伝統ある英国の10吋ユニットで聴く、音楽の父のJ.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

BA1のカンタータ曲です。オーボエ奏者、ヘルムート・ヴィンシャーマンのJ.S.バッハのカンタータ曲の調べを考察する。

2022年10月28日 | J.S.バッハ制作音楽

今日もバッハの音楽を聴いてます。BA1のカンタータ曲の演奏です。
 BA1. BWV 1-231 カンタータ、モテット
私の最初にJ.S.バッハのLPレコード購入の最初は今から50年前の事で、ドイツ・バッハ・ゾリステン & ヘルムート・ヴィンシャーマンのバッハ : ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 ハ短調 BWV1060の曲を購入し聴いた、聴きはじめ何度も繰り返し聴くうちに、実にテンポも馴染み当時素人の筆者にも良くハーモニーの美しさは実に心に響いた。
J.S.バッハの音楽は馴染みやすく、素晴らしい曲も多く基本は数台のチェンバロ協奏曲をヴァイオリンやオーボエに置き換えてアレンジして演奏する曲が多い、この辺りがバッハの音楽の懐の広さでもあろう。しかし今思えば4台のチェンバロ協奏曲などはチェンバロの調整作業だけでも相当の高い技術が必要であろう。



またオーボエ奏者のハインツ・ホリガー(Heinz Holliger)を知り、色々聴く事になるが、その後バロック音楽から現代音楽まで広いレパートリーを持ち、作曲と演奏両方を追求することによって、彼は自分の楽器上での技術的な可能性を伸ばしてきました。勿論来日時は上野の文化ホールで聴きましたが、40年前の事である、聞くところこの管楽器の中で始めてオーケストラに採用されたのはオーボエだったそうです。オーボエの特徴は優しく甘美でどこか哀愁漂う音色にあるそうです。
その後オーボエ奏者を調べ色々聴いて来たが、でも筆者が思うは最初に馴染んだヘルムート・ヴィンシャーマンのテンポの音が好で筆者の中ではヴィンシャーマンの音を超える演奏者が見つからなかった、何となく温かみのあり音質のバランスは心に響いた感じが他の奏者にはありませんでした。
それとヴィンシャーマンが揃えたドイツ・バッハゾリステンとのアンサンブルは実に良きアンサンブルが心地良く聴こえるは筆者だけなのであろうか・・・。



ヘルムート・ヴィンシャーマン(Helmut Winschermann)は1920年生まれの指揮者、オーボエ奏者。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団などの名門オーケストラでソロ・オーボエ奏者を歴任、数々の室内楽団のリーダーを経て、1960年にドイツ・バッハゾリステンを創立。以来、芸術監督として40年以上にわたって同楽団を率い、バッハ演奏を中心に世界的な活動を続けています。
音楽学者としての業績も高く、ジコルスキー社よりバロック音楽の楽譜を多数出版、教育活動にも熱心で、インゴ・ゴリツキ、ハンスイェルク・シェレンベルガー、宮本文昭ら多くの高名なオーボエ奏者を輩出しています。ドイツ政府から一等功労十字勲章授与。ロンドン王立音楽アカデミー名誉会員。
ヴィンシャーマンはオーボエを手にしても指揮棒を持ってもステージに立つ時は常に「明晰に、生き生きと、喜ばしく」というモットーを貫いてきた。「バッハは最高の長寿薬。音楽をやり続けることが私の生涯の挑戦だ」という。



ドイツ・バッハ・ゾッソリステンは、J.Sバッハの作品に捧げられたドイツのバロック室内オーケストラです。 1960年にドイツの指揮者でオーボエ奏者のヘルムート・ヴィンシャーマンによって設立されました。
ドイツ・バッハゾリステン(Deutsche Bachsolisten)はドイツ、ウルム郊外のヴィプリンゲン修道院で定期的に開かれていた、フランクフルト・バッハ演奏会の芸術監督を務めていたヴィンシャーマンが、毎年この演奏会のために集まってくる優秀な演奏家たちを募って結成。「明晰に、生き生きと、喜ばしく」というヴィンシャーマンのモットーのとおり、躍動感に富むバッハ演奏を中心に活動を続け、モダン楽器を用いたバッハ解釈のひとつの理想型として賞賛を集めています。



以前にも紹介したCDですが・・・
ヴィンシャーマン バッハ:マタイ受難曲 全曲 BWV244
ニルス・ギーゼッケ(T・福音史家)
三原剛(Br・イエス)
イングリット・シュミットヒューゼン(S独唱)
マルティン・ヴェルフル(A・CT独唱)
五郎部俊朗(T独唱)、小松英典(Br独唱)
佐々木正利(合唱指揮)
岡山バッハ・カンタータ協会
桃太郎少年合唱団
ドイツ・バッハゾリステン

2003年12月7日
倉敷市民会館/ライブ録音



途中筆者のオーディオ装置のスピーカーの接続不具合の為に音が時々途切れます。前々からこの状態は頭を痛めた案件で先ずはGOODMANS AXIOM 80の箱の前面部分のボルトを緩めその後10inch同軸2ウェイ(IIILZ Monitor Gold)の接続部分のコネクター箇所の接触面に問題があるのは以前から頭の痛い部分である、前々から此処の箇所の接続部分の修復は頭を痛めていた。

しかし現在部屋のスピーカーを聴けばIIILZ Monitor Goldの音が自然なトーンに包まれバッハを満喫できる、タンノイ独自の倍音の美しさはやはりただ者ではないと思う、惚れた弱みなのであろうか?



今回の修復は以前購入したレプトンパワーコンダクターグリース5グラム 燃費向上 パワーアップ!トルクアップ!静電気除去の溶剤を少し綿棒に塗布しそこに接点回復材を混ぜあわしケーブル接続の凸凹に丁寧に塗りコネクターを入れ込んだ、以前よりしっくり治まった感じもし、電源を入れ音出しをする、何となく塩梅は良さそうでもある。しばらく放置し蓋を締めボルトで閉める。改めて音出しをする。通電は随分良くなった様である。IIILZ Monitor Goldユニットの音も三極管ZAIKA5300(国産品)の真空管でも試聴するが実にバランスも良くなり音の鳴り方は当分はこれで十分であろう。

今後はGOODMANS AXIOM 80の箱の下に石を敷き現在使用する自作のオーディオボードを乗せて試聴すると、どの様な音になるのか楽しみたいと思います。



早速、最近見つけ購入した5枚組のヘルムート・ヴィンシャーマンのCDを試聴します。カンタータ全ての演奏ではなく、演奏だけの曲もありますが、筆者としては実に興味あるアルバムと思いました。因みにYouTube配信の曲もありましたので貼り付けておきます、アンダーラインの部分のクリックでYouTubeが楽しめます。

