伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

ヴァイオリニストによるクラシックとジャズの聴き比べを試みた、寺井尚子VSヒラリー・ハーンで検証

2021年06月30日 | クラシック音楽・オーディオ

家の水槽に睡蓮の花が開花、入梅頃毎年さく花である。水上に咲く美しい”水の女神”。陽射しが弱まると早々に花を閉じてしまう様子が眠ってしまうように見えたところから、眠れる蓮と称したそうで、午後からは花は眠りにつきます。
後は最近やっと葉が成長しているピンクの花が咲く蓮の花が咲くことが楽しみである、この時期蓮の葉に雨の雫が可憐に見える。

以前ネットで申し込みした色々問題もある感染ワクチンの接種日でした。筆者などは生い先は短く、もし感染して人様にご迷惑かけないようにと実行する。
特に高血圧の高めの為常時薬は常用しそれ以外も重症には成りやすい体質とも感じ摂取を実施した、確かに針は奥深く指し注入するが痛さは全く感じなく、むしろインフルエンザワクチンが痛みが強く感じた。



最近は変異株の種類も増え、情報がついていけない様子である。昨日今話題の流行り病、武漢ウイルス予防接種の一回目を受けた、報道で見ると針を深く刺すのは痛く感じるが、痛みは全くなく無事終了し翌日注射後周りが若干の鈍痛をおぼえた程度で、次回は7月度に接種する。摂取終了すれば変異株にも対応すると発表されているようです。最近になり陽性疑いの人が増えているそうで心配です。

現在副作用等の噂が話題となっている、同様東京五輪開催も近づきマスゴミも中止報道から開催シフトに移行し、視聴率挽回に舵を切っている。特に最近の朝日新聞報道は中共の新聞社のよであり早期解体が妥当であろう。特に韓国問題も含め悪の権化の様相である。後のTBSテレビ局も破廉恥度も呆れる・・・・・・!この様な報道陣はマスゴミと言われても当然であろう。

接種には妻と同時に予約したので、最寄りの病院で接種し帰りは近くのイオンモールで買い物をしたいとのことで、イオンに立ち寄る、見たいものがあるならと時間を決め、一人で何気なくイオンモールテナントのHMVを覗くとヒラリー・ハーン (ヴァイオリン)のコーナーを見つける、グラミー賞受賞ヴァイオリニストであるヒラリー・ハーンは、明快で華麗な演奏、バッハの無伴奏ヴァイオリンは有名で良くきくプレイヤーである。



方や、ヒラリー・ハーン(hilary hahn)はアメリカ、ヴァージニア州レキシントンで生まれた、1983年ボルティモアに移り、そこで初めて地元の子ども音楽教室でヴァイオリン・レッスンを受ける。1985年からボルティモアにて、クララ・ベルコヴィチ女史の元で5年間レッスンを受ける。

オデッサ(ウクライナ)出身のクララ・ベルコヴィチ女史は、ボルティモアに移住する前、25年間にわたりレニングラード英才音楽学校で音楽に優れた生徒に教えていた。1990年、ボルティモアのLeakinHallで、彼女は初めてのリサイタルを行う。弱冠10才フィラデルフィアのカーティス音楽院に入学、83歳のヤッシャ・ブロツキー氏に師事する。ブロツキー氏はウジェーヌ・イザイの生存する最後の生徒であった。同年、彼女は初めてラジオ出演も果たす。

ヒラリー・ハーンは、J.B.ヴィヨーム1864年製作のヴァイオリンを使用している。今回はヒラリー・ハーンのパガニーニ&シュポアのCDが気になり早速購入した。
それと隣に並んでいた音質も定評のある筆者も好きなヴァイオリンジャズの寺井尚子「NAOKO LIVE」クラシックとJAZZのヴァイオリニストの共演の違いの検証にも面白くライブ盤を興味本位で購入する。早速帰りCDを開封し試聴する事が楽しみである。

筆者が記憶するヒラリー・ハーンが注目された、録音当時17歳のデビューしたアルバムであるバッハのソナタとパルティータ・アルバムが年齢が信じられない完璧な技巧とコントロールされた個性的な音色で大きな話題を呼んだ本作は、21世紀を代表する女性ヴァイオリニストの登場を知らせる衝撃のデビューアルバムであり、今日に至るまで、彼女の代表作として記憶の中に残っています。

それと現在の筆者の装置の10吋TANNOYのユニットで響くヴァイオリンのJAZZ奏法とクラシックの違いも興味尽きない。バッハのヴァイオリンソナタ演奏も馴染んでいるヒラリー・ハーンのパガニーニの演奏にも興味津々である。



寺井尚子がビデオアーツからリリースした作品をリイシュー。初のライヴ・アルバムとなった本作には、リー・リトナーやハーヴィー・メイソンといった豪華ミュージシャンが参加。「スペイン」「ストールン・モーメンツ」などライヴの定番ばかりを集めた、アバンギャルドなベスト盤的意味合いも持つ代表作。   
 

魅力いっぱいのLiveでの興奮が十分、再現されています。スペインが最高、A・パスカのピアノもゴキゲンで実に好い仕上がりですよ。
続いて題材がパガニーニ: ヴァイオリン協奏曲第1番、シュポア: ヴァイオリン協奏曲第8番《劇唱の形式で》と興味深い。
今日は同じみな曲が多く安心してライブ感を堪能出来ることも楽しみである。寺井尚子のヴァイオリンは安心してスイングできる良さでああるが、彼女独自のジャズの醍醐味とも言えるシンコペーション奏法とジャズ独自のブルーノートも聞き物の一つであろう。

NAOKO LIVE(「Naoko Terai with Lee Ritenour Japan Tour 2000」)
 「スペイン」(Spain)
 「ストールン・モーメンツ」(Stolen Moments)
 「ブラック・マーケット」(Black Market)
 「ベイジョス」(Beijos (kisses))
 「ラグリマ」(Lagrima)
 「シャドウ・プレイ」(Shadow Play)
 「カンタロープ・アイランド」(Cantaloupe Island)
 「トーキョー-LA・ジャム」(Tokyo-LA Jam)
 「リオ・ファンク」(Rio Funk)
 「シンキング・オブ・ユー」(Thinking Of You)
メンバー
 寺井尚子 - ヴァイオリン
 リー・リトナー - アコースティックギター、エレクトリックギター
 ハーヴィー・メイソン - ドラムス
 アラン・パスクァ - ピアノ、シンセサイザー
 デイヴ・カーペンター - アコースティックベース、エレクトリックベース
 ハン・ヴァン・デル・サーグ - シンセサイザー、ヴォーカル
実にご機嫌なライブ版でもあり雰囲気も楽しめます。


また病気の症状が出る、ヴァイオリンを聴くと再生音は10吋のタンノイに勝るものはなく聞ける。だが現在少し気にかかる場所がある、10吋ユニット取り付け穴の断面が気にかかる、砥粉を塗りペーパーで仕上げ塗装仕上げるして綺麗にすれば綺麗な仕上げ面倒なるのではと思う次第である。

エンクイロージャーの切断面が剥き出しでどうも気になっている、とのこを塗るよく丁重に仕上げ塗装すれば音質向上するかもしれない、このような事まで気にかける筆者は相当のアホさ加減であろう・・・

所で肝心な事が最近筆者がオーディオ機器について理解できた事があります、勿論お気づきの方も大勢いられると思うが、大昔建築設計を個人経営していた事務所兼自宅にお邪魔し、新築の建設物は剥き出しの鉄筋コンクリート構造に隅に置かれた装置は手軽で安価な小さな装置でも音質は大変満足できる音が響いていた思い出はある。しかし同一の装置、似た環境で音出しをしても同じ音は出なく、装置を持っている方の過去にどれ程多くの音楽を聴き、どれだけの多くの情報を持っているかが、音の違いに滲み出るように思う、そのようなオーディオの楽しみ方も有りだとお思えるように感じます。装置も大切ではあるが環境も大事と思う、筆者などは未だ情報量も乏しく多くの情報を集め残りの人生、音楽を豊楽したいと思うのであります。オーディオも奥が深い趣味と築く次第である。


時間も十分あるのだから気がかりなところは気の済むまで補修を試みる。現在ユニットの穴は垂直に空いた状態になっているが、できれば厚みがあるので少し斜めにテーパーをつけて加工したいが、方法はサンダーで削る方式しかないのだろう、其処に「とのこ」を塗り仕上げれば音質向上が期待できるかもしれない?

全く馬鹿のような思いつきかもしれない。10吋のタンノイを骨までしゃぶり尽くす挑戦である気もするが・・・・・・?
比較的最新のCDを50年以上も前の改造した英国製スピーカーで聴くが定評ある弦楽器の音は流石である特に不満を感ずる所もなく、心地よい響きが聴けることは実にありがたい。家族迷惑にならない程度の音量しかボリュームは上げられないがホール感のある音質には満足する。
一番の注意点はこのホール感を体験することは大変厄介なことで、でも一旦この体験するとハマってしまうと他に変われない感覚なんです、勿論有る程度の大きさのエンクロージャーで無ければ体感出来ないかもしれないのが、ホール感で特にライブ感、オペラ等楽しむ事には必修かもしれません。



ヒラリー・ハーンのパガニーニ&シュポア
いよいよヒラリー・ハーンのパガニーニが登場。曲目は超絶技巧とわかりやすい作風で有名なヴァイオリン協奏曲第1番。

組み合わせはニコロ・パガニーニ(1782~1840)、と同世代の作曲家シュポア(1784-1859)ドイツによるほぼ同じ時期の作品、ヴァイオリン協奏曲第8番。

この『劇唱の形式で』という副題が付され、ミラノ・スカラ座で初演された作品は、ベルカント・オペラのプリマドンナによるアリアよろしく長い長いヴァイオリン・ソロをドラマティックに聴かせるスタイルに特徴があり、気持ちの良いソロが延々続きます。そのせいか『劇唱の形式で』は、ヒラリー・ハーンのお気に入りにもなっているようで、大植英次のほか、レナード・スラットキンや、トマス・ダウスゴーともコンサートでとりあげています。



パガニーニの超絶技巧とシュポアの歌心、今のヒラリー・ハーンならばきっとどちらも完璧に聴かせてくれることでしょう。伴奏が大植英次指揮するスウェーデン放送交響楽団というのも注目に値するところです。確かにバッハの曲も感動したことは事実です、十分実力派備わっていると思いました。

 パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 Op.6
 シュポア:ヴァイオリン協奏曲第8番イ短調『劇唱の形式で』op.47
ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
 スウェーデン放送交響楽団
 大植英次(指揮)
 録音時期:2005年10月(パガニーニ)、2006年2月(シュポア)
 録音場所:ストックホルム、ベルワルド・ホール


