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日本近代文学の森へ (73) 田山花袋『蒲団』 20  動かぬ証拠

2018-12-21 15:17:35 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (73) 田山花袋『蒲団』 20  動かぬ証拠

2018.12.21


 


 一室は父親と時雄と二人になった。
「どうも煮えきらない男ですわい」と父親はそれとなく言った。
「どうも形式的で、甚だ要領を得んです。もう少し打明けて、ざっくばらんに話してくれると好いですけれど……」
「どうも中国の人間はそうは行かんですけえ、人物が小さくって、小細工で、すぐ人の股を潜(くぐ)ろうとするですわい。関東から東北の人はまるで違うですがナア。悪いのは悪い、好いのは好いと、真情を吐露して了うけえ、好いですけどもナ。どうもいかん。小細工で、小理窟で、めそめそ泣きおった……」
「どうもそういうところがありますナ」
「見ていさっしゃい、明日きっと快諾しゃあせんけえ、何のかのと理窟をつけて、帰るまいとするけえ」
 時雄の胸に、ふと二人の関係に就いての疑惑が起った。男の烈しい主張と芳子を己が所有とする権利があるような態度とは、時雄にこの疑惑を起さしむるの動機となったのである。
「で、二人の間の関係をどう御観察なすったです」
 時雄は父親に問うた。
「そうですな。関係があると思わんけりゃなりますまい」
「今の際、確めておく必要があると思うですが、芳子さんに、嵯峨行の弁解をさせましょうか。今度の恋は嵯峨行の後に始めて感じたことだと言うてましたから、その証拠になる手紙があるでしょうから」
「まア、其処までせんでも……」
 父親は関係を信じつつもその事実となるのを恐れるらしい。
 運悪く其処に芳子は茶を運んで来た。
 時雄は呼留めて、その証拠になる手紙があるだろう、その身の潔白を証する為めに、その前後の手紙を見せ給えと迫った。
 これを聞いた芳子の顔は俄かに赧(あか)くなった。さも困ったという風が歴々(ありあり)として顔と態度とに顕われた。
「あの頃の手紙はこの間皆な焼いて了いましたから」その声は低かった。
「焼いた?」
「ええ」
 芳子は顔を俛(た)れた。
「焼いた? そんなことは無いでしょう」
 芳子の顔は愈ゝ(いよいよ)赧くなった。時雄は激さざるを得なかった。事実は恐しい力でかれの胸を刺した。
 時雄は立って厠に行った。胸は苛々して、頭脳(あたま)は眩惑するように感じた。欺かれたという念が烈しく心頭を衝いて起った。厠を出ると、其処に──障子の外に、芳子はおどおどした様子で立っている。
「先生──本当に、私は焼いて了ったのですから」
「うそをお言いなさい」と、時雄は叱るように言って、障子を烈しく閉めて室内に入った。


 「中国の人間」というのは、もちろん中国地方の人間ということで、この場合は山口県だが、「関西人」と「関東人」の相違なのだろうか。まあ、江戸っ子が、さっぱりしてるということはよく言われるけど、事実かどうかわかりはしない。

 「小細工で、小理窟で、めそめそ泣きおった……」というふうに田中を批判するのも、なんだか可愛そうだ。田中には、芳子への一途な思いがあるだけで、「小細工」も「小理屈」もないとぼくは思うのだが。昔から、日本人は目上の者に反抗すると、「理屈を言うな!」っていって抑えられてきたような気がする。幼いころから、そう言われ続けてくれば、日本人の中に「論理的思考力」が育たないのも無理はないわけだ。今さら文科省がしゃしゃり出て、「論的思考力をつけさせろ」なんて言っても遅いのだ。

 権威とか権力とかいうのは、理不尽な力だから、それに対抗するには「論理」しかない。けれども、権威・権力の側は、「論理」的に振る舞うわけではなく、ただ「従え」と命令するだけだから、「論理的」に負けていると感じたとき、その「論理」を「小理屈」という言葉に変換して否定しようとする。「小理屈を言うな!」「そんなのは屁理屈だ!」と言われたら、じゃあ、何を言えばいいのですか? って言い返せばいい。結局「ガタガタ言わずにオレに従えばいいんだ。」てな言葉しか返ってこないだろう。

 それはそれとして、ここでの問題は、時雄の言い出した「確かめておく必要」だ。以前から顔馴染みだった田中と芳子が急速に恋仲になったのは「嵯峨行」以後だから、その「嵯峨」で、きっと「何か」があったに違いない。それを確かめよう、というのである。「その証拠になる手紙」があるだろうと時雄はいうのだが、そんな手紙を書くものだろうか。

 父親は、そこまでしなくてもいいじゃないかと消極的なのは、「関係を信じつつもその事実となるのを恐れるらしい」と書かれているけれど、むしろ娘をあんまり追い詰めたくないという親心だろう。肉体関係があるに違いないと思っている父親にしてみれば、そのこと自体を責め立てる気持ちはないわけだ。責めてみてもしょうがない。そんなことを責めて、娘を苦しませるのは可愛そうだと、親ならそう思って当然だ。けれども、時雄はまったく違う。それこそが時雄にとっての「大事」なのだ。

