伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

今後日本は何処に向かうのであろうか?何れにせよ自己中心の政治世界はいつまで続くのであろうか?

2024年10月04日 | 歴史(世界史/日本史)の考察

此処では報道はされない政治問題について明記してみることにした。日本は昔からお上に逆らわない国民の民意の為に文句を唱えることもしなかったが、現在の議員諸氏の裏金問題、親中議員等余りの多さ、それにも増して変わらない野党諸氏の程度の低さに議員民度は下がり驚くばかりでもある。

歴史的には日本の歴史については、遥か彼方から記憶に残る海外から外敵蒙古襲来があったが、幸い日本においては、神風が起き日本は神の国と言われたが、当時の日本武士集団が一致団結し柵を作り武器を整備し外敵に備えた事柄等、蒙古が引き揚げ時に台風襲来により日本襲来した元寇の外敵が大陸に引き上げ勝利を収め、日本は独自の日本歴史が続いたわけであり、ここで思うは、日本の海外との戦争は日本武士軍団の勝利に甘んじた。

シーパワーの国の日本は、海に囲まれた地理的は自然な要害に守られ問題は無い、武士軍団の防御、戦闘の強さは確かに強さはあったのであろうが、戦術はお得意ではあるが、勝つ為の戦略はあったのであろうか疑問も残る、この問題は国境が全て海に囲まれた要害のある国はそのものが戦略酢の物でもあろう。又、単一民族のため非常に纏まりやすいという好条件が揃った国である為であろう。

その様な伝統ある国日本は最終的には、昔から疑問視される戦略の弱さが露呈する、元々アンブロサクソン系は戦略に強い、米国の世界覇権のための戦力に乗って大東亜戦争を開始した、マレー半島上陸と真珠湾攻撃によって戦争を始めた日本軍は、石油を産出するオランダ領東インド(現在のインドネシア)を占領するなどして、“自給自足”の体制をつくりアメリカ・イギリスに対抗しようとしました。 日本は戦争の目的として「自存自衛」、ついで「大東亜共栄圏」の建設を掲げました。太平洋の島々を奪った米国は、次に沖縄を占領して、日本本土を攻めるための前進基地として使おうと考えた。 これに対し日本は、日本本土を守るため、沖縄になるべく米軍をひきとめて時間をかせぐ「持久戦」の作戦をたてたが結果は惨敗した。
今思えばある程度のアジア圏の国々は大東亜戦争終了後欧州、米国の植民地であった国々が独立し日本は戦争には敗退したがアジア植民地の国々は解放された結果になった。

しかし戦後は米国の戦争プログラムの作戦に乗った日本は米国のGHQの支配下になり今も此の事実は変わらず、GHQの与えられた憲法を実施する日本は未だ米国の植民地と言えよう。
この間トランプ政権下の時点で安倍総理の時代トランプから今の時代に日本は核を持ち軍備を整え独立を何度も勧めたそうであるが、安倍総理は途中に糾弾に倒れ事半ば日本の独立は政権が売電になり話は無くなってしまった。日本の総理もアメリカ社会のように共和党から民主党になり日本も自民党リベラル派岸田が就任し今回も岸田の大吾の切り札で石破政権が発足した。この政権に取って一番の喜びは親中公明党であり負の政治に突き進む様である。



伊藤貫(日本の評論家、国際政治アナリスト、米国金融アナリスト、政治思想家。アメリカ・ワシントンD.C.在住。東京大学経済学部卒業。姉は政治家の山谷えり子。)が語る言葉が面白い。実際長年米国に住居を構え実際に米国での体験が長く政治経済を学んだ日本人の考えは実にリアルで新鮮でもある。
此処で冷静になって政治を考えてみよう、これは日本の評論家、国際政治アナリスト、米国金融アナリスト、政治思想家。伊藤貫の語る今後の日本を参考にしては如何であろうか?

アメリカはトランプ政権下に置いて安倍総理の時に何度も「日本に独立しろ」と何度も何度も伝えたそうで、ペンタゴンの上層部とCIA、FBI、司法省の上部連中、グーグル、FB、等の大手I T業界他にウォールストリートの50〜100名のトップ金融の連中は殆ど民主党のトップ連中は殆ど大金を渡し支配している隙に共和党時代にしか出来ない独立を薦めたと言われる。
確かに日本の政治家にはトランプは人気が無いが、これもマスコミの捜査疑惑がある、現在時期大統領候補を名乗るカマラ・ハリスは副大統領就任後も同じことが繰り返されている。幹部の70%以上退任が相次いでいるのだ。スタッフはハリスを「沈みかけている船」と感じ、早々に脱出しようとしているという話も聞こえてくる事実が続いている。
この様な解説もある、「ハリス氏はリベラル色が強いカリフォルニア州出身で、風土も異なる中西部の工業地帯『ラストベルト』に多い白人労働者の支持を得られるかも課題だ。全米の世論調査では接戦かもしれないが、各州ごとに選ばれる選挙人の制度では、トランプ氏がラストベルトを含む接戦州で有利だ。ハリス氏は苦しい戦いを強いられるのではないか」と言われている。



筆者が米国の凄さは一般の人達は日本人と比べ劣る人も多い様に見受けるが、本の一部の特殊な能力ある米国人達は日本人では全く勝てない特殊人間であるかの様な知能も持つのが特徴で、アングロサクソンの特殊性でもあろう。
今や米国は益々移民が多く昔の英国から新しい国を目ざした人種が少なくなりしつも米国人質も随分下している。

現在日本の総理は岸田は民主党の売電の言いなりである。しかし日本は岸田の非常にエゲツナイ裏工作し、能無し財務省のポチの石破に変わり米国の共和党は万々歳である、今後勉強もしない馬鹿な石破の政策は全て拒否される事が多くなり消費税(15%)勿論所得税、法人税も大幅に上がるであろう。従って景気は最悪の事態になり日経株価3〜4,000円程度になるとも言われる。
民主党米国の喜びは頭がパーで、煽てればすぐに嬉しく調子に乗る総理大臣が大好きで最初に見抜かれtは進次郎の親である「小泉純一郎」である話しは有名でもある多分石破も大歓迎であろう。しかし前回総理の岸田が取った行動は国民を騙し犠牲にして米国に靡く行動を起こし今回の石破に恩を売る行動をした、最も愚劣極まりない人物と露呈した人物でもあった様だ。

一番肝心な事は一番米国の恐れていつことは、戦略核とは,射程が5500キロ以上の,米ロ間で相互に到達するICBM大陸間弾道ミサイルなどによって運ばれる核兵器のことです。 その内,実際にミサイルに積まれていて,すぐに発射可能な状態にあるものを配備核弾頭と呼びます。現在ロシアはそうびいています、これを使わせない為にウクライナ支援に消極的な方法をとっているが、今後支那、北朝鮮で戦略核を開発し装備すれば米国は手が出ない出せない状態になる。

この核武装の事は地球上唯一の被爆国である日本は非核三原則があり未だ続いているが、日本国憲法を米国が勝手に決議し未だその憲法を使う日本は、今も原潜、原子力空母が日本の占領港に停泊中の船舶は原爆を搭載しているが誰も注意しない、出来ないのが現状である。幾ら核反対を叫べども現実は核は排除できない、日本は核の開発を行い平和利用の道が最良でもあるが、実際支那、朝鮮、ロシア等争い大好きな国の隣国に位置する日本は憲法改正し隣国と対等に話し合いしなければならない、その為には戦術核装備しなければ話も出来ないであろう。核反対は理解できるが冷静に考えれば、これこそが冷静で隣国等と話の出来る下準備いや条件でもある。全て反対と言う諸氏よ現実に今やウクライナに戦争が起こっている事が事実である。



昨年11月のフォーリン・アフェアーズ(1922年にNYの米外交問題評議会によって創刊された外交専門誌)にダリル・プレスと云うダートマス大学の教授とキア・リーバと言うジョージタウン大学教授が二人とも有名な戦略各学者が、戦略核を持っている国には米国は手を出せないと発表しているそうです。

この為米国の通常戦力は出て来れなくなったしまったそうです。フォーリン・アフェアーズの一番読まれたいる外交雑誌で、日本人のそこに明記してある外務省並び自衛隊のトップレベルの人が読んで無い事が問題である。特に日本人は戦術は大好きで研究も盛んだはあるが、事戦略は周りが海に囲まれ外敵から身を守られた歴史が長いので戦略については、知的好奇心を無くしてしまっている。特に外務省、防衛省、財務省についてはグランドステージを想像する能力が無い、特に石破総理に教えても時間の無駄であると思う。
但し現在隣国の「支那」が勢いが弱体化しこの先共産党の変化がどの様に動くのか不明であるが、日本も次期選挙にまともな国になる様真剣に日本の未来を塾考する事を思う。

今後米国にて大統領選挙が開催されトランプに大統領がなった場合はどの様になるのであろうか心配である、トランプとの会話に対応できる総理でないと困るのである。衆議院解散総選挙では自民敗退し違う野党ではグランドデザインを描ける人物も居なく、せめてお金に綺麗な人物で良い意味にて日本の未来を描ける人が選出される事を望むしか今はないのが現状である。
最後に一言は親の時代から親中議員の河野太朗も立候補したが化けの皮が剥がれ失墜したことは大変喜ばしいことであった。しかし民意を反映させない総裁選は以下であろう、今やまともは政治家は不在で、色・欲と金に塗れた政治屋ばかりである現状が情けない!

