予備校にいたa先生も、酔って暴れる父親を止めようとする人が居なかったり、
a先生をかばう人が居なかったりしたので、善悪の区別もあまり身につかないまま、
そのまま受験勉強をし、暗記で大学に入った結果、「ああ言えばこう言う」という形でしか、
自分の守り方を身に付けられなかったのかもしれない。
a先生は知識量は多いようだったが、近くの席の生徒は「幼稚だ」と感想を言っていた。
「ああ言えばこう言う」というやり方には、誠意が感じられなかったからだろう。
予備校にいたa先生も、酔って暴れる父親を止めようとする人が居なかったり、
a先生をかばう人が居なかったりしたので、善悪の区別もあまり身につかないまま、
そのまま受験勉強をし、暗記で大学に入った結果、「ああ言えばこう言う」という形でしか、
自分の守り方を身に付けられなかったのかもしれない。
a先生は知識量は多いようだったが、近くの席の生徒は「幼稚だ」と感想を言っていた。
「ああ言えばこう言う」というやり方には、誠意が感じられなかったからだろう。
著者のあらいぴろよさんの家庭での父親からの虐待の体験を描いたコミックです。
この漫画でも、様々なDVを扱った書籍でも、酔って暴れたり家族に暴力を振るう父親と、
それに耐えながら子供をかばう母親が描かれていますが、夫への恐怖から夫に味方したり、
経済的に自分で暮らしていけないので夫に味方して、夫とともに子供を責めたりする母親を描いたものはあまり無いようです。
両親とも自分を責めたり虐待していると、反論したり話し合うことが困難なので、
言葉の発達や思考の発達が遅れ、一般的なDV家庭の子供より困難なことになるのでしょう。
発達障害や知的障害の方の一部には、その様な家庭で育った人がいるのだと思います。
先天的な問題が小さくても、その様な家庭で育つと一方的に責められるのみで、
言葉と思考の発達が進展しないのでしょうが、その様な事に関する研究は
未だそれほど無いようです。
'85年の米国のジョージア州を舞台にした動物パニック映画です。
日本でも何かとクマによる被害が報じられていることもあり、観てみました。
【あらすじ】
'85年の米国で、小型飛行機からコカインを投下した密売人が、自らはパラシュートによる降下に失敗して
転落死し、コカインの小包が多数、森林地帯に落ちたままになり、それをめぐりクマと
ギャングと登山者などがドタバタ劇を繰り広げます。
【感想】
クマの映画なので、グロシーンもありますが、ちゃちに作られているので、それほどショッキングな
描写ではありませんでした。
物語の展開はまあこんな物だろうと感じで、無難に作られていました。
動物パニック映画というよりも、アクション・コメディ映画です。
【9.29(金)全国公開】映画『コカイン・ベア』本予告
a先生が授業中に言っていたことによると、兄の方は父親に反発して、
ドアをバンと閉めたりしていたが、それを見ていたa先生の方は、
「あんな事をしても何も変わらないのに」と思い見ていたそうだ。
酔って暴れる父親に対する怒りや反感も感じないくらい自分というものが成り立っていなかったのか、
諦めていたのかは解らないが、怒りや反感も感じなくなるほどの状態は、
反発する兄より大変だったのだろう。
とりあえず学校の勉強などをして現状をやり過ごそうという、ある種の麻痺状態だったのだろう。
そのようなあり方は親などに対して、言いなりになっている状態なのだろう。
『自閉症だった私へ』(ドナ・ウイリアムズ)の中で、ドナはアルコール依存症の男に
あちこち連れ回されていた時のことを書いていますが、身近なことへの怒りや反感を感じたり、
それを表現することに困難があると、自分の置かれた状況から抜け出しにくくなるのでしょう。
ドナの場合はソーシャルワーカーか何かの人にとりあえず脱出することを勧められ、
その男の元を去りますが、その様なアドバイスをしてくれる人がいなかったり、
出ていく先が無かったり、取り敢えず暮らすのに必要なお金がないと、その状況から抜け出せず、
更に困難なことになったのでしょう。
予備校に行っていたときに、いろいろ教えるのが上手いというa先生がいて、
様々な人文系の知識があるようだった。
しかしながら、世間一般では自分の恥になるようなことを生徒の前で普通に話していた。
そのa先生は自分の父親がお酒に酔って暴れる人だったと言っていたので、学校などで色々なことを学んでも、
世間一般で言われるような道徳や、男性ならこうすべき、などの価値観について、生育過程の
日常の中で身につけることがなかったのだろう。
どうやって日常を過ごしていたのかは想像できないが、それでも妻子がいたので、それなりに相手をする
人たちが周囲にいたのだろう。
当時は左翼の人などもある程度残っていたので、地に足がつかない知識を披露しても、
それなりに尊重されたのだろう。
地に足がつかない価値観や議論をいじくっている人が結構いたので、ソ連と組めるかもなどと考える人も
ある程度いたのだろう。