Bach: 13 Sacred Cantatas / Winschermann
J.S. バッハ:教会カンタータ集 - BWV 32, 57, 128, 134, 151, 191 (アメリンク/コトルバス/ハマリ/ギーベル/ドイツ・バッハゾリステン/ヴィンシャーマン)
5枚組のいずれの物から選んで聴いても気軽に楽しめヴィンシャーマンのテンポの良いオーボエの音色も楽しめ、楽器との重なり合い、コーラスとのハーモニーは思わず聴き惚れる如しである。最近見つけた「お宝のCDであろう」
勿論筆者も好んで聴くカンタータも登場する。YouTube配信もあります。

カンタータ第 51 番 "Jauchzet Gott in allen Landen!" 「全地よ、神に向かって歓呼せよ」(BWV51)
 エリー・アメリング - Elly Ameling(ソプラノ)
 モーリス・アンドレ - Maurice André (トランペット)
 ドイツ・バッハ・ゾリステン - German Bach Soloists 
 ヘルムート・ヴィンシャーマン - Helmut Winschermann (指揮)

 Aria: Jauchzet Gott in allen Landen! (Soprano)
 Recitative: Wir beten zu dem Tempel an (Soprano)
 Aria: Hochster, mache deine Gute (Soprano)
 Chorale: Sei Lob und Preis mit Ehren (Chorus)
 Finale: Alleluja! (Soprano)




演奏: Barmen-Gemarke Kantorei Choir 
その他 演奏者 : ビルギット・フィニレ 、 イレアナ・コトルバス 、 エリー・アメリング 、 William Reimer 、 Arno Schoenstedt 、 ユリア・ハマリ 、 ジェラール・スゼー 、 ヘルムート・ヴィンシャーマン 、 Dieter Ellenbeck 、 クルト・エクヴィルツ 、 ヘルマン・プライ 、 サシュコ・ガブリロフ 、 モーリス・アンドレ 、 アグネス・ギーベル 演奏団体 : German Bach Soloists Orchestra 、 Netherlands Vocal Ensemble Choir 、 German Bach Soloists Chorus 、 Westfaelische Kantorei Herford Choir 、 Berlin Capella Choir
作曲 : ヨハン・セバスティアン・バッハ

このCDはヘルムート・ヴィンシャーマンお得意のバッハのカンタータ曲のオーボエパートの入った曲を演奏しているようで、皆さんも良く馴染みのある曲が編集されている様に思う、5枚組の大変有難いヴィンシャーマン好にはたまらないアルバムであります。

Wir danken dir, Gott, wir danken dir, Cantata BWV 29: 1. Sinfonia ドイツ・バッハ・ゾリステン, Arno Schönstedt & ヘルムート・ヴィンシャーマン

Ich liebe den Höchsten von ganzem Gemüte, Cantata BWV 174: 1. Sinfonia Concerto ドイツ・バッハ・ゾリステン & ヘルムート・ヴィンシャーマン    

この様な感じで順不同で聴いても楽しめます。カンタータと聞くと宗教色が強い様に思われますが、実際聞いて見ますと実に美しい調べとハーモニーに圧倒されその後さらに感激する様です。
J.S.バッハを聴き出し細々と50年間聴き続け今カンタータの素晴らしさ美しさを感じている、人の声にこの様な癒しを感じつと思う様にもなった、当然もっと早い時期から聴くべきだと感じているこの頃である。ブラボー!

今回少し色っぽいお話ですが、最近は美人指揮者の優雅な指揮ぶりに心踊らされたかのお話ですが・・・・?

2022年10月23日 | クラシック音楽・オーディオ

めっきり秋らしい季節になり美味しい珈琲を淹れ適度な温度で頂く珈琲は実に旨く、日曜はのんびり何時も頂く珈琲を淹れる温度を80度を下回った温度調整をして淹れる、筆者的には此の75〜80度で淹れるコーヒーの味が好きでまろやかな香りに包まれマグカップに注いだ温度はちょうど飲み頃の至福のひと時となる、最近仕事は適度に続き、節々が若干痛み気味である。
モジャとの散歩より帰宅後少し熱めの風呂にジックリ入りその後モジャと一緒にシャンプーしスッキリする。



昨日久々に友人M氏と再会した、早速言われたのは最近は古い演奏者を多く聴いているね、の一言から始まった久々の音楽談義である、彼も仕事合間にFM等で音楽を流して聴くそうである、音楽好きである彼曰く、最近YouTubeを頻繁に見ているそうです、聞くと美人指揮者が振っている音楽をよく聴いているそうだ、名前を聞くとメキシコ出身で名前はアロンドラ・デ・ラ・パーラで知的で、上記写真の如く大変美人と絶賛する。美人と聴けば興味津々その様な情報ならば、翌日ネットで検索する。早速検索後写真を探すと、勿論均整も取れ美人であった。

続けて検索する。全く爺さんになっても美人は興味深々である。M氏曰く演奏者も美人の演奏者の優雅な指揮ぶりに演奏にも大変熱がないりエキサイティングな演奏が繰り広げられると笑っていた、確かに美人の前では男性は少しでも良い印象を持ってもらおうと皆さん身だしなみには気配りする様である、その様な気配が演奏にも影響するのであろうか、疑問ではある・・・・。
世界の女性指揮者ランキング【クラシック音楽界に革命を起こす女性たち】
女人禁制のクラシック音楽界。そんな考えが未だに指揮者の世界では横行しているのが現実です。しかし女性には本当に指揮者の才能がないのでしょうか。
確かにタカラジェンヌの男性役のような日本人のかっこよすぎる女性指揮者西本智実さんもノミネートされている。



音楽家の中で、指揮者は最も女性に向いていない仕事と言われてきましたが、世の中のそんな風潮を吹き飛ばすような女性たちの活躍が、世界中で目立つようになってきました。少数派ながら、メジャーオーケストラのポジションに就く女性が増えてきているのです。
ベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮する女性も出てきています。間違いなく今後、女性指揮者は増えてくるでしょう。そのパイオニアである世界的に称賛される一流の女性指揮者を取り上げようと思います。
と紹介していた、早速探すと第8位 アロンドラ・デ・ラ・パーラという指揮者を見つけた。



名前:アロンドラ・デ・ラ・パーラ(Alondra de la Parra)
誕生日:1980年10月31日
出身地:メキシコ
学歴:マンハッタン音楽学校卒
中央にモニターに指揮者が登場し、優雅に舞をする様に指揮し両方のスピーカーから音楽が流れまるでミニコンサートの様である。