ニコロ・パガニーニ(Niccolò Paganini)



ニコロ・パガニーニ(1782~1840)。全身黒ずくめの姿で繰り出す超絶技巧で人々を熱狂させた、空前絶後のヴァイオリニストである。「悪魔ブーム」をブランディングに用い、巨万の富を築いた守銭奴にして女好き。「無神論」の烙印を押され、遺体となっても欧州をさまよった彼には、「幽霊となって音色を奏でている」との伝説も生まれた。十九世紀に鮮やかな刻印を残した「西洋音楽史のメフィストフェレス」、本邦初の伝記。
パガニーニは作曲家である以前にヴァイオリニストだった。想像を絶するテクニックを駆使した華麗な演奏は、当時の聴衆を熱狂させた。目の前に置かれたどんな楽譜も即座に初見で弾きこなし、ひとたびステージに立てば圧倒的なカリスマ性で聴衆を引きつける。あまりのテクニックのすさまじさゆえに「パガニーニは悪魔に魂を売って、技巧を手に入れた」と噂されるほどで、舞台上のパガニーニの姿におそれをなして十字を切る者もいたという。伝説のヴァイオリニストは19世紀のヨーロッパに旋風を巻き起こした。



ルイ・シュポーア(Louis Spohr)
1784年4月5日生まれ、独・ブラウンシュヴァイク出身の作曲家/ヴァイオリニスト/指揮者。15歳で同地の宮廷楽団に入団。その後、フランツ・エックにヴァイオリンを師事し、演奏旅行に同行。1804年12月にライプツィヒでの演奏会を成功させ、演奏者や作曲者としても独楽壇に知られる存在に。
05~12年までゴータの宮廷楽長を務め、12年よりアン・デア・ウィーン劇場、フランクフルト市立劇場の要職を経て、22~57年にカッセル宮廷楽長を務める。1859年10月に同地で死去。モーツァルトの影響を受けながら、幅広いジャンルに多くの作品を残し、特に初期ロマン派ヴァイオリン音楽の改革者として評価されている。

ヒラリー待望のヴィルトゥオジックな協奏曲二曲!サポートは今をときめく大植英次!DG移籍後のリリースはどれも大きなヒットとなり、もちろん彼女のバッハもモーツァルトも待ち望まれたリリースだったに違いはありません。
でもしかし。やはり彼女の超絶技巧を思う存分堪能したい!という欲求も確かに存在していたはず。そんな中、ともにロマン派初期のヴィルトゥオジックな協奏曲二曲のカップリングでヒラリーの新録音が登場。どちらも超絶技巧を必要とする作品であるのは同じなのですが、ポピュラー度はまったく異なる二作品。誰もが口ずさめるほどの有名曲パガニーニにくらべ、シュポアの作品がメジャー・レーベルから出ることは極めて稀で、「劇唱の形式で」という副題を伴う第8番はかつてハイフェッツがRCAに録音しているくらいです。



シュポワの8番はパガニーニの第1番と同じ頃に作曲され、ヴァイオリン奏者として一世を風靡していたシュポアのイタリア演奏旅行の際、1816年にミラノ・スカラ座で初演されました。
ヴァイオリン・ソロがまるでオペラ歌手のように延々とソロを弾き続ける曲で、自らの技量によほどの自信がない限り選曲することすら憚られる難曲。録音の少なさはこんなところにも起因しているのかもしれません。

しかし、このアルバムでのハーンは持ち前の正確なテクニックと素晴らしい音楽性を如何なく発揮、よく知られているパガニーニはもちろん、シュポアの作品にもまったく新しい息吹を与えています。また、伴奏指揮を努めるのは今をときめく大植英次。キャラクターからは想像できない(?)実に質実剛健な音楽作りが持ち味な大植ですので、冷静で哲学的な解釈を示すハーンとはベスト・マッチと思われます。彼のメジャー・デビューとなる記念すべきアルバムでもあります。

久しぶりのヒラリー・ハーンを聴き思うは知らぬまに大人の女性に変身したように思えた。バックを務めるのはハーンとの相性も良好な大植英次、メロディの視点からのアプローチにより技巧よりも音楽性と表現法に重きを置いたロマンティックな演奏を展開するヒラリー・ハーンの音色に心奪われるようだ、ブラボー!

超驚愕の発掘音源、1968年ビル・エヴァンス演奏抜群な幻のスタジオ録音のSome Other Time: The Lost Session from The Black Forest検証する。

2021年06月28日 | JAZZ・ボサノヴァ


久々のブログ書き込みである、筆者に近い世代の方が最近亡くなられています。茨城県土浦市出身で「エレキの神様」と呼ばれて親しまれたギタリストの寺内タケシ(てらうち・たけしさんが18日午後8時37分、肺炎のため横浜市内の病院で死去した。82歳。
また「原信夫とシャープス&フラッツ」を率いたサックス奏者の原信夫(はら・のぶお、本名塚原信夫)さんが21日午後9時48分、肺炎による呼吸不全のため東京都の病院で死去した。94歳。
少し前にサントリーオールドのCMを紹介されて頂いた、JAZZを愛した匂いのする小林亜星さんが5月30日、心不全のため死去した。88歳。
と音楽に関わりのある人が亡くなっている。

皆さまよく知っている方々が亡くなった報道は次は我が身と思えます益々激動の昭和が遠くなる・・・10年以上前六本木のお店でご一緒させていただき、飲んだこともことも幾度もあり、当時は最近の仕事は学校周りが多いと言われていた、コンサートは何度もお伺したこある、少し前になりますがモダンジャズの大御所、宮間利之ニューハードの宮間利之さんも94歳でお亡くなりになりました。

謹んでご冥福と天国にて皆様での演奏を楽しんでください。


そうような事を思いながら、2008年より愛用したMac Proも寿命となり、起動も大変不安な状態になり、Mac OSの配布も終了数年過ぎている。重い腰を上げ最近新しいi Macの予約が開始され注文した、M1チップ8コアCPU8コアGPUのiMacにHDは512Mのメインに外付け4Tを追加しメモリーは16GMに増設した商品が24日到着と連絡がある。早速引き取り行く。

到着し開封しセットする、セットなんて実に簡単で電源を接続すれば終了で、早速スマホ、ソフト、フォント等をインストールすれば終了、もちろんiTuneもインストールした、今回は他にを購入、またDVDも同時購入、また接続はThunderbolt 3(最大40Gb/s)ドッキングステーションを購入しUSB接続し、外付けのHD4Tを接続した。ソフトをインストールしてmacOS11.4に更新する。
再起動して新しいM1チップのiMa軌道し色々動かしたみた結果、今まで使用のMac Proと比べ起動速度、使用感はiMacが遅く感じる。利点はキーボード、マウスはコードレスで本体から充電するタイプでデスクが綺麗にまとまる。

早速起動しテストすると動きはMac Proが断然スムースであるがインターネットは快適な環境に思う、此れが今の時代のPC機器のようです。
モニターは今まで使うEIZOのモニターが綺麗に思う、iMa24はモニター4.5K Retinaディスプレイ、8コアCPU、8コアGPU、16コアNeural Engineを持つApple M1チップトータル¥224,800(税込)の価格は如何?貧困老人にはお高い買い物であるが、今後益々生活の中でのPCは生活必需品になった様である。

ここで立ち上がり速度を2台同時に起動すると軍配はi Macが早いがPs等のソフトの動きは断然Mac Pro(2008)が断然早い、価格は倍以上の違いはあるが家庭用のPC、特にAppleをお使いの方は当時のMac Proでしたら未だ現役です。
勿論ラップトップのMacBook Proも候補に上げたが文字が小さくi Macにした。



スピーカーの音量が大きいと家族から顰蹙を攻撃され、今回購入のソニー のヘッドフォンも若干ライトな音質だがMac対応が良く購入したが、やはりよく考えればゼンハイザーが正解であったようにも思う。ここはiMacとの対応は良く操作性も良くしばらく楽しみたいとも思います、音質はごく普通で便利である。

iMacからiTunes配信のハイレゾ音楽をヘットフォンで聞く、確かに聞きやすく耳心地が良い、音質で長時間聴くも疲れない音質の様に思える、ナレーター等の音声は耳障りも良くそれなりに聴けるが、質の高い音質を求めるクラシック、JAZZ音楽のホール感を味わうには蛋白と思える、音楽を聴くにはゼンハイザーの音質が好みの様に思えるる、今回外付けのDVD,記憶装置の4Tのハードディスクを購入、少し予算オーバー気味で当分又緊縮財政である、少し落ち着いたらヘットフォンのアップグレート検討をしてみたい。

以前から思うが音質そのものは人により欧州、米国製品のスピーカーユニット又カートリッジ等の音が良く聴こえるは筆者だけなのであろうか?オーディオ製品の日本製の解説を読むと相当良くなっているようだが、特に音楽の入り口出口は海外性が断然有利で、現実に聴き比べて見ると海外製品が良く聴こえるは筆者だけなのであろうか?確かにその中でもアンプは日本製も健闘しているように思う。日本の芸術性も随分進化した事が伺える。珠にクレージー・キャッツのコント「証城寺の狸囃子」の配信を見ると今の芸人との格差に圧倒される、やはりプロの芸である、今の芸人を見ても笑えないのは私だけなのであろうか?素人芸とは何かと感じさせる大切なことを忘れているように思う、益々テレビ離れになる。もはやテレビは時計代わりのみである。

誠に残念に思うは筆者の持つイギリス製の小さなLS3/5Aをサブスピーカーを所有するが此れを凌ぐスピーカーは少ない、勿論古い製品ではあるが未だ現役で使っているこで理解出来ることである。



今までのジャズ・ブログ掲載の中ではエヴァンスの投稿が何故か一番多いのか、此のあたりがエヴァンスの魅力は如何に?と思う。
繰り返し何度も聴く内に徐々に深みみに嵌まる深さかもしれない、今回の比較的に新しい演奏が見つかり発表した、没後月日が流れ今蘇るエヴァンスの謎かもしれない興味なんですかね。

さてここからが今回の特集である。
皆様ご存知の【ビル・エヴァンス】フェスの危機を救った「お城のエヴァンス」/ライブ盤で聴く「モントルー・ジャズ・フェスティバルのライブ盤」モントルー・ジャズ・フェスティバルだったが、初年度の客の入りは散々だったようだ。

3日間の開催で集まった客は驚きのわずか1,200人。チャールズ・ロイド(ts)グループのメンバーとして出演していたキース・ジャレット(p)が、「二度と来るか」と激怒したという話が伝わる。ヨーロッパで絶大な人気を誇っていたキースのトリオが1985年までモントルーに出演しなかった理由がそれだ・・・。
このままでは毎年の開催が危うい……というところを救ったのが介するアルバム、通称「お城のエヴァンス」である。1968年、2回目のMJFのビル・エヴァンス・トリオの演奏をパッケージングした作品だ。

