先日SPENDOR SP3/1Pのインシュレーターの改造後、気をよくした故、筆者のTANNOYをじっくり聴き直して見る、タンノイの味わいと違いが実に面白い。
現在筆者のエンクロージャーシステムはTANNOY10inch同軸2ウェイ(IIILZ Monitor Gold)ユニットにGOODMAN A.R.U付きのGOODMANS AXIOM 80の箱に組み入れた物をシングル三極管の真空管をメインに繋げ聴いているが、当初と比べると随分音質は向上したと思うが、最近J.S.バッハのカンタータ等を聴く場合若干などであるが低域が部分的に籠りがちに聴こえるのだ。
今以上にTANNOYらしい甘美な音を鳴らして聴きたいと思った、ステレオ時代の初めにスタート時に登場した小型TANNOYスピーカーユニット、真空管アンプとの組合せが響かせる美音の妙味と思えるが注意深く聴くと微妙に若干低音がダブつくように思われる、先日改良したSPENDOR SP3/1Pの方法、ソルボセインのインシュレーターをカットした物の上に筆者のGOODMANの箱を乗せダブルでのクッション方式を取り入れた、良い結果がもたらさない場合は最終的に現在自作のインシュレーターの下部に厚み40mm程の石板を引き。その上に載せる方式にしてみようと思っている、早速残り少ない在庫のソルボセインをカットしてエンクロージャーにセットし試聴する。
最近ミツバチの巣か作った天然素材、モライフ ブリティッシュビーズワックス フローリング ( つや出し 木製品 家具 艶 蜜蝋 撥水 床)をエンクロージャーに暇な時に塗り乾拭きを続けたが意外と効果的な色合いになってきたようです。
少し籠り気味の低域の抜けが解消され高域も一層輝きが増したように聴こえるこの方式は効果があるり断然音楽を楽しめる環境に近づいたようである。
J.S.バッハの時代は正確な曲の速度は指示がなく指揮者、演奏者によりテンポは違って演奏したと聴くが、バッハの音楽を長く聴き続けると、自然に自分に合ったテンポの演奏者が見つかり又聴き続ける事により、それは年齢によっても違ってくることは誠に厄介極まりない。筆者がカール・リヒターを最近聴くのは其の様な理由によろものである。勿論装置が変わってもそれは言えることであろう。
先日から注文した、筆者の所に届いたバッハ:教会カンタータ75曲(26CD)カール・リヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団を試聴する、前回からの引き続きでBW V140をリッピングして試聴する。
筆者が感じるcantataは何度も繰り返し聴くうちに徐々にこの音楽?J.S.バッハの良さが滲み出て、もう一度聴きたい感情が現れ、音楽を取り入れる事により心の浄化が始まるような世界のように思える。
【収録情報】
第1番『輝く明星のいと美しきかな』 BWV.1
第4番『キリストは死の縄目につながれたり』 BWV.4
第5番『我はいずこにか逃れゆくべき』 BWV.5
第6番『我らとともに留まり給え』 BWV.6
第8番『いと尊き御神よ、いつ我は死なん』 BWV.8
第9番『われらに救いの来たれるは』 BWV.9
第10番『我が心は主をあがめ』 BWV.10
第11番『神をその諸々の国にて頌めよ(昇天祭オラトリオ)』 BWV.11
第12番『泣き、嘆き、憂い、怯え』 BWV.12
第13番『わがため息、わが涙』 BWV.13
第17番『感謝の供え物を献ずる者、われを讃えん』 BWV.17
第21番『わがうちに憂いは満ちぬ』 BWV.21
第23番『汝まことの神にしてダビデの子よ』 BWV.23
第24番『まじりけなき心』 BWV.24
第26番『ああ、いかにはかなき、ああ、いかに空しき』 BWV.26
第27番『誰ぞ知らん、わが終わりの近づけるを』 BWV.27
第28番『神は頌むべきかな!今や年は終わり』 BWV.28
第30番『喜べ、贖われし群よ』 BWV.30
第33番『ただ汝にのみ、主イエス・キリストよ』 BWV.33
第34番『おお永遠の火、おお愛の源よ』 BWV.34
第38番『深き悩みの淵より、我汝に呼ばわる』 BWV.38
第39番『飢えたる者に汝のパンを分け与えよ』 BWV.39
第44番『人々汝らを除名すべし』 BWV.44
第45番『人よ、汝は先に告げられたり、善きことの何たるか』 BWV.45
第51番『諸人よ、歓呼して神を迎えよ』 BWV.51
