マズアの要請でライプツィヒに戻り、ゲヴァントハウス管の第一コンサートマスターに就任した。同時に、バイロイト音楽祭オーケストラのコンサートマスターを1991年から2000年まで9回務め、東京のNHK交響楽団からも繰り返しゲストコンサートマスターを務めた。1951年、師であるゲルハルト・ボッセが新たに結成した弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として入団した。



1955年には伝統あるライプツィヒ・ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者にも就任した。1965年にベルリンでクラウス・ペータース(ヴァイオリン)、カール・ハインツ・ドムス(ヴィオラ)、マティアス・プフェンダー(チェロ)とともに「ズスケ弦楽四重奏団」(後にベルリン弦楽四重奏団)を結成し、ヨーロッパ、アメリカ、日本への客演を行い、ドイツ民主共和国の室内楽界で重要な役割を果たした。1970年、四重奏団は、「国の文化遺産の作品の見事な解釈とドイツ民主共和国の社会主義音楽創造への貢献に対して」ドイツ民主共和国の国家賞を授与された。1980年にレコード・レーベルのエテルナでベートーヴェンの弦楽四重奏曲を全曲録音し、弦楽四重奏団は解散した。

今回はクルト・マズア(指揮)ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるバッハの演奏で、「ドイツ・シャルプラッテンETERNAの芸術」 エテルナのオリジナル・サウンドに最も忠実な音! 第4弾はカール・ズスケによるバッハ協奏曲集と無伴奏、ソナタ&パルティータのこのJ.S.バッハ:バイオリンパルティータBach - Violin Partita No.2 〜Chaconneは皆が絶賛するChaconneは当然良いが筆者はViolin Partita No.3〜Preludioはお気に入りで実に真面目な素晴らしい演奏であると思うのです。


特にこのJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲に着いては筆者が良く家族にお願いすることは、死んだら骨にして海に沈めてくれと頼んでいる。この曲のアダージョを聴くと思うはあくまでも透明な海水の静かな海の中でゆったり揺れ、波と戯れる光景を思い浮かべ、正に死後の世界を漂う筆者を思い浮かべる様である、それほどまでズスケの弦の音は好感が持てる。



【Disc 1】
 ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 BWV1041
 ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042
 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043
 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ
  ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
  パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002
【Disc 2 】
  ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
  パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004
  ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005
  パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006
[協奏曲]
  カール・ズスケ(ヴァイオリン)
  ジョルジオ・クローナー(ヴァイオリンⅡ)
  ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
  ワルター・ハインツ・ベルンシュタイン(チェンバロ)
 クルト・マズア(指揮)
 録音日:1977年4月21~23日、1978年12月11~12日
 録音場所:ライプツィヒ・パウル・ゲルハルト教会
 [無伴奏]
 カール・ズスケ(ヴァイオリン)
 録音日:1983年(BWV1001/1002)、1985年(BWV1003/1004)、1988年(BWV1005)、1987年(BWV1006)
 録音場所:ルカ教会スタジオ、ドレスデン

秋の夜長に楽しむは彼の実力が遺憾なく発揮された、深い奥行きと精神性を感じさせる演奏です。確かに10吋の名品ユニットIIILZ Monitor Goldを組み込んだエンクロージャーで聞くも十二分納得される音室と思うが確かに色々の名演奏を聴く中でも一際群を抜く纏まりとバッハゆかりのライプツィヒで育まれてきた演奏様式が豊かに結実したズスケの名盤が最高音質で蘇る音は実に優れた演奏でもある。



ここで筆者愛用のTANNOYについて述べる、兎に角音質的に優れた点は弦楽器の響きが大変よろしく、ボーカルの甘い響きは、このユニットを鳴らすツボさえ捕まえれば他のユニットでは味わえない魅力的がわかるはずだ。

特にカメラレンズに於いても同じですがここでいう「ヴィンテージ」は単に古いという意味であって、厳密にいつ頃のというものは無い様ですが、TANNOYの10吋については、発売当時の搭載ユニットはMonitorRED(ⅢLZ)、2代目1967年発売MonitorGOLD(ⅢLZmk2)、3代目1974年発売HPD295として販売した様ですがやはりオールドタンノイを語るならば、誠に残念なことに音質の要であったコーン紙工場が全焼により再起不能かと言われたが、薄手の西ドイツ・クルトミューラー社製コーン紙を使用できるように再設計された新型ユニットがⅢLZ in cabinetである。
現代タンノイの源流といっても過言ではないこのIIILZには10インチのモニターゴールドというスピーカーユニットが組み込まれています。むしろこれ以降はヴィンテージタンノイじゃない、という人も多いそうです。筆者に使用するTANNOYの10吋は2代目ⅢLZmk2を使用中である。



本日現在使用するメインアンプのサブ真空管6BM8を松下製から日立製に変更して聴くがヴォーガルは日立製に変えた途端にしっかりした落ち着いた声に安定感が増した、以前このミニ管は色々買い揃えたので予備は充分あるのですが、其々セットで揃えて保管しなければならず不精者の筆者には苦手な作業でもある。
ある程度時間が経過しれば、接点回復剤での洗浄は効果的でもある。

本国のETERNAオリジナル・アナログテープより新規で復刻。1977年と翌年にマズア指揮でETERNAレーベルへ収録されたカール・ズスケ(1934.3.15-)によるバッハのヴァイオリン協奏曲集を世界初SACD化で復刻されたアルバムは手放せない。ライプツィヒで培われてきたバッハ演奏の伝統様式を感じさせるズスケの代表的な録音のひとつとして非常に評価が高い正に名盤です。
確かにこのアルバムは筆者の以前から持つHPD295ユニット装着のTANNOY IIILZ in Cabinetでも良い音はしたのですが現在使用するTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetと比べ品位、自然な音の表現が違い、実に上手い具合に鳴る音かも知れない。確かに以下の様な解説があるので参考にしてください。



