今日(8月10日)は「道の日」
建設省(現在の国土交通省)道路局が1986(昭和61)年に制定。
1920(大正9)年、日本初の近代的な道路整備計画が決定したことから。
ところで、最近の車社会では車での旅行も増えているが、車で旅行などをしたときに、「道の駅」とかいう施設に出合ったことがあるでしょう。この、「道の駅」は、国土交通省によって、建設が進められているもので、国土交通省のHPの「道の駅」を覗いてみると、「道の駅」とは・・・。?長距離ドライブが増え、女性や高齢者のドライバーが増加するなかで、道路交通の円滑な「ながれ」を支えるため、一般道路にも安心して自由に立ち寄れ、利用できる快適な休憩のための「たまり」空間が求められている。(・・中略・・)道路利用者のための「休憩機能」、道路利用者や地域の方々のための「情報発信機能」、そして「道の駅」をきっかけに町と町とが手を結び活力ある地域づくりを共に行うための「地域の連携機能」、の3つの機能を併せ持つ休憩施設として誕生。・・・とあり、平成16年8月10日現在で785駅が登録されているそうだ。色々と施設によって、地域の個性を生かしたイベントも行っているようなので、興味のある人は、以下参考に記載のHPを覗くと良くわかるよ。しかし、ここのところ「国土交通省」という名前を聞くと言いたいことが色々ある。
その中の一つが、JR福知山線脱線事故についてである。その事故責任については、運転手なのか、無理なダイヤ設定を組んだものか、「日勤教育」をしているものか、車両を管理している部署か、ATS-P等の整備を怠ってきたものか、そして、JR最高管理責任者である社長なのか、又、労務管理や安全管理面などに問題のあることを知りながら、それらに対して何も会社側に対応を迫らなかった組合にも責任はないのかと言ったことが揚げられるが、それぞれに皆それ相応の責任があろう。しかし、ことの発端は、国鉄民営化されたことにあるだろう。民営化の良し悪しを、ここで問う気はないが、関西のこの地域は、全国の中でも民営鉄道が凌ぎを削って争っている競争の最も激しい地域である。それでなくても、民営化されれば、私企業が乗客の安全よりも自社の利益を優先しようとするのはごく当前である。民営化したとはいえ、乗客の安全に責任を持たなければならない公共機関である。「国土交通省」などには、民営化後のJRの監視・監督責任があるであろう。民営化すれば、後は、知らないでは困る。
2つ目は、最近、日本道路公団発注の鋼鉄製橋梁工事の入札に関する、独禁法違反ほう助及び背任の容疑で、内田副総裁が逮捕された問題である。道路関係四公団民営化推進委員会委員の猪瀬直樹氏が、最近頻繁にテレビに出てきて、公団内部の実態が公表されてきた。天下りした公団OB等が公団発注情報を聞き出し、代表幹事を通じて元公団理事に連絡。元公団理事がこの情報をもとに受注予定企業を決定していたとみられている。この事件を受けて、日本経団連は、会員企業に「天下り」の受け入れを取りやめるよう要請する方向で検討に入ったと言われている。談合の背景にある天下りを見直さなければ、再発防止はできないと判断したからだろうが当然である。
兎に角、ここのところ、マスコミを騒がせているのは、官や公の腐敗振りである。市民の為に働かなくてはならないはずの公僕が、市民の税金を食い物にしている大阪市の例を見るまでもなく、多かれ、少なかれ、同じ様なことが恐らく全国のどこでも起こっていることだと私は思っている。
今日は「道の日」である。広辞苑で『道』を調べると、「道路、通路といった道のほか、目的地に至る途中。道のり、距離が転じて、人が考えたり、行ったりすることがらの条理。道理。特に、儒教・仏教などの特定の教義。道理をわきまえること。分別。てだて、手法。手段。方面、その向き。」といった意味がある。今日の「道の日」は、単なる「道路の道の日」ではなく「人としてのあるべき道。条理。道理を考える日」としてもらいたいものである。戦後の経済成長とともに今は、物欲に目がくらみ「人間として歩むべき道」を誤った方向に歩いている人が多くなってきている。この日に、私も「今自分が歩いている道」の見直しをしてみたいと思っている。
ちょっと、それるかもしれないが、「道」と言えば、イタリアの名匠フェデリコ・フェリーニの初期の作品、「道」を思い出す。ずいぶん前に見たものだが、名画中の名画と言われている。旅芸人のザンパノに、口減らしのため、姉の変わりに安い金で買われた少し頭の弱いジェルソミーナの物語であるが、ザンバノに酷い仕打ちをされながら彼を愛していたジェルソミーナが死に、初めて彼女が自分にとってどれだけ大切なものであったことに気づいたザンパノが最後に号泣する姿や、あのニーノ・ロータの名曲「ジェルソミーナのテーマ」を思い出すだけでなんだかジワリと涙が出そうになる。この映画は、キリスト教の最も重要な教義をもとに作られたものと言われている。
