大阪には3人組で一昨年と昨年泊っていたものの、祖母との思い出の地、神戸には長らく行く機会が無かった。
祖母は86年に亡くなっていて震災のことは知らないし、神戸にいた伯父もやはり震災よりは前に他界。
義理の伯母と従姉は神戸近辺在住のはずだけど、事情があってもう付き合いはない状態。
なんだけど、今回はなんとなく旅行の終わりの1日、神戸を歩いてみたくなった。
震災から15年、一度も訪ねることが出来なかったけど、ゆかりの地である神戸の町をこの目で見ておかねばと思ったのだ。
まずはJRで、祖母の家のあった六甲道へ。
祖母の家は、伯父が85年ごろに建て替えていて、古い二軒長屋の片側を建て替えた形だが、そのあたりはそういう古い家が並ぶ地域だった。
震災のしばらく後に、大阪の叔父がその建物がどうなっているか心配して、自転車で様子を見に行った話を記憶しているし、その時撮ってきた写真を見た覚えがあるが、まわりの家が潰れている中に、ポツンと建っていたという様子だったように思う。
住所から地図は検索しておいたのでそのあたりに行ってみると、当然ながら新しい家ばかりがずらっと並んでいる。
祖母が最後に住んだ家も、もう震災時に築10年経っていたわけだし、伯父が亡くなり伯母がその家を手放したあと新しい持ち主は建て替えをした様で、3階建ての家に見知らぬ名前の表札が掛かっていた。
そのあたりを歩いたことがあるから分かる、元が二軒長屋の狭い土地を半分にしてそれぞれ別々に建て替えて3階建てが連なっている、そんな新しい住宅地になっていた。
ぐるりと歩きながらしばし感慨にふけって、それからモーニングを食べようかと思ったのだけど=大阪や神戸は、東京よりも昔ながらの普通の喫茶店が残っていて、祖母はよく近所の喫茶店にモーニングを食べに行っていたと聞いてたこともあり=でも、美味しそうなパン屋を見つけたので陽気も良いしパンを買って、駅前の公園で食べて朝食に。
それからバスに乗って、六甲ケーブル乗り場に向かい、ケーブルで山上駅に。
かなりの急勾配、両脇に金木犀が満開、昇るにつれて海が見える。
その後、バスの時間が合えば摩耶山のロープウェーとケーブルで下ろうと思ったのだけど、ちょうど目の前で発車するバスが有馬温泉方面に降りるロープウェー駅行きで、そのルートでもいいや!っと、バスで移動して六甲有馬ロープウェーで下る。
12分間の空中散歩、ここも絶景でございました。
古い温泉街を散歩して、有馬サイダーを飲み、金の湯で無料の足湯につかり有馬温泉駅へ。
ものすごい駆け足の移動ですが・・・他にも回る予定のところがあるので、またいつかゆっくり来たいと思いつつ電車で三宮へ。
で、まずWILCOMのショップで携帯の充電を頼む。
実は携帯の充電器を持たずに旅に出たら前日夜から残量がやばくて。
旅行中なんてほとんど携帯使わないからもつだろうと思っていたら、行きの新幹線で3本ほどメール出した時に、PHSだから送信にかなり時間がかかりあっという間に電池が減ってしまって。
ホテルで無料貸し出ししている充電器には残念ながらWILCOM用はなく、ホテルの1階の10分100円のPCコーナーでWILCOMショップを検索してから出たのであります。
で、その間にお昼ご飯で、出来れば明石焼を食べたかったのだけど、平日昼間なので北野近辺のたこ焼き屋などはお休みで。
結局、うどん屋で昼飯。
その後に、携帯を受け取ってから、バスでHAT神戸方面へ。
目指すは、阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」。
全面ガラス張りの5階建ての建物の壁に大きく、1995.1.17の文字が浮き出ているのが、バス停に止まる前から見えて、ああ!ここなんだ!と最初からインパクトが強かった。