全盛期のエテルナのアナログ・レコードの音を限りなく再現すべく、オリジナル音源から新規デジタル・マスタリングした、キングインターナショナルのシリーズ「ドイツ・シャルプラッテンETERNAの芸術」。第4弾は、室内楽の名手カール・ズスケによるバッハ作品集。彼の実力が遺憾なく発揮された、深い奥行きと精神性を感じさせる演奏です。引き続き企画監修は、ヴィンテージレコードショップ「エテルナトレーディング」の店主で、日本にETERNAのレコードを流布させた"仕掛け人"でもある高荷洋一氏。特に今回は、「無伴奏」のオリジナルがデジタル・マスターのため、よりアナログ・レコードに忠実な音質を目指すべく、丁寧にマスタリングを行いました。また解説書には、カール・ズスケの音楽性とその周辺についてより深く追求した、カール・ズスケの音の秘密落ち着きある安定した音が聴こえ安らかな眠りを誘う様でもある。

伝統あるズスケ弦楽四重奏団を聴くにはやはり欧州のスピーカーがとの相性が良いが、この様な音楽を視聴するは、いくら最新のエンクロージャーを使えど駆動するアンプは真空管使用が上手くなる様だが、最新のスピーカーは能率の悪いものありその辺りのバランスさえ合えば球のアンプを薦める。



当時ベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターだったカール・ズスケを中心に首席奏者たちによって組織されました。1966年、ジュネーヴ国際コンクール2位(1位無し)を獲得、たちまち旧東ドイツを代表する弦楽四重奏団に成長。東ドイツ国内では一貫してズスケ四重奏団(ドイツ語表記のSuske-Quartett)を名乗って活動しましたが、国外でのツアーやLPレコードではベルリン弦楽四重奏団(英語表記のBerlin String Quartet)の名称で活動しました。1977年9月にカール・ズスケがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターに転出すると、リーダーはヴォルフ=ディーター・バッツドルフに交代し、団体名もドイツ語のBerliner Streichquartett(ベルリン弦楽四重奏団)を名乗るようになりましたが、ズスケをリーダーとした録音は1980年まで継続し、有名なベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を完結させています。高い評価が与えられているベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の中でも、最高傑作の呼び声が高い第14番である。
改めてルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)は、ドイツの作曲家、ピアニスト。音楽史において極めて重要な作曲家の一人であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。ベートーヴェン好きの筆者にはベートーヴェン弦楽四重奏曲全集(7CD)ズスケ四重奏団のアルバムがある。

この録音には、1970 年代に人気が最高潮に達し、ベートーヴェンの録音が音楽生活の要であったドイツの四重奏団、ズスケ四重奏団が参加しています。このグループのオリジナル ラインナップは、ベートーヴェンの曲で始まり、終わりました。70 年代に録音され、その壮大さと古さをまったく失っていないこの録音は、優れたアルバムです。



ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集
Disc1
 弦楽四重奏曲第1番ヘ長調 Op.18-1
 弦楽四重奏曲第2番ト長調 Op.18-2
 弦楽四重奏曲第3番ニ長調 Op.18-3
Disc2
 弦楽四重奏曲第4番ハ短調 Op.18-4
 弦楽四重奏曲第5番イ長調 Op.18-5
 弦楽四重奏曲第6番変ロ長調 Op.18-6
 弦楽四重奏曲のためのメヌエット 変イ長調 Hess 33
Disc3
 弦楽四重奏曲第7番ヘ長調 Op.59-1『ラズモフスキー第1番』
 弦楽四重奏曲第8番ホ短調 Op.59-2『ラズモフスキー第2番』
Disc4
 弦楽四重奏曲第9番ハ長調 Op.59-3『ラズモフスキー第3番』
 弦楽四重奏曲第10番変ホ長調 Op.74『ハープ』
Disc5
 弦楽四重奏曲第11番ヘ短調 Op.95『セリオーソ』
 弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 Op.130
 大フーガ 変ロ長調 Op.133
Disc6
 弦楽四重奏曲第12番変ホ長調 Op.127
 弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 Op.131
Disc7
 弦楽四重奏曲第15番イ短調 Op.132
 弦楽四重奏曲第16番ヘ長調 Op.135
ズスケ四重奏団
 カール・ズスケ(第1ヴァイオリン)
 クラウス・ペータース(第2ヴァイオリン)
 カール・ハインツ・ドムス(ヴィオラ)
 マティアス・プフェンダー(チェロ)
録音時期:1967~1980年
録音場所:ドレスデン、聖ルカ教会
録音方式:ステレオ(セッション)
原盤:Berlin Classics

第9番作品47イ長調は、1803年に作曲されたピアノとヴァイオリンのためのソナタで、「クロイツェル・ソナタ」の呼び名で知られており、その技術的な難易度の高さと異例ともいえる長さ、規模が大きく非常に風格があるという特徴を持っています。
全盛期のエテルナのオリジナル・アナログ・レコードの音を限りなく再現すべく、マスターテープから新規デジタル・マスタリングした、キングインターナショナルの新シリーズ「ドイツ・シャルプラッテンETERNAの芸術」第2弾は、ズスケ四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集。引き続き企画監修には、ヴィンテージレコードショップ「エテルナトレーディング」の店主で、日本にETERNAのレコードを流布させた“仕掛け人”でもある高荷洋一氏を招き、最大限アナログ・レコードに忠実な音質を目指すべく、徳間より受け継ぎ、キングレコードに保管されているマスターテープからSACD用に通常の3倍の時間をかけマスタリングを行いましたとの詳細がありました。