学生時代に学んだ歴史と全く変わった日本の古代史、今蘇る日本の縄文文明を纏めてみた、Part I

2024年05月29日 | 歴史(世界史/日本史)の考察

45億年前に誕生した地球の歴史は、昔興味本位で観た1968年に上映された今から65年前映画「2001年宇宙の旅」のアーサー・C・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke)の映画を思い出す。テーマ曲も衝撃的なニーチェが説いた"超人"の思想を寓話的に描いた哲学書の「ツァラトゥストラかく語りき」は衝撃的であり今も映像と共に記憶に残る曲でもある、又アーサー・C・クラークはイギリス出身のSF作家。20世紀を代表するSF作家の一人であり、科学解説者としても知られている筆者も若い頃「人間に未来はあるか」も読んだが中々興味ある内容と記憶する。

最近ホモ・サピエンス全史なる上、下巻の本が発売されてますが、これが実に驚きの連続であり興味のある方はご覧ください。面白い内容は何故肉食動物は食後ダラダラする時間が必要であるのかの秘密であり、人類誕生の250万年前は猿人も動物同様であり200万年程は他の動物同樣にその生活を続けるのであるが、勿論ヒト族も火を使うまでは肉食動物同様随分長い間、一日中ダラダラした暮らしていたそうである。食物を火によって焼いたり、煮炊きする様になり腸が長さが極端に短くなり消化が劇的に早くなル、又行動時間が著しく増したのである。

それと此のホモサピエンス族だけは認知革命(嘘を信じる)を起こして又他のヒト族違い匂いには敏感な種族で多くのヒト族を滅ぼしホモサピエンス族は残り僅か我々の中にはネアンデルタール人およびデニソワ人由来のDNAが残り当初は交配もしていた事が証明される。特にネアンデルタール人は脳の大きさ、腕力は勝りホモサピエンスが不利であったが「認知革命」により圧倒的に団結力が優った。認知革命は、認知科学と呼ばれる諸学問を生み出した、1950年代に始まった知的運動の総称。 学際的な連携と研究が大規模に進行する現代的文脈の中で始まった動きである。
本編は認知革命の説明をしているが、簡単に説明すると「嘘」が言える様になった事と解いている例えば現在の宗教、国家、お金(紙幣)は絶対的な価値は無く、皆で決めた価値観なのである。一番興味深い事は現在は紙を印刷し、此れをお金の代用品としているが、これは実際は確かに紙であり紙の価値しかない物を虚構と言う噂により流通させたのがヒト族「嘘」の恐ろしい所でもある。正に噂を信じて団結させた社会こそがサピエンス族の頂点になれた認知革命の話でもある。因みにネアンデルタール人は1万2千年前に絶滅しているそうです。



2001年宇宙の旅本編では、太古の昔1匹のヒトザルは、謎の石をきっかけに武器を使うことを覚え、生物の頂点に君臨する。時は過ぎ、人類が宇宙を旅する時代。米国のある博士は謎の石の調査のため月へ赴く。やがて調査が進む中、石は木星に向けて移動し木星から信号を発する。
勿論此のストーリーはミステリーに富んだ人間の歴史の物語でもあった、しかし我々がホモサピエンスと想像すれば出土したのはアフリカであるがヒトザルが樹木から地上に降りた時代には緑豊で食物の豊富であったのであろう・・・当然当時のアフリカは砂漠ではなく森林が広がる世界であったであろう、食物が豊富にあることは生きる為には最低条件でもある。
ヒトザル達は現在の欧州に行くもの、エジプト方面に行くもの、インドを目指すものと色々他方に暮らし易い所に向かった。
ヒトザル達は先ずは火を使う事を覚え、食料、語源、信仰と追求であろう、ヒトザルからホモサピエンスが永遠と感じたものは信仰心の永遠の太陽であったのであろう・・・アフリカで新しい生命となったホモサピエンスは太陽の昇方角に超生命体を感じたホモサピエンスが東を目指したのであろう。

勿論仮説であるが、これがホモ・サピエンス族は認知革命を信じた者たちが極東を目指したその道中に色々な種族と交わり極東にたどり着けやがて定住し縄文時代の幕開けなのであろう、当然或程度の航海技術を持っていないと台湾付近の黒潮の強い流れを克服できないからである。



これは欧州全体から地図を見れば日出るくには日の元であろう。その先は太平洋の海が広がる島であった。日本のルーツを歴史書等を紐解き幾ら読んでも答えは出ないのである。それでは筆者が考える倭人のルーツを推理しある程度納得できる様纏めてみる事にした。
勿論市の図書館にも通い、色々な本を見ながら参考記事の収集、インターネットによる検索、此処2〜3年に行った博物館、青森の三内丸山遺跡等を参考にした、何か学生に戻った様に感じた、A4のコピー用紙をメモ用紙に参考文献等は記載する、後日その記事を見ながらキーボードに打ち込み記事内容を書き込みした。計画とは意外と時間が必要であり久し振り漢字を書く行為は可成り下手な文字になっていた(笑)
下の写真がメモ用紙である、何と学生時代の比べ文字の大きさも大きく年代を考えるは算盤が有利である。



日本人もアフリカから来たのであろうか?或いはジャワ原人の様に何処かのアジア諸国から来たのかは最新のテクノロジーDNA解析で判明するがかなり特色は違えどアフリカ方面から混血種と変貌し現在の日本人となったと言われるルーツが一番正しい様である。

理化学研究所資料提供でゲノム解析資料も掲載(日本人集団の遺伝的構造、ネアンデルタール人およびデニソワ人由来のDNAと病気の関連性、そしてゲノムの自然選択が影響を及ぼしている領域を複数発見しました。日本人の祖先に関わる三つの源流(縄文系祖先、関西系祖先、東北系祖先)の起源を明らかにしました。また、現生人類(ホモ・サピエンス)の最も近縁とされる古代型人類ネアンデルタール人やデニソワ人から受け継いだ遺伝子領域を特定しました。一部の日本人が持つNKX6-1遺伝子領域は、2型糖尿病リスクと関連しており、この領域がデニソワ人由来であることが明らかになりました。さらに、日本人の遺伝子における自然選択が作用している領域も同定しました。)
以上の様な解析書があり日本の土壌は弱アルカリ性の為人骨はほとんど溶けて無くなっているが、偶に貝塚に埋められた人骨が発見される程度である。日本の縄文文化は1万4,000年続く歴史と現在日本国地には14,000件以上の古墳は見つかっており数も世界各国と比べ異常な程多いと言われる。長く続いた縄文の歴史を数枚の容姿に表すことは所詮無理な話であるが、興味本位にまとめて見た。



不思議なことに日本全国の遺跡は圧倒的に関東以北が多く、一般的に考えれば暖かな南が暮らしやすいと思うが、当時怒った大被害があった、その後、1,000年近くは無人の地となったようです。

縄文時代の中の最大の事件である、南九州での遺跡は上野原遺跡から判明する鬼界アカホヤ火山爆発の事実。「鬼界カルデラ」は、北西∼南東の長さが約25㎞、北東∼ 南西が約15㎞の楕円形をしていて、複数の巨大噴火によって形成された、いくつかの カルデラが複合してできたものと考えられています。

鹿児島県霧島市の高台にある縄文時代から弥生時代を中心とした複合遺跡。 特に,北側(第4工区)では,約10,600年前(縄文時代早期前葉)の竪穴住居跡などが発見され,「国内最古,最大級の定住化した集落跡」であることがわかりました。



