今日(5月26日)は、「ラッキーゾーンの日」
1947(昭和22)年5月26日 、甲子園球場にラッキーゾーンが設置された。広すぎてホームランが出にくいとの理由で設置されたが、1992(平成4)年に撤去された。
終戦後、進駐軍により接収されていた甲子園球場は、1947(昭和22)年1月から徐々に接収が解除され、同年3月には第19回全国選抜中等学校野球大会(春の高校野球)が開催された。ホームランを出やすくするためにラッキーゾーンを設置したのもこの年である。
ラッキー-ゾーン とは、野球場の外野のフィールドにホームランが出やすくするように外野フェンスとその内側に設けた柵(金網柵)とで囲まれた区域。ここに入った打球もホーム-ランとなる。日本におけるラッキーゾーンの第1号が阪神甲子園球場である。1924年に阪神電鉄甲子園大運動場としてオープンした当初は陸上競技場としても利用されることを念頭に建設されたため両翼まで約110m、左・右中間も128mあり戦前の甲子園球場でのホームランといえば、ほとんどがランニングホームランであり、フェンスを越えるホームランが出にくい球場といわれた。一方、他球団が本拠地として使っていた球場は狭かったため、フェンスを越える打球のホームランが多く、観客は、そのホームランに歓喜した。
そこで甲子園でタイガースの応援をしてくれる観客のためにも、フェンス越えのホームランを増やした方が良いと考え、外野の両翼から左・右中間付近にいたる付近にフェンス(金網)を設けた。フェンス(金網)設置工事完了後の両翼は、91mとなった 。そのため、これまでは外野フライだった打球でもフェンスを越えればホームランになることから「ラッキーゾーン」と名付けられた。それ以後、他球場でも設置されるようになったが、野球が、夏季オリンピックのプログラムに加えられた1980年代以後、各地に国際競技規格に適合、ないしはそれに準ずる広い球場が新規建設、又拡張工事が実施されるようになったことを受けて、甲子園球場も、1992(平成4)年3月にラッキーゾーンを撤去。両翼を拡張(両翼91m→96mに) した。
私にはこの甲子園のラッキーゾーンに関連する人物が1人思い起こされる。2003(平成15)年から大リーグのヤンキースに移籍し活躍している松井秀喜選手である。
松井秀喜 選手は、石川県・星稜高校では大型三塁手として1年生から4番を任されていた。1年生の1990(平成2)年、夏の甲子園では1回戦敗退、翌1991(平成3)年の2年目の夏の甲子園ではベスト4入り。そして、甲子園のラッキーゾンが撤去された1992(平成4)年の春、第64回選抜高校野球大会の開幕戦に登場した星稜高校の松井秀喜(3年)は、3回表、2死2・3塁の場面で、弾丸ライナーでバックスクリーン右に飛び込む豪快なホームランを放った。・・・これが、新しく生まれ変わった甲子園の第1号ホームランである。さらに松井は、5回表無死1・3塁の場面で右中間スタンド最深部に飛び込む130m弾の3ランを放った。しかし、残念ながら、このときも、松井は大会3本塁打を記録するもチームはベスト8に終わった。そして、今度こそはと期待された、その年の夏の甲子園で世間を揺るがす事件が起こった。
先ず初戦の長岡向陵高校戦(新潟)は11-0で軽く突破。そして、2回戦は明徳義塾高校戦(高知県)である。しかし、明徳義塾の監督は、星稜高校の超高校級スラッガー松井に対して全打席敬遠を指示したのである。そのため、松井は、第1打席から第5打席まで5打席連続四球で一塁へ歩かされることになった。ランナーのいない場面までも勝負してもらえなかったのである。この松井への余りにも酷い四球攻撃に対しては、甲子園の観客が、こぞってブーイングを浴びせ抗議した。だがどうにもならず結局2回戦を敗退し、4度の甲子園出場を果たしながらも一度も優勝は出来なかったのである。これも、松井が余りにも大物過ぎた所以ではあったが、、アマチュアのスポーツ精神にも反する酷いものであり、高野連の会長が異例の記者会見を開いて、明徳の四球攻撃に苦言を呈するという事態にまで発展した。これは、正に、この年の最大の事件とまで言えるだろう。
それだけの大物だから、翌1993(平成5)年高校卒業後、ドラフト1位で巨人に入団、その年に、11本塁打を放ち、1994(平成6)年からはレギュラーに定着。その年の巨人のリーグ優勝と日本一に大きく貢献した。しかし、そんな、大物は、次々とアメリカのメジャーリーグへ移籍してしまう今日、巨人の人気が年々落ちているのも仕方のないことかな~。
(画像は、上空からの甲子園球場 。 Wikipediaより)
参考:
阪神甲子園球場公式HP
http://www.hanshin.co.jp/koshien/
阪神甲子園球場 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%9C%92%E7%90%83%E5%A0%B4
55 松井秀喜 Hideki Matsui
http://www.sanspo.com/mlb/matsui/profile.html