LP発売当時、音質の良さからオーディオチェック用としても人気がありフランス語でのメンバーの紹介は印象的な好きなジャケットでもあった。
当時記憶に残る事件として、レコード針はグレースF8Lから、MC型のオルトフォンGEとMC用FRのトランスを交換して視聴しそれ以来Gシェル独特の音質に魅せられ筆者のレコード針の定番となっています。独特の煌びやかな音、粘っこく感じる癖の魅力な低音は虜になり。MC-20等も使うがGシェルに戻っていた。今後Gシェルとは違うAシェルも深掘りしてみたいと思います。

モントルーのシンボルであるレマン湖とシヨン城の写真を用いた美しいジャケット、優れた音質、卓越した演奏、沸く観客──。この後、数々のアーティストが発表することになる「ライブ・アット・モントルー」の先駆けとなったばかりでなく、「二度と再現されることのないステージを追体験できるメディア」としてのライブ盤の基本形をつくったアルバムでもある。この一枚によって世界中のジャズ・ファンがモントルーの名を知ることとなり、フェスの存続は決定づけられた。



当時ヴァーヴレコードから直輸入盤のLP購入し、フランス語によるメンバー紹介に続く一曲目からエヴァンスの演奏は全開で、ゴメスのベースは細かな譜割で強烈にドライブし、ジャック・ディジョネットは色彩豊かなシンバル・ワークを聴かせる。何より素晴らしいのは「流れ」だ。前半の山場は動から静へのコントラストが鮮やかな4曲目から5曲目、後半の山場はゴメスをフィーチャーした7曲目からエヴァンスが流麗なソロを奏でる8曲目である。この流れの妙を味わうためにも、最初から最後までノンストップで聴くことを強く推奨したい。思い出多きレコードジャケットでもお馴染みの「お城のエヴァンス」。

CD時代になって追加されたアンコールの2曲目。ゴメスとディジョネットがステージから去り、エヴァンスは一人鍵盤に向かう。曲のタイトルは「今は静かに」。何と計算された演出だろう。いつものようにこうべを垂れながら、しかし微かな笑みをたたえる幸福そうなエヴァンスの姿が目に浮かぶ。思うに、彼はこのステージの成功によって、ようやく「ラファロの霊よ安かれ」と笑顔で言えるようになったのではないだろうか。この演奏から半世紀。現在では、MJFは毎年25万人もの観客を集める巨大イベントに成長している。

なお、Some Other Timeはモントルー・ジャズ・フェスティバルのビル・エヴァンス(通称 「お城のエヴァンス」)の名ライブから五日後、三人はドイツMPSスタジオにいた・・・存在さえも知られずお蔵入りになっていた秘蔵音源、眠りから覚めエヴァンスの歴史が紐解かれる。

最近筆者のジャズCDは圧倒的にエバンスのアルバムが多くなってしまった(笑)


ジャック・ディジョネットの短期在籍中の貴重な正式なスタジオ録音という、ビル・エヴァンスのディスコグラフィ史を書き換える魅力たっぷりな作品。

多くの未発表音源がライヴ音源、正式録音のアウトテイクだが、本作は高音質な録音とジャズを熟知したハイレベルなプロデュースで知られ、多くの優れて先鋭的なアルバムを制作した独MPSレーベルの創始者にして自らも大のジャズ・ファンのシュワラーの肝いりで、名盤『アット・モントルー』の数日後に自らのスタジオで録音された。ソロ、デュオ、トリオによるCD2枚分の演奏は、興奮気味のライヴに比べ落ち着いた感情表現が印象的だ。

全のジャズ・ファン必聴盤であるように感じるのは筆者だけなのであろうか。



「Some Other Time: The Lost Session from The Black Forest」
 Bill Evans (p)
 Eddie Gomez (b)
 Jack DeJohnette (ds)
1968年6月20日ドイツMPSスタジオ

CD1
 01. You Go To My Head (4:58)
 02. Very Early (5:12)
 03. What Kind of Fool Am I? (5:21)
 04. I'll Remember April [Duo] (4:08)
 05. My Funny Valentine (6:58)
 06. Baubles, Bangles & Beads [Duo] (4:38)
 07. Turn Out The Stars (4:56)
 08. It Could Happen To You [Duo] (3:58)
 09. In A Sentimental Mood (4:18)
 10. These Foolish Things [Duo] (4:14)
 11. Some Other Time (5:28)
CD2
 01. You're Gonna Hear From Me (3:32)
 02. Walking Up (4:10)
 03. Baubles, Bangles & Beads [Trio] (4:51)
 04. It's Alright With Me [Incomplete] [Solo] (3:45)
 05. What Kind Of Fool Am I? 06. How About You (3:59)
 07. On Green Dolphin Street (4:33)
 08. I Wonder Why (4:13)
 09. Lover Man (Oh, Where Can You Be?)
 [Duo] (3:49)
 10. You're Gonna Hear From Me [Alternate Take] (3:24)



62年『Moonbeams』で初演されて以来、コンサートでは毎回のようにフィーチャーされたエヴァンスの至高のワルツ曲「VeryEarly」を始め、晩年まで数多く演奏され、アルバムタイトルともなった名曲「Turn Out The Stars」といった楽曲も収録。
そして・・・1枚目のラストには、名盤中の名盤『Waltz for Debby』(61年)にも収録され数限りないジャズ・ファンの心をつかんだ名曲「Some Other Times」の至高の演奏を収録!!!この「Some Other Times」のイントロはもともと「Peace, Piece」のメロディを、エヴァンスがマイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』に参加した時に、「Flamenco Skeches」のイントロとして用いたことでも知られるジャズ史上屈指の美イントロですが、本作での演奏は、『Waltz for Debby』『Kind of Blue』の演奏と並ぶものと言って過言無し。
言葉をいくつ並べても表現しようのない至高のピアノ、メロディに寄り添いながら音空間を拡張するベース、若き日の驚くようなディジョネットのブラッシ・ワークの美しさ。静謐かつ、ある種の厳かささえも漂うこの曲のスタジオ録音が聴けることは本当に奇跡です。



一方、本作では、ビル・エヴァンスにとって珍しい楽曲も演奏。サイドメンとしての演奏を除いては極めて稀な「I'll Remember April 」や、同じく本録音以外ではあまり聴くことができない「These Foolish Things」をエディ・ゴメスとの豊かな会話で披露。一方、2-M5の「What Kind Of Fool Am I」では、ビル・エヴァンスとしては、極めて珍しいユニークなエンディングも収録されています。

6ヵ月という非常に短い活動を経て、エヴァンスは、この後マーティ・モレルをメンバーに迎えた第2期トリオを結成。本トリオはある種の過渡期にもありますが、この作品の登場によって、エヴァンスが、この時期、即興的な演奏の拡張を模索し、パッション溢れる演奏を繰り広げるきっかけを得たことも明らかになります。特にCD2 には、美しく、かつ即興のさらなる可能性を感じさせる、トリオの面白さが際立ちます。21世紀のジャズ界の事件とも言うべき、作品の登場!68年の劇的なドラマが、今50年近くを経て明らかになります

ジャズ史上の名演、グラミー賞作、1968年『モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』から5日後、エディ・ゴメス、ジャック・ディジョネットと共にした超幻のスタジオ録音が今、明らかに!ビル・エヴァンスの歴史を書き換える歴史的一枚に思う。ブラボー!

ジャコモ・プッチーニー作曲のオペラ「トゥーランドット(Turandot)」の演奏をアルベルト・エレーデ指揮で考察

2021年06月07日 | オペラ・歌劇・カンタータ・オーディオ全般


最近知り合えた友人が昨日遠方より自宅に来ていただき誠にありがとうございます。彼は最近FYNE AUDIO F500を購入したそうだが、その音質と本日筆者の所で聴く10吋TANNOYの音質とよく似ているとおっしゃておられた。

筆者の考えるオーディオの楽しみは例えばテノール歌手のマリオ・デル・モナコがスピカーの中央で歌う歌声が腹の底から出る肉声を聴くような音に夢中になる、この様な楽しみがオーディオいじりの醍醐味かも知れない、TANNOYオリジナルⅢLZでは決して味わえない音なのです。オリジナルⅢLZではせいぜい楽しんでも弦楽四重奏程の音量を少し絞って鳴らす事が限界と思う。

FYNE AUDIO F500のスピーカーは以前TANNOY社のシステムにも同様のスピカーユニットが下方向に向けられた写真を見た記憶がある、コマーシャルの写真を見た物なので音質は不明だが、低域は豊かなプレゼンスが得られる様にも思う。



FYNE AUDIO F500はTANNOYを制作した人が音を現代風にしたエンクロージャーとお聞きします。ユニットの作りもTANNOYとよく似た作りになっていて、音質もよく似ているそうです。現在音質はエージングが進むにつれ良く無であろうと言ってました、武漢ウイルス感染ワクチン注射後には一度訪ねてさせてください、等の会話でお別れしました。次回はより深いオーディオ談義に花を咲かせましょう。勿論エージングが進めば素敵な音が鳴ると言っておられました。

自慢の美味しい珈琲など召し上がっていただきたい所ですがコロナ禍の事もあり今回飲食は省略させていただき申し訳ありませんでした。



と同時に最近筆者の業務用CDは若干の音飛びがする、この状態は軽度なのでレンズクリーナーで清掃すれば改善の予期はあると彼は言われ又、それでも治らない場合はレンズを無水アルコールで清掃する良いという方法を教えて頂く。

翌日早速近くの大手電気屋で湿式のクリーナーを購入して清掃した、今までのクリーナーはクリヤー液は無いものを利用していたが効き目はなかった。扱い方は簡単でCDに付属するクリヤー液をCDに突起したブラシ部分に溶液を染み込ませ可動テストする。清掃終了後は清掃終了のコメントが流れ、CD購入後は全くクリーナー清掃はしてないため続けて2回ほど行った。
古めのCDを試聴すると見事に音飛びもしなくクリヤーに改善され若干だが音質も寄りクリヤーになったように感じる、又古いCDも無水アルコールにて清掃すると以外に汚れが取れる様子、早速確かめてドライブするとクリヤーな音が再現される、やはり定期的なメンテナンスは大切である。

しかし此のようなオペラ鑑賞は今後は映像も見えるDVDでの鑑賞が最強のようにも思う、「見える音」も興味あります、例えばワグナーの指輪の劇中、指輪を投げるシーン等も音より確実に目視できる音(場面が見える)が面白い。
今注文の24インチiMacが後少しで到着すると思うが、しっかりセッティングして今後違った方式の鑑賞ができると思うと楽しみが増える。