有名なドレスデン・ルカ教会での録音だが、残響がほどよく、このあたりはマスタリングのうまさだろう。つい耳をそばだててしまう。分解能が高くなっているのだろう、それもあって演奏がいちだんと魅力を増していることはまちがいない。ズスケとメンバーが奏でる美しく清潔な音は、あるときは艶やかでたおやかに、またあるときは力強く激しく、またあるときはさびしく悲しく、聴き手にせまってきて演奏に夢中になってしまう。

タンノイ2代目1967年発売MonitorGOLD(3LZmk2)のエッジはコーン紙がそのままエッジとして使われているフィックスドエッジです。 
以降はHPDと呼ばれるユニットに変わりこちらも素晴らしいものには変わりませんが、やはりオールドタンノイを語るならば、コーン紙が工場火災によりクルトミューラー社製に変わる前のこの時代のユニットは良い製品と思いますヴィンテージと言われるタイプはMonitorGOLDに使われたユニットです。特に弦楽器での再現は特に素晴らしい音を聴かせていただきたます。

若干ハイ上がり気味ですがコントロールの高音を抑えてきけばこれが実に格調高い音質になります。モノーラルで聴けば尚宜しい兎に角Op.131は是非お勧めする、但し此れは間違いなく真空管アンプで聴くべきであろう。安価な真空管でも素直に演奏に浸れる音がします。フレーズごとの表現が実に豊かで、飽きのこない演奏です。勿論テンポも適切だと思います。聴いている瞬間瞬間で音楽を聴く喜びを味わえる素晴らしい演奏だと思います。
60年代のADD録音で,古いですがかえって艷やかな印象は好みです。少し残響が多すぎるかが気になることもある、しかし4人の奏者それぞれの音がしっかり聞こえて、対話しているようでフレーズごとの表現が豊かで、飽きのこない演奏です。テンポも絶妙である。まるで拙宅のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetは水を得た魚のように鳴るのである。ブラボー!

ボッサにたった2年間関わったスタン・ゲッツ(ts)の足跡を振り変える、本当はジャズ音楽を追求したかった様ですね!

2024年09月16日 | JAZZ・ボサノヴァ


細やかな事ではあるが、先日あるニュースを何気なくぼんやり見ると、自民党総裁選の候補者全ての会見をTVで見た、ある候補者議員曰く、靖国問題と自衛隊について明快な発言があり思わず感動した。実に明快に答えていた。防衛大臣でも口に出来なかった言葉である。その内容にについて・・・・

自衛隊入隊時の宣誓書で自衛隊服務宣誓である、全文は・・・
「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」
つまり命令には、命を捧げますという宣誓文である。

上記の服務宣誓書は自衛官になった時に誓う最初の重要な書類であり、一番の疑問は命令する側と受ける側に分かれるが、問題は命令する側に服務宣誓書の意味を理解しているのであろうか?一番の命令権は日本国総理にあり防衛大臣であるがこの意味を全て理解しているか甚だ疑問である。
以前日本の防衛大臣は国会に網目タイツのストッキングで現れたした馬鹿な防衛大臣がいたが大変失礼な行為で、失礼と思わないのであろうか?甚だ疑問に思ったが大人の常識の無知は部分だけ今も残る。マスコミもおしゃれ番長と持て囃し芸能人気取りである、矢張り大手マスゴミその物でもある。



昔明治維新の時の大日本帝国の頃もよく似た宣誓書があったと思う、基本は日本は徳川時代から続く私用で通学した寺子屋にて「読み書き算盤」の基本を学び立派な社会人として相応しい自主教育を施していたからなのであろう。
我が国の歴史書を紐解けば解るが、植民地にした国々にも先ずは、初めは病院と学校を設立を配し教育の大切さを教え、次にインフラ整備を実行した。この行いは江戸自体初期の江戸湾を開拓し水路の交通網を網羅し次に上下水のインフラを手掛けた事と一致する日清戦争にて勝利台湾を日本が制定したが同様の手順にて暮らしやすい国にしている事で今も友好国とし続いている。
明治時代になり尋常小学校を設立し軍人なっても困らない程度の民度の教育に「読み、書き、算盤」を全員に習得させた。この様な基本的な歴史も余り分からない様な自民党総裁選の候補者が果たして自民党総裁になっても恥をかくだけであろう。

ある議員は昔幼少の頃何故日本はあの米国と戦争をしたのであろうかと疑問を持ち30代の頃、先の戦争は米国の大統領ルーズ・ベルト(Franklin Delano Roosevelt)民主党。ニューヨーク州出身、は、モーゲンソー財務長官、ハリー・デクスター・ホワイト財務次官補達で日本を戦争に巻き込んだ張本人でもあるということが解明されたと言われる正に仕組まれた罠であった。
この容易な問題は日本の近代教育で近代歴史は史実を全く語ってない致命書と言えよう、正しいし教育し国民に公表しなければならないであろう。

