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一日一書 1509 下京を廻りて炬燵行脚かな・内藤丈草

2018-12-07 15:21:22 | 一日一書

 

内藤丈草

 

下京を廻りて炬燵行脚かな

 

ハガキ

 

葦ペン

 

 

【句解】

せめては近くの下京あたりまで出かけ

知友をたずねまわって炬燵のふるまいにあずかり

旅心を味わってみたい。

 

 

丈草は病弱のため諸国遍歴などは断念し

草庵に籠居することが多かったが、

自由な旅の楽しさをうらやむ気持ちもあったのである。

 

(『日本古典文学全集72 近世俳句集』)による

 

 

 

 

 

 


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一日一書 1508 鷹の目の枯野に居るあらしかな・内藤丈草

2018-12-06 10:41:55 | 一日一書

 

内藤丈草

 

鷹の目の枯野に居(すわ)るあらしかな

 

ハガキ

 

葦ペン

 

 

【句解】

冬枯れの野に鷹匠の小手に据えられた鷹は、

獲物をねらって精悍な目を光らせている。

おりから吹きすぎる風にその羽毛は逆立つばかりだ。

(『日本古典文学全集72 近世俳句集』)

 

 

季語は「彼野」で冬。

 

これが「鷹狩り」の句だと知らないと

まったく違った情景が浮かんでしまいます。

【句解】の「おりから吹きすぎる風にその羽毛は逆立つばかりだ。」という鑑賞も

筆者の想像力によって生み出されたイメージ。

「鷹狩り」の様子を知らないと、それでもイメージが湧きにくいかもしれません。

 

 

これは、ハガキに、葦の枯れた茎を

バラバラにしたもので書いてみました。

いちおう「葦ペン」といってますが

ペンとはいえません。

自作です。

墨をためないし、ふにゃふにゃして書きにくいったらありゃしない。

それを、あえて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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一日一書 1507 淋しさの底ぬけて降るみぞれかな・内藤丈草

2018-12-05 17:16:19 | 一日一書

 

内藤丈草(1662〜1704)

 

淋しさの底ぬけて降るみぞれかな

 

ハガキ

 

爪楊枝

 

【句意】

草庵に一人でいると、暗い空からみぞれが果てしなく降ってくる。

そのきりもなく降りつづくみぞれの音を聞いていると、

自分の寂しさも際限もなく、耐えがたく、底知れぬ思いにとらわれる。


(『日本古典文学全集72 近世俳句集』)

 

 

内藤丈草は、芭蕉の弟子のひとり。芭蕉没後、喪に服すること3年。

その後、龍ヶ岡(膳所の近傍)に仏幻庵を結び、孤高の生涯を終えたそうです。

この句も、その仏幻庵での吟。

 

 

際限もなく降りしきり「みぞれ」と聞くと、すぐに、宮沢賢治の「無声慟哭」を思い出します。

みぞれには、雪とはまた違った、「寂しさ」があるのでしょう。

 

 


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日本近代文学の森へ (68) 田山花袋『蒲団』 15  ハガキと手紙

2018-12-05 15:23:18 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (68) 田山花袋『蒲団』 15  ハガキと手紙

2018.12.5


 

 芳子の恋人は、とにかく故郷へ帰ったので、時雄の気持ちもだいぶおさまり、女房のほうでもすっかり安心して、平和な生活がしばらく続いたのだが、恋人たちの手紙のやりとりは頻繁である。あまりにぶ厚い手紙だったりすると、時雄は気になって、こっそり盗み読んだりする。とんでもない「師」である。


 空想から空想、その空想はいつか長い手紙となって京都に行った。京都からも殆ど隔日のように厚い厚い封書が届いた。書いても書いても尽くされぬ二人の情──余りその文通の頻繁なのに時雄は芳子の不在を窺って、監督という口実の下にその良心を抑えて、こっそり机の抽出(ひきだし)やら文箱(ふばこ)やらをさがした。捜し出した二三通の男の手紙を走り読みに読んだ。
 恋人のするような甘ったるい言葉は到る処に満ちていた。けれど時雄はそれ以上にある秘密を捜し出そうと苦心した。接吻の痕、性慾の痕が何処かに顕われておりはせぬか。神聖なる恋以上に二人の間は進歩しておりはせぬか、けれど手紙にも解らぬのは恋のまことの消息であった。


