今日(6月10日)は「路面電車の日」。
1995(平成7)年の今日(6月10日)、路面電車を持つ自治体が広島市で開催した第2回「路面電車サミット」で制定。これは6=ろ(路面)、10=英語でテン(電車)という語呂合わせによる。このサミットは、全国路面電車愛好支援団体協議会加盟の各地の市民団体が引き受け主体となって、2年に1度、持ち回りで開催。日本各地で路面電車の利用促進のためのキャンペーンやイベントが行われる。第1回札幌開催の後、1995年に第2回が広島市でその後、岡山市、1999 年豊橋市、熊本市、函館市と引き継がれ、その次の2004年開催予定地の高知市が、地元土佐電鉄の開業100周年に当たるため特別に連続年開催で2003年に実施され、昨・2006(平成18)年には長崎市で開催されている。この間、広島市では低床長編成車両導入(1999 年)、岡山市が路線延長計画策定着手と低床路面電車導入など、サミット開催が地域の交通改善への機運盛り上げに果たした役割も小さくないという。第1回札幌では市電愛好団体サミットの名称で実施され、1995(平成7)年第2回広島市での開催から路面電車サミットと名称を変更。
路面電車とは、主に道路上に敷設された軌道を走行する電車で、軌道法の管轄下にあり、鉄道事業法に基づく一般の鉄道とは明確に区別されている。原則として併用軌道を走行するのが路面電車で、道路外を走行するのが鉄道だが、実際には例外も多く、一部区間で道路外に専用軌道を設ける場合もある。
なお、日本の道路交通法では、「レールにより運転する車」と定義している。また都市計画法に定める都市施設においても、路面電車は都市計画道路のうちの「特殊街路」に分類されるのだとか・・・。読んでいて、判るかな?日本らしいよね~。何でも判りにくいのが、日本の法律だよね。私には、よく説明できないので、それぞれの、リンク先を読んで・・・。
路面電車の始まりは古く、1881(明治14)年にドイツで開通したものが初とされる。
1903(明治36)年、>東京電車鉄道(通称:都電)の路面電車が新橋~品川で営業を開始した。東京で初めて路面電車(チンチン電車)が走った日を記念して8月22日を「チンチン電車の日」」としているが、実際に、日本で初めて路面電車が走ったのは1890(明治23)年5月4日に、上野公園で開催されていた内国勧業博覧会の会場内であった。また、日本で最初の一般の道路を走る路面電車は1895(明治28)年2月1日に開業した小路東洞院~伏見京橋の京都電気鉄道(後、京都市電)だったそうだ。だから、本当は、これが実質上の日本最初の路面電車と言っていいだろう。この「チンチン電車の日」のことは前に書いたので以下で、見てください。
8月22日)「チンチン電車の日」http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/470e5ced7b1299c0b16ff68f8668c887
その後、大正から昭和初期にかけて大都市圏を中心に、数多くの軌道が整備された。その中には都市間高速軌道(インターアーバン)として建設され、現在の高速鉄道路線の前身となったものもある(京王線、阪神本線など)。
戦前から戦後には、都市の重要な交通手段として機能していたが、1960年代の高度成長時代に自動車の所有率が増加すると、モータリゼーションの流れに押され路面電車は渋滞の元凶だとされ、1970年代にかけて各地で廃止された。一部の大都市(政令指定都市)では地下鉄が建設されたが、多くの都市ではバスが代替となった。そのため、今では日本で走る路面電車は少なくなってしまった。我が地元神戸は、市電が発達していたので、どこへ行くにも大変便利だった。しかし、やはりモータリゼーションの発達によって、経営が悪化。1971年(昭和46年)3月13日限りで62年弱(市営としては54年弱)の幕を閉じた。最後まで残った路線は三宮阪神前~楠公前~和田岬~大橋九丁目~板宿であった。これは、私達が常に使っていた路線であり、今は代替の地下鉄が開通しているというものの、市電は、電車から町が見渡せるし、地下鉄のように深い地下への階段などの上り下りをしなくて良い。昔のような高床式の乗降口を改良すれば今の時代のような都市に多く住む高齢者や小さな子供には非常に利用しやすい乗り物であり、なくしたことを今でも非常に残念に思っているし、郊外などからの市内へのマイカーの乗り入れそのものを規制すべきなのに、公共の市電を交通渋滞の対象として廃止してしまったのは行政の誤りであったと私は考えている。ヨーロッパには、路面電車やLRT(Light Rail Transit、ライトレール )のある都市が多く、環境対策のためにパークアンドライドやトランジットモールによって自家用自動車からの乗り換えを促すなど、全体的な交通政策に組み込まれている。