もしオペラ好きの方がいれば、エンクロージャーは低域のタップリ鳴る、大型の物での視聴をお薦めする、高級なブックシェルフ型のスピーカーでは決して味わえない、ホール感が体験出来る、如何にも舞台で行わるるオペラの醍醐味、迫力感が味わえる事は間違いないようです。この様な体験をすれば適度な据え置き型の大型エンクロージャーは手放せなく成ってしまう。



音楽とは、まさに音を楽しむ・・・基本は楽しむ事が一番に思う。武漢ウイルスが蔓延する以前国立劇場での『トゥーランドット』のオペラを予約していたが、公演は中止延期になり観劇は夢に終わる。
今後もチャンスが有れば是非観劇したい。最近少しただなんとなく世の中の不安が気になり「軽い鬱状態」になり少し安静状態で体調も戻りホットしています。筆者も意外と人間らしい部分が残っていると関心している。

意外と今も続く武漢肺炎のための意味のない緊急事態宣言発令、只々国民を脅し今回のワクチン注射を強要しこの注射のために亡くなった方の人数も発表はしない、国民に納得させ実施する行政はこれで良いのか疑問である。薬害訴訟に対応する姑息な方法と思わないのであろうか?疑問はつきまとう。

台湾もアストラゼネカの薬も入手出来、中共より益々東アジア地区の不安も高まり、すでに台湾にはアメリカ陸軍部が上陸し慎重な訓練をしている事も公開されている。中共、お隣さんも含め今後の動きに最新の注意をしなければならない、と同時に親中、親韓議員並び、慰安婦問題の巣窟の朝日新聞等の反日記事も横行し日本も不安要素は大いに広がって心配は深まる。
先の大戦で戦争の辛さは十分承知しているのに、間違った教育をした結果アジア地区は危険状態になったようである。



以前にも紹介したジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini/1858年-1924年)1858年生まれ。1924年没。イタリア出身。ヴェルディに続く、イタリア・ロマン派歌劇の後半を飾る大作曲家。教会オルガニストとして出発、ミラノ音楽院で学ぶ。ヴェリズモ・オペラをさらに発展させ、旋律美と管弦楽の効果的使用でドラマチックな世界を創出。

ジャコモ・プッチーニが作曲した最後のオペラです『トゥーランドット』(Turandot)の最大のハイライト、とにかくマリオ・デル・モナコのカラフが凄いです。当時から言われた、こんなカラフは聴いたことがありませんと言われています。「黄金のトランペット」の異名をとっただけのことはあり、このカラフだけでも聴く価値はあると思うのだが・・・・。

ここで真打ち登場である。アルベルト・エレーデ Alberto Erede指揮のプッチーニ: 歌劇「トゥーランドット」 全曲が古い録音出すが最高傑作と思う。

他の歌手の存在感が薄れてしまいますが、戦後カラスと人気を二分したというレナータ・テバルディのリューも非の打ちどころがない歌唱で、役にふさわしいと思いますので少し古いですが再度。この際しっかり『トゥーランドット』を検証したいと思います。



以前の筆者の音響機材の音質と比べ確かに、オーケストラ、オペラは臨場感も豊かに再現できる「続銘AXIOM80 TANNOY」と命名した、但しGOODMANS AXIOM80専用のオリジナルボックスは無く、当時は一枚の箱の図面で皆さん自作したと聞くが、我が国はYAMAHA楽器でエンクロージャは製作し販売したと聞くが事実は定かではない、筆者仕様のエンクロージャーは確かにしっかりした作りは気に入ってます、堂々とした佇まいである。

筆者の思うオペラの楽しみ方は、一番はホール感を感じられる程々のエンクロージャーとユニットの組み合わせが絶対の必要上演にも思う、ブックシェルフの様な小型のスピーカーでは体感できなく不満が募る、現在居間で聴く筆者のエンクロージャーは我慢すれば楽しめる音は鳴ってくれるようです。

TANNOY IIILZ(Monitor Gold)のユニットを渋柿液を2度塗り乾きも陰干しし上手く仕上がった、此のユニットの特質は高温の涼やかさは特質であり一度聞けばその音に魅了される。GOODMANS AXIOM 80の箱にオリジナルの(A.R.U.180)装置の付いた箱に移植し発売当初のユニットに近い物に復活したと思うシステムはオペラ、歌劇、ワグナーの「指輪」はたまたバッハのカンタータ等を鑑賞するには実にホール感たっぷりに味わえる現在の装置には(特にこの装置をお譲り頂いたY氏には)大変感謝しています。現在の装置は筆者の部屋にはこのサイズは限界でこれ以上の装置は不要である。当分無理だが、今後は程良い素直な三極管の真空管アンプは試して見たいと思う。

感じることに思うはひっそりオペラを満喫するにはこの「AXIOM80 TANNOY」で適度な音量では改めて楽しむエンクロージャーと思う、此のエンクロージャー入手して歌劇、オペラ鑑賞の機会が多くなっている、適度な大きさも影響あると思うが、最高な臨場感豊かな歌声、大好きなジャコモ・プッチーニの最後の作品を楽しむことにした。筆者所有のエンクロージャーでの鑑賞はリアル感もあり、見事に響くホール感を味合えば益々オペラの鑑賞が好きになります。

愚妻などオペラ鑑賞すると壊れた音楽と言われ、音量を小さくして聞けと叫ぶが・・・?確かに隣室では低音のボンボンと聴こえる音は、嫌いな人には地獄の響きのような音なのであろう(笑)



先ずは『トゥーランドット』(Turandot)は、フランソワ・ペティス・ド・ラ・クロワ、1963年にパリで生まれ、パリで死去。1713年12月4日は、フランスの東洋学者が1710年~1712年に出版した『千夜一夜物語』(原題Les Mille et un Jours、『千一夜物語』とは別の作品)の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」に登場する姫の名前であり、また、その物語を基にヴェネツィアの劇作家カルロ・ゴッツィが1762年に著した戯曲、および、それらに基づいて作曲された音楽作品である。上記に該当する音楽作品は複数存在するが、本項では、これらのうち最も有名なジャコモ・プッチーニのオペラ『トゥーランドット』について記述する。

『トゥーランドット(Turandot)』は、ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini/1858年-1924年)が作曲した最後のオペラです。
残念ながら「リューが自刃した場面」でプッチーニは亡くなってしまい、それ以降の場面は友人フランコ・アルファーノによって書き加えられました。
また、このオペラでカラフによって歌われる「誰も寝てはならぬ(Nessun dorma)」はオペラの代名詞的存在となっており、テレビCMなどでも度々流れています。

最近は特にルチアーノ・パヴァロッティが歌った「誰も寝てはならぬ」は、クラシックとしては異例のイギリスのシングルチャートでトップを記録し、全英で400万枚以上、全世界で1200万枚以上の売上を記録しました話は有名です。改めて此の二人を比べる事ができるYouTube配信を紹介する。コロナ禍の時代欧州で昨年にもこの曲が流され多くの医療従事者の人々が感激を味わった事であろう。

いつ聴くも感激する、最も有名なハイライト曲は第三幕第一場の誰もがわかりやすい内容とプッチーニ《トゥーランドット》「誰も寝てはならぬ」 デル・モナコが有名である。


オペラ対訳プロジェクトよりジャコモ・プッチーニ 《トゥーランドット》から「誰も寝てはならぬ」をイタリア語日本語対訳字幕付きでお届けします。音源はマリオ・デル・モナコのテノール、エレーデ指揮 / ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団です。

続いてYouTube(ルチアーノ・パヴァロッティの演奏)


ここで簡単なあらすじを述べると・・・・・。
第1幕
はるか昔、伝説時代の中国・北京。皇帝アルトゥムの娘トゥーランドット姫は、世界各地から求婚してくる王子たちに3つの謎をかけては、答えられなかった者たちを斬首の刑に処すため、人々に恐れられていた。国を追われ、心優しい召使いの娘リューを従えて放浪するタタールの前国王ティムールは、生き別れた息子のカラフと、宮殿前の広場で再会する。カラフは、広場で一目見たトゥーランドットの美貌の虜になり、彼女の愛を勝ち取ろうと決意する。カラフを心密かに慕うリューは泣きすがるが、カラフはリューに年老いた父の世話を頼み、3つの謎解きに命を賭けて挑む。



第2幕
トゥーランドットは、昔、祖先のロウ・リン姫が異邦人に虐殺された、だから私は異邦の王子たちに復讐するのだと話す。謎解きが始まり、名も知れぬ若者(カラフ)は見事に正解する。皇帝をはじめ人々は喜ぶが、トゥーランドットは動揺し、私は誰のものにもならないと結婚を拒む。姫の真の愛を欲するカラフは、夜明けまでに私の名を明らかにできたら命を捧げよう、と今度は自分から謎を出してみた。

第3幕
北京の町には、若者(カラフ)の名前が分かるまで誰も寝てはならないという布告が出された。カラフは名高いアリア「誰も寝てはならぬ」を歌い自信を示す。
トゥーランドットは、リューを拷問にかけて若者の名を明かさせようとするが、リューは秘密を守ろうと自らの命を絶つ。姫は愛の力に心を打たれる。カラフがトゥーランドットに情熱的な口づけをする。トゥーランドットは、カラフの名が「愛」であると人々に告げ、2人は結ばれる。



定番中の中の定番とされ、録音は古いが音質は大変良く全曲聴いてしまう。「トゥーランドット」の作品としては是非視聴して頂きたいアルバムである。

プッチーニ: 歌劇「トゥーランドット」 全曲

指揮アルベルト・エレーデ(Alberto Erede)
1909年11月8日、ジェノヴァ生まれの指揮者。2001年没。ミラノのヴェルディ音楽院を経て、スイスのバーゼルでワインガルトナーに師事する。1935年にトリノでデビューし、45年からトリノ放送交響楽団の指揮者や、ライン・ドイツ・オペラの音楽監督などを歴任。イタリア・オペラを中心に演奏活動を続け、59年にはイタリア・オペラ団と初来日し、「オテロ」などを指揮した。68年、バイロイトで「ローエングリン」を指揮、その後も、メトロポリタン歌劇場を初め、欧米各地で活発な演奏活動を展開した。



1813年10月10日、ジュゼッペ・フォルトゥニオ・フランチェスコ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunio Francesco Verdi) は、カルロ・ヴェルディの10番目の子供として、ブッセート近郊レ・ロンコーレに誕生。この頃は政情が不安で、翌年1月には同地にロシア軍が侵攻しています。生家は旅館兼居酒屋を営み、宿泊客の旅芸人の音楽に幼少から惹かれていたとのこと。

ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団
1908年創設、管弦楽を専門に演奏するイタリア最古のシンフォニー・オーケストラ。これまでマーラー、ドビュッシー、R.シュトラウス、ストラヴィンスキー、ヒンデミット、トスカニーニ、カラヤンらを指揮に迎え、14000回に及ぶコンサートを行なう。83年から90年まではバーンスタインが名誉総裁を務め、97年から2005年までチョン・ミュンフン首席指揮者に就任。2005年10月よりアントニオ・パッパーノが音楽監督に就くと、カンタービレも音もさらに輝きを増し、2007年の来日公演でも絶賛される。2009年、クラシックFMグラモフォン賞(オペラ部門)受賞。翌年の英・クラシックFM誌で〈世界のオーケストラ・トップ10〉に選出。

ローマ聖チェチーリア音楽院合唱団
伊・ローマを拠点とする現存する最古の音楽教育機関、サンタ・チェチーリア国立アカデミアに所属する合唱団。古典クラシックや現代作品まで幅広いレパートリーを持ち、ロリン・マゼールとシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のオーケストラ、カルロ・マリア・ジュリーニとRAI、クラウディオ・アバドとベルリン・フィル、ヴァレリー・ゲルギエフとキーロフ・オーケストラ、アバドとルツェルン祝祭管など名門オーケストラおよび指揮者とともに活動を展開。また、ザルツブルク音楽祭ほか著名音楽祭にも出演。受賞歴も多い。

ソプラノ:レナータ・テバルディ
1922年2月1日、イタリアのペーザロ生まれのソプラノ歌手。2004年12月19日、サン・マリノにて没。パルマのボーイト音楽院でカルメン・メリスに師事し、1944年『メフィストーフェレ』のエレーナ役でデビュー。その後、トスカニーニに認められ、1946年のミラノ・スカラ座再開記念コンサートに出演し、一躍注目を浴びた。以来20余年に渡り、世界各地の主要な劇場で活躍し、イタリア・オペラ界を代表するプリマ・ドンナとして、マリア・カラスと人気を二分した。レパートリーはヴェルディ、プッチーニ、ヴェリズモ・オペラのヒロインなどで、その輝かしい声と見事な演技力は聴衆を魅了した。



マリオ・デル・モナコ
テノール歌手。1915年フィレンツェ生まれ。85年没。「黄金のトランペット」と呼ばれた輝かしい声を持ち、ドラマティックな役柄で高く評価された。13歳からヴァイオリンを学び、16歳から本格的に声楽を学ぶ。後にペーザロ音楽院のメロッキに師事。卒業後はレコードなどを通じてほとんど独学で発声とオペラ表現を学んだと言う。大戦中もイタリア各地の歌劇場に出演して経験を積み、46年『アイーダ』のラダメスで評判を取り、49年のミラノ・スカラ座での大成功を経て“黄金のトランペット”と称され、名テノールとしてオペラ界に君臨した。

半世紀以上を過ぎた現在も絶大な人気を博しているのがエレーデの《トゥーランドット》です。デル・モナコ演じるカラフが強烈なインパクトを有し、彼の歌う2つのアリア、第1幕終了時のアンサンブルを貫く声の輝かしさなどは不滅のもの。これが全盛期の歌声です。その他どの歌手も素晴らしい歌唱を繰り広げる20世紀の名盤です。

 歌劇《トゥーランドット》(全曲)Turandot - Complete



 トゥーランドット インゲ・ボルク(ソプラノ)
 Turandot Inge Borkh, soprano
 リュー レナータ・テバルディ(ソプラノ)
 Liu Renata Tebaldi, soprano
 カラフ マリオ・デル・モナコ(テノール)
 Calaf Mario del Monaco, tenor
 ティムール ニコラ・ザッカリア(バス)
 Timur Nicola Zaccaria, bass
 ピン フェルナンド・コレナ(バリトン)
 Ping Frnando Corena, baritone
 パン マリオ・カルリン(テノール)
 Pang Mario Carlin, tenor
 ポン レナート・エルコラーニ(テノール)
 Pong Renato Ercolani, tenor
 皇帝アルトゥム ガエターノ・ファネッリ(テノール)
 The Emperor Altoum Gaetano Fanelli, tenor
 大臣 エツィオ・ジョルダーノ(バリトン)
 A mandarin Ezio Giordano, baritone

【演奏】
 サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団・合唱団
 Orchestra e Coro dell'Accademia Nazionale di Santa Cecilia, Roma
 指揮:アルベルト・エレーデ
 Conducted by Alberto Erede
【録音】
 1955年7月 サンタ・チェチーリア国立アカデミー

伝説的なトゥーランドット歌いであり、ワーグナーなどのオペラでも一時代を築き上げたボルクのトゥーランドット、そしてデル・モナコのカラフ、テバルディのリューという、イタリア・オペラの黄金時代と呼ばれた1950年代を代表する「トゥーランドット」の歴史的名盤であり、歌の魅力でこれを凌ぐアルバムは他にないとおもう。

音質も1955年録音今から60年以上前の録音とは思えないほどクリアで分離がよく、低音の迫力が違います。近年の録音と言われてもわからないクリーヤーな音質が大変魅力的だ。前奏曲から始まる音に驚き実にオケも上手く古い録音だが音質は実にリアルに聴こえる。東洋を思い浮かべる鐘の音も(仏教で使う鐘の音)それらしく聴こえる感じも面白い。インゲ・ボルグのトゥーランドットはニルソン程ではないですが及第点。しかしなんといっても本録音のウリは黄金のトランペットのデル・モナコによるカラフでしょう。コレッリやパヴァロッティも目じゃないですね。熱さ、ハリ、声量。圧巻です。



とにかくマリオ・デル・モナコのカラフが凄いです。こんなカラフは聴いたことがありません。「黄金のトランペット」の異名をとっただけのことはあり、このカラフだけでも聴く価値はあります。
他の歌手の存在感が薄れてしまいますが、戦後カラスと人気を二分したというレナータ・テバルディのリューも非の打ちどころがない歌唱で、役にふさわしいと思います。

トゥーランドットとは中国の姫の名前です。とても美しく、求婚する若者が後を絶たないのですが、冷酷なことでも知られています。彼女と結婚するためには3つの謎を解かなければならず、それに失敗した者は首を切って殺されてしまうのです。今日もペルシアの王子が月の出と共に命を絶たれてしまいます。そこへある国の王子カラフがあらわれ、自分がその3つの謎かけを解いて姫に求婚すると名乗りをあげます。このトゥーランドットが出した3つの謎というのがちょっとしゃれているというか文学的で面白いのです。

 トゥーランドット「毎夜生まれて明け方に消えるものは?」
 カラフ     「それは希望。」
 トゥーランドット「赤く炎の如く熱いが火ではないものは?」
 カラフ     「それは血潮。」
 トゥーランドット「氷のように冷たいが周囲を焼き焦がすものは?」
 カラフ     「それはトゥーランドット」
禅問答のような問のようなやり取りは、これで全問正解だそうです。

流れとしてはこれでめでたしめでたしという事になりそうなのですが、そう簡単には行きません。トゥーランドットが結婚をいやがり父王に訴えたのです。父王は「約束は約束だから」と娘を諭します。そしてカラフは姫に対して「私も謎を出そう。私は誰にも名前を知られていないはず。明日の夜明けまでに私の名をつきとめれば結婚をあきらめて私は潔く死のう」と言います。
トゥーランドットは月明かりの下で、「今夜は誰も寝てはならぬ。彼の名を解き明かさなければ住人を皆死刑にする」と命令を下します。ハイライトでは、それを聞いたカラフはこのアリア「誰も寝てはならぬ」を唱います。



このアリアはその美しさからテノール歌手の憧れの曲なのですが、一躍世界的に有名にしたのはルチアーノ・パヴァロッティという歌手です。彼は世界三大テノールの一人と言われた名手なのですが、あるラジオ番組で彼が歌うこの曲が流れるや否や全ての人を魅了し、CDをシングル発売、イギリスの全ジャンルシングルチャートトップを数週間に渡り記録、全世界で1200万枚以上の驚異的セールスとなりました。

サッカーのワールドカップ記念コンサートやトリノオリンピックの開会式でもパヴァロッティ本人の歌唱で披露されました。クラシック内外の色々な歌手のレコーディングがありますが、私はパヴァロッティ以上に完璧に、しかもこの上なく美しく歌われたものに出会ったことがありません。パヴァロッティはルックスはお世辞にも「王子様」という感じではないのですが、この人以上に美しい声と情緒を持つ歌手が今後現れてくるのかどうか……。とにかく最高の歌声です! 

だまされたと思って一度お聞きください!ブラボー!

あまりにも有名なバッハのブランデンブルグ曲を使った、カンタータBWV52を考察すし・・・納得する。

2021年06月01日 | オペラ・歌劇・カンタータ・オーディオ全般


意外と自由な時間があり何故か最近思うは、日本の歴史を考える事が多い、最近YouTubeで配信があった明智光秀のYouTube発信の新しい解釈をみて成る程と頷いた事は確かです。最近特にNHKはじめ民放も含めフェイクニュースと思える報道が多く国民が報道番組を事実を改めるまで信用できない社会には遺憾を感じる。誠に嘆かわしい。ニュースはネット中心に拝見する。

歴史を考えるに面白いことは、日本人のルーツ何処からきたのか?縄文時代と弥生時代はちがいは?日本語は日本書紀、古事記が最初と言われるがその前の文字はあったのか?天皇のルーツは?海外との交流は?日本食のルーツは?と不思議な事が次々と問題提議され、戦国時代〜江戸時代の時代は謎の巣窟である。

以前から子供の頃から興味があった謎である事件、実は「敵は本能寺にあり」ではなかった!と史実が物語る事件を考察、興味ある方は御覧ください。新しく発掘された古文書などの手記などで解読して解明できる様である。明智光秀の事に見識も深い静岡大学名誉教授 小和田哲男先生なども手記から伺える本人の声が聞こえるなどとも言われている。

この時代種子島(鉄砲)の登場により、因みに火縄銃は当時国産品が精巧で命中率も優れていたとも言われる、伝統の刀鍛冶が盛んで銃身の鍛造技術が進んでいたので製鉄が均一化されたと言われる。特に難しかった部品はネジ部分と聞いたので事がある。
話は前後するが、三国志時代に魏の国が強かったと言われるが、新しい解釈では和人が朝鮮半島の現在の韓国の南の馬山あたりで鉄製の武器を作り魏国との取引していたと言う解釈も新事実を言われているそうであり、当然当時の武器の主流は青銅であり魏国は鉄製とすれば武器の違いは相当である。

