伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

今年は武漢風邪には柚子湯に浸かりノンビリ過ごす。柚子湯の歴史を紐解く。締めはヘンデル/ヴァイオリン・ソナタ

2020年12月28日 | クラシック音楽・オーディオ

今年は柚子の成り歳か・・・・? ご近所より柚子をいただき、又同時に親戚からも柚子を送っていただき今年は冬至の風呂が毎日楽しめそうです。冬至から柚子湯は本日で連続5日目である、毎年恒例のクリスマス関係で24、25日は連続仕事で朝帰り、帰宅して柚子湯に入り、柚子の砂糖漬けに焼酎を多めに入れサワーで頂き就寝疲れの為か・・・・爆睡。
この時期本来の調子を戻すには2日間程を要する、実に疲労困憊のクリスマスの毎年の恒例行事は卒業したいものす。
勿論本日も朝10時頃に起床し風呂のお湯を沸かし、柚子湯に入浴する。適度に温まり実にいい気分で、入浴後の柚子サワーもご機嫌である。

昔から冬至と言えば、かぼちゃを食べ、柚子湯に入る日として知られています。かぼちゃを食べるのは、冬至を1年の締めくくりの日ととらえ、「いろはにほへと」の最後にあたる「ん」の付くものを食べるのが良いという縁起担ぎです。
その中でも、「かぼちゃ(南瓜:なんきん)」「人参(にんじん)」「蓮根(れんこん)」「銀杏(ぎんなん)」「金柑(きんかん)」「寒天(かんてん)」「うんどん(うどん)」の「ん」が重なる食べ物は、「冬至の七種(ななくさ)」と呼ばれ、特に縁起が良いとされていたそうです。まるでお江戸の文化って未だに身近でいいですね!



柚子は、ミカン科の常緑半高木です。柑橘の一種で、中国・揚子江上流が原産と言われ、日本へは奈良時代か飛鳥時代に朝鮮半島を経由して渡来したと考えられていますが、詳細は不明です。当時は、薬用などの用途で栽培されていましたが、柚子は柑橘の中では耐寒性に優れているので、北は青森県の海辺まで生育します。

皆さんご承知のことわざに「桃栗三年柿八年」というものがあります。意味は、植えてから実がなるまで(収穫まで)に何年かかるかを並べたものです。比喩的に、物事は一朝一夕にできるものではない、それ相応に時間がかかるものだという教えが含まれているそうですが・・・。
実は、「桃栗三年柿八年」に続きがあることをご存じでしょうか・・・?
よく言われるのは、「柚子の大馬鹿十八年」。植えてから実がなるまで18年もかかっては、生産者もたまったものではありません。だから「大馬鹿」なのでしょう。この言い回しを積極的に色紙に書いたのが、『二十四の瞳』の作者・坪井栄(つぼい さかえ)でした。小豆島(しょうどしま)には、この石碑が建立されています。



なお、さらに長い言い回しとして、「桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年、梨はゆるゆる十五年、柚子の大馬鹿十八年、蜜柑のまぬけは二十年」というものもあるようです。柚子湯の起源は明らかではないのですが、日本では、冬至の日に柚子湯に入ると「風邪をひかずに冬を越せる」と言われています確かに柚子湯の入浴後は体が温まる。

我が家では柚子を細かく刻みはちみつ・シロップ風に漬ける、その果肉を少しコップに入れ焼酎とサイダーで割、少し苦味の聴いた柚子サワー状態の飲み物を柚子湯の後に頂く、そのまま寝ればまさに極楽状態である。



お江戸時代に銭湯で客寄せのため、冬至の日に柚子を入れたのが柚子湯が始まりと言われていますが、現在ではこの柚子の様々な効能が明らかになっています。柚子湯に入る習慣は、意外に新しく、銭湯ができたお江戸時代から始まったと言われています。

柚子(ゆず)=「融通がきく」、冬至=「湯治(とうじ)」。こうした語呂合せから、冬至の日に柚子湯に入ると言われていますが、もともとは「一陽来復」の運を呼びこむ前に、厄払いするための禊(みそぎ)だと考えられています。現代でも、新年や大切な儀式に際して入浴する風習があります。
冬が旬の柚子は香りも強く、邪気を祓うという俗信もありました。

柚子湯は、柚子の果実を丸のままお湯に浮かべる光景がイメージされますが、柚子の薬効による様々な効果を得るためには、柚子を細かく刻んでさらしの袋に入れ、湯に浮かべるのがよいとされています。この柚子入りの袋で体をこすると、柚子独特のよい香りの癒し効果とともに、肌を滑らかにする効果があります。
最近の柚子湯の効能
 1.果皮の油分が肌をカバーし、水分の蒸発を防いで保温効果が持続。
 2.果皮に含まれるリモネンが、血行を良くし体を温めてくれる。
 3.芳香成分が蒸気と一緒に吸い込まれ、気持ちをスッキリさせてくれる。
 4.果皮に含まれるビタミンCによる美肌効果。
現在の医学的に見聞すれば江戸時代に宣伝で冬至に柚子湯に入浴は風邪には役に多用である、現在「武漢風邪」の冬の陣と騒ぐが、外出後の入浴は効果的だそうです、筆者などは昔から朝からシャワーが多いせいか、消毒にも効果的な外出後の入浴が楽しみでもある、特に今年は沢山の柚子を頂き、悪くなったものから入浴のお供にしています。



今年は筆者の自宅の外壁を塗り変え新年は気分良く過ごそうと思ってます。玄関入り口に葉牡丹「ハボタン」の寄せ植えを飾りました。お正月の門松や生け花に使われることの多い植物です。葉牡丹はお江戸の時代に食用として渡来したそうです勿論食べたことはないが・・・(笑)。

先日ⅢLZモニターゴールドの接触不良箇所も補修し落ち着いた、何故かいくらか音質も向上した感じがする、今年は武漢風邪の影響で外出は不謹慎でもあるので、すっかり巣ごもり状態です。こうなれば購入したCDでまだ聴いていないCDを見つける、少し古いが大好きなヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ集(全6曲)は全く聴いていなかったのだ。
少し古いがスークの奏でるヘンデルのソナタはルージッチコヴァー奏でるオブリガードチェンバロ演奏の妙技に聴き惚れる。
勿論ヴァイオリンはヨゼフ・スーク(Josef Suk)演奏である。



チェコのヴァイオリン奏者。ヴィオラ演奏でもよく知られる。ボヘミア・ヴァイオリン楽派の継承者として美しい音色と気品ある歌いぶりで評価されていた。
皆さん良くご承知の如く、ヨゼフ・スークはチェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークの曾孫であり、同姓同名の作曲家ヨゼフ・スークは祖父である。チェコ語のJosefの発音はヨゼフであるが、慣用でヨセフとされてきたので複数の表記がある。

ボヘミア・ヴァイオリン楽派の重鎮だったヤロスラフ・コチアンの秘蔵弟子として英才教育を受ける。プラハ音楽院卒業後、プラハ四重奏団の第1ヴァイオリン奏者として音楽活動を開始する。その後も、チェロのヨゼフ・フッフロ、ピアノのヤン・パネンカと「スーク・トリオ」を結成するなど、室内楽において活動を盛んに行う一方、ソリストとしても1959年から世界ツアーを行うなど名声を得た。



かたや伴奏は有名なチェコのチェンバロ奏者のズザナ・ルージッチコヴァー(チェンバロ)

【曲目】
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ集(全6曲)
  1. 第1番 イ長調 Op.1-3
  2. 第2番 ト短調 Op.1-10
  3. 第3番 ヘ長調 Op.1-12
  4. 第4番 ニ長調 Op.1-13
  5. 第5番 イ長調 Op.1-14
  6. 第6番 ホ長調 Op.1-15
【演奏】
 ヨゼフ・スーク(ヴァイオリン)
 ズザナ・ルージッチコヴァー(チェンバロ)
【録音】
 1975年



一般的にバッハは器楽的でヘンデルは声楽的と言われるが、確かに協会オルガンの響きの中で育ち後にケーテンの宮廷楽長勤めたはバッハは器楽的な要素は強く、若い頃からイタリアに遊びオペラや声楽に楽しみ、イギリスに渡りオペラ作家となったヘンデルは旋律的・声楽的な特色が濃いこともうなずける。

しかしバッハのカンタータ受難曲が素晴らしいのと同様に、ヘンデルの管弦楽及び室内楽も声楽的特質が生かされ、実に流麗、明快で生き生き下見力溢れた作品群が多くある。このヴァイオリン・ソナタは残念なことに作曲年代も明らかではなく、曲数も正確には不明で、最も古い出版譜はヘンデル存命中の1730年頃と、1732年にロンドンの出版社ウォルシュが出した2種類の「フルート、オーボエ、またはヴァイオリンのためのソナタ」と題した全14曲の曲集だった。

その後19世紀になりドイツのヘンデル協会がクリュサンダー編によるヘンデル全集を刊行、その14曲に新発見のニ長調を加え「15ソナタ作品1」と出版、その15曲の第3、第10それに第12から第15番までの6曲をヴァイオリン用のソナタ判断され現在に至る。6曲は何れも17世紀イタリアの作曲家コレッリが確立した(緩ー急ー緩ー急)の4楽章式、いわゆる教会ソナタの形を踏襲し全体的に旋律的でどの曲も第3楽章が短く書かれていつことが特徴的である。



勿論ルジチコーヴァのチェンバロが素晴らしい。スークはストラディバリのカンポチェーリスを使っていると思うのだが、いつもの煌めいた音ではなく、チエンバロの音質、音量に合わせて落ち着き払った燻し銀とも言える音でソナタを披露してくれている。TANNOYで聴くヴァイオリンは特別である、フレージングや音の強弱、テンポ感に全く違和感を感じる事無く、全曲聞き終えてしまった。

筆者は思うが正に美音が鳴るⅢLZモニターゴールドのユニットは最高である、筆者が思うはヘンデルの音楽はバッハと比べ人間身が強いと言おうか、若干の温かみを感じる、特にルジチコーヴァの演奏するバッハのチェンバロと比べニュアンスが違って聴こえるこのユニットは素晴らしい。
特に弦楽器の再生はこのユニットに限る、ブラボー!