ロシアのプーチンも語る、米国民主党の連中は右手で握手し左手でナイフで留めを刺すが、共和党は握り拳を作りパンチを浴びせる、何方も嫌いであるが共和党の連中が与し易いと言っている。アイゼン・ハワー以前の米国は欧州の事もある程度考え物事は進めたが今や主権国家として益々傲慢になっている。この様な世界情勢がどこまで見えるかが日本の丞相には大切な事と思う、今後益々心配である。未だ米国の支配下になっている日本もいち早く戦後GHQに押し付けられた日本国憲法の誤りを訂正し、平和な世界を目指す国に憲法はいち早く健康にするべきである。支那、北朝鮮、ロシアに危険な近隣諸国に囲まれる日本でもある。

今は筆者も齢76にもなり思うは歴史は実に興味ある事と思っている。この様に好きな音楽を聴きながらPC等で学べる世界もおもしろき人生でもある。決して過ちを起こさない政治をして頂きたいと願う。



ブラジルの歌手、ギタリスト。作曲家のボサノヴァの父と呼ばれた・アントニオ・カルロス・ジョビンや作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライスらとともに、ボサノヴァを創成したとされているが、スタン・ゲッツ(ts)の聴きやすいサックスの音、そして美しい音色のテナー・サックスが無かったのならあれ程ボサノヴァはメジャーな音楽になっていなかったであろう・・・?
スタン・ゲッツ(ts)はボサノヴァ音楽との関わり合いはたった2年会の短い期間と言う時事とは驚きでもある。

スタン・ゲッツのテナーを聴いてると鬱な気持ちでいても途端に何か思考が替わって自然と聴き惚れてしまう精神安定剤も兼ねてるジャズマンだなと思う、彼の生き様も知って晩年迄の麻薬やアルコール中毒そして癌との戦いと、でもそう言う中でも彼の音楽への姿勢は常に素直でテナーの音にも暗さを感じさせず!特に彼の18番のボサ・ノヴァへの愛着、BGMとして流していても耳の良い人には直ぐにゲッツのテナーの魅力を感じ取れると信じています。今回紹介するGetz For LoversはMoonlight In Vermontの曲はボサノヴァ曲ではあるが何とムードある郷愁を感じさせる曲であり正に秋に相応しい曲でもある。



欧州のスピーカーをお持ちの方は是非引いていただきたいスタン・ゲッツ魅力いっぱいのアルバムをお聴きいただきたい。馴染みやすい音楽と自然に流れるムードあるボッサのリズムの魅力は欧州トーンが大変好ましく部屋に響く様は実にリラックス出来る。そのような魅力いっぱいのサックス奏者について述べる。

1927年2月2日、スタン・ゲッツ(本名:スタンリー・ゲイツキー)は父 アルと母 ゴールディーのもと米国ペンシルベニア州フィラデルフィアで誕生。
父方の祖父母はユダヤ系の移民で、ユダヤ人に対して行われた集団的迫害行為から逃れるため1903年にウクライナの首都キエフから移住してきました。
時代が世界恐慌に直面すると、ゲッツ一家はより豊かな収入を得られる職を求めてニューヨークへと引っ越し。幼い頃は学業での成績が優秀で、小学校6年生の頃はクラスでもトップレベルだったとか。楽器に関心を持った彼は、12歳(中学生)の時にハーモニカを手に入れ、演奏するように。
彼は15歳の時には既にタバコを1日1箱は吸っていた上に、精神的な不安感はアルコールに拠り所を求め、毎晩のように酔っ払っていたようです。このアルコール依存症と後のヘロイン中毒は、彼の人生に大きな影を落とすこととなります。
彼がヨーロッパにいた間、ジャズシーンにはとある変化が。マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンの活躍を筆頭に、アメリカにおけるジャズの流行はモーダルジャズへといつしか変わっていたのです。メトロノーム誌とダウンビート誌という2つのジャズ雑誌でも、人気プレーヤーの座はゲッツからコルトレーンへと移行していった様である。



たった2年間の偶然お遊びで花開いたボサノヴァ音楽である。
1961年、ゲッツは数年間滞在していたヨーロッパから帰国後、彼はギグでチャーリー・バードと知り合い、バードがブラジルで感銘を受けたというジャズとサンバのハイブリッド音楽である”ボサノヴァ”を紹介されます。バードは、アメリカではまだ誰もレコーディングしようとしていない音楽だけれど、と言ったそう。

ゲッツはすぐさまプロデューサーであるクリード・テイラーに録音の機会を設けるよう持ち掛けます。


当時1962年「Big Band Bossa Nova」が発売され人気になったきっかけの様なアルバムでこの後決定的なアルバム1963年発売「Getz/Gilberto」は、アメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと、ブラジルのボサ・ノヴァ歌手ジョアン・ジルベルトが連名で1963年に録音し、1964年に発表したアルバム。アントニオ・カルロス・ジョビンがピアノで参加し、アストラッド・ジルベルトが2曲でボーカルをつとめたアルバムは衝撃的でした。
Getz / Gilbertoはボサ・ノヴァ・ブームを世界中に巻き起こした大名盤。全米アルバム・チャート2位を記録し、収録曲「イパネマの娘」も全米シングル5位。そして、グラミー賞ではアルバムが2部門(最優秀アルバム賞/最優秀エンジニア賞)を受賞し、「イパネマの娘」が最優秀レコード賞を受賞。



本人にとって、ボサノヴァのミュージシャンとみなされるのは本当に嫌だったらしい。あくまでもボサノヴァを軽視しているのではなく、自分はジャズミュージシャンだという気概から、ゲッツがいたからこそボサノヴァの世界制覇が短期間で完了したわけです。

