伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

以前も紹介はしたが、シューベルトの幻想曲 ハ長調 D.934 Op.159を楽しむ・・・

2025年02月06日 | クラシック音楽・オーディオ

先日誕生を迎えたが仕事と重なり3日程外出が多く、早朝から出かけていた、先日東京品川御殿山近くで昼食を頂く。久しぶりのラーメンである、実は北品川の『中華そば和渦(わか)TOKYO』場所が若干分かり辛いが、味は、三位一体(煮干×アゴ×生青海苔) バランス型でかつ生青海苔がガッツリ効いたスープにしなやかな麺がよく絡みうまい、細麺でスープによく絡みさっぱりした味わいも絶妙な旨みを感じた。
サッパリ系の麺は年配の人にも好まれる味で完食しました。若い人には少し量が不足かもしれませんね!最近はラーメンよりうどん、蕎麦を選ぶ事が多くなった答えは歳のせいでもある様です。



夕方自宅に帰ると冷凍のタラバガニが届いていた、家族から仕事の区切りがつき次第、カニパーティーで先日頂いた大吟醸一生青春を開け喜寿の祝いをとのことで美味しいお酒と蟹で楽しみました。

半身で30センチ以上もある大きなタラバであり、先日正月にも頂いたが、実に美味しい蟹であった、流石全ては多いので半分以上は冷凍保存した。次もたっぷり楽しめられる、以前冷凍庫を購入したが実に重宝する。



仕事も一区切りでいつもの様は生活に戻る、次は年度末に予定される仕事のまとめをしなければならない・・・・。

筆者の部屋に篭り仕事のまとめをしながら音楽を楽しむ生活に戻った。以前シューベルトのシューベルト:ヴァイオリン作品集をアレクサンドル・メルニコフのピアノ演奏も大変良くイザベル・ファウストの演奏を良く聴いていたが、最近な何故か聴かなくなった、理由は多分実に美しいシューベルトであるが故であり音質も程良く聴き入っていた曲でもある。ただしシューベルト独特の悲しみが感じられないのが筆者の不満だったのかもしれない。

又も恐縮ではあるが五味康祐氏のオーデイィオ巡礼の内容に次の様な言葉があった、いい曲とは何かと当時夢中になって読んだ冊子でもあった・・・
 「シューベルトにピアノとヴァイオリンのための幻想曲作品一五九のあるのは、知っている人も多いと思うが、モノーラル時代、シゲティのひいたこの曲の名盤があった(米コロンビア盤でレコード番号ML四三三八)。米コロンビアは、レコード番号ML四五〇〇台から、画期的に録音がすばらしくなり、当時、音キチのぼく達を随喜させてくれた。シゲティのこのレコードはそれ以前の番号だから、いま想うと、左程の音ではなかったかも知れない(私は、いまだにこのレコードを持っていない)。しかし、戦前まだ中学生の頃、シゲティの弾いたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(むろんSP)を、ひそかに日本一の美音と自負していた自家の電気チクオンキで鳴らして、高音が軋むのに泣かされた記憶があり、戦後の放浪時代、S氏邸で幻想曲のシゲティを聴き、何といい音だろうと陶然とした。そのとき私は懐中に五十円しか持っていなかったのも何故かおぼえている。」
当時シゲティの名前は知ってはいたがロコーど盤は見る事さえ出来なく当然聴くのは無理であった、しかし演奏者の名前も忘れたが幻想曲は聴く事が出来たが、良い曲であった事は記憶する、今思えば1980年当時はインターネット等も無く調べる時間も無く時が経ち記憶が遠くなって行った事が思い出でもあろう・・・。



又ヨハンナ・マルツィというハンガリーの女流ヴァイオリニストは、今日でも熱烈なファンが居ると言われるが。筆者が思うこのシューベルトの幻想曲はピアノ演奏連打も一つの聴きもの様に思う、はっきり言えば誠に残念であるがピアノ演奏が気に入らない。

その特有のマルツィのヴァイオリン演奏には個性的な表現力や女流らしくないスケールの大きさで聴き手を引き付けるがジャン・アントニエッティ(ピアノ)演奏とのDUOが今一の様に感じた、J.S.バッハ:ヴァイオリンソナタ&パルティータの演奏は良いが今回は取り上げなかった。



筆者の好きな曲にフランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert、1797年1月31日 – 1828年11月19日)は、筆者が子供の頃聞いた「鱒、trout」は今も記憶に残る名曲と思う。

シューベルトはオーストリアの作曲家であり。シューベルトはウィーンの小学校教員の息子むすことして生まれ,わずか31歳さいでこの世を去りましたが,音楽的にはとても豊かで実りの多い人生でした。とても早い時期から音楽の才能を発揮したシューベルトは,11歳のときに宮廷礼拝堂きゅうていれいはいどうの少年聖歌隊員に採用され,それと同時に帝室王立寄宿制ていしつおうりつきしゅくせい学校に入学して音楽の勉強を続けました。この寄宿制学校時代に,シューベルトはすでにおよそ80曲もの作品を手がけています。その後も彼かれは作曲の筆を休めることなく,生涯しょうがいに1000曲ほどの作品を書き上げました。

その一方で,交響曲,室内楽曲,ピアノ ソナタなどのジャンルにも,充実じゅうじつした作品が数多く残されていますが代表曲には,ピアノ五重奏曲「ます」などがあります。音楽史上最高の音楽家の一人に数えられるほどの天才的な才能を持ちながら、「運」を持ち合わせていませんでした。
シューベルトは早くから音楽の才能を示していましたが、その生涯ではモーツアルトやベートーヴェンのように成功することができなかったのです。音楽の才能が開花し世に発表し始める時、31歳という若さでこの世を去ってしまった悲運の作曲家でもありました。生前はウィーンの一部の人達にしから知られていなかったシューベルトでしたが、死後数十年が経ち、メンデルゾーン、シューマン、リスト、ブラームスら、の天才作曲家らが発見し、大きな評価を得ることとなったのです。シューベルトの性格は、自由と独立が基礎にありながら、謙虚であり気が弱く、優しい。 しかし、金銭的な感覚があまり良くなかったようです。 
シューベルトは、そこでペピという若い女中から梅毒という病気をうつされたようです。 この病気は発病まで時間かかります。 当時ヨーロッパで爆発的に蔓延していたため、この病気で亡くなった人が多くいます。 シューベルトは亡くなる直前に腸チフスに罹り、これが彼の死期を早めたともいわれています。

シューベルト最期の年、1828年のピアノ連弾作品。彼の数多い連弾曲の中でも、高い音楽的内容をもつ傑作と称される。献呈は、出版社によって、シューベルトが2度のジェリズ赴任でピアノを教えたエステルハージ伯爵家の下の娘カロリーネになされた。作品は、切れ目なく続く3つの楽章から成るが、実質的には4部分構成といえよう。暗く陰鬱であるが魅力的な第1楽章冒頭の主題が、第3楽章の後半に回帰し、やがてフーガを展開して作品を閉じるといった、構成的にも整った作品である。

中でもピアノ連弾演奏から始まるピアノの圧倒的な主導権の下に見事に再構築していく。その静謐な美しさは得も言えない。ヴァイオリンとピアノのための幻想曲 ハ長調 D934は、フランツ・シューベルトが1827年から1828年にかけて作曲した室内楽曲。



此の曲はシューベルト:ヴァイオリンとピアノのための作品全集 での演奏ミシェル・オークレール1924年、パリ生まれのヴァイオリニスト。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリに師事し、1943年、ロン=ティボー国際コンクールで優勝を飾った。その後、巨匠ジャック・ティボーにも薫陶を受け、ジネット・ヌヴー以来の天才女流ヴァイオリニストとして華々しく国際舞台で活躍した。しかし、1960年代前半には、左手の故障のため第一線の演奏活動から退き、その後は母校のパリ音楽院で後進の育成にあたっている。彼女の演奏活動は短い期間であったが、その洗練された表現の魅力は、不朽の名盤として残されている。
オークレールとジョワの名品、シューベルト作品集が驚きの音質で復刻、2トラック、38センチ、オープンリール・テープ復刻シリーズオークレールとジョワが1962年に収録したシューベルトの「ヴァイオリンとピアノのための作品集」は、気品溢れるオークレールのヴァイオリンと明晰なタッチによるジョワのピアノが融合された極上の逸品として、今もなお根強い人気を誇っているそうです。
ピアニスト、ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(Genevieve Joy)フランスの女性ピアニスト。1919年10月4日生まれ。2009年11月27日没。
フランスの古典派およびモダニストのピアニスト。ベルナヴィル出身のリナ・ブルトンと、アイルランド人の夫で第一次世界大戦中にイギリス軍に従軍していたチャールズ・ジョイの娘で、北フランスのピカルディ地方ソンム県にあるベルナヴィルという小さなコミューンで生まれた。第二次世界大戦末期の1945年に、ジャクリーヌ・ロバンとデュオ・ピアノのパートナーシップを組み、1945年にジャクリーヌ・ロバンとピアノ・デュオを組み、1990年までデュオを継続した。1946年にはアンリ・デュティユーと結婚し、デュティユーからピアノ・ソナタを献呈された。1952年からジャンヌ・ゴーティエとアンドレ・レヴィとでフランス三重奏団を結成していた。と記載されるが筆者は初めて聴くピアニストでもあり、DUOの演奏はお得意である様です。