最近愛犬のモジャくんは歯が永久歯にすべて生え変わり後少しで生後7ケ月を迎えます、ご覧の皆様今年は最後まで武漢風邪に悩まされました、皆様当ブログご覧頂きありがとうございました。良いお年をお迎えください。

とっておきのTANNOY10吋のⅢLZ(モニターゴールド)のユニットで限定ジャズピアニスト、ピーターソンで検証した。

2020年12月24日 | JAZZ・ボサノヴァ

TANNOYⅢLZモニターゴールドのユニットの音質は大変良いとY師匠お薦めにより交換し今回はジャズピアノで視聴した第2弾目投稿です。
IIILZを聴き始めたが、以前のHPD295の音質はかなりの違いがある事に驚く、ⅢLZモニターゴールドがどちらかといえば凛とした昔風の音に聴こえる、勿論個人的にも好きな涼やかな音が聴こえた、好みも寄るがこの差は大きい。

世間的には多分このⅢLZモニターゴールドの音色が一般的ないわゆるIIILZの独特の特徴であろう、かなり癖のある、実に頑固な音創りをしているようにも思える。箱により音質の違いは想像出来る代物のようです。
オリジナルのエンクロージャーでの視聴は、このユニットを鳴らすはクインテットまでが一番良く鳴るとはあまりにも「もったいなく」そのように思うは筆者だけか?

確かにHPD295を聴いていた頃、箱にもユニットにも馴染むと3/5aの音質と似た感じに聴こえる、但し弦楽器は若干TANNOYが勝る程度でクリスタルガラスの様な透明度はⅢLZモニターゴールドで聴くほどは感じられなかった。逆に言えば3/5aの音質は相当完成度が高いのだ。このBBCモニタースピーカー3/5aも発売は1980年頃と聞くが40年前の商品だが未だヴィンテージマニアの間でもかなり人気が高いようである。
珠にヤフオク等覗くがヴィンテージ物の価格は高値安定して、小さめのヴィンテージエンクロージャーは人気は高いようである。



但しⅢLZモニターゴールドの音は好き嫌いがはっきりする傾向は強い、というよりこの10吋のTANNOYの音を鳴らすは大変難しいと思う、かなり独特の癖が強く、悪い方向に鳴らせば最悪になると思う。特にこのユニットを収める箱による影響が大きく、むしろHPD295が一般的に聴けるよう思う。

当時から評論家諸氏が口を揃え注意する勧告は、オリジナルのエンクロージャーでの聴き方を勧めている。しかしⅢLZユニットとの組み合わせは1種類の箱しかない事も問題山積であった。一部のユーザーはコーネッタなる特殊な箱に入れワイドレンジな音質を楽しむ方もいるそうです。以前ステレオサウンド誌で紹介記事を夢中で読み漁った事もある。

特にオーディオ的言葉の生々しいと言う言葉がこれほど似合わないユニットも珍しい、それと衝撃音などは極度の弱みあからさまにする、一種独自の作られた音がピタリハマれば楽しくさせてくれることは請け合いであろう。

ここで右側のユニットが接触不良の症状が出る、心配なのでHPD295のアッテネーターに繋ぎ確かめる、音が繋ぎ方により出たり、出なかったりする、TANNOYユニットはアッテネーターからユニットに接続は写真の様に真空管の足のような感じで接続するため、メス部分の清掃は大変不便だある、以前購入した和光テクニカルのオイルとクリーナーを歯茎掃除用のブラシに塗布して良く磨くと汚れが出る、丹念に磨き接続すると問題なく音は鳴った。
丹念に隈なく清掃し綿棒等には汚れは凄く付着したが喃語も繰り返し汚れがつかなくなるまで何度も清掃し最後は接点回復剤を塗布した。



特にヴィンテージ物の製品は使用した経過時間も長く、購入した状態に近づけるメンテナンスは大変重要で、エッジの補強溶剤の塗布等色々メンテナンスして最初の購入時に状態に戻すことは確かに音が蘇る様に思う。

ⅢLZモニターゴールド等のアッテネーターに変えて確かめる、異常なし、心配で右左のユニットも丹念に再度清掃し接続し試聴すると以前より音質が良くなった様に感じた。やはり接続部分は丁重な掃除が大切であることを痛感しました。不良の場合はコンデンサー等の交換で蘇るようである。

確かに節度が増し通電率が上がれば音質は向上する、清掃後はその様な感じに聴こえる、特に絶対音階のピアノ演奏には効果的であった。

皆様もこの接続部分の清掃は大変大事であり音質が変化するので定期的なメンテナンスは重要で大切である。最近知った事にスピーカーエッジのメンテナンスにエッジに墨汁を塗り膠の養分で貼りを再現する方法と、あとは日本の伝統工芸である渋柿の液を塗布する方法に着手、特に番傘に渋柿液を塗り、最後に菜種油で仕上げ水滴を防ぐ紙の補強に使われた渋柿液にも注目である。



音を変化を試みるためにも、大好きなピーターソンを聴く、当然大好きな「ナイト・トレイン」の紙のジャケットのCDを聴く。個人的にはこの紙のジャケット入の物は何故か筆者好みで、何枚も持参する。
 オスカー・ピーターソン(p)
 レイ・ブラウン(b)
 エド・シグペン(ds)
という59年以来不動の黄金メンバーで62年12月にレコーディングされた、オスカー・ピーターソン・トリオのスタジオ録音盤としては最高傑作といえる作品。鍵盤の皇帝"が最高のメンバーと共に人気スタンダードを吹き込んだロングセラー盤である。



曲目
  1.Cジャム・ブルース
  2.ナイト・トレイン
  3.我が心のジョージア
  4.バグス・グルーヴ
  5.モーテン・スウィング
  6.イージー・ダズ・イット
  7.ハニー・ドリッパー
  8.昔はよかったね
  9.アイ・ガット・イット・バッド
  10.バンド・コール
  11.自由への賛歌
<パーソネル> おなじみのトリオメンバーで最も安定度が高い。
 オスカー・ピーターソン(p) 
 レイ・ブラウン(b) 
 エド・シグペン(ds)
1962年12月15、16日、ハリウッドにて録音

ⅢLZモニターゴールドで聴くと、TANNOY独特の少し冷たく感ずる輝く様なピアノの音がピーターソン独特のノリが加わり今までの音質の違いも魅力の一つかも知れなく、染み染みこのユニットはクラシックには欠かせない音だ、特にバッハのピアノ曲などを聴くにはユニットとエンクロージャーのマッチングに改れ驚く次第である。



筆者が感じるこのピーターソンは驚異的なテクニックの持ち主だが、アート・テイタムとの違いはあるようです。テイタムの演奏が優れていると言う人もいますが・・・よく似た演奏が聴ける。

強いて言えば、ヴァーヴ時代の演奏録音はトリオ全体の音撮りがヴァランスよくダイナミックなピーターソンの魅力が聴けるが、MPS移籍後は録音が代わりピアノ演奏の音質がよりシャープに聞こえるように思う、筆者は個人的にはMPS録音の緻密な録音状態の音が好きで、リラックスタイムにイージーリスニングに最適である。現在先日購入の「ガールズ・トーク」を聴くが実に心地よい。

JAZZマニアに話す話ではないが、以下のような事を言ううと笑われる方も多いと思いますがあえて今回話しをします・・・・
確かにJAZZ音楽は一般的に人間の肉声を出そうと「ブルーノート」トーンが生まれはご承知の如くブルーノートは半音の違いだが、その又半分の「クオタートーン」を出そうとした演奏者たちはピアノ以外の楽器では高等技術ではあり、音はでるようですが、その意味でピアノは大変完成度の高い楽器とおもえる楽器であるが、このピアノ演奏家達もピアノで「クオタートーン」を出そうと例えば、ミとファを一緒に弾く感じの演奏を試みたような音が聴ける。

この様な話の日本語解説は難し苦労するが、一種のコテコテの名古屋弁訛りのような感じでの語句でピアノ演奏を試みる、クオタートーンを連続で横を使い演奏したピーターソンとテイタムの二人の演奏はやはり凄い。出ない音を出そうと努力するこの辺りがJAZZピアニストの面白さか・・・?