早速画像を見ることにした、動画はボレロの演奏です、筆者も好きな音楽で昔からよく聴く音楽です。優雅な舞を見せながらの指揮ぶりは優雅な絵を見るようで、音楽も聴くものから観せる物になったように錯覚させる。
なんと言っても筆者をはじめ、確かに殿方はモデルの様な容姿端麗の美人には弱い様である。


早速経歴を調べると次の様に解説されています。アロンドラ・デ・ラ・パーラ(指揮)その魅惑的でぞくぞくさせるような演奏によって世界の注目を集め、同世代の中で最も聴いてみたい指揮者の一人になっている。彼女は、「ニューヨークで指揮した初のメキシコ女性」という栄誉を手にし、メキシコ観光省文化大使でもある。プラシド・ドミンゴは、彼女を「驚異の指揮者」と絶賛した。
1980年、ニューヨーク生まれ。2歳の時に両親とともにメキシコに移り住む。7歳でピアノを、13歳でチェロを習い、その13歳の時に指揮者になりたいと思うようになった。15歳でイギリスの寄宿学校に行き、優秀な成績を収めた。メキシコに戻ってからは、メキシコ・シティの音楽研究センター(CIEM)で作曲を学び、19歳でニューヨークに渡って、マンハッタン音楽学校で、ピアノをジェフリー・コーエンに、指揮をケネス・キースラーに学ぶ。
2004年、23歳の時に、フィルハーモニック・オーケストラ・オブ・ジ・アメリカス(POA)を創設。デ・ラ・パーラの使命は、南北アメリカの若い演奏家や作曲家を紹介する場としてのオーケストラを作ることであり、広い意味でのアメリカ大陸の音楽を、オーケストラのスタンダードなレパートリーにしっかりと根付かせることだった。POAは驚くべき成功を収め、頻繁にメキシコを演奏旅行し、ニューヨーク市でもコンサートを開き、夏には、ヴァーモント州のストウでアメリカ音楽祭を開いた[2011-12年シーズンは活動を休止することが発表されている]。



客演指揮者としは、ダラス響、ヒューストン響、コロンバス響、サン・アントニオ響、ロサンゼルス室内管、ニュー・ワールド響、カナダのエドモントン響、ドイツのポツダム・カンマーアカデミー、モリツブルク祝祭管、デンマークのチボリ響、ロシア国立管、メキシコ合衆国響、メキシコのハラパ響、ベネズエラのシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ、ブエノスアイレス・フィル、アグアリカリエンテス響、ウルグアイのモンテビデオ・フィル、シンガポール・サン・フェスティヴァル管(ここで俳優のジェフリー・ラッシュと共演)、ワシントン・ナショナル・オペラのガラ・コンサート(プラシド・ドミンゴと共演)などを指揮。さらに、2005年から、ヴァーモント州ストウのアメリカ音楽祭の音楽監督を務めている。
上記内容での読み期待して美人指揮者がどのようにベートーヴェンを振るののであろうか?興味津々である。Beethoven Symphony No 3 in E♭ „Eroica“ Alondra de la Parra Tonhalle Orchester Zürichを聴く。


誠に申し訳ないが途中で止めた、何故か、思うはベートーヴェンの交響曲は彼女の選曲ミスの様に思う。勿論筆者は音楽は素人で只好きで音楽を楽しんでいる老人で、最低の寄せ集めのオーディオ機材を繋げ楽しんでいる音楽ファンであるが、これは頂けなかった。



口直しにフェレンツ・フリッチャイ の交響曲第3番英雄』この曲の題名のように用いられているエロイカ (eroica) は、男性単数名詞を形容する eroico という形容詞が女性単数名詞である sinfonia (交響曲)を修飾するために語尾変化したものである。聴いて思うは格の違いである、筆者の好みの指揮者、フェレンツ・フリッチャイ、カール・シューリヒト、フランツ・コンヴィチュニー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 指揮と各々音質は違うが、いかにもエロイカらしいベートーヴェンの交響曲を聴けば違いが理解して頂けるはずである。


●フェレンツ・フリッチャイ
ベートーヴェン:交響曲3番「英雄」/フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


●カール・シューリヒト
ベートーヴェン 交響曲第3番 シューリヒト

●フランツ・コンヴィチュニー
ベートーヴェン:交響曲 第3番 ≪英 雄≫ 変ホ長調 作品55 コンヴィチュニー 


●別格ですがヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベートーヴェン 交響曲第3番 フルトヴェングラー

こうした指揮でエロイカを聴けば全て理解できる、筆者がベートーヴェン好きで良く聴くのどうしても気になってしまうでのであろう。くらべる相手が悪すぎた様です、筆者の実に悪い癖であろう。

昔オーム(瀬川冬樹)さんが言っていた事を思い出す、ジムランの好きのマニアは違ったメーカーの中からジムランに近い音のするユニットを選び、アンプ等を組み合わせジムランに近い音を聴いているそうだと聞いた事がある、後はケーブル類にも十分拘り、この辺りの微妙な組み合わせにオーディオマニアのマニアらしい一面だとおっしゃていた事を思い出す。
勿論音楽も其のような事が音にでてしまうニュアンスの様である。



大人になり多生の小遣が出来ると色々オーディオ機材に浮気するのが世の習いで、この辺りがオーディオ機器好の良し悪しを語れば、喧々囂々(けんけんごうごう)と騒ぎ立てる、あのスピーカーが良い、このアンプが良いと挙げ句の果てにはオーディオ装置のバランスを崩してしまう事もあるようです。
基本に戻って整理をしある程度渋めな枯れた装置を入手し、改めて聴けば納得できる。フェレンツ・フリッチャイ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団らしく聴こえる装置を眼材している、私自身も勿論当時のベルフルの音は知らないが同様な大音量で聴くも五月蝿く感じない装置は素晴らしく、装置も演奏が五月蝿く聴こえれば最悪である。まあ「美人は七難隠す」とも言いますが・・・・。
其処には間違いなく芸術性豊かな調か体験できる。その後続いて4人のベートーヴェン交響曲第9番等を聴き納得した次第である。涙なしでは聴けない名指揮者達である。ブラボー!