鉄砲の出現により戦闘方法が変化し「長篠の合戦」以降の戦で命を落とす人が驚異的に増えた事に、愁を得たのかもしれない?戦死者は一千人から一万人以上十倍〜二十倍以上の戦死者が増えたことは事実でもある。徳川が統一し安定した時代になって後日、家康は鉄砲使用を中止定め太平な時代となる。

その①
その②

日本は、先の太平洋戦争後、明治維新後、江戸幕府後、と大いに世の中が変わった時代もある、筆者は1948年戦後生まれ勿論当時の歴史教科書は戦後間もなくの事でアメリカ教育は今思えば嘘ばかり書かれていた、勿論ロシアの野望、ヤルタ会談等の不思議事が満載でした?大人になり司馬遼太郎等の小説も読むが疑問箇所も多く掲載されていた。
最近は当時に文書などから新しい事実が発見され日本史、世界史の事柄も辻褄が合い、現在の小学生の教科書には士農工商などの決めごとの文字も無くなっている、此れは小学生の歴史教科書を再度勉強が必要かもしれない。一般国民の住宅地に沢山の空爆が投下され、最後は原爆も投下されたが日本人は不思議とアメリカ国民を恨んでいない、未だ敗戦国状態に代わりないが、現在は基本的にはお互いに当然世界平和国家を目指している。

しかし戦後日本教育を受けた時代の年寄りも含め、古代から日本帝国時代の事の事実は知って頂きたい。アジア諸国の奴隷解放をしたのは当時の日帝である、当然アメリカは当時の日本を恐れ戦争を仕掛けたのです。勿論日本の真実の歴史は次の時代に伝えなければならないと思う、次の日本人の為に、今こそ日本政府に正しい歴史を日本人全員にもう一度教える時代になったと思う。



歴史に於いての疑問は「どうして」の四文字の疑問が常に付きまとう、日本史における最大の偽りは太平洋戦争の前後等はアメリカのGHQが画策され、嘘ばかりなど教えられた、現在お隣さんも間違った反日教育で辻褄が合わなくなった事が狂ってきた原因であろう、自業自得である。

勿論欧州もアメリカ白人等、貴族階級制度が今も色濃く当時の奴隷制度も未だ残り、キリスト教の教えも昔では思いも寄らない世界が垣間見える、勿論当時J.S.バッハの時代背景は当然貴族制度時代で協会のパイプオルガン等のポンプは当然奴隷達が操作していたであろう、当時の日本には奴隷制度はなく欧州と違った異質な平等の文化を形成したようである。
しかし誠に残念な事は日本には西洋音楽に近い音楽はなく笛、太鼓、笙、琴程度の音曲しかなく、この辺りは西洋音楽が素晴らしい進化をとげて完成されて現在とあまり変わりない演奏をしていたようである。

勿論この時代にバッハが生まれバッハ独自の音楽が生まれたかの「どうして」の疑問も残る、筆者の好きな曲にバッハのブランデンブルグ協奏曲第1番 BWV1046があり色々な演奏者の違ったこの曲は良く聞いた、その初期稿であるシンフォニア BWV1046a からのカンタータへの転用は多く3曲もあります。おそらく,バッハ自身も相当この曲が相当気に入っていたのであろうと思わせる曲である、しかもケーテン時代バッハの一番充実した時代に作った曲に思える、有名なカンタータは三位一体後第23主日のためのカンタータ第52番「偽りの世よ,われは汝に頼まじ(Falsche Welt, dir trau ich nicht)」BWV52 は,ライプツィヒで1726年11月24日に初演されました。その第1曲シンフォニアは,ブランデンブルグ協奏曲第1番の初期稿 BWV1046a 第1楽章からの転用です。



バッハ:教会カンタータ全集
アーノンクール、レオンハルト、ウィーン少年合唱団、テルツ少年合唱団、ほかで聴くが勿論好きなカンタータです

有名なカンタータは三位一体後第23主日のためのカンタータ第52番「偽りの世よ,われは汝に頼まじ(Falsche Welt, dir trau ich nicht)」BWV52 は,ライプツィヒで1726年11月24日に初演されました。
その第1曲シンフォニアは,ブランデンブルグ協奏曲第1番の初期稿 BWV1046a 第1楽章からの転用です。
大バッハは,1735年頃,カンタータ第207番の歌詞を改めて,ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世の聖名祝日を祝う祝賀カンタータ「いざ,勇ましきラッパの嚠喨たる調べよ」BWV207a に改作し,装い新たに再演しています。
カンタータ第207番「鳴り交わし争う弦も相和して(Vereinigte Zwietracht der wechselnden Saiten)」BWV207 は,1726年12月11日にゴットリープ・コルテ博士がライプツィヒ大学法学部教授に就任したことを祝福する祝賀カンタータとして作曲されました。

第1曲の合唱は,ブランデンブルグ協奏曲第1番の献呈稿 BWV1046 第3楽章から転用されています。転用に際して,ヘ長調からト長調に移調され,2本のホルンは3本のトランペットとティンパニに変更されました。
また,3本のオーボエに加えて2本のフラウト・トラヴェルソを重ね,ヴィオリーノ・ピッコロの独奏パートが合唱で置換され,大規模な編成に拡大されています。

同カンタータ第5曲の器楽合奏には,さらに献呈稿第4楽章の第2トリオが転用されています。カンタータ第208番「楽しき狩こそわが悦び」BWV208 は,「狩のカンタータ」として親しまれています。このカンタータは,狩猟好きのヴァイセンフェルス公クリスティアンの誕生日祝いとして1713年2月23日に上演されました。曲はいきなりレチタティーヴォから開始されますが,ブランデンブルグ協奏曲第1番の初期稿 BWV1046a の第1楽章または全曲が,カンタータの前にシンフォニアとして演奏されたであろうと考えられています。

又大バッハは,1735年頃,カンタータ第207番の歌詞を改めて,ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世の聖名祝日を祝う祝賀カンタータ「いざ,勇ましきラッパの嚠喨たる調べよ」BWV207a に改作し,装い新たに再演しています。
カンタータ第207番「鳴り交わし争う弦も相和して(Vereinigte Zwietracht der wechselnden Saiten)」BWV207 は,1726年12月11日にゴットリープ・コルテ博士がライプツィヒ大学法学部教授に就任したことを祝福する祝賀カンタータとして作曲されました。第1曲の合唱は,ブランデンブルグ協奏曲第1番の献呈稿 BWV1046 第3楽章から転用されています。転用に際して,ヘ長調からト長調に移調され,2本のホルンは3本のトランペットとティンパニに変更されました。また,3本のオーボエに加えて2本のフラウト・トラヴェルソを重ね,ヴィオリーノ・ピッコロの独奏パートが合唱で置換され,大規模な編成に拡大されています。同カンタータ第5曲の器楽合奏には,さらに献呈稿第4楽章の第2トリオが転用されています。


カンタータ第208番「楽しき狩こそわが悦び」BWV208 は,「狩のカンタータ」として親しまれています。
このカンタータは,狩猟好きのヴァイセンフェルス公クリスティアンの誕生日祝いとして1713年2月23日に上演されました。曲はいきなりレチタティーヴォから開始されますが,ブランデンブルグ協奏曲第1番の初期稿 BWV1046a の第1楽章または全曲が,カンタータの前にシンフォニアとして演奏されたであろうと考えられています。

2015年の新発見 バッハのカンタータの知られざる作詞者が判明、作詞者はクリストフ・ビルクマン Christoph Birkmann (1703-1771)。ニュルンベルク出身の神学者で、1724年から27年にかけての2年半、ライプツィヒに学生として滞在していた。

最近購入したグスタフ・レオンハルトのカンタータ全集の中にあり録音も良くたまには聴いていますが、iTunes、YouTube等の配信のルドルフ・ルッツも指揮するバッハのカンタータ全集シリーズでの演奏は自然に聴こえる演奏の響きもホール感たっぷりに鳴る音質も実に心地よい。



第32集にはこれまでのような「宗教的カンタータ」ではなく2曲の「世俗カンタータ」が収録されています。BWV.208『わが楽しみは、元気な狩のみ』は1713年2月27日、ヴァイセンフェルス公クリスティアンの誕生日を祝する曲であり、これは作曲当時バッハが仕えていたヴィルヘルム・エルンストの依頼によって書かれたとされています。クリスティアンの偉業を讃える言葉と壮麗な15曲の音楽で仕立てられた大規模なカンタータで、ソリストたちの歌の聴かせどころも用意されています。中でも『羊は安らかに草をはみ』は単独で演奏されることも多い名曲です。BWV.212『おいらは新しい領主様をいただいた』は1742年、ライプツィヒ近郊の村に着任した新領主カール・ハインリヒ・フォン・ディースカウのために作曲された全24曲からなるカンタータ。男女2人が新しい領主について語り合うという内容で、民謡や方言、当時の流行歌がふんだんに用いられた楽しい作品です。



上記のようなDVDで販売している、余裕があれば購入をしたいが意外と高額である。又当時の楽譜があったようである。

ここに奴隷制度の起きた事柄を見つけ封建制度の時代背景を見つけた様な感じだった。以下この事について詳しく記した文章を記載する。




マイケル・グッゲンハイマー他の人を助ける。
言葉の自由を守るカンタータ「間違った世界、私はあなたを信用していません」をどのように読むことができるか:迫害された作家を保護するためのTrogenからの訴えとして。

人々は通りに連れて行きます。彼らは抗議します。彼らは平等と正義を要求します。彼らは公の場で意見を表明します。イスタンブールでは、何千人もの人々が公園の破壊を実証し反対する権利を要求しています。香港では、彼らは民主的な選挙手続きを要求しています。エルサレムでは、彼らは土地の押収に抗議しています。そして、州が彼らとの対話を拒否するときはいつでも、たとえ彼らのスローガンが犯罪的背景以外のものを含んでいたとしても、抗議者は刑務所に入れられることになります。公に表明されたあなたの懸念は違法とみなされます。
デモ参加者と国家権力の間の論争の罪のない犠牲者になるのは簡単です。たとえば、スイスの作家RetoHännyは1980年に拘留されました。理由:彼はチューリッヒの暴動を観察しています。彼はデモの傍観者であり、メモを取り、文書、リーフレット、発射体を収集し、逮捕されます。彼はチラシを持っているので、活動家である疑いがあり、1週間拘留されています。刑務所から彼は作家連合の同僚に手紙を書いた。それは表現の自由を求めるものです。ベルンのスイス文学アーカイブの展示室で見ることができる彼の手紙の中で、彼はそれが作家の仕事であることを私たちに思い出させます«社会的、すなわち人間の問題に興味を持ち、批判的な精神を観察し観察する目撃者として、問題に対処するための警戒する現代人として、そして今では、彼の中で、さまざまな文書を調査し、収集することが含まれていますつまり、問題の解決に貢献し、現代史の糸で文学作品に参加するという独自の方法»。