勿論ジョアン・ジルベルトは偉大なミュージシャンでが、当時の世界環境、技術力で、南半球の音楽が世界を制覇するのは容易ではなかった。遅かれ早かれボサノヴァによる世界制覇は実現したと思いますが、「2年間と言うあれだけの短期間で」という条件をつけるなら魅力あるサックスの響きを提供したゲッツの功績は計り知れない事と思いませんか・・・。

しかし今このボッサの曲を曲を聴けば確かに、甘味漂う何処が哀愁があり実にゆったりした気分になるのがこの当時のげっつのメロディであったのであろう。ボサノヴァ(Bossa Nova/Bossaは「傾向、魅力」という意味なので、Bossa Novaは「新しい傾向の音楽」ということになる。)は基本8ビートビートで奏でられるしっとりとした雰囲気の音楽です使用楽器は(クラシック・ギター、 エレクトリックベース、コントラバス、ピアノ、電子オルガン、ヴィブラフォン、ドラムス マラカス、コンガ サクソフォーン、タンボリン)等である、ジャズ(JAZZ)は多くが4ビートです。 基本は2ビートのサンバから生まれたのがボサノバです。



ジョアン・ジルベルトとのアルバム、『ゲッツ/ジルベルト』がそれです。本作では、ジルベルトの妻であるアストラッド・ジルベルトの素人の歌声を気に入ったゲッツが、アルバムのヴォーカリストとして録音に迎え入れました。

実は「ジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンはアストラッドには歌ってほしくなかったようだった。プロの歌手でもないし、ただの主婦だったのだから。アストラッドが歌う『イパネマの娘』と『コルコヴァード』を聴くと英語で歌うことでの響きもとても良く、録音しない理由はないと思った」とゲッツは考えたそう。

その後ジャズ生活を送り1991年6月6日、ゲッツは手助けされ車椅子のままベッド脇の窓辺から朝3時の海を眺めました。夜明け前の暗い海、寄せては返す波を見て彼は何を思ったでしょうか・・・。
その日の夕方、彼の人生は静かにそっと幕を閉じたそうです。晩年に患った肝臓ガンが原因、64歳の生涯でした。彼の人生は、アルコール依存症とヘロインとの闘い、そしてガンとの闘いでもありました。



今は亡きボッサの設立メンバーのこの極徳のリズム、この季節、なぜかボサノヴァが聞きたくなる習性があり、大好きな曲“デサフィナード”をキーワードに検索していたら…掘り当てました!お宝を・・・ 

もともと、ジャズバラードも好きだったものの、ボサノヴァから、スタン・ゲッツに辿り着きました。 


 
ジャズファンなら、きっと誰もが知っているような有名人だと思うのですが、そういった知識が全くなく、ただ自分の耳が探知して心地よさを感知したものだけをよしとしてる私にとっては、ホントにお宝に出会った感じでありました。なんといったらよいのか、とっても癒される。

気持ちの良いサックスの音色。これからのどんよりとした梅雨の時期からけだるい夏からスッキリの秋空にかけては、全くぴったしのサウンドです。
すっかり、聞き惚れ、第2弾 "More Stan Getz"も速攻購入してしまいました。



Getz For Lovers


 1.バーモントの月Moonlight In Vermont
 2.コルコヴァード Corcovado (Quiet Nights Of Quiet Stars)
 3.アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユーI'm Glad There Is You
 4.バット・ビューティフルBut Beautiful
 5.オ・グランヂ・アモールO Grande Amor
 6.アルフィーAlfie
 7.ヒアズ・ザット・レイニー・デイHere's That Rainy Day
 8.ボディ・アンド・ソウルBody And Soul
 9.ザ・ルック・オブ・ラヴLook Of Love, The
 10.リトル・ガール・ブルーLittle Girl Blue
 11.プラ・マシュカー・メウ・コラソンPara Machucar Meu Coracao
 12.デトゥア・アヘッドDetour Ahead
 13.メリンダMelinda
 14.イパネマの娘Girl From Ipanema, The
 15.イフ・エヴァー・アイ・ウッド・リーヴ・ユーIf Ever I Would Leave You

この一枚で要約されるボサノヴァの曲の数々先ずは、1曲目はクラウス・オガーマン編曲指揮のオーケストラをバックにゆったりと吹いている63年の演奏。2曲目は人気作ゲッツ/ジルベルトに入っていた曲。3曲目は57年のスタン・ゲッツ&オスカー・ピーターソンからの選曲。という具合に、おなじみの演奏が次々と登場する。ゲッツは50~60年代にヴァーヴ・レーベルに集中的に録音を行なったので、名演・名作には事欠かない。



本作はその中からバラード演奏を選りすぐったベスト盤なので、まさに名演のオン・パレードだ。激しくブロウするゲッツも魅力的だが、本作に聴かれるような詩情豊かな演奏はこれまたゲッツの独壇場といっていい。マイルドな音色による柔らかな感触のバラード演奏は、聴く者の心を優しく包みこむ。一歩間違うとムード・テナーの世界になりそうなところ、その直前で踏みとどまっているのは、ゲッツのジャズ・ミュージシャンとしての矜持とセンスゆえだろう。

コンボ、ウィズ・ストリングス、ボサノヴァと内容はさまざまだが、一貫しているのはどれも優雅な演奏だという点。モダン・ジャズを代表するテナー・サックス奏者スタン・ゲッツ。オーケストラをバックにサックスの艶やかな音色が漂う「バーモントの月」他、しっとりと甘くムーディーな「コルコヴァード」他、ボサノヴァからジャズ・スタンダードまで上品なバラードで構成した15曲。
この時期になると何故か聴きたくなる懐かしいアルバムでもある、ブラボー!

