伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

最近のお気に入りのジャズピアニストakikoとの共演もご機嫌な”ジャズを詠む”のアルバムを検証

2024年11月20日 | JAZZ・ボサノヴァ

いつもの様に早朝モジャ君と散歩後シャワーを浴び寛ぎながら、値上がりする品目では珈琲豆の値上がりは激しく50%程の値上がりしている状態である、貧困ろう時にとしては甚だ迷惑でもある。新しい新鮮な珈琲豆を挽き温度に注意した淹れた美味しい朝珈琲から1日が始まる事はご機嫌でもある。

早速部屋に入りオーディオ類の電源を入れる。暫くして音出しをする・・・
最近何故かジャズ音楽を聴いてない、何故か?筆者の気に入ったジャズが見当たらず聴くのは1950年台のものが多い、最近注目は海野雅威(うんの ただたか)の経歴を調べた。1980年、東京生まれ。4歳からピアノを弾き始め、9歳でジャズピアノを始める。以前ヴァーヴ・レコード(Verve Records)は、1956年にノーマン・グランツにより設立されたアメリカのジャズ・レコード会社から多くのジャズミュージシャンを発売し定評はある。CDでGet My Mojo Backのアルバムは少しアバンギャルドな感じが良く聴いていた、ハンク・ジョーンズやジミー・コブなどのレジェンドに愛され、ロイ・ハーグローヴ・クインテットで日本人初、最後のレギュラー・メンバーだったニューヨーク在住の実力派ピアニスト海野雅威、渾身のニュー・アルバムはずいぶん好印象であった。




確かにKORG(コルグ) 1BIT USB-DAC/ADC DS-DAC-10R DSDレコーディングのアップデートしCDを入れ聴くも微妙なニュアンスが細部までトレースされFyne AudioのF500での再生はとても素敵な音を奏でる現在アンプはジャズの試聴はLUXKIT A3500を使う事が多い何故なら馬力がある為だがこの機種でのシステム作りは意外と素晴らしいプレゼンスを得たのである・・・。確かにジャズとLUXの相性は頗る良い結果を得る様です。

筆者世代の高齢者でもリラックスして楽しめるジャズでもある。筆者の場合全体的には英国のSPを選ぶ事が多いが、違った意味に於いてもジャズも結構楽しめる音になりこの様な音質になれるとアルテック、ジムラン系統の音では煩すぎる様に無感じるが、乾いたドラムの音だけはジムランの音が懐かしく思うが音楽全体で聴くならばそれは違った音になってしまう様にも感じる。



このLUXKIT A3500のパワーアンプも一度じっくりメンテナンス時期の様ではあるが、詳しいテスト機材がない為メンテナンスして頂ける場所を探そうとも思う次第である、また真空管は松下製の新しい球に交換した。

海野雅威は東京藝大在学中の18歳からミュージシャンとして活動を始める。鈴木良雄、伊藤君子、大坂昌彦らシーンを支える多くのミュージシャンと共演し若い世代の旗手的存在であったが、さらにジャズのルーツや文化に触れる為、2008年にニューヨーク移住。ゼロから新たにスタートした新天地でもトップミュージシャンに認められ、故ジミー・コブ (ds) クリフトン・アンダーソン (tb) ウィナード・ハーパー (ds) 故ロイ・ハーグローヴ(tp) ジョン・ピザレリ (gt,vo) ジャズミーア・ホーン (vo) 等のバンドでの活動の他、自身のトリオでも演奏を行っている。
40歳の海野は最近、父になったばかり。仕事でビデオの撮影を終えて西135番通りにある地下鉄の駅を出ようと改札に向かうと、8人ほどの若者の集団が前方に立ちはだかった。そのまま通りすぎようとしたところ、集団の1人に後ろから体を押された。連れの女性が押された、と別の1人が言うと、近くにいた若い男性がこう続けた。「俺の女は妊娠してんだぞ」。その瞬間に暴行が始まった。地下鉄の構内で始まった暴力行為は通りに出てからも続いた。海野は通りの人々に叫んで助けを求めたが、誰も助けてはくれなかった。彼らは海野の右の鎖骨を骨折させ、腕を負傷させ、全身に打撲を負わせた。海野は骨折の治療で手術を受けたが、再びピアノを演奏できるようになるかどうかはわからない。右腕は今のところまったく使える状態にはなく、いろいろなことを左手でこなせるように学んでいるところだと言う。
その後また、亡くなる前から巨泉もなにかと言えば以前から親しく付き合った友人も惜しまれつつ世を去った名ジャズ・ピアニスト世良譲、ジャズ・ピアノの巨匠ハンク・ジョーンズ、テナー・サックス & フルートの巨匠フランク・ウェスが、晩年最も期待を寄せていたピアニストでもあり、CDでの共演の他、音楽のみならず人生の師として交流を深めていたそうである。

『akiko with 海野雅威TRIO”ジャズを詠む”』


簡単にakiko(あきこ、1976年12月14日 - )は、日本のジャズシンガー。 akiko. 生誕, (1976-12-14) 1976年12月14日(47歳). ジャンル, ジャズ. 職業, 歌手.と簡単に記されている。
2001年、名門ジャズレーベル「ヴァーヴ」初の日本人女性シンガーとしてデビュー以来、枠に捕らわれない音楽性を追求しながら音楽以外の分野でも幅広くその才能を発揮し、日本のジャズシーンにおいて常に異色の存在であり続けるakikoと、NYを活動拠点としてジミー・コブやロイ・ハーグローヴなど名だたるジャズレジェント達からも寵愛を受け世界のジャズシーンで活躍していた矢先にNYの地下鉄での暴行事件により致命的な負傷を追いつつも奇跡の復活を遂げ、昨年同じく「ヴァーヴ」レーベルよりメジャーデビューを果たした話題のピアニスト、海野雅威とのアルバムでもある。

今回のジャズを詠むアルバムについては次の様に紹介していましたので引用させていただきました。「エッセイ本では、好きなスタンダード曲をピックアップしつつ、それをテーマにして自分のライフスタイルや人生観などを綴りました。いつか、この本と繋がりのあるCDを作りたいと思っていましたが、奇を衒っていない“普通の”ジャズ・スタンダード集にしたかったんです。でも、それって意外と難しい。ジャズ・ミュージシャンというのは、どうしても自分の個性を出したくなったり、現代風にアップデイトしたくなるものですからね。私がイメージしているアルバムを海野くんとなら作れると思い、プロデュースもあわせて依頼しました。ベーシストは、アルバム『simply blue』でお世話になったチンさんにお願いしようとふたりの意見が一致しまして・・・」