第55番『我哀れなる人、我罪の下僕』 BWV.55
第56番『我は喜びて十字架を担わん』 BWV.56
第58番『ああ神よ、心の痛手いと多く』 BWV.58
第60番『おお永遠、そは雷のことば』 BWV.60
第61番『いざ来ませ、異邦人の救い主よ』 BWV.61
第63番『キリスト者よ、この日を銘記せよ』 BWV.63
第64番『見よ、父なる神の大いなる愛を』 BWV.64
第65番『みなサバより来たるらん』 BWV.65
第67番『死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ』 BWV.67
第68番『げに神はかくまで世を愛して』 BWV.68
第70番『目を覚まして祈れ』 BWV.70
第76番『諸々の天は神の栄光を語り』 BWV.76
第78番『イエスよ、汝はわが魂を』 BWV.78
第80番『われらが神は堅き砦』 BWV.80
第81番『イエスは眠りたもう、我何を望むべき』 BWV.81
第82番『我は満ち足れり』 BWV.82
第87番『今まで汝ら何をも我が名によりて』 BWV.87
第92番『我は神の御胸の思いに』 BWV.92
第93番『尊き御神の統べしらすままにまつろい』 BWV.93
第96番『主イエス・キリスト、神の独り子』 BWV.96
第100番『神なしたもう御業こそいと善けれ』 BWV.100
第102番『主よ、汝の目は信仰を顧るにあらずや』 BWV.102
第104番『イスラエルの牧者よ、耳を傾けたまえ』 BWV.104
第105番『主よ、汝の下僕の審きにかかずらいたもうな』 BWV.105
第106番『神の時こそいと良き時』 BWV.106
第108番『わが去るは汝らの益なり』 BWV.108
第111番『わが父の御心のままに、常に成らせたまえ』 BWV.111
第115番『備えて怠るな、わが霊よ』 BWV.115
第116番『汝、平和の君、主イエス・キリスト』 BWV.116
第121番『キリストを我らさやけく頌め讃うべし』 BWV.121
第124番『われ、わがイエスを離さず』 BWV.124
第126番『主よ、我らを汝の御言のもとに保ち』 BWV.126
第129番『主に賛美あれ』 BWV.129
第130番『主なる神よ、我らこぞりて主をほめん』 BWV.130
第132番『汝ら道を備え、大路をなお良くせよ』 BWV.132
第135番『ああ主よ、哀れなる罪人我らを』 BWV.135
第137番『主を頌めまつれ、力強き栄光の王をば』 BWV.137
第139番『幸いなるかな、おのが御神に』 BWV.139
第140番『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』 BWV.140
第147番『心と口と行いと生活とで』 BWV.147
第148番『その御名にふさわしき栄光を主に捧げまつれ』 BWV.148
第158番『平安、汝にあれ』 BWV.158
第171番『神よ、汝の誉れはその御名のごとく』 BWV.171
第175番『彼は己れの羊の名を呼びて』 BWV.175
第178番『主なる神我らの側にいまさずして』 BWV.178
第179番『心せよ、汝の敬神に偽りなきやと』 BWV.179
第180番『装いせよ、わが魂よ』 BWV.180
第182番『天の王よ、汝を迎えまつらん』 BWV.182
第187番『彼らみな汝を待ち望む』 BWV.187
第199番『わが心は血の海に漂う』 BWV.199
【収録演奏】
エディト・マティス(ソプラノ)
シーラ・アームストロング(ソプラノ)
ロッテ・シェードレ(ソプラノ)
マリア・シュターダー(ソプラノ)
ウルズラ・ブッケル(ソプラノ)
ヘルタ・テッパー(アルト)
アンナ・レイノルズ(アルト)
ユリア・ハマリ(アルト)
トゥルデリーゼ・シュミット(アルト)
エルンスト・ヘフリガー(テノール)
ペーター・シュライアー(テノール)
ヨーン・ヴァン・ケステレン(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
テオ・アダム(バリトン)
クルト・モル(バス)
キート・エンゲン(バス)
ミュンヘン・バッハ管弦楽団、他
カール・リヒター(指揮)
リヒターはバッハのライフワークだった教会カンタータは、芸風の変遷や人生のさまざまなできごとが投影されていることでも知られています。
