伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

比較的新しい録音で、クセニア・ヤンコヴィチのバッハ、ベートーヴェンのチェロを満喫する。

2024年08月22日 | クラシック音楽・オーディオ

筆者が新しい情報を得る場合は、J.S.バッハ演奏者での部分には前に一度聴いたが何となく気になった演奏者を再度聴き直し又最新の演奏を聴き改めてじっくり聴き良いと思った場合に掲載する様にしているが、今まではロシア系統の演奏者は何故か避けてきた様に思う、今後紹介する演奏者においてもロシア生まれの若手バッハの演奏では定評のあるヴァイオリン演奏者のアリーナ・イブラギモヴァ等も今後是非紹介したいと思っている。

今回はチェロリストのクセニア・ヤンコヴィチ (Xenia Jankovic)スウェーデンの女性チェリスト、1958年10月26日生まれの紹介をする。
一流のチェロ奏者としての素晴らしい才能で知られるクセニア・ヤンコヴィッチは、ソリスト、室内楽奏者、教育者として世界的に活躍しています。
ロシア人とセルビア人の音楽家の家庭に生まれたクセニアは、9 歳でベオグラード フィルハーモニー管弦楽団でデビューしました。キャリアの初めから、彼女に最も影響を与えた教師は、ムスティスラフ ロストロポーヴィチ、ピエール フルニエ、アンドレ ナヴァーラ、ジェルジ シェボク、シャーンドル ヴェーグでした。ヤンコヴィッチは、世界的に有名なコンサートホールでリサイタルを開催するほか、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団、スロベニア・フィルハーモニー管弦楽団、マドリード放送管弦楽団、ベルリン放送交響楽団、コペンハーゲン放送管弦楽団などのオーケストラとソリストとして共演し、聴衆や評論家から熱烈な称賛を受けています。ヤンコヴィッチは、CPO、サフィール、チャンネル・クラシックス、PGP、メリズム、インデセンス、カリオペ・レコードなどで録音しています。

以下の様な寸評も掲載されていましたので紹介します。
「クセニアは、彼女の楽器のための曲を書くために、多くの作曲家にインスピレーションを与え続けています。彼女は特にセルビアの作曲家による多くの作品を初演し、彼女のために書かれた曲の録音や版作りに取り組んできました。ヤンコヴィッチは最近、以前のレパートリーを再び取り上げることに大きな関心を抱き、さまざまな場面で一人の作曲家の作品をじっくりと取り上げています。たとえば、ベートーヴェンやメンデルスゾーンの全作品(ソナタ、三重奏曲、四重奏曲を含む)を再び取り上げています。キャリアの中で定期的に演奏してきた作品を探求することで、演奏に対するアプローチが変わりました。これには、古い楽器と現代の楽器、ガット弦の有無、バロック、古典、現代の弓の使用、19世紀初頭から中期のピアノなどの時代楽器との共演(特にベートーヴェン、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーンにふさわしい)が含まれます。
ヤンコヴィッチは、奥深さと甘美さを兼ね備えた音色と安定しきった技巧の持ち主で、音楽は極めて格調高く、スケール大きく造形されます。バッハ、ベートーヴェン、ブラームスという造形的で内容の深い音楽に適性を示す、現代最高のチェリストの1人と言えるでしょう。彼女が満を持して発表する「バッハの無伴奏チェロ組曲全集」注目です。」



J・S・バッハ(1685-1750):無伴奏チェロ組曲集
[CD 1]
 無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 BWV 1008
 無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV 1009
 無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV 1010
[CD 2]
 無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV 1011
 無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調 BWV 1012
 無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV 1007
https://www.youtube.com/watch?v=tGsSmkt1Xi0

【演奏】
 クセニア・ヤンコヴィチ(チェロ)
【録音】
 2006年3月、サン=マルセル福音教会、パリ、フランス

クセニア・ヤンコヴィチは1958年セルビアのニシュに生まれたセルビア系ロシア人のチェロ奏者。彼女は6歳でチェロを始め、9歳でベオグラード・フィルハーモニー管弦楽団と共演した天才少女で、11歳より政府給費留学生としてモスクワ音楽院中央音楽学校でステファン・キリアノフ、ムスティスラフ・ロストポーヴィチに師事しました。その後、ジュネーヴでピエール・フルニエに、デトモルトでアンドレ・ナヴァラに師事し、更に研鑽を積みました。



Beethoven: Cello Sonatas
Xenia Jankovic(vc), Nenad Lecic(p)
ベートーヴェン:
  チェロ・ソナタ第1番ヘ長調 Op.5-1 
  チェロ・ソナタ第2番ト短調 Op.5-2 
  チェロ・ソナタ第3番イ長調 Op.69 
  チェロ・ソナタ第4番ハ長調 Op.102 -1 
  チェロ・ソナタ第5番ニ長調 Op.102-2 
ヘンデルのオラトリオ『ユダス・マカウベス』の主題による12の変奏曲ト長調 WoO.45 
モーツァルトの『魔笛』の「恋を知る男たち」 「は」の主題による7つの変奏曲変ホ長調 WoO.46 
モーツァルトの『魔笛』の「恋人か女房か」の主題による12の変奏曲ヘ長調 Op.66

【演奏】
 クセニア・ヤンコヴィチ(チェロ)
 ネナド・レチッチ(ピアノ)
【録音】
 録音時期:2017年
 録音場所:ドイツ、デトモルト
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

何故かクセニア・ヤンコヴィチのベートーヴェンのチェロ曲を聴きながら頭に浮かんだのは、1987年に42歳で死去したイギリスのチェロ奏者ジャクリーヌ・デュ・プレであった。



筆者の好きなジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)ダニエル・バレンボイム(ピアノ)のベートーヴェン:チェロ・ソナタは昔から好きで良く聴くアルバムではあるが流石息のあったDUOの演奏は何度聴いても素晴らしい、些か録音も古く1970年録音とあり聴き比べれば音質には差がある、最近古い録音の曲ばかり聴く事が多い。チェロ曲では有名なバッハとベートーヴェンではあるが、誠に残念なことにバッハのチュロ組曲の演奏はアルバム「Early Bbc Recordings:1961-1965」の中に入っているがBWV1007、1008以外は聴いた事はないが機会があれば全曲聴きたい物だとも思っている。

久しく最近吹き込み直したと言われる録音盤を聴くけばわかるが発売から既に50年以上過ぎたがジャクリーヌ・デュ・プレの演奏は良い、TANNOYのユニットもまだまだ現役とし活躍できそうである事は確かである、しかし最新録音の今回のヤンコヴィチのチェロの音色を聴けば差は明らかであった。



モダン楽器とピリオド楽器の両方を弾きこなす名ピアニスト、パオロ・ジャコメッティ、アムステルダム・シンフォニエッタの音楽監督を務めるカンディダ・トンプソンと共にハムレット・ピアノ・トリオのメンバーとして活躍するセルビア系ロシア人チェリスト、クセニア・ヤンコヴィチ。

ガスパール・カサド国際チェロ・コンクールで優勝した実績を持ち、世界中でソリストや室内楽奏者として活躍する名女流が、楽聖ベートーヴェンのチェロ・ソナタ全曲をレコーディング!「5つのソナタ」と「3つの変奏曲」でベートーヴェンの3つの創作期を網羅。チェロとピアノのデュオで、作曲家ベートーヴェンのハイライトを描いています。もちろん、演奏も抜群の完成度です!



