伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

やはり欲しいLEICA・・・・コテコテのカクテル・ピアノを聴きながら

2016年06月28日 | 写真撮影

朝から雨・・・・庭先に咲いたユリ科の花

ライカのカメラではありませんが、GX7にLEICAのレンズを装着して楽しんでいます。

LEICA D VARIO-ELMARIT 14-50mm / F2.8-3.5 ASPH. / MEGA O.I.S.にて撮ってみました。

筆者の様な素人にも実にリアルに撮れちゃいます。かなり存在感があります。

Leitz + Camera = Leica1868年にライツ社を経営したエルンスト・ライツ(Ernst Leitz)。

ライカとはLeitz + Camera = Leicaという意味なんです。

もともと会社は「ライツ社」という名前でしたが、ライカが有名になると「ライカカメラ社」となりました。

ライツパークは、フランクフルト国際空港から車で1時間ほどのヘッセン州ウェッツラー(Wetzlar)にある。

35mmスチルカメラの原点「ライカ」を生み出したエルンスト・ライツ社があった場所として、

1980年代後半までのライカ製品に刻まれた「Ernst Leitz Wetzlar」などの文字でお馴染みの地名だろう。

ライカに限らず“光学の町”として知られる静かな場所だそうです

1930年代 - 1940年代ごろには「ライカ1台あれば家が一軒建てられる」と言われた。

昔アサヒカメラ1939年11月号に掲載されている

ライカIIIaクローム+エルマー50mmF3.5の価格は820円、

ライカIIIaクローム+ズマール50mmF2は1,200円であった。

当時小さな貸家が500円で建てられ、1,000円あれば場所にもよるが東京で土地付き一軒家が購入できた。

ただし、東京の土地が今より格段に安かったという要素もある。

しかし異常に高額でした・・・・

ライカではないが日露戦争時代に東郷司令長官のドイツのツアイス双眼を使用していた話は有名

 

この写真も有名です『ライヒスタークの赤旗』

第二次世界大戦中、ドイツのベルリン攻防戦で

ソビエト連邦の赤い旗をドイツの国会議事堂へ掲げた歴史的な写真。

このような戦争や歴史的事件の一場面を多く撮影したライカ。

こういった現場で使われたことでライカのカメラはその存在を世界中に知らしめました。

ただの知名度だけではなく、

社会的に使われた経歴から現代でも根強い人気があると言えるでしょう。

 

此の言につきましては長くなりますので

ヒギンズにしては珍しいおちゃめなジャケットです・

筆者の大好きなエディ・ヒギンズの、コテコテの「カクテル・ピアノ」的な演奏も、

ジャズ・ピアノのひとつのスタイルなんだと改めて思います。

そういう意味で、エディ・ヒギンズは、 遅咲きの「日本人好みのジャズ・ピアノのスタイリスト」の一人として、

永く記憶されるべきミュージシャンでしょう。日本で人気の高いピアニスト、エディ・ヒギンズ。

Lullaby of the Leaves, Eddie Higgins, Scott Hamilton

オールド・スタイルを信条とするテナー奏者、スコット・ハミルトン。

二人の趣味のよい贅沢な演奏で極上のおもてなし。

フレッシュで軽やかなピアノ、マッタリとコクのあるテナーの絶妙なハーモニー。

馴染みのメニュー “You Don’t Know What Love Is” 「あなたは恋を知らない」、

“Smoke Gets In Yours Eyes” 「煙が目にしみる」、

“When You Wish Upon A Star” 「星に願いを」のフルコースは、口当たりもよく、味わいも深い。絶品!

 

前に紹介の時点はアンプがONKYOで聴いていましたが、現在LINNに変えました。イギリスの音??

スピーカーから音が若干離れ、ピアンが自然に鳴る・・・アンプ造りにも違いが、KEFが良く聞こえます。

トリオ程度の小編成程の音を鳴らすにはLINNのアンプは良いですよ!決して大音量で鳴らさずに自然に聴くには良いですよ!

 

LEICAのロゴの付いたカメラが欲しいですね! 