1947(昭和22)年5月26日 、甲子園球場にラッキーゾーンが設置された。広すぎてホームランが出にくいとの理由で設置されたが、1992(平成4)年に撤去された。
終戦後、進駐軍により接収されていた甲子園球場は、1947(昭和22)年1月から徐々に接収が解除され、同年3月には第19回全国選抜中等学校野球大会(春の高校野球)が開催された。ホームランを出やすくするためにラッキーゾーンを設置したのもこの年である。
ラッキー-ゾーン とは、野球場の外野のフィールドにホームランが出やすくするように外野フェンスとその内側に設けた柵(金網柵)とで囲まれた区域。ここに入った打球もホーム-ランとなる。日本におけるラッキーゾーンの第1号が阪神甲子園球場である。1924年に阪神電鉄甲子園大運動場としてオープンした当初は陸上競技場としても利用されることを念頭に建設されたため両翼まで約110m、左・右中間も128mあり戦前の甲子園球場でのホームランといえば、ほとんどがランニングホームランであり、フェンスを越えるホームランが出にくい球場といわれた。一方、他球団が本拠地として使っていた球場は狭かったため、フェンスを越える打球のホームランが多く、観客は、そのホームランに歓喜した。
そこで甲子園でタイガースの応援をしてくれる観客のためにも、フェンス越えのホームランを増やした方が良いと考え、外野の両翼から左・右中間付近にいたる付近にフェンス(金網)を設けた。フェンス(金網)設置工事完了後の両翼は、91mとなった 。そのため、これまでは外野フライだった打球でもフェンスを越えればホームランになることから「ラッキーゾーン」と名付けられた。それ以後、他球場でも設置されるようになったが、野球が、夏季オリンピックのプログラムに加えられた1980年代以後、各地に国際競技規格に適合、ないしはそれに準ずる広い球場が新規建設、又拡張工事が実施されるようになったことを受けて、甲子園球場も、1992(平成4)年3月にラッキーゾーンを撤去。両翼を拡張(両翼91m→96mに) した。
私にはこの甲子園のラッキーゾーンに関連する人物が1人思い起こされる。2003(平成15)年から大リーグのヤンキースに移籍し活躍している松井秀喜選手である。
松井秀喜 選手は、石川県・星稜高校では大型三塁手として1年生から4番を任されていた。1年生の1990(平成2)年、夏の甲子園では1回戦敗退、翌1991(平成3)年の2年目の夏の甲子園ではベスト4入り。そして、甲子園のラッキーゾンが撤去された1992(平成4)年の春、第64回選抜高校野球大会の開幕戦に登場した星稜高校の松井秀喜(3年)は、3回表、2死2・3塁の場面で、弾丸ライナーでバックスクリーン右に飛び込む豪快なホームランを放った。・・・これが、新しく生まれ変わった甲子園の第1号ホームランである。さらに松井は、5回表無死1・3塁の場面で右中間スタンド最深部に飛び込む130m弾の3ランを放った。しかし、残念ながら、このときも、松井は大会3本塁打を記録するもチームはベスト8に終わった。そして、今度こそはと期待された、その年の夏の甲子園で世間を揺るがす事件が起こった。
先ず初戦の長岡向陵高校戦(新潟)は11-0で軽く突破。そして、2回戦は明徳義塾高校戦(高知県)である。しかし、明徳義塾の監督は、星稜高校の超高校級スラッガー松井に対して全打席敬遠を指示したのである。そのため、松井は、第1打席から第5打席まで5打席連続四球で一塁へ歩かされることになった。ランナーのいない場面までも勝負してもらえなかったのである。この松井への余りにも酷い四球攻撃に対しては、甲子園の観客が、こぞってブーイングを浴びせ抗議した。だがどうにもならず結局2回戦を敗退し、4度の甲子園出場を果たしながらも一度も優勝は出来なかったのである。これも、松井が余りにも大物過ぎた所以ではあったが、、アマチュアのスポーツ精神にも反する酷いものであり、高野連の会長が異例の記者会見を開いて、明徳の四球攻撃に苦言を呈するという事態にまで発展した。これは、正に、この年の最大の事件とまで言えるだろう。
それだけの大物だから、翌1993(平成5)年高校卒業後、ドラフト1位で巨人に入団、その年に、11本塁打を放ち、1994(平成6)年からはレギュラーに定着。その年の巨人のリーグ優勝と日本一に大きく貢献した。しかし、そんな、大物は、次々とアメリカのメジャーリーグへ移籍してしまう今日、巨人の人気が年々落ちているのも仕方のないことかな~。
(画像は、上空からの甲子園球場 。 Wikipediaより)
参考:
阪神甲子園球場公式HP
http://www.hanshin.co.jp/koshien/
阪神甲子園球場 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E7%94%B2%E5%AD%90%E5%9C%92%E7%90%83%E5%A0%B4
55 松井秀喜 Hideki Matsui
http://www.sanspo.com/mlb/matsui/profile.html