 以前から、時雄は、芳子のところに来る田中の手紙を盗み見ては、「性的交渉」の証拠がそこにないか探していたのだが、いったいどういう「証拠」がありうるのか不思議だ。「あなたと結ばれて、私は幸せでした。」「もう一度会って、再び結ばれたいです。」みたいな文句を書くのだろうか。よく分からないが、まあ、そういうことがあったと推測されるようなちょっとした「表現」が、その「証拠」となるというのだろう。

 それで、時雄は、芳子に、「その証拠になる手紙があるだろう、その身の潔白を証する為めに、その前後の手紙を見せ給えと迫った。」わけだが、この場合の「その証拠になる手紙」というのは、「身の潔白の証拠となる手紙」であるわけで、これはこれでむずかしい。何かをした証拠ならいくらでもあるだろうけど、何かをしなかった証拠って、そもそもあるんだろうか。

 「ホテルに一緒に泊まった証拠」なら、その日付けのあるホテルのレシートなんかが考えられる。けれども、「ホテルに一緒に泊まらなかった証拠」なんて、それこそ膨大な「アリバイ」を必要とするだろう。

 だから「その前後の手紙」を見せろというのだ。「その前」と「その後」を比べれば、分かるということらしいが、分かるものだろうかと、読解力に欠けるぼくなんかは思うけれど、時雄には自信があるらしい。

 ところが、芳子は、顔を赤くして、低い声で、そんな手紙は全部焼いてしまったと言う。「焼いたはずはない」と時雄は激高する。大事な恋人の手紙を、それもまだ現在進行形の恋のさなかに、焼いてしまうはずはない、という時雄の思いは十分に納得できる。この芳子の返事とその時の態度が、「動かぬ証拠」となったのだ。

 

 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (72) 田山花袋『蒲団』 19  疑念

2018-12-20 14:27:52 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (72) 田山花袋『蒲団』 19  疑念

2018.12.20


 

 時雄にとっては、芳子が恋人と肉体関係をすでに持ったのかどうかが大問題なのだが、芳子の父親にとってもそれは同じだ。けれども、時雄よりも父親のほうが、冷静というか、大人というか、世間を知っているというか、二人はすでに「できている」と考えるのだ。


 二人の間柄に就いての談話も一二あった。時雄は京都嵯峨の事情、その以後の経過を話し、二人の間には神聖の霊の恋のみ成立っていて、汚い関係は無いであろうと言った。父親はそれを聴いて点頭(うなず)きはしたが、「でもまア、その方の関係もあるものとして見なければなりますまい」と言った。

 父親としては、こういうことを言いたくはないだろうが、普通に考えれば、「その方の関係」はあるというしかない。いまだって、芸能人が、男女二人でホテルから出てくれば、いくら部屋で仕事の打ち合わせていただけだと言っても誰も信じないのと同じで、明治のころならなおさら、旅先で一緒に泊まったことだけで、「その方の関係」があろうがなかろうが、十分非難に値するわけだ。芳子がいくら「私達の関係はそんな汚れたものじゃありません」って言い張っても、それを信じる、あるいは信じようとするのは時雄ぐらいのものだ。もっとも時雄が「信じる」あるいは「信じようとする」のも、芳子を心から信頼しているからではなくて、ただただ「そうあってほしい」という願望にすぎないのだが。


 父親の胸には今更娘に就いての悔恨の情が多かった。田舎ものの虚栄心の為めに神戸女学院のような、ハイカラな学校に入れて、その寄宿舎生活を行わせたことや、娘の切なる希望を容(い)れて小説を学ぶべく東京に出したことや、多病の為めに言うがままにして余り検束を加えなかったことや、いろいろなことが簇々(むらむら)と胸に浮んだ。

 まあ、娘をもつというのも、やっかいなことだ。

 呼びにやった田中が来た。


 一時間後にはわざわざ迎いに遣った田中がこの室に来ていた。芳子もその傍に庇髪を俛(た)れて談話を聞いていた。父親の眼に映じた田中は元より気に入った人物ではなかった。その白縞の袴を着け、紺がすりの羽織を着た書生姿は、軽蔑の念と憎悪の念とをその胸に漲らしめた。その所有物を奪った憎むべき男という感は、曽(か)つて時雄がその下宿でこの男を見た時の感と甚だよく似ていた。
 田中は袴の襞を正して、しゃんと坐ったまま、多く二尺先位の畳をのみ見ていた。服従という態度よりも反抗という態度が歴々(ありあり)としていた。どうも少し固くなり過ぎて、芳子を自分の自由にする或る権利を持っているという風に見えていた。


 ここでは、田中が父親の目にどう映ったかを「客観的」に描いている格好をとっているが、あきらかにここに描かれる田中は、時雄の目を通した田中だ。表現としては、「父親の眼に映じた田中は元より気に入った人物ではなかった。」と断定的に書いているが、ほんとうのところは、「父親の眼に映じた田中は元より気に入った人物ではなかったはずだ。」ということだ。