クセニア・ヤンコヴィチ のチェロ曲の中でも好きな曲を選び聴く、確かに2017年発売のJ.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV 1009と 2019年発売のベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調 Op.69を視聴する確かに最新の録音技術は素晴らしく音質も流石と言わざるを得ない。
バッハについては若干早目なテンポの様ではあるが良い出来栄えではある。それとチェリストの為か何故が表情に優しさが伺える様である。音質もチェロの低域の音量も豊かになり響く様は見事でもある。次にベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番の冒頭が鳴り出し驚く、これは実に良い!楽聖ベートーヴェンのチェロ・ソナタであるかの様な演奏である。
後日ベートーヴェン:チェロ・ソナタ全てをじっくり堪能しようと思った、ピアノとのDUOも大変宜しく興味深く追求してみる事にした。

TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetに変わり設置方法も落ち着き昔からいろいろの曲を聴き驚くは、昔からこの2台メーカーは語り継がれたタンノイ・ジムランの音の違いはタンノイの音は確かにガサツなところがなく上品である。若干渋めな音調、厚めの音。低域 高域の表現もある程度自然で、特に中域の帯域は解像度も良好。音場は澄みきり 混濁も少ない。 例えばオスカー・ピーターソン・トリオの「WE GET REQUESTS」を聴くと、ウッドベースの自然な響きが堪らなく良い、ジャケットの如く笑顔で演奏する三人の音像がキリリと現れる。いかにも自然なベース音は如何にもホールトーンなのである。ジャズを楽しく聴くのはタンノイの音質も魅力的であることが理解出来たのである。



流石最新の演奏の録音状態は大変い優れたいるようで隣室にも低音が響き渡る様に感じた、録音の違いにもある様だが低音の力と中域の張りの魅力はなかなかに代えがたいですね。10畳ほどの空間で悠々たる器量のある低音感を体で楽しむ、そんなスピーカーです。伝統ある10吋IIILZ Monitor Goldユニットの優れた低音の鳴り方の良さから高音までバランスが良く楽しむ事が出来ます。
今も変わらないTANNOYのLEGACYシリーズのHPDユニット使用して新しいARDEN/CHEVIOT/EATONは現在もスコットランドで熟練の職人チームがハンドメイドで作っているとのことです。

筆者の愛用するTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetは2018年1月にGOODMAN AXIOM80の箱が到着し当初はユニットにHPD295を装着していましたが一年後にIIILZ Monitor Goldと交換し5年が過ぎ不安事項の修復及び設置方法等を改良し試行錯誤した結果随分音質は良くなった思っている。確かに数字的に周波数特性はHPD295のユニットが優れてはいるのだが視聴すると何故か音楽全体の雰囲気はMonitor Goldに軍配が上がり弦音の広域は涼やかな体験できる。
本アルバムは何時もより若干ボリュームが大きく感じ、しっかり鳴る感じがする、流石最新の録音状態にも関係はあるのであろうか?隣の部屋に低域の音だけが響いた為に若干音量を下げた!



当時古い本だが後生大事に残して於いたステレオサウンド誌「別冊ステレオサンド」2009年3月発売の記事に当時松浪氏がTANNOYⅢLZ のユニットをGOODMAN AXIOM80の箱に入れてARUを付けて鳴らした結果それまで試した結果一番音が良く、TANNOYⅢLZ を使用する友人にGOODMAN AXIOM80の箱に入れる様に勧めたそうです。
その様なGOODMAN AXIOM80の箱を入手しユニットも手入れして組み込み早速視聴すると、設置方法等色々な問題が判明した、様々な方法を試みるがそれ以来黒の連続でもあったが5年の歳月をかけて現在の設置に安定を覚えた。




勿論拙宅の箱も、その系統を受け継ぐ箱と聞いた事がある。
この別冊のステレオサウンド誌の様に思うにTANNOYのスピーカーの事で一冊の本になると言う英国の伝統はまさに老舗でもある。そのTANNOYのシステムムを日本に最初に持ち込み孤軍奮闘されたのは作家の五味康祐であり今も彼の書き記した本を読み感動する事もある。

考えれば昔と全く変わりなく成長はしていない様でもある、当時から世界の国から日本での不思議な現象はTANNOYとジムランの2社がが異常に販売された国は無いと言われていたそうです。
確かに未だこの2社のスピーカーの注目度が続く現象は戦後生まれの年代が続く限り話題は続くのであろう。



余談ではあるが、此処でこの本の中の内容に興味ある記事が掲載されていた、所謂アメリカ・タンノイに見る製品群にバックロードホーンを取り入れた12吋マローカンと言う製品だが、タンノイ社が60周年を記念して発売された15吋RHRリミテッドなるユニット背面にはバックロードホーンシステムとなった物が開発されたと聴くが、多分此れはアメリカ・タンノイの12吋マローカンユニットなる音と、何方もバックロードホーン独特の響かたは似た鳴り方をするのでは無いであろうかと興味深く想像する。
英国タンノイユニットも海を渡り米国東海岸のサウンドに変身しているのであろう?或程度のボリューム・ゾーンの据え置き型エンクロージャーを使用される方々はすれぞれの響きについての拘りががあるのであろう、低音については若干英国の名残はあるが質感が引き締まり、音の輪郭が引き締まりジャズ系の音楽も妙に懐かしく味わえる様に想像できる。確かにユニットは同様でも箱の形状で随分音質は変わることを学んだ楽しい6年でもあった。

肝心の音源の音質は流石最新技術の為か頗る良い、例えばチェロのビブラートは何かゾクゾクする、久しぶりに体感すると新しいテクノロジーの音にも関心もすると同時に50年前にも及ぶユニットも大した物と思え愛おしくもある。
勿論バッハ、べートーヴェン等のチェロ音楽を愛好する筆者の様な老体には此の10吋IIILZ Monitor Goldユニットが丁度良く何時迄も長く大切に保管したい気持ちは続くのである。
今後も趣味の「良い音楽」の追求がより楽しみを増すであろう、ブラボー!

ロシア生まれのピアニスト、タチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva )のバッハの演奏を紐解く。

2024年08月15日 | J.S.バッハ制作音楽

平均律クラヴィーア曲集は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した鍵盤楽器のための作品集。1巻と2巻があり、それぞれ24の全ての調による前奏曲とフーガで構成されている。第1巻 は1722年、第2巻 は1742年に完成した。平均律クラヴィーア曲集は、バッハの音楽の真髄を感じることができる作品です。 まず、プレリュードとフーガの構成的な組み合わせによる美しさです。 プレリュードは自由な即興的な性格を持ち、フーガは厳格な対位法の技法が駆使されています。 これにより、バッハの多様な音楽表現が存分に味わえます。

ところで、この曲の紹介はつい先日も行っていますが、聴けば聴くほどバッハの音楽の深さに嵌るようでもある、でも最初に「平均律クラヴィーア曲集」からバッハの音楽に入ったという人は、どのくらいいるだろう。わりと少ないかもしれない。というのも、「平均律」という日本語タイトルにあるこの言葉が、なんとなく謎めいているというか、近づきがたい印象を持たれるように思うからだ。

バッハはクラヴィーア、すなわちクラヴィコードやチェンバロのような(ピアノが作られるよりも前の)鍵盤楽器のために作った作品は数々あるが、「イタリア協奏曲」や「フランス組曲」や「イギリス組曲」など、お国名を冠した楽しい感じのする作品に比べたら、「平均律」と言われても、ちょっとどうしたら……という気持ちにはならないだろうか。
「平均律」とは、調律方法の一つである。曲の中で、つぎつぎと調性を変化させても、違和感なく美しく響いてくれる便利な調律の仕方だ。バッハは1オクターブの12音を主音とする長調・短調、つまり24の調性を網羅した曲集を書こうと思った。全調がほどよくきれいに響く調律方法があるなら、ひとつのまとまった曲集を作ることが可能なのだ。
ただし、バッハがこの曲集につけたドイツ語のタイトルを注意深く見てみると、Das Wohltemperirte Clavier、つまり「うまく調律されたクラヴィーア」としか言っていない。「平均律」なんて書いていない。当時はまだ「平均律」が現在ほど一般的ではなかったようなのだが、少なくともバッハは「全調に対応できるように“うまく”調律された」鍵盤楽器を想定していたと思われる。この曲集が日本にもたらされた時、だれかが「だったら当然“平均律”でしょ」ということで、このように翻訳してしまったのだろう。それが定着したことになる。