JAZZを聴くにはⅢLZモニターゴールドと「LUX KIT/A3500」の組み合わせが良い、ピアノのクオタートーンが聴けるシステムは誠に重宝する、やはりヴィンテージタンノイの癖の湯良い音が良いのだ。

鳴らすアンプもJAZZの場合はある程度馬力のあるアンプがJAZZ特有の力強さが伝わりやすい、特にピーターソンの演奏などはMPSに移籍後の演奏が個人的には好きだ。アタック音などの強烈な音はある程度の出力が必要に思う。


それと今日は、現在注目する実力あるピアニスト片倉真由子(かたくら まゆこ)を試聴する、確かにテクニックも凄く録音も良いがこのピアノは3/5aで聴くのが良かった。現代の録音技術では3/5aが音がストレートに鳴る感じが良い。正にオーディオの面白さです。音楽、録音によりこの2種類のエンクロージャーで聴き分けるのがオーディオの楽しさかもしれない。
オールマイティに聴くなら3/5aを残すかもしれない、発売して40年以上も過ぎたが未だこれを超える物は少ないことも疑問である。

宮城県仙台市出身。両親共にプロのジャズミュージシャンであり、幼少よりジャズを聴いて育つ。洗足学園短期大学、バークリー音楽大学、ジュリアード音楽院にてジャズピアノを学ぶ。現在は精力的に国内外において演奏活動を行っており、日本において今後の活躍が最も期待されるピアニストの一人。1980年、宮城県仙台市出身。幼少よりクラシックピアノを始める。
洗足学園短期大学入学と同時にジャズピアノに転向、ピアノを今泉正明氏に師事。同大学を首席で卒業後、2002年、バークリー音楽大学より奨学金を受け、入学する。

在学中より、ボストン市内のライブハウスで、クリスチャンスコット,デイヴサントロらと演奏を重ねる。2004年、piano achievement awardを受理し、卒業する。卒業後は、ディックオーツ,ジェリーバーガンジーらと演奏を重ね、また、2004年8月に行われたLitchfield Jazz Festivalに、デイヴサントロのピアニストとして出演する。



あえてシンプルなスタンダードに挑む。
繰り返し聴いてきたジャズの名曲に新たな息吹が吹き込まれる!


【収録曲】
  1. ウィスパー・ノット
  2. 枯葉
  3. ボディ・アンド・ソウル
  4. 朝日のごとくさわやかに
  5. オーバー・ザ・レインボー
  6. モーニン
  7. アローン・トゥギャザー
  8. サマータイム
  9. サンドゥ
【パーソネル】
  片倉真由子:ピアノ
  粟谷巧:ベース
  田中徳崇:ドラムス



コルトレーン集とともに、楽しめました。なんとも潔い選曲で、こういうアルバムを作るのには、勇気が要ったのではないでしょうか?
異色のアレンジのもとでジョン・コルトレーンの名曲が新たな輝きを放つ『プレイズ・コルトレーン』と、シンプルなスタンダードに新たな息吹を吹き込む『プレイズ・スタンダード』。
久しぶりに新しいピアノトリオの楽しさ、美しさ、スリルを満載したクリエイティヴな唯一無二のサウンドをⅢLZモニターゴールドのユニットで楽しみました。
流石このような最新録音でのピアノ演奏は筆者の持つ今は古いが3/5aで聴くのが良く感じる、特にリード楽器、管楽器等の演奏は3/5aが良い結果が得れる。
確かに録音状態のクオリティは確実に良くなっています、今後のテクノロジーに期待することも楽しみかも知れない。

今後片倉真由子のピアノが楽しみである、ブラボー!


10吋TANNOYユニットHPD295をⅢLZ in Cabinet mkII (モニターゴールド)に入替え再度検証する。

2020年12月20日 | クラシック音楽・オーディオ

筆者の所有するTANNOY IIILZ10吋同軸2ウェイ(HPD295)のユニットは骨までしゃぶってと思い色々試すが限界がある様である。
イギリスのスピーカーの名門「TANNOY」の歴史は、1900年ひとりの人間の誕生から始まります。彼の名前はガイ・ルパート・ファウンテン。のちに名門タンノイ社を興す人物です。後に頑固な「ファウンテン爺さん」と呼ばれたTANNOY社では名物な人物である。1926年、ファウンテンは交流を直流に変換する電解整流器を完成させます。そこでこれを製造するために「タルスメア・マニュファクチュアリング社」を設立します。場所はロンドンのウェスト・ノーウッドにあるタルスメア・ロードという通りに面したガレージの2階でした。それと同時に励磁型ダイナミックスピーカーの製造も始めます。

1932年、社名を「ガイ・R・ファウンテン」社に変更して「TANNOY」を登録商標します。タンノイの由来は、当時の主力製品であった電解整流器の金属電極材料「タンタル(Tantalum)」と「鉛合金(lead alloy)」を結びつけた造語です。これは音とは全く関係がなく、創業者の名前とも無関係という珍しいブランド名と言えます。



有名な事はオートグラフを日本で最初に導入したのは、1964年に個人輸入をされたという作家の五味康祐氏です。五味康祐氏はその著書「西方の音」の中で、オートグラフについて次のように述べています。

「こんなにみずみずしく、高貴で、冷たすぎるほど高貴に透きとおった高音を私は聞いたことがない。」「今、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。」と称賛されている。昔のTANNOYの音を聞けば理解できる・・・と冊子にて紹介している。

当時の「ステレオサウンド」誌のレギュラー執筆者で、音楽批評の分野でも確かな見識をもっていた岡俊雄氏は、五味邸のオートグラフの音に触れ、「これまでに聴いたどのオートグラフよりも良い音で鳴っていた」と書き残しています。
五味邸のリスニングルームは天井も高く、広さも写真を見る限り25畳くらいありそうで、このスピーカーの場合はこれくらいのスペースがないと難しいのではないかと思います。確かに部屋の広さ天井の高さは良い音の条件にもなる。

個人的にはオートグラフも魅力一杯だが、バランス第一の、このデコラのシステムが非常に気になる代物ではあるが・・・・?
実はこの件に付きまして間違いをご指摘され上記写真はテレフンケンS-8が正解です、以前筆者の記載してある、五味先生の著作の中に登場するS氏は、齋藤十一氏の愛機がデコラです。

詳しくは以前ブログで紹介したが、https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/3be3fd00fd018369f2e9a55cd836bd81参考にしてください。



当時は忘れもしない事件でした、当時筆者がよく知っていたオーディオ屋さんにTANNOY15吋のRectangular Yorkを注文した年に事件が起きた。1974年、タンノイの工場で火災が発生して、コーン紙の工場が全焼してしまいました。再起不能かと思われましたが、西ドイツのクルトミューラー社の協力により新しいコーン紙を使ったユニットを開発しました。クルトミューラー社のコーン紙は従来のタンノイのコーン紙より薄かったため、背面に補強のリブを8本張り付けて強度をアップさせました。このユニットがHPD(High Performance Dual concentric)シリーズで、この時代の最後のアルニコ・ユニット・シリーズとなりました。

タンノイのモニターIIILZといえば、伝統的な英国の名スピーカーとして有名である。英国には、スピーカー・メーカーが多く、グッドマン、ワーフェデール、KEF、ローサー、リチャード・アレン、クヮード、ヴァイタ・ボックス、そして、このタンノイなどの有名スピーカーがある。これらの英国製スピーカーは日本でもファンが多く、それぞれ独自の個性をもった音がファンを獲得している。しかし、それらのファンは圧倒的にクラシック・ファンが多く、英国スピーカーはジャズの世界では全くといってよいほど冷遇されてきた。何故だろうか? 

それにはそれなりの理由がたしかにあったのかもしれない。その理由を証明するにはスピーカーというものが、一連の電気音響機器の中で特別にソフトウェアーとしての性格の濃いものであるということから話しはじめなければなるまい。電気音響機器は、大きく二分して、変換系と伝送増幅系とからなっていることは、本誌の愛読者ならすでにごぞんじのことと思うが、変換系、つまり、あるエネルギーを、異った性格のエネルギーに変えるものの代表的なものが、マイクロフォン、カートリッジ、スピーカーであると解説されていた。



この変換系の中でも、直接、空気の波動を扱うマイクロフォンとスピーカーには特に問題が多い。変換能率、周波数レスポンス、歪特性などの特性のよいものをつくること自体大変難しいことだが、もっとも問題になるのは、そうした、いわば解析ずみの特性データによって完全に把握しきれない問題である。

これが、結果的な音色に及ぼす影響がきわめて大きく、これらの製品の最終判断は聴覚によらなければならないのである。例えば、振動体にはなんらかの物質を使わなければならないが、この物質自身の個有の特性は必らず音色として現れてくるものである。聴感覚によって判定するとなると、当然、そこには制作者の音への好みが反影せざるを得ないのであって、同じような物理特性をもった二つの製品のどちらかをとるというようなギリギリの場合だけを考えてみても、音への嗜好性、音楽の好みなどがはっきりと現われてくることになろう。
スピーカーがソフトウエアーとしての濃い製品だというのはこのような意味であって、スピーカーほど、この点で厄介な、しかし、面白いものはないのである。



音への好みは単純ではない。年令、体質、教養、性格などの綜合されたものが音の嗜好性を形成する。当然、人種の差、文化水準の差、伝統といった条件も必らずまつわりついてくるものだ。
そこで、英国系のスピーカーには、どうしてもクラシック音楽のイメージが強いとされてきた理由もなんとなくわかるのではあるが、今や、英国も、ビートルズを生み、ミニスカートをつくる現代国家であるし、特に輸出によってお金を嫁ぐことに熱心なことは先頃の英国フェアでもよく知っておられる通りである。
英国がその古い伝統と、高度な産業技術を、クラフトマンシップを生かしてつくり上げた製品は、筋金入りの名品が多く、しかもお客の望みを十分に叶えてくれるサービス精神にも長けている様に思える。