ミシェル・オークレール(Michéle Auclair、1924年11月16日 - 2005年6月10日)フランスのパリに生まれたヴァイオリン奏者。その芸風から「女ティボー」と称された。
1924年、パリ生まれのヴァイオリニスト。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリに師事し、1943年、ロン=ティボー国際コンクールで優勝を飾った。その後、巨匠ジャック・ティボーにも薫陶を受け、ジネット・ヌヴー以来の天才女流ヴァイオリニストとして華々しく国際舞台で活躍した。しかし、1960年代前半には、左手の故障のため第一線の演奏活動から退き、その後は母校のパリ音楽院で後進の育成にあたっている。シューベルトのヴァイオリンとピアノのための作品全集は、1962年にジュヌヴィエーヴ・ジョワとデュオを組んで間もなく、フランス・エラートによりステレオ録音されたもので、シューベルトの旋律美と楽曲展開の創造性を、洗練された音色と技巧と瑞瑞しい感性により、鮮烈に、気品高く演じたものとなっています。

筆者も以前ミシェル・オークレール(ヴァイオリン) 、マリー=クレール・アラン(オルガン:ヘルファー=エルマン 1955年製)競演のBach: Sonatas for Violin and Organ, BWV 1014 - 1019にはいたく感動した覚えがある。確かに落ち着いた情熱的で気品高いヴァイオリン演奏、的確なレジストレーションで支えるアランのオルガンとが一体化し、魅力的なJ.S.バッハを奏でた名演奏で今も時々楽しんでいます。



ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(Genevieve Joy)フランスの女性ピアニスト。1919年10月4日生まれ。2009年11月27日没。
フランスの古典派およびモダニストのピアニスト。ベルナヴィル出身のリナ・ブルトンと、アイルランド人の夫で第一次世界大戦中にイギリス軍に従軍していたチャールズ・ジョイの娘で、北フランスのピカルディ地方ソンム県にあるベルナヴィルという小さなコミューンで生まれた。第二次世界大戦末期の1945年に、ジャクリーヌ・ロバンとデュオ・ピアノのパートナーシップを組み、1945年にジャクリーヌ・ロバンとピアノ・デュオを組み、1990年までデュオを継続した。1946年にはアンリ・デュティユーと結婚し、デュティユーからピアノ・ソナタを献呈された。1952年からジャンヌ・ゴーティエとアンドレ・レヴィとでフランス三重奏団を結成していた。
【曲目】
フランツ・シューベルト:
[CD 1]
 1.幻想曲 ハ長調 D.934 Op.159
 2.ロンド ロ短調 D.895 Op.70
 3.ソナチネ 第3番 ト短調 D.408 Op.137-3
[CD 2]
 4.ソナチネ 第2番 イ短調 D.385 Op.137-2
 5.二重奏曲(ソナタ)イ長調 D.574 Op.162
 6.ソナチネ 第1番 ニ長調 D.384 Op.137-1
【演奏】
  ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
  ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(ピアノ)
【録音】
  1962年9月29日~10月1日
  スタジオ・オシュ(パリ)
使用音源:Private archive
(2トラック、38センチ、オープンリール・テープ)

此の作品は以前の東京オリンピック大会以前の作品ですが音質も良くオークレールとジョワが1962年に収録したシューベルトの「ヴァイオリンとピアノのための作品集」は、気品溢れるオークレールのヴァイオリンと明晰なタッチによるジョワのピアノが融合された極上の逸品として、今もなお根強い人気を誇っています。今回入手した2トラック、38センチのオープンリール・テープは、磁気テープの宿命であるゴーストがわずかに認められるものの、その鮮度、瑞々しさ、情報量の多さは全く驚くべきものでした!

シューベルトのヴァイオリンの二重奏曲集は、幻想曲D934があまりに素晴らしいので、ヴァイオリンの音が非常に艶やかでリアルに再現されよく聴いてきました。しかしピアノの音が、実にリアルで輝きがり素晴らしい演奏です、シューベルト晩年の作品でありピアノ連弾が衝撃的でもある。まさに素晴らしいDUO演奏でもある、艶も十分に乗っています、これぞタンノイの素晴らしさである独自のピアノ演奏も低域も豊かで現在は筆者の愛聴盤にもなっています。ブラボー!

2025年が始まる・・・、例年の如く穏やかな歳が過ごせる事を祈ります。

2025年01月02日 | クラシック音楽・オーディオ


昨日このブログアップしたのであるが、何度試みても写真アップが出来ないようで文章のみのアップになる事となった、大変申し訳ない事であった、幸いにも本日写真画像を登録でき補正をした次第でもあります。



此奴も朝日を浴び何時も一緒に早朝散歩、実に元気である、今年5歳になるが随分大人の顔になってきた様に感じる、10年過ぎれば筆者も87歳一緒に散歩に行けるか心配でもある。此奴は人生最後の愛犬となるであろう、毎日の散歩のお陰か血圧(数値130〜78)が安定してきた様である。現在のみ薬は控えています。

皆さまあけましておめでとうございます。我が家の正月は2日から始まった、勿論早朝7時少し前に家を出て先ずは初日の出に参拝する元旦も快晴でいつもの公園に行く歩道橋上での参拝になるAM7:15頃には日の出である。そしてモジャ君と近くの競馬学校入り口付近にある天神社、この神社は筆者の自宅近くのJRA競馬学校騎手過程の生徒さんが「騎手免許合格祈願」に参詣するそうで、競馬学校との関わりも深いのです。 白井木戸天神社は、菅原道真公を祭る神社です。 創建は、享保15年(1730年)と伝えられています。所謂勉学の神様でもあります。



帰宅後シャワーを浴び朝食の支度ごは食卓に、先ずは冷蔵庫から純米酒を取り出す軽快でなめらかな口当たりとたしかな旨味が特長だそうです、昨年我が家でいただいた日本酒で印象に残ったのが「越後鶴亀 純米」でしたので正月用として取り寄せしました。後味のキレも良く料理を選ばない冷やしても美味しいお酒です、穏やかな歳が過ごせる事を祈り乾杯から始まる。助年は昨年那珂港に行った時冷凍品の鯨のブロックを購入した鯨が食卓に並びお酒とのアテには実に魚と違った旨さを感じた。奥方曰く歳と共にお酒の量は減ったと行っているが、先ずは今年からは揃って後期高齢者に突入でもあった、何よりも健康第一である、モジャ君との毎日の散歩も健康的な習慣であるように思う。

昼からの酒は早めに酔いが回る、しばらくの間休んでから食後の珈琲を淹れ自分の部屋に行き。アンプに火をいれる・・・

バッハ好きの筆者は、当時元旦にライプツィヒでこの曲を作曲し、1725年1月1日に初演したイエスよ、いまぞたたえられん (BWV 41)が正月を飾る曲としては相応しいのであろうが、今回はタンノイユニットが最も上手い具合に鳴る曲を選んでみました。それと昨年の暮れに仕入れたスピーカーFYNE AudioF500とタンノイユニットの聴き比べも兼ねて新春は心新たに好きなベートーヴェン:弦楽四重奏曲から聴き始めた。
一般的には弦楽四重奏曲第14番は高い評価が与えられているベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の中でも、最高傑作の呼び声が高い第14番ではあるが筆者の好みは。作曲年代:1825年初春〜8月初旬「弦楽四重奏第15番 イ短調」Op.132が好きである、作品には次のような解説があります。)当時ベートーヴェンは昼夜を徹して作曲することもあって疲労がたまり、4月半ばごろから床に臥すことが続いて18日にはかつての主治医アントン・ゲオルク・ブラウンホーファー博士に往診依頼の手紙を書いている。ブラウンホーファー博士は投薬と食事療法と十分な睡眠を徹底する治療にあたった。5月になると軽い散歩ができるまでに回復し、いつもの年より早めにバーデンに保養を兼ねて移ることにした。
中断していた「イ短調」四重奏曲の作曲に戻り、第3楽章には「病癒えし者の神への聖なる感謝の歌」と表題したリディア旋法による宗教的敬虔さの漂う美しい音楽を書き上げていたのでしょう。その時期があったからこそ第3楽章の美しい響きが生まれたのですね。その表題や、演奏時間が長さからは、回復したことの喜びが伝わってくるようです。



勿論演奏はドイツのズスケ四重奏団Suske-Quartettを採ります。ズスケは東独エテルナ原盤、1967-1980年ドレスデンのルカ教会での録音、リーダーのカール・ズスケはこの録音のあと、グループを解散します。ズスケはその後名門ゲヴァントハウス四重奏団の第1Vnなどを勤めます、むろんそこで素晴らしい演奏をしたのでしょうが、録音の話は聞かないと言われてます。

Complete String Quartets : Suske Quartet
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集

 Disc6
 ・弦楽四重奏曲第12番変ホ長調 Op.127
 ・弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 Op.131

 Disc7
 ・弦楽四重奏曲第15番イ短調 Op.132
 ・弦楽四重奏曲第16番ヘ長調 Op.135

ズスケ四重奏団 :カール・ズスケ(第1ヴァイオリン)
         クラウス・ペータース (第2ヴァイオリン)
         カール・ハインツ・ドムス (ヴィオラ)
         マティアス・プフェンダー(チェロ)