二人の出会いは2005年のakikoのライブ・レコーディング・アルバム『Simply Blue』まで遡る。ジャズファンの間でも未だに人気の高い同アルバム以来の共演作は、二人が信頼を寄せる一流ジャズ・ミュージシャンを集めてのスタジオ・レコーディング・アルバム。

akikoと海野雅威のタッグ再び!スタンダード愛に溢れた、不朽のジャズ・スタイルはご機嫌なアルバムでもある。


 01.Jazz - introducing “How High The Moon”
  Words / akiko, Nancy Hamiton Music / akiko, Morgan Lewis
 02.Poor Butterfly
  Words / John Golden Music / Raymond Hubbell
 03.East Of The Sun
  Words / Brooks Bowman, akiko Music / Brooks Bowman
 04.Crazy He Calls Me
  Words / Bob Russell Music / Carl Sigman
 05.Where Or When
  Words / Lorenz Hart Music / Richard Rodgers
 06.Come Rain Or Come Shine
  Words / John H Mercer Music / Harord Arlen 
 07.For All We Know
  Words / Samuel M Lewis Music / Fred J Coots
 08.Let's Call The Whole Thing Off
  Words & Music / George Gershwin, Ira Gershwin
 09.I Love You For Sentimental Reasons
  Words / Deek Watson Music / William “Pat” Best
 10.Look For The Silver Lining
  Words / B.G.DeSlyva Music / Jerome Kern
 11.Enjoy It While You Can
  Words / akiko, Tadataka Unno Music / Tadataka Unno
         


akikoが2018年に発表したエッセイ『ジャズを詠む-人生を幸せにする、25のスタンダード・ナンバー』で取り上げたジャズ・スタンダードから選曲。タイトル曲「Look for the Silver Lining」や「East of the Sun」「For All We Know」などスタンダードの名曲をオーセンティックなスタイルで収録した本作は、akikoのデビュー作である『Girl Talk』を彷彿させる。



ライブでもお馴染みのakikoのオリジナル曲「Jazz-introducing“How High The Moon”」と、海野雅威氏の昨年のVerveデビュー作にも収録されている同氏のオリジナル曲「Enjoy It While You Can」(作詞:akiko/海野雅威)を収録。
ヴォーガル:akiko
ピアニスト:海野雅威
ベーシスト:鈴木良雄
ジャズ・ミュージシャンとの共演機会も多い人気ドラマー:Gene Jackson
そしてゲストに、アメリカ在住のギタリスト:増尾好秋
豪華なメンバーが並ぶ



英国風のFyne AudioのF500でのジャズは少し品の良いリラックスしたジャズヴォーガルとピアノが実にお似合いの品の良いジャズが聴ける、正にリラックスムードが十分満喫できる、海野雅威トリオのアルバムは以前から聴くがakikoとの共演は初めてですが、期待通り軽めのジャズが実に心地良い。ブラボー!

ボッサにたった2年間関わったスタン・ゲッツ(ts)の足跡を振り変える、本当はジャズ音楽を追求したかった様ですね!

2024年09月16日 | JAZZ・ボサノヴァ


細やかな事ではあるが、先日あるニュースを何気なくぼんやり見ると、自民党総裁選の候補者全ての会見をTVで見た、ある候補者議員曰く、靖国問題と自衛隊について明快な発言があり思わず感動した。実に明快に答えていた。防衛大臣でも口に出来なかった言葉である。その内容にについて・・・・

自衛隊入隊時の宣誓書で自衛隊服務宣誓である、全文は・・・
「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。」
つまり命令には、命を捧げますという宣誓文である。

上記の服務宣誓書は自衛官になった時に誓う最初の重要な書類であり、一番の疑問は命令する側と受ける側に分かれるが、問題は命令する側に服務宣誓書の意味を理解しているのであろうか?一番の命令権は日本国総理にあり防衛大臣であるがこの意味を全て理解しているか甚だ疑問である。
以前日本の防衛大臣は国会に網目タイツのストッキングで現れたした馬鹿な防衛大臣がいたが大変失礼な行為で、失礼と思わないのであろうか?甚だ疑問に思ったが大人の常識の無知は部分だけ今も残る。マスコミもおしゃれ番長と持て囃し芸能人気取りである、矢張り大手マスゴミその物でもある。



昔明治維新の時の大日本帝国の頃もよく似た宣誓書があったと思う、基本は日本は徳川時代から続く私用で通学した寺子屋にて「読み書き算盤」の基本を学び立派な社会人として相応しい自主教育を施していたからなのであろう。
我が国の歴史書を紐解けば解るが、植民地にした国々にも先ずは、初めは病院と学校を設立を配し教育の大切さを教え、次にインフラ整備を実行した。この行いは江戸自体初期の江戸湾を開拓し水路の交通網を網羅し次に上下水のインフラを手掛けた事と一致する日清戦争にて勝利台湾を日本が制定したが同様の手順にて暮らしやすい国にしている事で今も友好国とし続いている。
明治時代になり尋常小学校を設立し軍人なっても困らない程度の民度の教育に「読み、書き、算盤」を全員に習得させた。この様な基本的な歴史も余り分からない様な自民党総裁選の候補者が果たして自民党総裁になっても恥をかくだけであろう。

ある議員は昔幼少の頃何故日本はあの米国と戦争をしたのであろうかと疑問を持ち30代の頃、先の戦争は米国の大統領ルーズ・ベルト(Franklin Delano Roosevelt)民主党。ニューヨーク州出身、は、モーゲンソー財務長官、ハリー・デクスター・ホワイト財務次官補達で日本を戦争に巻き込んだ張本人でもあるということが解明されたと言われる正に仕組まれた罠であった。
この容易な問題は日本の近代教育で近代歴史は史実を全く語ってない致命書と言えよう、正しいし教育し国民に公表しなければならないであろう。

ロシアのプーチンも語る、米国民主党の連中は右手で握手し左手でナイフで留めを刺すが、共和党は握り拳を作りパンチを浴びせる、何方も嫌いであるが共和党の連中が与し易いと言っている。アイゼン・ハワー以前の米国は欧州の事もある程度考え物事は進めたが今や主権国家として益々傲慢になっている。この様な世界情勢がどこまで見えるかが日本の丞相には大切な事と思う、今後益々心配である。未だ米国の支配下になっている日本もいち早く戦後GHQに押し付けられた日本国憲法の誤りを訂正し、平和な世界を目指す国に憲法はいち早く健康にするべきである。支那、北朝鮮、ロシアに危険な近隣諸国に囲まれる日本でもある。

今は筆者も齢76にもなり思うは歴史は実に興味ある事と思っている。この様に好きな音楽を聴きながらPC等で学べる世界もおもしろき人生でもある。決して過ちを起こさない政治をして頂きたいと願う。



ブラジルの歌手、ギタリスト。作曲家のボサノヴァの父と呼ばれた・アントニオ・カルロス・ジョビンや作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライスらとともに、ボサノヴァを創成したとされているが、スタン・ゲッツ(ts)の聴きやすいサックスの音、そして美しい音色のテナー・サックスが無かったのならあれ程ボサノヴァはメジャーな音楽になっていなかったであろう・・・?
スタン・ゲッツ(ts)はボサノヴァ音楽との関わり合いはたった2年会の短い期間と言う時事とは驚きでもある。

スタン・ゲッツのテナーを聴いてると鬱な気持ちでいても途端に何か思考が替わって自然と聴き惚れてしまう精神安定剤も兼ねてるジャズマンだなと思う、彼の生き様も知って晩年迄の麻薬やアルコール中毒そして癌との戦いと、でもそう言う中でも彼の音楽への姿勢は常に素直でテナーの音にも暗さを感じさせず!特に彼の18番のボサ・ノヴァへの愛着、BGMとして流していても耳の良い人には直ぐにゲッツのテナーの魅力を感じ取れると信じています。今回紹介するGetz For LoversはMoonlight In Vermontの曲はボサノヴァ曲ではあるが何とムードある郷愁を感じさせる曲であり正に秋に相応しい曲でもある。