第二次世界大戦後、日本は何でもかでもアメリカの真似をしている。米国の国土面積は、936.4万平方キロメートルとされ、日本(37.8万キロメートル)の約25倍もある。日本の人口は2050年現在1.27億人ぐらいであるが、米国は約2.8億人。日本の2.2倍程度である。
歴史の浅い米国は、人口に比して滅茶苦茶広い国土を鉄道網でカバーするわけには行かない。歴史を築いてきた西部開拓民たちは馬を足代わりに移動してきた。その馬が、車になったのである。それに対して、小さな島国の日本は山と海に挟まれた狭い土地に多くの人が住んでいる。鉄道を敷いた目的が当初戦争などの為であったとしても、結果としては、明治以来、日本国中に鉄道が網羅され、都市と都市が結ばれた。おそらく、これほど交通網の整備された国はなかっただろう。そして、それぞれの都市には、路面電車が敷かれ、それで、十分に、そこに住む住民は生活に不自由のない生活が出来ていた。(一部の僻地は別だが)ただ、車の利便性だけから、このような狭い日本国内に車が溢れかえるような政策をとったのは、最初から、間違っている。ヨーロッパのように国土も狭く歴史もある、日本とよく似た国々が、どのような政策をとっているかを参考にすべきであった。路面電車に換えて安上がりなバス路線を敷いても、結局は市電の時と同じで交通渋滞によりなかなか時間通りの運行も出来ず、目的地へ行くのに時間もかかり、市民に嫌われ、乗客は減り、不採算のところが多く発生。結局は、市民の税金で穴埋めしなければならない結果となってる。今のままでは日本の人口も少子高齢化が進み大幅に減少するだろう。しかも、少子高齢化が進むということは、車に乗る若年層が減少し、車に乗れない高齢者が増えるということである。当然車も減少し、車の通らない道路が日本中に出来るだろう。一方、鉄道や路面電車は、車社会のおかげで乗客数は減少し、不採算路線は廃線し、企業利益を得るためにますます運賃を高くして乗客数を減らすという悪循環にはいっている。・・・もう少し、地域住民や環境問題など将来的なことも見据えて大局的な見地にたった政策をとるべきだろう。戦後の日本は、余りにも目の前の利益や利便性のみを追求した近視眼的な政策がなされてきた。そのことが、今日のあらゆる諸問題を引き起こす結果となっていることを反省すべきと思う。
日本における現存・廃線の路面電車については、日本の路面電車一覧を参照。
2005年現在、アメリカ合衆国の化石燃料の消費による二酸化炭素の排出量は世界一である
(画像は、長崎の最新車両3000形「リトルダンサーU」(長崎駅前)。Wikipediaより)
路面電車 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B7%AF%E9%9D%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A
路面電車とは - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CF%A9%CC%CC%C5%C5%BC%D6
日本路面電車同好会
http://homepage1.nifty.com/tram/
路面電車とLRTを考える館
http://www.urban.ne.jp/home/yaman/
路面電車と鉄道の写真館
http://train.sakura.ne.jp/
道路交通法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S35/S35HO105.html
軌道法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/T10/T10HO076.html
東京都電 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%9B%BB
