マチンガのノート

読書、映画の感想など  

予備校にいたa先生について。

2023-11-13 22:23:46 | 日記

予備校に行っていたときに、いろいろ教えるのが上手いというa先生がいて、

様々な人文系の知識があるようだった。

しかしながら、世間一般では自分の恥になるようなことを生徒の前で普通に話していた。

そのa先生は自分の父親がお酒に酔って暴れる人だったと言っていたので、学校などで色々なことを学んでも、

世間一般で言われるような道徳や、男性ならこうすべき、などの価値観について、生育過程の

日常の中で身につけることがなかったのだろう。

どうやって日常を過ごしていたのかは想像できないが、それでも妻子がいたので、それなりに相手をする

人たちが周囲にいたのだろう。

当時は左翼の人などもある程度残っていたので、地に足がつかない知識を披露しても、

それなりに尊重されたのだろう。

地に足がつかない価値観や議論をいじくっている人が結構いたので、ソ連と組めるかもなどと考える人も

ある程度いたのだろう。

 

 

書籍詳細 - 魂と暴力 - 創元社

日本ユング心理学会(AJAJ)のジャーナル「ユング心理学研究」第3巻。今回は、霊長類学者でゴリラ研究の権威である山極寿一が「暴力の由来」という演題で、人間とその他の...

創元社

 

 

 

 


近代と個別の人格について。

2023-11-13 00:46:35 | 日記

近代になるまで、自分の個別の部屋を持ちそこで一人で眠ったり、排泄は周囲から区切られた特定の場所でしたり、

食事の際には自分の皿があったりなど、周囲から区切られた自分というものを持つ事を支える(ギブソン流に言うと

アフォードする)様々な生活習慣自体がなかったので、それまでの人は周囲とは異なる自己というものを

持っていなかったのだろう。

社会の中で周囲とは異なる自己というものを持つ人が出てきた頃に、デカルトが「我思う故に我あり」と

言うことを書いたので、周囲に影響を与え、それが普通と見なされるようになったのだろう。

時代物の映画やドラマを観ると、昔の人でもそれぞれ独立した人格を持っているように描かれるので、

昔から人はそれぞれ独自の人格を持って行動していたような先入観をもっているが、

実際は人のあり方は現代とかなり違っていたのだろう。

日本の場合、ヨーロッパのような近代化の過程を経ていないので、周囲と違う個別の人格と

言うものが生じてきたのは、かなり後からなのだろう。