伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

最近遠方より来客あり狭い部屋で申し訳なかったが・・・その後J.S.バッハのヴァイオリン・ソナタの謎?BW V1020〜1024を考察する。

2023年01月28日 | J.S.バッハ制作音楽

FBの友人来る、筆者の音が聴きたいと遠方より来られる、友人はジャズ系統がお好きでご自宅ではB&Wを愛用しているそうです、筆者の古いタンノイの音とは違うそうである。最近関東も冷え込んだが、翌々日には無事到着したとの連絡を頂く。過ごしやすくなったら又おいでください。お疲れ様でした。
極寒の時期は自宅にての音楽鑑賞が一番である。愛犬との散歩で近くの公園では紅梅が花開き春を感じさせる風景でもある。

その様なことを思い妄想する・・・一般的に昔、歴史は支那歴史が日本より長い歴史があったと学校教育で教えられたが最近の科学力によって違いが明白になる、其れはDNAの解析で明らかになる勿論DNA解析は近年の科学でである。
魏の国から倭の国への交通網も当時は既に開発されたようであり、当時の地図が物語るようである。

近年一番不思議に思うは、最近発見された縄文土器以前の石器時代の長さの異常差であろう、大きな石を割り其れを削りそして研ぐ工場があった事なのです、石器時代の道具は既に一万点以上発見された不思議であろう、又特殊な石も南方より運搬誌造船技術も盛んで驚きでもある。
但し日本の土壌は弱酸性の為人骨は溶けて無くなる、正に仏の教えの如く(無)になる様である。今後ジャワ原人の生存のように日本原人が発掘されるのかも知れないが、一番興味深い事は、事実を知ることのようです。今まで歴史として教えられた支那方面からの文化の伝わった流れは全く逆であったと言われる時代が来るのかも知れない。其の様に考えると誠に理にかなった辻褄が合う事に気づくであろう。

下記の地図は三国志時代の地図で、あるいは中国史の対象は、中国大陸の地域史であり、漢民族を中心に様々な異民族を加えた歴史である。中国の黄河文明は古代の世界四大文明の一つに数えられ、また、黄河文明よりもさらにさかのぼる長江文明が存在したとも言われた。以降、現代までの中国の歴史を見る。


しかし最近の日本の歴史を調べると今までの日本歴史は天皇が日本を収めた以前は神様の領分として取り扱われた神話の話であった様だが、日本は一万年以前から続く縄文文化時代があり、何とそれ以前から磨製石器時代があった、確かに多くの漢字等の文章は支那の夏王朝の時代から渡来してのであろう、夏王朝は古代中国で最初の王朝でした。この時代には東夷人が出現し「史記」や「竹書紀年」の記載によると夏王朝は夏禹によって始まり十四代にわたる17人の王により500年間続きました。しかし一部の間では夏王朝の存在について未だ議論されていますが現代の中国史・考古学界では夏王朝は実在したものと見なされています。
日本では支那の歴史の夏(か)がいつの間に華(はな)になり中華(まんなかのはな)即ち中華(ちゅうか)となったそうである。やがて古代青銅器の商王朝の時代に中国文明は黄河流域で始まりました。 そこから他の地域に徐々に広がり、青銅器時代の文化がピークに達しました。その後、周王朝の封建時代に領土と人口が拡大し、儒教や道教などの伝統的な中国哲学が生まれました。
そしてついには200年以上の後に古代中国はいくつかの国に分裂し、その後の統一は中国帝国の時代の始まりを示しています。そこでの注目は欧州にも言える事だが時代が変わるとともに滅ぶ時代があり全て無くなって次世代に移る習性がある様です。支那も今年はじめて人口が減少となり支那共産党の衰退の始まりであろう。我が国の今一番の心配は支那の台湾侵略であるが・・・?

最新ニュースは朗報とも思えるニュースで、支那の衰退というより中国共産党の衰退の兆しであろう、今後急速な労働人口(18〜65歳)が減少し中抜けの状態になるのであろう。今後一人っ子政策時代分の人口の減少の中抜け状態が続くのであろう、支那は毎年大阪分の人口減少が当分続くのである。
因みに支那語で「未豊先老」(豊かになる前に高齢化社会になる)と支那人も呟いているそうである。
世界でも大変珍しいとされる日本の特殊性は縄文時代、弥生時代とはクロスオーバーにて次の新しい文明を引き継いだことが特殊でありアングロサクソン等と違うところである。近年でも皇室関係人種、神々の人種、帰化人の人種が1/3ずつ喧嘩もせずに上手く混じり合った人種が日本人とする説もあるそうですが・・・面白き解釈である?
確かに化石からの出土品の中にも殺傷能力のある武器は出土しない事も日本人は平和であったのか?も大変疑問でもある。また暮らしぶりも大変豊かで一週間は獲物を取って三週間共同生活をしていたと言われる、狩猟は日本鹿、猪、貝類、特に牡蠣等は簡単な養殖方法を考案して安定した採取をしたとも言われている。
ただし言語はなく言葉は未だ曖昧で支那から漢字の伝わる前の文献も乏しいと言われている。そして平安時代の長閑な文化が経て鎌倉時代から武士の時代に突入、勿論この時代には闘争劇もあり戦いで人々は亡くなるが皆殺しもなく、時代が変わっても全ての種族は全て殺さず、それぞれ地域によって生活した。
此処での他の国とまったくの違いは女性の活躍で、清少納言、小野小町等の文筆家が活躍した時代で歴史上に観ても日本は平和主義の国であった様である。



筆者が不思議に思うはこの先の戦国時代、そして織田信長、秀吉、家康にて江戸幕府と進んだこの時代に一番肝心な事は情報をいち早く知る事が肝心であるが、歴史書を見ると相当の手紙のやりとりが定かであり、戦乱の世の中で誰が文章を手渡したのであろうか?凄い疑問である。

現在も戦争兵器としての活躍は通信網の良し悪しだあり今日のウクライナ戦争も通信した為に発進場所が発覚し多大な損害も出している、戦国時代の通信方法については歴史学者も全くそのことには触れずに歴史を進めている、ただ一度司馬遼太郎の小説にて「播磨灘物語」の信長不幸の知らせの知れせを述べた記実を小説にした題材は大変面白かった。
このような物事の知らせを伝える仕組みは可也の歴史がある、日本では、手紙や荷物などを送り届ける飛脚(ひきゃく)という人がいた。飛脚を使った通信は、鎌倉(かまくら)時代に始められ、江戸時代の終わりごろまで続いたんだ。そして、明治になってから出来上がった、郵便制度だ。郵便だと、手紙やはがきを書いたら、切手を貼ってポストに入れるだけ。送りたい相手に、どこへでも届けてくれる。郵便制度は、今では世界中で取り入れられ、当たり前のように使っている。



上記の図は飛脚が走った時間が記された表である。
戦国時代は日の出と日没を基準とする「不定時法」が使われていました。 明るい時間帯と暗い時間帯をそれぞれ6等分して一刻(いっとき)としました。 「不定時法」は季節によって一刻の長さが変わるのが特徴です。 

飛脚より早く知らせる相手先へ赴く時に、使者は馬に乗って移動をしていました。この馬のことを早馬(はやうま)と呼びます。しかし戦国時代の馬は現代のサラブレッドとは違い、小型で足の太いズングリムックリ型の現代の木曽馬に近い馬型でした。
戦国時代は、地方同士が敵対して戦うようになり、各地の諸勢力が関所を設けたため、領国間にまたがる通信が困難となりました。けれど、戦国大名が書状を他の大名に送ることがあったため、家臣、寺僧、山伏が飛脚となって派遣されていたそうです。
軍用犬とは、軍務のために調練した犬のことですが、戦国時代、太田資正(おおたすけまさ)という大変な犬好きの武将が、日本初の軍用犬を考案し、伝令に使用したと言われています。
歴史上の手紙といえば、聖徳太子を思い出す人も多いのでは? 聖徳太子は遣隋使の小野妹子に託した国書に「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す、つつがなきや」と記し、受け取った隋の煬帝が激怒した! というエピソードで有名ですが、本来隋と対等の関係を結びたかったこその言葉でした。
面白きはその後、小野妹子が隋に渡る際に託された手紙には、「東の天皇、敬(つつし)みて西の皇帝に白(もう)す」と書き出し、「謹みて白す。具(つぶさ)ならず」と締めてあり、現代の手紙にも使う「敬白」「謹白」といった言葉が飛鳥時代から受け継がれてきていることがわかります。