発掘調査では17層の土層について調査され、1層目から9層目までの範囲で遺跡が確認された。 
 1層目: 桜島の火山灰を含む現代の農耕土。土師器や陶磁器が確認された。 
 2層目: 黒色土。山之口式土器、中溝式土器、竪穴建物跡6棟が確認され、近世から中世にかけての遺跡とされる。 
 3層目: 暗茶褐色土。掘立柱建物1棟、石皿、石斧などが確認され、古墳時代から弥生時代にかけての遺跡とされる。 
 4層目: 桜島の火山灰を含む薄えび茶褐色土。多数の土坑、黒川式土器が確認され、縄文時代晩期の遺跡とされる。 
 5層目: 桜島の火山灰を含むえび茶褐色土、および鬼界アカホヤ火山灰を含む明橙色土。 
 6層目: 桜島の火山灰を含む灰茶褐色土。 
 7層目: 黒褐色土。様々な種類の縄文土器に加えて集石遺構56基、土坑3基が確認され、縄文時代早期中葉から前葉の遺跡とされる。 
 8層目: 桜島の火山灰を含む黒色土。前平式土器、撚糸文土器が確認された。 
 9層目: 暗茶褐色土。竪穴建物跡、集石遺構、連穴土土坑、前平式土器などが確認された。この層と直下の10層目との間に縄文時代早期前葉の遺構が挟まる形になっている。
この遺跡の鬼界アカホヤ火山灰前の遺跡から底の部分が平らな土器が発掘されかなり進歩した縄文期の土器と同じであり火山爆発以前の南九州での文化は相当進歩していた、ヒエ、アワ等穀物の苗もあったと思われる。



当時縄文人は土器を使っていたが土器を直接火に掛け「煮炊き」をした訳である当然器の土器も窯の様なもので焼いていたのであろう、要するに徐々に「火」を制するのであり高音な温度を操作する様に進化し、銅、鉄は熱により溶ける(溶解)を体得し後に高音の火の作り方を体得し弥生時代には銅鐸、農機具などを磨製石器から金属製(青銅〜鉄)に変換して言ったと考えられそうである。

此処で明らかに理解できることは鬼界アカホヤ火山爆発以前から縄文人達が暮らしていた事である。日本人の祖先三つの源流である。
意外に此処での疑問は鬼界アカホヤ火山噴火は、縄文時代 の7,300年前、鹿児島南方にある 硫黄島・竹島付近で起こった巨大海底 火山噴火です。縄文時代早期の終わりに起こった鬼界カルデラ(大隅海峡にあるカルデラ)の大噴火によって壊滅的な噴煙被害を受け、前期以降は、ほぼ住民がいなくなった地域です。



日本で最後に巨大カルデラ噴火の悲劇が起こったのは、今から7300年前、縄文時代に遡る。縄文時代早期の日本列島では、南九州で成熟した縄文文化が発達していたという。本州ではまだ先の尖った尖底土器を使っていたのに、南九州では既に平底型の土器が使われていたのだ。 尖底土器は、屋外で地面に穴をあけてそこに立てるように置いて使われていたものらしい。 一方、平底土器は住居の中での調理や貯蔵にも使うことができた。すなわち、平底土器の出現は、縄文人のライフスタイルが定住型に変化した証拠だと言われている。

此処で話は前後するが地球が誕生してから46億年の歴史をさらに長い目で見ると、地球は約10万年ごとに暖かくなったり(間氷期)寒くなったり(氷期)を繰り返してきたことが分かっています。その度に地球の海の高さは100メートル以上も変動してきたのです。その様子は、まるで呼吸をするたびに胸が上下するかのようです。
ちょっと信じられないかもしれませんが、現在の地球は、約3500万年前に始まった比かく的気温が低い氷河期のまっただ中にあります。 氷河期はさらに、とても寒い時代の氷期(ひょうき)と少し暖かくなる間氷期(かんぴょうき)にわけられ、現在は間氷期にあたるそうです。

縄文時代が始まる前の、旧石器時代は、とても寒い気候の様でした。 氷河期といって、いちばん寒いときは、年間の平均気温が今より7〜8度も低かったとされています。 氷が地球をおおい、海面の高さは、今より100メートル近く下にありました。 地球の気温がだんだん上がり始めたころ、縄文(じょうもん)時代が始まりました。
例えば人類が産業活動を始める前、約7000年前の縄文時代も温暖でした。 この頃は今よりも2〜3℃気温が高く、海の高さは今よりも3〜5メートルほど高かったと考えられています。



上記はその当時の地図であり縄文の海は、広かった!次の温暖な時期が来れば当然の如し地図で示す様に埼玉の久喜等は昔で言えば奥江戸湾の海の中である。

そのようなことを知ると、当時は"日本が温暖であった「縄文海進」の時代には、 極域に存在する氷床が約7000年前ころに融解したために海面が上昇し、 その後寒冷化すると再び氷床が拡大して海面が低下した"と考えられがちですが、「縄文海進」の原因として、 この考え方は正しいとは言えません。「縄文海進」の正しい原因を考えるヒントは、 かつて北アメリカ大陸やヨーロッパ大陸に存在した氷床が残した地形と世界中の海岸の地形の分布に隠されています。
 最終氷期と呼ばれる今から約10,000年以上前の時代には、 北アメリカ大陸やヨーロッパ大陸の北部には現在の南極氷床の規模にも匹敵する厚さ数千メートルにも達する巨大な氷床が存在していました。 これらの氷床は、約19000年前に最大に達し、それ以降急激に融解し、約7,000年前までには、ほぼ完全に融けきってしまったことが、 氷河の後退過程で削剥・運搬されて残された地形や堆積物の研究からわかっています。 ところが、約7000年前以降に、海面を数メートルも低下させるような氷床の再拡大を示す地形の証拠は確認されていません。

「縄文海進」とは、約7,000年前ころ(縄文時代に含まれる)に、現在に比べて海面が2~3メートル高くなり、 日本列島の各地で海水が陸地奥深くへ浸入した現象をさします。 この時代には日本列島の各地に複雑な入り江をもつ海岸線が作られました。その後海面は現在の高さまで低下し、 かつての入り江は堆積物で埋積されて、現在水田などに利用されている比較的広く低平な沖積平野を作りました。 この海進の現象は日本では東京の有楽町で最初に調べられたこともあり、地質学的には「有楽町海進」、 あるいは「完新世海進」とか「後氷期海進」などと呼ばれています。花粉化石や貝化石の研究に基づくと、 「縄文海進」の時期の日本列島は、今よりも数℃以上気温、水温が温暖な時期であったことも推定されています。



縄文海進当時の流通経路を考えてもわかるように、最初誰が発見したのか分からないが、黒曜石採取に神津島まで航海しそこから日本全国に届ける事ができた様で、全ての日本遺跡より出土されている黒曜石の流通は一番遠くはロシアまで運ばれている事と、ある程度の定期航路は運行したと考えられる、後は貝殻の腕輪、飾り物の瑪瑙等貴重品を運搬したとも考えられる。縄文海進時代の後悔は環フィリピン海経済圏も含め暮らす海洋人も暮らしていた様にも思う。

此処で一つの仮説を立てる、船に用いたものは当初は「葦船」から底の深い「丸木船」に布を帆に加え帆船の如く自由にしかも相当な広範囲に海を航海してのではないであろうか?実験にて当時の磨製石器を使い直径100サンチ長さ8M程の丸木船の製作は仕上がり後に内面を火によって焦がしその後黒曜石で表面を仕上げ水漏れも防ぐことが出来たそうである、製作には一番肝心な事は寸法の基本であるが当時の成人男性の戸を広げた(例えが1ヒロ160センチ)と仮定する等工夫を凝らしてのであろう、後期は成人男性20名で2か月程製作日数が必要で生活を考えれば男性20名女性20名子供60名合計100名の集団が必要で公開の為のメンテナンス等自作の丸木船の計画等に他には丸木船航海士も必要で総勢150人程の集落は必要である。丸木舟に関しては以前の筆者のブログで

この様にして徐々に縄文人達は航海範囲を広げていったのであろう、これは一つのプロ集団を作らなければ上手くいかないのであろう。これは日本が海に囲われた国であり海上航海がある程度の荷物運搬にも適した方法であった。時は江戸時代も水路を利用した海上運搬である、勿論現在も輸送は大型コンテナ船で貿易を行い縄文時代も基本は変わらない様である。
この様に日本の縄文遺跡の発見は世界的に見ても確かに異常であり、お隣韓国では50箇所以下であり、日本は一万箇所以上が認められている以上再度調べ直し研究は怠らない様に努めなければならない。



此のような航海技術が豊富で経験も豊かな縄文人は鬼界アカホヤ火山爆発で南九州は住めなくなり避難先に朝鮮南端、長江下流域に避難したのではないであろうか?その頃朝鮮半島には人間は住んでいなく避難場所とは住み良い場所だったのかもしれない。又支那の長江下流域にも住みやすい場所で会ったと思う。そして船に積んだ穀物を植え生活基盤を作ったと考えれば合点がゆくのだ。

他にも南九州では耳栓やツボ型土器などのモダンな道具が使われていた。何故長江と呼ばれるのであろうか此れは海からこの川を見れば大きな長い入江と見え「長江」と呼ばれるのが一番納得できるのだ。 長江流域に住む縄文人と黄河文明を起こした人種が違い度々闘争が起き武器に青銅が使われ不利になるところが、この南九州で、ある時を境に「先祖返り」が起きたのである。実に辻褄が追うのである。
支那と朝鮮に避難した縄文人が帰化し弥生文明と混じり合うではあるまいか?その後の推理はまとめ次第報告させていただきます・・・ブラボー!