国内ではズスケ四重奏団の名で活動していたが、外国向けには『ベルリン・シュターツカペレの四重奏団』として、「ベルリン四重奏団」の名が使われているのである。そして更に、1975年にズスケはゲヴァントハウス管弦楽団に出戻る。師であるボッセが指揮者としての活動の多忙などのためコンマスの引退を決意、後任には愛弟子のズスケしか考えられない、という意向だったと思われる。残されたベルリン・シュターツカペレのコンマスにはバッツドルフが就任。ここでも伝統に則りバッツドルフは新団体としてのベルリン四重奏団を創設する。しかし、突然の交代だったためか第一ヴァイオリンのバッツドルフ以外は、ズスケ四重奏団のメンバーが残るのだ。

リーダーだけが違うベルリン四重奏団がここに生まれるのだが、なんと進行中だったベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の録音を完結させるため、1980年までズスケ四重奏団としても並行して活動を続ける異常事態が生まれる。ズスケ本人はゲヴァントハウスのコンマスとして、「ゲヴァントハウス四重奏団」のリーダーの責務がある中での話なのでベルリンとライプツィヒを行ったり来たりの生活を送ったことになる。しかもETERNA録音の大半がドレスデンのルカ教会スタジオである。この時期のズスケはドイツ南北間の大変な移動を毎度の様に行っていた事だろう。1980年にベートーヴェン全集録音を終えると同時に、ようやくズスケ四重奏団としての活動を正式に終了。



今までTANNOY IIILZMonitor Goldでの視聴は弦楽四重奏曲の演奏が最適とは思っていたが、GOODMANS AXIOM 80の箱に移植後色々補修をし修復ごの弦楽四重奏曲の演奏はすこぶる良きなった、最近導入したFYNE AudioF500も手を加え比べては見たが、TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetの奏でる弦楽四重奏の全体の音楽性はF500では決して超えられない深さがあるように感じるこの頃でもある。
古典派の完成とロマン派の創成 したがってベートーヴェンの音楽史における位置付けは、古典派音楽の完成者であると同時に、新しいロマン派音楽の開拓者とされているわけだ。 そう捉えれば、ベートーヴェン後期の作品群はロマン派の音楽だと言っていいことになる。形式よりも感情を重要視する。筆者が感じるベートーヴェンの弦楽四重奏曲はこの3つの曲魅力を感じている。第12番作品127と第14番作品131、そして第15番作品132の3曲である。ブラボー!



今年も人気のないブログもバッハの音楽中心に掲載を続けようと思いですので、ぜひ偶には覗いてみてください。宜しくお願いいたします。

たった20cm程度のスピーカージャンパーケーブルで音が激変するのか?ジャンパーケーブルの自作と取り付け方

2024年12月11日 | クラシック音楽・オーディオ

最近筆者の家に来たFYNE AudioF500である、このユニットで聴くことが多くなっているが、耳障りりな音が出ない音が実に良いのだが、最近少々刺激な音も必要ではないか?と自問する限りである。
この会社FYNE Audioは、名門スピーカーブランドのタンノイに在籍していたエンジニアリング・ディレクター、Dr.ポール・ミルズ氏を含む中核メンバー5人が2017年に立ち上げたブランド。つまり新進気鋭ながら、技術もバッチリあわせ持つ注目の存在なのである。

しかし筆者の記憶が正しければ低域の放射特性を圧倒的に改善するこの様な画像はタンノイ特集で見た記憶が残るがどの雑誌かは記憶が無い、所詮タンノイに所属したメンバーであるので何もいう事はないのだが・・・確かにこの様な小さな躯体での低音の自然な鳴り方は実に良い気分である。



最新の上記タンノイユニットと比べ非常に似た作りにも感じる。音もよく似た音はタンノイの伝統を感じる。

但し古きオールドタンノイと比べFYNE AudioF500はアンプを選ばない点かもしれない、筆者在庫のビクターのパワーアンプの業務用デジパワーアンプに接続しても粗満足する音は堪能できる。
当時TEACとTANNOYが共同開発したと言われる、TEAC MA-7のパワーアンプで鳴らすも先ず先ずの音質は得られる、弦楽器等は愛用する真空管が勝るが音楽全般的に程々のアンプに繋げば程良い音が得られる事は嬉しい。
確かに1980年代に製作した大手アンプメーカー製造の商品は保管状況が良ければ良い音が得られる様で当時其々のメーカーはオーディオには随分力を入れた事が伺われる、今更ながら当時のアンプの完成度は優れてもいた感じがする。



構造的には違うが、確かに音質はタンノイの音質に似た作りにも感じるがこれぞ新しい音作りの特徴の様でもありファイン・オーディオのもう一つの重要な基幹技術、低域の放射特性を圧倒的に改善するBassTrax ™ Tractrix (ベーストラックス・トラクトリックス)ポート・ディフューザーシステムが採用されています。

低域ポートは一般的なバスレフとは異なり、エンクロージャーの底部に下向きに配され、さらにその開口部には亜円錐状のディフューザーを設けるという、この独自のシステムは、ポートから発する垂直プレーン波エネルギーを90°向きを変えて360度に亘る均一な波面に変換します。自然な低域が聴ける構造でもある。


タンノイユニットと違う事はユニットを合わせるウレタンゴムの形状が違いがある、この形状も何か訳はありそうである。
またFYNE AudioF500の前の所有者はスピーカーケーブルの接続はジャンパーケーブルでは接続した事は聞かない、K氏曰くスピーカーケーブルは自分に合うユニットと出会うまでユニットの対面を行い決まり次第ケーブル等は考えたいと話していた。確かにケーブルも大切ではあるが現在は自分に合うユニットを探したいとおっしゃておられた。

色々FYNE AudioF500の取扱を調べると程よいジャンパーケーブルでの結線は良い結果が得られるとの書き込みが多い。しかし既製品も多く掲載されるが想像以上に高額である、自作すると手間が大変で正に手間賃代の様に思えた。

そこで現在愛用するスピーカーケーブルと同等品、QED(キューイーディー)Profile79Strand (白)入手から始める。

今更ながら、現在主有するバックシェルフ型のスピーカーのLS3/5aは随分古い期初の故スピーカー端子にはバイワイヤリング接続は付属していないが、後の3機種は全てバイワイヤリング接続になっているが、今まで付属のプレート式のジャンパーを利用しての接続を行い視聴していたが、ジャンパーケーブルの接続により随分音質が良くなるとの情報があり、一度試してみようと思いオリジナルジャンパーケーブル自作を思い立つ。



構造的には下図のように1つのスピーカーに対して2組のケーブルを接続することを「バイワイヤリング(bi-wiring)」と呼び、音質を高めるテクニックの1つとして知られています。しかし1組でも音が出るのに、あえて2組を用意するのは面倒に感じたり、そもそも音質改善効果に疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか? そこで今回は、バイワイヤリングによって音質が向上する理由を語っていた。本題のバイワイヤリング接続のメリットは、電気的には諸説あるものの、主にウーファーが振幅することによって発電機のように発生する電気(逆起電力)が、一度アンプに戻って受け止められることで、より繊細な電気信号を扱うツイーターに回り込みにくいというものです。
実際の聴感上のバイワイヤリング効果ですが、空間が広く開放的になったり、ボーカルが明瞭で聴きやすくなるなどさまざま。とはいえ、やはりトゥイーターからの再生音がよりピュアでナチュラルになるのは体感できるところといえそうです。



先ずは現在使用のスピーカーケーブルを用意する、QED(キューイーディー) Profile79Strand2m程購入其れと最新のスピーカーの接続はジャンパーケーブル使用が多く対応している様であり、最近のアンプはもちろんアンプも此のジャンパーケーブル接続が多い様です。接続はYラグ端子はオーディオ専用店で購入すると、意外と高額で筆者が選んだ一般的なスズメッキのYラグ端子。Y型プラグ 純銅オーディオ Yプラグにロジウムメッキされた物を選んだ。接続については今まで使用した製品ではロジウムメッキされた商品が塩梅がよく以前からロジウムメッキものを使う様にしています。Monosaudio Yプラグ端子 スピーカー 8枚 スクリューロック Y型プラグ 純銅オーディオ Yプラグ バナナプラグ 6-14Awgスピーカーワイヤー コネクターに最適 導電性 無半田接続 熱収縮チューブ8枚付き オーディオ、スピーカー、サブウーファー、ホームシアター用(ロジウムメッキ)の物を用意した。勿論接続面はピカールで何度も磨きタキロンコートロンで静電気防止を塗布し仕上がりに接点復活剤塗布する。この商品もブラックフライディー商材で25%値引きして頂いた。
尚Yプラグ端子には2本分のケーブルが入るためダブルで製作した。


下の「F500」は純正でプレート式のジャンパーが付いてきますが、これを変えてみたいと思います。

此処で筆者が勝手に思うはスピーカーケーブル等各種ケーブルに付いては単線、依線かに始まり各社に数多くあり、何を使うか戸惑いもあるが筆者について述べれば、最近は価格はそれなりに安価で特に昔から良いと言われたメーカーの物を使いいている一般手にはWEのケーブルが多いが、一時は随分迷い各種メーカーを使ったが、最近は一般的なケーブルを使っています。
一番大切な事は一年に一度の清掃とメンテナンスで接続部分の低調な清掃と接点回復剤等の塗布であろう、暮も迫りこの際電源コンセントを始め、各接続部分の清掃並びに部分のメンテナンスも大切であろう。