たとえば関ヶ原の戦い。
7月18日に伏見城に開城を迫ったとき、守将の鳥居元忠は関東の家康に使者を送ります。この使者が小山の家康に着いたのは24日、つまり600kmちかい距離の所要日は6日間です。7月22日の東軍の岐阜城攻めの前哨戦となる木曽川渡河の成功の報に、家康が答えたのが25日。400kmちかくを3日間です。7月30日、大阪の石田三成は真田昌幸に、挙兵を伝えなかった詫び状を送っています。つまり、挙兵の報を聞いた昌幸の苦情が届いた返答なので、10数日間で上方と信州上田と往復で1000km弱を、使者は行き来したことになります。平均1日100キロと大変早いペースである。
また、九州隈本の加藤清正に8月12日の家康書状が江戸から届いたことを、彼は9月10日松井康之に書状を書いています。つまり、江戸熊本1500km近く、しかも西軍が抑える上方を抜けて、1ヶ月かけて踏破しています。
これが、戦国の最速の情報伝達速度でした。
家康もこの情報速度を痛感したのか、家康は関ヶ原の翌年には、五街道と伝馬制を整備しています。



またもや面白き手紙の発見、2017年に発見されたばかりの、秀吉が側室の茶々に送った手紙。茶々がお灸をすえるほど高熱だったことを心配したが、具合がよくなったと聞いて満足したということや、サンマを送ったので食べるようにという、のどかな内容です。文末に「おちゃちゃ」「大かう(太閤)」と記されているのもほほえましく、茶々に対して、細やかな愛情を注いでいたことがわかります。
通信について遡り歴史を考えると、世界的にも日本独自の世界があるようで通信網は誰もが大切に扱い、当時の幕府でもその生業に加勢したと思える様である、戦国武将たちもパブリシティは壊さず大切に扱ってきた様に思わざるを得まい。

ここで言い訳をすれば、過去が解らなければ未来は見えない、本当の過去は新しいテクノロジーにて徐々に解明されるであろう、その事実を我々は注視しなければならないのであろう。正しく人間に未来はあるのであろうか・・・?



そこで此の問題は次の時代にに移っている様です、今世紀時代ににはIT関係については殆ど解決され実際にIT機器(スマホ)を使いこなす時代になった訳でありますが、キャッシュレス時代になり欲しいものは簡単に入手でき今は地球環境問題、古代の化石燃料枯渇問題で燃料不足が叫ばれる時代に突入した訳なのであるが、歴史は常に進化する事が早くなっている様である。
今やITは古く、今後の最新科学は量子学であると言われる、物理学において用いられる、様々な物理現象における物理量の最小単位である。主に巨視的な物理を取り扱う古典力学では、物理量は実数で表される連続量だが、量子力学では、量子を数え上げたものとして扱われる。今後は量子コンピュータ一は部で商用化が始まっている量子コンピューター。期待される高速計算は従来の科学技術とは異なり、指数関数的に成長していきます。社会への実装が進めば、市場プレーヤーが入れ替わるインパクトがあります。
物質の最小単位は「原子」ではない。そのことが分かったのは、20世紀の幕開けを目前に控えた1897年のことだ。「電子」の存在が発見され、原子に内部構造があることが明らかになった。1911年には、「原子核」が発見され、その周りを電子が回っていることが突き止められた。
物理学者の探求は、原子核そのものへと向かう。1919年に「陽子」が、1932年には「中性子」が発見され、原子核が陽子と中性子によってできていることが解き明かされた。



上記の図は日経新聞から引用させて頂く。
その後の宇宙観測技術や加速器実験技術の発達により、より小さな粒子が存在することが徐々に明らかになる。1964年、「陽子」や「中性子」を構成する「クォーク」という「素粒子」の存在が予言され、1969年にはアメリカの加速器実験で「クォーク」が存在する証拠が検出された。
こうした研究の積み重ねにより、物質の最小単位としての「素粒子」の正体が明らかになった。なお、「電子」も素粒子のひとつである。
今後の注目するエネルギーは効果的には素粒子の様です。非常に理解しにくいが、例えば一個の原子が神宮球場と知ればその中の一握りのマウンドの土を手にすることが、素粒子と思えは分かり易い、この研究で事実が明らかになった事がUFOの登場である異次元に一瞬で移動できたり、光を越えることも出来る、一兆億光年の先が解明されるのかも知らない、太陽エネルギーは人類は現在5%程しか活用してないので、素粒子を入手できれば太陽エネルギーの入手は簡単でCO2問題も全く関係ない社会構成が可能で戦争は終結する、太陽エレルギーで燃料確保は万端ゆえ未来は平和で明るいのである。



現在筆者の愛機はタンノイIIILZのユニットを使うが、当初はタンノイのオリジナルエンクロージャーで聴いてましたが、低音不足を改良のため現在GOODMANS AXIOM 80の箱に装着し愛用するが、確かに音質はタンノイオリジナル仕様は弦楽四重奏演奏については抜群のパフォーマンスを得たが、オペラ、オーケストラ等は低音不足で音楽を楽しむ事に不満があり今のシステムに至るが、でもベートーヴェンの弦楽四重奏などはオリジナルで聴くことが勝るとも思える、人の耳は実にいい加減な事で。特に弦楽四重奏曲第9番ハ長調 Op.59-3等は現在ではサブ機のLS3/5Aでの試聴が大変心地良く鳴り、実に人間の耳など実にいい加減なものと思えるのである。
しかし現在のパフォーマンスを得るには2年の月日が必要であった、簡単に改良すればと思うが、色々な音楽を聴き思った改良箇所を検討し実施する連続でエージングが必要を要する場合もあり今に至るのであった。改良すると簡単に言うが経過と結果は違う様である。



現在古いIIILZのユニットはHPD295以降ではウレタンエッジを使っているが現在筆者が使用するIIILZのユニットはHPD295以降ではウレタンエッジを使っている、エッジのウレタンやゴムなどの高分子樹脂部品は劣化が激しく、JBLなどが好んで使う「灰色のウレタンエッジ」は加水分解により、直射日光などがあたる劣悪な環境では最短1年未満で、乾燥した室内などの最も恵まれた環境でも最長10年程度で、風化してぼろぼろになります。
エッジの寿命を延ばすため、ウレタンエッジを「鹿皮」などに張り替えサービスがありますが、「張り替え後の音質がオリジナルと大きく変わってしまう」一度セーム革製に交換したが音質が変わりウレタンエッジに張り替えた経緯がある。
欧州系のスピーカーよく使う、「黒いゴムエッジ」も、3年くらいで劣化が始まります。5年~10年程度経過したユニットを取り替えると音質は見違えるように良くなることが多いようですが、ぼろぼろになって破けるようなことがなければ、そのままお使い頂けます。ゴムの表面が硬くなっていたり、細かいひび割れがある場合には、エッジやユニットが交換時期に達していますので、ユニットの交換が必要です。
IIILZHPD295以前の Monitor GoldのエッジはTannoyの上級モデルに使われている「蛇腹状の布エッジ(ハードエッジ)」の寿命は非常に長く、数十年使えるとTannoy社は説明しています。