「喜寿」は室町時代末期に日本で生まれた習わしであるといわれるが、77歳間近の歳になった過ごし方。

2024年05月09日 | 歴史(世界史/日本史)の考察


今朝も早朝から愛犬モジャ君との散歩です、今日はコースを梨畑とコースを変えてみた早朝5時30分ではあるが、この時間から消毒の散布する作業車を動かしていた、農園の方に声を掛け写真撮影の許可を頂き今年の梨の赤ちゃんを撮った、暫くして余分な実は摘果するのであろう・・・今年も美味しい梨に期待する。

引退生活も長くなり、あまりこれと言う趣味も持たず、毎日はBGM的に好きな音楽を流し、粗毎日同様な定期的な生活を送っているが、会社員の頃との違いは早朝から愛犬と散歩しシャワーを浴び朝食代わりに淹れたての珈琲を頂き夜は早めに休む生活のリズムが夜型から昼間型に変わった、PCのスイッチを起動しメールチェックしながら近くの市の図書館で借りた歴史書見ながら、不明事項にはインターネット検索し、改めて思うは筆者が学生時代に習った歴史書は古い時代も程正しい歴史と違い驚くやらこれは違った意味に置いて、責めて日本史程度はもう一度見直す価値はありそうである。


最近珈琲豆の在庫も減ったので美味しかった豆を選び4種類ほどの追加注文品が届くので早速新しい豆を使用し珈琲を淹れる。
頻度は2ヶ月に一度程の周期ではあるが、夏場はかなり需要は減る様である。最近購入毎に根が上がるのは早いペースでもある。



今日はエディット・ピヒト=アクセンフェルト( Edith Picht-Axenfeld)のバッハを聴きながら過ごした。

フライブルク大学眼科学の教授であり眼科臨床医の世界的権威テオドール・アクセンフェルトの娘として1914年、フライブルクで生まれた。5歳でピアノの演奏を始め、卒業試験後は当時バーゼルにいたルドルフ・ゼルキンにピアノを、ヴォルフガング・アウラー、アルベルト・シュヴァイツァーのもとでオルガンを学んだ。世界的なピアニスト、チェンバリストとして活躍。オーレル・ニコレ、ハインツ・ホリガー、フィッシャー・ディースカウ、ヘンリク・シェリング、ローター・コッホらとの共演やレコーディングなども数多い。



J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻 24の前奏曲とフーガ
      [1]-[24] 第1番 ハ長調 BWV846~第12番 ヘ短調 BWV857
      [1]-[24] 第13番 嬰ヘ長調 BWV858~第24番 ロ短調 BWV869

J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻 24の前奏曲とフーガ
      [1]-[26] 第1番 ハ長調 BWV870~第13番 嬰ヘ長調 BWV882
      [1]-[22] 第14番 嬰ヘ短調 BWV883~第24番 ロ短調 BWV893

2001年、87歳で他界した偉大なピアノ、チェンバロ奏者であり、教育者としても20世紀の音楽界に大きな足跡を遺したエディット・ピヒト=アクセンフェルト。バッハの譜面のすみずみまで熟知したエキスパートである彼女が高度な技術でエレガントに奏でる比類のない音色は、どこまでも暖かく聴くものをやさしく包み込みます。
いかにも厳格な感じのピヒト=アクセンフェルトの演奏はいかにもJ.S.バッハらしい風格も備わった演奏が聴けると思う、またBGMとして聴くも心穏やかになる演奏は大変重宝します。
先日筆者所有のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80Cabinetも若干改善の手入れをいた結果以前より落ち着きあるエディット・ピヒト=アクセンフェルトの演奏になった様である。確かに書類をまとめる作業にごく小さな音でのバッハの音楽は頭をスッキリさせる効果もある様にも思う。



先ずは縄文時代の歴史は随分当時とは違い、筆者の小学校高学年6年生時代今から約60年前の社会の教科書ではこの時期長く続いて縄文時代は1頁で終了1万年以上続く縄文の歴史が1頁とは情けないのである。
これは我々日本人が1万年以上生活した記録は弥生時代も含め精々2,500〜3,000年しか経過していないのである。この現実を想像する事により日本の歴史は大変に長いのである。
勿論隣国支那に黄河流域には文明が栄えたが、支那の書物には日本の記載は昔からあり最初は三国志時代に「魏」について書かれた「魏書」の一部、「東夷伝」のさらに一部分、「倭人(わじん)」についての記述を指します。
「魏志倭人伝」に書かれているのは、三国志が書かれたのと同じ、3世紀の日本の様子です。「帯方郡 (たいほうぐん)」の海の向こうに倭人がいること、30の国に分かれていることが記されています。
「魏志倭人伝」は長い三国志の中の、ほんの一部分に過ぎません。それでも日本人にとっては、当時の様子を知る手がかりとなる、重要な資料です。
なぜ外国人が書いた書物が、それほど重要視されてきたのでしょうか。
魏志倭人伝日本の古代史を知るうえで貴重な資料
日本で漢字が広まり、文書として残されるようになったのは、4~5世紀のことといわれています。
魏志倭人伝が書かれた3世紀の日本では、まだ文字が普及していなかったと考えられており、当時の様子が分かる文書もまったく見つかっていません。
しかし、中国人が三国志に記述を残してくれたおかげで、3世紀の日本の様子が少しだけ明らかになりました。三国志は史実を述べているうえに、同じ時代を生きた人が書いたこともあり、研究に値する重要な資料といえます。
ただし、現存の三国志は何度も書き写されたもので、字の間違いも多く、すべてを信頼できるわけではありません。魏志倭人伝によって、その存在が分かった「卑弥呼」や「邪馬台国」についても、いまだに多くの謎が残されたままです。
「魏志倭人伝」には、古代日本の政治体制や人々の暮らし、魏との関係などが記録されています。それぞれ具体的に見ていきましょう。



邪馬台国の位置や政治「魏志倭人伝」には。邪馬台国への行き方や距離が書かれています。しかし、解釈の仕方によって位置が大きく変わってしまうため、現在も、邪馬台国がどこにあったのかは分かっていません。
邪馬台国は、もともと男性の王が治めていましたが、争乱が起こったため、卑弥呼という女性が王位に就き、国をまとめたとされています。
卑弥呼は不思議な力を持つ「巫女(みこ)」で、その力を発揮して人々の支持を集め、争いを収めたと記されています。

当時の日本人の生活や風習「魏志倭人伝」には、日本人(倭人)が、魚や貝を好んで食べていたことや、馬やトラ、羊がいない代わりに、サルやキジがいたことなどが書かれています。
また、卑弥呼が住んでいた場所には、宮殿や物見やぐらがあり、その周囲を柵で厳重に囲われていました。卑弥呼が亡くなったときには、大きな墓が造られ、100人ほどの奴隷が「いけにえ」になったとも記されています。
当時の日本人の生活や風習がよく分かる内容といえるでしょう。
国内の争乱を収めるために、大国の力を借りようと考えた卑弥呼は、魏の皇帝に使者を送ります。
そのころ中国では、漢が弱体化して三国時代に突入したことで、それまで漢に朝貢していた周辺の国々が背を向け始めていました。
そのようなときに、傘下に加わりたいと、はるばるやってきた卑弥呼からの使者に、魏はたいそう喜びます。
皇帝は卑弥呼を支援することを決め、「親魏倭王 (しんぎわおう)」の称号や金印、銅鏡百枚などを与えたのです。
実際に邪馬台国が他の国と争いを始めたとき、卑弥呼の要請に応じて魏は支援を決めます。しかし、間もなく卑弥呼が亡くなったため、魏が動くことはありませんでした。
卑弥呼の死後、邪馬台国では男性の王が即位しますが、他国の反感を買い、日本(倭)は再び戦乱の世に逆戻りします。
女王の不思議な力がなければ国を治められないと考えた邪馬台国は、「壱与(いよ、とよ)」という少女を後継者に選びました。
魏との外交も続いていましたが、魏志倭人伝の話は、266年に使者がやってきた時点で終わっています。その後の邪馬台国がどうなったのかについては、どこにも記録が残っていません。
「魏志倭人伝」に登場するさまざまな情報の中でも、特に注目されているのが邪馬台国です。
邪馬台国があった場所はもちろん、本当に国名なのか、邪馬台国の表記自体が誤りではないかとの説もあります。現在分かっている邪馬台国の情報を見ていきましょう。