後日ベートーヴェンの交響曲などで、アロンドラ・デ・ラ・パーラを比べるな!とのお叱りを受ける・・・最もな事と猛省しています。と同時に今後の成長を楽しみにしています。

コロナ禍もピークはさり、3年ぶりに義母と共に、秋空の綺麗な国営ひたち海浜公園を散策

2022年10月21日 | 日記


今年95歳になる義母と同居しているが、コロナ禍も少しは安定し、3年ぶりに美味しい魚でも食べに行こうと誘い、家族で出かける。
音歳95歳となるが、血糖値も、血圧も聞けば驚くほど高く、掛かり付けの病院の医者が変わるたびに、数値を見て驚き丈夫な遺伝子をお持ちですと驚く、食事も体に悪いものは大好きで、医者曰く血管等は砂糖漬けの状態のため注意をすると、好きなものは食べたいので薬を増やせと、お願いする始末です。

本日も美味しいものを食べに行こうと那珂湊の港近くの市場の寿司屋さんまで連れ出した。



海も凪で大変爽やかである、昔遊漁船で那珂湊に大判のヒラメ釣りに来た帰りに船頭さんから教えていただいた美味しい鮨屋で森田と言う寿司屋に当時から通っている。
当時から名物の穴子一本握りは有名で昔からのメニューである。



ネタも大きく肉厚で、しかも新鮮で一度食べると回転寿司には行けなくなる旨さだ。先ずは白味の3種盛り(タイ、ヒラメ、スズキ)続いて鮪3種盛り(大トロ、中トロ、赤身)あとは各自メニューはお好みで各自、各種を注文するが、義母は大好きなネタを知っている奥さんが変わって注文する、いくら、うに、生えび、ホタテ等を頼み、早速口に頬張ります、全く食欲は衰えません(笑)さすが長生きの秘訣である。
昼食前ではあるが、此の時間帯に来店すればネタ切れは心配無用であり、先に食事を済ませての公園散策が良い方法であろう。


朝食兼昼食の食事を済ませ、早速散歩に国営ひたち海浜公園の「みはらしの丘」に行きます。
何時もは公園散策を終え、寿司を食べに行くが、人気の寿司ネタは無くなっている事が多いために、今回は順序を逆にした、開店と同時に到着したので、好きなものは殆ど食べられたようでコレが良い方法と思った。

入り口からは少し遠い駐車場に駐車し、入場し早速車椅子をお借りする。今回は何時もと違うコースを回ることにした。砂丘エリアを選んだ。

先ずは泉の広場フラワーガーデンです。紅葉も色づき見頃でもある。


「泉の広場」と「プレジャーガーデン」を結ぶメタセコイアの並木道で木の葉は昔は恐竜に餌として知られる古代の木である様です。

流石木々を見せるための公園内での生育環境は葉が咲きほこり紅葉が楽しみでもある。化石時代から生息する、首長竜の草食恐竜の餌とも言われています。



11〜12月になると真っ赤に紅葉するそうです。


砂丘ガーデンの最頂部からの谷間を利用した、上からの眺めもお楽しみいただける「沈床花壇式」のハーブガーデンです。約2,200㎡の面積に、さまざまなハーブを植栽しております。




そして途中にあるグラスハウスで一休みです。
眼下に太平洋が見渡せ風貌もよく良い場所にあり施設は混み合っていた。



勿論さつま芋のジェラードを頂く、義母も食欲旺盛です。日差しが差し込むガラス張りの室内から望む太平洋はまさに絶景です。
コーヒーや軽食が楽しめるカフェ「Sea Side Cafe」では、光と静寂の中で太平洋を眺めながらゆっくりとした時間が楽しめます。


外から太平洋を望む、いつに良い形式である。


グリーン工房を通過する砂浜エリアの中心的な施設で、イベント等の活動拠点となるほか、動植物に関する書籍や海浜公園の生き物の写真や標本を展示しています。


面積約8ha、開放感に溢れた芝生の広場で、ボール遊びから大規模イベントまで様々な遊びのできる多目的広場です。
家族や友人と思い切り走り回ったり、 ゆったりと寝転んだり、思い思いに楽しむことができます。


みはらしエリアでは現在コキア(ほうき草)の紅葉やコスモスと、四季折々の草花が訪れる人々の目を楽しませてくれます。


みはらしの丘のふもとに位置する「懐かしい農村の風景と暮らしが味わえるエリア」です。現在蕎麦の花が咲いてます。


珍しいワンコ発見です、そうですスタンダードプードルです、ミニチュアプードルはモジャとの散歩時には見かけますが、スタンダードプードルは珍しいので写真に納めました・




中央ゲートから程近い約100haの花畑には植栽された花が綺麗でした。



中央口に戻り本日の公園散策は終了します。久々の秋晴れにめぐまれ良い散策でした。
帰宅して風呂上がりのビールが実に上手く夕食は焼き鳥にビールで、ブラボー!

昭和は遠くになりにけり・・・あの頃は良き時代であったのであろうか・・・? について考えるの心(こころ)だ!

2022年10月13日 | J.S.バッハ制作音楽


筆者が大好きな俳優のお一人の小沢昭一さんについて考える・・・筆者が思うは俳優と言うよりは随筆家(ずいひつか)と言わせていただきたい。個性的な名脇役として異彩を放った俳優小沢昭一さん。

舞台やテレビで活躍する一方、独特な語り口でラジオの名パーソナリティーとしても知られる。小沢が“口演”と称し、週代わりのテーマ(「○○について考える」)に沿って、軽妙な話術で物語る。扱うテーマは時事問題から下ネタまで幅広く、永年の固定ファンが多かった。勿論筆者もファンの一人でもあった。

お話の中での「宮坂さん」なる架空の人物が、概ねストーリーの主人公を務める。番組初期には「昭和ヒトケタ」の働き盛り、かつ悲哀漂うサラリーマンの設定(実際には小沢の分身的な役回り)が多かった宮坂さんも、小沢が年輪を重ねるに従い「宮坂お父さん」「宮坂薬局店長の宮坂さん」等、第一線から退いたことを伺わせる表現が用いられるようになった。
一寸した毒舌が小気味良く今回YouTubeから小沢昭一的こころ「一杯のコーヒーからについて考える」を聞いてみた。現在も昭一的こころがYouTubeが聞ける世の中は実に便利になったものである。

また小沢さんの声が聴ける、ありがたやですございます!『小沢昭一の小沢昭一的こころ』は、TBSラジオおよびTBSプロネックスの制作、TBSラジオをキーステーションに、平日の異なる時間に日本国内で放送されていたラジオトーク番組である。放送期間は1973年1月8日から2012年12月28日のお亡くなりになるまで続いた長寿番組です。