高価なオーディオ機器を購入するとき、あるいは中古品を購入するときに気になるのが「寿命(耐用年数)」です。ある程度の期間までは、鳴らし込めば鳴らし込むほど音は良くなりますが、ピークを過ぎれば、やはり「劣化」が避けられません。オーディオ機器のパーツで最も早く劣化するのは、「電解コンデンサー」です。電解コンデンサーは、車や携帯電話のバッテリーと同じような仕組みで電気を蓄えたり放出したりを繰り返します。その回数が多くなれば、性能が低下し音が悪くなります。高性能なオーディオ専用電解コンデンサーでも、5000時間を経過すれば音質への悪影響が起きることが多いようです。
所詮音楽愛好家としては粗々の音が聴ければと妥協して聴いていると思います、筆者のようにジャズからクラシックを幅広く聴きたいと言う果てしない欲求も残るがある程度の整理は必要でもある。無常力空間の次元の狭間に逃げるのも一つの方法かも知れません。

今後は量子コンピューターが当たり前の時代になれば電池も簡単に電気配線がら簡単い持ち出せる様になり、自由で快適な環境を入手できるのであろう。産業革命で時代変化が送り通信方法が変化し全ての生活が変化した、次に変わる時代は素粒子の世界量子の時代に突入するのであろう、光より早く勿論どの時代にも見られる時代が来るのかも知れない。
J.S.バッハの時代当時の音楽が生で聴ける時代になるのかも知れない。愈々次の時代が見える様になる、三菱・IHI等も来年度から原子科学分野への新社員を大幅に募集するそうで、原発の平和利用がやっと進むであろう、現在某国でアメリカと共同での原発開発を行っているそうであり、その後は素粒子の開発が期待できるのかも知れない・・・・・!

BWV 1020とBWV 1031に若干の疑念を暗示しながらも、すべて真作と見なして記述されている。一般的にはフルートとチェンバロのためのソナタ ト短調 BWV1020とされて演奏されているが真相は不明である。バッハ :ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ BWV1021 ト長調
(Bach, Johann Sebastian:Sonate für Violino und Continuo G-Dur BWV1021)バッハ :ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ BWV1022 ヘ長調(Bach, Johann Sebastian:Sonata für Violine und obligates Cembalo F-Dur BWV1022)バッハ :ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ BWV1023 ホ短調(Bach, Johann Sebastian:Sonate für Violino und Continuo e-moll BWV1023)
J.S.バッハの作品目録では「偽作」に分類される、J.S.バッハが作曲したとされていた、あるいは、編曲した作品を集めたもの。バッハ以外の人のテーマに基づいてバッハ自身が作曲した作品も最後に収録されています。
昔良く聴いたクリスティアーヌ・ジャコテ, アルテュール・グリュミオー演奏のヴァイオリンソナタを久しぶりに聴く。特に気になるのはBWV1020以降のヴァイオリン・ソナタを聴き直す。



 08.ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ト短調 BWV1020 Allegro
 09.ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ト短調 BWV1020 Adagio
 10.ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ト短調 BWV1020 Allegro
 11.ヴァイオリンとコンティヌオのためのソナタ ト長調 BWV1021 Allegro
 12.ヴァイオリンとコンティヌオのためのソナタ ト長調 BWV1021 Vivace
 13.ヴァイオリンとコンティヌオのためのソナタ ト長調 BWV1021 Largo
 14.ヴァイオリンとコンティヌオのためのソナタ ト長調 BWV1021 Presto
 15.ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ヘ長調 BWV1022 Allegro
 16.ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ヘ長調 BWV1022 Allegro presto
 17.ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ヘ長調BWV1022 Allegro
 18.ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ヘ長調BWV1022 Presto
 19.ヴァイオリンとコンティヌオのためのソナタ ホ短調 BWV1022 Adagio ma non troppo
 20.ヴァイオリンとコンティヌオのためのソナタ ホ短調 BWV1022 Allemande
 21.ヴァイオリンとコンティヌオのためのソナタホ短調 BWV1023

録音年:1978年2月18-23日、8月30-31日(1-5)、1980年4月9-14日(6-21)
録音場所:スイス
パーソネル:クリスティアーヌ・ジャコッテ(チェンバロ)
      フィリップ・メルムー(チェロ)
      アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)

筆者はジャコッテのチェンバロが好きで、このアルバムを聴く。バッハのこの「偽作」が生まれた要因は、J.S.バッハが他の人の作品を筆写した楽譜を後世の人がバッハ作品として出版した。あるいはJ.S.バッハは次男のC.P.E.バッハは、お互いの作品をよく筆写したため、時にJ.S.バッハの作品がC.P.E.バッハの作品として出版されることもあった、など、様々な要因によるものである。


ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ (Gottfried von der Goltz)
フライブルク・バロック・オーケストラのリーダーとしても活躍するバロック・ヴァイオリン奏者ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ。これまでバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータとソナタ、ヴァイオリン協奏曲集をリリースして高い評価を受けてきましたが、今回は通奏低音付きのソナタ集に挑戦。
有名なBWV1014~9の6篇ではなく、ほとんど顧みられない3つのソナタとフーガをとりあげているのが大歓迎。また長らくバッハ作とされながら現在はテレマン作と認定されたイ長調BWV.Anh153と作者不詳の1720年代のハ短調のソナタを収録。さらにヴァイオリン・ソナタ第6番ト長調BWV1019の第3楽章として書いたガヴォットも聴けるのも存外の慶びと申せましょう。
バッハの受容と研究のうえでなおざりにできぬ作品をゴルツの演奏で堪能できるのはぜいたくな限り。チェロのアンネカトリン・ベラーとチェンバロのトルステン・ヨハンが絶妙なアンサンブルを創り出しています。との案内がありました、以前BW V1079の演奏は好印象で期待した。



最新の作品ではゴットフリート・フォン・デア・ゴルツがJ.S.バッハのヴァイオリン・ソナタ集を録音!~BWV1021,1023,1024,他
Violin Sonata Bwv, 1021, 2023, 2024, Etc: Von Der Goltz(Vn)Beller(Vc)T.ヨハン(Cemb)
【曲目】
J.S. バッハ:ヴァイオリン・ソナタ集
 1.ヴァイオリン・ソナタ ト長調 BWV1021
 2.ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 BWV1023
 3.ヴァイオリン・ソナタ ハ短調 BWV1024
 4.フーガ ト短調 BWV1026
 5.ガヴォット BWV1019a
 6.ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ イ長調 BWV.Anh.153
 7.ヴァイオリン・ソナタ ハ短調(作者不詳)
【演奏】
 ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ(ヴァイオリン)
 アンネカトリン・ベラー(チェロ)
 トルステン・ヨハン(チェンバロ)
【録音】
 2021年5月、フライブルク・アンサンブルハウス
最新の録音も大変優れて聴きご耐え十分である、BWV1020はじっくり聴くとこれがバッハの音楽か?少し違うのではとも思える符牒はあるが未来では簡単い調べる事ができる様になるのかも知れない。今までは夢の世界と思っていたことが近い将来には現実味を帯びて来たのである。
筆者の若き頃友人達と見たUFOあの怪しげな光の進み具合は地球上の物体では無い、この様な量子分野が進めば未来が見えてくるのかも知れない。
筆者の生前中は無理な事であろうが・・・明るい未来にブラボー!