邪馬台国があった場所には、諸説あります。
「魏志倭人伝」には邪馬台国への行き方が記されていますが、記述の通りに進むと太平洋上になってしまうことから、方角か距離のどちらかが誤りだったのではないかという推測のもとに、研究が進んでいるのです。
「魏志倭人伝」に記された卑弥呼の政治手腕や周辺国との関係を踏まえて、邪馬台国の場所を特定しようとする研究も行われています。
現在、邪馬台国の場所として有力候補に挙がっているのは、「畿内(きない)」と「九州」です。それぞれの説について、具体的に紹介します。
邪馬台国の場所を特定する研究は、江戸時代から行われていました。江戸時代前期の歴史家は「邪馬台」が「ヤマト」と読めることから、邪馬台国は大和国(やまとのくに、現在の奈良県)だったと考えます。
帯方郡は、現在の朝鮮半島におかれた中国の郡です。中国から見て朝鮮半島の海の先にあるわけですから、まさに日本のことを表していると分かります。
三国時代以前の漢の書物にも、日本に関する記述がありますが、そのときは100を超える国があったとされています。
中国で国が三つに分かれていたころ、日本では100以上もあった小さな国が統合され、30国ほどになっていたのです。
「魏志倭人伝」は長い三国志の中の、ほんの一部分に過ぎません。それでも日本人にとっては、当時の様子を知る手がかりとなる、重要な資料です。
なぜ外国人が書いた書物が、それほど重要視されてきたのでしょうか。



三国志時代も終わり隋の時代になり倭国の記実が現る。
後は隋(王朝) (581年〜618年)南北朝の分裂を統一した中国の王朝の頃『隋書』は、二十四史の一つで第13番目にあたる。中国大陸史の中における隋代を扱った歴史書。志の部分だけは通史である。その頃は日本国も同時期の「日本書紀」推古朝は女帝の時代にあり、倭王が 誰にあたるのかは定説がない。
当時支那は漢字の書物が用いられ、漢文が書かれた書物が流通していた。表題も「隋書倭国伝」の中に倭国の記載は列伝第46条東夷伝の中にある隋書倭国伝に位置、地勢、倭国での順路、倭国の気候、暮らし、習慣や支那との関係等詳しく述べれれている。

この当時仏教の伝来し、権力争いの火種となり豪族の間で仏教を受け入れるかの意見が分かれ派閥が出来上がる。朝廷では蘇我馬子(蘇我 馬子は、飛鳥時代の政治家、貴族。邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも呼ばれた。 敏達朝で大臣に就き、 以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕えて、54年にわたり権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた。)
当時朝廷内の蘇我馬子が推古天皇が即位し飛鳥時代が始まり、朝廷を中心とする中央政権化が進み592年に初の女性天皇である推古天皇が即位する593年にその甥である聖徳太子が摂政となる蘇我馬子と協力し天皇に忠誠を目指した。



上記の写真は聖徳太子の幼少の頃とされる。

その後聖徳太子が603年(推古天皇11年)に制定した「冠位十二階」(かんいじゅうにかい)は、優れた人物であれば身分に関係なく取り立てられる制度で、旧来の豪族の力を弱体化して天皇に権力を集中することが目的でした。しかしこの制度が導入されたあとも蘇我馬子は権力の中心にいたことから、聖徳太子を背後で操っていたのが蘇我馬子であったと主張する歴史家もいます。



603年には家柄には関係なく優秀な人材を登用を目的とした冠位十二階(大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智の十二種からなる位階である。 この名称は、儒教の最高の徳目である徳をはじめにおき、人のおこなうべき五つの道、仁・義・礼・智・信の五常を加えて六つとして、それぞれ大小にわけて十二にした。)604年に初めての憲法でもある。政治に関する人々に道徳や心構えを説いた憲法17条を制定した。内容は以下の通りである。
 第1条:和(仲良くすること、争わないこと)を大切にせよ。
 第2条:仏教を信仰せよ。)
 第3条: 天皇の命令には必ずしたが従え。)
 第4条:身分の高い人も低い人も、礼儀作法・ 儀式などの社会的・道徳的な  決まりにもとづく行いをすれば、国は自然に治まる。
 第5条:裁判をする人が、賄賂を貰って、金持ちに有利な裁判をすることをやめ裁判を公正にせよ。
 第6 条:人のよい行いをほめ、悪い行いを改めさせよ。
 第7条:その役職に適した人を 選べ。
 第8条:勤勉に仕事をせよ。
 第9条:すべての事にまごころをもってあたれ。 
 第10条:いかりをおさえて表面に出さないだけでなく、心を広くもって人の失敗 をゆるせ。
 第11条:功績と悪事を見分けて、賞ばつを公平に行え。
 第12条: 租税 を取る権利があるのは天皇だけだから、役人が勝手に租税を取ってはならない。)
 第 13条:自分の担当する仕事や役目をよく知れ。
 第14条:人をうらやんではなら ない。
 第15条:地位を利用して、自分の利益をはかってはならない。国や民のた めにつくせ。
 第16条:農閑期を利用して民を使うのは昔からのよき教えであ る。
 第17条:重要な事を決めるときは、おおぜいの人と相談せよ。そうすれば、 人々を納得させるような理(道理、理論)が必ず見つかる。

現在日本の政治問題で問われる事についはこの内容をよく理解した上にて議院バッチを付け、守れない場合は即刻辞職する。1,500年以上前の憲法17条を基本にすれば全て上手く捗る、まず政治家自身上記の記載をよく遵守する事は最低の国民との約束ごとでもあろう。当時この後607年に小野妹子を遣隋使として隋の国に送っている、又隋の歴史書に於いても隋書倭国伝に記載される。

確かに当時は海の向かいの支那に漢文、政治に関する冠位十二階等は学んでいるが、当時の支那の学術を日本風にアレンジし日本人が使いやすい様にした所は見逃せない所でもある。


推古天皇陵

隋の中央官僚には十二等級あり
大徳・小徳・大仁・小仁・大義・小義・大礼・小礼・大智・小智・大信・小信と並び日本の並び順とは異なっていた。「徳・仁・義・礼・智・信」となっていた様である。日本では「徳・仁・礼・信・義・知」と教えた。又冠位十二階は儒教の影響が強い当時の隋では影響を受け水を真似し日本に導入されたと考えたが、隋の時代の儒教では五徳の徳の教えが「仁・義・礼・智・信」が重要視され「仁」人を思いやる事「義」利欲にとらわれない事「仁」守るべき事「智」通りをよく知るえる人「信」真実を告げ約束を守り誠実である事と述べている。儒教ではこの順番を重要視され隋書が正しいと思われるが日本人の法制度はこの順番を変更し冠位十二階を定めたであろう。しかし720年には冠位十二階は無くなってしまった。

この様に祭り事を行う政治家、役人が昔決められた冠位十二階も学ぶ事なく現在の政治を決める政治は真の平和な世界が作れるのであろうか?
以前トランプ大統領選挙の結果が発表された時に、高々200年の歴史しか持たない米国の判断は本当に正しいのであろうか、日本は世界でも歴史の古い伝統ある国の判断を聴きたいと叫んだトランプ大統領の言葉が今も残る言葉でもある、所詮先の戦争で与えられた日本国憲法も官僚、政治家が冠位十二階をよく学びた後に新たな日本に相応しい日本国憲法も視野に入れた新しい憲法が必要な時を迎えて様にも思う。
昨今の大臣の態度は最悪でもあり、日本人としての品格も疑われる現在の政治家には基礎教育が必要であり実に情けな無い時代となっているのが現状でもある。

ロシアはウクライナ侵攻開始から2年も過ぎている、いつまで続くのであろうかの検証。

2024年04月13日 | 歴史(世界史/日本史)の考察

筆者の自宅の庭には春の花が咲き始めた、新しい芽も吹き出し春の息吹とはこの様な事であるのかと思わせる、たわいも無い事に何故か喜びを感じる様でもある。

勿論最近は天候不順のため桜の見頃も短く、桜吹雪の舞い散る歩道をモジャ君と早朝散歩する。今日は何時もより若干早く遠吠えし散歩に連れて行けとせがむ・・・。朝6時30分から始まるラジオ体操を終了後散歩から帰宅しゆっくりとモジャ君とシャワータイムである。
その後は淹れてての珈琲を飲みながら最近見つけたソフトにH. シェルヘン ~ ウィーン国立歌劇場 Orc. / マグダ・ラズロー等:バッハ カンタータ 第210番他を聴くが妙に落ち着いた演奏に今までにない重厚な香りを感じを得られた、1962年録音とあるが意外と良い音が聞けるのはありがたい。



思うに2022年2月24日、ロシアはウクライナへの本格的な軍事侵攻を開始し、民間人に死傷者を出す攻撃を行い、病院、学校、住宅などの市民の建物に被害を与えている。しかしこの軍事侵攻はロシアとアメリカの争いであろう・・・、これは間違いなくウクライナはアメリカの代理をしているに過ぎないのである。これらの事にきな臭い裏事情を疑るのは筆者も悪い曲なのであろうか?