季節は初秋であるが、暑き日は続く、最新録音のヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタを検証する。

2024年09月13日 | J.S.バッハ制作音楽

九月半ば過るが一向に秋の感じがない、早朝でも風がなければ実に暑い、昔から此の様に暑い日が続いていたのであろうか・・・?
最近ご無沙汰した筆者のブログですが、此の所ある想いもありハイドンの音楽を中心に聴いていたが、古典主義音楽の中心的な課題ともいうべきそなた形式と、それを含むそなたという形式を確立したのは、1781年に書いた《ロシア弦楽四重奏》においてであるといわれています。この様な評価もあり、個人的には実に音楽も解りやすい曲も多く弦楽四重奏曲を紐解いていたですが、聴き続ける事に何か物足りなさに不満が噴き出すのだ、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732 - 1809)の人生は、モーツァルトと対照的だったかもしれません。その音楽スタイルは明快さと構造的な均整に特徴があります。 交響曲や弦楽四重奏曲において形式美と創造性のバランスを見事に保ちながら、新たな音楽的可能性を切り開きましたとある。しかしブログに取り上げる様な感動もなくある程度の暇潰しの如く聴いたのは確かである、大変不謹慎な事であった。

そこで筆者が感じるJ.S.バッハの音楽は 優美な旋律と、緻密に計算された装飾法、それに加えてルネサンス音楽を引き継いだ重厚で知的な音楽技法を組み合わせたことが特徴的です。特に親しみやすい曲はJ.S.バッハのケーテン時代の作った器楽曲は大変素晴らしく、此の時代の5年程の時代がが無かったのならJ.S.バッハの代表的な器楽曲は無かったとも言えよう。



そして何気なく最新録音のJ.S.バッハの新譜を調べてみると日本ではヴィオラのすばらしさを人々に知らしめようと精力的な活動を行っているヴィオラ界の第一人者、今井信子が取り組んだバッハの無伴奏チェロ組曲全曲録音したものがあり音質も大変優れ勿論演奏も記憶に残る優れものでもある。

今回は先ずヴィオラ・ダ・ガンバは「ガンバ(脚)」という名称が示すように、両脚で挟んで弓で弾く弦楽器です。形はヴァイオリンやチェロに似ていますが、全く別の楽器です。ヴィオラ・ダ・ガンバ(イタリア語)はチェロに似た六弦の楽器で、6本あるいは7本の弦とフレットのついた指板を持ったこの楽器の特徴をひとことで表すなら、弓で弾くギターです。ヴィオール(フランス語)、もしくはバス・ヴィオールとも呼ばれます。ヴィオール(英語ではヴァイオル)という呼び名だとチェロ相当のものよりも小さいヴァ イオリン音域のものなど、種類は他にもありました。ヴィオール・ファミリーはヴァイオリンやヴィオラ、チェロなどのいわゆるヴァイオリン・ファミリーよりも音量が小さく、貴族の小さな集まりで愛好された楽器でした。昨今のバロック・ヴァイオリン同様、古楽器ブームもあってその繊細な倍音を含む音色が現代人にやすらぎをもたらしてくれるのかもしれません。



J.S.バッハの作品としてはいつ作られた曲かというと、以前はケーテン時代だろうとよく言われていました。年齢にしてバッハの三十代半ば、三十二歳から三十八歳がケーテン時代です。人生の出来事としては、最初の奥さんであるマリア・バルバラが突然死んでしまって、割合すぐにというかアンナ・マグダレーナと再婚したのがこの頃です。
ケーテン侯レオポルトが音楽が好きで、その人が音楽に興味のない奥さんと結婚して熱が覚めるまでケーテンの宮廷楽団、コレギウム・ムジクムはいつもカフェ・ツィマーマンに集まって楽しく活動していたようです。定説としていつも取り上げられるのは、この楽団にはヴィオラ・ダ・ガンバの名手であったクリスティアン・フェルディナント・アーベルがいたし、レオポルト侯自身もこの楽器を弾いたことからこれらのソナタが作られたのだろう、というものです。
そのアーベルの息子が作曲家でもあり、この楽器の最後の名手と言われるカール・フリードリヒ・アーベルで、しかしその後は楽器自体が歴史の中で忘れられてしまうということなのです。J.S.バッハのこの時期にはブランデンブルク協奏曲をはじめとするほとんどの協奏曲、室内楽/器楽作品の有名なものが作曲されています。
バッハのチェンバロ伴奏付きの三つのソナタ(BWV1027~1029)はこの有名な作曲家のものということも あって、ヴィオラ・ダ・ガンバの曲全体の中にあっても演奏者に重要なレパートリーとなっています。一方でバッハの作品という観点から見ると、彼の室内楽作品は案外と少ないのです。フルート、ヴァイオリン、チェロという楽器でそれぞれに無伴奏のものとチェンバロなどの伴奏付きのものとがある、という具合に考えるなら、実際はチェロとチェンバロによるソナタは存在しないので、音域的にはその位置にあるのがこのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタだと捉えてもいいかもしれません。そしてバッハの室内楽はそれでもうほとんどというか、それ以外の曲となるとチェンバロの独奏曲を除いて「音楽の捧げもの」ぐらいなのです。
ちなみに二本のフルートと通奏低音のためのトリオ・ソナタ (BWV1039)はこのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタの第1番(BWV1027)と同じ曲なので、フルートの方でまとまった曲を聞いていると、あれ、どこかで聞いたようなメロディーだな、ということになるかもしれません。一応参考にYouTube作品を挙げます。