 花袋は、三人称の小説として、いわゆる「全知視点」(作者は、登場人物のすべての心の中を知っている、という書き方)でこれを書いているのではない。もし、そうなら、もっと父親の内面について詳しく描かねばならないだろう。たとえば、この場面で、父親は時雄の「魂胆」をまったく見抜けないばかりか、寸毫も疑っていない。この先生、ひょっとしてうちの娘に気があるのではなかろうかと、ちょっとぐらい疑ってもよさそうなものだが、それがない。父親が見た田中は、おなじ「田舎」から出てきた者としてのある種の共感のようなものがあってもおかしくないが、それもなく、ただただ「軽蔑」と「憎悪」しか感じない。つまりは、時雄とまったく同じ感慨しか抱かないのだ。

 時雄と父親は、田中が田舎に帰るように説得するのだが、田中は頑として応じない。父親は、とにかく今は早すぎる。君は神戸に戻ってもっと勉強するがいい。その間に、芳子を嫁にやってしまうなどという裏切りは神に誓ってしないからと言うのだが、それでも、将来の結婚の約束をさせてもらえないなら、嫌だと田中は言い張るのだ。


「よう解っております」と田中は答えた。「私が万事悪いのでございますから、私が一番に去らなければなりません。先生は今、この恋愛を承諾して下されぬではないと仰しゃったが、お父様の先程の御言葉では、まだ満足致されぬような訳でして……」
「どういう意味です」
 と時雄は反問した。
「本当に約束せぬというのが不満だと言うのですじゃろう」と、父親は言葉を入れて、「けれど、これは先程もよく話した筈じゃけえ。今の場合、許可、不許可という事は出来ぬじゃ。独立することも出来ぬ修業中の身で、二人一緒にこの世の中に立って行こうと言やるは、どうも不信用じゃ。だから私は今三四年はお互に勉強するが好いじゃと思う。真面目ならば、こうまで言った話は解らんけりゃならん。私が一時を瞞着して、芳を他(よそ)に嫁(かたづ)けるとか言うのやなら、それは不満足じゃろう。けれど私は神に誓って言う、先生を前に置いて言う、三年は芳を私から進んで嫁にやるようなことはせんじゃ。人の世はエホバの思召(おぼしめし)次第、罪の多い人間はその力ある審判(さばき)を待つより他に為方が無いけえ、私は芳は君に進ずるとまでは言うことは出来ん。今の心が許さんけえ、今度のことは、神の思召に適っていないと思うけえ。三年経って、神の思召に適うかどうか、それは今から予言は出来んが、君の心が、真実真面目で誠実であったなら、必ず神の思召に適うことと思うじゃ」
「あれほどお父さんが解っていらっしゃる」と時雄は父親の言葉を受けて、「三年、君が為めに待つ。君を信用するに足りる三年の時日を君に与えると言われたのは、実にこの上ない恩恵(めぐみ)でしょう。人の娘を誘惑するような奴には真面目に話をする必要がないといって、このまま芳子をつれて帰られても、君は一言も恨むせきはないのですのに、三年待とう、君の真心の見えるまでは、芳子を他に嫁けるようなことはすまいと言う。実に恩恵ある言葉だ。許可すると言ったより一層恩義が深い。君はこれが解らんですか」
 田中は低頭(うつむ)いて顔をしかめると思ったら、涙がはらはらとその頬を伝った。
 一座は水を打ったように静かになった。
 田中は溢れ出ずる涙を手の拳で拭った。時雄は今ぞ時と、
「どうです、返事を為給(したま)え」
「私などはどうなっても好うおます。田舎に埋れても構わんどす!」
 また涙を拭った。
「それではいかん。そう反抗的に言ったって為方がない。腹の底を打明けて、互に不満足のないようにしようとする為めのこの会合です。君は達(た)って、田舎に帰るのが厭だとならば、芳子を国に帰すばかりです」
「二人一緒に東京に居ることは出来んですか?」
「それは出来ん。監督上出来ん。二人の将来の為めにも出来ん」
「それでは田舎に埋れてもようおます!」
「いいえ、私が帰ります」と芳子も涙に声を震わして、「私は女……女です……貴方さえ成功して下されば、私は田舎に埋れても構やしません、私が帰ります」
 一座はまた沈黙に落ちた。
 暫くしてから、時雄は調子を改めて、
「それにしても、君はどうして京都に帰れんのです。神戸の恩人に一伍一什(いちぶしじゅう)を話して、今までの不心得を謝して、同志社に戻ったら好いじゃありませんか。芳子さんが文学志願だから、君も文学家にならんければならんというようなことはない。宗教家として、神学者として、牧師として大(おおい)に立ったなら好いでしょう」
「宗教家にはもうとてもようなりまへん。人に対(むか)って教を説くような豪(えら)い人間ではないでおますで。……それに、残念ですのは、三月の間苦労しまして、実は漸くある親友の世話で、衣食の道が開けましたで、……田舎に埋れるには忍びまへんで」
 三人は猶語った。話は遂に一小段落を告げた。田中は今夜親友に相談して、明日か明後日までに確乎たる返事を齎(もた)らそうと言って、一先(ひとま)ず帰った。時計はもう午後四時、冬の日は暮近く、今まで室の一隅に照っていた日影もいつか消えて了った。