長年かけて教会カンタータのレコーディングに取り組み、結果、75曲の録音をアルヒーフに残したカール・リヒターにとっても、それらは自身の芸風の変遷なども反映したものとなっており、モダン楽器小編成によるかっちりしたサウンドにのった独特の求心力あるサウンドを基調としながらも、峻厳で快速、パワフルな第4番から、遅めのテンポでじっくり仕上げた第140番まで、時期による傾向の違いも反映した興味深い内容となっています。
以前筆者はモダン楽器小編成に疑問を抱き徐々に古楽器演奏のソース中心に聴くようになってしまったが、最近カール・リヒター、フリッツ・ヴェルナー等の演奏を聴いている、確かに古楽器も良いが指揮者によってはモダン楽器演奏も良いと思うように変化していることは確かにである。
カール・リヒター(Karl Richter, 1926年10月15日 - 1981年2月15日)は、ドイツの指揮者、オルガン・チェンバロ奏者。
ヴァイマル共和政下のザクセン自由国(現ザクセン州)プラウエンに牧師の子として出生。1937年、11歳のときドレスデン聖十字架教会付属学校に入り、同聖歌隊のメンバーになった。ここで最初の音楽教育を受け、ヨハン・ゼバスティアン・バッハやハインリヒ・シュッツの合唱曲に親しんだ。
1946年、ドレスデンからライプツィヒに移り、ライプツィヒ音楽院に入学。聖トーマス教会のカントルであったカール・シュトラウベとギュンター・ラミンの下で学んだ。1949年に教会音楽の国家試験に合格して聖トーマス教会のオルガニストに就任した。
1950年にライプツィヒ・バッハ・コンクールのオルガン部門で、アマデウス・ウェーバージンケとともに首席を獲得した。1951年、聖マルコ教会(ミュンヘン)のオルガニストに就任し、これに伴いミュンヘンに移住。バッハ・コンクールの成績が契機となってミュンヘン国立音楽大学のオルガンとルター派教会音楽の講師に迎えられた。リヒターは当初東ドイツで活動し、伝統の後継者と目されていたが、社会主義統一党の支配に対して自由な活動の場を求め、次第に西ドイツのミュンヘンで活動するようになった。
1951年から1953年の間、戦後設立されたハインリヒ・シュッツ合唱団の指揮を任され、主にバッハ作曲のカンタータを演奏する目的で訓練、これをミュンヘン・バッハ合唱団と改称した。1953年にはソリストを募集し、ミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立。
1954年、シュッツの Musikalische Exequien「音楽による葬送」を録音しレコード・デビューを果たした。同年10月、スイスのジュネーヴにあるヴィクトリア・ホールにて、イギリスのデッカ=ロンドンレーベルのために、バッハとフランツ・リストのオルガン作品を録音。これがリヒター最初のステレオ録音となる。
1956年にラミンが死去した後、トーマス教会からのカントル就任要請を断り、完全に西ドイツに活動の本拠を移した。ミュンヘン国立音楽大学のオルガン科教授に就任し、ミュンヘン・バッハ管弦楽団および同合唱団を率いてアメリカへの演奏旅行を行った。
1958年、ドイツ・グラモフォンの古楽専門レーベルであるアルヒーフでバッハの「マタイ受難曲」を録音。これは今日まで最もよく知られる彼の代表的作品となった。さらに同レーベルへのカンタータ録音を開始。ドイツ・グラモフォンがアルヒーフレーベルによる音楽史を構想した当初、バッハのカンタータはフリッツ・レーマンらによって担当されていたが、レーマンが1956年に演奏中に急死したため、数人の指揮者による分担を経て、結果的にリヒターがその後任となった。自らライフワークとしていたカンタータ録音は、20年以上をかけて約70曲を残しているそうである。
1926年10月15日、ドイツとチェコとの国境近くのザクセンのブラウエンで生まれた。1936年にドレスデンのギムナジウムに入り、その学校の十字架聖歌隊のメンバーとなり、早くも宗教音楽に親しむようになる。1946年にライプツィヒ音楽学校に入学し、カール・シュトラウベ、マウエルスベルガー等に師事し、バッハへの造詣を深めた。1949年にはトーマス教会のオルガン奏者に就任した。1951年にミュンヘンに移り、理想的なバッハ演奏の実現のためにミュンヘン・バッハ合唱団を設立し、自ら指揮を務めた。1955年には当時のミュンヘンの主要オーケストラの腕利きを集め、ミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立、演奏会やレコーディングでバッハを中心とした作品を披露した。そのかたわら、オルガンやチェンバロの演奏家としても活躍、またミュンヘン音楽学校の教授も務め、多忙を極めた。そのためか、1981年2月15日、心臓発作のためミュンヘンで急死した。