1995(平成7)年の今日(6月10日)、路面電車を持つ自治体が広島市で開催した第2回「路面電車サミット」で制定。これは6=ろ(路面)、10=英語でテン(電車)という語呂合わせによる。このサミットは、全国路面電車愛好支援団体協議会加盟の各地の市民団体が引き受け主体となって、2年に1度、持ち回りで開催。日本各地で路面電車の利用促進のためのキャンペーンやイベントが行われる。第1回札幌開催の後、1995年に第2回が広島市でその後、岡山市、1999 年豊橋市、熊本市、函館市と引き継がれ、その次の2004年開催予定地の高知市が、地元土佐電鉄の開業100周年に当たるため特別に連続年開催で2003年に実施され、昨・2006(平成18)年には長崎市で開催されている。この間、広島市では低床長編成車両導入(1999 年)、岡山市が路線延長計画策定着手と低床路面電車導入など、サミット開催が地域の交通改善への機運盛り上げに果たした役割も小さくないという。第1回札幌では市電愛好団体サミットの名称で実施され、1995(平成7)年第2回広島市での開催から路面電車サミットと名称を変更。
路面電車とは、主に道路上に敷設された軌道を走行する電車で、軌道法の管轄下にあり、鉄道事業法に基づく一般の鉄道とは明確に区別されている。原則として併用軌道を走行するのが路面電車で、道路外を走行するのが鉄道だが、実際には例外も多く、一部区間で道路外に専用軌道を設ける場合もある。
なお、日本の道路交通法では、「レールにより運転する車」と定義している。また都市計画法に定める都市施設においても、路面電車は都市計画道路のうちの「特殊街路」に分類されるのだとか・・・。読んでいて、判るかな?日本らしいよね~。何でも判りにくいのが、日本の法律だよね。私には、よく説明できないので、それぞれの、リンク先を読んで・・・。
路面電車の始まりは古く、1881(明治14)年にドイツで開通したものが初とされる。
1903(明治36)年、>東京電車鉄道(通称:都電)の路面電車が新橋~品川で営業を開始した。東京で初めて路面電車(チンチン電車)が走った日を記念して8月22日を「チンチン電車の日」」としているが、実際に、日本で初めて路面電車が走ったのは1890(明治23)年5月4日に、上野公園で開催されていた内国勧業博覧会の会場内であった。また、日本で最初の一般の道路を走る路面電車は1895(明治28)年2月1日に開業した小路東洞院~伏見京橋の京都電気鉄道(後、京都市電)だったそうだ。だから、本当は、これが実質上の日本最初の路面電車と言っていいだろう。この「チンチン電車の日」のことは前に書いたので以下で、見てください。
8月22日)「チンチン電車の日」http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/470e5ced7b1299c0b16ff68f8668c887
その後、大正から昭和初期にかけて大都市圏を中心に、数多くの軌道が整備された。その中には都市間高速軌道(インターアーバン)として建設され、現在の高速鉄道路線の前身となったものもある(京王線、阪神本線など)。
戦前から戦後には、都市の重要な交通手段として機能していたが、1960年代の高度成長時代に自動車の所有率が増加すると、モータリゼーションの流れに押され路面電車は渋滞の元凶だとされ、1970年代にかけて各地で廃止された。一部の大都市(政令指定都市)では地下鉄が建設されたが、多くの都市ではバスが代替となった。そのため、今では日本で走る路面電車は少なくなってしまった。我が地元神戸は、市電が発達していたので、どこへ行くにも大変便利だった。しかし、やはりモータリゼーションの発達によって、経営が悪化。1971年(昭和46年)3月13日限りで62年弱(市営としては54年弱)の幕を閉じた。最後まで残った路線は三宮阪神前~楠公前~和田岬~大橋九丁目~板宿であった。これは、私達が常に使っていた路線であり、今は代替の地下鉄が開通しているというものの、市電は、電車から町が見渡せるし、地下鉄のように深い地下への階段などの上り下りをしなくて良い。昔のような高床式の乗降口を改良すれば今の時代のような都市に多く住む高齢者や小さな子供には非常に利用しやすい乗り物であり、なくしたことを今でも非常に残念に思っているし、郊外などからの市内へのマイカーの乗り入れそのものを規制すべきなのに、公共の市電を交通渋滞の対象として廃止してしまったのは行政の誤りであったと私は考えている。ヨーロッパには、路面電車やLRT(Light Rail Transit、ライトレール )のある都市が多く、環境対策のためにパークアンドライドやトランジットモールによって自家用自動車からの乗り換えを促すなど、全体的な交通政策に組み込まれている。
