今日(8月2日)は、「ホコ天記念日」
1970(昭和45)年、銀座・新宿等で初めて歩行者天国(通商ホコ天)が実施された。
警視庁が、「人間性を取り戻す政策」として週末の銀座・新宿・池袋・浅草で自動車の交通を遮断して歩行者天国を実施した。「歩行者天国」は歩行者用道路として人と車を分離し、安心して楽しい散策やショッピングができるように設けたられたもの。1969(昭和44)年に北海道旭川市の平和通りで実施されたのが始まりだそうである。きっかけとなったのは、交通渋滞と大気汚染に対する強い反省の気持ちから。まるで人間よりも自動車の方が優位にあるような、当時の風潮に反省をこめてのことだった。道路交通を車優先から人間優先へ転換させるきっかけとなり、その効果として、自動車のもたらす排気ガス、騒音等の交通公害防止に寄与することを目的としている。この運動は以降全国的に拡がった。
そして、東京原宿の歩行者天国は「竹の子族」や「バンドブーム」の発信地となり、若者文化の発信地ともなったが、反面、騒音問題やゴミ問題などから、地元から歩行者天国を中止する要望が出されるようになり、1998年に原宿の歩行者天国が中止。地方都市でも渋滞の原因のなるとして、次々と中止となるところが相次いだ。現在は、《中央通り(銀座・秋葉原)・新宿地区》で実施されているそうだ。
神戸市でも、歩行者天国は、1972(昭和47)年ごろから大丸神戸店の北側やトアロードの一部で毎週末に行われていたことがあるが、周辺の交通渋滞を招く恐れがあるとし結局て1987(昭和62)年ごろに中止していた。それが、最近、ゴールデンウイークの期間、旧居留地の一角で歩行者天国を実験的に復活させている。歩行者天国内では、路上にテーブルやいすが並べられ、消防音楽隊の演奏や色々な路上パフォーマンスが行われた。これからも、人を中心とした街づくりをすすめていってもらいたいものである。話は、少しそれるかもしれないが、大体において、日本の歩道橋のようなものを考え出す国は他にないだろう。業者と癒着していい目をしている日本の道路公団特有の発想だろう。経済的な面を優先してかもしれないが、動力で動いている車ではなく歩行者に負担の多い橋を渡らせ車がシャーシャーと平面を走る。世界でも最低の発想でつくられたものだ。だから、特殊な場所以外、どこでも殆ど歩道橋を利用している人はいない。余り利用者が少ないので、場所によっては、意地悪く道路上にわざと横断歩道を作っていないところさえ見られる。道路公団もつまらぬところに金を使わず人の生活にに邪魔にならないような道路建設に金を使うべきだ。折角、歩行者天国が出来たのに、それが次々と廃止されてしまったところが多いが、本来、歩行者天国を作った目的は、自動車を街から締め出しひいては、それを不便と思った人たちの自動車利用が減少し、環境問題にも良いといったところにあった。 しかし歩行者天国の廃止が渋滞の原因にあるというのは、本末転倒的発想である。パークアンドドライブ方式等によって、郊外や市街からの車は締め出すことが街の活性化と環境問題解決に重要だろう。特に、これからの高齢化社会では、生活に便利な都市部に年寄りが多く住むようになってくる。神戸など、日本でも優秀な上、便利な市電があったのに、モータリーゼーションの発達とともに、車の規制をすることよりも、市電の廃止をしたことは早計に過ぎた言わざるを得ないだろう。
(画像は再開された歩行者天国「神戸旧居留地フリーウォーク」 での県警音楽隊の演奏)
参考:
ふるさとづくり'93(歩道橋挽歌)
http://www.ashita.or.jp/publish/yubi/1.htm
PDF] 歩道橋考 ---- 車優先社会への警鐘
http://www.hum.nagoya-cu.ac.jp/~yamada/pdf/1101.pdf
公共交通トピックス
http://www.mitene.or.jp/~itono/alt/tpc-romn.html