 時雄の関心は、二人の恋の行方というよりも、二人がどこまで肉体的な交渉をもったかという、まことにゲスな好奇心であり、それは好奇心というレベルを超えて、もうそれだけは絶対に許さないという、「師としての使命感」の様相を呈するのだ。

 そんなある日、衝撃的な「端書(ハガキ)」が届く。


 ところが、ある日、時雄は芳子に宛てた一通の端書を受取った。英語で書いてある端書であった。何気なく読むと、一月ほどの生活費は準備して行く、あとは東京で衣食の職業が見附かるかどうかという意味、京都田中としてあった。時雄は胸を轟かした。平和は一時にして破れた。
 晩餐後、芳子はその事を問われたのである。
 芳子は困ったという風で、「先生、本当に困って了ったんですの。田中が東京に出て来ると云うのですもの、私は二度、三度まで止めて遣ったんですけれど、何だか、宗教に従事して、虚偽に生活してることが、今度の動機で、すっかり厭になって了ったとか何とかで、どうしても東京に出て来るッて言うんですよ」
「東京に来て、何をするつもりなんだ?」
「文学を遣りたいと──」
「文学? 文学ッて、何だ。小説を書こうと言うのか」
「え、そうでしょう……」
「馬鹿な!」
 と時雄は一喝した。
「本当に困って了うんですの」
「貴嬢(あなた)はそんなことを勧めたんじゃないか」
「いいえ」と烈しく首を振って、「私はそんなこと……私は今の場合困るから、せめて同志社だけでも卒業してくれッて、この間初めに申して来た時に達(た)って止めて遣ったんですけれど……もうすっかり独断でそうして了ったんですッて。今更取かえしがつかぬようになって了ったんですッて」
「どうして?」
「神戸の信者で、神戸の教会の為めに、田中に学資を出してくれている神津という人があるのですの。その人に、田中が宗教は自分には出来ぬから、将来文学で立とうと思う。どうか東京に出してくれと言って遣ったんですの。すると大層怒って、それならもう構わぬ、勝手にしろと言われて、すっかり支度をしてしまったんですって、本当に困って了いますの」
「馬鹿な!」
 と言ったが、「今一度留めて遣んなさい。小説で立とうなんて思ったッて、とても駄目だ、全く空想だ、空想の極端だ。それに、田中が此方(こっち)に出て来ていては、貴嬢の監督上、私が非常に困る。貴嬢の世話も出来んようになるから、厳しく止めて遣んなさい!」
 芳子は愈ゝ(いよいよ)困ったという風で、「止めてはやりますけれど、手紙が行違いになるかも知れませんから」
「行違い? それじゃもう来るのか」
 時雄は眼をみはった。
「今来た手紙に、もう手紙をよこしてくれても行違いになるからと言ってよこしたんですから」
「今来た手紙ッて、さっきの端書の又後に来たのか」
 芳子は点頭(うなず)いた。
「困ったね。だから若い空想家は駄目だと言うんだ」
 平和は再び攪乱(かきみだ)さるることとなった。


 この時雄と芳子のやりとりを読んでいると、思わず笑ってしまう。時雄の言葉はどこまでもマジメでユーモアの欠片すらないのに、可笑しい。マジメな人が、マジメに怒ると、どこかにおかしさが生じるものだ。

 時雄がなんでマジメなんだ? イヤラシさ満載のフマジメまオッサンじゃないかと思う方も多いと思うが、時雄は決してちゃらんぽらんな男ではない。妄想は「フマジメ」な方へ広がるが、その妄想に対して厳格なほどマジメなのだ。吉田精一の言葉を借りて言うなら

 「あくまで自己に正直」なのだ。正直すぎて、自己矛盾に気づくいとまもないわけだ。

 女弟子の恋人田中が、文学をやりたいと言っていると聞いて、時雄は、真っ向から反対する。田中がどんな文章を書き、どんな人間なのかも知らないのに、頭から反対だ。「とても駄目だ。」「全く空想だ。」「空想の極端だ。」と叫び散らす。まあ、自分の小説がまったく駄目で困っているわけだから、気持ちは分かるけれど、二人まとめて文学の方も指導してやればいいじゃんって、意地悪く思ったりもする。

 時雄の本音はもちろん、芳子を独占したいということだけだ。「田中が此方に出て来ていては、貴嬢の監督上、私が非常に困る。貴嬢の世話も出来んようになる」というのも結局は建前で、田中に芳子をとられてしまうのが嫌なだけだ、ということがみえみえで、ほんとうに「自己に正直」なんだなあと感心してしまう。