冷静に考えれば米国、日本、欧州諸国の民主国家はウクライナに武器等援助、ロシアの経済封鎖を続けるが意外とロシアはしぶとく余り痛手も感じない様である、ロシアは化石燃料は豊富にあり共産圏に販売し外貨を稼ぎだしている状態では武器等は他の国頼りのウクライナ側が不利であろう。
一部のウクライナ戦争の報道を見ると明らかな事にこの戦争の進め方は、第一次世界大戦の模様であり、戦車等は新しいが、我が国の体験したロシア戦争当時と変わらなく、榴弾砲の弾不足で、上手い砲弾の補給がある程度の勝敗が決まる様子でもある。ロシアの保管する第二次世界大戦以前の兵器も未だ多く保管し、使用可能と言われている長期戦はロシアの得意戦法でもあるのだ。



だが戦争はこの地区だけには終わらず2023年パレスチナ・イスラエル戦争は、2023年10月7日より続いている、パレスチナのガザ地区を支配するハマースとイスラエルとの間の戦争であると言う解説もあるようだ。

筆者が思うにこの戦争は長引けばウクライナ側が不利であろう、また軍事物資等の補給する事も使用方法をレクチャーしなければならず、多くのテクニックあるアメリカ兵が犠牲になって戦死者も出ているとも聞く、アメリカのユダヤ系の資本家は戦争を続けろとアメリカ国家に迫る、ベトナム戦争以来アメリカは全ての戦争で失敗しているのだ!バイデン大統領が終わり、時期大統領に変われば収束するかも知れない。

プーチンはこの戦争を始める前にNATO軍はこれ以上ロシアに近づかない約束をしてのに近づいたとも吐露している。



これに関係する戦争の背後には間違いなくユダヤ系アメリカの影が蠢く、アメリカは当時ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman、1884年5月8日〜1972年12月26日)は、アメリカ合衆国の政治家。同国第33代大統領。ミズーリ州選出連邦上院議員、副大統領を歴任した。第二次世界大戦終結当時の大統領である。東京大空襲の約1カ月後の4月12日、わが国を戦争に追い込んだ米大統領ルーズベルトが死去し、後任に副大統領のハリー・トルーマンが就任しました。このトルーマンが8月6日に広島に、9日に長崎に原爆を投下した大統領になります。
このアメリカでのディープステートの歴史は長く大東亜戦争以前より続く暗黒のアメリカで日本を戦争に引き込み征服を企んでいたと言われるのが真実でもある、真珠湾攻撃をワザと引き込んだ暗黒の世界に突入させたロシア、英国、米国のアングロサクソン人種の全てであった様です。被害の多かった国は英国でアジア地区での植民地を多くを失い大東亜戦争以降勢を失っている。

トルーマンがルーズベルトが死去したのちに米大統領になるために画策し世界の金貸し集団のユダヤから大金を借り集め大統領就任した。
勿論日本も日露戦争でユダヤに金策し戦争には勝利したが、ロシアからがは代償金は貰えなかった、その為近年までユダヤに約束通り満額を支払い終了した。



ユダヤ人は国を追われ世界中に拡散したが世界を放浪後英国の産業革命で大金を融通し資本家のしての道を歩む、勿論米国にも同じ手法で資本家になる。
所謂国を無くしたユダヤ人は世界に放浪するが一心教のユダヤ教を信仰するが故に辛い思いもするようで、それ以降所謂新約聖書以降のキリスト教信仰者とも違いアブラハム(信仰の父)所謂ヘブライ語聖書聖典として先祖代々受け継ぐ集団であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教との日本人との違いは日本では圧倒的に多神教信仰が多く宗教の違いを理解できない事が多い事が現状でもある。

一般的にはイスラム教(旧約聖書)からキリスト教(新約聖書)に代わったところが、処女マリアが如何にして妊娠したのであろうか?そしてキリスト誕生となる勿論マタイも実に謎めいて来るのは筆者だけなのであろうか?当時バッハのお造りになったマタイ受難曲は素晴らしいのだがこの辺り造作の聖書は日本人では理解出来ない様にも思う。

アメリカの黒歴史ジョン・F・ケネディ大統領が射殺後すぐにロバート・ケネディはFBIにCIAが怪しいと捜査と犯人逮捕を依頼したが、国防省、CIAは全く動きを止めた話は有名でもある。その後アメリカ大統領がディープステートまたは闇の政府を始め個人財団を作り個人所有は個人財団の税金免除である。これこそ今行われている少しの額が裏金問題である。15億で行われた間違った東京裁判の結果敗戦国日本はアメリカにひれ伏した国となった様である。

特に裏金作りはクリントン、オバマ、最悪はヒラリー・クリントンでクリントン財団は有名である調べれば以下のような事柄が残されている。一番の性悪は悪き事を企むことが趣味でもあり、大好きなヒラリー・クリントンこそが最悪の性悪でもある。

基本的にはそもそも黄色の猿と蔑まれた日本はアメリカからは嫌われており、今日本は憲法改正をしてアメリカから独立するチャンスだったのかも知れない。平和を維持するには最強の武力こそが肝心であり、江戸幕府の時代の歴史を調べれば理解できる。今回最低の丞相岸田は米国から帰り国民は今回の顛末に相当の不満が多く残り、政治離れも甚だしく相当な混乱を残すであろう。



「ハイチ地震の義捐金のほとんどが他に流用され被災者に使われなかったのはクリントン財団のせいと咎められている。 国務長官クリントンに面会するには億単位のクリントン財団への寄付が必要であったという。 中国の人権問題の追及の緩和のために1兆円の賄賂を中国に要求したという。 児童救済のためのヒラリー財団もほとんどの資金が流用され本来の目的に使われなかったという。 彼らの財団運営はお金集めの偽善団体に過ぎない。 大統領選挙直前彼らはすべての資金をカタールとスイスの銀行に送金している。 FBIとCIAの追及を躱して国外逃亡する準備であるという。 少額献金した人の口座から許可なくさらに100ドル以下の範囲でクリントン財団に振り込まれていたという。 彼らは選挙での敗北を予想していたという。 
大手のマスメデアのみが世論調査の結果を無視してヒラリー有利と捏造報道を繰り返したのである。 日本の報道機関も完全に予測を外した。 国民をミスリードしたことを謝罪すべきである。 選挙後の反トランプデモもお金で雇われた捏造デモである。 米国人の民意はトランプだったのである。 著者はヒラリーの負の側面も書くべきであった。」



勿論バイデン親子もハンター・バイデンのラップトップに記録があったように100万ドル程支那から多額の献金を受けている為にある程度は近平には忖度すると言われる様である。オバマ辺りから近年の米国政府は財界人と結び、間違い無く金権腐敗政治である。
アメリカ社会を簡単に思えば政治に関わり合いのある事柄として・・・
ウォール街
ウォール街は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンの南端部に位置する細いストリートの一つ。ブロードウェイから東へイースト・リバーに下る場所にある。 現在では通りの周辺の区域も含めて、世界の金融センター「ウォール街」として定着している。裏話ではクリントン時代のウォール街の連中は後ろでクリントンを操りゴールドマンサックスと共に莫大な金を稼いだ話は有名であり勿論クリントンも莫大な裏金を稼いだと言われる。

ネオコン
アメリカ合衆国における新保守主義は、政治イデオロギーの1つで、自由主義や民主主義を重視してアメリカの国益や実益よりも思想と理想を優先し、武力介入も辞さない思想。1970年代以降に米国において民主党のリベラルタカ派から独自の発展をした。
次の選挙ではディープステートまたは闇の政府を倒す勢いのある、ウォール街並びにネオコン連中を撃破する二人の候補者に期待しましょう。



敗戦国日本はアメリカには逆らえない状況であるが、その様な時期に親中の検討史岸田はアメリカに行きウクライナ戦争のの加担をしている、馬鹿さ加減は如何なものであろう。今日本は一番大切な時期に国内の仕事を放置しアメリカ旅行に出かける事がまともな政治家であろうか、大きな疑問である。