 

 

ライカレンズの辞書に「ボケ味」や「個性」はあるのか?まずはライカレンズの「ボケ味」に関して。

ライカユーザー、特に日本人はライカレンズのボケ味が素晴らしいというが、

マックス・ベレク(ライツ社の光学設計者)は1930年に出した本で、

レンズを設計するにあたっては絞りとか焦点距離といったスペックはもちろん、「できるだけ収差を減らすこと」と書いています。

収差を上手にコントロールすることで画質もよくなるし、ボケもよくなる。そういう関連性があるんです。

しかもライカの中でも最もライカらしいと言われている「M型ライカ」はピント合わせがAFじゃないとか、

ほとんどのレンズの最短撮影距離が70cmまでしか寄れない等々、

制限事項がいろいろあったりして、決して「機能的にスゴイ!」というカメラではない。

デジタルが主流になった今でもライカを愛してやまない人が常に一定数いるのも事実。

その中には世界的に活躍する著名なカメラマンももちろん大勢いるし、

デザイナーやアパレル関係など写真以外のクリエーターやミュージシャンの愛用者も多い。

もし、ライカがただ高価なだけの時代遅れなカメラだとしたら、

ここまで幅広い支持は得られないだろうし、とっくの昔に消えてしまっているはずだ。

高価なのにはいくつかの理由がある。

 そのひとつは、ロット当たりの製造本数の違いだ。

日本メーカーの製品の場合、 ある程度出荷数が見込めるレンズに関しては、当然ながら最初から大量に製造する。

同じ製品であれば、数を多く作れば作るほど“個あたり単価”が安くなるのは工業製品の常識である。

ところがライカレンズの場合は大量生産といった概念ではなく、

手作業工程の多い少量生産なのでどうしても高くなってしまう。 日本メーカーのレンズであっても、

あまり数が出そうもない超大口径単焦点レンズなどは、それなりに高価だったりするが、これも同じ理由である。

高価な理由の2つめは、構造的、すなわち“レンズの作り込み”的なことだ。

日本メーカーのレンズの多くはAF機構に対応しているが、最近ではこれに加え、

撮影距離によって変動する収差を抑えるためにフローティング機構

(フォーカスレンズとは別のレンズ群を、ピント位置に合わせて最適な位置に動かす機構)

が組み込まれたレンズも珍しくない。

この場合、フォーカスレンズとフローティング機構のどちらもモーターを使って動かすので、

設計は大変だが製造は比較的容易に行える。

ところがM型ライカ用レンズのような純粋なMF(マニュアルフォーカス)

レンズでフローティング機構を組み込むとなると、

ピントの繰り出しに合わせてフローティング群が独自に動く複雑なメカを作らなければならず、

設計はもちろんだが、製造も精密機械時計並みに手間がかかることになる。

他にもM型ライカ用レンズに関しては、そのほとんどが他国にアウトソーシングされることなく

ドイツの自社内で製造されている(いうまでもなくドイツの人件費は安くない。

かつてはカナダライツでもレンズを製造していたが、そちらも人件費は高い)