 それよりも、おもしろいのは、ハガキと手紙だ。田中はなぜハガキで、しかも英語で、そんなことを書いてきたのだろう。ハガキなんかに書いたら時雄の目に入ることはしれたこと。田中は時雄の気持ちはまったく知らないのだから、それはいいとしても、それならなぜ英語で書くのか。ただキザなだけなのだろうか。よく分からない。

 そのハガキを見て、時雄は驚愕する。せっかく田舎に帰ったのに、また来るのか! ジャマなやろうだ。時雄は必死で芳子に、こっちへ来るを阻止せよと言うのだが、手紙を出しても、「行き違い」になるかもしれないと「言ってよこした」という。時雄はその言葉に混乱する。いつそんなことを「言ってよこした」のか。ハガキにはそんなことは書いてなかった、と思うのだ。すると、「今来た手紙」にそう書いてあったという。「今来た手紙ッて、さっきの端書の又後に来たのか」という時雄の言葉にも笑ってしまう。ハガキを出した直後にすぐに手紙を書いた田中という男も、よほど切羽詰まったのかもしれないが、そういうハガキだの手紙だのが、ランダムに届くという状況は、当時は当然のことだが、今の「通信事情」を考えると、ほんとうに隔世の感がある。ほとんど別世界だ。そしてこの「情報の混乱」が、そのまま時雄の心の混乱につながっているようで、おもしろい。

 そういえば、『泡鳴五部作』でも、「お鳥」が北海道へやってくるという知らせを受けて、彼女がどこにいるのか、どうしたら連絡できるのかで、すったもんだするところがあった。そこにもいらだたしい混乱があった。やっぱり、「携帯電話」は、世界を変えたんだなあとしみじみしてしまう。





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日本近代文学の森へ (67) 田山花袋『蒲団』 14  「考えない人」

2018-12-03 16:53:03 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (67) 田山花袋『蒲団』 14  「考えない人」

2018.12.3


 

 ここで、ちょっと本文を外れて、吉田精一の文章を紹介しておきたい。『田舎教師』のときも、この一部を引用したが、実に正確に花袋の文学の本質をついている。


 ルソオはその「懺悔録」の冒頭に云ふ。

 私のやらうとしてゐるのは、嘗て先例のないことで、これからも恐らく真似手があるまい。それは人間ひとり素裸にして世間の人達の目の前に晒者にしようといふのだ。さうしてその人間が私自身なのである。(略)いつの日、最後の審判の喇叭が鳴り渡るとも、私はこの一冊を携へて、審判者なる神の前に出で、高らかに声を挙げて云はうと思ふ。──斯く予は為しき、斯く予はありき。……虚妄と知りしものを、真実となしたることは断じてあらず、時には低劣下賤なる人間として、時には善良なる、寛大なる人間として、ありまゝに自らを曝露せり。……

 ルソオはわが国の文学にも強い影響を及ぼした。ことに藤村や花袋にそれが強い。自我の告白と懺悔、そこにひそむ倫理的要求は、他の誰よりもこの二人のものであった。藤村は「藤村詩集」の一巻に、その主観の跳梁と、感傷を流し棄てて散文に立ち向かひ、やや客観的な姿勢をとったが、花袋は空想と感傷のうちに溺れつつ、自己と個性に執着しつづけた。彼は自我を客観的に形象化し得ぬロマンチックな詩人的小説家として出発した。しかし誰はばからぬその感傷の露出は、紅葉等硯友社になく、二葉亭になく、風葉、天外等にないものであった。時代の波に動かされながら、外国文学通と呼ばれながら、常に彼は自我の観照と詠歎から離れ得なかった。彼の自我は貧しく、常に肥え太らなかった。想像力は貧弱で、情熱も強くない。文学的才能として凡ての点でルソオに劣りながら、自然に対する親しみと愛のみは近いものがあった。むしろ彼はロマンチックな風景詩人だった。この花袋の本然の傾向は、硯友社文学のアンチテーゼであった。不自然と作為を脱して、素朴と自然なものを求める彼の本来の志向は、必然的に有限な世相や社会を越えて、永遠なるもの、無限なるものにあこがれた。それらは冷酷な現実には見出されず、つねに期待のうちにしか存在しないところから、結果として、憂鬱と感傷の中にかきくれざるをえない。花袋初期の作風の基調は、一言でいへばここに存するのである。
 彼は「考へるより先ず感じ」る作家であり、感じなければ考へない人だった。このことが彼を、あくまで自己に正直な、自己の問題しか興味をもち得ない、主観的詩人的作家にした。それは彼のスケールを小さくし、又彼を千篇一律な主観詩人とした。たまたま外国作家や作品からフィクションをかりると、それはとってつけたやうな主題とはなればなれのものとなり、その不器用さを現したのである。にも係はらず、この自我に執する個人主観的態度は、その中につくりものの客観的描写にない、誠実さと主観的真実を含んでいたのである。それはロマンチック・レアリズムともいふべきものだった。自我をつきはなしそれを分析しえない彼に批判は弱く、告白があるばかりだった。