1970(昭和45)年、銀座・新宿等で初めて歩行者天国(通商ホコ天)が実施された。
警視庁が、「人間性を取り戻す政策」として週末の銀座・新宿・池袋・浅草で自動車の交通を遮断して歩行者天国を実施した。「歩行者天国」は歩行者用道路として人と車を分離し、安心して楽しい散策やショッピングができるように設けたられたもの。1969(昭和44)年に北海道旭川市の平和通りで実施されたのが始まりだそうである。きっかけとなったのは、交通渋滞と大気汚染に対する強い反省の気持ちから。まるで人間よりも自動車の方が優位にあるような、当時の風潮に反省をこめてのことだった。道路交通を車優先から人間優先へ転換させるきっかけとなり、その効果として、自動車のもたらす排気ガス、騒音等の交通公害防止に寄与することを目的としている。この運動は以降全国的に拡がった。
そして、東京原宿の歩行者天国は「竹の子族」や「バンドブーム」の発信地となり、若者文化の発信地ともなったが、反面、騒音問題やゴミ問題などから、地元から歩行者天国を中止する要望が出されるようになり、1998年に原宿の歩行者天国が中止。地方都市でも渋滞の原因のなるとして、次々と中止となるところが相次いだ。現在は、《中央通り(銀座・秋葉原)・新宿地区》で実施されているそうだ。
神戸市でも、歩行者天国は、1972(昭和47)年ごろから大丸神戸店の北側やトアロードの一部で毎週末に行われていたことがあるが、周辺の交通渋滞を招く恐れがあるとし結局て1987(昭和62)年ごろに中止していた。それが、最近、ゴールデンウイークの期間、旧居留地の一角で歩行者天国を実験的に復活させている。歩行者天国内では、路上にテーブルやいすが並べられ、消防音楽隊の演奏や色々な路上パフォーマンスが行われた。これからも、人を中心とした街づくりをすすめていってもらいたいものである。話は、少しそれるかもしれないが、大体において、日本の歩道橋のようなものを考え出す国は他にないだろう。業者と癒着していい目をしている日本の道路公団特有の発想だろう。経済的な面を優先してかもしれないが、動力で動いている車ではなく歩行者に負担の多い橋を渡らせ車がシャーシャーと平面を走る。世界でも最低の発想でつくられたものだ。だから、特殊な場所以外、どこでも殆ど歩道橋を利用している人はいない。余り利用者が少ないので、場所によっては、意地悪く道路上にわざと横断歩道を作っていないところさえ見られる。道路公団もつまらぬところに金を使わず人の生活にに邪魔にならないような道路建設に金を使うべきだ。折角、歩行者天国が出来たのに、それが次々と廃止されてしまったところが多いが、本来、歩行者天国を作った目的は、自動車を街から締め出しひいては、それを不便と思った人たちの自動車利用が減少し、環境問題にも良いといったところにあった。 しかし歩行者天国の廃止が渋滞の原因にあるというのは、本末転倒的発想である。パークアンドドライブ方式等によって、郊外や市街からの車は締め出すことが街の活性化と環境問題解決に重要だろう。特に、これからの高齢化社会では、生活に便利な都市部に年寄りが多く住むようになってくる。神戸など、日本でも優秀な上、便利な市電があったのに、モータリーゼーションの発達とともに、車の規制をすることよりも、市電の廃止をしたことは早計に過ぎた言わざるを得ないだろう。
(画像は再開された歩行者天国「神戸旧居留地フリーウォーク」 での県警音楽隊の演奏)
参考:
ふるさとづくり'93(歩道橋挽歌)
http://www.ashita.or.jp/publish/yubi/1.htm
PDF] 歩道橋考 ---- 車優先社会への警鐘
http://www.hum.nagoya-cu.ac.jp/~yamada/pdf/1101.pdf
公共交通トピックス
http://www.mitene.or.jp/~itono/alt/tpc-romn.html