ことによるコスト的なことなどが、高価になってしまう理由としてあげられる。

ではライカレンズの魅力とは何か。まず、レンズの基本である描写力が素晴らしいということ。

「描写力」というと、どうしても“ミリ当たり何本まで解像しているのか”という話になりがちだが、

レンズの描写力はとてもそれだけで語ることは出来ない。

ライカレンズの魅力、その2は「堅牢性」だ。M型ライカ用レンズに関しては、

鏡胴はアルミや真鍮がふんだんに使われており、非常に堅牢性が高い。

今は樹脂成型の技術も高くなっているので、プラ製の鏡胴だから耐久性が低いなんてことはないけれど、

例えばオーバーホールなどでレンズを分解清掃する場合など、

金属製鏡胴なら繰り返しの分解にも耐えうるが、そういった点でプラ製は不利だ。

実際に80年前のライカレンズでもメンテナンスさえちゃんと行っていれば、

今でも十分実用になるという事実がライカレンズのライフの長さを証明しているといえよう。

確かにライカレンズは高価だが、相当長きにわたって使用できることを考えると、納得せざるを得ない部分もある。

また、かなり古いレンズでも修理できてしまうメンテナンス体制が整っていることもライカレンズの強みである。

ライカレンズの魅力その3は、いつまでも古びないということ。

一般的にカメラもレンズもモデルチェンジしてしまうと、それまでの製品は旧型として扱われ、

価値が下がったような扱いになりがちだが、ライカレンズの場合はそうではない。

もちろん、ライカレンズにもモデルチェンジはある。

しかし、たとえモデルチェンジして旧型化したとしても魅力は下がることは無く、

そのレンズ固有の価値観がいつまでも残るのだ。

例えば現行のズミルックスM f1.4/50mm ASPH.は色々な点で完成度の高いレンズだが、

だからといってひとつ前の非球面化されていないズミルックスM f1.4/50mmの人気や価値

は別に下がったりしないばかりか、むしろ上がったりするほどなのだ。

ライカのカメラやレンズは「撮りたい」というモチベーションを強力に押し上げてくれる希有な機材だと思う。

しかも、ライカにはいろいろなストーリー性もあるので、

深く知れば知るほど面白さや持つ喜びが増していくという副次効果も期待できる。

こういうカメラやレンズって、他にはありません。

筆者もLEICAの交換レンズを装着しますと、なんとなくいい写真が撮れる気がします(爆)

LEICA独特の色、ボケ味等やはり手放せないレンズです。でも高額な点が問題ですが・・・・・

LEICAは今後はモニター無しのカメラが主流に・・・・?

液晶モニターをなくすアイデアはおよそ2年前からあったという。

カメラの主流がデジタルになってから、

ユーザーがカメラに目線を落として操作している時間が長いことに気付き、

「いっそ取っ払っては」と考えたのだそうだ。

筆者もライカの本体は欲しいのですがも高額のため手も足も出ません、

ライカは松下電器産業との提携2000年、

(現パナソニック)とデジタルAV機器用レンズに関する技術協力契約を締結し、

ディコマー(DICOMAR)レンズを搭載したデジタルビデオカメラなど開発・発売している。

松下とはそれ以前からフィルム・コンパクト機のOEM供給を受けている。

最近大口径広角レンズ F1.4「SUMMILUX」レンズが発売されるらしい、

LEICA DG SUMMILUX 12mm / F1.4 ASPH. ライカの厳しい光学基準をクリアした

開放F値1.4の「SUMMILUX(ズミルックス)」は、 非球面レンズを2枚、

UEDレンズを2枚、EDレンズを1枚使用し、サジタルフレア、色収差、周辺減光等を徹底的に抑え、

画面周辺部に至るまで豊かな階調を持つ緻密で自然な描写力を発揮します。

雄大に広がる風景、都市の景観、そして星空や夜景など高い描写性能が求められる被写体に適しています。

また、F1.4の明るさで、室内などの低照度下での撮影やボケを生かした撮影にも最適です。

但しお値段が¥180,000するらしい、でも12mmのライカレンズは魅力的です。


義父の墓参り・・松毬 (まつかさ)での会食・・・再度キース・ジャレットを聴く・・・・・

2016年06月27日 | グルメ

ブログをご覧頂いている方には最近釣りの情報が全くアップ出来てません。

海の様子も最近良くなりつつあると聴いいていますので、近々出撃の際はアップさせて頂きます。

 

昨日は良い天気で、義母の希望で亡き義父亡きの墓参りに出掛けた。

希望で丁度亡くなって10年になります。

埼玉のお墓まで来るまで役1時間30分程で お参りを済ませ、

寺に咲いている花の綺麗です。

近くにいる義兄宅に 久しぶりにランチ会食ということになり

此れが車で1時間程の距離でした、川向うの群馬県まで行きました(笑)

群馬の板倉東洋大前、松毬 (まつかさ) でも料理は美味しく頂きました。

最初は前菜で ごま豆腐

そして椀物エビシンジョウ

お作り、ヒラメ、鯛、マグロ、シマアジ 実に美味しい

続いて 焼き物

特に真ん中の焼き筍にうにを塗ったものが美味しく頂きました。

そしてメインディッシュの米沢牛の焼き物です。

そして締めは 鯛の炊き込みご飯です。少しおこげが出来て実に旨い!

