遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

今日は敬老の日なので

2009-09-21 21:02:43 | ブログ

Goinnkyo090504

テレビが介護のことをやっていたので

グループホームに入れない(身元引受人がいないから)おばさんを見て

その人になったつもりで

辺りを見回してみた

もう

あきらめて

してくださるようにします

と仰るが

団体生活は好きでないし

一人で寝るのは怖い(災害にあった方なのです)

(おばさん 私も団体生活きらい 一人で寝るのは好きだけれど

居場所がなくなったとき 新しいところ心配です)

 

認知症で

孫を見分けられなくなった人もいた

見知らぬ人

動けないからだ

殺風景なベッドと部屋

そこにいるつもりになった

 

そうなったらどうやって生き抜けるのだろう

 

環境や人間関係が変ることを受け入れるのがどれだけ大変か

 

介護する側になって考えるのは

まだ

こうしようかああしようか考えるからいいが

当事者になったら・・・・・怖い

 

じっくり想定してみることにする

 

前の記事の本に

お風呂のことが出ていた

 

広い埋め込み式のお風呂の危険性

わがおばさんは

温泉にすっかりなれて

もう一年以上自分の家の湯船に浸かってない

広い埋め込み式のお風呂になれてしまっている

 

それを変えるのはおばさんにとってはストレスフルだろうな

 

しかし広い洗い場を歩くには支えが要るし

ジェット水流の出るバーデプールは

ときどき

体が浮いてしまって

おっとっと

ということがある。

 

おぼれかけたお年寄りを救おうとした人も体が浮いてしまって

二人とも溺死したという事故があったらしい

 

目を離すと危ないなというのはよく分かった

 

湯船に入るのに危なくないように

シャワーチェアーを

湯船の手すりと同じ高さにして

座ったまま体をひねれば入れる

といくら言っても

シャワーチェアーを

湯船の手すりとくっつけておかないので

困るんだよ

全く!

何回言えばわかるんだよ!

と思ったが

シャワーチェアーの定位置はカランの前

このおばさんの常識が覆らないからなのね

この本を読んで分かった

これが慣れているものの考え方

というのはかなり堅固なものなのだわ

 

でも

プールでの運動が

定着したように

ひょんなことが

新しく定着する

 

自分が頑固な老人になったとき

自分の満足の行くやり方

回りが安心なやり方をうまく見つけられる老人になりたい

(もしそれまで生きてるなら)

 

敬老の日だからこんなことを考えた

 

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「痴呆論」三好春樹

2009-09-21 13:26:23 | 日本の本

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今日は片付けようかと思ったが

つぎつぎと野暮用が立ち表れ

お客はやってくるわで気が散る

もうやめた

明日に延ばせることは明日だよ~~!

今日から読む本はこれ

 

ゆすらうめさんのところでは

大爺の介護 頭が下がる

関わり合いをどう作るか

とても明るく創意工夫 笑えるものも沢山あって

すばらしい

 

脳の問題だって

日々の暮らしが作ってるのだよなあ

 

閉じこもり症候群というのは

なかなか大変だ

閉ざさないというやり方がすばらしい

 

私なんか

見かけ明るく元気よくだけれど

閉じこもりたいことはしょっちゅうある

無理やり心開かないこと 時 人っている

 

何がそれをとろかすのか

それが問題だ

 

今朝テレビも問題にしてた

75歳問題

 

退職後社会との関係が途絶えてしまう人々

閉じたところから出て行くのは大変だ

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意地

2009-09-21 07:18:35 | 朗読

貧の意地の主人公

原田は

自分の損になることにおいては

熱中して知恵も働く

というようなことが出てくるが

実際は

ここに出てくる愛すべき貧しい浪人たちは

矜持という

己にとっては一番の価値を置くもののために

愛らしく

うごめいている

 

世が動く原理は

皆己の価値を置くもののために

つまりは自分の得のために動いているのさとも言える

貧の意地は自分の損になるように

じたばたじたばたするような話だが

ひっくり返せば それが自分の得だからじゃない!

 

貧しい人たちは

なんとなく 何時もそういうことも愛らしいが

偉そうなやつらは

自分の得になることをおためごかしなお飾りをつけて

もっともらしくうごめくのだから

愛らしくなんかなくて

唾棄すべき  なんて思われちゃう

 

自民党の

敗北はそれでしょうか?

 

世間を泳いでいくとき

結局は人間は自分の利益で動いてるって

割り切ってしまえばいいし

人のために奉仕したり自分を殺して犠牲になったりしてると思わなければ

ずいぶん楽だ

例えばよ

子供のために交通事故で殺されそうな子供を救い出すのに

死んでしまう親がいたとしても

そりゃあそういうときの情熱って

とんでもない火事場の馬鹿力になるだろうし

そのときは自分の延長上に子供がいるからそうなる

 

もっと冷静なときは

子供とだって

自分の利益をかけてバトルになることもあるし

 

ましてや

夫婦の場合は

もともと他人だから

言うに言われぬバトルもあるな

へへへ

 

私なんか

もっと他人の

おばさんとの暮らしの中で

時々

私の思いが通じないと頭にきて

喧嘩できないし

とはいえ自分の気持ちのはけ口がなくて

もやつくことも多いが

 

お互い自分の利益のためにうごめいてると

割り切ると楽になる

 

おばさんがなるべく元気でご機嫌よく暮らせれば自分が楽だからね

親でも無理なのに

親でもない人に慮ってもらうのは無理

 

老人になると

子供のときのように

自分を無条件で保護してくれる人がいなくなる

(親がいても親はもはや保護すべき対象になってるからね)

それで

老人の生き抜く知恵は

自分の都合ばかりを考えて生きる

これが一番!

これって

叡智かもしれない

 

私もそういう老人にだんだんなってくる

 

今日もわがまま者のお遊の一日が始まる

 

 

コメント (3)
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