やっと厚い雲が空を覆って、梅雨空が戻ってきました。ほっとします。しばらくは鬱陶しいお天気も我慢です。
今週始め、まだ梅雨空に戻る前、日光街道を春日部から栃木県野木宿まで歩いてきました。
薄曇りの中、思ったより暑くもなく、歩いている時は汗ばみますが、風は爽やかでした。
粕壁宿入口 ~ 杉戸宿 10:00
家は朝7時前に出たのですが、前回の街道の到着ポイント(粕壁宿入口)まで戻ったので、時間がかかってしまいました。
街道はすっかり整備され、比較的若い層が多く住む街という印象でしたが、当時の趣を残す商家や道標がありました。
写真上:東陽寺 芭蕉が宿泊した寺と言われ、同行した僧侶の随行日記の碑が残っています。
写真下:粕壁道標「西南は岩槻、北は日光、東は江戸」と書かれています。
高札場や河岸場もあった古い街並みを通り、古利根川に架かる新町橋を渡ります。
市街地から離れ、まわりがのどかな風景に変わり、やがて道は二股にわかれます。「左日光道」と刻まれています。
国道16号線を横断し、しばらく行くと観音院が見えてきます。県指定文化財となっている趣のあるものですが、東日本大震災で
大きなダメージを受けたのでしょう。今にも崩れそうな山門でした。
歩道の幅がぐっと広がったあたりに、地球儀の大きなモニュメントがあり、ここが国道4号線と北緯36度線が交差する地点に
あたると書かれていました。埼玉県北葛飾郡杉戸町を通過します。
杉戸宿に入るあたりからは畑や田んぼが目立つようになり、緑が疲れを癒してくれます。
家屋に沿うように植えられている大きな生垣は防風壁の役目も果たしているのでしょうか。
当時の古い商家も残ります。
写真左下:御成街道 徳川家康の遺骸を駿河の久能山から日光に移した以降、江戸時代に将軍の日光参詣に使われた。
やがて御成街道は日光街道と一緒になり幸手宿に入ります。
幸手宿 ~ 南栗橋
実は、この日は幸手駅近くのホテルを予約していたのですが、まだ午後2時半でしたので、ホテルで少し休憩した後、
もう少し距離を伸ばすことにしました。
幸手宿は、日光御成道と日光街道が合流し、筑波道が分岐する地点の宿場町として問屋場跡、本陣跡が残り、賑わった宿場と
言われています。
幸手の市街を抜け、権現堂川(中川)を渡り、車の激しい国道と平行している旧道に入ると、道幅は狭く田んぼが広がります。
なかにはすっかり干上がった田んぼもあり、水不足の現実を目の当たりにします。
このあたりの地区を外国府間「そとこうま」と呼び、道標には「右つくば道、左日光道」とあります。
旧道の左側に東武日光線が走っています。午後5時30分、ちょうど南栗橋駅近くになったので、この日の行程を終えて、
電車で幸手駅まで戻りホテルに入りました。 歩行距離は21.8キロでした。