全体的に10、12,15吋のタンノイはいぶし銀のような艶をもつスピーカーだと評されていたが、このⅢLZモニターゴールドは、初代と比べさらに明るさが加ってきたと言われている。重厚明媚を兼備えた憎い音を出す。TANNOY好きのYさんがこの辺りの音を言っているのでしょう。
これでジャズを聞くと、実に新鮮な迫力に満ちた音になるのだ。少し話は古いがMPSのジャズのように、最近はジャズの音も多様性をもってきた。アメリカ録音に馴れていた耳には大変新鮮な音がするヨーロッパ録音でもある。
再生系も、英国スピーカーはクラシック向と決めこまないで、チャンスがあったら是非英国の音にも耳を傾けて聴いてほしい。

但し一番肝心な事は、低域をしっかり支える少し大型の箱は必要です、以前読んだステレオサウンド誌の10吋TANNOY特集にて大型の密閉箱に入れたオリジナルエンクロージャーでのヒヤリング記事が紹介されたいたが、迫力十分な良い音がすると掲載されていました。
又筆者の自宅で実験してみると、LS3/5aとGOODMANS AXIOM 80のA.R.U付きの箱の10吋TANNOYをⅢLZモニターゴールドと同音にして隣の部屋で聴くとTANNOYの音の低域だけボンボンと響く、実際の試聴に気が付かないが自身の体は、据え置き型の箱から鳴る迫力の違いを体感しているのだろう、体験しなければ決してわからない不思議な現象であり、TANNOYでの視聴はホール感タップリの重低音と思われる低域も雰囲気を醸し出し演奏会の最良の位置で聴くような感覚を得られる。



瀬川冬樹氏ステレオサウンド 10号(1969年3月発行)の記事から、特集・「スピーカーシステムブラインド試聴 純粋聴感で選ぶベストシステム」より特選機種の中では、このスピーカーが最もクセが強く、ずいぶん考えたのだが、何よりも音の素性の良さが、ただものではないので、あえて推した。

相当にムラ気のある製品らしく、四日間を通じて、その日によって三重丸と◻の間を行ったり来たりする。休憩時など、立会いの編集氏がパチパチ切替えているのを隣室で聴いていると、中に二つ三つ、ハッとするほど美しい再生するスピーカーがあって、No.14もそういう製品のひとつだった。中低音の音質から想像して、キャビネットをもっと上等なものに作り換えたら(経験上だが、どうもこの音は安もののベニアの音だ)、総体的にすばらしいシステムになると思う。わたくしの採点で、室内楽に三重丸をつけた唯一のスピーカーである。
このようにステレオサウンド誌は紹介している、勿論筆者もJAZZは好きで聴くが5〜60年代のJAZZを聴くと解るがよくスイングしJazzも十分楽しめる。

しかしこの文章を読み解くと、この時代からオーム(瀬川)さんはIIILZ の箱に疑問を持たれていたのでしょうか、後に図面が出て話題となるコーネッタ等の頑丈な箱で鳴らす期待度が解明できる。



本日宅配便で到着した「お宝」、先日オーディオ関係では師匠筋の京都お住まいの筆者の師匠筋である、Yさんよりお薦めのTANNOY ⅢLZ in Cabinet mkII(モニターゴールド)は是非試聴してはとのお誘いを頂き、お譲りして頂きました。

筆者も現在TANNOY IIILZ in Cabinet(Chevening) のユニットで聴いているが、調整方法を聞きすべて試すが以前と比べ一応限界と思えるような状態までメンテナンスし聴いて見たいと思う、最近調整したデットストック品のLS3/5a素直な音質に好みが変化しているかもしれない。

そこでYさんより是非初期バージョンのⅢLZの音を是非とのお勧めもあり、ヤフオク等で見渡すが中々見つけられない、そこで今回試聴も兼ねⅢLZモニターゴールドのユニットセットをお譲り頂いた次第です。
以前から冊子等でも指摘される(HPD295)のユニットはⅢLZでは無いとのコメントを見る事もあり是非(IIILZ Monitor Gold)のユニットは望んでいました。




今回紹介したIIILZin Cabinet mkIIを伝説的名機を目にした、ちなみにIIILZ Monitor Goldを組み込んだブックシェルフ型スピーカーシステム。HPD295との一番の違いはウレタンのエッジが無く、スピーカーと同じ材料で一体化の作りになってエッジ交換は不要である部分が違う点である。
「ユニット部分」詳細は・・・
 型式    2ウェイ・1スピーカー・バスレフ方式・ブックシェルフ型
 使用ユニット     10inch同軸2ウェイ(IIILZ Monitor Gold)
 周波数特性      30Hz~20kHz
 クロスオーバー周波数    1.3kHz(メカニカル)
 最大入力       15W
 インピーダンス    8Ω

現在使用のGOODMANS AXIOM 80の箱は、そもそもこの箱の製作者は神戸の松波氏がIIILZ用の箱を色々試行錯誤して最後にやけくそでGOODMANS AXIOM 80の箱にTANNOYの10吋ユニットを入れて聴き出した事が始まりで、結果的に美音で鳴ったので、それ以来ⅢLZ党の面々のユニットをAXIOM 80の箱に入れ替えたと聞く。未だにこの組み合わせで楽しんでおられるファンもいるようである。

現在使用中のGOODMANS AXIOM 80のA.R.U付きの箱もその流れから筆者のもとに居着いたと言われる相当年代物の箱にTANNOY IIILZ in Cabinet(Chevening) HPD295とユニットを交換し勿論ネットワークも交換してみた、Yさんの話ではHPD295のネットワークも使用可能と話されいたが調べますと15Wしかない許容入力に大きな入力を入れてユニットを傷めたり、使用・保管環境が悪くユニット内部の酸化などがあり、それが音質に大きく影響を与えているそうです。という意見もあり大事を取り交換することにした。接続部分は以前購入した和光テクニカルのオイルとクリーナーで丁寧に清掃した。

現在AXIOM 80の箱は当初全体をサンドペーパーで前の塗装をある程度落とし、ワトコカラーオイルで2度塗りを施し磨いたものである、表面の手入れは偶に大島椿油をほんの少しガーゼ塗布し後は乾拭きしている程度である、見た目も家具調の渋いアメ色工合に満足している。



吸音材は筆者がカッターナイフでそぎ切りに加工したため不揃いだが、AXIOM 80のA.R.U付きの箱によく掃除機で清掃して、ⅢLZモニターゴールドに入替えた写真です。
今回のユニットはエッジは紙で出来上がってダンパー剤が塗ってある状態とのことで交換は必要ないそうである。後は再着磁ですが現在の状態では当分取付けネジの増し締め程度で良いそうです。

ネットワークは中身のコンデンサーなどのパーツは年代によって少しずつ違うとは思いますが、調べきれなかったのでその辺は今後調べてみたいと思っております。このユニットはHPD295と比べ塗装の色が違うのですぐに違いがわかります。試しに音出しすると比較的に能率は高く、300Bシングルの8W程度のアンプで十分対応できる能率の良さは機会があれば2A3の真空管も試したいですね。


正式には「ⅢLZ in cabinet」というのが正しいスピーカーシステム名らしいですが、皆様にはきっとⅢLZで通じる思います、特徴は塗装に色に違いがある。
搭載ユニットは初代がmonitorRED(3LZ)、2代目はmonitorGOLD(3LZmk2)、3代目はHPD295(日本では「IIILZ in cabinet」)でした、筆者はこの3代目を所有していましたが、今回は2台目の本命の試聴です。厳密に言えばⅢLZ呼ばれる名機種はmonitorGOLD(IIILZmk2)で終了したのかも知れない。

この2代目こそ話題になったTANNOY IIILZと思います、TANNOY工場は火災を起こし一時は復帰が難しく苦労してHPD295とユニットを再現させたと聞きます、五味先生も称賛したIIILZは2代目の事と思います。
各接続部分は十分調節し清掃も行いユニット交換を終える。

取り外したHPD295塗装の色が違い判別は簡単である。下記写真がHPD295であります但し現在比較手に入手しやすい機種は最後のユニットHPD295です。



ユニットHPD295は永きに渡り楽しませて頂き感謝すると同時に当分お休みを頂くことになりそうです。オリジナルの箱に戻し弦楽四重奏専用で楽しむのも面白そうですが・・・・・。
TANNOYⅢLZモニターゴールドのユニットをAXIOM 80の箱に入れ現在駆動し始めたが、ユニットは十分使い込んだ物で、あとは箱との相性が合えば良い、TANNOYのユニットはこの様な場合にも箱とのある程度のエージングが必要なんであろうと思った。

これで又しばらくはTANNOYの10吋のユニットに夢中になり音楽を楽しむ事ができる、とかく通奏低音楽器の弦音筆者が好きなチェロ、ビオラ・ダ・ガンバの音はTANNOYの10吋に限るようである。
一見聴き始めるとmonitorGOLDは若干レンジが狭く感じましが、聴くうちにそれ以上の高域に独特の涼やかさが感じる、特にチェンバロの高音の音はまさに息を呑む美しさは特筆物であった。
HPD295との音質の違いは少し硬質の低音は確かに違うが、少し硬すぎるようにも思えるがこれはこれで魅力的な独特の音色かも知れない。