4階から降りる形で、震災追体験フロアでの映画2本から数々の展示コーナーを回る順路が決まっているのですが、平日の午後で、まったくの貸し切り状態。
最初に観た1.17シアターの映画は、大型映像と大音響にストロボ的な照明も組み合わせて、震災の日の様子を再現していて、とにかく言葉を失う迫力。
部屋を出て、係りの人にお一人ですか!?と、よくお一人で見られましたね、地元の方は具合を悪くされる方も多くて・・・と話しかけられて、「そうですよね、実際体験された方には辛いと・・・」と返事をしようとしたら、それまで息を詰めていたけど涙が出て声が詰まってしまった。。。
ゆっくり見ると1日じゃ終わらない情報量なので、ここもかなり駆け足になってしまったけど、でも、行って良かったです。
バスで三宮に戻り、新幹線の指定予約をして新神戸に向かいお弁当=最後は豪華に神戸ステーキ弁当!とビールを買って乗車。
金曜の6時過ぎで、まわり中出張帰りのビジネスマン、おっさんに挟まれたB席で窮屈だったっすが、お弁当は美味しかったです・・・。
と、そんな旅行最後の1日、駆け足の一人旅でした。
祖父母と父は広島県福山市の出身で、祖母と伯父が神戸に引越したのは父が上京し大学進学した後のこと。
私のとっての祖母はもっぱら夏休み中に、関東の娘息子宅を数週間単位で泊りに来る人で、こちらから神戸の祖母宅に行く機会は子供の頃にはなかったのだけど、20代前半から半ばに何度か、浦和から家に戻る祖母を送りがてら神戸に行く機会があった。
離れていた分、会った時はとにかく可愛がってもらって本当に優しくて・・・そんなことを妙に思い出すようになったのも、自分が年を取ったせいなのかなぁ。
一昨年に、母の郷里の岡山に行った時もそうだったが、今回神戸でバス停を案内してくれた人など接した方たちの語り口が妙に自分のテンポ感に合って居心地が良いのだ。
やはりルーツということなのかな~、またいつかゆっくり行きたいとしみじみ思った。
とりとめのない内容で、長々とすみません。
読んでくれた方々、ありがとう。
祖母は86年に亡くなっていて震災のことは知らないし、神戸にいた伯父もやはり震災よりは前に他界。
義理の伯母と従姉は神戸近辺在住のはずだけど、事情があってもう付き合いはない状態。
なんだけど、今回はなんとなく旅行の終わりの1日、神戸を歩いてみたくなった。
震災から15年、一度も訪ねることが出来なかったけど、ゆかりの地である神戸の町をこの目で見ておかねばと思ったのだ。
まずはJRで、祖母の家のあった六甲道へ。
祖母の家は、伯父が85年ごろに建て替えていて、古い二軒長屋の片側を建て替えた形だが、そのあたりはそういう古い家が並ぶ地域だった。
震災のしばらく後に、大阪の叔父がその建物がどうなっているか心配して、自転車で様子を見に行った話を記憶しているし、その時撮ってきた写真を見た覚えがあるが、まわりの家が潰れている中に、ポツンと建っていたという様子だったように思う。
住所から地図は検索しておいたのでそのあたりに行ってみると、当然ながら新しい家ばかりがずらっと並んでいる。
祖母が最後に住んだ家も、もう震災時に築10年経っていたわけだし、伯父が亡くなり伯母がその家を手放したあと新しい持ち主は建て替えをした様で、3階建ての家に見知らぬ名前の表札が掛かっていた。
そのあたりを歩いたことがあるから分かる、元が二軒長屋の狭い土地を半分にしてそれぞれ別々に建て替えて3階建てが連なっている、そんな新しい住宅地になっていた。
ぐるりと歩きながらしばし感慨にふけって、それからモーニングを食べようかと思ったのだけど=大阪や神戸は、東京よりも昔ながらの普通の喫茶店が残っていて、祖母はよく近所の喫茶店にモーニングを食べに行っていたと聞いてたこともあり=でも、美味しそうなパン屋を見つけたので陽気も良いしパンを買って、駅前の公園で食べて朝食に。
それからバスに乗って、六甲ケーブル乗り場に向かい、ケーブルで山上駅に。