そしてデザートはチーズケーキとアイス、珈琲です。満足です。

 

 

帰りは館林の高速で 車の中は暇なのでイヤホンで音楽を・・・

車の中の音は悪いので運転はジュニアにまかせiPhone 6sからイヤホンで聴く

キースっていえば、ジャズの世界でも、もう、ほんとに他に出る人もいない領域までいっちゃってる大御所も大御所。

特集を書くときにチェンバリスト達にきいたところによると、

チェンバロはピアノとはぜーんぜんタッチや発音の構造が違うので、

ピアノと同じ時期には弾けないとか、自分はもうピアノは弾けないとか、それぐらいみなさんおっしゃる。

前回も紹介しましたが、再度調べてみますと キースの未だ少しJAZZッケが残っているのがドライブには良いなかな?

タイトルはPianissimo - Play Bach, Beethoven, Mozart, Chopin & More - Jazz Meets Classic Wolfgang

Schömbs - ELVIRA MADIGAN Play MozartKlavierkonzert Nr. 21 II - KV 467

 

続いて Wolfgang Schömbs - B-A-C-H - Jazz meets Bach

 

 

筆者の持参してる、大好きなCDでです。

家に帰りイヤホンを取ってKEFで聴きます。やはり開放感が最高です。

最近ショップでスペンドールを聴いたのですが、いい音してました。

一度聞くと欲しく成る音ですね・・・・・

古い外観のため、過小評価されがちなスペンドールですが、

このスピーカーの音の光輝さは否定できないものがあるな・・・・・・!

一度真剣に考えていスピーカーです。やはりイギリスの音なんです。

此の作品を紹介するのも、またちょっと特殊な作品ということになるんでしょうか。

Kim Kashkashian_Keith Jarrett -- Bach.wmv

バッハの「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ」です。

ここでキースはチェンバロを弾いています。 この時点ですでにある意味特別ですよね。

そして、ガンバのパートはヴィオラによって演奏されています。

キム・カシュカシャン(Kim Kashkashian, 1952年8月31日 

アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト - )は現代屈指のヴィオラ奏者。

女性演奏家である。両親はアルメニア系である。

 

強靭なボウイングに支えられた幅広い表現力により、

バロックから現代音楽まで幅広いレパートリーを得意としている。

又はキース・ジャレットは日本人製作のチェンバロを愛用しているそうです。

 

高橋 辰郎(たかはし たつお、1952年生まれ)は日本のチェンバロ製作者。

武蔵工業大学機械工学科卒業。チェンバロ演奏家の高橋尚子は妻。 代々家具職人の家系に生まれ、

ごく幼い頃から職人だった両祖父から木工の手ほどきを受 ける。その後、叔父より木工技術を習得する。

学生時代より独学でチェンバロ製作を始める。

機械工学科に進んだのは、チェンバロのための音響工学的計算を学ぶためという。

チェンバロは一時期製作が途絶え、当時の製法自体が不明となっているため、

現在新規に 製作されている楽器は、ヨーロッパの古城や博物館などに残っている楽器の寸法を測定し、

複製したものであるのが普通であるが、

高橋は「現存しているものが、直ちに名器とはい えない」という考え方で、

複製楽器の一切を否定し、独自の理論に基づいてチェンバロの 名器を復刻しようと試みる、

世界でも唯一の製作家である。

彼の製作楽器の主流はイタリアン・ジャーマンであり、

その点でも、他の日本の製作者と は一線を画している。

現在そのチェンバロを使用して演奏しているのがキース・ジャレットであるそうです。

今週は海上はシケ模様で折角晴れたのですが、釣りは出来ない状態と聞きました。

昨夜山形より、新鮮で美味しいさくらんぼが届きました。

流石本場です、実に美味しく頂きました。ありがとうございます。


全く凄い・・・・キース・ジャレットのゴルトベルク変奏曲。

2016年06月24日 | バロック音楽・オーディオ一般

入梅って憂鬱ですね・・・・庭の薔薇も雨にぬれて、

昨日仕事仲間のM氏から情報です、最近FMで聴いたようです。

ジャズ・ピアニストのキース・ジャレット(Keith Jarrett)が

チェンバロを弾いたのが大変素晴らしかったと、言ってました。

こうなると仕事の事は、どうでも良くなり・・・でも確実にノルマは果たしました(笑)