以前この曲を紹介したギエルミ兄弟が奏でるバッハ!J.S.バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ集であるが「ガンバのハイフェッツ」の異名を持つ、ヴィルトゥオーゾ・ガンビストである弟のヴィットリオと、オルガン、チェンバロ、フォルテピアノ奏者、指揮者、ルネサンス・バロックの音楽研究家として多岐に活躍する兄のロレンツォ。イタリア古楽界を代表するギエルミ兄弟が、ガンバ奏者の重要レパートリーに数えられるバッハのソナタを、圧倒的存在感で奏でる、古楽器の演奏は注目に値する。


今回紹介するのはバーゼル・シンフォニエッタの副首席ヴィオラを務めるデンマークのヴィオリスト、マリーエ・ストクマー・ベカーのデビュー・アルバム!
ジョゼフ・ヒル1776年製のヴィオラで弾く、J.S.バッハのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ集である。



イラリア・マチェドーニオ(Ilaria Macedonio)チェンバロ
此の様な解説があった「マケドニオのアゴジックなタッチは、 イネガルでかすかにブロンズ色に染まっており、素晴らしく、彼女の指使いは、細かく表現された文法で語られている。」 (グラモフォン、2021年3月)
イラリア・マケドニオは、アッシジで、ほぼ全員がプロの音楽家である家庭に生まれました。7歳でピアノを始め、8歳でアローネのセッテノーテ音楽コンクールで第1位を獲得しました。それ以来、ペルージャのピッコレ・マニ音楽コンクール、カステルヌオーヴォ・ガルファニャーナ音楽コンクール、ローマのハイペリオン音楽コンクールなど、数多くのコンクールで入賞しています。2006年、イラリアはオーケストラのソリストとしてデビューし、ウンブリアとラツィオでアンサンブル・レ・メタモルフォージ・ムジカリと共にモーツァルトのピアノ協奏曲K414を演奏しました。その後、テルニのG.ブリチャルディ音楽院に進み、一等成績で卒業しました。2013年、イラリアはエラスムス奨学生としてデンマークのコペンハーゲンへの交換留学に選ばれました。 2014年、イラリアはコペンハーゲンのデンマーク王立音楽アカデミーに入学し、ケティル・ハウグサンドの指導の下、古楽の修士号を取得しました。デンマーク王立音楽アカデミー在学中、イラリアは室内楽団やアンサンブルの通奏低音チェンバロ奏者として演奏していました。



マリー・シュトックマー・ベッカー(Marie Stockmarr Becker)ヴィオラ
デンマークのヴィオラ奏者、マリー・シュトックマー・ベッカーは、フランスのリュエイユ=マルメゾン国立音楽院とスイスのバーゼル市音楽アカデミーでモダン・ヴィオラを学び、2011年に修士号を取得しました。バーゼルのスコラ・カントルム・バジリエンシスで副専攻としてバロック音楽を学んでいるときに、古楽への情熱を発見しました。その後、コペンハーゲンのデンマーク王立音楽アカデミーで古楽の修士号を取得しました。
古楽器による古楽、現代音楽、即興演奏、演奏など、幅広い音楽表現に取り組んでいます。多才で遊び心のあるマリーは、  自分の楽器であるビオラの音色を通じて音楽の境界を探求しています。
現在、スウェーデン南部を拠点に活動するマリーは、スカンジナビア、ヨーロッパ、その他の地域のアンサンブルで演奏しています。彼女は、Nordic Affect、Concerto Copenhagen、Basel Sinfonietta のメンバーであり、Enghave Barok (デンマーク)、Göteborg Baroque (スウェーデン)、Arte dei Suonatori (ポーランド)、Theatre of Voices (デンマーク/イギリス)、Rudersdal Chamber Players (デンマーク)などの現代音楽および古楽アンサンブルとコラボレーションしています。



バーゼル・シンフォニエッタの副首席ヴィオラを務めるデンマークのヴィオリスト、マリーエ・ストクマー・ベカーのデビュー・アルバム・・・
ジョゼフ・ヒル1776年製のヴィオラで弾く、J.S.バッハのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ集

2人の新しいチャンネル・クラシックス・アーティスト、デンマークのヴィオラ奏者マリーエ・ストクマー・ベカーとイタリアのハープシコード奏者イラリア・マチェドーニオによるファースト・リリース。
バッハの時代にはヴィオラのためのソナタのレパートリーが殆どなく、おそらくヴィオールから借りたレパートリーとして演奏されていたであろうという考察から、ヴィオラ・ダ・ガンバ(脚のヴィオラ)のために書かれたバッハの3つの傑作ソナタを、ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(腕のヴィオラ)で演奏。歴史的情報に基づきながらも、新鮮で独特なアプローチで、バッハのガンバ・ソナタを再現します。



マリーエ・ストクマー・ベカーは、現代音楽を専門とするオーケストラ、バーゼル・シンフォニエッタの副首席ヴィオラ奏者を務め、現代楽器と歴史的楽器の両方を演奏しながら、様々なオーケストラや室内楽シーンで活躍。イラリア・マチェドーニオはイタリアの音楽家の家庭に生まれ、テルニ(イタリア)のブリッチャルディ音楽大学を卒業後コペンハーゲンのデンマーク音楽アカデミー、ロンドンの王立音楽カレッジでも研鑽を積み、優れた通奏低音奏者として多くのアンサンブルと共演してきました。