欧州のスピーカーをお持ちの方は是非引いていただきたいスタン・ゲッツ魅力いっぱいのアルバムをお聴きいただきたい。馴染みやすい音楽と自然に流れるムードあるボッサのリズムの魅力は欧州トーンが大変好ましく部屋に響く様は実にリラックス出来る。そのような魅力いっぱいのサックス奏者について述べる。

1927年2月2日、スタン・ゲッツ(本名:スタンリー・ゲイツキー)は父 アルと母 ゴールディーのもと米国ペンシルベニア州フィラデルフィアで誕生。
父方の祖父母はユダヤ系の移民で、ユダヤ人に対して行われた集団的迫害行為から逃れるため1903年にウクライナの首都キエフから移住してきました。
時代が世界恐慌に直面すると、ゲッツ一家はより豊かな収入を得られる職を求めてニューヨークへと引っ越し。幼い頃は学業での成績が優秀で、小学校6年生の頃はクラスでもトップレベルだったとか。楽器に関心を持った彼は、12歳(中学生)の時にハーモニカを手に入れ、演奏するように。
彼は15歳の時には既にタバコを1日1箱は吸っていた上に、精神的な不安感はアルコールに拠り所を求め、毎晩のように酔っ払っていたようです。このアルコール依存症と後のヘロイン中毒は、彼の人生に大きな影を落とすこととなります。
彼がヨーロッパにいた間、ジャズシーンにはとある変化が。マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンの活躍を筆頭に、アメリカにおけるジャズの流行はモーダルジャズへといつしか変わっていたのです。メトロノーム誌とダウンビート誌という2つのジャズ雑誌でも、人気プレーヤーの座はゲッツからコルトレーンへと移行していった様である。



たった2年間の偶然お遊びで花開いたボサノヴァ音楽である。
1961年、ゲッツは数年間滞在していたヨーロッパから帰国後、彼はギグでチャーリー・バードと知り合い、バードがブラジルで感銘を受けたというジャズとサンバのハイブリッド音楽である”ボサノヴァ”を紹介されます。バードは、アメリカではまだ誰もレコーディングしようとしていない音楽だけれど、と言ったそう。

ゲッツはすぐさまプロデューサーであるクリード・テイラーに録音の機会を設けるよう持ち掛けます。


当時1962年「Big Band Bossa Nova」が発売され人気になったきっかけの様なアルバムでこの後決定的なアルバム1963年発売「Getz/Gilberto」は、アメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと、ブラジルのボサ・ノヴァ歌手ジョアン・ジルベルトが連名で1963年に録音し、1964年に発表したアルバム。アントニオ・カルロス・ジョビンがピアノで参加し、アストラッド・ジルベルトが2曲でボーカルをつとめたアルバムは衝撃的でした。
Getz / Gilbertoはボサ・ノヴァ・ブームを世界中に巻き起こした大名盤。全米アルバム・チャート2位を記録し、収録曲「イパネマの娘」も全米シングル5位。そして、グラミー賞ではアルバムが2部門(最優秀アルバム賞/最優秀エンジニア賞)を受賞し、「イパネマの娘」が最優秀レコード賞を受賞。



本人にとって、ボサノヴァのミュージシャンとみなされるのは本当に嫌だったらしい。あくまでもボサノヴァを軽視しているのではなく、自分はジャズミュージシャンだという気概から、ゲッツがいたからこそボサノヴァの世界制覇が短期間で完了したわけです。

勿論ジョアン・ジルベルトは偉大なミュージシャンでが、当時の世界環境、技術力で、南半球の音楽が世界を制覇するのは容易ではなかった。遅かれ早かれボサノヴァによる世界制覇は実現したと思いますが、「2年間と言うあれだけの短期間で」という条件をつけるなら魅力あるサックスの響きを提供したゲッツの功績は計り知れない事と思いませんか・・・。

しかし今このボッサの曲を曲を聴けば確かに、甘味漂う何処が哀愁があり実にゆったりした気分になるのがこの当時のげっつのメロディであったのであろう。ボサノヴァ(Bossa Nova/Bossaは「傾向、魅力」という意味なので、Bossa Novaは「新しい傾向の音楽」ということになる。)は基本8ビートビートで奏でられるしっとりとした雰囲気の音楽です使用楽器は(クラシック・ギター、 エレクトリックベース、コントラバス、ピアノ、電子オルガン、ヴィブラフォン、ドラムス マラカス、コンガ サクソフォーン、タンボリン)等である、ジャズ(JAZZ)は多くが4ビートです。 基本は2ビートのサンバから生まれたのがボサノバです。



ジョアン・ジルベルトとのアルバム、『ゲッツ/ジルベルト』がそれです。本作では、ジルベルトの妻であるアストラッド・ジルベルトの素人の歌声を気に入ったゲッツが、アルバムのヴォーカリストとして録音に迎え入れました。

実は「ジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンはアストラッドには歌ってほしくなかったようだった。プロの歌手でもないし、ただの主婦だったのだから。アストラッドが歌う『イパネマの娘』と『コルコヴァード』を聴くと英語で歌うことでの響きもとても良く、録音しない理由はないと思った」とゲッツは考えたそう。

その後ジャズ生活を送り1991年6月6日、ゲッツは手助けされ車椅子のままベッド脇の窓辺から朝3時の海を眺めました。夜明け前の暗い海、寄せては返す波を見て彼は何を思ったでしょうか・・・。
その日の夕方、彼の人生は静かにそっと幕を閉じたそうです。晩年に患った肝臓ガンが原因、64歳の生涯でした。彼の人生は、アルコール依存症とヘロインとの闘い、そしてガンとの闘いでもありました。



今は亡きボッサの設立メンバーのこの極徳のリズム、この季節、なぜかボサノヴァが聞きたくなる習性があり、大好きな曲“デサフィナード”をキーワードに検索していたら…掘り当てました!お宝を・・・ 

もともと、ジャズバラードも好きだったものの、ボサノヴァから、スタン・ゲッツに辿り着きました。 


 
ジャズファンなら、きっと誰もが知っているような有名人だと思うのですが、そういった知識が全くなく、ただ自分の耳が探知して心地よさを感知したものだけをよしとしてる私にとっては、ホントにお宝に出会った感じでありました。なんといったらよいのか、とっても癒される。

気持ちの良いサックスの音色。これからのどんよりとした梅雨の時期からけだるい夏からスッキリの秋空にかけては、全くぴったしのサウンドです。
すっかり、聞き惚れ、第2弾 "More Stan Getz"も速攻購入してしまいました。