 

 いい大人が若い二人をよってたかっていじめてるとしか思えない。父親はまだいい。その言い分も父親ならもっともだ。言葉を尽くして説得する態度にも好感がもてる。けれども、時雄ときたら、その父親の尻馬にのって、「どういう意味です」とか、「君はこれが解らんですか」とか、「どうです、返事を為給(したま)え」とか、ただただ怒鳴るばかりだ。まるで、祭りの神輿の周りで大きなウチワをあおぐアンチャンみたいだ。あげくの果てに、田中の「二人一緒に東京に居ることは出来んですか?」という至極もっともな叫びに、「それは出来ん。監督上出来ん。二人の将来の為めにも出来ん」と言う始末。「監督上出来ん」ってことは、要するに二人の肉体関係を阻止することができない、ということだろうが、そんな「監督」は誰も頼んでやしないのだ。父親でさえ、「その方の関係」はほとんど諦めているのだ。「二人の将来の為めにも出来ん」なんてまるで意味をなさない。何が「二人の将来のため」になるかなんて、時雄は真剣に考えてなんかいないのだから。

 結局話はラチもあかず、田中は帰り、芳子は部屋に戻る。時雄と父親二人が残った。二人で田中の悪口を言っているうちに、時雄の胸にまたしてもあの「疑念」が湧き上がった。果たしてふたりにはまだ「その方の関係」が本当にないのだろうか? という「疑念」だ。話は再びまたそこへ落ちていくのだ。





 


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木洩れ日抄 49 「読解力」がない

2018-12-17 10:42:57 | 木洩れ日抄

木洩れ日抄 49 「読解力」がない

2018.12.17


 

 

 『深夜食堂』というテレビドラマがある。今放送中というわけではなく、かなり前のドラマだが、Netflixなんかで見ることができるので、昔見たのをもう一度見直している。

 毎回が25分程度の短いドラマで、話としても単純なものだ。歌舞伎町のはずれに、午前0時開店の「めしや」があり、そこのメニューは「豚汁定食」しかないけれど、お客の要望で、作れるものは何でも作るというのがモットーだ。そこには、いろいろな訳ありの人間がやってくる。マスターを演じるのが小林薫だからたまらない。いい味だしてるわけだ。

 で、昨晩見たのは、「タマゴサンド」。タイトルは、いつも客の頼むメニューだ。駆け出しのグラビアアイドルと、新聞配達をしながら大学に通う男の切ない恋。男は田中圭が演じていた。男は明け方ごろに、食パンだけもってやってきて、「タマゴサンドください」と言う。マスターは「あいよ!」といって、その食パンに卵をはさみ、おいしそうな「タマゴサンド」を作って出す。それをじっと見ていた駆け出しグラビアアイドルの女に、男は「よかったらどうぞ」と一切れをわたす。女は、嬉しそうにもらって、おいしそうに食べる。男はその姿をじっとみつめる。「顔になにかついてます?」「いえ、そうじゃなくて、おいしそうに食べるなあと思って。」と男は照れながら答える。それが出会いで、その後、二人は付き合うようになるが、女がどんどん有名になっていくにつれて、男は自信を失い、女から告白されたとき、「君とは住む世界が違う」と言ってしまう。やがて、女はIT企業の社長と結婚することになって、ふたりは別れてしまう。

 そして、ラスト。男は、まだ頑張って新聞配達をしている。失恋のショックからも立ち直り、だいぶ元気になって、「深夜食堂」にもよくやってくる。小林薫のセリフが流れる。「でも、まだタマゴサンドは食べられないらしいけどね。」で、おしまい。

 家内と二人で見ていたのだが、この最後のセリフを聞いて、「え? なんで?」って口走った。だって、昔は食べてたじゃん、急にお金がなくなったってこと? とまで、付け加えた。

 家内は、言下に、そりゃ、思い出しちゃうからでしょう、って言った。あ、そういうことか! なるほど、タマゴサンドがきっかけで付き合った彼女だから、別れた今は、切ないってことね、と納得しつつ、どうしてアナタは、そういうことすぐに分かるわけ? って聞いたら、誰だってそのくらい分かるわよと、言う。

 言われてみれば、まことにそのとおりで、これ以上単純な話はない。それなのに、「タマゴサンドはまだ食べられないらしい」というナレーションを、「まだ失恋の傷が癒えてないからだ」というふうに理解できず、「急にお金がなくなったのか?」なんて、いったいどうしたら考えることができるのだろうか。

 どうも、ぼくは、昔から、頭の回路がどこかで切れているというか、混線しているというか、読解力がないというか、とにかく普通じゃないようだ。

 以前書いたエッセイにこんなのがあります。あわせてお読み頂ければ幸いです。ぜんぜんフォローになってませんが。『「読解力」の彼方に』







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日本近代文学の森へ (71) 田山花袋『蒲団』 18  芳子の父親

2018-12-15 14:33:01 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (71) 田山花袋『蒲団』 18  芳子の父親

2018.12.15


 