地元の作家が逮捕されることはまれです。クルド系のスイス人作家ユスフ・イェシロスは、ドイツ語で出版した「クルド文学史」に、4カ国のクルド人作家間の対話の難しさを語る序文を掲載しました。ソルボンヌ大学の教授は次のように書いています。「クルディスタンは4カ国に分かれているため、文学は流通できません」と彼女の序文は述べています。スイス市民のイェシロスがイスタンブール空港に到着すると、トルコを含む4か国にクルド人が存在するため、アンカラの当局は受け入れられず、文学者のペンからこの一文で刑務所に入れられます。などは発声されない場合があります。

著者は、いくつかの国では「さそりの中で」生きる作家の状況は本当に多くの国でどのように不安定、著者が住んでどのくらいの頻度「サソリの間で」バッハのカンタータのテキストで述べたように、「間違った世界では、私はあなたを信用していない」ということつまり、インターネット上のすべての人がアクセスできるドキュメントを一目見ればわかります。グローバル組織であるPENInternationalの本部は、6か月ごとに、犯罪活動に関与していない作家、翻訳者、出版社、ブロガーについて知ったすべてのケースをリストした、いわゆる「ケースリスト」というドキュメントを提示します。

それでも「それらに違反する」刑務所に入れられるか、刑務所に入れられるか、起訴されます。ケースリストの現在の版は、A4形式で275枚の密接に書かれたシートを数えます!情報は常に更新されます。月刊誌には、アルジェリアの作家であり映画製作者でもあるAbderrahmane Bouguermouhなど、最新の動向に関する情報も掲載されています。彼は故郷の少数派であるベルベル人の言語で映画を作りました。そのため、彼は原理主義者から死刑を宣告され、暗殺未遂をかろうじて逃れ、アルジェリアからヨーロッパに逃げることができました。ベルベル人の少数民族の言語は、存在しているものの、彼の故郷では認識されていません。



もう1つの例は、トルコのマイノリティの排除を扱うトルコのフェミニストネットワークの著者であり創設者であるPinarSelekです。クルド人の質問に関する彼女の社会学的研究は、彼女の故郷のいくつかのサークルの側のとげでした。1998年、彼女の潜在的な影響力を制限するために、彼女は爆弾攻撃を行ったと誤って非難されました。彼女は2年半投獄され、ひどく拷問されました。彼女は拘留から解放され、12年間の裁判のほとんどを全体として過ごした。それにもかかわらず、検察庁は「より厳しい条件下での終身刑」という最高刑を要求した。
3番目のケースは、サウジアラビアの編集者でブロガーのRaefBadawiです。数ヶ月前、彼は刑事裁判所から「リベラルなウェブサイトの設立」で10年の懲役、1,000回の鞭打ち、重い罰金、10年の旅行禁止、10年のメディア禁止の判決を受けました。
そして最後に、受賞歴のあるエジプトの俳優アボル・ナガの場合:インタビューで、彼は人権を侵害したとしてエジプトのアブデル・ファッタ・アル・シシ大統領をあえて批判し、「反逆罪と社会平和の崩壊」で起訴されました。

脅威にさらされている表現の自由多くの国で、思考や意見の表現の自由、文学作品やメディアでの言論の自由、ひいては検閲の拒否が脅かされています。かつて遠く離れていた目的地が近づいてきた時代に、表現の自由が抑圧されている国々は、もはや私たちから遠く離れていません。これらは私たちの週末の市内旅行が私たちを連れて行く国であり、私たちが休暇を過ごし、私たちがビジネスをしている国です。ハンガリー、トルコ、エジプト、中国、メキシコ、イラン、ロシア、インドネシア、エチオピアなどがその一例です。前述のケースリストは700以上のケースを数えます。以下が適用されます:暴力またはその使用の伝播でさえ有罪判決を受けた囚人または司法によって迫害された人々、および人種的憎悪を扇動した人々、メディア労働者、作家、そして最近のブロガーも、彼らの国について書き、小説、物語、彼らの故郷の日常生活を説明する記事を書きます。

書くことによって頻繁にではなく、彼らは不正や不満に注意を向けます。彼らに対する訴訟では、彼らは違反され、彼らの声を奪われます。尋問、裁判所の任命、刑務所に入れられるという恒久的な脅迫、毎週警察署に報告することの強制、パスポートの撤回などの当局からの嫌がらせ、国外への出国の禁止、自国での旅行制限著者が働き、書き続けることを妨げられているという事実につながります。


カンタータ「間違った世界、私はあなたを信用していません」は「正直」と言っていませんか-オブザーバーのそれは、ここに追加する必要があります-したがって、「世界から追放」されます。支配者の虚偽の目的は、彼らを沈黙させ、追い払うことです。自分の意見を支持するには勇気が必要です。アダプター側の「偽善」が何度も浮かび上がり、「友達」は「不誠実」になり、勇敢から離れ、「正直」は「世界から追放」されます。カンタータのテキストとは対照的に、「友情」を構築することはできません。
声を上げる表現の自由の制限や虚偽に対して、声を上げることが重要です。

これが防止される場所だけでなく、ここからも、抑圧され脅かされている人々への連帯と支援を示します。抑圧された者を一人にしてはいけません。権力者が「彼らを縄張りにする」なら、私たちは私たちの助けを借りて彼らを支持するべきです。特に私たちは、自由に意見を述べることができる国に住む特権を持っています。
ケースリストを見ると、次のことがわかります。彼らの調査によると、現在、80か国以上で700人を超える作家が大規模に抑圧されています。そのうち290人は長文を出し、170人は出版物の裁判にかけられており、昨年だけで45人が殺害された。もちろん、これらの人は誰も暴力を使用したり、暴力を扇動したりしませんでした。これらの著者は、小説、短編小説、レポート、そして彼らの国について、彼らの故郷の人々と状況についてのレポートで話すだけでした。



この悲しいヒットパレードの頂点に立つのはトルコで、刑務所にいる約70人の広報担当者と、時には非常に長引く訴訟に関与している60人の広報担当者がいます。2位は人気の貿易相手国である中国です。2008年以来7文以内で投獄されているノーベル賞受賞者の劉暁波と39人の投獄された作家がいます。エリトリアとベトナムが続きます。しかし、そのような数字はすべてを言っているわけではなく、迫害された人々の本当の運命を説明しているわけではありません。
トルコのような国では、活発な知的シーンがあり、国家の嫌がらせに加えて、多くの自由もあるという理由だけで、非常に多くの作家が拘留されています。法的な不確実性と差別のこの風潮(逮捕された著者の70%はクルド人)では、テキストの価格または懲役のどちらを受け取るかを確信することはできません。この予測不可能性は、近年多くの国で蔓延しています。

迫害された作家たちは、意見の自由、とりわけそれを表現する自由が支配している国々に連帯して希望を置いています。私たちを助けてください、それは彼らの呼びかけです。またはバッハのカンタータの言語で«だから彼の助けは私と一緒です»、なぜなら:あなたのもの私たちは友情を「築き上げ」たいと思っています。PENインターナショナルは、母国で嫌がらせを受けている作家を支援するために、他の人道支援団体と協力して、母国の当局に邪魔されることなく、彼らが住み、働くことができる場所を作ろうとしています。

その仕事の一環として、PENは迫害された作家、ジャーナリスト、出版社とその家族を支援しています。PENは彼らと連絡を取り、影響を受けた国と我が国の両方で彼らの運命について国民に知らせようとしています。PENは、アムネスティ・インターナショナルなどの他の人権団体と協力して組織しています。嫌がらせ、投獄、拷問、死に脅かされている作家を支援し、可能であれば、捕虜のアクセスから彼らを排除するために、公のキャンペーンまたは外交チャネルを使用します。時々、めったに十分ではなく、成功します。2年前、国際代表団は当時のアブドゥラーギュル大統領とトルコの知識人の状況について交渉し、言論の自由の制限についての認識を高めるためにイスタンブールで記者会見を開きました。



今日のカンタータからの一節は、これらの交渉の結果に特によく適合します。
「あなたの顔は、それがどんなに友好的であっても、秘密の破滅を熟考しています。」トルコの閣僚は友好的な表現で、自国における表現の自由の妨げを否定した。メキシコの別のPEN代表団は、麻薬カルテルについて報告し、その代償を払わなければならなかったジャーナリストや作家に脅威に関する情報を提供しました。

PENは、迫害された著者が一時的に家を出るのを助けます。政権交代、恩赦、新しい法律は彼らの復帰を可能にすることができます。特にこの仕事が成功し、迫害された作家が彼らの拷問者から逃れて故郷を離れることができるとき、新しい問題がすぐに起こります:亡命国で言語が理解されていない作家として亡命中の作家やジャーナリストはどうやって生き残ることができますか?PENがライターズインエグザイルプログラムを立ち上げたのはこのためです。この亡命プログラムに受け入れられた外国人作家は、助成金(最初は1年間の助成金で、最大2回まで延長できます)を受け取ります。

このアパートは、ホストコミュニティによって支払われることもあります。スーパーバイザーとボランティアは 亡命者が日常生活のさまざまな問題を解決するのに役立っていること。覚えておいてください:これらの著者は、言語を話せず、文化や価値観を調整する必要がある国に亡命しています。同時に、地元の作家は、亡命者の出版社、翻訳者、編集局との連絡を確立するよう努めています。彼らは、故郷以外ではまったく知られていない作家と作品を公開するために、朗読会やディスカッションイベントを開催しています。追放された作家たちがしばらくして自立できるように、あるいは出身国の政治情勢が改善した場合は母国に戻ることができるように、いくつかの国で追放された作家を支援しようとする人もいます。在留資格に関係なく、ヨーロッパに数年または永久に滞在する場合は、受入国の言語を学ぶことが特に重要です。もちろん、亡命生活を送っている人々に、受入国に完全に溶け込み、スイス人、ドイツ人、またはノルウェー人になるよう求めることはできませんし、そうすべきではありません。むしろ、それは彼らが-テオドール・アドルノから一言を取り上げる-条件を作り出すことの問題です。「違うことができる」「恐れることなく」そして差別なく。

アピールの場所としてのトロゲン特に亡命中の人々と仕事をするとき、文化の違いの受け入れと普遍的に適用可能な人権の考えは相互に依存しており、時々主張されるように、相互に排他的ではないことを学ぶことができます。外国人を脅威としてではなく、自分の文化を豊かにするものとして理解することを学んだときにのみ、私たちと一緒に亡命し、多くの場合友達になる人々を助けることも私たちにとって大きな利益であることが理解できます。

意見を述べることを許されていない抑圧された人々を支援することについてお話します。迫害された芸術家たちに生き残る機会を与えたことを誇りに思う国、スイスでそれについて報告します。有名な劇場の専門家や作家は、ここに何度も避難所を見つけました。しかし、ボートが満員だったと思われるため、多くの人が先に進まなければなりませんでした。ヨハン・セバスチャン・バッハのカンタータが毎月、カンタータの基になっているテキストを振り返る機会を提供しているトロゲンは、他のヨーロッパ諸国とは異なり、この国はまだ生活を提供していないという事実について話すのに適した場所です本、新聞、電子メディアで表現された意見のために迫害された人々のための宿舎。

トローゲン、スイスでは間もなく看板が設置されます。ルツェルンのアパートが借りられ、来年の夏から、追放された作家や脅迫された作家が自由に書くことができるようになります。目的は、スイスに最初の避難所を設立することです。ヨーロッパと北アメリカの16カ国で長い間確立されてきたアイデアがこの豊かな国で実行される時が来ました。彼らは、彼らの言葉を支持する私たちの友情、拒絶された人々の上に築き上げたいと思っています。この国がさらに関与する時が来ました!