それと以前盛岡の友人が試しに使ったら意外と良い音が良いのでと送って頂く、TOA  CDプレイヤーで中身はTEAC製品です、業務用使用の物なので音質は素直な音質が特徴的で十分聴けます。

今回の試聴はCDで色々聞いて見ました。誰もが知ってる、カザルスのバッハチェロ・ソナタから、今回はピアノ演奏を聞き直す。チェンバロ曲、マタイ受難曲、以前購入したバッハ:平均律クラヴィーア曲集エトヴィン・フィッシャー(Edwin Fische)スイスのバーゼル生まれ。バーゼル音楽院でハンス・フーパーに師事した後、ドイツに行き、ベルリンのシュテルン音楽院でマルティン・クラウゼに師事した。演奏活動を開始すると、すぐに高い評価を得て、指揮者としても活躍。指揮振りでベートーヴェン、モーツァルトのコンチェルトを演奏した。

1942年にスイスに帰り、ルツェルン音楽院で教鞭を執りながら、ヨーロッパ各地で演奏活動を行い、1955年演奏活動から引退した。パウル・バドゥーラ・スコダ、アルフレッド・ブレンデルなどを育て、名教育者としても知られ、生涯を通じ、尊敬を集めた。のCDが見つかり試聴する。



実に淡々と奏でるピアノ曲の音が良くエドウィン・フィッシャー、ピアノ曲です。J.S.Bach: The Well-Tempered Clavier1933年~36年に頃発売された、平均律のピアニストで指揮者フィッシャーの 『平均律』。フィッシャーの絶妙なピアニズムと説得力の高い解釈が聴きものです。


 JSバッハ:平均律クラヴィーア曲集
  Book I BWV846‐BWV869
  Book II BWV870‐BWV893
   エドウィン・フィッシャー、ピアノ
   モノラル録音:1933-36

IIILZ Monitor Goldのユニットから流れるピアノ音はHPD295のユニットに比べ音の輝きが一皮剥けた様にも感じる、確かに録音は古いエドウィン・フィッシャー、ピアノ音だはあるが確かにタンノイIIILZの音が鳴っているのです。



Orch.suite、1-4、:Gardiner 
バッハ:管弦楽組曲(全4曲)若きジョン・エリオット・ガーディナー瑞々しい感性が古曲の透明な響きの表整列された、格調房名演です。歯切れ良く躍動する低音のリズムは、軽く透明な音響像を描き出し、作品に付された喜びが表現されています。
【曲目】
バッハ:Orch.suite、1-4、
CD1
  管弦楽組曲 第1番 ハ長調 BWV1066
コラール《エホバよ、私はあなたに向かって歌います》 BWV299
  管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV1067
CD2
  管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068
  管弦楽組曲 第4番 ニ長調 BWV1069
【演奏】
ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
【録音】
1983年[DIGITAL]
 
バッハの「管弦楽組曲」は、「ブランブルク協奏曲」と並ぶバロック・オーケストラ作品の大傑作です。バロック演奏の大御所ガーディナーの演奏は、瑞々しい感性が、古楽器の透明な響きの中に美しく発揮された名演。壮大な序曲、様々な舞曲がもつ多彩な個性を鮮やかに描き分けた、しなやかで格調高い表現であり、この名曲の数ある録音の中でも常に上位にランクされる不滅の名盤です。

しなやかで繊細な演奏です。古楽器演奏の長所に満ち溢れています。出色なのは2番と3番。2番は抑制された上品な哀愁が胸を打ちます。フラウト・トラヴェルソ(フルート)奏者のリザ・べスノシウクの活躍が大きいです。
3番はスケールが大きく、なおかつ精緻な演奏。ガーディナーのバロック演奏の実力を示したディスクです。



半日色々聴いたがアンプは真空管が俄然TANNOYらしさを発揮する、弦楽器は300Bに繋ぎ、ピアノはEL34で聴く事が納得出来る音楽を聴かせる、ドライブアンプは真空管に限るようです。先ずは音出しで感じたことは若干音域が狭く聴こえた、適度な音は出さないと言った音創りにおもえたが、しばらく聴き続けると涼やかな音楽を聴くことが出来る様に思えた。確かにモニターゴールドの音創りの音楽は納得させられた。特に弦楽器、ピアノの音の独特の輝きは流石である、特にありがたく思えるは古い録音の演奏を聴くことが楽しみになりそうです。

唯一の心配はエッジの耐久力です、交換はウレタンエッジになるが当時のオリジナルとは違うのでメンテナンスが不安である当分は現状維持で・・・・・。
入力ジャックは現在バナナプラグ スピーカー端子(ハイエンドの純銅金メッキ端子) に交換し接続部分を勘弁に補修して使用しています。



10吋TANNOYⅢLZモニターゴールドの音質は想像以上緻密で繊細な鳴り方をする、とにかく音離れが良いAXIOM 80の箱の影響か意外と低域までよく響き、管弦楽組曲第3番のテンパニーの低域の鳴り方に若干の不満もあったが、墨汁処理をすれば向上すると思う、勿論AXIOM 80の箱との相性もあろうが、聴き続ければ変わって来るのであろう、多くの皆さんが絶賛するTANNOY工場の火災前のユニットを譲り受けました。確かに同じ10吋のTANNOYも音質が違って来ます。確かにⅢLZのユニットを深掘りすれば、するほどⅢLZの魅力に嵌まる魔性の匂いが深まる、先人達が今も称賛するユニットに夢中になってます。

今年は自分へのクリスマスプレゼントのつもりで購入に至る、暫くはこの状態で聴いてみるつもりです。
今まで夢だった、これがⅢLZモニターゴールドの10吋TANNOYだ、ブラボー!



追伸
さて我が家のMシュナウザーのモジャくんですが、無事6ヶ月をすぎました。体重は8.2キロに、歯もすっかり生え変わり、少し落ち着いて来ました。
サロンに言ってないので毛が伸びてモジャモジャです。


手足の爪は切っています。本日はモジャの餌を買いに行きます。
でも仕草が可愛く、散歩嫌いは続いていますが、少しは歩くようになってます。来年サロンにいった後に素敵な姿をアップします。
皆様良い年をお迎えください。

WE製らしい銅単線(芯線0.65mm)で聴く、リナルド・アレッサンドリーニ指揮いるイタリヤサウンドを、「協奏曲イタリアーノ」のバロック音楽グループを紐解く。

2020年12月14日 | クラシック音楽・オーディオ


最近感ずるには、音質の思考が少しニュアンス的に少し違って来たように思う、音質というより演奏する楽器が奏でる、スッキリ感、後味感の良い演奏をより好む傾向が強くなっている感じがする。

昔は古楽器演奏では難しいと言われた、秋晴れのスッキリした演奏の様な録音再現はとても高度のテクノロジーが必要と言われたが、最近の古楽器演奏は意外と良い演奏を聴かせる演奏家が多くなっているように思う。これは古楽器そのものが当時と変わらない性能を変化させたと理解できよう、常に歴史は変化する。

筆者は楽器演奏はしないが、モダン楽器と古楽器の演奏は違うのであろうか?ピアノとチェンバロにも演奏の違いがある、簡単に言えばピアノは打楽器と同じで鍵盤を強く叩く音とそっと奏でる音は違うが、チェンバロは爪で弾くので鍵盤の強弱には関係なく音は同じである。もちろん楽器により演奏方法は違い当時の演奏の難しさも違っていたのだろう、当時は意外と作曲により楽器を工夫し新しい楽器を生み出したのであろう、実に興味深い話だ。


何故この時期キリスト教布教に来たのか?の疑問も滑稽で、勿論筆者も歴史好きで、楽しむ程度の本は見るが最近も史実の発見で歴史の事実が判明し新しい発見を紹介する。甲斐の武田と戦った長篠の戦い、信長の大量の鉄砲隊での戦いと教わったがそれは違った様です、事実は武田軍も鉄砲隊を用い、この戦いは鉄砲対鉄砲の壮烈な戦いであったのだ。

戦いの違いは何か?2019年昨年判明した大規模な愛知県新城付近の調査から判明する、長篠の戦いの火縄銃の弾の鉛の秘密、当時はこの鉛弾の鉛は輸入品で海外のタイ製品であったのだ、一方武田軍の火縄銃の弾は最近の古文書より真実を解明。火縄銃の弾丸の作り方を記した古文書の発見されたのである、答えは、お賽銭つまり銅だった、銅は銃身での暴発が多く敗因の原因にもなったと言われる。当時日本は銀が多く採れジャパンシルバーだったと言われる、と合時にキリスト教布教で日本を植民地化に来日のフロイトのキリスト教支配だったが後にキリスト教は日本人に文化の違いのためか失敗に至る。
意外に思うが縄文時代から続く平和な暮らしを求めたいたのであろうが日本は少し違った意味合いの人を思いやる精神を持つ平和なんであろう・・・・?

現在キリスト教の日本での布教率はわずか5%程の信者がいるそうです。欧州とは全く違った文化を持っていたのは、基本的に日本人の自然崇拝の教えが古代から広く、不思議は今も続くカンタータの日本独自の調べは今も続くときく、仏教などの宗教も含め、最近お新興宗教を除き昔からある宗教は、日本風に独自にアレンジされた宗教と思えるのは筆者だけなのであろうか?