 芳子の手紙に衝撃をうけた時雄は、芳子の父と会って話そうと思う。芳子の手紙を自分の手紙に添えて送りつけ、近況を知らせ、とにかく二人を引き離そうとしたのである。


 真面目なる解決を施さなければならぬという気になった。今までの自分の行為(おこない)の甚だ不自然で不真面目であるのに思いついた。時雄はその夜、備中の山中にある芳子の父母に寄する手紙を熱心に書いた。芳子の手紙をその中に巻込んで、二人の近況を詳しく記し、最後に、
 父たる貴下と師たる小生と当事者たる二人と相対して、此の問題を真面目に議すべき時節到来せりと存候(ぞんじそうろう)、貴下は父としての主張あるべく、芳子は芳子としての自由あるべく、小生また師としての意見有之(これあり)候、御多忙の際には有之候えども、是非々々御出京下され度(たく)、幾重にも希望仕(つかまつり)候。
 と書いて筆を結んだ。封筒に収めて備中国新見町横山兵蔵様と書いて、傍に置いて、じっとそれを見入った。この一通が運命の手だと思った。思いきって婢(おんな)を呼んで渡した。
 一日二日、時雄はその手紙の備中の山中に運ばれて行くさまを想像した。四面山で囲まれた小さな田舎町、その中央にある大きな白壁造、そこに郵便脚夫が配達すると、店に居た男がそれを奥へ持って行く。丈の高い、髯のある主人がそれを読む──運命の力は一刻毎に迫って来た。


 また「真面目」が出て来る。「真面目なる解決」とはいったい何か。「今までの自分の行為(おこない)の甚だ不自然で不真面目であるのに思いついた。」とは何か。まるで分からない。自分の行為の「不自然で不真面目」だったというのは、芳子の恋を目の当たりにしながら、親にも知らせず、指をくわえて見ていたということを言うのか。それとも、芳子に恋をしているのに、その気持ちを欺き、芳子の「庇護者」然としてふるまっていたということか。後者なら、意味は通るけれど、実際には前者なのだから、「真面目」が聞いて呆れるわけである。この際の「真面目なる解決」とは、自分にとって望ましい解決以外のなにものでもないのだ。

 父には「父としての主張」があり、芳子には「芳子としての自由」があり、自分には「師としての意見」があるとしながらも、「芳子の自由」はまるで考慮するつもりはないのだから、これ以上「不真面目」な手紙はないわけである。

 最後の段落が、まるで大小説のクライマックスみたいな書き方で、吹き出してしまう。いったい何が「運命の力」だというのか。そこにあるのは、時雄の、エゴでしかないではないか。

 時雄が東京へ帰った翌日に芳子の父からの返事が届き、父はすぐにやってきて、娘と対面する。芳子は少し風邪気味。時雄も同席した。


「芳子、暫くじゃッたのう……体は丈夫かの?」
「お父さま……」芳子は後を言い得なかった。
「今度来ます時に……」と父親は傍に坐っている時雄に語った。「佐野と御殿場でしたかナ、汽車に故障がありましてナ、二時間ほど待ちました。機関が破裂しましてナ」
「それは……」
「全速力で進行している中に、凄じい音がしたと思いましたけえ、汽車が夥(おびただ)しく傾斜してだらだらと逆行しましてナ、何事かと思いました。機関が破裂して火夫が二人とか即死した……」
「それは危険でしたナ」
「沼津から機関車を持って来てつけるまで二時間も待ちましたけえ、その間もナ、思いまして……これの為めにこうして東京に来ている途中、もしもの事があったら、芳(と今度は娘の方を見て)お前も兄弟に申訳が無かろうと思ったじゃわ」
 芳子は頭を垂れて黙っていた。
「それは危険でした。それでも別にお怪我もなくって結構でした」
「え、まア」
 父親と時雄は暫くその機関破裂のことに就いて語り合った。不図(ふと)、芳子は、
「お父様、家では皆な変ることは御座いません?」
「うむ、皆な達者じゃ」
「母さんも……」
「うむ、今度も私が忙しいけえナ、母に来て貰うように言うてじゃったが、矢張、私の方が好いじゃろうと思って……」
「兄さんも御達者?」
「うむ、あれもこの頃は少し落附いている」


 読んで目を疑うほどの、ものすごい事故である。蒸気機関車の機関が爆発して、列車は坂道を逆走し、火夫が二人も死んだのに、二時間待って機関車をつけかえて運転続行とはびっくりだ。それほどの事故が起きたら、今なら一日ぐらいは運行見合わせになるところ。昔は、鉄道の上を列車が走っているだけで、コンピュータを使って列車の運行管理なんかしてなかったわけだから、かえって復旧も早かったということだろうか。それほどの事故でも誰も知らない。明治末期のこととて、ラジオもなかったのだからしょうがないけど。ちなみに、日本最初のラジオ放送は大正14年だとのこと。

 まあ、それはそれとして、父親としては、娘に会って、そんな話でもするしかなかったのだろう。いきなり芳子の恋愛について文句を言うわけにもいかない。そのうち、昼飯となって、芳子は自分の部屋に行ってしまう。時雄は、例の話を持ち出さずにはいられない。