恥ずかしい話筆者も 全く知らない情報でした。

早速家に帰りYouTubeを探ってみます。

早速見つけて聴いた見ます 何と、これが大変素晴らしい演奏となっている。 

我が家のLINNのアンプの組み合わせの小さなKEFでもいい音を提供してくれます。

相当スイングしてるんじゃないの?疑問が残る方がいても

一度お聴きください。

納得出来る演奏なんです。

筆者も大好きなバッハゴルドベルク変奏曲!!

そんなジャズ・ピアニストということから想像されるような要素はほとんどなくて、

きわめてオーセンティックなクラシック音楽の演奏となっている。

解釈は基本的にオーソドックスで、全体的にゆっくりとしたテンポで、

曲の構成がよくわかる立体的な演奏である。

そして曲によってはごくわずかに、細部を意図的に崩している。

この崩しによって、 教科書的でない躍動感が生まれ、

退屈さから解き放たれた音楽となっている。

 

Keith Jarrett - J. S Bach - Goldberg Variations (BWV 998 ) (Full Album )

 

ゴルトベルク変奏曲の魅力はたくさんあるが、私が一番感じるのは、

崇高な精神によって書かれている音楽だということだ。

それにしても、こういう曲だからこそ、ごまかしはきかない。

クラシック音楽のピアニストしてのポテンシャルが出る。

その点、何ら遜色がない。テクニックは万全でありながら、個性もある。

ピアノのリサイタルでコンサートホールを満員にできるクラスの演奏家である。 とはいえ、

クラシック音楽からすると異端に位置するジャズ・ピアニストが、

ジャズのアプローチでなく、クラシック音楽のアプローチでバッハに挑むという時点で、普通でない。

聴いたこと無い方は是非お聴きください。

キース・ジャレットは90年代後半から,慢性疲労症候群に悩まされ,

演奏がほとんどできない状態であったらしい。

それから,なんとか復活して現在は演奏活動を精力的に展開しているという、

復活後、、彼はクラシック音楽の録音は行ったのだろうか?もしあるならばぜひ聴いてみたいと思う?。

参考までに バッハの平均律クラヴィーア曲集

Keith Jarrett - J. S. Bach - Das Wohltemperierte Klavier, Buch II

 

いや本当に良い演奏良い情報の提供者M氏に感謝!!

それと筆者の大好きなバッハのガンバ、ソナタの演奏もあります。ヴィオラダガンバをビオラ演奏で

Bach: 3 Sonaten Für Viola Da Gamba Und Cembalo Kim Kashkashian, Keith Jarrett

ビオラ奏者とで演奏する、ガンバソナタも是非お勧めです。

 

Kim Kashkashian_Keith Jarrett -- Bach.wmv 

 

この曲は最近は古楽器演奏が盛んで ガンバ演奏をしていますが、昔はチェロを代用して演奏していたようです。

先日他界した・フルニエの演奏する、ガンバ・ソナタも有名です。

 

 心配していた事が、本日ニュースでイギリスEU脱退が決まったそうです。今後益々不安ですね・・・・・・・・・

これでアメリカ大統領選挙がトランプ氏になれば誰が喜ぶのでしょう???