最近になり古楽器が色々発見されているが、今後新しい発掘で益々古楽器のルーツの発見が楽しみで益々16〜7世紀の音楽に興味が沸く。
このような事は全くオーディオでは問題外と思うが、筆者には一番肝心で音楽を趣味に楽しんでいる者にとっては大切な問題である、最近徐々にJAZZから離れているのは、1950年代の自分好みのスタンスに合う演奏者が少ないという事が原因なのもしれない。



何気なくネットサーフィンをしているとバッハのブランデンブルグコンチェルトの演奏を実に良いテンポで涼やかに演奏するメンバーを見つける。
それはリナルド・アレッサンドリーニ(Rinaldo Alessandrini)ローマ生まれの鍵盤楽器奏者、指揮者。鍵盤奏者(オルガン、チェンバロ)としては、一時期トン・コープマンに師事した以外はほとんど独学。16~18世紀のイタア・バロック時代の作品を復興させようと長年にわたり力を尽くしてきた。

1984年ローマで声楽・器楽アンサンブル、コンチェルト・イタリアーノを結成し、イタリアを代表する古楽アンサンブルに育てあげた。近年はオーケストラやオペラの指揮者として世界各地で活躍している、勿論イタリアで生まれならヴィバルディ:フォーシーズンズなどは得意であろうと想像する。



1550年から1750年までイタリア音楽の真剣な研究を含む音楽を学びました。研究を終えた後、リナルド・アレッサンドリーニは、ソリストとして、イタリアーノ協奏曲(古楽アンサンブル)設立:1984年-イタリア、ローマ古楽器演奏アンサンブル、Concerto Italianoは、1984年にチェンバリストのリナルド・アレッサンドリーニによって設立されました。

このグループは、1984年にローマで、創設以来グループの音楽監督を務めてきたリナルド・アレッサンドリーニの指揮の下、フランチェスコ・カヴァッリのオペラ「ラ・カリスト」の公演でデビューコンサートを行いました。最初の10年間、グループは徐々にヨーロッパでイタリアの最高のバロックボーカルアンサンブルの1つとしての評判を築き上げました。
それは、1994年のグラミー賞を受賞したモンテヴェルディの第4回マドリガルの本の録音について幅広い国際的な注目を集めました。翌年、アレッサンドリーニはオーケストラアンサンブルを結成しました。今回はこれを機会にリナルド・アレッサンドリーニの音楽の繋がりについても紐解いて見たい衝動に駆られてます。

協奏曲イタリアーノは、声楽とオーケストラの両方のアンサンブルで構成されるバロック音楽グループです。その存在の最初の10年間は 、モンテヴェルディのマドリガーレの演奏、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル、アレッサンドロ・スカルラッティ、その他のバロック作曲家によるオペラとオラトリオで知られる声楽グループのみでした。コンチェルト・イタリアーノのオーケストラ部門が設立された後、アンサンブルはアントニオ・ヴィヴァルディ器楽とオペラの作品に特に関心を持ち始めました。実際、新世紀には、コンチェルトイタリアーノはナイーブというレーベルとの大規模なプロジェクトに従事し、アントニオ・ヴィヴァルディすべてのオペラと協奏曲を録音したそうです。



このジャケットを見た時思った事は、四季の色がグラデーションで表され何故か新しい音楽に感じた、コンチェルト・イタリアーノの演奏では久しぶりに何故か安心してアントニオ・ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集の中の『四季(Four Seasons)』を聴く。


Vivaldi: Four Seasons, etc / Alessandrini, Concerto Italiano
 コンチェルト・イタリアーノ
 リナルド・アレッサンドリーニ(指揮)
 録音:2003年

今から50年以上に前に聴いたフォーシーズンズを聴いたことが、日本人には実に四季の季節感が強烈に曲とマッチし良く聴いていたが、いつの間にか聴かなくなった、とりわけこの曲のアダージョは好きで、演奏者等変わればチェックはしていたが、このディスクを聴き当時の思い出が蘇りました。
そしてそれらはすべて異なって聞こえます。これは劇的で変化するテンポでありながら、さらに一歩進んだものです。コンチェルト・イタリアーノの演奏は筆者の思い描くテンポにマッチし清々しいサウンドが繰り広げられました。

協奏曲イタリアーノはアントニオ・ヴィヴァルディ中心に多くの演奏がありますが、今回バッハ好きの筆者はとりあえずこの曲を試してみる。



.S.バッハ:フルート・ソナタ集 
ラウラ・ポンテコルヴォ、リナルド・アレッサンドリーニ
アレッサンドリーニが満を持して世に送り出す、バッハのフルート・ソナタ。


【収録情報】
J.S.バッハ:
  ● フルートとチェンバロのためのソナタ ロ短調 BWV.1030
  ● ソナタ ト長調 BWV.1019(トラヴェルソとチェンバロ 原曲:ヴァイオリン・ソナタ第6番ト長調)
  ● ソナタ ホ短調 BWV.526(フラウト・トラヴェルソとチェンバロ 原曲:オルガン・ソナタ第2番ハ短調)
  ● フルートとチェンバロのためのソナタ イ長調 BWV.1032

 ラウラ・ポンテコルヴォ(フラウト・トラヴェルソ)
 リナルド・アレッサンドリーニ(チェンバロ)
使用楽器:
フラウト・トラヴェルソ:ビュッファルダンの息子(1720~30年頃)モデルに基づく、バーゼルのジョヴァンニ・タルディーノ製作による再現楽器(2017年)
チェンバロ:アントウェルペンのヨハン・ダニエル・デュルケン1745年製作モデルに基づく、オランダ、スホーンホーフェンのコルネリユス・ボム製作による再現楽器(1984年)
調律:a'=415 hz
録音時期:2017年11月17-20日
録音場所:ローマ教皇庁、宗教音楽研究所会堂「サーラ・アカデミカ」
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)



パートナーは、アレッサンドリーニの楽団コンチェルト・イタリアーノの首席を20年務めるという、篤い信頼で結ばれたイタリア出身のフルート奏者ポンテコルヴォです。
3曲あるフルートとチェンバロのためのソナタのうち、真作と見られている第1番と第3番(不完全な第1楽章はアレッサンドリーニが補作)を中心に、編曲2作品をプラスしました。C.P.Eバッハにより「トリオ」と命名された「6つのオルガン・ソナタ」より第2番は、調性をハ短調から長三度上げてホ短調とし、オルガンの右手をフルート、左手をチェンバロの右手、ペダルをチェンバロの左手へと置き換えて演奏されています。またヴァイオリン・ソナタ第6番の編曲は、今回のアルバムのために彼ら自身で行われたものです。二人の深く丁重な歌いこみがたいへん印象的な演奏で、低いチューニングもあいまって、作品の奥行きをじっくりと堪能できるアルバムに仕上がっています。

使われているトラヴェルソ(バロック・フルート)は「ビュッファルダンの子」として知られる18世紀の残存楽器のコピーで、これはバッハともゆかりが深いドレスデン宮廷楽団のフルート奏者P=G.ビュッファルダン[c.1690-1768]に由来する楽器と考えられているもの。その精巧な再現楽器によって、バッハ自身の生きた時代の響きに迫った企画となっています。原文解説では、バッハとビュッファルダンの直接の知遇があった可能性も示唆されています。



ラウラ・ポンテコルヴォ(Laura Pontecorvo)
1984年にイタリアのラクイラにある学校を卒業し、マリアンヌ・エックスタインにフルートを学びました。
1989年、彼女はビエラのアカデミア・スーペリア・ディ・ムジカでピーター・ルーカス・グラフが開催した3年間の大学院コースを修了し、1991年にはアカデミア・ディでフェリックス・アヨが開催した室内楽の3年間の大学院コースを修了しました。ローマのS.セシリア。より詳細な音楽研究の必要性から、彼女は1986年から1991年まで、作曲家ジャンパオロチティのレッスンに参加することになりました。


彼女は古代音楽に興味を持っていたため、マーク・ハンタイと一緒にバロックとクラシックの横笛の研究に専念することになりました。当初から、彼女の芸術活動は室内楽を中心としており、その関心は絶えず培われており、温室でこの主題を教えるためのコンテストへの参加も生じ、1999年に教授職に就きました。ローラポンテコルボの取り組みにおいて、教育は常に非常に重要な役割を果たしました。
現在、イタリアのフェラーラにある音楽院で室内楽を教えるほか、イタリア国内外の機関で定期コースやマスタークラスの短期契約を結んで歴史フルートを教えています。



現在筆者が疑問に思っていた、オーディオ・ケーブルに付いては如何に信号を「無いものと同じように」伝達できる条件は「早く」 「濁さず」 「漏れなく」 「正確に」伝える、これがオーディオ・ケーブルに求められる事だと思う。故に出来る限り短いケーブル、太いケーブル、純度の高い銅線が必要と言われ伝導率の良い銀製のケーブルが良いなど都市伝説が広まる、そこで色々試した結果が現在の筆者のケーブル状況である。
このケーブルはFBのオーディオの集まりの中で偶然見つけたWE製のスピーカーケーブルとしては細いケーブルで仕上がりもWE製らしくないプラス・マイナス線が緩く依線になっている点であろう。