「で、貴方はどうしても不賛成?」
「賛成しようにもしまいにも、まだ問題になりおりませんけえ。今、仮に許して、二人一緒にするに致しても、男が二十二で、同志社の三年生では……」
「それは、そうですが、人物を御覧の上、将来の約束でも……」
「いや、約束などと、そんなことは致しますまい。私は人物を見たわけでありませんけえ、よく知りませんけどナ、女学生の上京の途次を要して途中に泊らせたり、年来の恩ある神戸教会の恩人を一朝にして捨て去ったりするような男ですけえ、とても話にはならぬと思いますじゃ。この間、芳から母へよこした手紙に、その男が苦しんでおるじゃで、どうか御察し下すって、私の学費を少くしても好いから、早稲田に通う位の金を出してくれと書いてありましたげな、何かそういう計画で芳がだまされておるんではないですかな」
「そんなことは無いでしょうと思うですが……」
「どうも怪しいことがあるです。芳子と約束が出来て、すぐ宗教が厭になって文学が好きになったと言うのも可笑しし、その後をすぐ追って出て来て、貴方などの御説諭も聞かずに、衣食に苦しんでまでもこの東京に居るなども意味がありそうですわい」
「それは恋の惑溺であるかも知れませんから善意に解釈することも出来ますが」
「それにしても許可するのせぬのとは問題になりませんけえ、結婚の約束は大きなことでして……。それにはその者の身分も調べて、此方(こっち)の身分との釣合も考えなければなりませんし、血統を調べなければなりません。それに人物が第一です。貴方の御覧になるところでは、秀才だとか仰しゃってですが……」
「いや、そう言うわけでも無かったです」
「一体、人物はどういう……」
「それは却って母さんなどが御存じだと言うことですが」
「何アに、須磨の日曜学校で一二度会ったことがある位、妻もよく知らんそうですけえ。何でも神戸では多少秀才とか何とか言われた男で、芳は女学院に居る頃から知っておるのでしょうがナ。説教や祈祷などを遣らせると、大人も及ばぬような巧いことを遣りおったそうですけえ」
「それで話が演説調になるのだ、形式的になるのだ、あの厭な上目を使うのは、祈祷をする時の表情だ」と時雄は心の中に合点した。あの厭な表情で若い女を迷わせるのだなと続いて思って厭な気がした。
「それにしても、結局はどうしましょう? 芳子さんを伴れてお帰りになりますか」
「されば……なるたけは連れて帰りたくないと思いますがナ。村に娘を伴れて突然帰ると、どうも際立って面白くありません。私も妻も種々村の慈善事業や名誉職などを遣っておりますけえ、今度のことなどがぱっとしますと、非常に困る場合もあるです……。で、私は、貴方の仰しゃる通り、出来得べくば、男を元の京都に帰して、此処一二年、娘は猶お世話になりたいと存じておりますじゃが……」
「それが好いですな」
 と時雄は言った。

 

 時雄は、父親の言うことに対して、いちいち、「そんなことはないでしょう」とか、「善意に解釈することもできますが」と反論ふうなことを口に出すわけだが、その言葉の裏に自分の思うように穏便に話を進めようとする魂胆が見え透いていてイヤラシイ。

 で、結局は、時雄の思い通りのところに落ちついた。つまり、田中を京都に帰し、芳子は一二年預かるという、まさに時雄の思う壺だったわけである。

 最後の「それが好いですな。」に、時雄の「やった!」という気持ちが手に取るように表れている。ここではもう、「そうはおっしゃっても、少しは二人の気持ちを考えてやってはどうでしょう?」と心にもないことを一応持ちかけてみる余裕もない。この父の言葉を得たからには、あとはこの線で突っ走るしかない。時雄はそう思ったのだ。





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日本近代文学の森へ (70) 田山花袋『蒲団』 17  「真面目」とは何か?

2018-12-12 11:05:18 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (70) 田山花袋『蒲団』 17  「真面目」とは何か?

2018.12.12


 

 東京へ出てきてしまった田中はそのまま帰らない。時雄の煩悶は続く。


 その恋人が東京に居ては、仮令(たとい)自分が芳子をその二階に置いて監督しても、時雄は心を安んずる暇はなかった。二人の相逢うことを妨げることは絶対に不可能である。手紙は無論差留めることは出来ぬし、「今日ちょっと田中に寄って参りますから、一時間遅くなります」と公然と断って行くのをどうこう言う訳には行かなかった。またその男が訪問して来るのを非常に不快に思うけれど、今更それを謝絶することも出来なかった。時雄はいつの間にか、この二人からその恋に対しての「温情の保護者」として認められて了った。


 まあ、マヌケな話ではある。ほんとうに芳子をものにしたい(どうも品のよくない表現ばかりですみません)のなら、むしろ芳子を自分の家になんかおかないで、妻の姉のところもやめて、ぜんぜん関係のないところに下宿でもさせて、自分が通っていけばいい。田中が来るかもしれないけど、自分も乗り込んでいって、追っ払えばいい。ちょうど、鮭が産卵するときに、オスがメスの奪い合いをするようにやればいい。鮭だってそのくらいのことはするんだから、人間にできないことはない。