ここでタチアーナ・ニコラーエワが語る平均律の参考意見を伺いましょう。

確かにJ.S.バッハはメンデルスゾーンがマタイ受難曲を楽譜を発見する100年は忘れられた音楽家でありバッハの演奏技法も未定であり多くの楽譜を発見し当時の演奏方法と違いいていたのであろう、全体的に自然な演奏法、勿論当時はチェンバロ楽器ではなくピアノ演奏が主流でペタルも使わずごく自然に平均的演奏がバッハの演奏と理解し始めたようであった。
これはJ.S.バッハの鍵盤楽器を教える教授の話であるが、曲は平均律クラヴィーア曲集であった、因みに一般的には平均律クラヴィーア曲集(うまく調律されたクラヴィーア/Das Wohltemperirte Clavier)は、バッハの音楽の真髄を感じることができる作品です。 まず、プレリュードとフーガの構成的な組み合わせによる美しさです。 プレリュードは自由な即興的な性格を持ち、フーガは厳格な対位法の技法が駆使されています。

 これにより、バッハの多様な音楽表現が存分に味わえる音楽と言えるそうです。この曲の演奏には一番感じな事は和音の変化に対応する鍵盤は平均的に奏でられなければならなく、始まりはごく自然に始まり同様に自然に終わる演奏が良いと言われる、勿論音楽マニアは単に音楽を享受して自然な心で聴く事こそがバッハの音楽であるのかもしれないとも思う。



一般的にTANNOY IIILZ Monitor Goldのユニットの持つ特性は誰もが納得できる音質は弦楽器の再現性であろう、このユニット以降スピーカーエッジにエッジはコーン紙がそのままエッジとして使われているフィックスドエッジが大きな違いでもあります補修はブレーキオイルの塗布でダンパー部分を敏感に修復が寛容です。 音の特徴は擦って奏でる再現性は実に美しいが、これが生の音かと問われれば生とは違うと言わざるを得ない、何故ならTANNOYの奏でるユニットの中央で視聴すれば装置のセンターで目の前での演奏会上の一番良い席で聴けるTANNOYマジックを味わうことができるユニットである。
但しこれらの条件を満たすことは使用アンプは三極管アンプの使用を勧める、TANNOY IIILZ Monitor Goldユニットのインピーダンスはトランジスター対応の8Ωではあるが、音質の相性は真空管が圧倒的に相性は良かった。
ここで筆者が思うは何故今頃ピアノの演奏奏法を申し上げるかといえば、音響装置にも大変影響のあること理解でき始めたと思う、確かに上記写真のTANNOY IIILZ Monitor Goldは実に優れたユニットではあるが、特にバッハ演奏の平均律の演奏等は特に明記として相応しい音を奏でてくれます。

平均律の演奏は自然に演奏が始まり自然に演奏が終わり無から無の繰り返しバッハの音楽の制限性は実に見事なユニットと思える、またペタルも使わず流れのままに演奏する音を聴かせるユニットは矢張り銘機なのであろう、またバッハの鍵盤音楽の極みは右手左の力加減を均一に自然な力を加えることにより一層深いバッハの音楽を体験できるようにおもいます。兎に角バッハ作曲の鍵盤楽器の音楽は全ての曲にこの方式な当てはまる演奏であることが解るのである。正に無の境地の演奏でもあり晩年のBWV1079・BWV1080等を聴けば納得頂けるともおまいます。

確かにTANNOYのユニットで視聴する、ジャズピアノ等の鍵盤を叩きつけるような刺激的な音は苦手であるが、バッハのような鍵盤楽器演奏には実に良い自然な重なりを見せる音楽を聴かせるようなピアノの音なのです。
確かに音響機材所謂オーディオ機材の真空管の違い、接続ケーブルの違い、また使用コンデンサーの違いにより音質の違いを追求する事もオーディオの醍醐味でもあり面白い所でもあろう、色々あるパーツを使い音質を楽しんだが或程度の機材が安定して音楽を聴くうちに勿論懐事情の都合も大きく、一番肝心なことは矢張り各々演奏家の違いでの音楽を享受する違いが大きく関わることが徐々に明らかになったことでもある。
筆者は昔はバッハの鍵盤曲の試聴はチェンバロ演奏が多く聴いたが、最近聴くはやはり手軽に入手できるピアノ演奏する側も視聴者側もお互いに作曲者を意図を理解する事で大きな幸運を得られるのであろうと承知しております。

今まで特に筆者の聴く音楽の演奏家にはロシア系統の演奏家情報もは少ない、NHK放送では何度も放映しているようだが、後輩たちの教育も熱心に実行し何度も来日してしかもバッハの演奏を続ける、今まさに定評のある女流ピアニスト「タチアーナ・ニコラーエワ」を取り上げてみます。



タチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)はロシアのペジツァ生まれの生涯現役を貫いた名ピアニストです。3歳からピアノを始めると、幼くしてその才能の片鱗を見せ、モスクワ音楽院ではピアノと作曲を修めます。卒業後にライプツィヒで開催されたバッハ200年祭記念コンクールで見事優勝を果たし、以後バッハ弾きとしての名声を確立しました。
コンクールの審査員のひとりだった作曲家のショスタコーヴィチは、ニコラーエワの演奏にインスパイアされ「24の前奏曲とフーガ」を作曲。1952年にレニングラードで行われた栄えある公開初演はニコラーエワが演奏を務めました。 この作品はトッカータ、ソナタ形式、幻想曲などさまざまな要素が取り入れられ、ショスタコーヴィチの力量が遺憾なく発揮されたものとなっており、それゆえに難曲が多く、現在でもステージやレコーディングなどで取り上げられることは少なくなっています。
ショスタコーヴィチ :24のプレリュードとフーガ Op.87 
(Shostakovich, Dmitry Dmitrievich:24 Preludes and Fugues Op.87)
ショスタコーヴィチが《24の前奏曲とフーガ》 の構想に至ったのは、親友イサーク・グリークマンの回想によると、1950年7月23日〜8月11日にライプツィヒで行われたバッハ没後200年記念祭へのソ連代表団の代表としての派遣がきっかけだという。彼女の注目はOp.87 発報後注目されたとも言われているようです。



日本には何度も来日していて、ご存知の方も多いと伺っていますが、筆者はあまり馴染みが無くタチアーナ・ニコラーエワの演奏する「イタリア協奏曲」を聴き改めて聴き直した、印象は当時バッハがイタリア音楽を研究していた頃に仕上がり、勿論イタリヤ形式での作曲で実に明るい演奏は心地よい。演奏は、一言で言うと「泰然自若」。悠然たる歩みで、堂々とわが道を歩むといった雰囲気。これらの楽曲は、編曲者によって、ヴィルトゥオーゾ的な要素が加味されていて、演奏によっては、スピードやスリルで、その華やかさに演出を加える感があるのだが、当演奏はそのような背景とはまったく無縁に、バッハの音楽そのものを語るような雰囲気がある。

今回視聴するJ.S.バッハ:イタリアンこんちぇるとのニコラーエワの演奏は、くっきりした明るさを伴いながら、ゆったりしたテンポを主体とし、ペダルや重々しい低音も存分に使用する。このような演奏スタイルは、バッハが作曲した時代のクラヴィーア奏法では前提とされていなかったものであるようだが、しかし、その響きは説得力があり、総ての音に、音楽的な蓋然性があって、とても心地よく響いてくるのである。現代ピアノの能力を如何なく発揮し、それでいて聴き味においては決して装飾過多にならず、バッハらしい厳かな空気が連綿と続く。なるほど、これがソ連国内で、長くバッハ作品のピアノ演奏における権威とされてきた人の演奏なのだ、と思わされる。ニコラーエワという芸術家の揺るがない矜持のようなものに触れた気がする演奏だ。

