知り合ってから年数はそれほどではないけれど、結構濃密に過ごさせていただいたご夫婦の旦那さんが9月2日の夜に亡くなったと金曜日に連絡が入りました。
彼は明日で満70歳を迎えるはずでした。
9月5日の6時から本通夜、9月6日の10時半から葬儀であるとのこと。伝言では「遠くに行っちゃったから、無理して来なくていいからね。」
金曜日はとある得意先の経営しているホテルの感謝の会というのに出席していて、同業他社の支店長たちも参加していたため、軽く二次会にも行ってからの帰宅だったので、家についたのは12時ちょっと前でした。
酔っぱらった頭で色々考えました。
遠いしお花と弔電だけにするか
飛行機が遅れず、その他諸々も順調にいき、間に合うことを信じて6日の朝市の飛行機で仙台に飛び、10時半から始まる葬儀に参列するか
5日のお通夜に間に合うように飛行機で飛んで、通夜と葬儀に参加するか
5日の朝に車で出発して、通夜と葬儀に参加して帰ってくるか
選んだのは「車で行って帰ってくる」でした。
夕方までじっとしてるのもなんだか嫌だったし、飛行機やホテルの手配、レンタカーにするのか公共の交通にするのか他あれこれ考えるのも面倒だったことと、当日朝からそれらを手配して間に合うのかどうかなど… 合わせて選択しました。
朝8時に出て7時過ぎに仙台に到着しました。
お通夜の法要には間に合いませんでしたが、みなさんまだ会食中で奥さんや娘さんなどにもお悔やみを言うことができました。また、
奥さんはこの3か月ほどで随分と痩せておられ、看護の大変さを思わされました。
今年の正月明けに(先方の)グアムへの家族旅行から帰ってきたら、正月休みのうちに一回やろうと言っていたのですが、奥さんからちょっと体調を崩したので来週か10日過ぎまで延ばしてくださいと連絡をいただきました。
次にお会いした時に話を聞くと、グアム旅行中ずっと「腰が痛い 腰が痛いと。」言っていて、温めると楽だというので、ゴルフ以外は何にもせずずっと風呂に浸かって温めていたので、日本に帰ったら絶対に医者に行かなくちゃということで無理やり連れて行ったら、末期の肝臓癌で台帳などにも転移していて、もう手術もできないし、放射線治療は肝臓が先にダメになってしまうのでできない。とりあえず抗がん剤でやってみるしかないというのが分かったとのこと。
奥さんは「数日間泣きまくって、覚悟を決めたからお父さんのやりたいようにやらせて最後まで付き合うわ。」と言ってました。
旦那さんの方は、「最後にできなくなるまでゴルフは今まで通り毎週土日やり続ける。酒も飲めなくなるまでやめない。そういう形で自分なりに病気と闘う。」と言っておられました。
その言葉通り、彼をよく知っている人が見ても「ちょっと痩せた?」っていうくらいにしか見えない様子で5月までほぼ毎週の土日をゴルフと温泉で過ごしてました。
実際には、2週間に一度は身体に抗がん剤を入れたカプセルをチューブで繋ぎ、数日間をかけて薬を体内に入れ、
肝臓がんの影響で大好きだったビールも3月頃からまずくて飲めなくなり、
大腸がんの影響で血が流れ出てしまうため成人用のおむつもしてのゴルフ三昧でした。
強い意志と負けず嫌いがはっきりとしたかたでした。
ご夫婦と最後にゴルフをしたのは今年のゴールデンウイーク5月5日のロぺ倶楽部でした。
僕は9番ホールで名物の浮島へショートカットしたのですが、珍しく飛び過ぎて池ポチャ。
彼は「いいところ見たかったのに残念だったなぁ(笑)」とおかしそうに笑っていました。
さほど遠くないところに、グループのジュンクラッシックCCがありますよという話をしていたら、
「このまま栃木に一緒に泊まっていって、翌日の6日も一緒にやってから仙台に帰ろうよ。」と誘われたのですが、僕は僕でニコちゃんと転勤前の最後のゴルフを予定していたのでそのまま仙台に帰ったのでした。
其の後聞いたところによると、6日にジュンクラッシックでやってそのままやわらぎ温泉に一週間ほど滞在して、帰りに会津で夫婦でゴルフをした簿が最後だったそうです。
仙台に戻ってからは完全に国立に入院生活に入り、最後は自宅療養で息を引き取ったとのこと。
最期の会話は娘や孫たちもそろった中で奥さんに「先に行って待ってるぞ。」だったそうです。
おつきあいの期間短かったですが、
強い人でした。
温厚で厳しくて暖かい人でした。
人柄のいい人でした。
お通夜の会場についてびっくりしたのは、供花の数です。
ホールの壁をぐるりと一周巻いて、それでも入りきらずにホールの外まで並んでいました。
そこそこ沿お葬式には参列していますが、これほどの数のきゅかが並んでいるのは初めて見ました。
典礼会館の人もこんなにお花が届いたのは初めてだと言っていました。
会社を興し、軌道に乗せ、此度の震災で全ての重機を流されたのも乗り越え、最近まで現役で最後の示度ととして娘婿さんを次代の社長としてしっかり育て上げたとはいえ大したもんです。
お葬式の会場でもあちらこちらから(結構男の)すすり泣きがこぼれていました。
それだけいろんな人に愛されたのでしょうね。
男としてうらやましいと素直に思いました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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