今日は、漢中の石門ダムです。漢中は漢江の流域だと申し上げました。漢江は武漢で長江と合流し、上海で黄海に入ります。また、咸陽、西安(長安)はイ(三水+胃)河の流域で、イ河は黄河と合流して、渤海湾に注ぎます。そして、漢江の流域とイ河の間には秦嶺山脈があります。
昔、咸陽、西安(長安)から漢中に行くには、イ河の上流の宝鶏(ほうけい)から、秦嶺山脈を上り、分水嶺を越え、漢江側の方を下ります。分水嶺から漢江に流れる漢江の支流は幾つもあるのですが、宝鶏から漢中を繋ぐ古道が沿う支流があり、その支流に石門ダムが造られています。
宝鶏から分水嶺を越えて漢中に至る古道は大変険しく、崖に張り出して造った道を通路として使っていましたが、それを桟道(さんどう)と言います。石門は、その桟道と崖に刻まれた銘文があったところで、それが石門の地名となっていますが、石門ダムが作れられ、昔の桟道と銘文は水没しています。現在は、ダムの貯水湖の水位より上に、桟道が造られています。
今日は、まずその石門ダムをお見せします。まず、石門ダムの手前から下流の方向を見たものです。両側が山で、川下に平野が開けているのが判ります。この平野の先に漢中があります。
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昔、咸陽、西安(長安)から漢中に行くには、イ河の上流の宝鶏(ほうけい)から、秦嶺山脈を上り、分水嶺を越え、漢江側の方を下ります。分水嶺から漢江に流れる漢江の支流は幾つもあるのですが、宝鶏から漢中を繋ぐ古道が沿う支流があり、その支流に石門ダムが造られています。
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