イギリスEU脱退?・・・・・・こんな時には静かに音楽です・・・

2016年06月23日 | クラシック音楽・オーディオ

イギリスで、EU=ヨーロッパ連合からの離脱の賛否を問う国民投票が23日に行われます。

今後の世界情勢はかわるのでしょうか?日本への影響?不安です・・・

池上彰 イギリスEU脱退?EUはどうなる?日本も〇〇。

そのようなときには心やすまる音楽・・・・

アンドレス・セゴビア(Andrés Segovia, 1893年2月21日 - 1987年6月3日)は、スペインのギタリスト。

音楽史研究者やギター奏者から、「現代クラシック・ギター奏法の父」とみなされている。

多くの傑出した音楽家は、ギターはクラシック音楽の演奏には使えないというので、

彼のギターがヨーロッパのクラシック音楽界から受け入れられないだろうと信じていた。

しかし、彼の卓越した演奏技巧と独特なタッチは、聴衆を驚嘆させた。

結果的に、ギターはもはや大衆音楽の楽器としてだけでなく、

クラシック音楽の演奏にもふさわしいとみなされるようになったのである。

 

Andres Segovia : Bach Prelude BWV 1007

 

23歳で初めて南米に演奏旅行を行い、31歳の時にはパリでの演奏が大成功。

以来、欧米各地で独奏会を開き、セゴビアはホールでコンサートを開いた最初のギタリストとして成功を収めます。

「セゴビア・トーン」と呼ばれる独自の音を追求し、その音は限りなく美しいクリアな音と音の伸びで聴衆を魅了しました。  

また、これまでのギターレパートリーを超えて、ピアノ、ヴァイオリンへの編曲を数多くおこない、

ポンセ、ヴィラロボス、ロドリーゴをはじめとする作曲家にオリジナルギター曲を依頼し、

独奏曲に限らず、 協奏曲にまでレパートリーを広げました。

 

Andrés Segovia plays Bach

 

これにより、セゴビアはクラシックギターがフラメンコなどの大衆音楽とは一線を画し、

ピアノ、ヴァイオリンと対等に芸術音楽であることを示しました。

流石大御所の弾くAlhambraは流石です。

Andres Segovia - Recuerdos de la Alhambra (VintageMusic.es).

 

後進の指導にも熱心で、ジョン・ウィリアムズ、オスカー・ギリア、

クリストファー・パークニングをはじめとする現在の世界的ギタリストを育てました。

そして筆者の最近の注目は

 

FILOMENA MORETTI - Suíte em Dó Menor, BWV 997 / Prelúdio (J S Bach)

 

フィロメーナ・モレッティ(Filomena Moretti) 1973年イタリア(サルディーニャ)生まれ。

イタリアのギターの大御所オスカー・ギリアの学園で学んだらしい。

素朴な顔立ち(なかなかの美人)で好感が持てる。

1995年に、ミケーレ・ピッタルーガ国際クラシック・ギター・コンクールと

アレッサンドリア国際ギター・コンクールで第1位です。

演奏曲はパラグアイのバリオスの曲ですが、なぜか女性ギタリストに多く演奏される作曲家です。

 

Filomena Moretti YouTube

 

イタリアのギタリスト、フィロメーナ・モレッティは、

バッハの作品を集めたアルバムで日本でも注目されたが、

今回はターレガの『アルハンブラの思い出』の他、バッハ、ファリャ、アルベニスの名曲を演奏する。

 

Filomena Moretti. recuerdos de la alhambra.

 

バッハの室内楽・器楽曲の中では、鍵盤曲をのぞけば、リュート曲が一番好きで、よく聴くかもしれない。

そもそも、作品自体、他の器楽曲からの編曲ものも多いものの、

オリジナルと思われる曲の美しさ、完成度は圧倒的、

バッハの器楽曲の頂点に位置するといっていいかもしれません。

やはり、まずあげないといけないのは、古今東西の名手によるリュートによる演奏、

レオンハルトなどによるチェンバロ編曲バージョンなどですが、

ギターによる演奏も、独特の味があって忘れられません。

さて本日はEU脱退?EU投票日です。実に気になります。

 


海難1890・・・・・実はもっと良い映画になったんでしょうね??

