夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2020年 3月 7日(土)「新型肺炎と子供の健康、校庭開放と給食」

2020年03月07日 21時49分35秒 | コロナウイルス 
突然の学校の休校から1週間、活発な子供たちもそうは家の中に閉じこもっているわけにはいかないでしょう。家の中に閉じ込めておくことが子供たちの健康のためにどうでしょうか。
ある地域では公園で体を動かす子供たちを見た住民が外遊びは休校の趣旨に反すると学校に住民の声が寄せられ学校も保護者に注意を促してしまったようです。
「住民の声だから」というのは一つの圧力や時には暴力になります。一方的な声を取り上げてその言葉に学校までが従ってしまうことは危険です。そもそも「住民の声」といっても一方的な声に過ぎません。そして「住民の声」が天下の方等のごとく利用されてします。しかし住民の声というのは、「外遊びが休校の趣旨に反する」という意見に対してほかの住民からの意見を聞き取ってこそ話し合いになるのであって、そこから白か黒かではない発展的な考え方を導きながら答えを出さねばならないはずです。その学校は一方的な意見だけを受け入れて一方的に保護者に注意を促してしまったという流れでしょう。
学校にとっては逆らえないような住民の声だったのかもしれないと憶測してしまいますが、それでも学校は保護者の意見も聞くべきです。そして大きな声を出したほうが勝ちといった反民主主義を克服すべきでしょう。
これは子供たちの健康にも大きな影響を及ぼします。
大人社会でも毎日生活していればいろいろな人との交わりがあります。そこで感染の危険があるわけですが、注意しながらも人と人との交わりがなければ社会は維持されません。子供たちも同じです。子供同士の交わりは大切なんです。もちろん国による休校によって行き場のない子供たちが繁華街へ出て行ったりというのは感染の危険が増しますが、公園や学校の校庭でおしゃべりしたり体を動かすことは子供たちの心身ともに健康のために必要なんです。休校の趣旨やらウイルスの危険性という狭い視野で子供たちを押し込めては子供たちの健康を守れないでしょう。生き生きした子供の姿をなくすような住民の声に対しては以上のような視点からもう一度考え直してもらいたい。
教室という密閉された空間と校庭の空間には違いがあります。
校庭開放などが必要で、密接な接触を避けながら給食でも食べさせるべきです。
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池に浮かぶ月775【3月 7日】

2020年03月07日 18時26分51秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は洗濯洗剤がいらないという「ベビー・まぐまぐ」を使ってみました。
部屋干し臭もしなくなるような?
そろそろ取り換えておかなくてはいけない時期が過ぎています。
合成洗剤は使いたくない。けれど石鹸洗剤では。。。。。
ということでベビーまぐまぐちゃんを石鹸洗剤と併用しています。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「3月 7日という日」
【2019年】ツイッターつぶやき東京は3日として晴れが続きません。これから春雷がやってくるという予報も。一雨ごとに本格的な春になりますね。梅雨時というほどではありませんが雨が......
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