筆者はこの当時TBSラジオの仕事NO関係で一度TBSの談話室で「七円の唄」で有名な永六輔さんと一緒にお会いすることが出来ました。当時久米さんもTBS社員で課長職の時代でありました。懐かしい昭和の時代の思い出します。
当時も当時筆者も30代後半で皆さん大人の方で口も聞けなく皆さんのお喋りを黙って聞くだけでしたが、小沢さんなどはあの会話の面白さは今も堪らない口調を記憶する。当時の東京放送の看板番組でもあった様です。
当時の生録の2トラ10の10吋生録のテープは家の片隅にあるはずと記憶する。

当時TBSラジオも良い番組を世に送り出していたが、今や朝日、毎日、東京放送は全く方向性が変わってしまった親中路線に方向転換してしまった様相で、支那からのCM料金が入った為とも言われるが定かではない。今や東京放送は赤坂サカスの賃料で会社運営は出来ると言われています。今話題になっている朝日放送の玉川氏なども放送局の方向性重視で人間性を変えれた犠牲者かもしれない、本人の行動話の内容は悪いと思わなくされた視聴率欲しさの放送局の値打ちが低下が顕著に現れた世界かもしれない。平和ボケの結果が現在マスコミの付け上がりが日本の最大の欠点である様に思うこの頃である。
政府から格安な放映権を搾取して膨大な利益を挙げてきた会社の末路でもあろう。その筆頭が朝日新聞社と言えるのであろう。

話は戻りますが、小沢昭一の珈琲について考えるの中で、音楽は昔から密接な関係がある様で早速お話は音楽の話に飛んでみます。珈琲と言えば大変有名な曲にJ.S.バッハのコーヒーカンタータがありますが、最近少し涼しく成り始めた季節になり、今回は淹れたての美味しい珈琲をすすりながら聴く、ミーネケ・ファン・デル・フェルデンの演奏する新譜であろうと思います、筆者の好きなヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタの紹介です。



ミーネケ・ファン・デル・フェルデン(Mieneke van der Velden)はヴィオラ・ダ・ガンバを Jaap ter Linden、Anneke Pols、Wieland Kuijken に師事し、1988 年にハーグ王立音楽院で演奏家としての卒業証書を取得して卒業しました。それ以来、彼女は多彩なキャリアを築いてきました。ハープシコードのグレン・ウィルソン、テオルボのフレッド・ジェイコブス、アンサンブルのラルモニア・ソノーラと定期的に共演。
Mieneke van der Velden はベルリンの Tage der alte Musik、ユトレヒトの Holland Festival Early Music、アムステルダムの Grachtenfestival と Festival 'Aqua Musica'、ヘルシンキの Vantaa Baroque Week でリサイタルを行いました。さらに、ヨス・ファン・フェルドホーフェン、グスタフ・レオンハルト、シギスヴァルト・クイケン、ルネ・ヤコブスなどの指揮の下、オランダ・バッハ協会の聖ヨハネ受難曲と聖マタイ受難曲など、より大きなオラトリオで定期的にソロパートを演奏しています。
この楽器は昔はチェロで代用した時期もあり、パブロ・カザルスのバッハ:ガンバ・ソナタはチェロで演奏していた記憶があります。古楽器ヴィオラ・ダ・ガンバ(Viola da gamba)の名前はイタリア語です。”ガンバ”とは「脚」という意味で、脚に挟んで演奏します。英語でヴァイオル viol、フランス語でヴィオール viole、ドイツ語で Gambe と呼ばれます。ガンバにはリコーダーのようにトレブル(ソプラノ)、テナー、バスと音域に応じていろいろな大きさがあります。



フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮コレギウム・ヴォーカル、ルネ・ヤコブス指揮ケルン協奏曲、ヨス・ファン・イマーゼル指揮アニマ・エテルナ。彼女はいくつかの CD を作成し、国内外のマスコミから賞賛されました。
彼女はアムステルダム音楽院の教師であり、2009 年からハーグの王立音楽院で教鞭をとっています。



レオ・ファン・ドゥーセラール(Leo van Doeselaar )は、オランダおよび海外で有名なオルガン奏者です。彼は数多くの重要な古楽音楽祭 (フランダース、ユトレヒト、ヨーク、サント、ベルリン、サンアントニオ、モスクワ) でソリストおよび教師として世界中のコンサートに頻繁に出演しています。1995年、彼はベルリンの「ドイツ国立大学」のオルガン教授に任命されました。
彼は、ライデン ピータースケルクのヴァン ハーガーベーア オルガン (1643 年) のオルガニストであり、コンセルトヘボウの名誉あるオルガニストでもあります。
これらの活動に加えて、彼は熱心な室内楽奏者であり、歴史的な楽器と現代の楽器の両方を使用して、広く評価されているデュオ ピアノ チームの Wyneke Jordans のパートナーでもあります。このデュオは頻繁にコンサートに出演し、Etcetera、Challenge Classics、Globe の各レーベルから 12 枚の CD を録音しています。
上記のような案内があり早速聴くと、全体に落ち着いた渋めの品の良い音に聴き惚れる、オルガンの音も良く馴染み拡張を高口感じられる、特に最初の演奏のフルート・ソナタ ト長調 BWV 1038をガンバで演奏しているのですが、実に上手い具合にバランスよく響き渡るしっとりとした音楽に聴こえた。


J.S. バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバのための室内楽作品集(フェルデン/ラルモニア・ソノーラ)



ヨハン・ゼバスティアン・バッハ - Johann Sebastian Bach (1685-1750)
 ・フルート・ソナタ ト長調 BWV 1038 (ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音編)
 ・天は神の栄光を語る BWV 76 (ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・オルガン編)
 ・ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ト短調 BWV 1029
 ・幻想曲 ト短調 BWV 917
 ・ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ニ長調 BWV 1028
 ・3声のインヴェンション(シンフォニア) BWV 787-801 - シンフォニア第3番 ニ長調 BWV 789
 ・ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ト長調 BWV 1027

【演奏】
 アンサンブル・ラルモニア・ソノーラ
 ミーネケ・ファン・デル・フェルデン(vg)
 フランソワ・フェルナンデス(vn)
 リカルド・ロドリゲス=ミランダ(vg)
 ジーベ・ヘンストラ(cmb)
 レオ・ファン・ドゥセラール(org)
【録音】
 2007年6月 ケペル教会,レンスウォウデ,オランダ

録音も比較的新しく、教会での録音状態はすこぶる良い効果があ流様です、ヴィオラ・ダ・ガンバ独特の低域の音質は何故か疲れの癒しとも思える響きである、
確かに教会に手のライブ感のある響きも手伝いアンサンブルの調和が見事である。