以前一度紹介した鍵盤奏者のハンス・ピシュナーのJ.S.バッハ演奏を考察する。

2023年01月19日 | J.S.バッハ制作音楽


港の写真は久しぶりのアップである。友人に誘われ久しぶりに南房にサヨリ狙いで出撃する、途中ランチに立ち寄る、いつものラーメン屋さんは生憎の定休日で向かいの初めての「レストラン アペティート」でランチをご一緒するメニューはランチコースがあり、早速コースを頂く。
案内を受けるが只今満席で、15分程お待ちください、、、これは期待できるかも知れない?
客層も身なりの良い老夫婦が多い、このあたりの名店かも知れない・・・・・?調べますと南房総鴨川の本格イタリアンレストランとの案内が見つかった。https://appetito.chiba.jp/

食後の終わりは筆者が出発前にポットに淹れた珈琲(銘柄はモカ)は旨い、自分で淹れた珈琲は何時もの味がして飲みやすい。



コースなので写真は撮らなかったが前菜、パスタは2種より選び、メインは3種(魚、豚肉、ハンバーグ)より選び最初に出たカボチャのスープが激旨でした、予約すれば待ち時間はないそうである、ゆっくりランチコースを頂き満足しました。意外とお手頃価格でボリュームもあり満足した。次は家族を連れてこようと思う。

釣りはサヨリは沖に回遊していて、竿の選定に失敗し坊主でした、リベンジをしなくては・・・、彼此10年以上前に癌の手術の為肩凝りが酷くオペしたドクターからも肩のマッサージをする様に言われたが、ハードな運動がいちばんの効力がある様です、4時間ほどの遠投したお陰か慢性の肩の痛みが少しは和らぎ、肩痛みは少なくなった、確かに以前アジ釣りを頻繁に来た頃は肩の運動の為にも今後健康の為にも出撃を考えなければと思った。浴槽でのマッサージでは肩の凝り、痛みは解決しなく、ハードな遠投運動が適切であると思った次第である、釣果は3年ぶりの出撃は失敗に終わって坊主でしたが・・・。(笑)
穏やかな海のオゾンを一杯身体に浴び気分は良く、帰りも交通量は少なくスムースに帰宅した。



昔筆者がJ.S.バッハの音楽を聴き出した頃、多分グラモフォンレコードのLP盤で聴いたのが最初であったと記憶する、最初に感じたことは可成り厳粛な演奏で、近寄り堅い程清楚な感じがして、聴くには緊張を覚えた記憶があります。LPレコード盤に何度も針を下ろすたびに徐々に馴染んでいったのですが・・・この雰囲気の中に浸りたくなるのでした。
50年前のLP盤それも2枚組、当時は初任給の給与は1ヶ月2万円未満程でLPレコード盤は正に高値の花で2枚組で4,400円程と記憶する、当時購入したレコード盤が最近CDになって再登場したのです。

下記の様なコメントがある、20世紀を代表するヴァイオリニストの一人、ダヴィッド・オイストラフ(1908~1974)は旧ソ連の至宝として、東側だけでなく西側にも演奏旅行を行い、行く先々でレコード録音やラジオ放送を行った為、膨大な数の音源を残しました。ただ、バッハのヴァイオリン作品の録音は極めて少なく、無伴奏ソナタは1曲のみ、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集も、全曲録音はこのピシュナーとのドイツ・グラモフォン盤が1種類あるだけです。

この全曲は旧東ドイツにあったドレスデンで1961年、1963年、1966年に2曲ずつ録音されて完成しました。このヴァイオリン・ソナタ集がもつ美しいメロディの描き方、スケールの大きな包容力において、オイストラフ以上の演奏は今なお見いだせない程とおもいます。LP時代に大変人気があり、何度も再発売されたレコードですが、意外なことに今回が世界初CD化となりました。



東独VEBドイツ・シャルプラッテン・ベルリンによる録音で、ステレオ初期の名盤として知られます。オイストラフの妙技のみでなく、ピシュナーによる純ドイツ風ともいえる武骨ながらも独特の魅力のあるバッハ演奏をも味わえるものとなっています。

共演のハンス・ピシュナー(1914.2.20~2016.10.15)はチェンバロ奏者として活躍する傍ら、旧東ドイツのベルリン放送局音楽局長、文化省音楽部長、ベルリン国立歌劇場のインテンダントを歴任し、東西統一後もドイツ音楽界の重鎮として尊敬を集めています。
ハン・セバスティアン・バッハ: ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 全曲
<CD1>
 1. 第1番 ロ短調 BWV1014
 2. 第2番 イ長調 BWV1015
 3. 第3番 ホ長調 BWV1016
<CD2>
 4. 第4番 ハ短調 BWV1017
 5. 第5番 へ短調 BWV1018
 6. 第6番 ト長調 BWV1019
【演奏】
 ダヴィッド・オイストラフ(Vln)
 ハンス・ピシュナー(Harpsichord)
【録音】
 1961年10月(5, 6)、1963年(2, 3)、1966年8月(1, 4)
 ドレスデン、ルカ教会(ステレオ録音)
【原盤】
 Deutsche Grammophon

D.オイストラフ唯一のバッハ/ヴァイオリン・ソナタ全曲録音硬質な音が魅力で当時は良く聴いた音源である。前回紹介時は筆者の装置は今の装置と異なり同
TANNOYユニットも10吋同軸2ウェイ最後のIIILZ(HPD295)から(IIILZ Monitor Gold)に交換し音質もクラシック音楽を聴くには音楽を聴く装置に変わったと思っている。同じサイズのユニットでも特にヴァイオリンのユニゾンの再現はことさら向上した様に思える。
いわゆる耳元に涼やかに聴こえる高音は他のユニットでは中々味わえない代物であり、長い時間聴くには実に塩梅がよいのである。



今はパワーアンプにサンバレー300Bパワーアンプ SV-501SEを使っているが購入当時は300Bはエレクトロ・ハーモニックス製であったが、音が気に入らなくPSVANE 300Bに交換するが納得できずその後Zaika5300に変更して現在落ち着いている、ドライバー段に3極+5極複合管の6BM8が使用されていますが当初は
エレクトロ・ハーモニックス製でしたが、玉転がしの末現在は未使用のSIMENSを購入しに交換している、国産品では日立製品が塩梅が良かった。
SV-501SEについて解説では真空管を交換しても音質は変わらないとの記事がありましたが、Zaika5300に交換した結果くもり空から晴天になった感じに実にスッキリした音に変化した事に驚いた事でした。

300Bの代替え品はZaika5300という国産品で詳しくは以前に紹介しました。興味のある方は下記をご覧ください。https://blog.goo.ne.jp/yk1231yk/e/7998e64f8b674694bbdf6242555c26d7



聴けば分かるが、使用楽器はモダンチェンバロ(ノイペルト)。出てくる音は柄が大きくて低音域は鈍重、高音域はシンセサイザーみたいにも感じるが。今聴くと何とも言えない懐かしさを味わうことができる音にも事実である。
カール・リヒターやヘルムート・バルヒャと同じ路線で、ハンス・ピシュナーも頑固さでは負けていない。古めかしく頑固な臭いの共通な音がする、この録音全体に溢れている姿勢、生真面目さが醸し出す今でも傾聴に値する。 

ソロにはロベール・ヴェイロン=ラクロワ、イゾルデ・アールグリム、ズザナ・ルージチコヴァーらが参加しているアルバムは見逃せないであろう。



ステレオ初期の名盤を復刻。を聴きハンス・ピシュナーの鍵盤楽器の音色を確かめる。当時L Pレコード盤は貴重品で何枚も買う事が出来ず、この歳までピシュナーの鍵盤楽器演奏はあまり聴かずに過ごしてしまった、これを機にこのCD10枚組を入手する、平均律クラヴィア曲集全曲、ゴルトベルク変奏曲、インヴェンションとシンフォニア、チェンバロ協奏曲、他がある。
その間、ピシュナーは演奏家としても活躍、1961年にはそのバロック音楽への功績に対してドイツ民主共和国国家賞が授与され、さらに、新バッハ協会の副会長に任命されてもいます。ピシュナーはコンサートだけでなく、レコーディングにも積極的に取り組み、平均律やゴルトベルク変奏曲、インヴェンションとシンフォニア、チェンバロ協奏曲などを録音して高い評価を得ていました。そうしたピシュナーによる純ドイツ風ともいえる武骨ながらも独特の魅力のあるバッハ演奏をまとめて味わえるものとなっています。
そうしたピシュナーによる純ドイツ風ともいえる武骨ながらも独特の魅力のあるバッハ演奏をまとめて味わえるものとなっています。