Getz For Lovers


 1.バーモントの月Moonlight In Vermont
 2.コルコヴァード Corcovado (Quiet Nights Of Quiet Stars)
 3.アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユーI'm Glad There Is You
 4.バット・ビューティフルBut Beautiful
 5.オ・グランヂ・アモールO Grande Amor
 6.アルフィーAlfie
 7.ヒアズ・ザット・レイニー・デイHere's That Rainy Day
 8.ボディ・アンド・ソウルBody And Soul
 9.ザ・ルック・オブ・ラヴLook Of Love, The
 10.リトル・ガール・ブルーLittle Girl Blue
 11.プラ・マシュカー・メウ・コラソンPara Machucar Meu Coracao
 12.デトゥア・アヘッドDetour Ahead
 13.メリンダMelinda
 14.イパネマの娘Girl From Ipanema, The
 15.イフ・エヴァー・アイ・ウッド・リーヴ・ユーIf Ever I Would Leave You

この一枚で要約されるボサノヴァの曲の数々先ずは、1曲目はクラウス・オガーマン編曲指揮のオーケストラをバックにゆったりと吹いている63年の演奏。2曲目は人気作ゲッツ/ジルベルトに入っていた曲。3曲目は57年のスタン・ゲッツ&オスカー・ピーターソンからの選曲。という具合に、おなじみの演奏が次々と登場する。ゲッツは50~60年代にヴァーヴ・レーベルに集中的に録音を行なったので、名演・名作には事欠かない。



本作はその中からバラード演奏を選りすぐったベスト盤なので、まさに名演のオン・パレードだ。激しくブロウするゲッツも魅力的だが、本作に聴かれるような詩情豊かな演奏はこれまたゲッツの独壇場といっていい。マイルドな音色による柔らかな感触のバラード演奏は、聴く者の心を優しく包みこむ。一歩間違うとムード・テナーの世界になりそうなところ、その直前で踏みとどまっているのは、ゲッツのジャズ・ミュージシャンとしての矜持とセンスゆえだろう。

コンボ、ウィズ・ストリングス、ボサノヴァと内容はさまざまだが、一貫しているのはどれも優雅な演奏だという点。モダン・ジャズを代表するテナー・サックス奏者スタン・ゲッツ。オーケストラをバックにサックスの艶やかな音色が漂う「バーモントの月」他、しっとりと甘くムーディーな「コルコヴァード」他、ボサノヴァからジャズ・スタンダードまで上品なバラードで構成した15曲。
この時期になると何故か聴きたくなる懐かしいアルバムでもある、ブラボー!

東北旅行から帰り音楽が堪らなく聴きたく合間を縫ってアンプに火を灯し、ピアノジャズピアノを楽しむ。

2024年07月13日 | JAZZ・ボサノヴァ

此の所大阪に居る娘が遊びにきたり、旧友との爺さん達の遠足に、帰宅すれば生憎仕事も重なり、時間の空いた隙間に音楽を耳にした。

昔から筆者の好きなピーターソン~ブラウン~シグペンからなる黄金トリオによる1962年のヴァーヴ盤。ハイライトは同年にリリースされたビル・エヴァンスの名曲「ワルツ・フォー・デビー」の演奏は、今回の聴きものです。スウィンギーで力強いタッチから繰り出されるワルツは圧巻だ、しかし此処で改めてエバンスnとの差を感じるキレキレの演奏の魅力はエバンスではあるが、スイングの楽しさを堪能するにはピーターソンが勝る。この様なJAZZは筆者の愛用する2代目1967年発売MonitorGOLD(ⅢLZmk2)ユニットでも十分満足するJAZZが聴ける。

又ジャズピアノの魅力が存分に詰まった、歴史に残る名盤ウィ・ゲット・リクエストは、ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンと彼のトリオによるアルバムで、その後1964年にリリースされ、10月19日、10月20日、11月19日または20日にニューヨーク市のRCAスタジオで録音された。このAFFINITYは2年前に発売された当時の流行り曲をまとめた今聴くも実に懐かしいアルバムでもある。
CD盤は上記のジャケットでレコードはシンプルなピーターソン・トリオではシンプルなデザインジャケットが好きなアルバムでもある。録音当時のピーターソンは37歳頃の作品で最も脂の乗り切った時期と想像する。



AFFINITY
 01WALTZ FOR DEBBY /ワルツ・フォー・デビー(ビル・エヴァンス)
 02TANGERINE /タンジェリン(ジョニー・マーサー=ヴィクター・シャーツィンガー)
 03GRAVY WALTZ /グレイビー・ワルツ(レイ・ブラウン、スティーブ・アレン)
 04THIS COULD BE THE START OF SOMETHING /これは何か大きなことの始まりになるかもしれない(スティーブ・アレン)
 05BAUBLES. BANGLES AND BEADS /飾り物、腕輪、ビーズ(アレクサンダー・ボロディン、ジョージ・フォレスト、ロバート・ライト)
 06SIX AND FOUR /6と4(オリバー・ネルソン)
 07I'M A FOOL TO WANT YOU /君を欲しがるなんてバカだ(ジョエル・ヘロン、フランク・シナトラ、ジャック・ウルフ)
 08YOURS IS MY HEART ALONE /私の心はあなただけ(ルートヴィヒ・ヘルツァー、フランツ・レハール、ベーダ・フリッツ・レーナー)
録音:1962.9
 
レコーディングに参加したのは、1958年からトリオを組んでいるレイ・ブラウン(Ray Brown)、エド・シグペン(Ed Thigpen)。このアルバムの最初の曲にエバンスのWALTZ FOR DEBBYが導入されるが同じピアニストの演奏でも違いが実に面白い、この曲はエバンスの得意の曲ではあるがピーターソンの独自なスイング感も面白い流石ぎんばんの貴公子と言われる意味合いが分かるのだ。

オスカーはこのトリオで『ナイト・トレイン』(Night Train)、『カナダ組曲』(Canadiana Suite)、『オスカー・ピーターソン+ 1』(Oscar Peterson + 1)など数々の名盤を生み出している。
その中でも、ヴァーヴ・レコード(Verve Records)からリリースした『プリーズ・リクエスト』(We Get Requests)は、「歴史に残る名盤」として現在も広く愛されている。
筆者はピーターソン独特の転がし演奏が好きで昔は視覚障害者でありながら超絶技巧を誇るアート・テイタムの奏法と良く似た演奏と言われたが今はピーターソン奏法(節)と言えるのであろう。この辺りのニュアンスはエバンスとの違いは明らかであろう。



Oscar Peterson (オスカー・ピーターソン)
1925年8月15日、カナダのモントリオール生まれ。45年から地元カナダでリーダー作を残し、49年に興行師のノーマン・グランツに才能を見出され米国デビュー。J.A.T.P.などオールスター・セッションに起用される一方、レイ・ブラウン、バーニー・ケッセル、エド・シグペンらと多くの名作を発表した。90年代に脳梗塞で倒れるも見事な復帰を果たし、その健在ぶりを強くアピールした。2007年12月23日、腎不全のためカナダ・トロントの自宅で死去。享年82。
アート・テイタムを彷彿とさせる高速のアドリブが特徴で決して音が乱れることはなく、もちろん、ただ技巧がすごいだけでなく、ピアノ奏法の独創性や、卓越した和声感覚で、オスカー・ピーターソン特有の音楽を作り上げています。オスカー・ピーターソンはその圧倒的な演奏力が特徴です。ミスタッチをほとんどすることがないと言われており、正確な指使いと同時に疾走感のある早いテンポを弾きこなすなど超絶テクニックを持ったピアニストで、「鍵盤の皇帝」との異名をとっていました。そのような超絶技巧の演奏を可能にしていたのは長年のキャリアに裏打ちされたテクニックに加え、オスカー・ピーターソンの大きな「手」も理由の一つかもしれません。1オクターブは余裕でつかめる大きな手でダイナミックな演奏をし、観客を沸かせていました。
オスカー・ピーターソンは1964年にも来日しており、長きにわたり日本での人気も高かったことがうかがい知れます。