交換前にピカールで良く磨き何度も拭き黒い汚れを落とし接点回復剤を塗布し用意を進めた。
プレート式ジャンパーは見た目もすっきりするし安定するのですが、良いジャンパーケーブルに交換することで音色の調整もできますし、よりスピーカーの実力を引き出してあげることができます。

取り付けてみました。
ちょっと長いのですが、ケーブルが細いのでなんとか収まっています。結論からも仕上げますと、この様な小さな改良から音質は向上した事は事実である、プレートジャンパーをお使いの諸兄は一度お試しを・・・


ジャパーケーブルは2本を1本にしハンダ付けしンジで締め取り付けました、音を聴きながら接続は上記写真が一番音質が安定したので暫くこの繋ぎで試みます。

音は中低域にハリが出て、より聴きごたえが増した感じられるようになりました。音色も、こちらの方が自然な印象です。どちらかと言えば更に生っぽい音が聴こえる様な感じになった。
ヴォーカルやピアノに力強さそして奥行きを感じます、筆者の好きなチェンバロは一層輝きを増したよいうに感じました。すくなくとも純正のプレート式のものよりも、さらに音楽性を増した楽しい音色であると言えるでしょう。



特にJ.S.バッハが好きな楽器演奏を・・
バッハは数曲のリュート曲を残しました。というか、後世の研究者がBWV番号を付けるときに「これはリュート曲だ」と判断したものが数曲あります、と言った方が正しいでしょう。というのは、それら「リュート曲」とされる作品の全てが、バッハの自筆譜では鍵盤楽器用の大譜表(右手用と左手用の2つの五線を組にしたもの)で書かれているし、それを筆写した弟子たちの多くは、そもそもリュート曲とは思わずに鍵盤曲と思っていたようなのです。
そんなわけで、バッハ自身はリュートを演奏できなかったようです。それでもバッハはリュートが好きだったので、自分用に特別に「リュートの弦を張ったチェンバロ」を作らせて、その楽器でリュート曲を弾いていたのだそうです。つまり、バッハが残したリュート曲は、そのままチェンバロで弾けるというわけです。だから弾きました。通称「前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV998」(原題は「リュートまたはチェンバロのための前奏曲」)です。



J.S.バッハ: リュート作品全集
 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750): リュートのための作品全集
 リュート演奏:エヴァンジェリーナ・マスカルディ(Evangelina Mascardi)
https://www.youtube.com/watch?v=PmWlMpoLYMk&list=OLAK5uy_kVbufiV3R9H5e9upVigzdv_jxT8-tACyg

【DISC 1】
  1-6. リュート組曲 ト短調 BWV 995
  7-9. 前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV 998
  10. 前奏曲 ハ短調 BWV 999
  11-16. リュート組曲 嬰へ短調(原調: ホ短調) BWV 996
【DISC 2】
  1-6. リュート組曲(パルティータ) ヘ長調(原調: ホ長調) BWV 1006a
  7-11. リュート組曲(パルティータ)ハ短調 BWV 997
  12. フーガ ト短調 BWV 1000
演奏:
 エヴァンジェリーナ・マスカルディ(リュート)
使用楽器:
 13コース・バロック・リュート、ニュージャージーのセザール・マテウス
 1999年、2010年製作
 14コース・バロック・リュート、ニュージャージーのセザール・マテウス
 2020年製作
録音:
 2020年2月29日-2021年5月29日
 アカデミア・モンティス・レガリス、モンドヴィ、クーネオ、イタリア
  DISC1、DISC2 7-12
 2021年9月15日 オルテ司教館、ヴィテルボ、イタリア
  DISC2 1-6

とりあえず全体に上手く鳴る様ではあるが細かなところは試してはないが確かにジャンパーケーブルは手軽に音質アップが期待できそうである。
「楽器の女王」とまで称された優しい音をブエノスアイレスに生まれのエヴァンジェリーナ・マスカルディが奏でるリュート組曲が自然に鳴った。

次は筆者が好きなオルガ・シェップス(Olga Scheps)は、1986 年にロシアのモスクワでユダヤ人の家庭に生まれました。両親はともにウクライナ生まれだそうです。




このケーブルを製作し正月の暇な時間の間に前々から疑問であったSPENDOR S3/5のスピカーケーブルを根菜製作したジャンパーケーブルで繋ぎ音質比べをじっくり実行しようとも思っている、その頃にはエージングも良い塩梅であろう。

翌日この為に注文した新譜が到着、クラシック界の女性スター、オルガ・シェップス(ピアノ) 、 ラファエラ・グロメス(チェロ)2人がタッグを組み、ショパンの夜想曲を新たに演奏。ピアニストのオルガ・シェップスとチェロ奏者のラファエラ・グロメスがタッグを組み、フレデリック・ショパンの伝説的な夜想曲6曲を斬新かつユニークなアレンジで披露。フレデリック・ショパンの夜想曲は、夢見るようなメロディーと豊かなハーモニーの質感が特徴。クラシックピアノのレパートリーの中で不朽の人気曲となっており、音楽を通して感情を呼び起こすショパンの比類ない才能を示している・・・実にこの様な曲の音を狙った様なショパンが堪能出来、実に新鮮でもあった、ブラボー!

久しぶりに聴く諏訪内晶子のヴァイオリン、ブラームスのソナタ演奏に一年を費やし、愛機も弓も変更したヴァイオリンの音を考察する。

2024年10月21日 | クラシック音楽・オーディオ

すっかり秋も深まり近くのモニュメント、コスモス、築山、この3点セットのアングルが犬との散歩に良いコースで、家族で散歩に出かける。コスモスの花は満開で空の色とのコントラストが大変綺麗であった。

今は、注目の石破衆議院解散総選挙で過半数割れが囁かれ日本丸は何処に向かうのであろうか?自民岩盤の政治与党の此れぞ内部粉砕とも呼べる自民崩壊の幕開けなのであろうか?この際薄汚れた石破、岸田は葬り、親中自民議員、親中公明議員を葬りマトモな自民党に変身するチャンスと思われるが如何であろう。

気分も新たに最近新規アルバム購入して気になっていた、ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)は1833年にドイツのハンブルクで生まれた作曲家の考察でもある、一般的にブラームスの「子守歌」はあまりにも有名である、正式には「子守歌 作品49 第4番」として知られているそうです。



クラシック音楽史においてはロマン派に分類され、交響曲のみならず幅広いジャンルで名作を書き残しました。その素晴らしい偉業から、バッハとベートーヴェンと並んでドイツの偉大な作曲家「3大B」の一人に数えられています。
ブラームスと言えば筆者の幼少時代は蓄音機の30センチEP盤にハンガリー舞曲5番は最も人気のある曲の一つとなっています。指揮者は覚えてはないが実にメロディーが覚えやすく何度も良く聴いた記憶がある。
ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームス(1833-97年)は20歳の時、ハンガリー出身のヴァイオリン奏者レメーニの演奏旅行に伴奏ピアニストとして同行しました、管弦楽用に他者によって再編曲された第5番がとりわけ有名であるチャールダーシュとはハンガリーの民俗舞曲のひとつの様式で、超絶技巧の華やかなメロディーや2拍子の小気味良いリズムが特徴だそうです。

 ブラームスは1850年代の前半に、バイオリン奏者のエドゥアルト・レメーニの伴奏者としてドイツ各地で演奏旅行を行った様です。後は中学生になって交響曲1番を聴く様になる。ブラームスはロマン派音楽とは、モーツァルトやベートーヴェンら古典派音楽の次世代に区分される音楽様式。1780年頃から文学や美術の分野において広まった、豊かな想像力による感情・個性・自由の表現を追求するロマン主義の影響を受けたもので、その期間は1820年頃~1900年頃にあたります。純粋に音楽のみで楽曲を構成する「絶対音楽」があります。古典派の楽曲の大半は絶対音楽で、ベートーヴェンの継承者ブラームスはもちろん絶対音楽派でした。ちなみにブラームスは標題音楽派ワーグナーの作品自体は認めていたそうですが、ブラームスの友人であり絶対音楽を信奉する評論家ハンスリックがワーグナーを批判したことをきっかけに、絶対音楽の代表格として標題音楽派(ワーグナー派)から激しい批判を受けるようになりました。これが後世まで語り継がれる、ブラームスとワーグナーの対立の実態だそうです。



筆者も今まで、色々な名指揮者でブラームス交響曲第1番を聴いてきましたが何故か長く途中で飽きてしまい、何故ブラームス:交響曲第1番がベートーヴェン交響曲「第10番」と称されるほど良い曲とも思わず過ごして、その高い音楽性を受け継ぎつつもブラームスの独自性が反映された作品となりました。と言われるまでの納得がいかなかったがこの盤を聴き、やっと曲の良さが分かるようになりました。
1956年時代のカラヤンも良いがシャルル・ミュンシュ指揮が筆者には実に上手い具合に鳴るのである。余り音量を上げず適度な音量でじっくり秋の夜長を楽しむには安心して聴ける音楽でもある。しかしこの時代のカラヤンの演奏も充実した納得できる演奏に改めて驚く時代でもある。