【収録情報】
Disc1
 J.S.バッハ:2声のインヴェンションと3声のシンフォニア BWV.772-801
 録音:1968年
Disc2-5
 平均律クラヴィーア曲集全曲 BWV.846-893
 録音:1962年、1965年
Disc6
 イタリア協奏曲 BWV.971
 半音階的幻想曲とフーガ BWV.903
 フランス風序曲 BWV.831
 録音:1971年、1972年
Disc7
 ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
 録音:1968年
(1968年の優秀録音。東ドイツを代表する、チェンバロ奏者、ピシュナーの名盤です。武骨な音楽な中に豊かな抒情を踏まえた名盤だと思います。)
 2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ BWV.1037
 ダヴィド・オイストラフ(ヴァイオリン)
 イーゴリ・オイストラフ(ヴァイオリン)
 録音:1957年(モノラル)
Disc8
 チェンバロ協奏曲第1番ニ短調 BWV.1052
 チェンバロ協奏曲第5番ヘ短調 BWV.1056
 チェンバロ協奏曲第2番ホ長調 BWV.1053
 ベルリン交響楽団
 クルト・ザンデルリング(指揮)
 録音:1963年
Disc9
 2台のチェンバロのための協奏曲第2番ハ長調 BWV.1061
 2台のチェンバロのための協奏曲第3番ハ短調 BWV.1062
 2台のチェンバロのための協奏曲第1番ハ短調 BWV.1060
 イゾルデ・アールグリム(チェンバロ)
 シュターツカペレ・ドレスデン
 クルト・レーデル(指揮)
 録音:1965年
(そうそう、古楽の分野で活躍した、 もう一人の女性のチェンバロ奏者を 忘れてはいけません。 アールグリムと同じく『獅子座』の ヴァンダ・ランドフスカ です。 魔女のような感じのランドフスカとはまた違うタイプ、熱の入れ方が違う のが、アールグリムでしょうか。アールグリムは以前筆者のブログに紹介したと思います)
Disc10
 3台のチェンバロのための協奏曲第1番ニ短調 BWV.1063
 3台のチェンバロのための協奏曲第3番ハ長調BWV.1064
 4台のチェンバロのための協奏曲 BWV.1065
 イゾルデ・アールグリム(チェンバロ)
 ズザナ・ルージイチコヴァ(チェンバロ)
 ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(チェンバロ)
 シュターツカペレ・ドレスデン
 クルト・レーデル(指揮)
 録音:1965年
 フルートとヴァイオリン、チェンバロのための協奏曲 BWV.1044
 エルヴィン・ミルツコット(フルート)
 マックス・ミハイロフ(ヴァイオリン)
 ベルリン室内管弦楽団
 ヘルムート・コッホ(指揮)

 ハンス・ピシュナー(チェンバロ)

ハンス・ピシュナーは誠に長寿で102歳でお亡くなりになりました。天寿を全うされた様です。
今回ハンス・ピシュナーによる純ドイツ風ともいえる武骨ながらも独特の魅力のあるバッハ演奏をまとめて味わえるものとなっています。
この様な曲を楽しむ方法には、ドイツのユニットを使った筆者が昔好きであった、辛口の最右翼のHECOの音で聴きたくもあり、背中をピンとしてゲルマン人の想いを込めた音で聴くことも雰囲気が変わり面白いのかも知れないが2~3曲きけばタンノイのユニットに戻るのであろう、純粋に音楽を楽しむには矢張り馴染んだユニットによる音質が一番なのであろう・・・・?
ハンス・ピシュナーの演奏する鍵盤楽器のバッハを聴きながらその様な空想が頭をよぎるのである。ブラボー!


歳の初めとし、少し驚くが日本古来の音楽は楽という雅楽は1,300年以前より口伝により伝えられた楽(ガク)の考察

2023年01月11日 | 日記

正月も過ぎ今日は初参りには穏やかで良い天気であり、自宅から比較的近い、昨年話題になった鎌倉の13人の関わりも深い千葉神社に初参りに出かける。
千葉神社は、千葉氏の守護神、北辰妙見尊星王を主祭神として長保2年(1000年)に北斗山金剛授寺として中興開山されました。 「通称・千葉の妙見様」と呼ばれ親しまれています。 相殿には、經津主命・日本武尊を祀っています。



平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて活躍した武将「千葉常胤」(ちばつねたね)。下総国(現在の千葉県北部、茨城県南西部、埼玉県東部、他)を拠点とする千葉氏を、地方の一豪族から御家人(鎌倉将軍直属の家臣)の地位へと引き上げた、千葉氏中興の祖です。昨年の2022年(令和4年)のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、「源頼朝」(演:大泉洋[おおいずみよう]さん)からの信頼も厚い坂東(関東)の重鎮を俳優の「岡本信人」(おかもとのぶと)さんが演じています。



御際神は北極星・北斗七星の御神霊「北辰妙見尊星王」で、人間の運命・方位を司る神様として、厄除開運・八方除の御神徳があります。近年での千葉姓は北斗の剣(北辰一刀流)で有名な千葉周作が有名です。

特徴として、人の願いが十人十色様々にあるのに応じて、御祈願の種類も数多く分類されています。



帰りに千葉神社近くに有名な木村屋創業昭和7年、『老舗の豆大福』があり出来立ての餅で作った豆大福は美味い!ずいぶん並んでいたが、家族分のお土産に購入して帰った。

無事初参りも終わり帰りに、途中寄り道しおいしい爆弾ハンバーグ・ランチを頂き無事家に到着いたしました。



新しい年の初めに日本での音楽史を調べると意外と長い歴史がある事が解った。勿論、日本での音楽の雅楽は1,300年以前位に海外から伝わった音楽を指す様であり面白いことに 笙 、篳篥 、 龍笛、高麗笛、神楽笛、琵琶、箏 、和琴、鞨鼓、三の鼓、太鼓、鉦鼓等の楽器と歌、及び舞が構成せれていた様で今も続いている。
楽しい音楽を神様に捧げ喜んで頂く為にの意味もあり、死に際に極楽黄土に行けるように捧げたとも言われる楽(がく)である。



勿論楽譜は全て口頭での口伝によるもので、簡単に言えば、経典同様の右に音符の如し返点が打ってある程度の漢文である、楽器をを奏でる前に歌でマスターしなければ楽器での演奏者にはなれず、打楽器奏者も同様だと解説されている様です。
一番驚くことに曲により「序、破、急」序はゆったり、破少し早めに、急は軽快にという様に現在の音楽と変わらない三楽章形式的要素も多く、楽器のみの音楽の中にも打楽器の入らない音楽もあり、全体の楽器に歌を入れた、歌もの、勿論歌だけの音楽もあり、全ての演奏(楽器、歌、舞)の合わさった正にオペラの様な音楽もあり、実に優雅の極みであろう・・・。
日本での音楽は雅楽と流行歌、西洋の音楽は俗楽と明治時代になって分けられ、勿論明治以降に五線譜に音符として記される様になった。それ以前は言い伝えと言われている様です。

また現在使われる言葉の意味も雅楽から伝わった言葉も多いと聞く、今日は「調子が良い」などと言うがこの言葉も雅楽で、舞楽の一種の前奏曲だそうである。この曲の第一声のなり具合で「調子が良い」と言った事が始まりとも言われている、各楽器が順次演奏に加わり、同一旋律を追いかけて奏する。
前奏曲を演奏し今日は誠に調子が良いと言った塩梅になったそうであり、1,300年も雅楽が伝えられ続いた日本と言う国の特色にて全てを滅ぼす事はしなかった、平和な時代が続いた穏やかな国であったを証明できる事実であろう、勿論世界には様々な音楽はあるであろうが、西洋では教会音楽がおよそ500年前の音楽が演奏とされる様である。日本では昔から代表作に『舞楽 喜春楽(きしゅんらく)』等も有名な雅楽である。特に初参り時期に神社等でBGMで流す雅楽はこの時期にしか聴けない音楽でもあろう。
最も皆が知っている曲目に、雅楽:越天楽 Gagaku:Etenrakuが挙げられる。

