今日は、漢中の漢台を始めます。
漢江は、漢中市の西端に源を発し、漢中市街地の南を流れ、湖北省襄樊(じょうはん)を通り、漢口(かんこう)と漢陽(かんよう)の間を流れ、長江に合流します。武漢は、武昌(ぶしょう)の「武」と漢口と漢陽の「漢」の合成地名ですが、その「漢」は漢江から来ており、漢江の源は漢中市にあるということです。このように「漢」の字は、漢中一帯と深い関係があります。この地一帯が漢と呼ばれ、その中心という意味で漢中と呼ばれたのではないかと思います。漢中は、咸陽、西安と隣接していますが、漢中は漢江の水系であり、咸陽、西安はイ(三水+胃)水(イ河)の水系で、その間には秦嶺山脈(しんれいさんみゃく)があります。
劉邦が、秦滅亡の後興した王朝を「漢」と名乗ったのは、漢中と深い関係があると思います。劉邦は江蘇省北部のハイ(三水+市)県の生まれで、元々漢中とは縁故はありませんが、この地に封じられたことがあり、漢王を名乗ったことがあるようです。
漢台は、劉邦が漢王であった時代の宮殿跡と言われますが、その後はこの漢中一帯を治める政府の役所として使われたようです。現在の漢台がいつ出来たのか定かではありませんが、今は漢中博物館として使われています。本来は、南側に正門があるはずですが、現在は南側は閉鎖されており、北側の門が漢台の出入り口となっています。
まず最初は、北門入ったところにある望江楼です。北側から撮っているので、裏側です。「江」は漢中では「漢江」を指します。漢中の南側に漢江があるので、南側に漢江を望めるという訳です。
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漢江は、漢中市の西端に源を発し、漢中市街地の南を流れ、湖北省襄樊(じょうはん)を通り、漢口(かんこう)と漢陽(かんよう)の間を流れ、長江に合流します。武漢は、武昌(ぶしょう)の「武」と漢口と漢陽の「漢」の合成地名ですが、その「漢」は漢江から来ており、漢江の源は漢中市にあるということです。このように「漢」の字は、漢中一帯と深い関係があります。この地一帯が漢と呼ばれ、その中心という意味で漢中と呼ばれたのではないかと思います。漢中は、咸陽、西安と隣接していますが、漢中は漢江の水系であり、咸陽、西安はイ(三水+胃)水(イ河)の水系で、その間には秦嶺山脈(しんれいさんみゃく)があります。
劉邦が、秦滅亡の後興した王朝を「漢」と名乗ったのは、漢中と深い関係があると思います。劉邦は江蘇省北部のハイ(三水+市)県の生まれで、元々漢中とは縁故はありませんが、この地に封じられたことがあり、漢王を名乗ったことがあるようです。
漢台は、劉邦が漢王であった時代の宮殿跡と言われますが、その後はこの漢中一帯を治める政府の役所として使われたようです。現在の漢台がいつ出来たのか定かではありませんが、今は漢中博物館として使われています。本来は、南側に正門があるはずですが、現在は南側は閉鎖されており、北側の門が漢台の出入り口となっています。
まず最初は、北門入ったところにある望江楼です。北側から撮っているので、裏側です。「江」は漢中では「漢江」を指します。漢中の南側に漢江があるので、南側に漢江を望めるという訳です。
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