1735年、バッハは『クラヴィーア練習曲集』第2巻を世に送り出した。二段鍵盤のために書かれたその第1曲が「イタリア趣味による nach italienischem Gusto」、こんにち通称《イタリア協奏曲》とよばれる作品である。 明朗快活な両端楽章と優美な緩徐楽章、急-緩-急の3楽章からなり、これら3つの冒頭の音型は明確な関連を持っている。
バッハのクラヴィーア練習曲集は4巻から
『クラヴィーア練習曲集』第1巻 パルティータ BWV825‐830
『クラヴィーア練習曲集』第2巻 フランス組曲BWV831 イタリア協奏曲BWV971
『クラヴィーア練習曲集』第3巻 前奏曲とフーガ 変ホ長調『聖アン』 BWV552 · 21のコラール前奏曲 BWV669‐689 · 4つのデュエット BWV802‐805
『クラヴィーア練習曲集』第4巻 ゴルトベルク変奏曲BWV988
この作品はイタリア趣味によるというよりも、イタリア的な音型や語法をふんだんにちりばめたものと言うべきだろう。第1楽章冒頭のリズムは、18世紀前半にハンブルクに活躍した著述家J. マッテゾンによれば「最新の流行」であり、第2楽章におけるオスティナート(同じリズム型や旋律型を繰り返す伴奏)に支えられた装飾豊かなアリアは、ヴィヴァルディの作品そのものを髣髴[ほうふつ]とさせる。だが、やはりバッハと同時代の美学者J. A. シャイベが「外国人たちにとってほとんど模倣すべくもない」と賞賛したように、作品の本質は、ドイツ的な主題労作と図式的な形式の克服にある。その精神はやがて、初期古典派のクラヴィーア・ソナタへと結実する。



当時先輩から勧められ筆者が最初に彼女の演奏を聴いたのは、彼女がザルツブルク音楽祭で弾いたフランス組曲でした。ザルツブルク音楽祭というのは、世界有数の音楽祭で名だたるピアニストたちが集います。その時の録音を聴く機会があり、何気なくCDをかけてみたところ、あまりの素晴らしさに言葉を失いました。見た目彼女は小柄な女性でしたが、音楽は壮大なドラマティックな演奏で、彼女のバッハの平均律をきいたショスタコーヴィチが、その演奏にインスピレーションを受け、24の前奏曲とフーガを書いたと言われています。

今回見つけた貴重な初出音源!ニコラーエワ最晩年の『フーガの技法』ライヴ!!この様な見出しにはつい聴きたい欲求には勝てずに取り寄せてしまう・・・。



解説にはロシアを代表する偉大なピアニストであるタチアナ・ニコラーエワの最晩年の録音が、マスタリングに定評あるFIRST HAND RECORDSから発売されます。1993年11月13日にサンフランシスコでショスタコーヴィチの『前奏曲とフーガ』を演奏中に脳卒中を起こし9日後に亡くなったニコラーエワ。このディスクに収められているのはその半年前、4月26日に行われたヘルシンキでのライヴ録音です。曲目は彼女が得意としたバッハの『フーガの技法』で、これまでリリースされたことのない録音。たいへん貴重な初CD化だそうです!

合計収録時間 | 01:27:46
【曲目】
J.S.バッハ:フーガの技法 BWV1080

 コントラプンクトゥス1
 コントラプンクトゥス2
 コントラプンクトゥス3
 コントラプンクトゥス4
 オクターヴのカノン
 コントラプンクトゥス5
 コントラプンクトゥス6(フランス風の様式による)
 コントラプンクトゥス7(拡大と縮小を伴う)
 12度のカノン(5度の転回対位法による)
 コントラプンクトゥス8
 コントラプンクトゥス9(12度の転回対位法による)
 コントラプンクトゥス10(10度の転回対位法による)
 コントラプンクトゥス11
 拡大と反行のカノン
 10度のカノン(3度の転回対位法による)
 コントラプンクトゥス13(正像)
 コントラプンクトゥス13(鏡像)
 コントラプンクトゥス12(正像)
 コントラプンクトゥス12(鏡像)
 コントラプンクトゥス14(未完のフーガ)
【演奏】
 タチアナ・ニコラーエワ(ピアノ)
【録音】
 1993年4月26日/ヘルシンキ、シベリウス音楽院



偉大なる名女流ピアニストであり、J.S.バッハの演奏法の先生でもあるタチアナ・ニコラーエワ。今思えばアメリカ公演にて24の前奏曲とフーガ演奏中に倒れ短命な69歳で亡くなられてから既に31年になるようです、亡くなられる約半年前のライヴ録音だそうです。
紛れもないニコラーエワの『フーガの技法』を聴くことができます。彼女が得意としていたと言われるバッハ: フーガの技法。全ての響きとその音色は私たちの心奥底に深く浸透する様に静かに流れ、時には激しさを増す川の流れのような演奏である。時代はかわれどタチアナ・ニコラーエワの演奏はより多くの人々の記憶に残され続けていくことであろう。ブラボー!

季節の移り変わりは実に早く、既に暦の上では立秋である、ロレンツォ・ギエルミ演奏BWV1021/1022/1023/1024B.S.バッハを検証する。

2024年08月09日 | J.S.バッハ制作音楽

今日は8月9日であり暦の上では立秋もすぎ、朝夕は幾分過ご易くなる時期なのですが、酷暑は続くが日本ではこの時期は残暑厳しくと秋を思わせる言葉を使う。元々二十四節気はそもそも期間を指す言葉である。しかしカレンダーやニュースではもっぱら日にちの意味として使われている。そのため2024年の立秋は、日にちの意味であれば8月7日、期間であれば8月7日~21日というのが正しい。ちなみに8月22日からは、次の二十四節気である「処暑」となる。何れにしても立秋は秋の始まり。夏の暑さが極まり、秋に向け季節が移り変わり始める日という意味である。つまり暦のうえでは立秋が夏の暑さのピークであるとされ、立秋の翌日からの暑さは「残暑」と呼ばれる。暦上の季節と実際の季節感が異なるのには理由がある。そもそも二十四節気は、昼が最も長い夏至、最も短い冬至、そして昼夜の時間がほぼ同一の春分と秋分など、春夏秋冬の4つの季節に分けて1年を24等分したもの。

二十四節気は、古代支那の時代に黄河流域の寒い気候にあわせて作られたといわれているので当然現代の日本と気候が異なるので、季節感が異なるのは当然である。
それでも立秋を過ぎれば日を追うごとに空や雲の様子が秋を匂わせ、スズムシやマツムシなどの美しい鳴き声も耳にするようになる。少しずつ秋を感じられる目安になるのが立秋であることは、間違いなさそうだ。この時期からは食卓には松茸の焼き物、土瓶蒸しが登場するのであろうが、庶民には手の届く物でもなく、我が家の夕方の献立を聞かされた、この時期に一段と上手くなる秋茄子の茄子とカッテージチーズ、黒オリーブを組み合わせたマリネは茄子の長さに合わせて適度に冷やした冷酒が美味しい時期でもある。



久しぶりに秋の言葉を聞き暖かい珈琲を淹れた、先週今後に備え仕入れたブレンド豆を挽き香りや豊な淹れたてを頂きながら、筆者の部屋に引きこもりヨハン・セバスティアン・バッハ(1685年3月31日[旧暦3月21日] - 1750年7月28日)は、後期バロック時代のドイツの作曲家、音楽家である。ブランデンブルク協奏曲などの管弦楽曲、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタやパルティータなどの独奏楽器作品、ゴルトベルク変奏曲や平均律クラヴィーア曲集などの鍵盤楽器作品、シューブラー・コラールやトッカータとフーガニ短調などのオルガン作品、マタイ受難曲やロ短調ミサ曲などの合唱作品など、さまざまな楽器や形式の音楽を数多く作曲したことで知られている。19世紀のバッハ復興以降、バッハは西洋音楽史上最も偉大な作曲家の一人とみなされている。