オーレル・ニコレによる追悼スピーチの抜粋(1981年2月20日・ミュンヘン、聖マルコ教会)
「生前のカール・リヒターは絶えず働き通しでした。かのマルティン・ルターは、1546年2月16日にアイスレーベンで最後の文章を書き上げましたが、それが発見されたのは、彼の死〔同年2月18日〕の2日後のことでした。10日ほど前、リヒターは彼がいつも持ち歩いている紙片を私に見せてくれました。それは、ルターが書いたラテン語の文章で、ドイツ語に訳すとこんな具合になります。『ヴェルギリウスの牧歌を理解しようと思うなら、5年間は羊飼いをしなくてはならない。農作をうたったヴェルギリウスの詩を理解しようと思うなら、やはり5年間は農夫を体験しなくてはならない。キケロの書簡を完全に理解しようとするなら、20年間は国の政治に携わらなくてはならない。聖書を十分に理解しようとするなら、100年間は、預言者、バプテスマのヨハネ、キリスト、そして使徒たちとともに、教会を指導していかなくてはならない。それでもあなたは、自分を神の代理だなどと思ってはならない。そうではなく、額(ぬか)づいて祈るべきだ。私たちは、言ってみれば物乞いなのだから。』カール・リヒターは、このルターの文章についてこう言いました。『生きている限り、私は音楽を学び、音楽を自分に叩き込まなくてはならない。ただ単に暗譜するとか、芸術的に演奏できるようになればいいというのではなく、文字通り完全に。』カール・リヒターは、そんな生き方をした人でした。これほどの精神をもった人がかつて存在し、これからも良き模範であり続けるのは、私たちにとってこの上ない励みになります」と語っていたようです。
演奏を聴けば分かるが全単位ゆったりとした、いかにも大河を流れる如くリズムJ.S.バッハ独自のポリフォニー(polyphony)は、複数の独立した声部からなる音楽のこと。ただ一つの声部しかないモノフォニーの対義語として、多声音楽を意味する。複数の声部からなり、それぞれの声部が、旋律線の横の流れを主張しながら、対等の立場でからみあっていく様式の音楽。複音楽。多声音楽。が楽しめる演奏です。
確かに些細な変化ではあるがカンターターを味わうには今回の階層は実に細やかなな歌声の微妙な移り変わりの楽しさを堪能出来るようになった事と余分な音は抑えられ良い感じになった、勿論名器をお持ちの趣味人は、日々このような場景に、満悦されておられることであろうが・・・弱音器をかけたような、忍び音(しのびね)の音楽は、最も素朴な人々と、最も洗練されたる人々を、同時に魅了させずにはおかない。如何にもデリケートな表現を味わい尽くすことのTANNOYユニットとGOODMANS ARU付きのとAXIOM 80の箱とのコンビの音質と改めてこの音は実に味わい深い音を奏でる様である。
TANNOY IIILZをお使いの諸氏はアメリカタンノイの様な、是非一度大きな箱に入れての試聴は満足する音に変化するのでお試しいただきたい。アメリカタンノイにつきましては以下のようなコメントが表記されていました。「天才が些細な不正にも苦しむ純潔な精神、微々たる瑕瑾(かきん)をも見逃し得ぬ精妙な感性、完璧のみが至上の逸楽をもたらすことを、啓示してくれる。高貴にして神聖なる魂は、虚偽と罪業(ざいごう)と醜悪の世界に窒息する様を・・、偉大なる芸術家が幸福であるためには、俗衆の喝采を必要としないことを、”インペリアル”は教え、語り、諭すであろう。バッハからブルックナーまで、ガーシュインからジョン・ケージまで、ドビュッシーから武満徹まで、声楽からオペラまで、ニューオーリンズからフリージャズまで、総てを受け入れてしまう幻のスピーカー。その秘密、解析(かぎ)はそれぞれに2個(15インチレッドorシルバー)が内包されこだわりの構造がなせる技なのであろう。」
兎に角カンタータが聴きやすく感じるこの頃である、この箱でやっとTANNOY10吋の(IIILZ Monitor Gold)ユニットも完成度の近い音質になったようである。ブラボー!