Bach: Sonatas for Viola (da Gamba) and Harpsichord BWV 1027-1029

収録曲 | 【曲目】
J.S.バッハ:
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第1番 ト長調(BWV 1027)
  1 : Bach, J S: Viola da Gamba Sonata No. 1 in G major, BWV1027
  2 : I. Adagio
  3 : II. Allegro ma non tanto
  4 : III. Andante
  5 : IV. Allegro moderato
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第2番 ニ長調(BWV 1028)
  6 : Bach, J S: Viola da Gamba Sonata No. 2 in D major, BWV1028
  7 : I. Adagio
  8 : II. Allegro
  9 : III. Andante
  10 : IV. Allegro
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第3番 ト短調(BWV 1029)
  11 : Bach, J S: Viola da Gamba Sonata No. 3 in G minor, BWV1029
  12 : I. Vivace
  13 : II. Adagio
【演奏】
マリーエ・ストクマー・ベカー(ヴィオラ)
イラリア・マチェドーニオ(ハープシコード)

※使用楽器
viola by Joseph Hill, London, 1776
double-manual harpsichord copy by Joop Klinkhamer,
Amsterdam, 1990 after Johann Heinrich Harrass, Thuringen, Germany, c. 1700

録音:2020年2月25日〜29日、デンマーク、コペンハーゲン、ギャリソン教会。



現在YouTubeの配信もあり実に便利になったが、ガンバの音域の伸び代が若干不足します、CDと比べ相当音質は良くないが、最近音質の良いS.M.S.L PL200 MQA CDプレーヤー Bluetooth 5.1 DAC ヘッドホンアンプが注目を浴びている様ですが、DAC搭載されている様なので暫く様子を見たいと思ってます。

バッハのチェロ曲やヴィオラ・ダ・ガンバ曲をヴィオラに編曲することには、多くの利点がある。その楽器の柔らかな低音はチェロによく似ていて、叙情的な高音はリラックスした気楽さで演奏でき、チェロに異なる種類のストレスを与えることができる。バッハのチェロ組曲はヴィオラでうまく録音されており、これらのソナタは技術的な意味ではそれほど難しくないため、この高音だが甘美な音域で演奏できない理由はない。

音楽家が書いた小冊子の注釈には、バッハの時代のヴィオラ奏者がこのレパートリーを取り上げていた可能性が高く、「ヴィオラ・ダ・ガンバ(脚のヴィオラ)と区別するために直訳すると「腕のヴィオラ」となる)のレパートリーはバロック時代には非常に少なかった」と書かれている。 JS バッハがヴィオラを好んでいたことは知られているが、彼の時代には独奏楽器として使われることは稀だったと言われている。
G. ヘンレによって出版されたこれらのソナタのヴィオラ版があり、ベーレンライターはその版に「ヴィオラ・ダ・ガンバ(ヴィオラ)とチェンバロのための」と記しているのです。

CDで聴けば明らかで、これは非常にバランスの取れた録音で、チェンバロの存在感は良好で、両方の楽器から十分なディテールが感じられ、かつそれらがうまく溶け合っている。この 2 人のミュージシャンはどちらも古楽を学んだので、ヴィオラのパートは、完全にではないにせよ、ほとんどビブラートがかかっていない。音符の形成と繊細なフレージングが加えられている。
チェンバロの装飾音は可成り抑制されており、音楽が要求するところではテクスチャの透明性が確保されている。 全体として、これらは非常に満足のいく演奏であり、イラリア・マチェドーニオの鍵盤楽器演奏のイギリス組曲など聴きたい欲求に駆られます今後の新曲の発売が楽しみでもあります、バッハ好きの筆者には今後に期待します。



兎に角この弦楽四重奏曲は拙宅で視聴するTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetに於いて音出しすれば一番良い響き方を奏でる、勿論弦楽四重奏曲を聴くのはTANNOY IIILZ in Cabinet mkII等のシステムが良いとされるが、TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetと比べ全体的には若干低域不足が気になるのである。正に大型排気量の車でハイウエイをゆったり走る正に余裕の走李である事は間違い無いのである。

そもそもクラシックが上手く再生できるスピーカーとは?と質問したらオーディオ・音楽愛好家の多く方から『TANNOY』と言う答えが返ってくると思います。と考えながら悶々とした日がしばらく続いていました。確かに弦楽四重奏などは、奏でると言うより擦れる、響くと言うより鳴るという感じです。此の様な鳴り方は如何にもTANNOYの独壇場ともいえますが、一番始末に悪いは兎に角TANNOYユニットはアンプを選ぶ傾向は強い様である。しかし一旦ハマれば無敵な所も大きく大変良く鳴ります。



何れにせよこの様な演奏は10吋TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetユニットを駆動するにはプッシュプル方式で駆動することでLUXKIT A3500を使ってみるが筆者の虎の子のZAIKA5300のシングルで駆動するsunvalley SV-501SEが良い結果が得られる、LUXKIT A3500は定評ある松下製の6CA7を使用するが、力強く堂々と鳴るのではあるが繊細な部分はZAIKA5300が勝る、EL34(米国名6CA7)は1950年前後に、ヨーロッパで開発されました。いろいろメーカーにより音質も様々と聞くが興味ある球の様に思う。今後は上等なトランスを使い2A3のシングルのアンプも大変気になるアンプでもある。
未だ欲しい物が多くあり物欲は捨てないといけない時期なのですが大いに反省する次第でもある、ブラボー!