この本の中に この二つの短編が入ってる
出てくるのは
上田秋声 蕪村 呉春 応挙 芦雪
絵を評価する
それぞれの頑固な視点が
もうたまらなく面白い
こういうのって
朗読すると面白いだろうなあ
絵を描く人って どうしたって変りようのないものがある
それは
もう
よしあしの世界ではなく
もう
逃れようのないものだ
カルチャーのなかでも大所でも師弟関係というのは
とかく
大師匠は自分のミニチュアを作り出してしまうが
師匠に憧れるあまり あるいは阿るあまりそうなるというのはよくある
蘆雪を殺す のほうは
丹波亀山侯が芦雪に劉備の檀渓越えの絵を注文したのに
しったか家来が芦雪の師匠(応挙)に下絵の指導を受けろ
と芦雪にいったことから話が始まる
ここらが面白い
天明の絵師のほうは
呉春の器用さが話題になってる話
この器用さは貶められている話だが
性質としては器用で軽いのがわたくしですので
読みながら
器用で何が悪い! クソ!
という気持ちになりながら読み進めた
こういうことは
変りようがない身の定めなのよ
一方で
不器用で正確さに欠けるという身の定めの人もいる
その不器用さは宝石の原石だったりもする
言葉つきとは裏腹にこの不器用さは得がたい才能でもあったりする
これらは
持って生まれたものだからね
しょうがない
司馬遼太郎の描き方は
そういう登場人物の身の定め振りを
それぞれに
唯我独尊のかたくなさも漂わせて書いてるところが
読んでて手ごたえがあって面白い
だから
朗読してみると
そのあたり読み込むと面白いんじゃないかと思った
いずれにせよ
絵画について詳しくないので
手元に貸してもらった
岡山県立美術館の
2002年の展覧会 墨戯展 の図録とそこに載ってる論文を読んで
少しは基礎知識を手に入れよう
この図録は載ってる絵が面白い
これは 蕪村の絵巻のなかの
「かさねとは八重撫子の名なるべし」 (曾良)
の部分
右端がかさねちゃん
これについての記事は
花てぼさんです