 鮭と人間と一緒にするなって話かもしれないけど、結局、本質は変わらない。「霊的な恋」なんて、所詮、時雄には無理だし、時雄じゃなくても一般人には無理なのだ。そんなものは、生かじりのキリスト信徒の妄想でしかないのだ。


 野は秋も暮れて木枯の風が立った。裏の森の銀杏樹も黄葉(もみじ)して夕の空を美しく彩った。垣根道には反かえった落葉ががさがさと転がって行く。鵙(もず)の鳴音(なきごえ)がけたたましく聞える。若い二人の恋が愈ゝ(いよいよ)人目に余るようになったのはこの頃であった。時雄は監督上見るに見かねて、芳子を説勧(ときすす)めて、この一伍一什(いちぶしじゅう)を故郷の父母に報ぜしめた。そして時雄もこの恋に関しての長い手紙を芳子の父に寄せた。この場合にも時雄は芳子の感謝の情を十分に贏(か)ち得るように勉めた。時雄は心を欺いて、──悲壮なる犠牲と称して、この「恋の温情なる保護者」となった。


 花袋の得意な風景描写が出て来る。しかし本当はこの描写は不必要だ。木枯らしが立とうが、モズが鳴こうが、そんなことと芳子と田中の恋の行方は関係ないからだ。彼らは彼らなりに燃えたわけで、季節の推移に応じたわけじゃない。けれども、こういう風景や季節の描写をさし込むことで、物語に客観性をもたせようとしたのだろう。演歌の歌詞にも似たような手法が氾濫している。(「さざんかの宿」とか「天城越え」とか、きりがない。)

 とうとう、二人の恋は、その親の知るところとなった。それも、時雄が直接「チクった」のではなくて、「一伍一什(いちぶしじゅう)を故郷の父母に報ぜしめた」、つまり芳子に報告させたのだ。その上で、時雄は「温情なる保護者」として、「長い手紙」を親に書いた。時雄はどこまでも「いい子」でいたいのだ。

 こうなればもう恋の行方は知れている。いくら、時雄が「芳子の感謝の情」を得ようと心を砕いてこの恋を認めてくれるように父親に説得しても、そうはいくまい。あわよくば、二人は別れさせられて、田中は故郷へ戻り、芳子は相変わらず弟子として自分のところにとどまることになるかもしれない。時雄はその可能性に賭けたのかもしれない。

 そんなとき、時雄は仕事の関係で、しばらく上州の方へいく。一時帰宅したときに妻から聞いた話では、芳子の恋は「更に惑溺の度を加えた様子」であるという。あまりに二人が頻繁に往来するので、妻は芳子に注意してそれで口論になったともいう。妻も、「保護者」としてふるまっているわけで、やっぱり時雄の「恋心」を察してはいても、それほど深刻には考えていないのではないかと思われる。時雄の芳子への「激しい恋」は、妻には「想定外」なのだろう。
再び上州へ戻った時雄の元に、芳子からの手紙が届いた。


先生、
まことに、申訳が御座いません。先生の同情ある御恩は決して一生経っても忘るることでなく、今もそのお心を思うと、涙が滴(こぼ)るるのです。
父母はあの通りです。先生があのように仰(おっ)しゃって下すっても、旧風(むかしふう)の頑固(かたくな)で、私共の心を汲んでくれようとも致しませず、泣いて訴えましたけれど、許してくれません。母の手紙を見れば泣かずにはおられませんけれど、少しは私の心も汲んでくれても好いと思います。恋とはこう苦しいものかと今つくづく思い当りました。先生、私は決心致しました。聖書にも女は親に離れて夫に従うと御座います通り、私は田中に従おうと存じます。
田中は未だに生活のたつきを得ませず、準備した金は既に尽き、昨年の暮れは、うらぶれの悲しい生活を送ったので御座います。私はもう見ているに忍びません。国からの補助を受けませんでも、私等は私等二人で出来るまでこの世に生きてみようと思います。先生に御心配を懸けるのは、まことに済みません。監督上、御心配なさるのも御尤(ごもっと)もです。けれど折角先生があのように私等の為めに国の父母をお説き下すったにも係らず、父母は唯無意味に怒ってばかりいて、取合ってくれませんのは、余りと申せば無慈悲です、勘当されても為方が御座いません。堕落々々と申して、殆ど歯(よわい)せぬばかりに(注:「歯す」とは、「仲間として交わる。同列に並びたつ。」の意。ここでは、「堕落した者と同列に扱う」といった意味か。)申しておりますが、私達の恋はそんなに不真面目なもので御座いましょうか。それに、家の門地々々と申しますが、私は恋を父母の都合によって致すような旧式の女でないことは先生もお許し下さるでしょう。
先生、
私は決心致しました。昨日上野図書館で女の見習生が入用だという広告がありましたから、応じてみようと思います。二人して一生懸命に働きましたら、まさかに餓えるようなことも御座いますまい。先生のお家にこうして居ますればこそ、先生にも奥様にも御心配を懸けて済まぬので御座います。どうか先生、私の決心をお許し下さい。
   芳子
   先生 おんもとへ