第二次世界大戦後、日本は何でもかでもアメリカの真似をしている。米国の国土面積は、936.4万平方キロメートルとされ、日本(37.8万キロメートル)の約25倍もある。日本の人口は2050年現在1.27億人ぐらいであるが、米国は約2.8億人。日本の2.2倍程度である。
歴史の浅い米国は、人口に比して滅茶苦茶広い国土を鉄道網でカバーするわけには行かない。歴史を築いてきた西部開拓民たちは馬を足代わりに移動してきた。その馬が、車になったのである。それに対して、小さな島国の日本は山と海に挟まれた狭い土地に多くの人が住んでいる。鉄道を敷いた目的が当初戦争などの為であったとしても、結果としては、明治以来、日本国中に鉄道が網羅され、都市と都市が結ばれた。おそらく、これほど交通網の整備された国はなかっただろう。そして、それぞれの都市には、路面電車が敷かれ、それで、十分に、そこに住む住民は生活に不自由のない生活が出来ていた。(一部の僻地は別だが)ただ、車の利便性だけから、このような狭い日本国内に車が溢れかえるような政策をとったのは、最初から、間違っている。ヨーロッパのように国土も狭く歴史もある、日本とよく似た国々が、どのような政策をとっているかを参考にすべきであった。路面電車に換えて安上がりなバス路線を敷いても、結局は市電の時と同じで交通渋滞によりなかなか時間通りの運行も出来ず、目的地へ行くのに時間もかかり、市民に嫌われ、乗客は減り、不採算のところが多く発生。結局は、市民の税金で穴埋めしなければならない結果となってる。今のままでは日本の人口も少子高齢化が進み大幅に減少するだろう。しかも、少子高齢化が進むということは、車に乗る若年層が減少し、車に乗れない高齢者が増えるということである。当然車も減少し、車の通らない道路が日本中に出来るだろう。一方、鉄道や路面電車は、車社会のおかげで乗客数は減少し、不採算路線は廃線し、企業利益を得るためにますます運賃を高くして乗客数を減らすという悪循環にはいっている。・・・もう少し、地域住民や環境問題など将来的なことも見据えて大局的な見地にたった政策をとるべきだろう。戦後の日本は、余りにも目の前の利益や利便性のみを追求した近視眼的な政策がなされてきた。そのことが、今日のあらゆる諸問題を引き起こす結果となっていることを反省すべきと思う。
日本における現存・廃線の路面電車については、日本の路面電車一覧を参照。
2005年現在、アメリカ合衆国の化石燃料の消費による二酸化炭素の排出量は世界一である
(画像は、長崎の最新車両3000形「リトルダンサーU」(長崎駅前)。Wikipediaより)
路面電車 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B7%AF%E9%9D%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A
路面電車とは - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CF%A9%CC%CC%C5%C5%BC%D6
日本路面電車同好会
http://homepage1.nifty.com/tram/
路面電車とLRTを考える館
http://www.urban.ne.jp/home/yaman/
路面電車と鉄道の写真館
http://train.sakura.ne.jp/
道路交通法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S35/S35HO105.html
軌道法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/T10/T10HO076.html
東京都電 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E9%9B%BB