笙(しょう)
日本で用いられている邦楽器のうちで唯一和音を奏する楽器です。笙はその形が 羽を休めている鳳凰に似ていることから、鳳笙(ほうしょう)とも呼ばれます。オルガンのようなやわらかい音を出し、雅楽の音楽の独特な雰囲気を醸し出しています。頭(かしら)と呼ばれる椀型のものに17本の竹を差し込んだ形になっていおり、そ の17本のうち、15本に小さなリードがついていて、これが振動して音が鳴ります。 ほとんどの場合、5本または6本の音を和音にして奏します。 一般的な管楽器の場合、出したい音の音孔を開けるとその音が出ますが、笙の場 合は閉じた音孔の管の音が鳴る仕組みになっています。
また、リードが湿りやすいので、演奏前に火鉢や電熱器などで笙をくるくると回 し暖めないと良い音が出ません。



篳篥(ひちりき)
漆を塗った竹の縦笛で、表側に7つ、裏側に2つの孔(あな)があります。
主旋律を奏することが多く、小さい楽器にしては音量も大きいですが、音域は1オクターブ程度しかありません。
葦を潰して作ったリードを用い、演奏前にはリードをお茶に湿らせて吹きやすいように調整します。同じダブルリードの楽器にオーボエやファゴットがありますが、ヨーロッパに伝えられたものはオーボエに、シルクロードを渡って東に伝えられたものが篳篥となったと言われています。

龍笛(りゅうてき)・高麗笛(こまぶえ)・神楽笛(かぐらぶえ)
それぞれの笛は長二度づつピッチが異なり、演奏する曲目によって3つの笛を使い分けます。
いずれも竹製で、7つまたは6つの孔(あな)があり、長さや太さは異なりますが構造は同じです。

琵琶(びわ)
構成の平家琵琶や薩摩琵琶と異なるため、楽琵琶(がくびわ)とも呼びます。
ペルシャからシルクロードを通って伝えられた四絃でくびの曲がった楽器で、ヨーロッパに渡ったものはリュート、マンドリン、ギターになったといわれています。雅楽の琵琶は旋律を奏でるのではなく、和音や単音でリズムを明確にする役割をにないます。
中国で現在演奏されている琵琶とは、柱の数も演奏方法も異なります。



筝(そう)
現在の山田・生田流とは異なるため、楽筝(がくそう)とも呼びます。
楽器の構造は現在の琴とほとんど同じですが、指にはめる爪は異なり、絃も太いものを使用しています。
琵琶と同じく、リズム楽器としての役割を持ちます。
和琴(わごん)
日本古来の楽器で、『古事記』にも記されており、日本古来の歌曲の伴奏に用いられます。
6本の絃に楓の自然の枝を切った柱(ことじ)をたて、水牛の角または鼈甲で作られ た琴軋(ことさぎ)で絃をかき鳴らします。



鞨鼓(かっこ)・三の鼓(さんのつづみ・さんのこ)
鞨鼓・三の鼓は曲の演奏の速度を決めたり、終わりの合図をします。
指揮者のいない雅楽の演奏において、その役割をになっています。そのため、奏者は楽団長などのベテランが受け持ちます。
鞨鼓は管絃・唐楽の演奏に用いられ、二本の桴(ばち)で主に両手で打ちます。
三の鼓は高麗楽の演奏に用いられ、右手に持った太い桴で打ちます。

太鼓(たいこ)
管絃の時には座って打つ楽太鼓(がくだいこ)、舞楽の時には鼓面の直径が2mほど もある大太鼓(だだいこ)を用います。
楽太鼓は金属の飾りがつき、鼓面には三匹の唐獅子の模様が描かれています。
大太鼓は左方、右方の左右一対になっており、左は金色の日形(にちぎょう)と龍の飾りがつき、鼓の中央の巴は三つ巴、右は銀色の月形(げつぎょう)と鳳凰の飾りがつき、巴は二つ巴です。
二本の撥(太鼓の撥のみ他の打楽器の桴と区別され、この字を用います)で太鼓の裏側を打ちます。





古の世界から受け継がれた雅楽ではあるが、聴く機会は少なく正月等にたまに聴く、楽(がく)になっている様である、今回筆者も10吋同軸2ウェイ(IIILZ Monitor Gold)で有名な東儀秀樹雅楽師(Hideki Togi)を試聴した。

簡単にタンノイ社の歴史はガイ・R・ファウンテンによって創業されたTANNOY。同社は、1926年に、電解整流器の開発からスタートした企業である。次いで、アンプやダイナミック型スピーカーの分野にも手を伸ばすと共に、それらの製品開発に必要な測定機器までを自社開発するなど、ついにはイギリスの軍需産業にも欠かすことが出来ない存在へと躍進した。とりわけPA分野での認知度は圧倒的で、イギリスの古い口語では、PA行為やPA機器そのものを「TANNOY」と呼んだほどだという。



オーディオにおける同社の存在を決定的なものとしたのは、1947年に発表された初代デュアルコンセントリック・ドライバーの存在だ。トゥイーターユニットが38cm径ウーファーの磁気回路を貫通し、なおかつ、ホーンのスロート部がウーファーコーンのカーブへと直接繋がるというユニークな同軸2Way構造を確立。両ユニットの発音位置が揃えられることによる優れた位相特性と、高出力かつワイドレンジな特性を持ったこのユニットは、当時ffrrの開発をしていたDECCAのモニタースピーカーへと迎えられ、また、伝説の高級電蓄「DECOLA」へと搭載された。即ち、当時のレコード産業を席巻する世界的なレーベルの音を生み出していったわけである。
1953年には、同社のモニュメンタルな銘機となる「Autograph」を送り出す。ユニット前面にショートホーン、そして、背面へと複雑に展開する折り畳まれたバックロードホーンを有する、クラフトマンシップの賜物とも言える美しい木製のエンクロージャー。それは、同社スピーカーの原器ともいえる存在である。この長いホーンロードと共に繰り広げられる雄大な低音域の表現は、ガイ・R・ファウンテンが目指した「コンサートホールで聴く豊かで美しい響きを家庭でも」というサウンドコンセプトを体現する上で、欠かせない存在だったのだろう。

しかし50年程前のユニットは相当傷んでいるので、日頃のメンテナンスが大切であろう、マグネット部分も錆が付着してきたので細かな所の錆落としを実施してみたいと思います。昨年暮れにY氏に教えて頂きマグネット部分にレプトンパワーチップスを貼り付けましたが随分クリヤーな音が鳴るようになりました。

欧州のユニットによる和楽器「雅楽」の調べも意外と心地が良いと思う。

雅楽:越天楽 Gagaku:Etenraku

東儀秀樹雅楽師は1959年東京に生まれる。
東儀家は、奈良時代から今日まで1300年間雅楽を世襲してきた楽家である。父の仕事の関係で幼少期を海外で過ごし、ロック、クラッシック、ジャズ等あらゆるジャンルの音楽を吸収しながら成長した。高校卒業後、宮内庁楽部に入る。宮内庁楽部在籍中は篳篥(ひちりき)を主に、琵琶、太鼓類、歌、舞、チェロを担当。宮中儀式や皇居において行われる雅楽演奏会などに出演するほか、海外での公演にも参加、日本の伝統文化の紹介と国際親善の役割の一翼を担ってきた。その一方で、ピアノやシンセサイザーとともに雅楽の持ち味を生かした独自の曲の創作にも情熱を傾ける。
東儀秀樹 - 映画『ミッション:インポッシブル』~メイン・テーマ Mission:Impossible – Main Theme



篳篥カフェ
2016年にデビュー30周年を迎える1年で3タイトルのアルバムをリリースするなど、精力的な活動で可能性をひろげつつある東儀が、雅楽のテイストを存分に生かしたアレンジ・選曲で、最高に心地良いアルバムを仕上げます。 まるで、とても居心地の良いカフェで寛いでいるような、ホッとした気分にさせてくれる、そんなアルバムです。別にこの様な曲を和楽器での演奏は無意味の様にも思うが、馴染みの少ない和楽器の調べはよく知った曲を聴くとにより知識は広がる様にも思う、気軽にバックで流しながらブログアップしているが意外と良い。