2016年06月21日 | 映画・ビデオ

筆者が前から観たかった映画

『海難1890』は、2015年制作の映画。

日本とトルコの友好125周年を記念して、

合作及び朝日放送創立65周年記念作品第2弾、

BSフジ開局15周年記念作品として制作された。

1890年に起きたエルトゥールル号遭難事件と、1985年のイラン・イラク戦争勃発時に、

テヘランに取り残された日本人の救援のため、トルコ政府が救援機を飛ばして救出した出来事の顛末を描く。

海難1890 予告2- A

日本よりおよそ9000kmも離れた、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる1つの国、トルコ共和国。

かつてオスマン帝国として歴史に名を刻んできたその国と日本は、長きに渡り交流を深めてきた。

そして2015年、日本トルコ友好125周年を迎える。遥か海を越えた両国の友好には、

歴史の裏に隠された2つの知られざる物語があった―。

1890年9月、オスマン帝国最初の親善訪日使節団を載せた軍艦「エルトゥールル号」は、

その帰路の途中、和歌山県串本町沖で海難事故を起こし座礁、大破。

乗組員618人が暴風雨の吹き荒れる大海原に投げ出され、500名以上の犠牲者を出してしまう。

しかし、この大惨事の中、地元住民による献身的な救助活動が行われた。

言葉の通じない中、避難した小学校では村中の医師が集まり応急手当を行い、

台風の影響で残りわずかな蓄えにもかかわらず、食糧や衣類を提供。

そのおかげで69名の命が救われ、無事トルコへ帰還する事が出来たのだ。

そして、時は流れ1985年、イラン・イラク戦争勃発。

サダム・フセインのイラン上空航空機に対する無差別攻撃宣言によって緊張が高まった。

この宣言後、在イランの自国民救出の為、各国は救援機を飛ばし次々とイランを脱出。

しかし、日本政府は救援機を飛ばすことが危険と判断し救助要請に応えなかった。

テヘランに残された日本人は215人。 メヘラバード国際空港で誰も助けの来ない危機的状況に陥り絶望の淵に立たされた。

この状況を打開すべく、日本大使館はトルコへ日本人救出を依頼。

トルコ首相は、それを快く承諾。まだ500人近くのトルコ人がテヘランに残っていたにも関わらず、

日本人に優先的に飛行機の席を譲ったのだった。

この様な美談な物語ですが・・・・ 安倍首相きもいりで製作・公開される愛国映画「海難1890」だが、

首相の盟友というべき合作相手のトルコのエルドアン大統領はいまやISの庇護者として悪名が広まっている有様である。

アベノミクス外交映画として大々的に保守派に広めたかった映画会社としては、きっと頭を抱えていることだろうネ(笑)。

又エルトゥールル号沈没事故の原因といわれる人災については無かったことにされているし、

そのほかにも両政府に都合の悪い内容は描かれない。

当時の日本で大々的に起きた義援金集めの様子やそれに協力したマスコミ、国民の努力もオールカット。

此の映画を見ようとしてたのに、観る機会を失いやっとレンタルビデオを借りて観ることが出来ました。

悪いのは後半の、トルコの恩返しパートである。

ここは美談の主体が「国・政府」になるから、ただでさえうさんくさくなりやすい。

此の人物が絡むと、とても酷い事に成るようです(笑)。

より演出力が問われる難しい部分だが、

前述の通りこの映画の作り手は現在の日本・トルコ政府の顔色をうかがいながら作っているので、プロパガンダ臭がひどい

あんな場所で演説して、それだけで大衆の気持ちががらりとかわる。

そんなバカな話があるかと誰もが失笑するだろう。

トルコ人を必要以上にアゲたいばかりに、恩をうけとる日本人がワガママ非道に見えてしまう。

日本人なら不愉快とまでいかなくとも、複雑な心境になるはずだ。

エア御用なのか真正なのかはしらないが、プロパガンダとしての使命感がこの映画を、

そして両国の歴史に残る美談にもケチをつけてしまった。

此のように感じるのは筆者だけだろうか?

お涙頂戴の映画のようですが 政治の匂いがして、全くそのような事もなく??

非常に残念な映画でした。 この映画にどの程度税金を使ったのでしょうか??

疑問が湧きますね??

こと、映画に政治が絡むとろくな事にならない。 とくにハリウッドと違い、

日本はそういう企画にまだ慣れていないなと 「海難1890」を見ると痛感させられる。