ブラームスは作曲において慎重な性格で、また「偉大なベートーヴェンの後にどんな交響曲を作ればいいのか」と悩みに悩み、完成まで約20年もの歳月を費やしたのだと言われるミュンシュ指揮とパリ管弦楽団のアルバムは貴重でもある、筆者の愛機TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 CabinetはTANNOY IIILZ in Cabinet mkIIと比べ倍に容量1000リットルあり余裕があるMonitor Gold10吋同軸2ウェイのユニットから流れる音は体にズシンとくるような重低音は全く出ませんし、高域だって、そんなに上の方まで伸びていませんのでオーディオを楽しむという方には向かないかもしれないが、音楽愛好家が、しかもクラシック音楽を中心に聴くファンが普通の音量で鳴らすかぎり、すこぶる心地よい音が出ると感じます。しかも三極管の管球アンプを使うと独特の、低域が下のほうに、ゆったりと伸びる感じが、低域が出にくいⅢLZに良い方向に作用すると思うので管球アンプを組み合わせがベストとも思います。

昔プリアンプ部にラウンドネススイッチがあり点灯すると低域が持ち上がったがどうも不自然な音で頂けないが、三極管とⅢLZのマッチングで得られるごく自然に受け入れられる同時の低音の魅力の様で本にも書いてない実際使って聴かないと解明できない、石のアンプでは無理な操作でもある。



切れの良い豪快なダイズムと独特の朗々とした力強い歌、豊かな色彩感覚により、人気のあった巨匠指揮者シャルル・ミュンシュ(Charles Munch)指揮で聴く。

ブラームス:交響曲第1番ハ短調 作品68
 第1楽章 Un poco sostenuto-Allegro 
 第2楽章 Andante sostenuto
 第3楽章 Un poco allegretto e grazioso
 第4楽章 Adagio-Piu andante-Allegro non troppo
パリ管弦楽団 シャルル・ミュンシュ(指揮)
 録音時期:1968年1月8,12日(ステレオ)
 録音場所:パリ、サル・ワグラム プロデューサー:ルネ・シャラン エンジニア:ポール・ヴァヴァスュール



シャルル・ミュンシュ(Charles Munch)指揮者。1891年フランスストラスブール(当時ドイツ領)生まれ。1968年没。音楽一家に生まれる。プフィッツナーに作曲を師事し、パリ音楽院ではカペーにヴァイオリンを学ぶ。26年にゲヴァントハウス管のコンサートマスターに就任、31年に指揮者としてデビュー。38年からパリ音楽院管の常任となり、49年から13年間ボストン響の常任、67年に新設パリ管の初代音楽監督に就任する。ドイツ音楽も得意としたが、フランス近代作品に定評があった。
パリ管弦楽団、1967年パリに設立されたフランスのオーケストラ。本拠地はサル・プレイエル。力強く、情熱に満ちた内容で、『幻想』と並ぶミュンシュ/パリ管弦楽団不滅の名演奏です。

その後ブラームスが残した3曲のヴァイオリンソナタのうち、明朗な響きが印象的な第2番に対して、友人の音楽学者カール・フェルディナント・ポールの訃報を受け取って作曲した第3番はほんのりと暗く、人の一生のはかなさへの諦観すら感じさせます。同じく晩年の代表曲である交響曲第4番も、ヴァイオリンがため息のような音色を奏でる冒頭部分を筆頭に、作品の隅々まで哀愁に満ちたロマンティシズムが漂っています。
このように自然とにじみ出る作曲家自身の心情を、仰々しくならず自然体かつ淡々と奏でているところもまた、ブラームスの楽曲ならではの魅力。ロマンティックなメロディなのにどこか陰りのある音楽は、日本の美意識の一つ “わびさび”の世界にどこか似ていて、ずっと静かに聴き入っていたくなるほど心に染みることでしょう。



ブラームスは、恩師シューマンの死後、クラ ラ・シューマンと恋にも似た友情を育みな がら、シューマン家と親密な交流を続けました。 とりわけ、シューマンが精神病院に収容された 直後に生まれた末っ子のフェリクスは、ブラー ムスが名付け親となり、わが子のようにかわい がったそうです。父親似のフェリクスは、ヴァイ オリンをたしなみ詩作に耽りました。ブラーム スは 1873 年(フェリクス 19 歳)のクリスマス に、フェリクスの詩による歌曲「ぼくの恋は緑」 Op.63―5 を贈っています。クララは手紙にこう 書いています。「彼に何も告げず、私たちが弾き、 歌い出しますと、フェリクスは誰の歌かと尋ね、 自分の詩を見ると蒼白になりました。あの歌も そして終わりのピアノの部分もなんと美しいの でしょう!」 フェリクスは結核を患って床に伏しがちにな り、ヴァイオリニストになる夢も断念、24 歳の とき急激に病状を悪化させます。衰弱するフェ リクスを前に「この病気は最も残酷なもので、ど うしてやるわけにもいかず、言葉もなく見てい るよりほかはないのです」と心痛をしたためる クララ。ブラームスは、作曲中のヴァイオリン・ ソナタ第1番の第2楽章の冒頭の譜面ととも に、こう書き送りました。「あなたが裏面の楽譜 をゆっくりと演奏されるなら、私があなたとフェ リクスのこと、彼のヴァイオリンのことをどれほ ど心底思っているのかをあなたに語ってくれる でしょう。でも彼のヴァイオリンは鳴り響くの を休んでいます―」そして、フェリクスは 1879 年 2 月に 24 歳の若さで天に召されました。 その年の夏、ブラームスからクララのもとへ ヴァイオリン・ソナタ第1番が贈られました。

 第3楽章のテーマには、6年前の誕生日に贈ら れた大好きな歌曲「雨の歌」の旋律が使われてい ます―「雨よ降れ、もう一度呼び覚ましてくれ、 子どもの頃のあの夢を―」と、雨の日に幼い頃の 思い出に浸るクラウス・グロートの詩です。そ して、闘病中のフェリクスとクララに贈った第 2楽章のいたわりの旋律が、第3楽章の終盤で 優しく回想され、その断片が「雨の歌」の流れる ような伴奏と重なり合う―これは、フェリクス の愛したヴァイオリンの奏でる、フェリクス追 憶の音楽なのです!「私の心はあなたへの感謝 と感動に高鳴っております。そして心の中であ なたの手を握ります。」「このような音楽こそが、 私の魂の最も深く柔らかいところを震わせま す!」クララは、この曲を(フェリクスのいる) 天国に持っていきたいと語りました。
独身のまま生涯を終えたブラームスには、長年想いを抱き続けた女性がいました。彼の才能を見出した恩人シューマンの妻クララです。20歳の頃、シューマンの元に出向いて自作のピアノ曲を披露したブラームスは、それからも足しげく通ううちに14歳年上のクララへの想いを募らせていったのです。ブラームスはその好意を何度も手紙に記し、クララも案外まんざらではなかったそうですが、結局クララが理性を重んじたため二人の愛は成就しませんでした。こうした報われない想いに胸を焦がしていくうちに、ブラームスの音楽には情熱と諦念が入り混じった独特のロマンティシズムが形作られたのでしょう。
そんなブラームスの想いは、作曲家個人の感情や感性を自由に表現するというロマン主義的な手法として、彼の楽曲に幾度も投影されています。有名なものだと、交響曲第1番の第4楽章。ある時ブラームスは旅先からクララの誕生日を祝う手紙を送り、その手紙に短いメロディも添えたのですが、これとよく似たメロディが第4楽章の序奏の終盤でホルンによって奏でられているのです。また、深く陰影に富んだメロディが印象的な弦楽六重奏曲第1番の第2楽章を気に入っていたブラームスは、世界的ピアニストだったクララのためにピアノ独奏用に編曲し、誕生日にプレゼントしています。
クララへの愛が実ることはありませんでしたが、1854年にシューマンが自殺を図ってその2年後に亡くなってからは、子だくさんだったクララを献身的に支え、家族ぐるみで交流を深めていきました。彼女の息子フェリックスが25歳という若さで亡くなった時は、当時作曲していたヴァイオリンソナタ第1番の第2楽章に葬送行進曲を挿入していて、ブラームスがいかにクララとその家族を大切に思っていたかが分かります。ちなみに同曲は、ブラームスがクララの誕生日にプレゼントした歌曲「雨の歌」がモチーフになっています。
このようにクララのことを一途に愛する一方で、報われぬ想いが辛かったのか、実はブラームスは恋多き人生を送っていたのです。なかでも、大学教授の令嬢アガーテ・フォン・ジーボルトとは婚約を結ぶまでに至りました。彼女との交際時期に作曲した弦楽六重奏曲第2番には、音楽の棋譜法で「A-G-A-D-E(アガーテ)」となる音型があり、熱烈な恋心が表現されています。まさにロマン派の作曲家ブラームスの面目躍如ですね。また、映画『さよならをもう一度』に引用された第3楽章の美しいメロディが有名な交響曲第3番も、20歳以上年下のアルト歌手ヘルミーネ・シュピースへの恋愛感情が曲に影響を与えたと言われています。
そんな情熱的な恋の数々も、クララへの想いを断ち切れなかったのかいずれも長続きせず、アガーテとの婚約も解消となりました。結局ブラームスは“よき友人”という距離感でクララに寄り添う道を選択。1896年にクララが亡くなると、その1年後、後を追うかのようにこの世を去ったのです。