 アズ・タイム・ゴーズ・バイ
 彼女
 小さな自転車
 行け!行け!行け!
 フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
 君の夢を守りたい (amabil)
 なんでもないや
 高く飛ぶ
 昨日をもう一度
 私のおかしいバレンタイン
 昨日をもう一度
 アルフィー
 紅葉
 スーパースター
 なんて素晴らしい世界

スローな曲、アップテンポの曲、Bluesyな曲、Jazzyな曲、全てにおいて篳篥の音色が心地よく溶け込んでいます。 他の楽器も含め隅々までこだわって作り込んだ作品と思います。が奏でる篳篥って、時として管楽器のように、時として弦楽器のように、そして時として肉声のように響く不思議な魅力を感じます。



最近はタンノイユニットに国産のZAIKA5300真空管でのコンビの音が安定して聴ける音になっている、三位一体と言う言葉の様に現在オールルドタンノイと一番相性が良いスピーカーケーブル(英国製QED)のコネクターパーツ(ロジウムメッキ処理)した物と交換し益々安定してることは有難いことである。

裏側のスピーカー接続ユニットは何度も機種変更またメンテナンス、パーツ交換等何度も取り外しのため余分なネジ跡が残ってしまった、機を見て補修工事でもしようかとも思うのですが・・・・、



2023年は卯年だそうですが、事には何事もゆったりした時間を過ごして行きたい、年々新たな事実の歴史が解明されて行く事に興味深く注視し、特に好きなJ.S.バッハの音楽、日本の歴史の再確認をして観ようとも思います。
今年も宜しくお願いします。ブラボー!」


エロール・ガーナも良いがピアニスト山本 剛の「ミスティ(Misty)」を聴く、新年早々にアルバムを取り寄せタンノイで楽しむ・・・・

2023年01月01日 | JAZZ・ボサノヴァ

謹賀新年、2023年今年も宜しくお願いいたします。

昨年暮れからYouTube配信でピアニストの世良 譲が巨泉の司会でエロール・ガーナーに似たような弾き方をすると言っていた有名な「Mistyミスティ」(Misty:かすみのかかった、ぼんやりとした)と作曲はエロール・ガーナー。
このロマンティックで美しい曲は、空で生まれました。彼が飛行機の窓から空を眺めていて、このメロディが浮かんだと伝えられています。このエピソード、いいですよね。鍵盤の上を縦横無尽に跳躍する彼独特の演奏は、人を楽しませる魅力に溢れたものです。
発売してから早、70年ほどの月日が流れたが、未だ偶に聴くが好きなメロディである、間違いなくジャズの名曲の一つでもであろう・・・・。聴くとやはり本家のエロール・ガーナーが良いのである。



但し筆者が思うは高音域の弾き方の音質がチィ・チィ・チィと耳障りなピアノの高域を力で叩くと気になる音に鳴る音がして前々から気になっていただ、久しぶりに聴くと同じ音がする、アンプを変え、スピーカーを変えても矢張り気になってしまう、でもMistyは大好きで年末から、年始にかけてJazzを楽しんでいます、特に独特のガーナー節が実に懐かしいリズムを刻む・・・。

年末友人が最近は使わなくなったアンプを引き取ってくれと1985年頃発売されたMarantz PM-94プリメインアンプを置いていった、一応接続部分は無水アルコールでよく磨き休みの間にテストをと考えている。筆者のこの頃の製品はオーディオ趣味もお休みしていた頃で全く知らない世界である、簡単に清掃しようと持ち上げると大変重い、重量は23キロある様で大変重いのです。独自のクォーターA回路を採用しており、最35W+35W(純A級)それ以上の最大出力まではAB級動作へ自動的にシフトします。この当時の製品は価格以上に優れた製品が多いことも特徴の様である。
隅々までチェクし気長に音出ししてMarantzの音を楽しんでみようとも思う。



でもオールドタンノイIIILZのユニットには、ドライブは三極管の真空管に限る様ではある、昨年度仕入れたZAIKA5300でのドライブは実に雰囲気も良く、ご機嫌なジャズソングを聴かせてくれるのだ、特に情緒豊かなこのような曲は良くスイングするピアノ曲でもある。

エロール・ガーナー 節『ミスティ』 Erroll Garner “Plays Misty”最もポピュラーなジャズ・ミュージシャンと言われたピアノのスタイリスト、エロル・ガーナー。そんな呼び声にも関わらず、決して楽譜を読むことを学ばなかったことでも知られる異色のピアニストでもある。
筆者が好きなピアニスト、エロール・ガーナーのジャズの演奏は独特でオ、トィ、トィ、トィと聴こえる調子ぱずれな独特のリズムに侵ると、何故かハマってしまうリズムでもある。あるベーシスト曰くエロール・ガーナーのリズムに遅れないようにベースを演奏する事が最高のひと時と言っていたようで独特のリズムに浸るとエロール・ガーナー病になると言われるが・・・。この様な人其々ジャズの味わい方も色々ある様です。その辺りの感じがオーディオ機材から音が聴こえれば最高だもあるが、中々演奏の雰囲気を音に出すのは厄介である。
 
楽譜に頼らないこと、そして左利きであることが、自身をその独創的な演奏スタイルに向かわせたのだった。彼の生まれながらにしての感性が自由にその両手に伝えられ、独特のリズム、美しく華やかなメロディーを生み出していった。
ジャズ史上、最も美しいバラード曲といわれる「ミスティ」。作者ガーナー自身によるその初演を含む、ピアノ・ジャズ・ファン必携のアルバム。(1954年録音)
ジャズ・スタンダードで最も美しいメロディーを持つ神秘的な名曲ミスティ。



本作には、作者エロール・ガーナー自身による初演を収録。彼は“ビハインド・ザ・ビート”と呼ばれる独特なスタイルで、寛ぎのあるスウィンギーな演奏を聴かせた名ピアニストだった。
 1. Misty
 2. Exactly Like You
 3. You Are My Sunshine
 4. What Is This Called Love
 5. Fantenality
 6. Again
 7. Where or When
 8. Love in Bloom
 9. Through a Long and Sleepless Night
 10. That Old Feeling
   Erroll Garner (p)
   Wyatt Ruther (b)
   Eugene ‘Fats’ Smith (ds)
 Recorded 1954
勿論筆者の好きな50年代のジャズであり、当時は夢中で聴いた記憶が蘇る。聴くうちにそういえば確かに世良 譲も弾き方は確かに似ているように思う。



早朝モジャ君と早朝の散歩で近くの公園歩道橋にて初日の出を浴びる、一年の無事息災を祈る。
年末に注文した山本 剛トリオのアルバム4枚が初荷で元旦に届く、予定も無く正月はジャズを楽しみに美味しい肴での大吟醸を冷酒で頂きながらピアノジャズを楽しんで見ました。CDアルバムは現在リッピングでPCにコピーし後はは大切に保管しています。

山本 剛 (ピアニスト)1948年3月23日、新潟県佐渡郡相川町に生まれる。
すぐに佐渡島より新潟に移り、小学生の頃からピアノを弾き始める。高校生時代、アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズの生演奏の虜となりジャズ・ピアノを独学で習得する。

山本剛トリオ/Blues for Kも外せないアルバムでもある。



山本剛トリオによるTBMスピンオフプロジェクト第2弾。伝説のエンジニア神成芳彦のプライベートスタジオで吹込む再会セッション! 聴き比べ用ボーナストラックにはあの2大名曲を収録山本剛トリオの新プロジェクトは、1970年代の伝説の和ジャズレーベル「スリー・ブラインド・マイス」専属エンジニアとしてジャズサウンドに革命をもたらしたエンジニア神成芳彦とのリユニオンセッション!



