日本近代文学の森へ (73) 田山花袋『蒲団』 20 動かぬ証拠
2018.12.21
一室は父親と時雄と二人になった。
「どうも煮えきらない男ですわい」と父親はそれとなく言った。
「どうも形式的で、甚だ要領を得んです。もう少し打明けて、ざっくばらんに話してくれると好いですけれど……」
「どうも中国の人間はそうは行かんですけえ、人物が小さくって、小細工で、すぐ人の股を潜(くぐ)ろうとするですわい。関東から東北の人はまるで違うですがナア。悪いのは悪い、好いのは好いと、真情を吐露して了うけえ、好いですけどもナ。どうもいかん。小細工で、小理窟で、めそめそ泣きおった……」
「どうもそういうところがありますナ」
「見ていさっしゃい、明日きっと快諾しゃあせんけえ、何のかのと理窟をつけて、帰るまいとするけえ」
時雄の胸に、ふと二人の関係に就いての疑惑が起った。男の烈しい主張と芳子を己が所有とする権利があるような態度とは、時雄にこの疑惑を起さしむるの動機となったのである。
「で、二人の間の関係をどう御観察なすったです」
時雄は父親に問うた。
「そうですな。関係があると思わんけりゃなりますまい」
「今の際、確めておく必要があると思うですが、芳子さんに、嵯峨行の弁解をさせましょうか。今度の恋は嵯峨行の後に始めて感じたことだと言うてましたから、その証拠になる手紙があるでしょうから」
「まア、其処までせんでも……」
父親は関係を信じつつもその事実となるのを恐れるらしい。
運悪く其処に芳子は茶を運んで来た。
時雄は呼留めて、その証拠になる手紙があるだろう、その身の潔白を証する為めに、その前後の手紙を見せ給えと迫った。
これを聞いた芳子の顔は俄かに赧(あか)くなった。さも困ったという風が歴々(ありあり)として顔と態度とに顕われた。
「あの頃の手紙はこの間皆な焼いて了いましたから」その声は低かった。
「焼いた?」
「ええ」
芳子は顔を俛(た)れた。
「焼いた? そんなことは無いでしょう」
芳子の顔は愈ゝ(いよいよ)赧くなった。時雄は激さざるを得なかった。事実は恐しい力でかれの胸を刺した。
時雄は立って厠に行った。胸は苛々して、頭脳(あたま)は眩惑するように感じた。欺かれたという念が烈しく心頭を衝いて起った。厠を出ると、其処に──障子の外に、芳子はおどおどした様子で立っている。
「先生──本当に、私は焼いて了ったのですから」
「うそをお言いなさい」と、時雄は叱るように言って、障子を烈しく閉めて室内に入った。
「中国の人間」というのは、もちろん中国地方の人間ということで、この場合は山口県だが、「関西人」と「関東人」の相違なのだろうか。まあ、江戸っ子が、さっぱりしてるということはよく言われるけど、事実かどうかわかりはしない。
「小細工で、小理窟で、めそめそ泣きおった……」というふうに田中を批判するのも、なんだか可愛そうだ。田中には、芳子への一途な思いがあるだけで、「小細工」も「小理屈」もないとぼくは思うのだが。昔から、日本人は目上の者に反抗すると、「理屈を言うな!」っていって抑えられてきたような気がする。幼いころから、そう言われ続けてくれば、日本人の中に「論理的思考力」が育たないのも無理はないわけだ。今さら文科省がしゃしゃり出て、「論的思考力をつけさせろ」なんて言っても遅いのだ。
権威とか権力とかいうのは、理不尽な力だから、それに対抗するには「論理」しかない。けれども、権威・権力の側は、「論理」的に振る舞うわけではなく、ただ「従え」と命令するだけだから、「論理的」に負けていると感じたとき、その「論理」を「小理屈」という言葉に変換して否定しようとする。「小理屈を言うな!」「そんなのは屁理屈だ!」と言われたら、じゃあ、何を言えばいいのですか? って言い返せばいい。結局「ガタガタ言わずにオレに従えばいいんだ。」てな言葉しか返ってこないだろう。
それはそれとして、ここでの問題は、時雄の言い出した「確かめておく必要」だ。以前から顔馴染みだった田中と芳子が急速に恋仲になったのは「嵯峨行」以後だから、その「嵯峨」で、きっと「何か」があったに違いない。それを確かめよう、というのである。「その証拠になる手紙」があるだろうと時雄はいうのだが、そんな手紙を書くものだろうか。
父親は、そこまでしなくてもいいじゃないかと消極的なのは、「関係を信じつつもその事実となるのを恐れるらしい」と書かれているけれど、むしろ娘をあんまり追い詰めたくないという親心だろう。肉体関係があるに違いないと思っている父親にしてみれば、そのこと自体を責め立てる気持ちはないわけだ。責めてみてもしょうがない。そんなことを責めて、娘を苦しませるのは可愛そうだと、親ならそう思って当然だ。けれども、時雄はまったく違う。それこそが時雄にとっての「大事」なのだ。
以前から、時雄は、芳子のところに来る田中の手紙を盗み見ては、「性的交渉」の証拠がそこにないか探していたのだが、いったいどういう「証拠」がありうるのか不思議だ。「あなたと結ばれて、私は幸せでした。」「もう一度会って、再び結ばれたいです。」みたいな文句を書くのだろうか。よく分からないが、まあ、そういうことがあったと推測されるようなちょっとした「表現」が、その「証拠」となるというのだろう。
それで、時雄は、芳子に、「その証拠になる手紙があるだろう、その身の潔白を証する為めに、その前後の手紙を見せ給えと迫った。」わけだが、この場合の「その証拠になる手紙」というのは、「身の潔白の証拠となる手紙」であるわけで、これはこれでむずかしい。何かをした証拠ならいくらでもあるだろうけど、何かをしなかった証拠って、そもそもあるんだろうか。
「ホテルに一緒に泊まった証拠」なら、その日付けのあるホテルのレシートなんかが考えられる。けれども、「ホテルに一緒に泊まらなかった証拠」なんて、それこそ膨大な「アリバイ」を必要とするだろう。
だから「その前後の手紙」を見せろというのだ。「その前」と「その後」を比べれば、分かるということらしいが、分かるものだろうかと、読解力に欠けるぼくなんかは思うけれど、時雄には自信があるらしい。
ところが、芳子は、顔を赤くして、低い声で、そんな手紙は全部焼いてしまったと言う。「焼いたはずはない」と時雄は激高する。大事な恋人の手紙を、それもまだ現在進行形の恋のさなかに、焼いてしまうはずはない、という時雄の思いは十分に納得できる。この芳子の返事とその時の態度が、「動かぬ証拠」となったのだ。