かなりの急勾配、両脇に金木犀が満開、昇るにつれて海が見える。
その後、バスの時間が合えば摩耶山のロープウェーとケーブルで下ろうと思ったのだけど、ちょうど目の前で発車するバスが有馬温泉方面に降りるロープウェー駅行きで、そのルートでもいいや!っと、バスで移動して六甲有馬ロープウェーで下る。
12分間の空中散歩、ここも絶景でございました。
古い温泉街を散歩して、有馬サイダーを飲み、金の湯で無料の足湯につかり有馬温泉駅へ。
ものすごい駆け足の移動ですが・・・他にも回る予定のところがあるので、またいつかゆっくり来たいと思いつつ電車で三宮へ。
で、まずWILCOMのショップで携帯の充電を頼む。
実は携帯の充電器を持たずに旅に出たら前日夜から残量がやばくて。
旅行中なんてほとんど携帯使わないからもつだろうと思っていたら、行きの新幹線で3本ほどメール出した時に、PHSだから送信にかなり時間がかかりあっという間に電池が減ってしまって。
ホテルで無料貸し出ししている充電器には残念ながらWILCOM用はなく、ホテルの1階の10分100円のPCコーナーでWILCOMショップを検索してから出たのであります。
で、その間にお昼ご飯で、出来れば明石焼を食べたかったのだけど、平日昼間なので北野近辺のたこ焼き屋などはお休みで。
結局、うどん屋で昼飯。
その後に、携帯を受け取ってから、バスでHAT神戸方面へ。
目指すは、阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」。
全面ガラス張りの5階建ての建物の壁に大きく、1995.1.17の文字が浮き出ているのが、バス停に止まる前から見えて、ああ!ここなんだ!と最初からインパクトが強かった。
4階から降りる形で、震災追体験フロアでの映画2本から数々の展示コーナーを回る順路が決まっているのですが、平日の午後で、まったくの貸し切り状態。
最初に観た1.17シアターの映画は、大型映像と大音響にストロボ的な照明も組み合わせて、震災の日の様子を再現していて、とにかく言葉を失う迫力。
部屋を出て、係りの人にお一人ですか!?と、よくお一人で見られましたね、地元の方は具合を悪くされる方も多くて・・・と話しかけられて、「そうですよね、実際体験された方には辛いと・・・」と返事をしようとしたら、それまで息を詰めていたけど涙が出て声が詰まってしまった。。。
ゆっくり見ると1日じゃ終わらない情報量なので、ここもかなり駆け足になってしまったけど、でも、行って良かったです。
バスで三宮に戻り、新幹線の指定予約をして新神戸に向かいお弁当=最後は豪華に神戸ステーキ弁当!とビールを買って乗車。
金曜の6時過ぎで、まわり中出張帰りのビジネスマン、おっさんに挟まれたB席で窮屈だったっすが、お弁当は美味しかったです・・・。
と、そんな旅行最後の1日、駆け足の一人旅でした。
祖父母と父は広島県福山市の出身で、祖母と伯父が神戸に引越したのは父が上京し大学進学した後のこと。
私のとっての祖母はもっぱら夏休み中に、関東の娘息子宅を数週間単位で泊りに来る人で、こちらから神戸の祖母宅に行く機会は子供の頃にはなかったのだけど、20代前半から半ばに何度か、浦和から家に戻る祖母を送りがてら神戸に行く機会があった。
離れていた分、会った時はとにかく可愛がってもらって本当に優しくて・・・そんなことを妙に思い出すようになったのも、自分が年を取ったせいなのかなぁ。
一昨年に、母の郷里の岡山に行った時もそうだったが、今回神戸でバス停を案内してくれた人など接した方たちの語り口が妙に自分のテンポ感に合って居心地が良いのだ。
やはりルーツということなのかな~、またいつかゆっくり行きたいとしみじみ思った。
とりとめのない内容で、長々とすみません。
読んでくれた方々、ありがとう。