晩年の数十年間、彼は初期の作品の多くに手を加え、拡張した。1750年、彼は65歳で、目の手術の失敗による合併症で亡くなった。生涯で1087曲もの作品を残しており、日本の音楽教育では「音楽の父」とも言われていますがもし、バッハが生まれてこなかったら。。世界の音楽の発展は大きく遅れてしまったかもしれません。クラシック音楽の歴史の中でも、まさに最高クラスの天才の一人です。バッハの代表曲には抒情的なメロディーや階段状のモティーフ、旋律の変化や精緻なフィーリングなどがあり、基本的な間折りの技術と変形的な編曲技法を融合させた大胆な展開が特徴的です。その音楽は活気あるリズムや基本的なハーモニー、細部にわたる芸術性の複雑さを特徴としています。また、バッハの音楽には抑揚のあるメロディや思わせぶりな響きのカンタータなど、そのハーモニーは非常に洗練されており、精神性や力強さや心の深い喜び、熱意や礼拝など神聖な意味をも表現する力があります。それは雲の上の光の中から天使が舞い降りてくるような光景や、恒久の時間を感じられるような神聖な安息とも言える感覚をバッハの楽曲から感じることができます。



筆者が今まであまり聴かなかったバッハの作品に通常ヴァイオリンを独奏楽器とする小編成の楽曲のことである。 バロック期に2つのヴァイオリンと通奏低音の伴奏を持つトリオ・ソナタとして形式が確立され、その後ソロ・ヴァイオリンのためのソナタが主流となり、古典派期にはピアノとの二重奏の演奏形態によるソナタに発展した。
勿論ヴァイオリン・ソナタ  1720頃 : No.1  h  BWV1014,  No.2  A  BWV1015,  No.3  E  BWV1016,  No.4  c  BWV1017,  No.5  f  BWV1018,  No.6  G  BWV1019は有名であるが、ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ : G  BWV1021  1720頃,  e  BWV1023  1714-17については今まであまり聴かなかった。と言うより知らなかったと言うべきであろう。
この手法は演奏家に自由と責任を押しつける一方で、作曲家には労力と厳格さを放棄させる面があります。
ですから、バロック音楽の象徴とも言うべき存在であるバッハは、この「通奏低音」という手法を好まなかったようです。彼は低声部を担当する鍵盤楽器にはきちんと左右両手に楽譜を示して、演奏者にはそれに従って厳格に演奏することを求めました。そのために、バッハでは独奏楽器と鍵盤楽器による音楽では低声部が2声、旋律楽器が1声の系3声の音楽になるのが一般的でした。
解説によると次の様な事柄が掲載されています。「これが「通奏低音」の場合だと鍵盤楽器は片手は旋律線を弾いても、もう片方は和声を鳴らすだけなので、旋律楽器と合わせても2声の音楽にしかなりません。おそらく、その事もポリフォニーの音楽家だったバッハには我慢できなポイントだったのでしょう。」



J.S. バッハ : ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集 / ラ・ディヴィーナ・アルモニア
(J.S. Bach : SONATAS FOR VIOLIN AND BASSO CONTINUO / La Divina Armonia)
現存するバッハの通奏低音付きヴァイオリン・ソナタは3曲 (BWV1021、1023、1024)のみですが、実際はもっと多くの作品が書かれたと考えられていルそうです。編曲物を交えて構成することで、今では知りえないその全貌、バッハの創作における自由で広大な可能性を感じることができるのがこのアルバム。オブリガート・チェンバロを伴うヘ長調ソナタ (BWV1022)はフルート、ヴァイオリンと通奏低音のためのト長調ソナタ (BWV1038)を編曲したもので、フルートの声部がチェンバロの右手に委ねられています。また無伴奏ヴァイオリン・ソナタからのチェンバロ独奏用編曲も収録しており、チェンバロ・ソナタ(BWV964)は第2番イ短調 (BWV1003)から、アダージョ (BWV968)は第3番ハ長調 (BWV1005)からそれぞれ編曲されたもの。各々に魅力があり、原曲とも聴き比べたくなります。特にバッハの作品は境界カンタータへの編曲も多くどの曲を聴くも素晴らしい音楽性豊かな仕上がりとなっている様に思う。
最近よ聴く鍵盤楽器奏者確かにオルガンの演奏も素晴らしい演奏でもある。



ロレンツォ・ギエルミ Lucia Ghielmi(オルガン、チェンバロ、音楽監督)
イタリアを代表するオルガニスト、チェンバリスト、指揮者で、ルネサンスとバロック音楽の研究家。現在、ミラノの聖シンプリチアーノ教会オルガニスト。ミラノ国際音楽アカデミー古楽研究所で教鞭を執っているほか、世界中の著名なオルガン・コンクールの審査員、またマスタークラスの講師を務める。バーゼル・スコラ・カントールム元教授。イタリアの古楽アンサンブル、イル・ジャルディーノ・アルモニコの初期メンバー。2005年に、自身の古楽アンサンブル“ラ・ディヴィナ・アルモニコ”を結成。ヘンデルのオルガン協奏曲第1集、第2集(両方ともディアパゾン賞受賞)などの録音のほか、数多くのCDをリリース。東京カテドラル聖マリア大聖堂のオルガンの芸術コンサルタントを務めた様子は、04年NHKハイビジョン特集「パイプオルガン誕生」で紹介された。



平崎真弓 Mayumi Hirasaki(バロック・ヴァイオリン)東京藝術大学よりドイツ・ニュルンベルク音楽大学に留学。2006年、第15回 J.S.バッハ国際コンクール(ライプツィヒ)においてモダン・ヴァイオリンで第2位。08年マイスター試験に合格。同年ブルージュ国際古楽コンクール、バロック・ヴァイオリン部門第3位。ソリストとしての活動のほか、11年よりコンチェルト・ケルン、さらに近年はフライブルク・バロック・オーケストラ、ベルリン古楽アカデミーのコンサートマスターとしても活躍。
CDはドイツ・グラモフォンでカルミニョーラ、パッサカイユ・レーベルでギエルミ等と共演。17年よりザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学バロック・ヴァイオリン科教授。コンチェルト・ケルンとのCD“ピゼンデル”が権威あるオーパス・クラシック賞2023コンチェルト録音部門を受賞。現在ケルン在住。
しかしながら、バロック時代は「通奏低音」の時代ですから、バッハもまた幾つかの作品を残しています。しかし、数は少なくて、ヴァイオリンと通奏低音のための曲とフルートと通奏低音のための数曲だけのようです。
やはりバッハにとってはBWV1014-BWV1019のヴァイオリン・ソナタに代表されるように、演奏家の恣意にまかせるのではなくて、低声部に緻密な2声の旋律を与えるのが通常だったようです。
有名なBWV1014~9 の6 篇ではなく、ほとんど顧みられない3 つのソナタとフーガをとりあげているのが大歓迎。また長らくバッハ作とされながら現在はテレマン作と認定されたイ長調BWV.Anh153と作者不詳の1720年代のハ短調のソナタを収録。さらにヴァイオリン・ソナタ第6番ト長調BWV1019の第3楽章として書いたガヴォットも聴けるのも興味深いのである。