昔筆者が愛用したTANNOY IIILZ in Cabinetではこの曲を聴くには重低音のオルガンの音の再生が上手い具合に再生できない、当時は10吋ユニットでの再生は大変難しくこの手の曲は迂回していた様に思う、自作したGOODMANS AXIOM 80の箱がなければオルガン曲、オペラ、交響曲等の編成の大きい音は体感出来なかった様に思う。
以前インシュレーターは大型のWELLFLOATは大変高額の為
エラストマーゲルを使い自作使用していますが、ちょうどWELLFLOATのような動き方をして塩梅は良さそうである。スピーカーの底面の面積くらいの板を2枚用意してエラストマーゲルを適切な枚数と配置にしてサンドイッチにしたものを使っています。ラストマーゲルの代わりにプロケーブルの1cm厚のソルボセインに変えても同じ効果はありました。詳しくは下記をご覧ください。

GOODMANS AXIOM 80とIIILZ Monitor Goldの組み合わせは大変ありがたい効果を感じています。実に凄く塩梅よく鳴っています。兎に角最近になって音楽が楽しむ時間が増えていて、最新の新譜を探し聴くことも楽しみではある。

今回特に気になったのはヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ニ長調 BWV 1028 Viola da Gamba Sonata in D Major, BWV 1028 ミーネケ・ファン・デル・フェルデン - Mieneke van der Velden(ヴィオラ・ダ・ガンバ) レオ・ファン・ドゥセラール - Leo van Doeselaar (オルガン)オブリガードオルガンと言われるかもしれない、ヴィオラ・ダ・ガンとオルガンのハーモニーにも注目させられた。音色の近いガンバの音とオルガンの音を想像した時一瞬疑問に思ったが、演奏は想像を遥かに超えて素晴らしいソナタでした。今まで聴いてきたガンバ・ソナタはチェンバロとの演奏が多かったが、レオ・ファン・ドゥセラール(オルガン)との共演でこれが又恰好な癒し音楽を奏でる。誠に残念なことにYouTube配信はありませんでしたが、一度お試しされることをお勧めする次第でもある。ブラボー!

美味しい珈琲を金谷の香豆珈琲に、デューク・エリントン:「女王組曲」の考察。

2022年10月09日 | 日記

先日イギリスのエリザベス女王が、北部スコットランドにある静養先のバルモラル城で亡くなりました。96歳でした。「エリザベス女王(Elizabeth II)」の悲報が世界を賑わした国葬が9月19日(現地時間)、ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われる。
英国全体が喪に服す葬儀までの流れと、一般市民の弔問等が行われ世界中が見守るなか、現地時間の9月19日、エリザベス2世女王の国葬がロンドンのウェストミンスター寺院で行われた。女王は、2021年に亡くなった夫フィリップ殿下が眠るセント・ジョージ礼拝堂に埋葬された。



筆者も大変興味深くテレビ、YouTube情報などしっかり拝見させて頂きました。今まで見たことのない厳格で荘厳なもので流石大英帝国エリザベス女王の最期にふさわしいものでした。厳格で荘厳でこれほどまでのものを見たのは初めてでした。そして現代においてまだ可能なんだなと思わされました。
英国市民の声も「彼女はイギリスのシンボルでした」「とても悲しいです。ひとつの時代の終わりですね」とこの様な声も上がっております。

戦後英国も随分文化的に変化した国であった、まず衝撃的事件でしたのがミニスカートのツイギーの登場でした。そして世界の音楽史を替えたリバプールの若者のグループ、ザ・ビートルズでした。この登場は衝撃的事件でした。ファッション会の変化、それと新しいものポップス音楽です。歴史ある国だからこそ出来る此の様な変化の要素があるようです。



2022年9月8日、イギリス女王のエリザベス2世が96歳で死去した。エリザベス女王は1952年に25歳で即位し、以来70年間、女王の地位にあった。この6月には、在位70年を記念するプラチナ・ジュビリーの式典が盛大に開催されたばかりであった。熊のパディントンと共演した女王様がハンドバックからマーマレードサンドを取り出すお茶目な姿を記憶している人も多いことだろう。9月19日には、ウェストミンスター寺院で国葬がなされ、500人を超える国家元首や高官が参列した。
現在の日本に於ける皇室ファミリーは何故か疑問が残る事を冒している様で、国民として大変心配する、誠に嘆かわしく思うは筆者でけなのであろうか・・・?
筆者も皇室の事はあまり問題にしたくないが、将来の汚点に成らなければ良いと思うのですが男系家系での次の天皇陛下は問題山積に成らないことを祈る。

我々時代の人間は当時の大英帝国には憧れと日本と同様の伝統の国の誇りも感じている人々も多く、日露戦争における当時日英同盟でロシアに勝利したとこは今も歴史は物語る。音楽も英国は欧州の中でも昔から最大の音楽最大の輸入国であった様です。昔は演奏する楽譜を輸入したと言われている。オーディオ機材も軍事物資として成長し多くのメーカーが有った様です。



その様な名残もあるのか、今だに50年前のTANNOY IIILZMonitor Goldユニットを後生大事に取り扱っているのかも知れない。
そして最近は10月になりめっきり涼しく過ごしやすい季節になりましたが、頻繁に台風の影響で風雨が多く些か何処も出かけられない、友人から電話が入り一度プチ遠出した香豆珈琲( kou's coffee)に行かないかとのお誘いがあり昨日まで雨が降っていたが、雨も上がりドライブ日和となりモジャ君と早朝の散歩モア割軽めの朝食を取り早速出かけます。

途中車の中での楽しみに一枚のCDを選びました。アルバム名Duke Ellington / The Ellington Suitesk日本語訳「女王組曲」を聴きながら堕かけました。と此処が筆者の乗っている車は音響装置は大変お粗末でただ音が出ている程度の物ですがが我慢しながら聴き続けると不思議なことに音が頭の中で変換し想像して何度か聴ける音に変化する、自宅で聴く10吋のIIILZMonitor Goldユーユニットに置き換わるとい塩梅ですかね・・・?
穴川付近の高速は渋滞していましたが、其処を通過すれば後はスムースに走る。途中一度小休止して休憩をとる。



目の前に海が広がる、昨日の雨でやや濁りでしたは、正面に見える富士のシルエットが見える。富士の見える日は海が波けがあると言われているそうです。

この時期からは始まる館山方面での肝パンのカワハギ釣りにはアサリの剥き身を支度して良く通いました。



肉眼では片別できないが、ファインダー越しに風景を見るとすっかり秋めいて木々の葉の色は秋色に染まり出してる事がわかる。あと少しで金谷である自宅から70キロ弱である。



