予備校に行っていたときに、いろいろ教えるのが上手いというa先生がいて、
様々な人文系の知識があるようだった。
しかしながら、世間一般では自分の恥になるようなことを生徒の前で普通に話していた。
そのa先生は自分の父親がお酒に酔って暴れる人だったと言っていたので、学校などで色々なことを学んでも、
世間一般で言われるような道徳や、男性ならこうすべき、などの価値観について、生育過程の
日常の中で身につけることがなかったのだろう。
どうやって日常を過ごしていたのかは想像できないが、それでも妻子がいたので、それなりに相手をする
人たちが周囲にいたのだろう。
当時は左翼の人などもある程度残っていたので、地に足がつかない知識を披露しても、
それなりに尊重されたのだろう。
地に足がつかない価値観や議論をいじくっている人が結構いたので、ソ連と組めるかもなどと考える人も
ある程度いたのだろう。