イエス・キリストはアダムの身代わりとして、その一切の罪を背負って神への取り成しをする役割を担った。しかし、最後にすべての弟子からも見捨てられる。弟子たちはイエスの死後、見捨てたことで激しく悔い性根を入れ替えて再びイエスの名のもとに復活する。映画では、ジェルソミーナが、ザンパノから厄介者として見捨てられて死んだ後、ザンパノの悔い改めを呼び起こす。ジェルソミーナは、あたかもイエスのアダムに対するがごとく、姉ローザの身代わりで召し出され、ザンパナの罪を背負って死んでいったわけである。男でも見て泣きますよ・・・。ザンバノはあの名優アンソニー・クインが、ジェルソミーナはフェリーニの妻ジュリエッタ・マシーナが演じている。ベネチア映画祭ではサンマルコ獅子賞に輝き、アカデミー外国語映画賞受賞作でもある。映画のお好きな方で見ていない方は是非「道の日」の記念に、DVDでも借りて見られては・・・。それと、以下参考の「おんがく日めくり」では、あの名曲「ジェルソミーナ」の曲が聴けますよ・・・。
(画像はDVD映画「道」)
参考:
国土交通省 道路局の道の駅ホームページ
http://www.mlit.go.jp/road/station/road-station.html
『道』《1954(昭和29)年》
出演/アンソニー・クイン(ザンパノ) 、ジュリエッタ・マシーナ(ジェルソミーナ)
http://www.geocities.jp/vivacinema/fellini/1.htm
映画「道」のこと
http://www.interq.or.jp/aries/jeldie/kotoba/yokogakimiti.htm
おんがく日めくり
http://www2.yamaha.co.jp/himekuri/view.html?ymd=19981031
大臣会見要旨(平成17年7月26日)
http://www.mlit.go.jp/kaiken/kaiken05/kaiken.html
建設省(現在の国土交通省)道路局が1986(昭和61)年に制定。
1920(大正9)年、日本初の近代的な道路整備計画が決定したことから。
ところで、最近の車社会では車での旅行も増えているが、車で旅行などをしたときに、「道の駅」とかいう施設に出合ったことがあるでしょう。この、「道の駅」は、国土交通省によって、建設が進められているもので、国土交通省のHPの「道の駅」を覗いてみると、「道の駅」とは・・・。?長距離ドライブが増え、女性や高齢者のドライバーが増加するなかで、道路交通の円滑な「ながれ」を支えるため、一般道路にも安心して自由に立ち寄れ、利用できる快適な休憩のための「たまり」空間が求められている。(・・中略・・)道路利用者のための「休憩機能」、道路利用者や地域の方々のための「情報発信機能」、そして「道の駅」をきっかけに町と町とが手を結び活力ある地域づくりを共に行うための「地域の連携機能」、の3つの機能を併せ持つ休憩施設として誕生。・・・とあり、平成16年8月10日現在で785駅が登録されているそうだ。色々と施設によって、地域の個性を生かしたイベントも行っているようなので、興味のある人は、以下参考に記載のHPを覗くと良くわかるよ。しかし、ここのところ「国土交通省」という名前を聞くと言いたいことが色々ある。
その中の一つが、JR福知山線脱線事故についてである。その事故責任については、運転手なのか、無理なダイヤ設定を組んだものか、「日勤教育」をしているものか、車両を管理している部署か、ATS-P等の整備を怠ってきたものか、そして、JR最高管理責任者である社長なのか、又、労務管理や安全管理面などに問題のあることを知りながら、それらに対して何も会社側に対応を迫らなかった組合にも責任はないのかと言ったことが揚げられるが、それぞれに皆それ相応の責任があろう。しかし、ことの発端は、国鉄民営化されたことにあるだろう。民営化の良し悪しを、ここで問う気はないが、関西のこの地域は、全国の中でも民営鉄道が凌ぎを削って争っている競争の最も激しい地域である。それでなくても、民営化されれば、私企業が乗客の安全よりも自社の利益を優先しようとするのはごく当前である。民営化したとはいえ、乗客の安全に責任を持たなければならない公共機関である。「国土交通省」などには、民営化後のJRの監視・監督責任があるであろう。民営化すれば、後は、知らないでは困る。