国内政治をまともに出来ない総理に世界の事を話させる事は大間違いではなかろうか・・・? 昔であれば岸田は小部屋に小刀を置かれ、配下のものは部屋を出たのであろう。

日本が最も強かった時代は、正義感があり優れた精神があった頃、明治30年頃江戸時代の武士が歳とともに亡くなり時代が変化した頃までとも言われる、江戸時代を過ごした武士がいなくなったからだと言われる。そして現在は一番の悪の中心は資本家ではなくそれらを牛耳る政治屋と資本家である、政治家が少なくなった長年の驕りと現状が民主国家の敗退かも知れない。しかし以前も回答したが自民党の代わりになる団体が不在な事が日本の不幸かも知れない。



これからの時期はアメリカの大統領時期選挙であろう・・・次のバイデンの大統領は無いと思うが・・・まさか今回はディープステートによる妨害が少なければ、大統領は交代し現在のアメリカ政府の経済関係に支障を来し、イスラエル紛争並びにウクライナ戦争も今年中には終結する道を歩むであろう。

注目はロバート・フランシス・ケネディ・ジュニアは、アメリカ合衆国の政治家、弁護士。第64代司法長官ロバート・ケネディとエセル・スカケル・ケネディの息子。父同様に名前のイニシャルをとってRFKジュニアあるいは愛称であるボビーと呼ばれることもある来年のアメリカ大統領選挙に向けてこう宣言したのは、“RFK”こと、ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏(69)です。
あのケネディ元大統領の「おい」で、ことし(2023年)10月、民主党でも、共和党でもない、「無所属」の候補者として大統領選挙に挑戦する意向を表明しました。



ドナルド・ジョン・トランプは、アメリカ合衆国の政治家、実業家。第45代アメリカ合衆国大統領。不動産業の富豪として著名になり、リアリティ番組の司会などタレント業も行ったのち、2016年の大統領選に共和党から出馬して当選し、合衆国大統領を一期務めた。
新しいアメリカに期待したくなる様な候補者でもあり今後の展開が久しぶりに期待できそうでもある。ブラボー!

今何故オルガ・シェップス(Olga Scheps):ショパンのピアノ曲を聴くのであろうかの考察

2023年10月26日 | 歴史(世界史/日本史)の考察

彼女は幼い頃からすでに、強烈な感情と強力な表現力、並外れたピアニスティックテクニックを組み合わせた独自のキーボード演奏スタイルを確立していました。オルガ・シェップス(Olga Scheps)は1986年、モスクワ生まれ、6歳の時にドイツに移住。現在はケルン在住。ケルン音楽・舞踊大学でパヴェル・ギリロフに師事。更にアリー・ヴァルディ、ディミトリ・バシキロフなどの元でも研鑽を積む。また、アルフレート・ブレンデルからは、ここ10年近く重要な芸術的刺激を受けている。
現在オルガ・シェップスはスタインウェイアーティストです。

ここで簡単にフレデリック・フランソワ・ショパンは(Fryderyk Franciszek (Frédéric François) Chopin)を説明すれば、ポーランド出身の、前期ロマン派音楽を代表する作曲家。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家としても有名だった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるようになった。美に対して厳しい完全主義者であったと聞く。今も親しまれる21曲の《ノクターン》は、ショパンによる短いながら詩的な偉業だ。特に筆者が好きなアルフレッド・コルトーの演奏、バッハの平均律クラヴィーアの如く、ショパンの24の前奏曲 作品28も厳格なルールに則った曲集である様にも思う。演奏は古いがこれ以上の演奏は見当たらない。



此れはあるピアノ好きな友人から勧められ、一枚のアルバムを聴き最近何気なく流しているのが、オルガ・シェップスOlga Scheps:Chopinである。このアルバムは、2009年に録音されたもので、最後の「幻想曲」のみルール・ピアノ・フェスティヴァルでのライブ。内容も初心者にも喜ばしい曲が満載で音質も大変良く、ピアノ演奏の音質が豊であり実に美しい。聴き終わりに感じる何とも言えない優雅な気持ちになることも嬉しくなる事でもある。
 フレデリック・ショパン
  1 Trois Nouvelles Etudes Nr. 1
  2 トロワ ヌーベル エチュード Nr. 2
  3 トロワ ヌーベル エチュード Nr. 3
  4のエチュードop. 10番 3
  5 エチュード op. 25番 12
  6 マズルカ op. 63番 2
  7 マズルカ op. 63番 3
  8 バラード op. 23
  9 ノクターン op. ポスト。
  10 ヴァルス op. 69番 1
  11 ヴァルス op. 69番 2
  12 ノクターン op. 27番 2

筆者の古い今や発売後50年以上経過したステレオ装置で鳴らすが、今も変わらず大変素晴らしい演奏で聴けるのでした。タンノイの10吋IIILZ Monitor Goldユニットでのピアノ再生は実に綺麗な音で鳴ってくれる、ピアノソロの美しい膨よかな鳴り方のショパン演奏は何故か、心穏やかにされる様でもある。
この様な音が出るまで試行錯誤した結果が今鳴っている音なのだと思う。



Live盤なのではかなり特徴のある演奏に思えましたが、こちらのCDではすごく説得力のある演奏と思わされ事で満足します。さすがショパンはピアノの詩人とは良く言ったものだと思う次第でもある、これはしばらくは秋の夜長の定番となりそうでもある。それとオルガならではの個性味あふれる小品集で、ピアノ音楽の美しさを感じる一枚も加える。曲も誰もが知る曲も満足するところである。

2015年発売の「ヴォカリーズ」以来のオルガ・シェプス待望の小品集は、プレイリストにも最適なリラックスできるピアノ名曲集。



選ばれた曲はかなり面白くもあり。どれもシェプスの大好きな曲ということで、もちろんショパンの「夜想曲第2番」や「エリーゼのために」、「トルコ行進曲」などの耳慣れた曲は散りばめられているものの、アルバムのほぼ半分を占めるのは1950年以降に生まれた、いわゆる同時代作曲家の作品。あまり気を使わずBGMで聴くも良しと言えるアルバムでもあろう。

オルガ・シェプス:Melody
 1. ヘルビッヒ:夕べに(Am Abend)
 2. ブラームス:間奏曲 イ長調 Op.118-2
 3. J.S.バッハ:協奏曲 ニ短調 BWV.974~第2楽章アダージョ(原曲 マルチェッロ:オーボエ協奏曲ニ短調)
 4. エイナウディ:Una mattina
 5. ショパン:夜想曲 第2番 変ホ長調 Op.9-2
 6. ゴンザレス:Armellodie
 7. ベートーヴェン:エリーゼのために WoO.59
 8. グルック/ズガンバーティ編:メロディ(原曲 『オルフェオとエウリディーチェ』~精霊の踊り)
 9. グリーグ:抒情小曲集 第2集 Op.38~メロディ
 10. J.S.バッハ:イタリア協奏曲ヘ長調 BWV.971~第2楽章:アンダンテ
 11. エイフェックス・ツイン:Avril 14th
 12. ビバン・バッティ&ケタン・バッティ:ムソルグスキーによるプロムナードIIのメロディ
 13. モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331~第3楽章:トルコ行進曲
 14. ゴンザレス:オルガ・ジーグ
 15. ショパン:夜想曲 第8番 変ニ長調 Op.27-2

ただしイタリア協奏曲ヘ長調 BWV.971流れ出すと今までとは違ったバッハを感じた、何故かいくらかスマートなオシャレ感のあるバッハが感じられた、彼女の中でのバッハ像が描かれている様でもあると思った。
最近この様な綺麗な曲を聴くのかと自分自身に尋ねると、多分現在の世界情勢が大変乱れているための逃避行では無いのであろうか・・・?とも思う。心和ませるには音楽の優しさ、美しさは必要でもあろう。

今やこの中はグローバル化しYouTube配信ニュース等で最新の情報を得られる、筆者等の無力な者は情報を知ることも大変怖い事だともおまいますが、皆さんはいかに考えているのでしょうか。日本政府も不安定な政治局面になり何も出来ない何もしない総理のみ息巻いている状態も不安である。勿論愛変わらず変わり映えのしない野党でもあり先行き不安状態は明白の様でもある。
現在中東問題で世界を騒がせているイスラエル地区の問題での発端は宗教問題であるように思う。



この地図は大阪の地図ではあるが、信長が欲しかった商業都市としての大阪周辺の繁栄した土地であり、その後秀吉が大阪城を完成し大繁栄に至り太閤人気が上がるが、大阪の冬の陣で消滅した大阪を家康が改築して現在の大阪城に成っているが、昭和6年(1931)市民の寄付金によって復興されました現在の商業都市大阪である。宗教戦争の顛末でもある・・・・。