すっかり秋色の気配、今後海水も徐々に冷たくなっていくのであろう。



ドライブインを後にして少し走ると金谷のフェリー乗り場が見える、この先に香豆珈琲の駐車場に到着する。



車を止め駐車場から徒歩1分ほどでお店に到着。営業案内告知。



入れ口付近アンテークの入り口も風情があり、写真を収める。



お店に入るとマスターのおで向い、友人も勿論、珈琲は飲み終わっていたが・・・、筆者も早速美味しいコーヒーを注文する、お客様は略満席である。

高速道路での便が良くなり東京、神奈川のお客様も多いそうです。



ここでのお店のお水は大変美味しく、この水から淹れる珈琲の旨さの秘密でもあろう、隣には水抽出による珈琲もセットされいた。



このお店の壁面は意外と不思議な感じが滲み出て好きなった壁面である。多分一度グレーの壁材を塗り城の漆喰で不均一に仕上げアンテーク調にした感じの仕上げです。



お気にいる壁の撮影をしたが筆者にはナイスショットで有った。1時間程雑談をしマスターの珈琲の淹れ方は見ているだけでも大変参考になる。



今日は簡単いお湯の温度が測れる温度計を教えていただく。唯ケットルの蓋に穴えお開ける事は大変でしたと、話していただく。

そうして付近お散策と近くのお蕎麦屋さんを教えていただく。早速散策の開始である・



徒歩5分程で内房線「浜金谷」駅があり、この駅は鋸山登山口と繋がっているため週末の乗降客が意外と多いそうである、如何にも鄙びて風情が伝わってくます。駅員さんに許可をいただき中を見させていただく、プラットフォームも全く昭和の世界が現れ、日本は変わらない国に安心感さえ感じてしまった。



国道を走っていては見つからない意外と風情のある街並みが続く、駅知近くのあるのがおそば屋さんである、店構えからは想像できない、和蕎麦屋さんである、友人は何時も此処の蕎麦屋さんを利用するという、勿論手打ちそばである。
店舗名は「SOBA&COFFFE」と言う名前らしい。



メニューより早速ここ迄きたのですので金谷名物の「かじめそば」を注文した、この「かじめ」もネバネバ海藻の一つなんです。



見た目より食感はツルッとしたノゾ越しが良く、そばと一緒に頂く蕎麦昼食は満足でした。
「かじめ」は「とろろめ」や「サガラメ」などと呼ばれいる海藻です。味噌汁に入れても大変美味しくいただけます、筆者は「とろろめ」風に白米に混ぜて食べるのも大好きです。美味しく「かじめそば」を頂き散策は続き、次は表の国道を横切り金谷漁港です。



徒歩5分ほどで到着です。連休中でテントを張り水辺で遊ぶ若者もいたりする、そして車を止めた駐車場に戻ります。



駐車場近くに鋸山ハイキングコースに沿ったところで神社を見つけ、参拝をして、夕方は交通渋滞が始まるので14時30分頃友人と別れ、帰路につきました、此の時間から帰路に着くと渋滞もなくスムースに自宅まで到着した。

帰り次第写真を現像しながら、早速Duke Ellington / 「女王組曲」を口直しに聴き直す、この曲は是非ダブルプッシュのラックスA-3500パワーアンプとIIILZMonitor Goldユーユニットで聴くが真空管アンプの仕様でより自然な演奏が楽しめる様に思う、一般的に優しい音なんで言われる方もおられる様ですが筆者が感じるのがより透明感が優れて演奏がより一層楽しめる様に思う、確かに一度真空管で聴くと手放せな点は大きいです。

「なぜ真空管を使うのか?」「一体、魅力とは何なのか?一度でも真面目に掘り下げたい議題でもあるが、筆者自身技術的に詳しくないので割愛させていただいてますが、肝心の音の魅力についてが一番気になるところですよね。再生帯域幅など、数値上でみれば明らかに最新の技術を使ったモデルのほうが性能が良い。
なのになぜあえて古典的な真空管のオーディオを使う人がいるのか?一般的によく言われるのが「無機質さのない人間らしい音楽性」「ぬくもり」を感じるのが真空管の魅力といえます。石のアンプから真空管アンプに変更した瞬時に思ったのが何故が懐かしい音が聴こえ思わず筆者の顔が綻んだ時を思いだす。
これは実際に聞き比べてもらわないと伝わりにくいのですが、角の立ためず、耳にスッと入ってくる音は他に変えがたいものがあります。
刺激的なファンファーレもジャズの要素が折り込まれ、エリントンらしいジャズ模様の王女に捧げた音楽性は流石である。



詳しく調べてみますと、次のように記事があります。1958 年、ヨークシャーの芸術祭で、デューク・エリントンがエリザベス 2 世女王に贈呈されました。彼らは王室の歓待を交換しながら、数分間レセプションラインを縛りました。私たちの公爵は女王陛下と丁寧に対談したそうです。その後まもなく、おそらくその夜、エリントンはクイーンズスイートの動きを概説しました. 彼は翌年、オーケストラと一緒にそれを録音し、女王陛下に送り、生前に公開することを断りました。エリザベス女王がそれを聞いたかどうかは明らかではありません。



エリントンは女王の組曲に特別な注意を払い、最終的に彼のオリジナルのスケッチに忠実になりました。その 6 つのエピソードは、彼の旅で遭遇した自然現象に触発されました。カナダの道端、そしてオハイオ川沿いのウシガエルの合唱を伴う何百ものイナゴマメのバレエ。エリントンの分身であるウィリアム・トーマス・ビリー・ストレイホーンは、アメリカ合衆国のジャズピアノ奏者はその夜そこにいませんでしたが、エリントンの説明から「稲妻虫とカエル」を作曲しました。勿論スタンダードナンバーの『A列車で行こう』の作曲者であり、 デューク・エリントンとの共同作業がよく知られている。



デューク・エリントンがビリー・ストレイホーンと一緒に書いた組曲は、ゆるやかに結びついていることがありました。クイーンズ スイートは、クラリネットの顕著な使用によって統一されており、その木質が自然のテーマを強化しています。エリントンは、「類人猿と孔雀」という楽章を通じて、それを彼の王室の主題に結び付けています。これらは、聖書のソロモン王に贈られた毎年恒例の賛辞の 1 つでした。君主の喜びのために提示された自然の驚異です。The Ellington Suites の新版に掲載されており、そのうちの 3 つが掲載されています。
Goutelas Suiteは、Strayhorn が亡くなった後の 1971 年に録音されました。それは、エリントンが数年前に参加した式典を記念したもので、復元された中世のシャトーの翼がフランスの丘で除幕されました。エリントンは日記の中で、田舎の貴族と庶民、つまり知識人、職人と労働者、カトリック教徒と共産主義者がすべてこのプロジェクトに団結した方法について温かく書いています。エリントンのオーケストラのコンセプトは、子供の頃に DC のビリヤード ホールでぶらぶらして学んだ、「すべてのレベルが混ざり合う可能性があり、また混ざり合うべきである」という同様の考えに基づいていました。



