今日(8月19日)は、「俳句の日」
正岡子規研究家の坪内稔典氏らの発案で1991年(平成3年)に制定。「8」月「19」日を「は」「いく」の語呂合わせから。
『暁や白帆過ぎ行く蚊張の外 正岡子規 』
この句は、神戸の須磨寺境内にある「子規句碑」に刻まれているもの。
1934(昭和9)年9月、正岡子規33年忌に、弟子の1人、青木月斗により建立された。子規が1895(明治28)年7月22日より1か月間、現在の須磨浦公園みどりの塔付近にあった「須磨保養院」で寮養中の作。
子規は、俳句雑誌『ホトトギス』を創刊して、根岸短歌会を主催して俳句の世界に大きく貢献した。雅号の子規とはホトトギスの異称で、結核を病み喀血した自分自身を、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに喩えたものであるという。子規は芭蕉の俳句には説明的かつ散文的な要素が多く含まれており、詩としての純粋性が欠けていることを避難している。一方子規は、それまで十分に認められていなかった蕪村の俳句を賞揚。蕪村の俳句が技法的に洗練されており、鮮明な印象を効率よく読者に伝えている点を高く評価した。子規は、文学や美術において、事物の簡潔な描写が表現として大きな効果を上げると確信し、「写生」の手法の重要性を説いた。短歌・俳句の改革運動を成し遂げた子規であるが、その方向性がいたずらに写実、現実密着、生活詠中心であったために、近世期以前の和歌・俳句の持っていた豊かな味わいを一方的に切り捨てる結果に終わってしまったという子規に対する批判もある。
神戸の須磨は昔から景色の良いところで知られており、芭蕉や蕪村他多くの文人達が訪れており、それら、俳人や歌人の句碑が点在している。私も若い頃に、川柳を少しやったことがあり、俳句も興味はあるんだけど、自分で作るにはちょっと敷居が高い感じ。
『こんなよい月をひとりで見て寝る 放哉』
須磨寺の句碑には、こんな、形式にとらわれない俳人・尾崎放哉(おざき・ほうさい)の句碑もある。季語や五七五の形にとらわれない自由律俳句、また放浪の俳人として知られ、明治中期から大正にかけて活躍。同時代の自由律派の俳人、種田山頭火と並び称される。放哉は須磨寺大師堂の堂守となっていたことがあり、この句はその頃に詠んだ句である。
この尾崎放哉のことについては、私も興味をもったので、4月7日のブログ「俳人・尾崎放哉忌日」でも取り上げえた。興味のある方は覗いてみてください。ここです。
又、私のHP「よーさんの我楽多部屋の」の「nostarlgia神戸」「歌・唄・詩」のページで、須磨にある句碑を紹介しているので、興味のある方は、御覧ください。ここです。
(画像は神戸の須磨寺境内にある「子規句碑」)
参考:
俳諧師・小林一茶(こばやし いっさ)1763(宝暦13年 )~1827(文政10)年の忌日。(私のブログです)
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/72a617d8c82f226b03d150a54778b12e
正岡子規(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F
インターネット俳句センター
http://www.suien.net/haiku/bbs/bbs3.htm
松山市/子規記念博物館
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/sikihaku/
俳句の歴史
http://www.big.or.jp/~loupe/links/jhistory/jhisinx.shtml
正岡子規研究家の坪内稔典氏らの発案で1991年(平成3年)に制定。「8」月「19」日を「は」「いく」の語呂合わせから。
『暁や白帆過ぎ行く蚊張の外 正岡子規 』
この句は、神戸の須磨寺境内にある「子規句碑」に刻まれているもの。
1934(昭和9)年9月、正岡子規33年忌に、弟子の1人、青木月斗により建立された。子規が1895(明治28)年7月22日より1か月間、現在の須磨浦公園みどりの塔付近にあった「須磨保養院」で寮養中の作。
子規は、俳句雑誌『ホトトギス』を創刊して、根岸短歌会を主催して俳句の世界に大きく貢献した。雅号の子規とはホトトギスの異称で、結核を病み喀血した自分自身を、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに喩えたものであるという。子規は芭蕉の俳句には説明的かつ散文的な要素が多く含まれており、詩としての純粋性が欠けていることを避難している。一方子規は、それまで十分に認められていなかった蕪村の俳句を賞揚。蕪村の俳句が技法的に洗練されており、鮮明な印象を効率よく読者に伝えている点を高く評価した。子規は、文学や美術において、事物の簡潔な描写が表現として大きな効果を上げると確信し、「写生」の手法の重要性を説いた。短歌・俳句の改革運動を成し遂げた子規であるが、その方向性がいたずらに写実、現実密着、生活詠中心であったために、近世期以前の和歌・俳句の持っていた豊かな味わいを一方的に切り捨てる結果に終わってしまったという子規に対する批判もある。
神戸の須磨は昔から景色の良いところで知られており、芭蕉や蕪村他多くの文人達が訪れており、それら、俳人や歌人の句碑が点在している。私も若い頃に、川柳を少しやったことがあり、俳句も興味はあるんだけど、自分で作るにはちょっと敷居が高い感じ。
『こんなよい月をひとりで見て寝る 放哉』
須磨寺の句碑には、こんな、形式にとらわれない俳人・尾崎放哉(おざき・ほうさい)の句碑もある。季語や五七五の形にとらわれない自由律俳句、また放浪の俳人として知られ、明治中期から大正にかけて活躍。同時代の自由律派の俳人、種田山頭火と並び称される。放哉は須磨寺大師堂の堂守となっていたことがあり、この句はその頃に詠んだ句である。
この尾崎放哉のことについては、私も興味をもったので、4月7日のブログ「俳人・尾崎放哉忌日」でも取り上げえた。興味のある方は覗いてみてください。ここです。
又、私のHP「よーさんの我楽多部屋の」の「nostarlgia神戸」「歌・唄・詩」のページで、須磨にある句碑を紹介しているので、興味のある方は、御覧ください。ここです。
(画像は神戸の須磨寺境内にある「子規句碑」)
参考:
俳諧師・小林一茶(こばやし いっさ)1763(宝暦13年 )~1827(文政10)年の忌日。(私のブログです)
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/72a617d8c82f226b03d150a54778b12e
正岡子規(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F
インターネット俳句センター
http://www.suien.net/haiku/bbs/bbs3.htm
松山市/子規記念博物館
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/sikihaku/
俳句の歴史
http://www.big.or.jp/~loupe/links/jhistory/jhisinx.shtml