 1 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV1021 (アダージョ)
 2 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV1021(ヴィヴァーチェ)
 3 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV1021(ラルゴ )
 4 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV1021(プレスト) 
 5 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1023 (プレリュード) 
 6 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1023 (アダージョ・マ・ノン・タント)
 7 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1023 (アルマンド)
 8 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1023(ジーグ) 
 9 チェンバロのためのソナタ ニ短調 BWV964(アダージョ)
 10 チェンバロのためのソナタ ニ短調 BWV964(アレグロ) 
 11 チェンバロのためのソナタ ニ短調 BWV964(アンダンテ) 
 12 チェンバロのためのソナタ ニ短調 BWV964(アレグロ) 
 13 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ハ短調 BWV1024(アダージョ)
 14 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ハ短調 BWV1024(プレスト)
 15 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ハ短調 BWV1024(アッフェットゥオーソ)
 16 ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ハ短調 BWV1024(ヴィヴァーチェ)
 17 ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ヘ長調 BWV1022 (ラルゴ)
 18 ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ヘ長調 BWV1022(アレグロ・エ・プレスト) 
 19 ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ヘ長調 BWV1022(アダージョ)
 20 ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ヘ長調 BWV1022(プレスト)
 21 チェンバロのためのアダージョ ト長調 BWV968(アダージョ)

ラ・ディヴィナ・アルモニア
 ロレンツォ・ギエルミ(オルガン、チェンバロ、音楽監督)
 ステファノ・バルネスキ(ヴァイオリン)
 平崎真弓(ヴァイオリン)
 キアラ・ザニシ(ヴィオラ)
 マルコ・テストリ(チェロ)
 ヴァンニ・モレット(ヴィオローネ)
 ヴェラ・ミラーニ(ソプラノ)
録音時期:2019年10月9日-11日
 録音場所:イタリア、ブレンタ
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

筆者が昔から感じたことはBWV1022についてはバッハの雰囲気が等若干違って聴こえる様である、色々調べてると(作曲はバこれはトリオ・ソナタのほぼ文字通りの縮小版(音楽家ヨハン・ゼバスティアン・バッハが最初の妻マリア・バルバラともうけた次男。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハによるものだろうか?)で、ここでもオリジナルのベースが使用され、今度は「数字」や和声を示すコードではなく、フルネームで書かれ、ヴァイオリンのパートはそのままである。フルートのパートはチェンバロの右手に移り、装飾音が豊富になった。さらに、ガラント様式でチェンバロが主役の少し新しい音楽もあり、ヴィヴァーチェが数小節拡張されて繰り返しのセクションになっている。フルートの最高音がまだチェンバロの鍵盤上になかったため、ソナタはオリジナルよりも一音低くなっている。)



疑えばキリは無いが、この中で真作と断定されているものは「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調「BWV 1023」だけのようです。
「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ヘ長調, BWV 1022」は上記に述べているようにカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品か?
BWV1024のソナタには残されている楽譜にバッハの名前はなく、BWV 1021のソナタに関してもフルートとヴァイオリンと通奏低音のためのトリオ・ソナタ「BWV 1038」の低声部とほぼ同じで、その作品も真偽のほどがかなり怪しいので、このBWV 1021のソナタの真偽も危ういという事になっています。

音楽そのものはバロック時代らしい美しさに溢れていますので、それを楽しめばいいだけの話ですがこれらの曲を何度も聴くうちに何故か違うのじゃ無いか疑問が感じられる様ですいかがでしょうか?



最近確かにテレビは頻繁に見なくなっている、しかし寝室にはテレビは据えつけてはあるが、見るのはyoutubeである、現行のオーディオマニアは統計では一番の若い世代は40代が最終でそれ以降は他の趣味に転換しているそうで一番はゲーム類だそうです、音響技術も電気産業が栄えた頃を中心に今やバブル時代以前である、音響機材からPCに移り技術者も殆どPC関係に移行したと言われる。今や手軽に楽しめるるスマホとイヤホンに移行し、オーディオは爺さん達の遊びとなり現在40代世代が終われば完全に消え去る世界でもある。
又音質もスピーカーユニットから出る音よりイヤホンから出るアナログ・物理的にはエフェクターでの作り込みが簡単位できる世界は、今の機材に合わせた「良い音」の追求と録音状態を強調する辺り完全に昔求めた音と違った音質になり昔のオーディオマニアが喜ぶ音質と違った音になった故に、筆者などは1960年台の音が大変気持ちよく聴こえるのかもしれない、衰退する現状も進歩も新しい技術革新も無く、音響機材の価格だけは鰻登りである。今や60年代のジャズ、往年の有名な指揮者が演奏するオーケストラ、オペラを味わいたい僅かなマニアが細々と楽しむ道具になってしまったのであろう、勿論筆者などにも言える事だが自宅の音響機器で気軽にバッハのカンタータが聴きたい時に聴ける環境は大変ありがたい事と思っている、しかしそれには無駄だばかりでもある。そのような事を理解し細々として続けるが趣味の世界であろう・・・。

最近録音の古い1960年代の演奏を聴くことが多いが、勿論楽器等も古く録音技術も決してハイテクとは言えないのだが、拙宅の古い装置での試聴は良い塩梅に聴ける、しかし此の作品は2020年発売とあり古楽器ヴァイオリン、チェンバロ等の楽器の複製等も含め音質は向上したのであろう、確かに最新の録音テクニックな向上しますます聴きやすくなっていくのであろう。平崎真弓さん演奏のバロック・ヴァイオリンの音が浮かび上がり実に瑞々しく聴こえるのだ。

この辺りはTANNOY IIILZ Monitor Goldのユニットの持ち味の音なのであろう、此の臨場感は他のユニットでは味わえない特徴なのであり、でも幾ら銘機と呼ばれるユニットではあるがオーディオ機材としての要素を全て叶える事は不可能でもあり生々しい音、打楽器特有の衝撃音は良い結果は得れれなく、特に優れたて長所は弦楽器は誠に良い艶のある音がするである、特筆する点は女性ソプラノの声にはタンノイにしかない美しさや響きの魅力がある。ブラボー!

花の都パリでのオリンピック2024◆開会式、異様に感じたパリの文化、今後この様な世界に変わるのか・・・ホモサピエンスは何処を目指すのか・・・?

2024年08月07日 | J.S.バッハ制作音楽

暑き夏に炎天下での仕事を連続したが、流石バテバテである・・・若干熱中症気味でもあり食欲も減退し、体調は最悪であった。
作業途中に水分補給(ポカリスエットの大量摂取)を行い大事には至らなかったが、この炎天下での作業は地獄の如きでもある。既に8月になり6時頃は綺麗な夕暮れは実に綺麗に感じた。



我が家のモジャ君も暑そうなので早めにカットしてサッパリした後は、カット後は何故か不機嫌で神経質であったが椅子に座らせ落ち着くを待った5〜6分後に落ち着いた様であった。
この後冷たい濡れタオルで身体を吹き体温が下がると何時もの様なモジャ君に戻る、カットされる緊張に神経質になり体温が上がったのである。



深夜はテレビ観戦でオリンピック開催中だが日本選手も競技を楽しんでいる様だが、パリも相当暑く選手村の宿泊施設でもエアコンも無く聞き、各選手は体調管理は大変であろう、浴室、トイレ事情も悪く出場選手は不満が多いそうである。

オリンピックの取材でパリに滞在していて意外に困るのが、トイレだそうです。日本のように、地下鉄や鉄道の駅に必ず設置されているわけではないし、気軽にトイレを借りられるコンビニがあるわけでもありません。

上記の写真の男子トイレは最悪で4人同時に排泄可能なトイレもあり、昔から伝統の様に紹介するヨーロッパ中世の排泄物の処理の方法を記事で見た事はあるが、実に非文化の極みではないのであろうか?
昔から美食家が多くレストランも最高級を誇るフランスそれもパリにおいての醜態は驚く事ばかりである。