2つ目は、最近、日本道路公団発注の鋼鉄製橋梁工事の入札に関する、独禁法違反ほう助及び背任の容疑で、内田副総裁が逮捕された問題である。道路関係四公団民営化推進委員会委員の猪瀬直樹氏が、最近頻繁にテレビに出てきて、公団内部の実態が公表されてきた。天下りした公団OB等が公団発注情報を聞き出し、代表幹事を通じて元公団理事に連絡。元公団理事がこの情報をもとに受注予定企業を決定していたとみられている。この事件を受けて、日本経団連は、会員企業に「天下り」の受け入れを取りやめるよう要請する方向で検討に入ったと言われている。談合の背景にある天下りを見直さなければ、再発防止はできないと判断したからだろうが当然である。
兎に角、ここのところ、マスコミを騒がせているのは、官や公の腐敗振りである。市民の為に働かなくてはならないはずの公僕が、市民の税金を食い物にしている大阪市の例を見るまでもなく、多かれ、少なかれ、同じ様なことが恐らく全国のどこでも起こっていることだと私は思っている。
今日は「道の日」である。広辞苑で『道』を調べると、「道路、通路といった道のほか、目的地に至る途中。道のり、距離が転じて、人が考えたり、行ったりすることがらの条理。道理。特に、儒教・仏教などの特定の教義。道理をわきまえること。分別。てだて、手法。手段。方面、その向き。」といった意味がある。今日の「道の日」は、単なる「道路の道の日」ではなく「人としてのあるべき道。条理。道理を考える日」としてもらいたいものである。戦後の経済成長とともに今は、物欲に目がくらみ「人間として歩むべき道」を誤った方向に歩いている人が多くなってきている。この日に、私も「今自分が歩いている道」の見直しをしてみたいと思っている。
ちょっと、それるかもしれないが、「道」と言えば、イタリアの名匠フェデリコ・フェリーニの初期の作品、「道」を思い出す。ずいぶん前に見たものだが、名画中の名画と言われている。旅芸人のザンパノに、口減らしのため、姉の変わりに安い金で買われた少し頭の弱いジェルソミーナの物語であるが、ザンバノに酷い仕打ちをされながら彼を愛していたジェルソミーナが死に、初めて彼女が自分にとってどれだけ大切なものであったことに気づいたザンパノが最後に号泣する姿や、あのニーノ・ロータの名曲「ジェルソミーナのテーマ」を思い出すだけでなんだかジワリと涙が出そうになる。この映画は、キリスト教の最も重要な教義をもとに作られたものと言われている。
イエス・キリストはアダムの身代わりとして、その一切の罪を背負って神への取り成しをする役割を担った。しかし、最後にすべての弟子からも見捨てられる。弟子たちはイエスの死後、見捨てたことで激しく悔い性根を入れ替えて再びイエスの名のもとに復活する。映画では、ジェルソミーナが、ザンパノから厄介者として見捨てられて死んだ後、ザンパノの悔い改めを呼び起こす。ジェルソミーナは、あたかもイエスのアダムに対するがごとく、姉ローザの身代わりで召し出され、ザンパナの罪を背負って死んでいったわけである。男でも見て泣きますよ・・・。ザンバノはあの名優アンソニー・クインが、ジェルソミーナはフェリーニの妻ジュリエッタ・マシーナが演じている。ベネチア映画祭ではサンマルコ獅子賞に輝き、アカデミー外国語映画賞受賞作でもある。映画のお好きな方で見ていない方は是非「道の日」の記念に、DVDでも借りて見られては・・・。それと、以下参考の「おんがく日めくり」では、あの名曲「ジェルソミーナ」の曲が聴けますよ・・・。
(画像はDVD映画「道」)
参考:
国土交通省 道路局の道の駅ホームページ
http://www.mlit.go.jp/road/station/road-station.html
『道』《1954(昭和29)年》
出演/アンソニー・クイン(ザンパノ) 、ジュリエッタ・マシーナ(ジェルソミーナ)
http://www.geocities.jp/vivacinema/fellini/1.htm
映画「道」のこと
http://www.interq.or.jp/aries/jeldie/kotoba/yokogakimiti.htm
おんがく日めくり
http://www2.yamaha.co.jp/himekuri/view.html?ymd=19981031
大臣会見要旨(平成17年7月26日)
http://www.mlit.go.jp/kaiken/kaiken05/kaiken.html