(吉田精一『自然主義の研究』)


 これを簡単にいえば、花袋は、才能も想像力もない凡庸な作家で、そのうえ、思考能力にも欠ける人だったが、自分が感じたことだけは無類の正直さで書いた。そしてそこになかなか他の文学作品にはない真実があったのだ、ということになろう。

 「感じなければ考えない」というのは、言い得て妙で、つまりは、「ほとんど考えない」ということだ。だって「考えるよりは先ず感じる」人なんだから、「感じる」ことが常に「考える」ことに優先する。とすれば、「考える」ひまなんてないわけである。

 もちろん、まったく考えないなどということはないだろうけど、「考え」は、「感じ」にいつも負けるし、その結果いつのまにか、考えることを忘れている、というわけだ。

 これを『蒲団』にあてはめてみれば、心ゆくまで納得される。時雄にとっては、すべての場面で「感じる」ことが優先されてしまう。自分が「感じたこと」、それを時雄は「事実」と呼び、「事実なんだからしょうがない」として「考える」ことを放棄してしまうのある。

 吉田精一もいうように、「自己の問題にしか興味をもち得ない」から、妻の嘆きとか、弟子の芳子の困惑とか、芳子の恋人の苦悩など、「描写」はするけれど、その中に入り込むことはできない。「想像力が貧弱」だからである。

 それが自分のこととなると、もうやたらに精密だ。微に入り細に入り、重箱の隅をつつくような執拗さで、自分の「感じたこと」を書き尽くしている。

 前回の、引っ越しの場面で、芳子の蒲団をしまうとき、そこに「女の移り香」を嗅いで、「変な気になった」なんてところは、普通は書かない。「変な気になる」ことは、誰にもあってもおかしくないし、それほど「変態的」なことでもない。ただ、そのときの「感じ」を、しつこく覚えていて、それがラストになって、思い出され、具体的な行為に及ぶとなると、その「感じ方」は尋常なものではない。自分の「感じたこと」への執着がやはり異常に強く、「そんな恥ずかしいことは、やっぱり隠しておこう。」と「考える」ことがない。

 仮にも弟子としてとった女に、若い恋人ができたからといって、狂ったように酒に溺れて暴れ、弟子を執拗に問い詰めるなどという「大人げない」始末になってしまうことの「恥ずかしさ」「面目なさ」を、時雄は「考える」ことができない。恥ずかしい、面目ないと思ってはいるのだろうが、いつも、「感じたこと=事実」に負けてしまうのだ。

 吉田のいう「ロマンチック・レアリズム」というのは、「涙に濡れたレアリズム」ってことだろうか。レアリズムというからには、冷静に現実を見つめ、その本質をえぐり出さなければならない。けれども、そうしようと思いつつ、いつも泣いているから──つまり感傷から自由になれないから──現実がちゃんと見えない。ちゃんと見えないから分析もできない。つまりは、そんなのはぜんぜんレアリズムじゃないのだ。時雄の叫ぶ「事実」が、「事実」でもなんでもないのと同じように、「ロマンチック」じゃ、リアルになれない、ってことだ。それをあえて「ロマンチック・レアリズム」と言ってみせる吉田精一も、お茶目な人だ。

 それにしても、吉田精一のいうとおり、花袋が「考えない人」だったとしても、それを難詰したり嘲笑したりすることはどうもぼくにはできない。それというのも、ぼくもまた「考えるへるより先ず感じる」人間であり、「感じなければ考えない」人間であるからだ。そればかりか、自我が弱いとか、想像力が貧困だとか、文学的才能に劣るとか、なんだか全部ぼくのことを言われているような気になる。自然に対する愛と親しみはルソオに近い(まあ、ぼくの場合はそれすら中途半端だが)というところまで似ている。だから、花袋のことを考えることは、必然的に己を反省することにもなるのである。





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