音色の発生源に限界まで近づく楽器のマイキング、ピークを厭わない録音技法は健在だ。ボーナストラックとして、今回も聴き比べ用に代表曲<ミッドナイト・シュガー>と<ミスティ>を収録した。


確かにCDと比べ音質はLPレコードが優っていると思うが・・・、全くの余談になりますが、CDの音質はデジタル臭い、と言われる方も多い様ですが、機器選択にて音質そのものが変化することも影響はありますが、CD自体にも改良余地はある様です、筆者の場合の中古CD購入の場合の改造?方法です、先ずはタキロン(コートロン)停電防止剤を軽くスプレーし柔らかな布で両面とも良く拭き取る、拭き取ったCDを板の上に滑り止めマットを敷きその上にCDを置き太陽光を浴びる冬場なら20〜25分ほど放置し、試聴し音質の変わらない場合は再度20〜25分程放置し試聴すると実にクリヤーな音に変化する、先ずは一度ダメ元でお確かめください。太陽光線の影響による何かが影響する様です。

筆者の場合は中古CDで仕入れた場合にこの方法を取り入れていもす、ただし季節により日照時間を変えてください。夏場は温度が高いのでCDの変形が心配で此の方法は実施していません。実施される場合はCDが不良になる場合もあるかも知れませんので自己責任でお確かめください。実際この方法で試したが事実音質改善になったと思っています。但し日光浴時間には十分注意し試聴しながらお選びください。



なお、マスタリングは2012年から70タイトルを超えるTBM復刻シリーズを現代に送り出し、そのサウンドを熟知するソニー・ミュージックスタジオが手掛ける。そこに現れる音は、あの頃の再現か、あるいは半世紀の円熟か勿論今回取り寄せたアルバムを聴き確かめてみたい。

山本剛、渾身のデビューアルバム。圧倒的なブルースフィーリング、そして驚くのは既に成熟した大人のジャズを聴かせるということ。1974年、山本剛は当時25歳。・・・彼は高校3年時からピアノを本格的に始めたようですが、なんと独学だそうです・・・彼が初めてのアルバムで聴かせるのは、まるでジャズ道を極めた熟練のベテランが演奏するような渋さ。TBMレーベルで海外売上No.1。なるほど、確かに本物のジャズが聴ける傑作です。
確かにじっくり聴くと解るがピアノの音の透明度が凄く良いのだ、勿論高度な録音技術もさる事なく実に綺麗なピアノ音が楽しめる事である。安心して何時迄も聴き続けた此のピアノの音にただ酔いたくなるのです。

山本剛トリオ:Midnight Sugar
 1. Midnight Sugar
 2. I'm A Fool To Want You
 3. The Nearness Of You
 4. It Could Happen To You
 5. Sweet Georgia Blues
  山本剛 (p)
  福井五十雄 (b)
  小原哲次郎 (ds)
 Recorded 1974

じっくり聴くと1974年の録音には思えないリアル感に圧倒される、ピアノのフエルトが弦に触れる瞬間を感じるアルバムです。筆者的には以前録音した山本剛トリオのMISTYも残したいアルバムです。

雰囲気重視で味わうのはタンノイが良く、音源のクリヤーは感じを味わうなら
LS3/5Aが良いのであろう、最近はタンノイユニット利用が多い。LS3/5Aはコンパクトながら意外とバランスの良い音が鳴るのも心地よい。



「TSUYOSHI YAMAMOTO TRIO/Misty for Direct Cutting」
 1.MISTY
 2.MIDNIGHT SUGAR
 3.THE IN CROWD
 4.GIRL TALK
 5.THE FOLKS WHO LIVE ON THE HILL
 6.YESTERDAY
ジャズ史上屈指の名盤にしてオーディオ・ファンの永遠のバイブル『ミスティ』を山本剛トリオが新たに録音!キング関口台スタジオでダイレクトカッティング技法によって刻まれる新たな『MISTY for Direct Cutting』
 山本剛(p)
 香川裕史(b)
 大隅寿男(ds)
録音:2021年2月@キング関口台スタジオ

収録は2021年2月15日、キング関口台スタジオにて。レコーディング・エンジニアは松山 努。カッティング・エンジニアは田林正弘(日本コロムビア)。
筆者的には昔全米ヒットチャート一番となったラムゼイ・ルイストリオが放ったTHE IN CROW等も取り上げ、同年代世代とも思える選択も嬉しい。



70年代のダイレクトでソリッドでヒリヒリするような演奏も素晴らしかったが、たくさんの経験を積んで来て、円熟しつつも即興的に、時にキーさえも変えてしまう人なのだ。それをダイレクトカッティングで記録できたのは貴重だ。

録音は、山本のピアノを中心として、ジャズの定石であるそれぞれの楽器に近いマイキング。興味深いのは基本的にはピアノの右手が左ch、左手が右ch側にいて、弱く弾いているときはちょっと離れて見えている音像。強く弾いて左手の役割が上がってくるとその音像が一体化してくる。これについては1974年収録の『Misty』も、今回の『Misty for Direct Cutting』も同様だった。そう伝えると、山本は「そういうふうにしか弾けないんじゃないかな(笑)」と謙遜するが、30年経ってもぶれない一貫したミュージシャンとしてのスタンスが伝わってくる。
後日インシュレーターを追加して写真の様に使用すると実に不思議な現象を感じた、音が見事にエンクロージャーから離れ実にクリヤーな音に変化したのである、現在手作りのインシュレーターの台を作り乗せて聴いているがソルボ製の硬質ゴム状の板をカットして敷いただけで透明度、音質向上になった。



このアルバムでの視聴は大変興味深く面白い、オーディオチェック用としても十分通用し、又ジャズ好きの貴兄はもお試しをお薦めです。
筆者お勧めは2020年録音の山本 剛トリオ(Mack The Knife)です是非お聴きください。

我が家の10吋タンノイユニット(IIILZ Monitor Gold)をGOODMANS AXIOM 80の箱に装着した改良した据え置き型で、アンプにはシングルの国産品の三極管で聴くとある程度の距離感を感じ、音源が実にリアルに再現され音楽を楽しむことが出来る、実によくスイングします。ぜひこの熱気と情熱を、各自宅のシステムでも堪能して欲しいアルバムでもあります。


この様に同アルバム曲をスピーカーを替えて聴くと、其々特徴があり面白いのですが、筆者は本命に選ぶはAXIOM 80の箱に入れたものを選ぶ、何故か?ピアノ演奏でのグランドピアノらしい重量感、と共にしっとり濡れるようなピアノ独特のタッチの音の美しさ、ドラム、ベースの質感の良さを感じることが出来る空気感であろう。但しドラムの音は乾いた米国特有の音が良いのかも知れない。
筆者が思うに多分山本 剛トリオの演奏する独自の雰囲気が自分のリズム感に重なり良く感じてしまっているのかも知れません。



ここに山本剛の事のメモがあり引用します。
日本大学経済学部に入学するが、その時の選伐で世田谷校と三島校があったが、田舎から出てきたばかりで土地がわからずに世田谷は東京の外れにあると思っていたので、思わず三島校を希望してしまい、一年間は静岡県の三島で下宿生活をしましたが、私の音楽人生で多大な影響を与えた時期でした。その後、妹が国立音楽大学に在学していた為、多摩地区の東中神にも住んでいました。そして千駄ヶ谷、仙台坂と現在は芝公園に移り住んでいます。
1967年、日本大学在学中、19才でプロ入り。ミッキー・カーティスのグループを振り出しに英国~欧州各国を楽遊。
1974年、レコード・デビュー(「ミッドナイト・シュガー」TBM)。スケールの大きなブルース・フィーリングとスイングするピアノがファンの注目を集め、続く「ミスティ」(TBM)が大ヒット、以後レコード各社より数多くのリーダー・アルバム、共演アルバムを発表、人気ピアニストの地位を確立する。
1977年、アメリカ、サンフランシスコ、モンテレー・ジャズ・フェスティヴァル出演。鍵盤の上を縦横無尽に跳躍する彼独特の演奏は、人を楽しませる魅力に溢れたものです。ジャズピアニスト山本剛がこの曲を十八番としていますが、この旋律に導かれ静かに深く沈んでいくような演奏は素晴らしいです。最近何故か此の様な定番化したジャズソングが少なくなった事は寂しいとも思えます。

今年も、どうぞよろしくお願いいたします。ブラボー!