その後TANNOY好きの五味康祐が絶賛した、北イタリア人気質のデ・ヴィートのヴァイオリンは、情熱を外面に出しすぎることはなく、知的に抑制された情熱であり、歌である。彼女はブラームスの重要なヴァイオリン作品はほとんど録音しているが、それらがことごとく第一級の名演ぞろいである。最高のブラームスひきであったエドウィン・フィッシャーと共演した第一番と第三番のソナタはデ・ヴィート47歳の録音。枯淡の域にあるフィッシャーとの呼吸はよく合っており、音楽的な噛み合いと融合性は見事だ。ジョコンダ・デ・ヴィートの録音遺産の中でもブラームスの3曲のヴァイオリン・ソナタは、彼女の資質に最も似合った、名演中の名演として知られています。その演奏を、演奏者の息づかいが間近に聴き取れるような音質で復刻しました。

また、解説書にはデ・ヴィートの引退直後に行われたインタビューも掲載しています。現役時代の苦悩、早すぎる引退(50代半ば)の理由、引退後の生活などを切々と語っています。もともとデ・ヴィートの取材記事は非常に少なく、たいへんに貴重な資料です。この様な曲にはMonitor Gold10吋同軸2ウェイのユニットと管球アンプ独特の、低域が下のほうに、ゆったりと伸びる感じが、実に相性の良さを発揮します。

ブラームス : ヴァイオリン・ソナタ集 / ジョコンダ・デ・ヴィート、エドウィン・フィッシャー、ティト・アプレア
(Brahms : Violin Sonata No.1-3 / Gioconda de Vito , Edwin Fischer , Tito Aprea)

【曲目】
ブラームス:
 1.ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調「 雨の歌」Op.78
 2.ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.100
 3.ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108

【演奏】
 ジョコンダ・デ・ヴィート(ヴァイオリン)
 1.3.エドウィン・フィッシャー(ピアノ)
 2.ティト・アプレア(ピアノ)

【録音】
 1.1954年5月11&12日、2.1956年3月29日、3.1954年10月18-20日/ロンドン、アビー・ロード・スタジオ
 録音方式:モノラル(録音セッション)

ジョコンダ・デ・ヴィートの録音遺産の中でもブラームスの3曲のヴァイオリン・ソナタは、彼女の資質に最も似合った、名演中の名演として知られています。その演奏を、演奏者の息づかいが間近に聴き取れるような音質で復刻しました。また、解説書にはデ・ヴィートの引退直後に行われたインタビューも掲載しています。現役時代の苦悩、早すぎる引退(50代半ば)の理由、引退後の生活などを切々と語っています。もともとデ・ヴィートの取材記事は非常に少なく、たいへんに貴重な資料です。
この作品以外は有名な演奏者が揃って作品作りしているが可成り古い作品ではあるがこの作品を超える演奏は中々見当たらない様にも感じた、



諏訪内晶子
1990年史上最年少でチャイコフスキー国際コンクール優勝。これまでに小澤征爾、マゼール、デュトワ、サヴァリッシュらの指揮で、ボストン響、フィラデルフィア管、パリ管、ベルリン・フィルなど国内外の主要オーケストラと共演。BBCプロムス、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン、ルツェルンなどの国際音楽祭にも多数出演。2012年、2015年、エリザベート王妃国際コンクールヴァイオリン部門および2019年チャイコフスキー国際コンクール審査員。2012年より「国際音楽祭NIPPON」を企画制作し、同音楽祭の芸術監督を務めている。デッカより14枚のCDをリリース。

2020年諏訪内晶子はヴァイオリンを20年来の〝相棒〟だったストラディヴァリウスの「ドルフィン」(1714)からグァルネリ・デル・ジェズの「チャールズ・リード」(1732)に替えた「チャールズ・リード」との出会いが訪れたのは、2020年2月、演奏会で渡米していた際のこと。諏訪内氏が新しい楽器を探しているということを聞きつけた知人にウエノ氏を紹介されて渡米、貸与されるに至ったのだという。



楽器に合わせて新たに手に入れたドミニク・ペカットの弓、楽器が替わると、もちろん合わせる弓も替わる。諏訪内氏は「チャールズ・リード」に合わせて、演奏会用の弓を新調した。『ドルフィン』のときに使っていた弓は、フランスのフランソワ・グザヴィエ・トルテ(1747〜1835)という、ちょうどモーツァルトと同時代に弓の製作をしていた人のもの。トルテの弓は倍音を上手に引き出してくれるのです。一方、今は同じくフランスのドミニク・ペカット(1810〜1874)の弓を使っています。トルテで『チャールズ・リード』を弾くと、いまひとつ良さが引き出せる感じがない。弓が違うだけで、違う人が弾いているかと思うくらい音が違うのも面白いですね。弓もヴァイオリンと同じで、19世紀の作者による希少な弓は数が限られています。弓は楽器と違って消耗品なので、私がペカットの弓を使うのは演奏会や録音時のみです」新たな楽器と弓を得て、昨年から気分も新たに演奏会活動をスタートさせている諏訪内氏だが、これまで弾き慣れた曲を新しい楽器で演奏するのはどんな気分かと尋ねると、「全然感覚が違って、本当に楽しい」という答えが返ってきた。



諏訪内晶子がブラームスのバイオリン・ソナタ録音…スリリングな個性派との共演、準備に1年「まず音楽を仕上げていく際の時間のかけ方が違うので、そこを合わせるのが大変でした。さらにお互い言葉では説明せず、演奏しながら共通点を探るので、ものすごく時間がかかる」だが、録音はそのようなプロセスを感じさせない。潤い豊かなバイオリンにピアノがぴったり寄り添い、手を取り合って進んでいく。バイオリン・ソナタ第1番では、一貫して朗々と流れ続ける音楽に見事な構築性が与えられている。「そういう時、彼のピアノは多彩な響きを武器に一つひとつの音に意味を与え、とても繊細に音楽を作っていく」。準備に時間をかければかけるほど音楽は深みを増していく好例だ。「これほど長い時間、意見の異なる音楽家と共同作業をしたことはなかった」と振り返る。時にぶつかることもあったが、「良い音楽を作りたい」という思いは一致していたという。これこそ室内楽の理想像ではないだろうか。ピアニストを務めるのは、米国人のオライオン・ワイス。「室内楽の経験が豊富でボジャノフとは異なるタイプの人。録音とはまた違う演奏になるでしょう」。彼女のバイオリンがどう異なる表情を見せるのか楽しみだ。



諏訪内晶子 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ集
現代を代表するヴァイオリン界の逸材、諏訪内晶子。ヒットを記録した『J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(全曲)』から2年半ぶりとなるニュー・アルバム。今回はピアニストのエフゲニ・ボジャノフを迎えて、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番~第3番に挑戦。2023年10月に独デュッセルドルフのロベルト・シューマン・ザールにて、前作でも使用した1732年製のグァルネリ・デル・ジェズ「チャールズ・リード」を用いて録音と記されていた。
【曲目】
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ集 第1番 ト長調 作品78 《雨の歌》
 1. 第1楽章:Vivace ma non troppo
 2. 第2楽章:Adagio
 3. 第3楽章:Allegro molto moderato
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ集 第2番 イ長調 作品100
 4. 第1楽章:Allegro amabile
 5. 第2楽章:Andante tranquillo - Vivace
 6. 第3楽章:Allegretto grazioso (quasi Andante)
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ集 第3番 ニ短調 作品108
 7. 第1楽章:Allegro
 8. 第2楽章:Adagio
 9. 第3楽章:Un poco presto e con sentimento
 10. 第4楽章:Presto agitato

 諏訪内晶子(ヴァイオリン)
 エフゲニ・ボジャノフ(ピアノ)
 録音:2023年10月 デュッセルドルフ、ロベルト・シューマン・ザール

現代を代表するヴァイオリン界の逸材、諏訪内晶子。ヒットを記録した『J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(全曲)』から2年半ぶりとなるニュー・アルバム。今回は初共演となる奇才ピアニストのエフゲニ・ボジャノフを迎えて、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1 番~第3 番に挑戦。2023年10 月にドイツ・デュッセルドルフの「ロベルト・シューマン・ザール」にてレコーディングを敢行しました。



諏訪内の使用楽器は1732 年製のグァルネリ・デル・ジェズ「チャールズ・リード」。そしてボジャノフはシゲルカワイのグランドピアノ「SK-EX」を用いて録音。“良い音楽を創りたい”という強靭な意志のもとに生まれた、唯一無二の奥深さを感じさせる作品です。
ブラームスの雨の歌の背景を知るとブラームスがクララ・シューマンを愛していたことは有名な話ですが、「雨の歌」は、もともとクララの誕生日にプレゼントした歌曲でしたと言われるその6年後、ブラームスが名付け親になっていたシューマンの末子、フェリックスが病気で亡くなってしまいます。 そのことがきっかけになって「ヴァイオリンソナタ第1番」は生まれたのです。



勿論早めに引退したジョコンダ・デ・ヴィート/エドウィン・フィッシャーも実に良い演奏ではあるが、最新の録音で益々円熟になった諏訪内晶子の演奏は素晴らしく感じた、表情は控えめですが、節回しやフレージング、ヴィブラートのかけ方など何ともいえない気品があります。
記憶に残したいアルバムの様に感じますが・・・ブラボー!

