今日(8月15日)は、「終戦記念日」
1945(昭和20)年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。これにより第二次世界大戦が終結した。内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人という。1963(昭和38)年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が東京九段にある日本武道館で行われている。今年2005年は、戦後60年という節目の年を迎える。式典には全国の遺族の代表などが参列。NHKの番組では正午の黙とう、天皇陛下のお言葉、内閣総理大臣の式辞などを中心に中継で報道される。
明治維新という近代化革命に奇跡的な成功を収めた日本は、日清、日露の両大戦の成果に奢り、中国大陸への侵略、国際連盟からの脱退、そして太平洋戦争へと突き進み、1945年8月惨澹たる状況の中でこの日を迎えた。
敗戦後、日本は、もう二度と戦争は嫌だという、生き残った人々の強烈な平和への共通意識が、あの焼け野原から、多くの困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてきた。わが国は、一時期、国策を誤り、戦争への道へ突き進み亡国の危機に陥り、外に対しては、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。この歴史の事実は謙虚に受け止めなくてはいけないだろう。しかし、思えば戦前も遠くなったものである。戦後も60年が経過し、平和で豊かな日本となった今日、ややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになる。同時に、戦争を直接体験した世代が政治、経済の指導的立場より姿を消し始めた今日、やたらと、勇ましい話も出始めた。そのため、戦争の悲惨さを、若い世代にきっちりと語り伝えていかなければならないだろう。
今日(8月15日)は、月遅れの「お盆」である。本来、終戦記念日とするのであれば、世界の例から見ると、ポツダム宣言を受諾した8月14日か、降伏文書に調印した9月2日が終戦の日となる。それを、8月15日の今日を、「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」(「終戦記念日」)と位置づけ、政府が閣議決定したのには、いろいろ思惑もあってのことだろう。お盆には、死者の魂を追慕し、供養すべき日として日本人の生活のなかに根付いている。先祖の供養とともに、「お国の為に戦争に行って亡くなられた多くの人の魂を弔いたい」という意識がつねに終戦記念日とともに沸いてくる。
私も今日は、お寺へお盆のお参りに行く。先祖とともに戦争で亡くなられた方たちの霊を慰めたいと思っている。
毎年、私は、先の戦争のことを想い、一つの優れた歌を聴く。寺島尚彦作詞・作曲の『さとうきび畑』である。
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で
沖縄返還の5年前、1967(昭和42)年に作られたものといわれるが、森山良子他が歌っている。
淡々と,感情をおさえて歌っており、声高な反戦歌ではないものの、非戦・鎮魂の思いがひたひたと伝わってくる歌である。第二次大戦下、もはや日本の敗北必至の状況下の中、軍部は本土決戦を主張し、その本土防衛の盾となったのが沖縄である。沖縄では、本土決戦と同じ手法がテストされた。そのため、日本で唯一住民を巻き込んでの地上戦は悲惨であり、むごたらしいものであった。私の持っている写真雑誌にも、倒した敵が女性であり、それを呆然として見つめているアメリカ兵の姿がある。この歌は、そんな沖縄の状況を伝えようと作られた静かな静かな反戦のメッセージである。
以下に、楽譜付きのMIDIをリンクしておいた。長い詩である。歌を歌いながら、「先の戦争」とどう向き合うか、これからの日本の防衛問題などをどう考えてゆくべきか・・・静かに考えてみてはどうだろうか。
MIDI「さとうきび畑」
作詞・作曲:寺島尚彦。(二木紘三のMIDI歌声喫茶)
(画像は、戦った敵の日本兵が女であったのを見て愕然としている米兵。朝日クロニクル,週刊20世紀より)
参考:
終戦記念日 (Wikipedia )
http://ja.wikipedia.org/wiki/終戦記念日
1945(昭和20)年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。これにより第二次世界大戦が終結した。内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人という。1963(昭和38)年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が東京九段にある日本武道館で行われている。今年2005年は、戦後60年という節目の年を迎える。式典には全国の遺族の代表などが参列。NHKの番組では正午の黙とう、天皇陛下のお言葉、内閣総理大臣の式辞などを中心に中継で報道される。
明治維新という近代化革命に奇跡的な成功を収めた日本は、日清、日露の両大戦の成果に奢り、中国大陸への侵略、国際連盟からの脱退、そして太平洋戦争へと突き進み、1945年8月惨澹たる状況の中でこの日を迎えた。
敗戦後、日本は、もう二度と戦争は嫌だという、生き残った人々の強烈な平和への共通意識が、あの焼け野原から、多くの困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてきた。わが国は、一時期、国策を誤り、戦争への道へ突き進み亡国の危機に陥り、外に対しては、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。この歴史の事実は謙虚に受け止めなくてはいけないだろう。しかし、思えば戦前も遠くなったものである。戦後も60年が経過し、平和で豊かな日本となった今日、ややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになる。同時に、戦争を直接体験した世代が政治、経済の指導的立場より姿を消し始めた今日、やたらと、勇ましい話も出始めた。そのため、戦争の悲惨さを、若い世代にきっちりと語り伝えていかなければならないだろう。
今日(8月15日)は、月遅れの「お盆」である。本来、終戦記念日とするのであれば、世界の例から見ると、ポツダム宣言を受諾した8月14日か、降伏文書に調印した9月2日が終戦の日となる。それを、8月15日の今日を、「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」(「終戦記念日」)と位置づけ、政府が閣議決定したのには、いろいろ思惑もあってのことだろう。お盆には、死者の魂を追慕し、供養すべき日として日本人の生活のなかに根付いている。先祖の供養とともに、「お国の為に戦争に行って亡くなられた多くの人の魂を弔いたい」という意識がつねに終戦記念日とともに沸いてくる。
私も今日は、お寺へお盆のお参りに行く。先祖とともに戦争で亡くなられた方たちの霊を慰めたいと思っている。
毎年、私は、先の戦争のことを想い、一つの優れた歌を聴く。寺島尚彦作詞・作曲の『さとうきび畑』である。
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で
沖縄返還の5年前、1967(昭和42)年に作られたものといわれるが、森山良子他が歌っている。
淡々と,感情をおさえて歌っており、声高な反戦歌ではないものの、非戦・鎮魂の思いがひたひたと伝わってくる歌である。第二次大戦下、もはや日本の敗北必至の状況下の中、軍部は本土決戦を主張し、その本土防衛の盾となったのが沖縄である。沖縄では、本土決戦と同じ手法がテストされた。そのため、日本で唯一住民を巻き込んでの地上戦は悲惨であり、むごたらしいものであった。私の持っている写真雑誌にも、倒した敵が女性であり、それを呆然として見つめているアメリカ兵の姿がある。この歌は、そんな沖縄の状況を伝えようと作られた静かな静かな反戦のメッセージである。
以下に、楽譜付きのMIDIをリンクしておいた。長い詩である。歌を歌いながら、「先の戦争」とどう向き合うか、これからの日本の防衛問題などをどう考えてゆくべきか・・・静かに考えてみてはどうだろうか。
MIDI「さとうきび畑」
作詞・作曲:寺島尚彦。(二木紘三のMIDI歌声喫茶)
(画像は、戦った敵の日本兵が女であったのを見て愕然としている米兵。朝日クロニクル,週刊20世紀より)
参考:
終戦記念日 (Wikipedia )
http://ja.wikipedia.org/wiki/終戦記念日