又アスリート達の食事はビーガン食であり、肉・魚介類はもちろん、卵や乳製品、蜂蜜など動物性食品を一切口にすることがない人を指します。 また食事面だけでなく、毛皮やレザー、ウール製品は身につけない、動物実験された日用品を使わないといった生活スタイルを選択。

驚くは、これが最後の晩餐である、常識も宗教も何処に行ったのであろうか?これがフランスの文化なのであろうか?エログロとしか思えない絵柄でもある。



日本では昔から花の都パリと言われ、憧れの町パリではあるが、セーヌ川の水質悪化を受け競技が延期されていたトライアスロンが行われるとされるが、伝統的にゴミはセーヌ川に捨てられヨーロッパで最も有名な川の一つとして観光スポットにもなっている一方で、訪れた人をガッカリさせるほど“汚い”ことでも有名だ。日本で汚い川の代表として例にあげられる、大阪・道頓堀川の4倍もの大腸菌が検出されたとの報道もあり、セーヌ川は1923年より水質汚染による健康被害を理由にして遊泳が禁止されている。

日本の銭湯や温泉での入浴に気恥ずかしさを覚える外国人がいるように、羞恥心の感じ方は千差万別。パリの仮設トイレも、見方を変えれば「開放感抜群」と言えないこともありません。体が求める生理現象に、我慢は禁物ですね!
パリ五輪選手村の食堂を巡り、各国選手団から「肉が足りない」といった不満が相次いでいる。大会組織委員会は「地球にやさしく健康的なメニュー」を誇ってきたが、29日には「700キロの卵や肉を投入し、動物性タンパク質を増強する」と発表し、計画を一部修正した。

しかし此処で思うはEU諸国ではこの様な事が普通であるのであろうか?それとも昔栄えた文化圏は今やこの様な事が常識となっているのか、疑問は絶えない。



衝撃なパリ五輪開会式ではオーストリアのマリア=テレジアの娘「マリー・アントワネット生首演出」のコンシエルジュリーで「国王一家に実際に行われたこと」日本では深夜に行われた開会式をめぐっては、インターネット上に関連ワードがさまざまトレンド入りした。

中でも、フランス国王ルイ16世の妻で、フランス革命で斬首となった王妃マリー・アントワネットを想像させるドレス姿の女性が「生首」を手にして歌う演出には、賛否両論、驚愕(きょうがく)のコメントが相次ぎ「マリー・アントワネット」も、トレンド入りした。
一番の笑いは最近の若者は「マリー・アントワネット」も知らず慌てて携帯で検索する者も大勢いたと報じていた事にはお笑いであろう?



決定的な絵柄はパリオリンピック開会式に登場したダンサー男性、股間に⚫︎⚫︎タマらしきものが映り込み物議を醸す、果たして⚫︎⚫︎タマなのかどうかが世界中で大論争に、テレビ観戦はしたが文化に違いに筆者などは呆れて物も言えないオリンピックの開催が相応しいのであろうか、疑問だけ残る開催である。

この様なゲテモノ趣味様な催しは教育上にも万全ではないであろう?冷静に判断すればこの様な式典は如何にも狂っているとしか思えない、しかし競技にも審判団のミスも多く支那のIOC基金が多いのであろうか?

会場では台湾選手へのボイコットが多く此れが平和の祭典であろうか疑わしい限りである。支那に犯されたIOCは解体しなければならないが、噂では開催中は一泊200万の部屋で快適に過ごしたと言われる、早くもバッハ会長(Thomas Bachドイツの弁護士、元フェンシング選手)は退任を匂わせ逃亡を図ろうとしている。今や世界は健全なオリンピック開催を望む声が多い。



狂喜乱舞のパリオリンピックはパリの都とは思えないフランスの醜態を晒す様でもある。このクソ暑い時期に何かいけない物を見た感じで、具合が悪くなった!

冷静に考えれば正にフランス革命なのであり、フランス王国で1789年7月14日から1795年8月22日にかけて起きた市民革命。野蛮極まりない間違ったフランス革正当化しようとした今回のパリオリンピック、フランス共和国の建国記念日でもあり、毎年7月14日に祝われている。 革命の結果、キリスト教の迫害、絶対王政が打倒され、 人権宣言 が発表されました。 人権宣言では、自由や平等、人民主権などが規定されました。 国民一人一人が主権を持ち、物事を決定していくべきだという考え方が広がっていくのです。簡単いいえば支那に似ている、欧州では支那に一番近い国と言われるが、今回のパリオリンピックで証明された事実である。
その後今回のフランスの影と陰が話題となり、ローマ法王は正式に抗議文を提出に至る「宗教を嘲笑うような演出は如何であるか」金に染まった近代オリンピックは実行する意義があるのかを世界は冷静に判断したいものである。



相変わらず今年も実に暑いが、この様な時は頭の回転を平常に戻すことが肝要であり、この様な状況においてはJ.S.バッハの音楽が実に心地良いとも感じる。
上記写真は現在のアイゼナハの町 である。

昨日は広島平和記念日でした広島市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦末期の1945年8月6日午前8時15分、当時連合国のアメリカ合衆国ハリー・S・トルーマンの命令で、枢軸国の日本の広島市に対して原子爆弾「リトルボーイ」を実戦使用した大量の民間人を殺傷した出来事である。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃である。 その後日本は敗戦国になり同じ様な運命を味わうドイツも国を二分化された忌まわしい戦争である。にどの原爆投下を命じたハリー・S・トルーマンは全く罪の意識は無く戦争を終結させた英雄気取りである。



ベルリンの壁が崩壊した1989年11月9日から再統一に至った1990年10月3日1990年10月3日 午前零時 ドイツ国歌が演奏される中、ベルリンの帝国議会議事堂の前に黒赤金のドイツ国旗が掲揚されました。ベルリン市街では数十万人が祝い、ドイツの各都市でもドイツ再統一を祝いました。東西統一から30年を迎えたドイツ。国民を分断していた「ベルリンの壁」は無くなったが、東西の格差は今なお残る。世論調査では、統一がおおむね成功したと答えたのは半数に満たず、双方の住民が抱く「心の壁」は消えていない。
だが、統一は対等な国家統合ではなく、社会主義体制が行き詰まった東独を西独に編入する「吸収合併」だった。東独の民営化された国営企業の多くは倒産や売却を余儀なくされ、大量の失業者を生み出した。政府は「連帯税」を財源にインフラ投資などを進めてきたが、旧東独の経済状況は追い付いていない。調査機関フォルザの世論調査によると、統一がおおむね成功したと考えるのはドイツ全体で47%、旧東独地域に限れば25%しかない。モドロウ氏は「形の上では統一されたが、実際には分断されたまま。政府は真に公平な未来のドイツの姿を示すべきだ」と訴える。



以下の様な解説もありぜひ一読されたい。
今思えば当時東ドイツでの演奏家の演奏はヘルムート・コッホ式いるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、250年を超える歴史を誇る由緒あるオーケストラである。その発祥は、ライプツィヒの商人たちが資金を出し合って発足させたコンサート愛好会に遡る。この愛好会が、音楽界の歴史を作り、世界でも最も有名で、かつ高い名声を誇るオーケストラを育ててきた。歴代のゲヴァントハウス・カペルマイスターは、フェリークス・メンデルスゾーン、アルトゥール・ニキシュ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、フランツ・コンヴィチュニー、そしてクルト・マズアらが務めてきた。彼らはいずれも、比類ない音楽的言語を持つこのオーケストラに、確かな足跡を遺してきた。その伝統をヘルベルト・ブロムシュテットが21世紀に引き継いだ。彼の後継に任命されたリッカルド・シャイーは、伝統と革新の体現者であり、実に35年振りに、ゲヴァントハウス・カペルマイスターと、ライプツィヒ・オペラの音楽監督(2008年まで在任)の両方を務める指揮者となった。