Ray Brown (レイ・ブラウン)
1926年10月米国ペンシルヴァニア州ピッツバーグ生まれ。ジャズ・ベースの巨匠。オスカー・ピーターソン、ミルト・ジャクソンとの長年にわたる共演活動が有名だが、チャーリー・パーカー、バド・パウエルなど、ジャズ史に残る数々の傑作に参加している名盤請負人。自己のバンドは、モンティ・アレキサンダー、ジーン・ハリス、ジェフ・キーザーらのピアニストを迎えたトリオでの活動が中心。2002年7月2日インディアナポリスで死去。享年75歳。
レイ・ブラウン(Ray Brown)はエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)と結婚していたんですよね。今思うと、凄い夫婦ですね。
レイ・ブラウンはハイスクール時代からピッツバーグではちょっと知られたベーシストになっていましたが、20歳の時ニューヨークに出てディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)のベーシストとなり、次第にアート・テイタム(Art Tatum)やチャーリー・パーカー(Charlie Parker)らとも演奏する機会を得るようになりました。



ディジー・ガレスピーのバンドには1946年から1951年までいました。その間、1949年にノーマン・グランツ(Norman Granz)が企画しているコンサートでオスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)と初めて共演します。その後、ディジー・ガレスピーのバンドをやめてオスカー・ピーターソン・トリオに加入します。このトリオは1951年から1966年まで続く最強トリオとなり、数多くの名盤とライブを生み出すことになります。数多くのミュージシャンと共演、レコーディングを行い、オスカー・ピーターソンとの長期にわたる共演でも有名です。
私的にはプリーズ・リクエストでバースを弓で奏でるブーミー音は実に印象的な演奏でもあり一種の低音の魅力その物でもある。


Ed Thigpen (エド・シグペン)
欠かせない存在だったエド・シグペンは、「ミスター・テイスト」として知られていました。シグペンは、そのブラシテクニックと、脈拍とスイングの明瞭な感覚で最もよく知られていました。
ティグペンは 1930 年にシカゴで生まれ、ジャズ ドラマーのベン ティグペンの息子です。ベン ティグペンはバンドリーダー兼ベーシストのアンディ カークとの共演で高く評価されていました。両親が離婚した後、エドは母親とともにロサンゼルスに移り、ピアノを学び、教会の聖歌隊で歌い、ダンスのレッスンを受け、学校のバンドでドラムを演奏しました。ティグペンの最初のプロとしての演奏は、エドが 18 歳のときにバディ コレットと共演したことでした。その後、すぐにジャクソン ブラザーズのショー バンドに参加しました。その後、ニューヨークのサヴォイ ボールルームでクーティー ウィリアムスと共演し、その後 2 年間陸軍バンドのドラマーを務めました。
1959 年、シグペンはベーシストのレイ・ブラウンを含むオスカー・ピーターソン・トリオに加入しました。「トリオで活動することで、自分の演奏の特定の要素を発展させる機会を得ました」とエドは1982 年にMD 誌に語っています。「シンバルのテクニックとビッグバンドの状況をシミュレートするフレージングの手法を習得することができました。メロディーの聴き方や、即興のラインに合わせてフレージングして、他のことが起こっているような感覚を与える方法を学びました。それは補完的なものでしたが、それでもオスカーが最初に望んでいた時間でした。



ピーターソン・トリオのジャズの聴き所はウッドベースのごく普通の低音、ドラムのキレ音に巧みに転がす様なタッチのピアノ曲、普通に演奏してるのであろうが、魅力一杯のピアノ・トリオならではのジャズの魅力を味わうには筆者自慢のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetに突然の出会いで見つけ遭遇した三極管「Zaika5300」を装着した、パワーアンプSV-501SEジャズ音楽を聴くには若干パワー不足な所もあるが、筆者のリビング10畳程では十分満足できます。
確かにサブのパワーにLUXKIT A3500も種有するがパワーは十分だがじっくり聴くのはZaika5300の三極管を好んでしまう事が現実である。
TANNOYユニットは特に自然な低域を楽しむには真空管の威力借りて再現する音が好ましい、レイ・ブラウンのベース音を楽しむは球の仕様が一味も違って来る、特に三極管が威力を発揮する様に思う。

兎角昔から好きな言葉に「得手に帆を挙げて」の如く此の様なピーターソン・トリオのゴールデンコンビの演奏は鳴り出した音に思うは、手足しっかりした音が響く装置で聴く事が一番の至上の喜びでもあろう。



特に欧州でのエンクロージャーを用い確かにジャズ音楽鑑賞には不向きであるがスイングジャズ、欧州録音のジャズ他数少ないジャズも欧州のスピーカーユニットで聴く事で感銘を受けるアルバムも数多くある様に思う、その様なアルバムを探す楽しみもマニアもいる様に思う。

この様に昔から良く聴く馴染みやすいジャズにオスカー・ピーターソン(p)レイ・ブラウン(b)エド・シグペン(ds)ヴァーブ時代のピーターソン・トリオの曲が多い、カナダで最初のピアノ・トリオを結成して以来、半世紀を越える活動で、スィングとバップを融合させた独自のスタイルを確立、ジャズって変に哲学的になったり、原曲が全然見えなくなっちゃったりということがあるけれど、ピーターソン・トリオの曲はオーソドックスで聴きやすく魅力的で個人的にも好きなトリオでもある。
久々に聴くキレの良いピアノ曲に、ブラボー!

久しぶりのThelonious Monkのジャズピアノの真髄を考察した

2024年06月27日 | JAZZ・ボサノヴァ

今年の梅雨は暫し遅れている様であり、日本産の米不足が心配でもある、庭には昨年植えた紫陽花の新種の花が咲き出しました。またカサブランカのは何も徐々に咲き始めています。今年も来月初めに東北の友人達と一緒に2泊3日のシニア達の遠足に参加予定で新幹線のチケットは予約しました。

久しぶりの古いジャズを聴く、久しぶりに聴くモンク節が部屋に日々言いた。20代に購入したモンクのLPは一度聴き当分聴かなかったレコードとしての思い出があります。当時の筆者には余りにもレベルが高過ぎた様だ。

オーディオ機器の再会については、(HPD295)のユニット使用のTANNOY IIILZ in CabinetでJAZZ音楽は聴けるのであろうか?の疑問は筆者には実に興味ある問いで、石のアンプでも楽しめる様になったと言われるTANNOY IIILZでのJAZZ音楽の再生にも大変虚み深く良いと感じたアンプは欧州物はまず先ずであったが、今更ながらTANNOYには良いとされる石のアンプを色々投入した中のアンプも一番風変わりなビクターの業務用デジアンプも使ったが何故か納得できなく、紆余曲折あり現在の三極管の機器に至った。
勿論ユニットもIIILZ Monitor Goldユニットに変わり、AXIOM80の箱に乗り換えた、現在はTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetに落ち着き、正直思うはTANNOYで聴くJAZZは或程度の低域のゾーンボリューム必要に感じるが、オリジナルのTANNOYⅢLZ だは低域不足で、現在の装置TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetでは1960年代までのスイングジャズ系統は実に上手くスイングするがこれが限界の様にも思う。
米国の機器とは違い英国独自の味わいがある音質が特徴に感じる、今回紹介するセロニアス・モンク辺りの再現がこのシステムのはどな音での限度でもあろう。