メーカー:Western Electric(ウェスタンエレクトリック)
材質:芯線 錫めっき銅(単線) / 被覆 ビニル樹脂+綿繊維
被覆込外径:1.3mm
芯線外径:0.65mm
形状:ツイストペアケーブル(単線2本撚り対線)
近づいて見ると解りますが薄いビニールの上に更に布の綿繊維で被覆してあり緻密な作りに鳴っていることが解る。



現在使用するスピーカー接続ケーブルは以前購入したWE銅単線(芯線0.65mm)ツイスト・ヴィンテージケーブル(デッドストック品)30m程購入錫めっきの銅単線にビニール樹脂絶縁体の上に更に白と黒の綿繊維素材の絶縁体で被覆されているものを使っていますが。人によってはWEの製品では無くフェイクとも噂もあるようだが、確かに今回購入したケーブル使用で、以前購入した18GWEの銅単線ケーブルと比べ音質はスッキリした音質になった事が不思議である。

オーディオ愛好家の方も意外と多い電線病患者なのですが、最近仕入れたWEの細い緩やかな編み込みのケーブルを紹介します。筆者は数あるメーカーの中ではWEが一番使用率は多いようです。


なお2台のスピーカーの切り替えは相当古い機種ながらラックスのAS-5で繋いでいるが一度使うと手放せない利便性がある。

無知な筆者は例えばケーブル被覆についてもビニールより布巻きが電磁波の障害は少ないと聴く、三つ編み、四つ編みにして繋げば今以上の効果が得られるかもしれない?と疑問が付きまとう、確かに細いケーブルが何故音質が良くなったかの疑問がつきまとっていた。
そこで他人のブログを見つけ、以前購入したオーディオ機器にとって、悪影響しか及ぼさない「ケーブル」についてあるブログの紹介記事を興味深く読んでみますと、少し長いが・・・・記事内容ですがお付き合いください。

(先ずは私はワイヤーは、撚線より単線が好きで、太いワイヤーよりも、細い方が好きです、そして古いのと新しいいので言えば、圧倒的に古い単線の方が好きです、と答えてます。WE単線の方が好きですね その理由で、まず一言いいたいのは どちらも同じ新旧の電話線の技術賜物だと言いますが、アナログ回線の電話線とデジタル回線の電話は、声が全く違ともいます。単線と撚線」の「太いものと細い物」そして「新しいものと古いもの」私はワイヤーは、依線より単線が好きで太いワイヤーよりも、細い方が好きです。単線と撚線は音の繊細さ、輪郭等、バランスの取れた「撚線」かたや「単線の魅力」は音の一体感があり、ズレ・乱れがない纏まって飛び出すというかコンプレッション・エネルギーと一体感の単線とでも言いましょうか私は音力・エネルギーを求めていますので、好みは「単線」になります注、単線の魅力を楽しむならツイストは緩くツイストしてた方がいいと思います。ましてや三つ編み、四つ編み等で編んだりしたら、本末転倒、全く「単線の魅力」は無くなります。編むなら撚線を編んだ方がいいと思います、単線の編み込みは最悪でした。太い、細いは、太いと柔らかくピントが甘くなります。エネルギッシュに、響きの良い音で鳴らすなら「細い線」がいいです。新しい古いでは、古いほうが被覆等の造りが「古い」ほうが上質と思います。)との書き込みが掲載されていた。

今回購入の単線(芯線0.65mm)に交換して聴く限り書き込みあるように、音質はスッキリクッキリした感があり、以前愛用のWE18G錫メッキ銅線より勝っているように思う、購入したままゆるい編み込みの儘使用中です。
但注意点はWEケーブルは見つけ次第購入しなければ在保がなくなれば終わり現在は制作してないことが弱点である。その様な訳もあり次々に太さを変えWE製のケーブルも5種類以上持っているが・・・・
このWE製単線ダブルのスピーカーケーブルはわざと編み込みのゆるいこともWEのノウハウでもある、安価な点も大変ありがたい実にお財布に優しいWE製単線です興味ある方はにはお勧めします。

写真を見れば明らかだが、昔購入のベルデンのウミヘビはしっかり編んである、勿論撚線のためケーブル性能の変化は少ないのかもしれない・・・・・・?このケーブルの電線病は不思議?オーディオは謎が多い。



ケーブルに付いて色々調べてみて思うは、これは趣味の事で有るので、編み込みを使っても単線で緩い編込みでも使い方は自由です、本人の納得した使用方法が一番です。
但ケーブル交換時は無水アルコール等で良く清掃し接着場所も丁寧に清掃してから交換しましょう。接点復活剤の塗布も効果的です。

今回WEの単線は撚りが誠に緩いのは何故か、このような説明されていた、勿論WEの特徴は絹巻、又は綿巻きケーブルが多いのか、優れた点は絶縁に関係があるようです、筆者も思わずうなずき今回購入のWesternElectric銅単線(芯線0.65mm)ツイスト・ヴィンテージケーブルの緩くツイストされたケーブルにこのままの使用が最適だと共感しました。これは間違いなくWEスピーカーケーブル使用が正解と思う次第であった。
悩んだ末に単線ケーブルの謎の解明のヒントになれば幸いです、ブラボー!

ベースをフロントに出したニールス・ペデルセン 聴いたことのない音 まるでベースがスイングしてるように聴こえるだケニー・ドリューとのDuoを聴く。

2020年12月06日 | JAZZ・ボサノヴァ

最近JAZZを聴いていない、正確に言うと聴いてはいるが以前紹介した1960年代の物が多く、どうやら筆者のJAZZ音楽の認知はすこぶる浅く偏った事と判明する、かなりの偏ったJAZZファンなのであろう・・・最もこれは趣味の世界で有るので他人の意見などは全く無視しているが・・・。
未だにスイングジャズを聴き首振り族になる楽しさは実に気分が良い。

オーディオについても同様の事が言えそうで筆者は決して熱烈なオーディオファンではないのであろう、特にJAZZを聴くには現在は独特の「フェルトツイーターバリア」のついた個性的な20年前の眠りから冷めた「ho's systemのLS3/5a」のデットスックス品に繋いだ半世紀前の「LUX KIT/A3500」のそれなりに、よく整備したパワーアンプでJAZZを聴く。
子供の玩具の様なこの小さな箱とは思えないくらい低音もしっかり再現するスピーカー、筆者の聴くClassicJAZZサウンドには丁度いい塩梅に聴こえる、流石BBCお墨付きも決して伊達ではなさそうである、勿論好きなバロック音楽、クラシック音楽を聴くにも大変良い音が楽しめる。



スイングするウッドベースの十分聴ける状態の音がする、プリは所有せずに代わりにオーディオインターフェイスを使っているが、久しぶりの筆者好みのJAZZを聴く、音質が良い、演奏が良い、など制約は有るがむしろ音質より演奏重視で聴く、以前と比べ随分JAZZも聴けるシステムに近づいた、真空管のパワーアンプとの相性も良くまずまずのJAZZが聴ける。
勿論ケーブル類も相性の良いものを使っている、ケーブルはWE使用が多い。

この半世紀前のアンプは筆者のような素人でも配線等わかる範囲で補修しメインの真空管もすべて新しい物に交換しやっと落ち着いて試聴出来るようになった。300Bのアンプも所有するがLS3/5aにはA3500が相性は良く筆者の居間で聴くにはアタック音にも十分対応するようである。能率の低いスピーカーにはやはり適度なパワーも必要である、すべてバランスが大切である。



A3500の実測値は6CA7は3結で、実測最大出力:25W(8Ω、1kHz、5%THD)でそこそこの力は有るようです。

話は変わるが、音質的には問題ないと思っていた、RME ( アールエムイー ) / Fireface UCX オーディオインターフェイスが最高と思っていたが、日本製のKORG Nu1が独自の真空管装備の音質という、より音楽が楽しめるDAC発売して2年経過するがこれは音楽が楽しめるシステムかも知れない。

RMEも最近はRME AD/DAコンバーター ADI-2 Pro FSを販売しているがFireface UCXと比べあまり変わりないと思うが比べてことは無く詳細不明です。
一度じっくりオーディオ店舗で視聴デモしたいものです。



RMEはデザイン的にも、いかにも録音機材の匂いが強く、リスニングルームに装備するにはいくばくかの抵抗を示すがKORGはシンプルなデザインでプリアンプと言っても過言では無さそうである。音質は不明な部分も残すが実に興味あるDACであるようです。

勿論RMEと比べ、コルグ(KORG)Nu1の価格はRMEの倍以上の価格はするが、一度その辺りを音質を調べて見る必要は有る。実にまた新しい疑問ですが、利点はレコード入力もMC、MMと整っている事とKORGが開発した真空管を使用している点が注目することのようです。



原音の再現」にこだわり続けてきたコルグが、注目は以前にも紹介した、ノリタケ伊勢電子(株)と共に共同開発した新世代真空管「Nutube」や、オノセイゲン氏がプロデュースしたオーディオ・ドライバー「S.O.N.I.C.リマスタリング・テクノロジー」などを搭載し、同社のオーディオ・カテゴリー製品で初めて「コルグだけが出せる音」に挑戦したUSB-DAC / ADC + プリアンプと言った具合である。話題は尽きないが発売して2年も過ぎようとしている。

この全く新しい分野の音は更に改良され生の音に近づく可能性がある、利点は古き良き機材とも並行して利用でき、兎に角スピーカーが発明されて以降構造は全く変化していない、変化はイヤホンだけのようです。