アルバムThe Ellington Suitesには、ウィスコンシン大学のフェスティバルのために作曲された1972 年の Uwis Suiteも含まれています。エリントンの斬新なポルカ「クロップ」で最もよく覚えられています。しかし、エリントンが録音した多くの電車の歌の最後である「ロコモディ」も含まれています。これは、1924 年の彼の最初のセッションから始まった伝統です。新しい編集により、フェードアウトまであと 3 分あります。スイートの一部ではありませんが、Uwis セッションから未発表の曲もあります。「The Kiss」は「Loco Madi」と同様に、リズム セクションにエレクトリック ベースが追加されています。それらのパフォーマンスはどちらも、アンサンブルの洗練のモデルではありません。しかし、すべてが女王のスイートであるとは限りませんが、死後のエリントンはすべて興味深いものです。
Duke Ellington / The Ellington Suites
「女王組曲」(1-6)、「グーテラス組曲」(7-12)、「ユーウィス組曲」(13-15)が集められたアルバム。とくに「女王組曲」は1958年エリザベス女王に謁見したエリントンがその感激から帰国後に全て自費で録音し、たった1枚だけをプレスして女王に献上した作品。
その後何度も発売の話が持ち込まれたがエリントンは最後まで承諾せず、没後2年経って発売されたもの。


パーソネル
 Duke Ellington (piano)
 Clark Terry, Cat Anderson, Shorty Baker, Ray Nance (trumpet)
 Britt Woodman,Quentin JacksonJohn Sanders (trombone)
 Johnny Hodges (alto sax)
 Jimmy Woode (bass)
 Jimmy Johnson (drums)...etc
曲目
 1. The Queen's Suite: Sunset And The Mocking Bird  <女王組曲> サンセット・アンド・ザ・モッキング・バード
 2. The Queen's Suite: Lightning Bugs And Frogs  <女王組曲> ライトニング・バグス・アンド・フロッグス
 3. The Queen's Suite: Le Sucrier Velours  <女王組曲> ル・スクリエール・ヴェルール
 4. The Queen's Suite: Northern Lights  <女王組曲> ノーザン・ライツ
 5. The Queen's Suite: The Single Petal Of A Rose  <女王組曲> ザ・シングル・ペタル・オブ・ア・ローズ
 6. The Queen's Suite: Apes And Peacocks  <女王組曲> エイプス・アンド・ピーコックス
 8. The Goutelas Suite: Goutelas  <グーテラス組曲> グーテラス
 9. The Goutelas Suite: Get-With-Itness  <グーテラス組曲> ゲット・ウィズ・イットネス
 10. The Goutelas Suite: Something  <グーテラス組曲> サムシング
 11. The Goutelas Suite: Having At It  <グーテラス組曲> ハヴィング・アット・イット
 12. The Goutelas Suite: Fanfare  <グーテラス組曲> ファンファーレ
 13. The Uwis Suite: Uwis  <ユーウィス組曲> ユーウィス
 14. The Uwis Suite: Klop  <ユーウィス組曲> クロップ
 15. The Uwis Suite: Loco Madi  <ユーウィス組曲> ロコ・マディ

エドワード・ケネディ・エリントンは、1899年4月29日、昭和天皇に2歳先んじてワシントンD.C.に生まれている。ホワイトハウスの黒人執事だったという黒人上層階級に属するエリントンの家庭環境は、“Duke”というあだ名が示しているような雰囲気を持っていたのだろう。

デュークは、7歳でピアノをはじめ10代に入ると作曲に取り組んでいる。そして、ほかの多くのミュージシャンと同じ、18歳で音楽を目指して学校を辞めている。ワシントンD.C.周辺で演奏を続けていたデュークは1923年、ニューヨークを目指して上京。当時、「ハリウッド・クラブ」と呼ばれたジャズクラブを根城に演奏を始めている。
1927年、「コットンクラブ」と契約を結び、安定した状況でバンドの音楽的な進化を進めていった。1931年2月にはここを辞して、死ぬまで続くことになるバンドツアーへと歩みを進めている。恐慌期を乗り切ったデュークは順調にバンドの発展を続け、アイヴィー・アンダーソンをフィーチャーしたテーマ曲“スイングしなけりゃ意味ないね”のヒットを飛ばす。長年の盟友であり、優れた作曲家、そして、デュークの最大の理解者であるBilly Strayhorに続き、不世出の天才ベース、Jimmy Blanton、テナーの最初のスター、Ben Websterが続いて入団。ここにデューク・エリントン楽団は最初のピークを迎えた。

Cootie Williams、Johnny Hodges、Harry Carney、ら綺羅星のようなメンバーが揃って1940年代にはデュークの理想のバンドが完成する。しかし、戦争が終わり「スイングの時代」が終焉、ビッグバンドは、経営難に陥っていった。
そして、1956年、ニューポート・ジャズフェスティバルに現れたデュークは、モダンに進化したエリントン・サウンドで観客を魅了した。その後、60年代は『Anatomy of a Murder』『Paris Blues』といった映画音楽や、 Frank Sinara との共演作品、さらに世界各国をツアーをしながら作った『極東組曲』といったアルバムによってエリントン・サウンドの表現領域を拡大していった。



そうした中、英国のエリザベス女王に捧げられ、後に『Ellington Suite』としてリリースされたのが『Royal Suite』だった。1973年1月8日に録音された、Joe Pass、 Ray Brown、 Louis Bellsonとの『Duke's Big Four』は最後期のエリントンの姿を捉えた作品。
こうして50年にわたってジャズ界を引っ張ってきた偉大なる存在、Edward Kennedy Ellingtonは、1974年5月24日、ニューヨークで永眠した。

じっくり「女王組曲」を聴きエリントンが演奏した曲でのエリザベス女王との偉大さ、その影響は、ジャズ音楽をはるかに超えてすべての音楽ジャンル、そして、アルヴィン・エイリーをはじめ多くの舞踏団、さらにクラシック界にも及ぶ。
音楽ってジャンルで分けらた世界でなく全て平和な世界が続くために神により造られた世界の様な気になってます、ブラボー!