先日あるブログより紹介があった市原ひかりさん、女性ジャズ・トランペット、フリューゲルホルン奏者として有名。最近の演奏家は良く知りませんが、以前「STARDUST」と言うアルバムがある、市原ひかりの三作目。前作『Sara Smile』と同じくニューヨークでの録音。サイドメンは最高の猛者ばかり,ジョージ・ムラーツ(b)、ビクター・ルイス(ds)ら名手を迎えこれが功を奏しておしゃれなできばえとなっている様に思える、スタンダード7曲と自作曲2曲に臨みます。

Thelonious Monkお得意のBlue Minor、Stardust、星に願いをと続くが我々高年齢層も懐かしいやら、JAZZの良さを味わえる選曲であった、聴きながらそう言えば何処か調子ハズレな特徴のある本物のモンク節が恋しくなる、セロニアス・モンクのBlue Minorとは随分違っている様に感じ、久し振りに真面目にモンクのピアノを聴こうと決断する。

若い頃、兎に角筆者が最初モンクを聴いいた時感じたことは難しいJAZZのように思え、何処か馴染みなく数年過ぎた時に何度も何度も聴くのが何故か独特のモンク節が懐かしく感じた、5 by Monk by 5のStraight, No Chaserを聴きやはりただ物ではないJAZZの巨人の様に思え奥の深さを感じた。
思えばマイルスもコルトレーンも言ってみれば弟子なんですからね・・・?



勿論Blue Minorは不世出のジャズ・ピアニスト、セロニアス・モンクの1959年発表のアルバム。ソロ・ピアノにおける神出鬼没でミステリアスなフレージングの数々が唯一無二の輝きを放っている。“天才”に触れることのできる一枚だ。セロニアス・モンクが定評のあるソロ・ピアノ集をサンフランシスコでレコーディング。サンフランシスコにツアーした際、地元のスタジオで吹き込んだソロ・ピアノ集。

セロニアス・モンク(英語: Thelonious Monk [θəˈloʊniəs ˈmʌŋk]、1917年10月10日 - 1982年2月17日)は、アメリカ・ノースカロライナ州生まれのジャズ・ピアニストで .セロニアス・モンクは、アメリカ・ノースカロライナ州生まれのジャズ・ピアニストである。即興演奏における独特のスタイルと、スタンダード・ナンバーの作曲で知られ、ビバップのパイオニアの一人と評されている。

モンクの死後、その音楽はジャズ評論家や聴衆によって再評価され、モンクはマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンなどと並び、ジャズの巨人の一人に数えられている。他の追随を許さないカリスマ性を持った姿、孤高の姿に「バップのプリースト(高僧)」と呼ばれた。1940年~1960年代まで黄金期を迎えた”モダンジャズの時代”において、独特のタイム感とコード感、そして休符の目立つ旋律等で、新風を巻き起こした人物である。



1988年、クリント・イーストウッド製作総指揮による、モンクの生涯と音楽についてのドキュメンタリー映画『セロニアス・モンク  ストレート・ノー・チェイサー』が公開された。
代表曲には「ストレート・ノー・チェイサー(Straight No Chaser)」「ラウンド・ミッドナイト(’Round Midnight)」「ブルー・モンク(Bkue Monk)」などがある。

ジャズ界の伝説の巨人と言われた天才ピアニストであり作曲家モンクの作品。独特なメロディからはじまる、モンクらしさに溢れた楽曲です。タイトルは、バーボンやウイスキーなどをオーダーする時に『ストレートでくれ。チェイサー(ストレートのロックでオーダーするとついてくるお水)はいらないよ』という意味です。クリント・イーストウッド監督によるモンクのドキュメンタリー映画の題名にもなっています。



一般的には健康的に美味しいお酒をいただくにはチェイサーは必要不可欠です。
チェイサーはなぜ水なのですか?居酒屋やバーなどでお酒を注文すると一緒に提供されることがあるチェイサー。一般的に冷水がチェイサーとして提供されることが多いですが、実は冷水でなくても良いことをご存じでしょうか。なんとなく悪酔いを避けるためのものと知っていても、その役割や効果を正しく知っている方は少ないかもしれません。チェイサーの役割や、効果的な飲み方をご紹介します。チェイサーについて正しい知識を身につければ、お酒をより楽しく安全に楽しめるようになります。水などをチェイサーとして飲むことにより度数の強いお酒の代わりに胃を満たし、胃を早く満腹の状態にできます。 先述の通りチェイサーを飲んでいるから、アルコールをいくら飲んでも良いという訳ではありません。 チェイサーは補助的な役割なので、飲み過ぎには注意をしながら、適正範囲でお酒を楽しむことが大切です。

"Straight,No Chaser"はモンクのキャリアを代表する曲のひとつ。独特のメロディから始まるモンクらしさに溢れた曲です。筆者のお気に入りの説明は・・・
(B ♭調の12小節ブルース。 「ブルー・モンク」同様、メロディーに半音階を独創的に使用。1951年7月23日、ジーニアス・オブ・モダン・ミュージックのセッションで初めて録音され、[5]後に『マリガン・ミーツ・モンク』[60]、『5 by モンク・バイ・ファイブ』[6]、『ストレート・ノー・チェイサー』[54]、『モンクのブルース』[28]に収録されている。ライブバージョンは、イタリア、東京、イット・クラブ、ジャズ・ワークショップで録音されたアルバムに収録されている。 マイルス・デイヴィスはアルバム『マイルストーンズ』でこの曲をB ♭ではなくFで演奏するバージョンを録音した。この曲はモンクや他のアーティストによって何度も録音されており、モンクの曲の中で最も多くカバーされている曲の一つである。[95] この曲はサリー・スウィッシャーによって作詞され、1988年にカーメン・マクレーによってスタジオアルバム『Carmen Sings Monk』の一部として録音されました。著作権上の理由から、この曲は「Get It Straight」と改名されました。 音楽教育者のマーク・C・グリッドリーはモンクの作曲スタイルについて次のように書いている。「モンクはシンプルな作曲技法を用いて非常に独創的な成果を上げた。彼の『ストレート・ノー・チェイサー』は基本的に1つのアイデアを何度も繰り返し演奏し、そのたびに小節の異なる部分で異なるエンディングで演奏するだけである。」



セロニアス・モンク — 5 by Monk by 5リバーサイド・レコードのカタログからセロニアス・モンクの傑出したアルバム7枚のうちの1枚!ジャズ界を代表する鬼才ピアニスト、セロニアス・モンクがサド・ジョーンズを迎えて録音された1959年作
Thelonious Monk 「5 By Monk By 5」(1959)
 1.Jackie-ing
 2.Straight, No Chaser
 3.Played Twice (Take 3)
 4.I Mean You
 5.Ask Me Now