本日の紹介は、本名は少し長いがニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセン(Niels-Henning Ørsted Pedersenn)デンマークの音楽界が輩出した英雄でジャズ・ベーシストです。



ペデルセンは1946年5月27日デンマーク・オスティッドの生まれ。バド・パウエル、デクスター・ゴードン、ケニー・ドリュー、オスカー・ピーターソンらと共演し人気を高めてきた。とくにケニー・ドリューの「テクニックが目立つうちは一流とはいえない。さりげないプレイの中にテクニックを隠してこそ一流だ」という言葉がジャズの何たるかを教えてくれたのだという。
勿論ケニー・ドリューもペデルセンとの出会いで彼の後半を変えコペンハーゲンで花開いたようである。

前回紹介のペデルセン(Niels-Henning Ørsted Pedersenn)で述べたように、ケニー・ドリュー(Kenny Drew)を素晴らしいピアニストであると初めて認識したのは「Dark Beauty」においてでした。それ以前は、ジョン・コルトレーン( John William Coltrane)の「Blue Train」のピアニストであるというくらいにしか記憶にはありませんでした。
しかし、「Dark Beauty」での彼は別人のように活き活きとしており、タッチも力強く華麗で素晴らしいピアニストであることを証明してくれたのです。ケニー・ドリューはスティープルチェイスの第二弾をペデルセンとのデュオアルバムで飾っています。今でこそこういうデュオはちょくちょく見ますが、当時としては珍しく「際物(キワモノ)」と言われても仕方のない状況でした。



それを敢えて採用した(それも第二弾のリリースとして)スティープルチェイスも思い切ったことをしたものです。それだけ、ケニー・ドリューとペデルセンの絆に信頼を置いていたんだなと思われます。

1973年4月2日の録音ですから、もう40年以上前の録音になりました。音楽の質の図抜けた高さゆえ、ずっと愛され続けているのが名盤の誉れを証明していることでしょう。静謐な雰囲気の中に密度の濃い音楽の対話があるからなのではと思っています。
リラックスしながら演奏しているのが分かりますが、時折室内楽のような緊張感が感じられるからこそ評価されてきたのでしょう。

ピアノとベースの二人だけで音楽を構築する難しさは想像できますが、純粋に音楽をわかりあえる者同士の強い絆がストレートに感じられるのが魅力でもあります。どの曲もそうですが、お互いの気持ちを探るかのようにテーマを投げかけ、それに対しての応答がまた次のフレーズへと伝播していく様が目の前に浮かぶようです。


1曲目とラストに収録してある「I Skovens Dybe Stille Ro」での愛らしいメロディの美しさは格別です。北欧に行って終生を共にするような良いパートナーと巡り合ったのがケニー・ドリューの再評価につながったわけです。

ケニー・ドリューの抒情的な面を最大に発揮した2曲目の「Come Summer」は実に素敵です。いきなりリスナーの心をつかむ演奏を披露しているのが愛される理由かもしれません。ピアノ・ソロなのですが、メロディを発展させながら、ダイナミックな演奏の展開で変化をつけるという試みで音楽の素晴らしさ、美しさを表現している名演奏です。全く飽きることなく聞ける音楽はそうはありません。質の高さは一聴すれば明白ですから。

ケニー・ドリューは1961年にヨーロッパに渡り、北欧のジャズの都・コペンハーゲンをジャズの活動場所として選びました。そこでの活躍ぶりを見ますと、渡欧が彼の人生の良い転機になりましたし、彼のジャズを確立したと思います。その地で彼の魅力が理解され、才能が開花したわけですから。


特に筆者の好きな、8曲目の「Wawe」はカルロス・ジョビンの名曲です。ペデルセンがメロディを奏でていますが、その音程の不安定さは当初気になりましたが聴き継いでいくうちに味わいの一つとして受け取っています。音程に正確だからといってよい演奏だとは言えません。

ケニー・ドリューもエレピアノとアコースティック・ピアノの多重録音で変化をつけています。ボサ・ノヴァの曲ですし、1970年代前半のエレピ全盛時代の音作りを結構好んでいるので受け入れています。一期一会のスリリングさと楽しさの両方を感じさせてくれる点にもあるのでしょう。

「Duo-Trip」では、息があい、心から演奏を楽しんでいる雰囲気が伝わってきます。テクニカルな面での二人の評価はこの曲で決まるでしょう。爆発したかのような感情の激しさと熱気に満ちていました。


1975年の発売当時、かなりのファンが購入したピアノとベースだけの「DUO」。ケニー・ドリューはいいとして、ニールス・ペデルセンとだけ覚えていたベーシスト。フルネームが「ニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセン」だというのが、このアルバムを購入して分かりました。笑い話です。きっと穏やかで豊かなひと時を演出してくれると思います。

パーソネル
 KENNY DREW Piano & Electric Piano
 NIELS-HENNING ØRSTED PEDERSEN Bass
演目
 1.I SKOVENS DYBE STILLE RO イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ウッズ
 2.COME SUMMER カム・サマー
 3.LULLABY ララバイ
 4.KRISTINE クリスティン
 5.SERENITY セレニティ
 6.DET VAR EN LØRDAG AFTEN ワンス・ア・サタデー・ナイト
 7.DO YOU KNOW WHAT IT MEANS TO MISS NEW ORLEANS ドゥ・ユー・ノウ・ホワット・イット・ミーンズ・トゥ・ミス・ニュー・オリンズ
 8.WAVE ウェイヴ
 9.DUO TRIP デュオ・トリップ
 10.HUSH-A-BYE イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ウッズ take 1

1970年代のブルーノート"と称されたデンマークの名門ジャズ・レーベル、スティープルチェイスの設立40周年を記念して、豊富なカタログの中から選りすぐりの名盤10枚をリイシュー。本作はケニー・ドリュー(P)とN.H.O.ペデルセン(b)のコンビネーションが生み出した、高い美意識に貫かれたピアノ・デュオの傑作。

DUO 2も有名ではあるが、筆者は圧倒的に最初の演奏が好きだ。

これはジャズと同じくらい陽気で、話しているような音楽を聴くのが好きなら、ケニー・ドリューとニールス・ヘニング・オルステド・ペダーセンは理想的な仲間に近いです。1973年4月から1974年の真冬までのこれらのセッションでの関係を考えると、これは理にかなっています。まず、底なしの着信音のある低音に気づきます。オープニングの「ISkovensDybe Stille Ro」では、それは明るさのパラゴンであり、楽器が可能な限り明るく浮力があり、軽快でもあります。



1940年代末にニューヨークでデビューを飾ったケニー・ドリューは、バト・パウエルの流れを汲むピアニストの一人として、1953年にブルー・ノート・レコードへ吹き込んだ「ケニー・ドリュー・トリオ」が初リーダー・アルバムとなっています。
その後もハード・バップ・スタイルを持ち味として、ニューヨークを中心に活動を続けていました。1963年に劇伴奏のピアニストとしてパリ公演を行った際に、人種差別がなくジャズも盛んで、自由な空気のパリが気に入ったようです。
その後、一旦は米国に戻りましたが、60年代後半にコペンハーゲンに居を構え、そこのジャズ・クラブ「カフェ・モンマルトル」と契約を結び、70年代後半までハウス・ピアニストとして活動を続けています。

一方、デンマーク出身で、ヨーロッパで最高のジャズ・ベーシスト言われたのがニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセンで、彼もまたカフェ・モンマルトル・クラブのハウス・ベーシストとして数々のミュージシャン達と共演していました。

1946年生まれのペデルセンは、2005年4月21日、58歳の若さで亡くなっています。

60年代から共演を続けてきた黄金コンビの、一つのピークを示す一枚。北欧のフォーク・ソング、スタンダード・ナンバー、自作を織り交ぜながら、息の合ったコンビネーションで魅了する。

演奏:ケニー・ドリュー(p)、ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン(b)

ソングリスト
 1.Jeg Gik Mig Over So Og Land
 2.Largo
 3.My Little Suede Shoes
 4.Trubbel5Bluesology
 5.That's All
 6.You Don't Know What Love Is
 7.Viking's Blues
 8.A Child Is Born
 9.It Might As Well Be Spring
 10.My Shining Hour



ブルーノート盤『アンダーカレント』以来、13年ぶりとなるドリューのリーダー作。新天地ヨーロッパでの盟友、ニールス・ペデルセンをパートナーに迎え、リリカルでインティメイトな対話を繰り広げる。
1974年録音デュオ第2弾の本作は、よりペデルセンが前に出て弾いているという点でシリーズ中一番だろう。両者がメロディ周辺を行き交いつつ展開される、一部の隙も無い絡みが正しく名人芸と呼ぶにふさわしい1曲目。譜割の細かいテーマを弾き倒すお得意パーカーチューンM-3の素晴らしさは前作と同一路線と言えるが、4、6、9曲目で聴かれる滑らかかつ柔らかなテーマを慈しむようなプレイに一段と磨きがかかっている。

また名スタンダード「YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS」の3拍子で奏でられるテーマ部分のラインが秀逸!!コード進行が細かくベーシストにとっては弾きにくいキーのためなかなか常套句的ラインから抜け出せない曲だが、ここで聴かれるペデルセンのメロディアスかつハーモニーも響かせたラインは素晴らしい!
ソロに入ると4ビート、最後のテーマでまた3拍子に戻るアレンジもスムーズに展開されておりこの作品随一の聴き所である。ブラボー!