ノーベル文学賞受賞者のヘルタ・ミュラーはかつて次のように述べています。「救助された人々にとって、家はあなたが生まれ、長い間住み、もはや行くことを許されていない場所です。この家は今でも最も親密な敵です。あなたはあなたが愛するすべての人を置き去りにしました。そして、それらはまだそのまま配信されます。私たちはこの痛みを乗り越えることはほとんどできませんが、それを報告する人々の話を聞いて助けることはできます。」



【収録情報】
J.S.バッハ:
1. 狩のカンタータ『わが楽しみは、元気な狩のみ』 BWV.208
2. 農民カンタータ『おいらは新しい領主様をいただいた』 BWV.212
 ヨハネッテ・ゾマー(ソプラノ:1)
 マリー・ルイーゼ・ヴェルネブルク(ソプラノ:1)
 ラファエル・ヘーン(テノール:1)
 ペーター・コーイ(バス:1)
 シビラ・ルーベンス(ソプラノ:2)
 ドミニク・ヴェルナー(バス:2)
 バッハ財団合唱団
 バッハ財団管弦楽団
 ルドルフ・ルッツ(指揮、チェンバロ:1)
 録音時期:2019年10月25日(1)、2018年6月29日(2)
 録音場所:Furstenlandsaal Gossau(1)、Chaserrugg im Toggenburg(2)
 録音方式:ステレオ(デジタル/ライヴ)

下記は以前購入したバッハ全集より
Falsche Welt, dir trau ich nicht, BWV 52: V. Aria. Ich halt es mit dem lieben Gottを公開します。

それではBWV52のカンタータの意味を簡単に考えて行きましょう。
 カンタータ第52番「悪しきこの世よなつけをつくまじ」
  BWV 52間違った世界、私はあなたを信用していません!
 設置:三位一体節後第23日曜日

バッハのカンタータBWV 52のタイトルであり、テキストの最初の行です。これは、1726年11月24日日曜日、その年のトリニティ後の23日曜日に書かれ、最初に演奏されました。その教会暦の最後の年。1週間後、ファーストアドベントで、次の典礼の季節が始まるからです。

BWV 52はソプラノのソロカンタータであり、よく知られているが後に作曲されたBWV 51、すべての国のJauchzetGottに匹敵します。カンタータ52では、クロージングコラールに必要なのは4部構成の合唱団だけです。カンタータバッハだけライプツィヒでの在任四年に始まったと、私たちは今(以降知ることができたのソロカンタータのシリーズに属している出版物、それらの大部分(BWV番号169、56、49という2015年) 、98,55,52,58,82)テキストは当時の学生と後に牧師のクリフト・パークマン(下記に説明)によって書かれました1724年から1727年までライプツィヒで学んだ(1703-1771)は、バッハの指導の下で歌い、演奏し、数学、科学、音楽から神学へと徐々に切り替えていきました。バークマンのテキストの特徴は、敬虔的な好みに応じて、「I」形式(ich、mein、mirなど)で設定されているため、イタリア風のソロカンタータとして提示されることが好ましいということです。

バークマンは1724年から1727年までライプツィヒで学び、バッハの指導の下で歌ったり演奏したりしました。その間、彼の研究分野は数学、科学、音楽から神学へと徐々に移行しました。ライプツィヒを離れた直後(1728年)、彼は教会暦年のすべての日曜日のカンタータテキストのコレクションを出版しました。これは、J.S.Bachが実施したライプツィヒカンタータ公演を含むあらゆる種類のテキストソースから収集した「巻」です。しかし、このコレクションでは、彼は熟練した作詞家であり、バッハが言及した8つの台本の作者でもあるようです。
クリフト・バークマンの台本の共通の特徴は、ほとんどの場合、1人以上のソリストのために書かれていることです。一部は対話モデルに従い、閉会の合唱はあるかもしれませんが、合唱作品はほとんどありません。これは、以前は同じ著者によって書かれたと疑われていた彼らのテキストの性格と関係があります。彼らはバッハで異常に敬虔的な性格を持っており、歌手はむしろイチの宗教的経験と魂の感情について話し合っています彼/彼女が正統派ルーテル派の神学的洞察を伝えたいと思っている図。

バークマンのテキストは、1726年の春に彼のマイニンガーの甥のヨハン・ルートヴィヒによって18以上のカンタータを演奏したという事実によって目撃されたように、バッハによる創造的な行き詰まりのおかげでライプツィヒでおそらくチャンスを得ました。おそらくバッハはまた、新しい作曲方法を模索したかったのでしょう。これは、通常彼の声楽をモテットまたは協奏曲と呼んでいる彼が、BWV 56に例外的な碑文カンタータ・ア・ヴォーチェ・ソラ・エ・ストロメンティを提供しているという事実によって示されています。レチタティーヴォとフリーテキストのアリアが含まれています。



第52番の冒頭がブランデンブルク協奏曲第1番第1楽章と同素材だったりカンタータはたった一人の歌手のために設定されていますが、楽器は豊富です。ライプツィヒ後期の他のカンタータと同様に、バッハは初期の楽器の動きをシンフォニアとして使用しました。この場合、最初のブランデンブルグ協奏曲オープニングとして最もよく知られている音楽です。ホーンとオーボエが支配的なこのバージョンの協奏曲は、シンフォニアBWV1046aに似ています(ヴァイオリンピッコロ)がなく、ブランデンブルク協奏曲の初期バージョンと見なされます)。
最初のアリアではソプラノに2つのヴァイオリンが、2番目のアリアではダンスキャラクターに3つのオーボエが伴奏されます。

交響曲の2つのホルンが閉会のコラールに戻り、ホーン1がソプラノを支え、ホーン2が5番目の役割を果たします。
編成独唱(ソプラノ)、4声合唱(コラールのみ) ホルン2、オーボエ3、ファゴット、ヴァイオリン1・2、ヴィオラ、通奏低音 用途三位一体後第23日曜日 第1曲 シンフォニア 編成:ホルン2、オーボエ2、ファゴット、弦合奏、通奏低音 第2曲 レチタティーヴォ 編成:ソプラノ、通奏低音 第3曲 アリア 編成:ソプラノ、ヴァイオリン2、通奏低音 第4曲 レチタティーヴォ 編成:ソプラノ、通奏低音 第5曲 アリア 編成:ソプラノ、オーボエ3、通奏低音 第6曲 コラール 編成:合唱、オーケストラ、通奏低音

1.シンフォニア
弦楽器、オーボエ1–3、ソロファゴット、ホーン1/2、通奏低音
さまざまな「ソロカンタータ」と同様に、楽器のシンフォニア(1)がオープニングコーラスに取って代わります。バッハは通常、ワイマールまたはケーテンですでに作曲された古い協奏曲から音楽を引き出しています。この場合、1721年にブランデンブルクの辺境伯に送られた最初のコンサートのオープニングとして誰もが認める作品を聞きます。実際、それはそれの古いバージョン(BWV 1046a)であり、華麗なヴァイオリンピッコロはありません。

この作品は文字通り「協奏曲」として構成されています。つまり、弦楽器、3つのオーボエ、2つの狩猟用ホーンという3つの楽器奏者グループ間の音楽的なライバル関係です。特に後者は注目に値するゲームをします。ハンティングホーンは、アートミュージックでの役割を最近獲得したばかりで、最初は、他のプレーヤーの8番目から16番目の間のトリプレットリズムで、まだ聞こえないように動作します。ポーンコートの間のレーダーホーゼン。しかし、徐々にそれらはコンサートにスムーズに統合されます。

 01    第1シンフォニア    4'13
 02    2.レチタティーヴォ。間違った世界、私はあなたを信用していません!..。    1'02
 03    3.アリア。結局のところ、結局のところ...    3'26
 04    4.レチタティーヴォ。神は忠実です!..。    1'13
 05    5.アリア。私はそれを良い主と一緒に保ちます...    3'30
 06    6.コラール。主よ、あなたに望みました...    0'52


現在バッハ・カンタータ演奏で疑いなくトップを走るRudolf Lutz/J.S.Bach-Stiftung St.Gallenによるクリスマス・オラトリオ。曲の性格と演奏者の適合性から考えると、これ以上はない組み合わせのように思うのですが、幾度か聴いた結果ではやや期待外れの感。技術的には、ソロ、合唱、管弦楽すべて、飛び抜けての優秀さはないものの、現代の古楽器演奏としては紛れも無いトップクラスの高水準と評価できます。問題はこのクリスマス・オラトリオという作品、大曲であると同時に実は6曲のカンタータの集合体である、というやや複雑な性格にもよるのでしょうか。

1曲、1曲、個々の細部は美しい瞬間も多々ありよいのですが、全体になるとどうも茫洋として、いまひとつ統一感が無い印象が否めません。これはこのCDの成り立ちー実際の演奏が続けてでなく、数年にわたった演奏活動からセレクトして構成ーにも大きな責任があるでしょう。ただでさえ6曲それぞれが独立した性格を持っているために、全体のまとまりはつきにくいのに、別々に演奏してそれを寄せ集めても、後から統一感は出ないのでしょう。K.Richterを頂点とする、第一曲の冒頭から、第六曲のマタイ・コラールによる終結合唱まで、強烈な筋が通った古の名演の数々には及びようがありません。

バッハの奥深さに色々考えさせられたカンターBWV52でした。カンタータにブラボー!