 アート・テイラー(Art Taylor)drums
 チャーリー・ラウズ(Charlie Rouse)tenor sax
 サム・ジョーンズ(Sam Jones)bass
 サド・ジョーンズ(Thad Jones)cornet
 セロニアス・モンク(Thelonious Monk)piano

「このLPは4〜50代にずいぶん繰り返して聴いたが、どれだけ聴いても聴き飽きしなかった。すべての音、すべてのフレーズの中に、絞っても絞っても絞りきれぬほどの滋養が染み込んでいた」と評した。
5バイ・モンク・バイ5はジャズ・ピアニストのセロニアス・モンクが1959年に発表したLPアルバム。30年後、1989年にCD化された。 5人で、モンクのオリジナル5曲を演奏している。 プロデューサーはオリン・キープニュースでリバーサイド・レコードから出た。 
レビュータイトルにある通り、セロニアス・モンクのアルバムだけど普通のハード・バップとしても聴けるアルバムです。しかし、モンク調ではあるので、そこは期待は裏切りません。



それでは、音楽も人物もユニークなジャズマンの代表はいったい誰でしょうか? 私は偉大なるピアニスト、セロニアス・モンクこそが一番その条件に当てはまるような気がします所謂モンク節なのである。

天才アルト・サックス奏者チャーリー・パーカーも「変わり者」コンテストなら断然トップでしょうが、彼のスタイルこそが「モダン・ジャズ」となってしまったため、あとから彼の演奏を振り返ると、その天才性は疑いようもありませんが、「聴いた感じ」はごく一般的なものとなっているのです。つまり「演奏の枠組み」としては、特段ユニークとはいえなくなっているのですね。もっともそのこと自体がじつに偉大なことだったのですが。

話をモンクに戻すと、まったくその逆だということがわかります。「モダン・ジャズ・ピアノ」の開祖バド・パウエルに音楽理論を教え、テナー・サックスの巨人ジョン・コルトレーンがスランプに陥ると適切な助言を行なう。それにもかかわらず、モンクのピアノ・スタイルは主流にはなりませんでした。じつに不思議です。いや、そうでもないかもしれません。理由はあります。つまり、あまりにも「個性的」だったのです。



“ラグタイム”というアメリカ独自の音楽(譜面あり)から始まったとされる「ジャズ・ピアノ」は、アート・テイタムなど“ビ・バップ”以前のピアニストたちによって次第に形を整えていきました。そしてバド・パウエルも、彼とはまったくスタイルの異なるオスカー・ピーターソンも、ともにテイタムの影響を受けているのです。つまり「ジャズ史的連続性」はちゃんとあるのですね。
同じことがモンクにもいえるのです。彼もまたアート・テイタムはじめ、偉大なビッグ・バンド・リーダーでもあるピアニスト、デューク・エリントンなど「モダン期以前のピアニストたち」の影響を強く受けていたのでした。、ある意味でモンクはスイング時代の巨匠たちのスタイルを「そのまま」うまい具合に自分の個性に結びつけることに成功したといえるのかもしれません。

じっくり楽しむ、ジャズの良さを知った時間でもあった、ブラボー!


伝統ある英国の10吋ユニットでDon MenzaのJAZZを聴く・・・

2024年03月26日 | JAZZ・ボサノヴァ

三月も終盤になり天候不順が続いている、此の時期は三寒四温とも言うが。先日は最悪に雪も降り筆者の住む千葉も雪が若干積もり、未だ冬用タイヤからの変更を躊躇している、体調が戻れば一度田舎に墓参りを考えているのだが、後少しで三月も終わってしまう・・・

初候3月5日〜3月9日頃を蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)即ち啓蟄と言うが日本の季節は実に明確で春の花桜、菜の花が必ず咲くピンク色と黄色の色の色合いは誠に春らしい色である。1年を24の季節(節気)に分けた二十四節気は、四季よりももっと細かく季節の小さな変化を表しています。「啓蟄」は春分のひとつ手前の節気で、暦の上では春到来の直前と言えます。啓蟄の意味や時期、過ごし方を解説します。
土中で冬眠をしていた虫たちが、暖かい春の日差しの下に出てき始める頃。虫とはいいますが、冬眠から目覚め始めるすべての生き物のことを表しいるそうです。



先日図書館で何気なく本を見ていると面白い記事を見つけた。東京医科歯科大学の角田忠信教授がご自身の体験に基づき研究なさったそうですが、とても興味深い内容でしたので簡単にご紹介します。表題は脳内処理の仕方での日本人と外国人の違いについて 「なぜ日本人には虫の「声」が聞こえ、外国人には聞こえないのか』ってホント?調べた結果は日本人は自然の音を言語と同様に左脳で聴き、西洋人は雑音として右脳で聴いている為と言われる。

解説によりますと以下の様に解説されてます、角田教授がキューバの学会に参加された際、会場の周りで「虫の音」が蝉しぐれのように激しく聞こえているのに、他の方にはその「虫の音」が聞こえていないことに気づき、日本人の耳と、外国人の耳は違いがあるようだと考え研究をされたそうです。

 人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野があります。右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理し、左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持ちます。
この機能は日本人も西洋人も一緒でありますが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点で違いが見つかったそうです。
このような特徴は、世界でも日本人とポリネシア人だけに見られ、中国人や韓国人も西洋型を示すそうです。これは遺伝子が違うのかも知れない。
この「虫の音」を日本人が言語脳で処理し、西洋人は雑音として処理していることは、文化の違いによるものだそうです。

西洋人は、虫=害虫という認識があり、その鳴く音も雑音だと認識するが、日本人は、「虫の音」に聴き入る文化が子どものころから親しまれているので、「虫の音」を人の声と同様に言語脳で聞いているのではないかということです。
「虫の音」と同様に、日本人は言語と同様の左脳で聴き、西洋人は楽器や雑音と同じく右脳で聴いている音は他に「波」「風」「雨の音」「小川のせせらぎ」などがあるそうです。 日本人はよく情緒的といわれています。それは、自然の音を雑音として認識するのではなく、自然から発せられている言葉として認識してることからなのでしょうか。

以上の様な仮説がされていました、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語は発音の面では日本語とよく似ていますが、母音主体であっても母音一つ一つが意味を待っている言葉ではありません。
日本語以外の言語では単一母音は有意語をほとんど持ちません。母音の二つ以上の組み合わせからなる有意語は更に日本語では豊富ですが他言語では非常に数が少ないです。また、すべての開音節では母音で終わることから、日本語における母音のウエイトがとても大きいことが分かっています。



The Beatles Abbey Road 「Sun King」

Beatles大好きな筆者は発売当時からビートルズのアルバム、アビーロードに収録されている「Sunking」のイントロに流れているのはコウロギの鳴き声ですかそれとも楽器による演奏かは定かではないが。。。西洋人には聴こえないと言われる虫の音を何故加えたのであろうか・・・・疑問でもある?