実は日本も15〜16世紀頃宗教戦争を体験した国である、信長が一向宗と11年間戦いつ付け大阪石山本願寺も顕如(けんにょ・本願寺法主(ほっす))が降伏して、畿内の隅に逃げも平静になりまし。これも間違いなく宗教戦争である。
確かに歴史的に考えれば、古くからの摂津国東成郡生玉荘大坂にあった浄土真宗の寺院は仏閣作りは巨大な建造物が多い、大阪に新天地として開いた本願寺は城壁と天守閣さえ有れば、難攻不落の要塞であろう、勿論税も無く、死んだ次の世界も極楽に導かれる浄土宗はこの世の極楽でもあったのであろう、当初親鸞は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。親鸞聖人と称され、浄土真宗の宗祖とされる。 法然を師と仰いでからの生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる親鸞は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。親鸞聖人と称され、浄土真宗の宗祖とされる。 法然を師と仰いでからの生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる親鸞聖人は、29歳の時、比叡山の仏教と決別し、道を求めて聖徳太子ゆかりの六角堂に籠こもられました。そして、95日目の暁あかつき、聖徳太子の夢告むこくにみちびかれて、法然上人ほうねんしょうにんのもとをたずねられます。法然上人は、だれに対しても平等に「ただ念仏もうしなさい」とお説きになっていました。親鸞聖人は、この教えこそ、すべての人に開かれている仏道であるとうなずかれ、法然上人を生涯の師と仰ぎ、念仏者として歩み出されました。



当時信長と戦ったのは顕如であり、お経さえ唱えれば浄土に行けると解いた浄土宗での教行信証である。また政教分離は当時から問題視された様でもある。しかし筆者から思えば仏の上に神がいる日本には八百万の神は座す事実がある事を皆は承知していた傾向がある、古事記に纏わる神代の時代背景の存在が大きいのではあるまいか?

正信偈(しょうしんげ)は、私たち真宗門徒にとって、古来からお内仏ないぶつの前でおつとめしてきたお聖教(しょうぎょう)です。親鸞聖人は、仏教の教えが釈尊しゃくそんの時代から七高僧しちこうそうを経て、自分にまで正しく伝えられてきたことを、深い感銘をもって受けとめられました。この「正信偈」は、親鸞聖人がその感銘を味わい深い詩(偈文げもん)によって、後の世の私たちに伝え示してくださったものです。

御文(おふみ)第8代蓮如上人れんにょしょうにんが、ご門徒たちに宛てた「お手紙」で、真宗の教えがわかりやすく、しかも簡潔に書き表されています。当時(室町時代)の「御文」は、ご門徒に広く公開され、法座につらなった読み書きが出来ない人々も、蓮如上人の「御文」を受け取った人が拝読するその内容を耳から聴いて、聖人の教えを身に受け止めていかれました。「御文」は、現在約250通が伝えられており、その中で、1471(文明3)年から1498(明応7)年にわたる58通と、年次不明の22通の合計80通を5冊にまとめた『五帖御文ごじょうおふみ』が最もよく知られています。

浄土真宗は、鎌倉時代の中頃に親鸞聖人によって開かれましたが、その後、室町時代に蓮如上人(れんにょしょうにん)によって民衆の間に広く深く浸透して発展し、現在では、わが国における仏教諸宗の中でも代表的な教団の一つとなっています。勿論非課税のため収入はお布施により賄い武士以上の裕福な暮らしぶりだったのであろうと想像できる。
大坂、上町台地は信長のものとなり、いよいよ天下布武が目前に迫った4年後、信長は戦国の舞台から去ってしまった。上町台地の後日談は語るまでもない。豊臣秀吉は山崎の戦いで明智光秀を破り、翌年に柴田勝家を負かすと、直ちにこの地に大坂城を築造した。信長執念の石山の地は秀吉が引き継いでいった。信長の傍らで仕えていた秀吉は、信長がこだわった上町台地の地形の重要性を知り尽くしていたのだ。そして今度は上町台地に建った大坂城は、大坂冬の陣で落城するまでの約30年間、徳川家康を苦しめていくことになった。

先述の通り、家康は若い頃に一向一揆に苦しめられたことから自分の領内では一向宗の布教を許しませんでした。しかし一向宗の勢力が弱まったため、後に三河の本宗(ほんしゅう)寺の再興を許すなど寛容な態度を見せるようになります。

筆者の出身は東三河であり浄土真宗門徒である、しかし圧倒的に多くは西三河が断然浄土真宗信者は多い、確かに東京に移り50年程になるが、浄土真宗門徒は少なく感じる。
歴史を伺えば、江戸幕府は浄土真宗の勢力を恐れ、関東以東には浄土真宗のお寺を新たに認めませんでした。なので文化の遅れていた関東や東北には浄土真宗の寺院が少ないのです。愛知以西は圧倒的に浄土真宗地盤です。北海道は、開拓民の多くが浄土真宗門徒だったので、明治以降は浄土真宗が圧倒的です。あとは、檀家制度では身分的に百姓や漁師を浄土真宗に組み込んだことも大きかったのではと言われる。江戸時代以前は近畿が日本の中心であった事が理由である。

徳川幕府設立後の家康も岡崎時代の一向一揆の宗教問題には相当この問題に悩んだ事が伺えます。



この宗教問題の拗れは意外と長引き、しかもわずらわしさも残る事であろう。勿論現在ウクライナ問題と合わせアメリカ陣営も2箇所の紛争に関わって経済的にも不満が現れる事であろうが、さらに最近の支那の不動産経営が思わしく無く、膨大な不良債権、マンション等の資金不足により中途の建設途中の別件も多く、支那の経営危機とニュースは盛り上がっている様ですが、これは本当に事実であろうか?支那の国民性から考えれば、何故か騒ぎは少ない事は何時か?

この後トルコの動きは気になる所で、またこれに支那が絡まると話は益々ややこしくなる、宗教と共産国家の絡み合いは今後の先行きが見えない。



支那の最大大手、恒大集団、碧桂園等相次いで何度も外貨建て債務全て支払えないと言われているが、支那の制度では不動産は契約し購入すると、完成していない建物のローン支払いが始まり、引き渡しされないリスクがあるのに住宅を購入し購入者も本人が住まないのに契約し、将来不動産値上がりを考え転売し利益をと考えた、支那国民の中間層がマネーゲームをした結果の結末だと言われる、一番笑えるは購入者の多くは中国共産党員が多く騒ぐに騒げない理由でもある。

この中間層とは5億人ほどの低所得者は購入出来ず、例えば地方公務員等の中間層がこのマネーゲームに夢中になった事が顛末の様であり。この中間層は公務員(支那の共産党員)が多く購入したために、思った程騒がないとも言えるそうです。あとはダブルパンチのようにEV自動車に多額補助金を付け格安の自動車メーカーが次々と倒産し空き地が次々に大量放置されている、電気自動車急成長も「負の遺産」になっている様である。また電池の異常や劣化などに よる安全性や経済性のリスクが高く、EV利用の課題になっている、それとEV自動車は電池部分が重く。道路補修費も負担増になると言われる。

最後にEV自動車ついて言えば今や支那のEV自動車はスマホにエンジンを付けた車で安全基準も曖昧の車は大変危険と言う意識は薄く今やEV自動車メーカーは倒産ラッシュである。



支那が苦しむのは今からである、聴くとこ支那の新幹線の乗車客が少なくどうやら採算が取れず稼働本数を減らしていると言われる。低所得層は今の生活より悪くなり富裕層は支那に見切りを付け海外移住し残るは借金まみれの中間層と低諸国車のみとなり、今一番問題されている一人っ子政策(1979年から2014年)により今後35年間毎年850万人人口がレリ続ける老齢化国となりこの先失速し続ける国となるかのせいは大きい、支那が暴発すれば台湾との戦争が一番の不安事項でもあるのであろう。
さらに今まで一番利益を得た西欧も特にイタリア、ドイツは恩恵した代表の国であるが、香港問題で変わり始め最近人権問題等でのチャイナリスクを感じ脱支那が加速するEUになった事も大きな影響が強い。益々支那の近平が台湾暴発する事も危険信号である、それは日本も巻き込まれる可能性が高い。



一番恐れる問題は中国共産党の不満が台湾問題に転化された場合一番不安が高まる状態である、最近のニュースでは支那がロシアに大量のドローンを輸入した事が明るみになり、今後経済制裁を厳しく追求すればこの先の展開は見えない。勿論北朝鮮等の国は煩わしいがロシア、支那共問題終了後はその様になるのだろうが、宗教トラブルは簡単には妥協しなく、今後トルコが如何に動くか、それが一番の問題であろう。但し悪の巣窟は中国共産党である事が解明される。

今後しばらく世界情勢がどの様に変化するかは全く予告できなく、今は静かに準備をして「いい曲を聴きながら」事の顛末を見るしかあるまい。