 要は、もうここまできたら、私は家も親も捨てて、仕事も探して自立して、先生の家を出て、田中と一緒に暮らしていきます、ということだ。それこそが新しい女の生き方だと先生が教えてくれたではありませんか、と言われては、時雄もグーの音もでない。

 時雄は芳子の父への手紙で、二人の恋を認めてやって欲しいと書いたけれど、そんなことを父が認めるわけがないことは知っていたし、「むしろ父母の極力反対することを希望していた」のだ。父親は案の定、猛反対して、勘当するとまで言ってきた。それに対して時雄はひたすら弁明につとめ、是非、東京へ来て、一緒に芳子を説得してほしいと書いてやったのだが、父親はそんなの無駄だといって出てこない。

 そこへ芳子からのこんな手紙だ。


 二人の状態は最早一刻も猶予すべからざるものとなっている。時雄の監督を離れて二人一緒に暮したいという大胆な言葉、その言葉の中には警戒すべき分子の多いのを思った。いや、既に一歩を進めているかも知れぬと思った。又一面にはこれほどその為めに尽力しているのに、その好意を無にして、こういう決心をするとは義理知らず、情知らず、勝手にするが好いとまで激した。


 「警戒すべき分子」というのは、二人が一緒に暮らす以上、そこで二人の恋が「肉の恋」へと発展する可能性ということだろう。いや、可能性どころじゃない。「既に一歩を進めているかも知れぬ」ではないかと時雄は焦る。

 面白いよね。今じゃ考えることすらできない。ここまで来た二人が「できてない」なんてことあり得ないでしょう? ってことになる。しかし、これがまだ「疑惑」の域を出ない、つまりまだ「やってない」ということが本当ではないという証拠もないわけで、そういうことが現代の世の中では絶対にないというわけでもない。

 ただ今の世の中で「やったか、やってないか」なんてことは、あんまり意味がない。そもそも今の世の中に「神聖なる恋」なんて概念がないんだから。当時にしても、「神聖なる恋」なんていったところで、「肉体関係のない恋」という程度の底の浅い概念でしかない以上、ほんとうはそんなことどうでもいいはずなのだ。

 『蒲団』という小説を読んでいて、一番不可解なのは、どうしてここまでそんなことにこだわるのか。女の「貞操」「純潔」「処女」にここまでこだわるのはなぜなのか。いったいどういう文化的・精神的な背景があるのか、ということだ。

 という問題意識がぼくにはあるけれど、時雄の場合は、そんな文化的、精神的な背景などほとんど関係なく、自分の欲望だけが問題となる。


 時雄は土手を歩きながら種々のことを考えた。芳子のことよりは一層痛切に自己の家庭のさびしさということが胸を往来した。三十五六歳の男女の最も味うべき生活の苦痛、事業に対する煩悩、性慾より起る不満足等が凄じい力でその胸を圧迫した。芳子はかれの為めに平凡なる生活の花でもあり又糧でもあった。芳子の美しい力に由って、荒野の如き胸に花咲き、錆び果てた鐘は再び鳴ろうとした。芳子の為めに、復活の活気は新しく鼓吹された。であるのに再び寂寞荒涼たる以前の平凡なる生活にかえらなければならぬとは……。不平よりも、嫉妬よりも、熱い熱い涙がかれの頬を伝った。
 かれは真面目に芳子の恋とその一生とを考えた。二人同棲して後の倦怠、疲労、冷酷を自己の経験に照らしてみた。そして一たび男子に身を任せて後の女子の境遇の憐むべきを思い遣った。自然の最奥に秘める暗黒なる力に対する厭世の情は今彼の胸を簇々(むらむら)として襲った。


 芳子が家を出ていってしまう、ということがもたらすのは「寂寞荒涼たる以前の平凡なる生活」であり、それが辛いということらしい。その辛さが嫉妬より大きく、それがために「熱い熱い涙がかれの頬を伝った」のだそうだ。笑止千万である。「嫉妬に狂った」っていえばすむことじゃないか。その方がまだ分かるし、共感できる。たとえ人の道に反していようと、そういう恋だってある。

 更にいけないのは、「真面目に芳子の恋とその一生を考えた」ことだ。それこそ余計なお世話じゃないか。「自己の経験に照らして」みればなんでも分かるというもんじゃない。挙げ句の果てに出て来る「自然の最奥に秘める暗黒なる力に対する厭世の情」とはいったい何なのか? たぶんどこか外国の小説にでてきた概念をそこに持ちだしているだけの話だろう。

 「真面目に」とあるが、それは、オレは自分のことだけを考えているわけじゃない、芳子の人生についても「真面目に」考えてやっているのだということだろうが、こういうのは「真面目」とはいわない。芳子がどうなろうとオレの知ったことか、と突き放すことのほうが、余程「真面目」である。「真面目」が「誠実」とほぼ道義であるとすれば、他者に対する「真面目さ」とは、他者を自分の価値観や感情で軽々しく判断しない、ということだからだ。






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