秋の夜長に聴くは、カール・ズスケのヴァイオリン演奏でバッハとベートーヴェンを考察する。

2024年09月23日 | クラシック音楽・オーディオ

秋分の日も過ぎやっと秋らしい季節が来た様である、今年早々地震被害に遭われた能登半島地方が記録的豪雨被害が甚大とのニュースが報道され被害に遭われた方には一刻も早い生活が戻れるよう心からお祈りします。

全く興味も無い岸田退任後の自民党総裁戦関係がニュースを賑わすが、ゴミ袋問題で名を下げた小泉進次郎氏の雲行きが最近益々怪しいようで、YouTubeを賑わしている様で紹介でする、昔から火のない所に煙は立たずと言われるが一応参考程度に紹介するのでお暇な方は一読していただきたい。アンダーラインのクリックでYouTubeに移動しますのでご覧ください。

ガラガラポン新聞、滝川クリステルが大物俳優との"不倫"発覚の真相

 滝川クリステルの華麗なる人生 

小泉進次郎が報道ステーションの公開処刑後から人気急落..."

何もこの様な状況下において立候補する側もされる側も問題多き事があり、日本の将来を見据えて国民が平和で安定した国家となる日本を目指して候補がいるのかが疑問だ、最低でも親中議員等は問題外で削除するべきであろう。



早朝は小雨に見舞われ早朝からモジャ君と散歩に行くが途中雨脚も強くなり、一時歩道橋の下で雨宿りをしながら戯れていると半刻にて小降りになり、自宅に戻った。勿論シャワーを浴びモジャ君の濡れた毛を乾かし、散歩後の「おやつ」を与える。この様な季節になると美味しい珈琲が飲みたくなり、早速い何時もの珈琲豆を計量し豆を挽き珈琲をドリップする、美味しい珈琲の淹れ方を簡単医に紹介します・・・

1.豆を正確に軽量し、挽いた豆を使い、挽いたカスはよく削除する
2.お水は出来るなら鉄分の多いお湯を使い珈琲を淹れる温度に注意個人的には75度前後にしてから淹れる。
3.なるべくお湯の落としはゆっくり初めは必ず少しお湯を落とし蒸らし時間は重要。
4.後はなるべくゆっくりお湯を落とし、最後は全てのお湯は落とさず、フィルターに残ったお湯がドリップ毎廃棄し、珈琲茶碗は充分保温捨て茶碗に注ぎ頂く。

後はシュガー、ミルクは入れないで抽出したドリップコーヒーそのまま頂く筆者の淹れ方の順である。

珈琲独自の美味しいそうなにおいが部屋に広がる、淹れたての低音の珈琲を頂きながら先日も紹介したズスケ四重奏団(Suske-Quartet)のアルバムを探し聴き始める。特にカール・ズスケのヴァイオリン演奏の自然な弦音には実に良き鳴りっぷり聴かせ全く古さは感じない落ち着いたバッハの演奏を感じた。



ズスケ四重奏団(Suske-Quartett)ベルリン弦楽四重奏団は1965年、当時ベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターだったカール・ズスケを中心に首席奏者たちによって組織されました。1966年、ジュネーヴ国際コンクール2位(1位無し)を獲得、たちまち旧東ドイツを代表する弦楽四重奏団に成長。東ドイツ国内では一貫してズスケ四重奏団(ドイツ語表記のSuske-Quartett)を名乗って活動しましたが、国外でのツアーやLPレコードではベルリン弦楽四重奏団(英語表記のBerlin String Quartet)の名称で活動しました。1977年9月にカール・ズスケがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターに転出すると、リーダーはヴォルフ=ディーター・バッツドルフに交代し、団体名もドイツ語のBerliner Streichquartett(ベルリン弦楽四重奏団)を名乗るようになりましたが、ズスケをリーダーとした録音は1980年まで継続し、有名なベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を完結させています。高い評価が与えられているベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の中でも、最高傑作の呼び声が高い第14番である。ベルリン弦楽四重奏団1965年、当時ベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターだったカール・ズスケを中心に首席奏者たちによって組織された。1966年、ジュネーヴ国際コンクール2位(1位無し)を獲得、たちまちドイツを代表する弦楽四重奏団に成長した。



またカール・ズスケ(第1ヴァイオリン)奏者はKarl Suske (カール・ズスケ)。ドイツの男性ヴァイオリニスト。1934年3月15日生まれ。
チェコスロヴァキー州ライヒェンベルク出身。幼少期に父フランツ・ズスケからヴァイオリンの手ほどきを受け、ライヒェンベルクの市立オーケストラで第2ヴァイオリンを演奏していた。第二次世界大戦後、家族とともにグライツ(テューリンゲン州)に移住し、ススケはヴァイオリンのレッスンを再開した。1947年に、グライツで育ったワイマール大学の教師でヴァイオリニストのゲルハルト・ボッセの下で学んだ。1951年にボッセがヴァイオリン教授とMDRライプツィヒ放送交響楽団の第一コンサートマスターとしてライプツィヒに移ったとき、ズスケも同行した。1954年の卒業後、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの第一首席ヴィオラ奏者、後にコンサートマスターに就任した。1962年にはウンター・デン・リンデン国立歌劇場の第一コンサートマスター、1977年にはクルト・マズアの要請でライプツィヒに戻り、ゲヴァントハウス管の第一コンサートマスターに就任した。同時に、バイロイト音楽祭オーケストラのコンサートマスターを1991年から2000年まで9回務め、東京のNHK交響楽団からも繰り返しゲストコンサートマスターを務めた。1951年、師であるゲルハルト・ボッセが新たに結成した弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として入団した。



1955年には伝統あるライプツィヒ・ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者にも就任した。1965年にベルリンでクラウス・ペータース(ヴァイオリン)、カール・ハインツ・ドムス(ヴィオラ)、マティアス・プフェンダー(チェロ)とともに「ズスケ弦楽四重奏団」(後にベルリン弦楽四重奏団)を結成し、ヨーロッパ、アメリカ、日本への客演を行い、ドイツ民主共和国の室内楽界で重要な役割を果たした。1970年、四重奏団は、「国の文化遺産の作品の見事な解釈とドイツ民主共和国の社会主義音楽創造への貢献に対して」ドイツ民主共和国の国家賞を授与された。1980年にレコード・レーベルのエテルナでベートーヴェンの弦楽四重奏曲を全曲録音し、弦楽四重奏団は解散した。

今回はクルト・マズア(指揮)ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるバッハの演奏で、「ドイツ・シャルプラッテンETERNAの芸術」 エテルナのオリジナル・サウンドに最も忠実な音! 第4弾はカール・ズスケによるバッハ協奏曲集と無伴奏、ソナタ&パルティータのこのJ.S.バッハ:バイオリンパルティータBach - Violin Partita No.2 〜Chaconneは皆が絶賛するChaconneは当然良いが筆者はViolin Partita No.3〜Preludioはお気に入りで実に真面目な素晴らしい演奏であると思うのです。


特にこのJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲に着いては筆者が良く家族にお願いすることは、死んだら骨にして海に沈めてくれと頼んでいる。この曲のアダージョを聴くと思うはあくまでも透明な海水の静かな海の中でゆったり揺れ、波と戯れる光景を思い浮かべ、正に死後の世界を漂う筆者を思い浮かべる様である、それほどまでズスケの弦の音は好感が持てる。



【Disc 1】
 ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 BWV1041
 ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042
 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043
 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ
  ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
  パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002
【Disc 2 】
  ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
  パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004
  ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005
  パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006
[協奏曲]
  カール・ズスケ(ヴァイオリン)
  ジョルジオ・クローナー(ヴァイオリンⅡ)
  ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
  ワルター・ハインツ・ベルンシュタイン(チェンバロ)
 クルト・マズア(指揮)
 録音日:1977年4月21~23日、1978年12月11~12日
 録音場所:ライプツィヒ・パウル・ゲルハルト教会
 [無伴奏]
 カール・ズスケ(ヴァイオリン)
 録音日:1983年(BWV1001/1002)、1985年(BWV1003/1004)、1988年(BWV1005)、1987年(BWV1006)
 録音場所:ルカ教会スタジオ、ドレスデン

秋の夜長に楽しむは彼の実力が遺憾なく発揮された、深い奥行きと精神性を感じさせる演奏です。確かに10吋の名品ユニットIIILZ Monitor Goldを組み込んだエンクロージャーで聞くも十二分納得される音室と思うが確かに色々の名演奏を聴く中でも一際群を抜く纏まりとバッハゆかりのライプツィヒで育まれてきた演奏様式が豊かに結実したズスケの名盤が最高音質で蘇る音は実に優れた演奏でもある。



ここで筆者愛用のTANNOYについて述べる、兎に角音質的に優れた点は弦楽器の響きが大変よろしく、ボーカルの甘い響きは、このユニットを鳴らすツボさえ捕まえれば他のユニットでは味わえない魅力的がわかるはずだ。