丁度此の頃のLP盤から擬似的なステレオ録音ではなく現在の様な演奏者の位置がわかるような録音になり音響テクノロジーも進歩した様だが、レコード会社により音質はさまざまであり、特に好んだレーベルはVerve Recordsの音質は良好で良いJAZZ演奏も優れていたと思う。



今日は未だ現役であるジャズ・サクソフォーン奏者で重鎮のドン・メンザ(Don Menza、1938年4月22日 - )のジャズを紹介します。アメリカ合衆国の編曲家、そして作曲家、 ドン・メンザは、ダイナミックで独特のサウンドとソロスタイルを持つ強力なテナーサックス奏者です。1936年にニューヨーク州バッファローで生まれたメンザは、13歳からテナーサックスを吹き始めた。除隊後はメイナード・ファーガソン楽団にソリスト兼編曲者として在籍した(1960~1962年)。ダイナミックで独特のサウンドとソロスタイルを持つ強力なテナーサックス奏者です。1936年にニューヨーク州バッファローで生まれたメンザは、13歳からテナーサックスを吹き始めた。除隊後はメイナード・ファーガソン楽団にソリスト兼編曲者として在籍した(1960~1962年)。現在ドン・メンザはバッファロー・ミュージックの殿堂入りを果した。今も立派な現役演奏者でもある事も凄い。



彼はカリフォルニアに定住し、エルビン・ジョーンズ(1969年)、ルイ・ベルソンとともに教育者として、またスタジオで働いてきました。ドン・メンザはあまりにも少ないレコードしか残していないが、ドイツの『サバ』(1965年)、『ディスクワッシャー』(1979年)、『リアルタイム』、そしてパロアルト(後者の2つは1981年)でリーダーとしてレコーディングを行った。ドンは、ジョニー・カーソンとともにトゥナイト・ショー・バンドの長年のメンバーでしたそうです。

今回の紹介する同様の叙情的な感覚がフランク・ストラッツェリの演奏にも吹き込まれています。そしてその伝統は、彼の絶妙な口調に特に際立っています。ストラッツェリのような温かく繊細なタッチを持ったピアニストはほとんどいません。歌手は皆、伴奏に優れた感性を持つピアニストだけと仕事をする喜びを知っています。この美しいバラードのアルバムを聴いた後、私はただこう言うしかありません。温かく、柔らかく、優しく、感動的です。それは歌います。



フランク・ストラッツェリ(Frank Strazzeri、1930年4月24日 - 2014年5月9日)は、アメリカのジャズ・ピアニスト。彼はニューヨーク州ロチェスターで生まれました。ストラッツェリは12歳でテナーサックスとクラリネットを始め、その後すぐにピアノに転向しました。彼はイーストマン音楽学校に通い、その後 1952 年にロチェスターのナイトクラブでハウス ピアニストとして就職しました。その間、ロイ エルドリッジやビリー ホリデイなどの訪問ミュージシャンに同行しました。
彼は 1954 年にニューオーリンズに拠点を移し、ディキシーランド ジャズの環境でシャーキー ボナーノやアル ハートと演奏しましたが、それ以降の彼の主な焦点はビバップです。彼は1957年から1958年にチャーリー・ベンチュラと、1959年にウディ・ハーマンと共演し、1960年にロサンゼルスに移住した。 そこで彼は西海岸ジャズシーンでスタジオミュージシャンとして幅広く活動し、ジョー・ウィリアムズ、メイナード・ファーガソン、レス・ブラウン、エルヴィスらとツアーを行った。プレスリー! (1971–74)。彼はまた、エルヴィス・プレスリーとも共演しました 。



Don Menza & Frank Strazzeri / Ballads


1987年当時LPでのみ発売されたものが初CD化されたアルバムで当に60年代を思わせるJAZZの音が聞ける!

スイング&バラード両方に長けたテナー・マンと流麗でチャーミングなフレーズが魅力のピアニストの吟醸デュオ作品です!
ドン・メンザのオリジナル。スインガー&バラード双方に長けたテナー・マンの異色作。

 1.Penthouse Serenade (Val Burton, Will Jason)
 2.My Foolish Heart (Ned Washington, Vicotr Young)
 3.You’re My Thrill (Jay Gorney, Sidney Clare)
 4.Over the Rainbow (Yip Harburg, Harold Arlen)
 5.Darn That Dream (Eddie DeLange, Jimmy van Heusen)
 6.Soultrane (Tadd Dameron)
 7.More than You Know (Billy Rose, Edward Eliscu, Vincent Youmans)
 8.It's You or No One (Jule Styne, Sammy Cahn)
 9.Guess I'll Hang My Tears out to Dry (Jule Styne, Sammy Cahn)
 10.Smoke Gets in Your Eyes (Otto Harbach, Jerome Kern)
 11.What's New (Johnny Burke, Bob Haggart)
 12.Blues in the Dark(Frank Strazzeri, Don Menza)
 
 Don Menza (ts)
 Frank Strazzeri (p)

 Recorded at Perpinya 
 Studio, Barcelona, March 29, 1987

メイナード・ファーガソン、スタン・ケントン、バディ・リッチなど数多くのオーケストラで腕を磨いたサックス奏者がドン・メンザです。このアルバムは盟友のピアニスト、フランク・ストラゼリとのデュオによるバラード集。
メンザもストラゼリもバラードの名手として知られるだけに、内容は極上の一言に尽きます。(4)や(10)などの超有名曲を筆頭に、溢れんばかりの歌心を披露します。
極め付けは評論家で作詞家としても知られるジーン・リースが、
“warm and soft and gentle and moving"と賞賛した至福のコラボレーションを、楽しみました。



先日補修した筆者のGOODMANS AXIOM 80の箱のバッフル面を修復させジャズ音楽を試聴するが、以前と比べ随分メリハリは良くなった様である、以前と比べ実にナチュラルな低域がボケることも無くしっかりトレースする様に変化した事は大変嬉しいことでもある。黒人が叩く乾いたスネアー等の太鼓の音の再生にはジムラン等の音の様には全く鳴らないが、それでも今回のタンノイユニットの独自の様な味、何方かと言えば品の良い欧州の感じのジャズは実に味わい深い鳴り方をする、若い頃夢中になって聴いた当時のJAZZ音楽をしみじみ味わう如く聴くのが楽しくなった様でもある。
YouTube配信はありませんので違う曲で、On the sunny side of the street
北村のクラリネットも今や90歳を過ぎ未だに現役での活躍は超人的でもある!

一番の音質が変化してた音は以前に比べ打楽器の音のキレは向上したが、所詮乾いたキレのある太鼓の音は欧州英国のユニットにはこれが限界の音の様に思う。一方弦を擦る音、木管楽器等の息遣い等は正にステージで聴く様でもあり10吋TANNOYユニットの独壇場である。自宅で音楽を聴くのはお得意の音が聴けるソフトが益々多くなる様である。
AXIOM 80の箱のバッフル面を補修して結果い何時もとと同じ音量で聴くが隣の部屋での低音の音量が若干増して様に思う、間違いなく音質は変化した様である。

最近のお好みは癖の少ないブレンドの淹れたての美味しい珈琲と共に頂きながら、筆者の好きなスコット・ハミルトン(ts)との共演の北村英治(ci)のアルバム「Vintage」エディ・ヒギンズ(p)と熟成したメンバーでコクのあるまろやかジャズは何時迄も聴き続けたいと思う音が鳴った。ブラボー!