ゲヴァントハウス・オーケストラは、地元ライプツィヒだけで、1シーズンに70会近くもの『グランド・コンサート』を行っている。200年以上もの間、彼らはライプツィヒ・オペラの歌劇場付きのオーケストラとして演奏し、また、毎週行われる聖トーマス教会でのJ.S.バッハのカンタータ演奏会も行い、さらに1シーズンに35以上の客演を世界各地で行ってきた。また、数え切れないほどの録音も行っている。ライプツィヒ、その町の名が広く知られているのは、ゲヴァントハウス・オーケストラの様々な活動と、世界で最も古い歴史を誇る、商人階級の人々によって創設されたオーケストラ、という事実によるところが大きい。
実際、1743年3月、ライプツィヒの16人の商人たちが集会を開き、コンサート愛好会の発足を決め、『グランド・コンサート』の名のもとに僅か16人の楽員で産声をあげたとき、ゲヴァントハウスが成し遂げた今日までのサクセス・ストーリーを予測したものはいなかった。との説明があった。



Brandenburg Concerto :J.S.バッハの『ブランデンブルク協奏曲』(BWV 1046-1051)は1721年に作曲され、ブランデンブルク=シュヴェート辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒに献呈された全6曲からなる作品で、バロック音楽の最高レベルの合奏協奏曲集として知られています。
理由は不明ですが、ブランデンブルク辺境伯がバッハに感謝することも対価を支払うこともなかったといいます。
ブランデンブルク協奏曲は、コンチェルト・グロッソ、イタリアのソナタ・ダ・キエザ、フランスの序曲の要素を取り入れたとも言われ、音楽形式の発展における大きな転機となった作品です。バッハの最も影響力のある作品として広く知られており、バロック音楽のレパートリーの中で最も愛されている曲のひとつです。ブランデンブルク協奏曲は弦楽器、木管楽器、金管楽器、鍵盤楽器など、さまざまな楽器のために作曲されています。
各協奏曲は3楽章からなり、楽章は伝統的な「速い-遅い-速い」のパターンで並んでいます。協奏曲は第1番のコンチェルティーノ(独奏)とリピエーノ(合奏)というシンプルなものから、第4番の4部構成、第5番の7部構成など、さまざまな音の基本的な組み合わせ方を備えています。



筆者がバッハの音楽を聞き出した頃から良く聴く曲であり、当時は音質にさまざまな問題提示された古楽器演奏のアルバム(N.アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス)等は愛聴した懐かしい思い出でもある。

聴けば分かるが,まるで音楽の玉手箱を開けた様な感じに陥る、60年前の演奏には思えなく実に簡素な演奏でありメンバーも相当吟味しこの様な演奏が今に蘇るとこは大変な喜びでもありバッハファンとしても大歓迎である。


収録内容
構成数 | 2枚エディション | Remaster
【曲目】
J.S.バッハ:
<DISC1>
 1. ブランデンブルク協奏曲 第1番 ヘ長調 BWV 1046
 2. ブランデンブルク協奏曲 第2番 ヘ長調 BWV 1047
 3. ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV 1048
<DISC2>
 4. ブランデンブルク協奏曲 第4番 ト長調 BWV 1049
 5. ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV 1050
 6. ブランデンブルク協奏曲 第6番 変ロ長調 BWV 1051

【演奏】
 カール・ズスケ(ヴァイオリン)<BWV1047-1049>、(ヴィオラ)<BWV1051>
 ゲルハルト・ボッセ(ヴァイオリン)<BWV1048&1050>
 フランツ・ゲンツェル(ヴィオリーノ・ピッコロ)<BWV1046>
 エヴァ・ケストナー<BWV1049>、テクラ・ヴァルトバウアー<BWV1047&1049> (ブロックフレーテ)
 ハインツ・ヘルチュ(フルート)<BWV1050>
 フリッツ・フンガー、ハンスールドヴィヒ・モーヒェン、ペーター・フィッシャー(オーボエ)<BWV1046>
 ヴェルナー・ゼルトマン(ファゴット)<BWV1046>
 ヘルマン・マーカー、ヴァルデマール・シーバー(ホルン)<BWV1046>
 ヴィリー・クルーク(トランペット)<BWV1047>
 ハンス・ピシュナー(チェンバロ)<BWV1050>、他
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団
 ヘルムート・コッホ指揮

【録音】
 1963年4月29日 & 5月10-12日
 ベタニア教会、ライプツィヒ



ヨハン・カール・ズスケ(Johann Karl Suske)ヴァイオリニスト。1934年ベルリン生まれ。ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの首席コンサートマスター、ゲルハルト・ボッセに師事。同楽団の次席に就任。同時にゲヴァントハウスQの第2ヴァイオリンとなる。62年指揮者コンヴィチュニーの推薦で、ベルリン国立歌劇場管の首席コンサートマスターとなり、65年にズスケQ(後のベルリンSQ)を結成。77年にゲヴァントハウスに復帰してボッセに代わって首席に就き、四重奏団も引き継いだ。



ハンス・ピシュナー(Hans Pischner)は、ドイツ出身のチェンバロ奏者及びインテンダント。 ブレスラウの生まれ。102歳の長寿であり、ブロニスワフ・フォン・ポズニャクにピアノ、ゲルトルート・ヴェルトハイムにチェンバロを学び、シレジア・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学で音楽学を修めた。以前筆者のブログにも取り上げました。
当時は使用楽器はモダンチェンバロでの演奏で若干鈍重な鳴り方ではあるが世界的な知名度やレコードの売り上げはそれほどないようですが、実際には相当な実力派です、曲にしっかりと向き合いながらも音楽が感じられるという意味で蓋し名演でしょう。

本題のブランデンブルク協奏曲は当時のブランデンブルク選帝侯であるクリスティアン・ルートヴィヒに献呈したと言われるブランデンブルク協奏曲、まるで万華鏡のように色鮮やか!個性あふれる6曲からなる協奏曲はバッハの魔法の作曲集の様でもある。今回の演奏はこれぞ正調ブランデンブルク協奏曲と言える様な作品で感動したのでもある。

1962年、ゲヴァントハウス管弦楽団の常任指揮者フランツ・コンヴィチュニーは、第1コンサートマスターのゲルハルト・ボッセをリーダーとするトップ奏者を集め、バッハを演奏する小編成のオーケストラを組織した。そして翌年1963年にアナログ・ステレオ録音され、旧東ドイツでのみLPで発売された幻の名盤が世界初SACD化(CD化も初)された。ライプツィヒはバッハが楽長として赴任した最後の地で、19世紀にバッハ作品が人気を失った時代にも、その演奏伝統は脈々と受け継がれてきた。戦後、西側では各地の演奏様式が混合し、グローバル化が進んだが、東独は文化的に言わば鎖国状態にあり、ライプツィヒでの蒼古な音色による感情豊かなバッハ演奏が守られたのである。しっとりと落ち着いた響きと清廉なアンサンブル、あくせくしない格調の高さ。こうしたバッハは現代では耳にし得なくなっただけに、極めて貴重な復刻と言えるだろう。
確かにカール・ズスケを初め往年の名演技者の演奏は実にお見事でもありBWV1050の演奏はもちろんハンス・ピシュナー(チェンバロ)の演奏が光る。



実に整然と演奏するJ.S.バッハの演奏である、昔から聴く ブランデンブルク協奏曲 を今回改めて聴き直しバッハの音楽の深さを感じる次第でもあった。因みに拙宅で使用する装置で塩梅良く鳴る音楽は実に好ましいTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetでの視聴には正にピッタリハマる音量と思える演奏でもある。
ヘルムート・コッホ指揮するライプツィヒ・ゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団のJ.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲を聴くうちに徐々に平常心に戻る様でもあった。良い音楽は精神安定剤でもある、ブラボー!