特にカメラレンズに於いても同じですがここでいう「ヴィンテージ」は単に古いという意味であって、厳密にいつ頃のというものは無い様ですが、TANNOYの10吋については、発売当時の搭載ユニットはMonitorRED(ⅢLZ)、2代目1967年発売MonitorGOLD(ⅢLZmk2)、3代目1974年発売HPD295として販売した様ですがやはりオールドタンノイを語るならば、誠に残念なことに音質の要であったコーン紙工場が全焼により再起不能かと言われたが、薄手の西ドイツ・クルトミューラー社製コーン紙を使用できるように再設計された新型ユニットがⅢLZ in cabinetである。
現代タンノイの源流といっても過言ではないこのIIILZには10インチのモニターゴールドというスピーカーユニットが組み込まれています。むしろこれ以降はヴィンテージタンノイじゃない、という人も多いそうです。筆者に使用するTANNOYの10吋は2代目ⅢLZmk2を使用中である。



本日現在使用するメインアンプのサブ真空管6BM8を松下製から日立製に変更して聴くがヴォーガルは日立製に変えた途端にしっかりした落ち着いた声に安定感が増した、以前このミニ管は色々買い揃えたので予備は充分あるのですが、其々セットで揃えて保管しなければならず不精者の筆者には苦手な作業でもある。
ある程度時間が経過しれば、接点回復剤での洗浄は効果的でもある。

本国のETERNAオリジナル・アナログテープより新規で復刻。1977年と翌年にマズア指揮でETERNAレーベルへ収録されたカール・ズスケ(1934.3.15-)によるバッハのヴァイオリン協奏曲集を世界初SACD化で復刻されたアルバムは手放せない。ライプツィヒで培われてきたバッハ演奏の伝統様式を感じさせるズスケの代表的な録音のひとつとして非常に評価が高い正に名盤です。
確かにこのアルバムは筆者の以前から持つHPD295ユニット装着のTANNOY IIILZ in Cabinetでも良い音はしたのですが現在使用するTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetと比べ品位、自然な音の表現が違い、実に上手い具合に鳴る音かも知れない。確かに以下の様な解説があるので参考にしてください。



全盛期のエテルナのアナログ・レコードの音を限りなく再現すべく、オリジナル音源から新規デジタル・マスタリングした、キングインターナショナルのシリーズ「ドイツ・シャルプラッテンETERNAの芸術」。第4弾は、室内楽の名手カール・ズスケによるバッハ作品集。彼の実力が遺憾なく発揮された、深い奥行きと精神性を感じさせる演奏です。引き続き企画監修は、ヴィンテージレコードショップ「エテルナトレーディング」の店主で、日本にETERNAのレコードを流布させた"仕掛け人"でもある高荷洋一氏。特に今回は、「無伴奏」のオリジナルがデジタル・マスターのため、よりアナログ・レコードに忠実な音質を目指すべく、丁寧にマスタリングを行いました。また解説書には、カール・ズスケの音楽性とその周辺についてより深く追求した、カール・ズスケの音の秘密落ち着きある安定した音が聴こえ安らかな眠りを誘う様でもある。

伝統あるズスケ弦楽四重奏団を聴くにはやはり欧州のスピーカーがとの相性が良いが、この様な音楽を視聴するは、いくら最新のエンクロージャーを使えど駆動するアンプは真空管使用が上手くなる様だが、最新のスピーカーは能率の悪いものありその辺りのバランスさえ合えば球のアンプを薦める。



当時ベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターだったカール・ズスケを中心に首席奏者たちによって組織されました。1966年、ジュネーヴ国際コンクール2位(1位無し)を獲得、たちまち旧東ドイツを代表する弦楽四重奏団に成長。東ドイツ国内では一貫してズスケ四重奏団(ドイツ語表記のSuske-Quartett)を名乗って活動しましたが、国外でのツアーやLPレコードではベルリン弦楽四重奏団(英語表記のBerlin String Quartet)の名称で活動しました。1977年9月にカール・ズスケがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターに転出すると、リーダーはヴォルフ=ディーター・バッツドルフに交代し、団体名もドイツ語のBerliner Streichquartett(ベルリン弦楽四重奏団)を名乗るようになりましたが、ズスケをリーダーとした録音は1980年まで継続し、有名なベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を完結させています。高い評価が与えられているベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の中でも、最高傑作の呼び声が高い第14番である。
改めてルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)は、ドイツの作曲家、ピアニスト。音楽史において極めて重要な作曲家の一人であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。ベートーヴェン好きの筆者にはベートーヴェン弦楽四重奏曲全集(7CD)ズスケ四重奏団のアルバムがある。

この録音には、1970 年代に人気が最高潮に達し、ベートーヴェンの録音が音楽生活の要であったドイツの四重奏団、ズスケ四重奏団が参加しています。このグループのオリジナル ラインナップは、ベートーヴェンの曲で始まり、終わりました。70 年代に録音され、その壮大さと古さをまったく失っていないこの録音は、優れたアルバムです。



ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集
Disc1
 弦楽四重奏曲第1番ヘ長調 Op.18-1
 弦楽四重奏曲第2番ト長調 Op.18-2
 弦楽四重奏曲第3番ニ長調 Op.18-3
Disc2
 弦楽四重奏曲第4番ハ短調 Op.18-4
 弦楽四重奏曲第5番イ長調 Op.18-5
 弦楽四重奏曲第6番変ロ長調 Op.18-6
 弦楽四重奏曲のためのメヌエット 変イ長調 Hess 33
Disc3
 弦楽四重奏曲第7番ヘ長調 Op.59-1『ラズモフスキー第1番』
 弦楽四重奏曲第8番ホ短調 Op.59-2『ラズモフスキー第2番』
Disc4
 弦楽四重奏曲第9番ハ長調 Op.59-3『ラズモフスキー第3番』
 弦楽四重奏曲第10番変ホ長調 Op.74『ハープ』
Disc5
 弦楽四重奏曲第11番ヘ短調 Op.95『セリオーソ』
 弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 Op.130
 大フーガ 変ロ長調 Op.133
Disc6
 弦楽四重奏曲第12番変ホ長調 Op.127
 弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 Op.131
Disc7
 弦楽四重奏曲第15番イ短調 Op.132
 弦楽四重奏曲第16番ヘ長調 Op.135
ズスケ四重奏団
 カール・ズスケ(第1ヴァイオリン)
 クラウス・ペータース(第2ヴァイオリン)
 カール・ハインツ・ドムス(ヴィオラ)
 マティアス・プフェンダー(チェロ)
録音時期:1967~1980年
録音場所:ドレスデン、聖ルカ教会
録音方式:ステレオ(セッション)
原盤:Berlin Classics

第9番作品47イ長調は、1803年に作曲されたピアノとヴァイオリンのためのソナタで、「クロイツェル・ソナタ」の呼び名で知られており、その技術的な難易度の高さと異例ともいえる長さ、規模が大きく非常に風格があるという特徴を持っています。
全盛期のエテルナのオリジナル・アナログ・レコードの音を限りなく再現すべく、マスターテープから新規デジタル・マスタリングした、キングインターナショナルの新シリーズ「ドイツ・シャルプラッテンETERNAの芸術」第2弾は、ズスケ四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集。引き続き企画監修には、ヴィンテージレコードショップ「エテルナトレーディング」の店主で、日本にETERNAのレコードを流布させた“仕掛け人”でもある高荷洋一氏を招き、最大限アナログ・レコードに忠実な音質を目指すべく、徳間より受け継ぎ、キングレコードに保管されているマスターテープからSACD用に通常の3倍の時間をかけマスタリングを行いましたとの詳細がありました。



有名なドレスデン・ルカ教会での録音だが、残響がほどよく、このあたりはマスタリングのうまさだろう。つい耳をそばだててしまう。分解能が高くなっているのだろう、それもあって演奏がいちだんと魅力を増していることはまちがいない。ズスケとメンバーが奏でる美しく清潔な音は、あるときは艶やかでたおやかに、またあるときは力強く激しく、またあるときはさびしく悲しく、聴き手にせまってきて演奏に夢中になってしまう。

タンノイ2代目1967年発売MonitorGOLD(3LZmk2)のエッジはコーン紙がそのままエッジとして使われているフィックスドエッジです。 
以降はHPDと呼ばれるユニットに変わりこちらも素晴らしいものには変わりませんが、やはりオールドタンノイを語るならば、コーン紙が工場火災によりクルトミューラー社製に変わる前のこの時代のユニットは良い製品と思いますヴィンテージと言われるタイプはMonitorGOLDに使われたユニットです。特に弦楽器での再現は特に素晴らしい音を聴かせていただきたます。

若干ハイ上がり気味ですがコントロールの高音を抑えてきけばこれが実に格調高い音質になります。モノーラルで聴けば尚宜しい兎に角Op.131は是非お勧めする、但し此れは間違いなく真空管アンプで聴くべきであろう。安価な真空管でも素直に演奏に浸れる音がします。フレーズごとの表現が実に豊かで、飽きのこない演奏です。勿論テンポも適切だと思います。聴いている瞬間瞬間で音楽を聴く喜びを味わえる素晴らしい演奏だと思います。
60年代のADD録音で,古いですがかえって艷やかな印象は好みです。少し残響が多すぎるかが気になることもある、しかし4人の奏者それぞれの音がしっかり聞こえて、対話しているようでフレーズごとの表現が豊かで、飽きのこない演奏です。テンポも絶妙である。まるで拙宅のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetは水を得た魚のように鳴るのである。ブラボー!